今や宇宙は単一の次元ではなく、複数に並列して存在することが実証された。

 惑星アビスフィア衛星軌道上に出現した超巨大次元転移門『クロノゲート』は、トランスバールに未知の技術と新天地の可能性をもたらした。特に並行宇宙への移動を可能とするクロノゲートの存在はあらゆる意味で革新的だった。

 また同時期、トランスバール皇国はシヴァ女皇によって事実上解体され、民主的銀河連邦『EDEN』が誕生。トランスバール暦416年4月1日を以ってEDEN暦へ移行し、あらゆる文明・国家・民族が共存するための統治機関として活動を開始した。

 

 さかのぼって旧トランスバール暦415年、クロノゲートの解析によって並行宇宙への進出が可能となった。

 アビスフィアに出現したクロノゲートは虚数空間『アブソリュート』へ繋がっており、ここから別の宇宙へ繋がるゲートを使って移動する中継方式が取られていた。様々な異次元世界に通じる各ゲートはアブソリュートに鎮座する巨大施設『セントラルグロウブ』によって制御される仕組みだ。

 ここで技術者たちの前に一つの問題が立ちはだかった。

 セントラルグロウブの制御システムは遥か太古に破壊されたらしく、現在の施設にゲートを開閉する能力は残っていなかったのである。これの復元は現状不可能に等しく、EDENが使えるのはEDEN側のゲート以外に、開いたままのゲート一基のみ。

 不幸中の幸いは、その唯一のゲートに先に今も繁栄を続ける別文明が存在していたこと。そして異文明『NEUE』との経済・文化交流がスムーズに開始できたことだろう。銀河連邦『EDEN』の設立もあいまって、宇宙はまさに異世界交流の時代を迎えていた。

 

 

 

 EDEN暦002年。

 二つの宇宙はおおむね平和であった。互いに異分子を受け入れることに一部の国民が反感を抱いていることは度々問題となったが、それも徐々に緩和されつつある。

 剣の惑星国家『セルダール』。

 魔法の惑星国家『マジーク』。

 現在のNEUEはこの二大国家を中心に発展を遂げ、しかしその背景には様々な要因と確かな軍事力の影響が色濃く現れている。

 クロノゲートから最寄りであることからEDENとの玄関口となっているセルダールは、EDENからの技術供与による軍備強化に踏み出していた。例え直接的な仮想敵が存在せずとも、抑止力は必要になる。同時に、EDENNEUEという見ず知らずの相手同士が手を取り合うには格好の理由付けだった。

 同盟の名の下にEDENの最先端技術が供与され、同時にセルダールが保有するEDENにない特殊性の高い技術のフィードバックも始められた。

 そして享受する平和を永遠とするために、剣を取る。

 両陣営とも内外にとってこれほど決まりのいい謳い文句もなかった。

 

 

 

 

 

 

――――――EDEN暦003年5月8日。惑星セルダール衛星軌道上。

 

 軍の衛星港から一機のシャトルがゆっくりと発進し、美しい惑星へ向けて滑り出す。衛星港の外壁で作業するスタッフから見れば数多く往来する軍用機の一つでしかないが、その機体のフライトスケジュールが非公式かつ最重要機密扱いであることなど彼らには知る由もない。

 そんなトップシークレットの塊の中で、キャビンのシートから虚ろに宇宙を見つめる一人の少年が居た。綺麗に切り揃えた髪は濃い茶色、子犬のような丸い瞳。軍人というよりもどこかの要人の子息と思えるが、彼が身に纏っているのは紛れもなくトランスバール軍の制服だ。

 だが少年にはまだ階級も無ければ、所属部隊も無い。ある事情で半年前に軍属になり、しかし何かの作戦に参加したりするわけでもなく黙々と各種トレーニングに打ち込むだけの日々。それも何処とも知れない山奥のコテージに軟禁状態にされて、である。そして状況が変わったのが二日前。いきなり旅支度をさせられたかと思うと軍のシャトルに乗せられ、衛星港で別の機に乗り換えて今に至る。

(何がどうなっているのやら、ね)

 誰かが答えてくれるわけでもない。少年が呆けて窓の外に視線を泳がせてしまうのも無理はなかった。

「どうした、カズヤ? 無重力に酔ったかい?」

「大丈夫です。フォルテ先生」

 そんな少年の様子に、向かい側のシートに座っていた軍服姿の女性が軽い口調で尋ねた。フォルテと呼ばれた女性的でグラマラスな体型の女軍人は、階級章を見れば少佐―――――つまり佐官である。どういった経緯で現在の役職に就いたのかカズヤ少年には分からなかったが、それでも彼女が軍の中でも優秀な人間であることだけは短い付き合いの中で理解していた。

 フォルテ・シュトーレン少佐。

 EDEN軍の軍人で、現在は特命を帯びてセルダール軍に出向しているという。元々は特殊部隊の所属で数え切れないほどの実戦を経験し、常に銃火器を持ち歩く、優しく気さくで豪胆でとてもおっかない自分の教官。カズヤ少年が彼女について知り得ているのはこの程度の情報だけだった。

 そんな教官が口元をニヤつかせながら言った。

「隠してもダメさ。顔にしっかり書いてある。『いい加減教えてくれ』ってね」

「僕をスカウトしてから半年間、聞いても押しても引いても『時期が来たら』の一点張りでしたから」

 カズヤは元々、料理学校の生徒だった。菓子部門では校内でピカイチの腕前で、主席で卒業の見込みさえあった。そんな荒事とは無縁の少年を軍へ引っ張り込んだのがフォルテだった。

 そしてカズヤを説き伏せた彼女の言葉は――――――

「僕の力が否応にも必要になる時が来る、でしたっけ」

「そうさ。そしてアンタの力が必要になったのさ。カズヤ……カズヤ・シラナミ」

「それじゃあ――――――」

 フォルテの表情が変わる。

 快活な笑みから、軍人のそれへ。

「アンタにはEM(エンブレム・モジュール)のパイロットになってもらう」

「エンブレム、モジュール……あの、人型機動兵器?」

 エンブレム・モジュール。

 トランスバール皇国で採用されている全長約18メートルの汎用人型機動兵器で、近年ではセルダールなどNEUE各国でも輸出、ライセンス生産が始まっている最先端兵器だ。地上、宇宙を問わず活動可能で、強烈な打撃力を的確に発揮し、特に戦艦では対応できない繊細な戦術運用が求められる場面で活躍している。

 そのパイロットに、自分がなるというのか。

 カズヤは首をかしげた。確かに週に一回ほどシミュレーターによる操縦訓練自体は課せられていたが。

「それって、別に僕じゃなくても――――」

 言いかけたカズヤにフォルテが一冊の分厚いバインダーを差し出した。綴じられていたのはEMの設計図。それも全てのページに『NOT OUT』の印が押され、ほぼ全ての記載が真っ黒に塗りつぶされていた。分かるのは機体全体のシルエットぐらいだ。

「まあ聞きな。この機体はあるシステムを積んだ特注品でね、そこらの操縦兵じゃ指に一本も動かせない仕様なのさ。そしてシステムを動かせる人間って言うのが……カズヤ、アンタだ。EDENNEUE、両方探し回ってもこのマシンを動かせるのはカズヤ以外に居ないんだ」

「僕じゃなきゃ動かないのは分かりました。でもどうしてそんな物が?」

 カズヤからしてみれば、そんな兵器が必要になる理由が分からない。昔はともかく今は平和だ。隣の国と睨み合っているわけでもなければ、いきなり空から大量破壊兵器が降ってくるわけでもない。ニュースでも軍縮の新しい条約が結ばれた、と報道されたばかりだ。

「そりゃあ勿論、決まってる」

「?」

「ドンパチやりたい奴らがいるんだよ。今の平和が気に食わない奴らが」

 

 

 

第二次銀河天使大戦

Love Destroy

 

 

第一章 一節『悲劇の子供たち』

 

 

 セルダール軍第七駐屯基地。

 港湾区の大部分を占めるこの基地は、本星の軌道上に点在する衛星港から出入りする軍用貨物の受け入れを担っている。ここに運び込まれる物は各種消耗品から開封厳禁の機密物資まで多種多様だ。特にこの第七駐屯基地はセルダール王家随伴の近衛隊が本拠とする施設と近いため、そこへの輸送物資も多く納入されている。

 基地を預かるゲリュゴン司令官は今日も管制室で離着陸するシャトルの様子を眺めていた。地上から宇宙へ、宇宙から地上へと行われる人と物の往来が何事もなく始まり、終わることこそが老獪な司令官の願う平和だった。

「現時までの進捗はどうか?」

「1530までのフライトスケジュールは全て順調ですよ、司令」

「よろしい。今日もつつがなく終わらせよう」

「はっ」

 彼の任務に対するスタンスを知っているのか、オペレーターも笑顔で司令からの問いに答えた。

 だが基地司令である以上、ゲリュゴンはいつまでも管制室に陣取っているわけにはいかなかった。今日は来客の予定もあるので、秘書からは指定の時刻に遅れないように何度も釘を刺されている。

「私はしばらく外す。トラブルの際はすぐに報告したまえ」

「了解しました」

 オペレーターたちに言い含め、ゲリュゴンは管制室を出た。

 乗り込んだエレベーターのコンソールパネルを操作すると見る見るうちに下っていき、あっという間に地下100mへ到達した。この基地は設計図に記載されている限り地下施設は3フロア分、せいぜい地下50mの深さまでしかない。

 では、ゲリュゴンが降り立ったここは一体何処なのか?

「ネイバート技師長」

「ご心配なく。もう仕上がっています」

 女の声がゲリュゴンに応じた。

 強力なストロボライトに照らされ、二人のさらに向こうに聳え立つ機械の巨人がその姿を現す。ここはセルダール軍の最重要機密を扱うための専用施設で、軍のあらゆる機密物資を輸送隊から預かり、次の部隊へ引継ぎを行うターニングポイントなのだ。小さなものはマイクロサイズのデータディスク、大きいものは宇宙戦艦まで、あらゆるものを取り扱ってきた。

 だが今回はゲリュゴンも困惑を隠しきれない。

 品目はEDEN軍とセルダール軍が共同で開発した新型人型兵器。「Mk−U」とも呼ばれる新兵器がたった一人の技師と共にゲリュゴンの元に運び込まれたのはもう半年前になる。

「あとは搭乗者の認証登録を行えば問題ありません、司令官」

「では、輸送先は新造艦『ルクシオール』でよかったな?」

「その辺りは『客』に聞いてください。そもそも、あなた方がこれをどう使うかなど私はあずかり知らぬ事です」

 金色の長髪を結わえていた髪留めをはずし、ネイバート技師長はそう吐き捨てて立ち去った。ゲリュゴン自身、この新兵器がどのような意図で生み出され、どのように使われるのかなど彼の職務にも範疇にない。

いずれにせよ、これが駆り出される事態にならないように自分は手を尽くすのみである。

 軽い電子音が思考に没頭していたゲリュゴンの意識を引き戻した。胸元の携帯用通信機のスイッチを入れる。

「どうした」

『司令。第四滑走路に『来客』です。至急お越しください』

「分かった」

 やや不機嫌さを匂わせる女性の声。所在不明の司令に秘書官はいつものことだと思いながらも、やはり苛立ちは隠せないようだった。「仕事の腕は良いのだがやや勝気なのが婚期を逃した理由」というのがゲリュゴンの評価であり、秘書官は今年で三十路、とまで言わぬのは身の為であろう。

 もう一度エレベーターに乗り込み、地上を目指す。

 この第七駐屯基地には五つの滑走路があり、第一から第四滑走路までを通常のオペレーションで使用する。第五滑走路は緊急スクランブル用に空けておくのがここの通例である。

 そのうちの第四滑走路に、今ちょうど衛星港からの軍用シャトルが着陸したところだった。車輪を軋ませてアスファルトを滑り、やがて停止した機体に乗降用のタラップ車が接続する。

 程なくしてタラップから降りてきたのはモノクルを掛けた美女と、彼女に連れられておっかなびっくり歩く一人の少年だった。宇宙帰りだからだろう、少年の足元はおぼつかず、タラップの手すりに掴まりながら階段を下りている。

 舗装されつくした大地に降り立った二人の前に、ゲリュゴンが歩み出た。

「ようこそ。私がこの基地を預かるゲリュゴンだ」

「フォルテ・シュトーレン少佐です。よろしくお願いします」

 美女……フォルテ・シュトーレンと握手を交わすと、ゲリュゴンはその後ろでまだ戸惑っている少年に声を掛けた。

「重力は慣れないかね?」

「い、いえ! あ、あの……カズヤ・シラナミです!」

「よろしく、シラナミ君」

 答礼もぎこちないカズヤ・シラナミとも握手するゲリュゴンにフォルテは申し訳無さそうに言った。

「シラナミは軍属になってから日が浅いものでして」

「かまわんよ、少佐」

「恐れ入ります」

「それで、さっそくだが頼みがある」

 ゲリュゴンの言葉の意図を理解できず首をかしげるカズヤの隣でフォルテが目を細めた。

「まさか、もう機体が?」

「ほぼ組み上がっておる。だがその前に君たちに見てもらいたいものがあってね。着いてきたまえ」

 踵を返すゲリュゴンに続いて二人も歩き出す。

 司令官自らの案内で基地内の通路を進みながら、しかしカズヤ・シラナミはそわそわと周りを見回してばかりだ。そんな少年を嗜めるフォルテにゲリュゴンが尋ねた。

「彼は新兵なのかね、少佐?」

「はい。現在編成中のある特殊部隊へ急遽抜擢・配属が決まり、訓練中でありました」

「…………若者をまた戦地に送らねばならんとはな」

「申し訳ありません」

「失礼。君に責任は無い。これも時代の仕業か」

 乗り込んだエレベーターの中で、壮年の男の眼差しは遥か遠くへ向けられていた。

「シュトーレン少佐。このセルダールも数年前までは戦乱の中にあったことを知っているかね?」

「はい。マジークとの領土争奪戦と聞いております」

 セルダールはEDENとの国交が開かれる二年前まで戦争状態だった。

 相手国のマジークは他星系の惑星国家で、セルダールとは数十年前から領土拡大の関係でトラブルが相次いでいた。そして今から十四年前、ある事件を切っ掛けに人材、資源、領土、その他ありとあらゆる物を奪い合う泥沼の闘争へと陥った。

 事件の詳細について民間人はもとより、ゲリュゴンを含めた殆どの軍人にさえ知らされていない。

 記憶に残っているのはマジーク軍のセルダール領強襲の報と、当時の軍部が発表した『我らに大儀あり』の一文のみだ。

「私はその頃、ちょうどこの基地の司令官として着任したばかりでね。私は上層部からの命令どおり、あらゆるものを前線へ送り出した。兵器、弾薬、そして多くの若者をだ。何より質が悪いのは、当時の私は愚かにもそれを正しいことだと信じていた」

「司令―――――」

「すまんな。少し思い出話に没頭してしまったよ」

 地下二階で停止したエレベーターから降りて通路を幾ばくか歩いてたどり着いたのはデータルーム。それも最高クラスのセキュリティを解除できる顕現を持つ一部の人間だけが使用できる、極めて機密性の高い場所だった。

「実は先月から基地周辺の海域で、不審な機影を目撃したという報告が数件ほど上がっておる。レーダーには反応せず、目視のみでしかその姿を確認できていない」

「哨戒部隊による捜索は?」

「目撃されたのは基地の南側の森林地帯だが、現在まで機動兵器どころか不審者一人見つかっておらん。通常のパトロールも倍に増やしたが結果は変わらず。森林地帯からさらに南の、市街地に入り込んだとしか思えん」

 つまり、その正体不明のマシンは一般市民のすぐ側に潜んでいるということになる。

「確かに厄介ですが、我々が見るべきものではないのでは?」

「それがそうでもないのだ。この報告書を見たまえ。元ムーンエンジェル隊隊長、フォルテ・シュトーレン」

 そう言ってゲリュゴンが差し出してきたレポートに目を落としたフォルテの表情が強張った。その顔は驚きというよりも、恐怖に引きつったものだ。血走った眼を向けるフォルテに、ゲリュゴンは説明を続けた。

「その報告書に掲載されている画像は、不明機を目撃した市民が手持ちのカメラで偶然撮影し、その写真をこちらで分析したものだ。その結果―――――君たちEDENサイドから提供された、共同開発計画のライブラリに該当するデータがあった」

 その画像を覗き込んだカズヤがおずおずと尋ねた。

「あの、フォルテ先生。これってヘクトールですか?」

 その問いにフォルテは無言で首を横に振った。

 ヘクトールとはEDEN軍が近年開発に成功した汎用人型機動兵器の通称である。宇宙空間における高機動戦から宇宙艦隊の支援、対地上戦力の制圧戦、さらに装備さえ揃えれば水中での作戦行動さえ可能になるという万能兵器だ。

 白を基調としたデザインにコンパクトに纏められたフォルム。まさしく新時代をあらわすヒロイックな象徴として、EDENはもとよりセルダールでも民衆に浸透し始めていた。

 確かに画像にはヘクトールに良く似た人型機動兵器が写っている。だがフォルテはそれを否定した。ならば、とゲリュゴンが問う。

「教えてくれ、少佐。これはいったい何なのだ?」

 しばらくの静寂を置いて、フォルテは重そうに口を開いた。まるで苦虫を山ほど噛み潰したかのような、苦々しい顔で。

「こいつは、ああそうだ。こいつはエンブレム・モジュールの試作機だ」

「試作機……これがテスト機だというのか、少佐」

「そう、テスト機。ただしこいつは何年も前、ヘクトールシリーズ開発の際に造られたモンさ。今じゃあ跡形も残っていない、残っていないはずの機体だ」

 だが、とフォルテは自問する。

 この機体のデータが残っている以上、軍のお偉方が実験的に復元した可能性がある。だがそれをわざわざNEUEに運び込み、秘密裏に運用するメリットなど無いはずだ。

 では、これはあの時のままか?

 もしもあの爆発の中で、あれが生きていたとしたら――――――いや、それこそ有り得ない。惑星の自転をも狂わせるほどの破壊の嵐に耐えられるものか。

「司令、最後に目撃されたのはいつですか?」

「三週間前だ。以降の行方はさっぱり掴めん」

「…………」

 益々フォルテの表情が苦いものへと変わっていく。

 彼女はカズヤに退出を促すと、再び忌まわしい記憶の渦へ思考を埋没させていった。

 

 

 

 

 

 基地の南側に広がる森林地帯は深く茂った広葉樹のため、夜になると照明無しでは歩けないほどに暗い。景観を保つ目的で森を抜ける主要道路の街灯は最低限の数しか設置されておらず、その闇は良からぬ者たちの姿さえ覆い隠してしまう。

 そんな暗がりの道路の脇を数人の男が小走りで移動していた。いずれもまだ若く、三十にはまだ届いていないだろう。車などは使わず、徒歩で進む男たちはやがて街灯の影で別の集団と合流して尚も歩き続ける。

 基地側から、市街地へ向かって。

「交渉は上手くいったのか?」

「ああ。EDENの連中の作った、っていうのは気に食わないが人型も五機用意してもらえた。代わりに決行の日付は向こうから指定が入ることになってしまったが」

「……仕方が無いさ。背に腹は代えられん」

「すまない。だが、これで計画を実行に移せる」

「戦争は終わった。だが経済は未だ戦争に依存している……そうさせている存在を世に知らしめねば」

 彼らの向かう先には老朽化により放棄された廃工場、その錆び付いた扉の前で一人の男がパイプを銜えて立っていた。薄汚れたコートを羽織っているが、その体躯は厳しく鍛え上げられた兵士のそれだ。年は五十歳に近いようで、頭髪は半分以上が白髪になっていた。

「隊長」

 隊長と呼ばれて壮年の男は鋭い視線を若者たちへ向けた。

「手筈は整った。そうだな?」

「はっ。搬入は夜明け前、二日以内に稼動状態に出来ます。指示にあった物も可能な限り用意させましたが、空挺は不可能でした。ルートは海上になります」

「問題ない。空挺は逆に目立ちすぎるからな、むしろ都合がいい。変更点はそれだけか?」

 無言を肯定の意と解して壮年の男は夜空を見上げる。

 月も見えない闇だけが彼らを見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 第七駐屯基地に到着した翌日、宛がわれた仕官部屋のベッドでカズヤは目を覚ました。フォルテとは昨晩データルームで別れてから会っていない。

 着替えながらふと、可笑しな場所に来てしまったと感じて肩をすくめた。

 彼の通っていた料理学校に、セルダール軍を名乗る黒服の集団が訪れたのはもう半年以上前になる。すでに卒業が決まっていたカズヤに彼らは『君が軍の最新兵器のパイロットに選ばれた』と告げた。

 最初、カズヤは頑なに入隊を拒否した。ある理由から軍に対する嫌悪感の強かった彼にとって、軍に参加する必要性など微塵も感じられなかったからだ。軍のエージェントたちも戦乱が終結し、以前ほど軍の強制力が働かない以上は無理強い出来ず、カズヤの要望どおり引き下がった。

 だが彼らも諦め切れなかったらしい。

 それから数日して、カズヤの元を一人の女性が訪れる。

 フォルテ・シュトーレン少佐。後に彼の教官として教鞭を振るうことになる彼女の説得を受け、一週間に渡る交渉の末にカズヤはついに入隊を認める。

 学校を退学し、軍の秘密施設で教習と訓練を受けて今日に至る。親友のランティには最後まで恨み節を聞かされてしまったが、仕方が無い。

「さて、と」

 空腹を満たすためにもフォルテを探すためにも、まずは食堂へ行かなければ。部屋を出て道なりに通路を歩いていくと、カズヤはすぐに大きな人だかりに出くわした。側に立てかけられた看板から、溢れんばかりの人が押し合い圧し合いしているその部屋が食堂だと理解できる。

(でもこの騒ぎは一体――――――)

「驚いたかね、シラナミ君」

 不意に声を掛けられて振り返ると、そこには昨日会った基地司令が立っていた。

「おはようございます、ゲリュゴンさん」

「おはよう、シラナミ君。すまないな、普段はこう込み合うこともないのだが今日はゲストが居てね」

 見やれば、食堂の配膳所に一人の少女が立っていた。艶やかな銀色の髪をツインテールにして、その佇まいは小柄で華奢な子兎を髣髴とさせる。そんな彼女が一人一人に朝食を載せたトレイを手渡してくれる、というのが今朝のイベントだった。

 軍とは得てして男女の比率が偏るもので、この基地も例外ではなかった。殺伐とした任務に従事する男性兵士たちは、この神の与えたもうた奇跡を前に揃って跪いて感謝の祈りを捧げた。

 それほどまでに彼らの生活は潤いの欠けた物だったのである。

「……今日は、ニンジンのきんぴらです」

「あ、ありがとう」

 いつの間にやら回ってきた順番と、皿に山盛りになったニンジンに困惑しながらカズヤは何とかトレイを受け取ることが出来た。しかし炊き立ての白米とニンジンのきんぴらだけという献立は栄養学的にどうなのだろう。

 しかしカズヤは知るまい。昨日の朝食も白米とニンジンのきんぴらだったということを。

「ニンジンは、体に良いです」

「そ、そそそそそうだね! カロテンだね!」

 少女に促される(?)形で動きの止まっていたカズヤは脊髄反射で即答した。もしここで否定的な回答をしようものなら、彼は基地の全兵力による集中攻撃を受けることになっただろう。すでに幾人かのMP(ミリタリーポリス)が懐の拳銃に手を忍ばせていた。

 そんな物騒な空気を感じて、カズヤは色々とツッコミを入れたい衝動を押さえ込んだまま着席した。

「いただきます」

 口に入れたきんぴらはとても美味しかったが、周囲のあまりに殺伐とした空気に耐えかねたカズヤは食事を手早く済ませて食堂を後にした。この様子では基地内も歩き回れたものではない。散策はまたの機会にしよう。

(やることならたくさんあるし)

 人目を忍んで自室へ戻ったカズヤは黙々と筋力トレーニングを始めた。教官であるフォルテから、一日にこなさなければならないトレーニングの種類と量を言い渡されていたからだ。

(そういえば、僕ってパイロットなんだよな)

 機体に乗るどころか配属先さえ分からないままだが、フォルテはそう言っていた。しかし今まで行ってきた訓練は、その殆どが体力・筋力を鍛えるためのものだ。週に一回、エンブレム・モジュールの操縦シミュレーターを使った教習はあったが実機に触ったことは無い。

 しかし、カズヤは人型機動兵器の本当の恐ろしさを、嫌というほど知っている。

 あれは今から十年前、セルダールとマジークが戦争状態にあった頃――――――

(やめよう、こんな……)

 思い返したところで気分が塞ぎこむだけだ。

 気分転換がてらに散策でもしよう。そう考えたカズヤは制服に着替えなおして正面玄関に向かった。せっかく軍事基地に居るのだから、件のEMを見ておくのも悪くないだろう。

 さっそく格納庫を訪れる。正面玄関の壁にあった基地内の地図で場所を確認したので道に迷ったりはしなかった。最もそれ以前に、基地のセキュリティをパスして出入りできることに驚いた。恐らく自分の『任務』に関係があるのだろう。教官曰く最高機密に関わる人間ということだから、当然と言えばそうなのだが。

 格納庫ではEDENの主力機『ヘクトールU』がハンガーに固定され、整備中のようだ。それも一機だけではなく、少なくとも十機以上。メカニックたちがせわしなく動き回っている。

「あれ?」

 ふと格納庫の奥へ目をやると、三機だけ形状の違う機体が見える。その周りだけしんと静まり返っていて、カズヤにはそこだけ別の世界のように区切られているように感じられた。

 ちょっとした好奇心が少年の心をつついて、気付けばカズヤの足はその三機の方へ向かって動いていた。

「よう」

「わあっ!?」

 こっそり近づいたのがまずかったのか。忍び足のカズヤは背後から声をかけられて思わず仰け反ってしまった。

 振り返ると、長身の男がきょとんとした顔でこちらを見ている。パイロット用の耐圧スーツを着ているので、間違いなくこの基地に所属する操縦兵だ。

「すすすすすスミマセン! 勝手に見たりして……」

「気にしなくていいぜ」

「え?」

「別に隠すようなモンじゃないからな」

 そう言ってパイロットの彼は笑って見せた。

 立ち話も何だ、と近くにあった弾薬ケース(中身は空だった)に彼に勧められるまま腰を下ろす。

「俺はシロガネってんだ。お前さんは?」

「シナラミです。シロガネさんはパイロットなんですよね? この機体の」

 この機体―――――目の前で静かに佇む深紫に染め上げられた人型のマシンを見ながらカズヤは尋ねた。

「ああ。『ヘクトールV』っていうんだぜ」

「Vってそんな、ヘクトールUの配備が始まってまだ一年なのに……」

 EDENのヘクトールUがセルダール軍に採用されたのは今から一年前のことになる。実地配備は採用から半年後に始まり、今やセルダール軍の主力兵器の一つである。

「こいつはセルダール王宮の近衛部隊専用に開発された奴でね。ヘクトールUをベースに機動性と運動性を重視して再設計された――――どうした?」

 新型機について語るシロガネの前で、カズヤは首を横に振った。

「こんなものを作ってるってことは、また戦争なんですか?」

 カズヤの瞳に映る非難の色。

 そしてその後ろにある感情を見て取ったのだろう、シロガネは優しく笑ってみせた。

「いや……そういうわけじゃないんだ。少なくともこのVに関してはな。それに俺だって人間同士のいがみ合いなんか真っ平ごめんだ」

「なら、どうして軍に?」

「シラナミだったっけ。勘違いしないでくれ、軍は戦争をするための集まりじゃない。大切なものを守るための物なんだ」

「そんなの詭弁です」

 政府や軍隊の謳い文句は全部嘘だった。

 十年前のあの日、故郷と家族を奪っておいて彼らは一体自分の何を守ってくれたと言うのか。

「確かに嘘八百並べ立てる奴も居るぜ? でもよ、嘘にしないために頑張ってる奴も居るんだ。お前だってここに居るってことは、大切なものを護りたいからだろ?」

「………………はい」

 シロガネの手がカズヤの髪を思い切りかき回す。

「だったらその気持ちを嘘にすんなよ」

「はい」

「ところでシラナミはパイロットなのか?」

「え、はい」

「じゃあ俺が特訓してやるよ」

「はい、ありがとうございま……って、ええ!?」

 言われるままシミュレータールームへと連れ込まれる。ルームには何人かの整備兵がいたが、カズヤの首根っこを掴んで引きずるシロガネに気付いて声をかけてきた。

「おいおいシロガネ、ルーキーにお前のアクロバットはまだ早いぜ」

「まったくだ。根を上げる前に坊やの体が吹っ飛ぶぞ?」

「君もシロガネに目をつけられたのが運の尽きだね」

 話を聞いている限りシロガネという男は凄腕で、どうやら自分の人生は今日で終わるらしい。

 しかしすでにコックピットへ放り込まれたカズヤに抗う術はなかった。

 

 

 

 結局、シロガネによる特訓はそのまま夜まで続き、開放されたカズヤが食堂まで辿り着いたのはもう夜の十時近かった。

 カレーライスの乗ったトレイを受け取ってどうにか席に腰を下ろす。まだ平衡感覚が傾いているようで気分が良くない。まるで脳みそと内臓がひっくり返ったみたいだ。フォルテに鍛えられていなかったらとっくの昔に気絶していただろう。

「も、もうダメだ……」

 しかしこれは酷すぎる。

 朝と同じ女の子が盛り付けてくれたカレーライスだが、空腹だというのに胃が受け付けてくれそうにない。なんという矛盾だろうか。

 とはいえ、あまり泣き言を言ってもいられないかもしれない。つまるところ、これがEMのパイロットなのだ。急加速、急旋回、急制動と複雑な機動を巧みにコントロールし、なおかつターゲットを的確かつ独自に判断して撃破する。それをシロガネは長時間に渡って実行し続け、最後は事も無げに「腹が減った」の一言だ。

 対して自分はろくな活躍も出来ないまま撃破されること十数回。

 いよいよパイロットになる矢先、いきなり壁に突き当たってしまった。

「どうしよう……」

 いまさら逃げ出すわけにはいかないが、はたして自分に続けられるのか。そもそもパイロットの適性がないのであればフォルテも自分を解雇するのではなかろうか。いくら他に動かせる人間がいないといっても、動かす技術がないのではどうにもならないはずだ。その『技術』を身につければ問題はないのだが、今そこで躓いているわけで……

「シラナミ君、だよね。隣いいかな?」

「え?」

 不意に声をかけられてカズヤが顔を上げると、トレイを持った二人の女性が立っていた。

「あ、どうぞ」

「じゃ、遠慮なく」

 彼女たちはそれぞれ腰掛けると改まった様子でカズヤに向き直った。

「あ、私はカシワギ。こっちは……」

「ミツルギだ。タケルが迷惑をかけたようだな。すまなかった」

 ショートヘアの『カシワギ』と長髪を頭の後ろで結わえた『ミツルギ』が申し訳無さそうに頭を下げた。ふと見やれば、後ろの方で盛り付け係の少女もカズヤに頭を下げている。

 もしかして、と思い立ってカズヤは尋ねた。

「皆さん、シロガネさんのお知り合いですか?」

 対してカシワギは「いやいやー」と首を横に振り、

「んー? 仲間というか、愛人かな?」

 いきなりの爆弾発言。

 思わず口に入れたカレーを噴き出しそうになるのをカズヤは必死に堪えた。

「その表現はいささか誇張しすぎではないのか?」

「そうかな」

「せめて内縁の妻ぐらいにしておいてもらいたいものだ」

 カシワギに続き、ミツルギによる本日に二回目の爆弾投下。

 この二人は隠すつもりが本当にあるのだろうか、と疑問に思えて仕方の無いカズヤである。

 戸惑う少年に二人の女兵士は視線を投げかけ、逃さぬとばかりに尋ねた。

「まあ、その話は置いといて、と。シロガネと一緒にいて何か得るものはあったかな? パイロット志望のカズヤ・シラナミ君?」

 不意に投げかけられたその問いが心に深く刺さっていくのがカズヤにははっきりと感じられた。何か良く分からないまま漂うように此処に居る自分にとって、いや、本心を隠して此処に居る自分にとってそれは最も忌避していることだった。

 訓練なんて冗談じゃない。

 誰が望んで人殺しの技術なんか。

 やめてしまえ、こんなもの。

 胸の中でわだかまっている感情が吹き零れそうになる。

「あ、いや……」

「答えずとも良い。そなたの本心はすでに見えている」

「え?」

 意外なミツルギの言葉にカズヤの声が詰まる。

「訓練の様子などは見させてもらった。そして、そなたは心の奥底であらゆる闘争を憎んでいる。武器を持って戦うことを悪だと確信している」

「…………はい」

 まだ何も、自分の身の上どころか初対面でそこまで見抜かれているとは思ってもみなかった。彼女たちの観察眼にカズヤは素直に頷くばかりだ。

 だからだろう。

 気付けば、少年は声を上げていた。

「僕はパイロットなんて本当はやりたくなんかない。戦争なんて真っ平ごめんです。そんなことしたって、誰もが悲しむだけで何も残らないのに!」

 そうだとも。

 殺し合いなんか、ばかげている。

「す……すみません。声、大きかったですね」

 ふと我に返り、今が夜更けだったことを思い出してカズヤは頭を下げた。

「そうだね。でもいいんじゃない? ねえ、ミツルギ」

 言ってカシワギはにんまりと笑ってみせる。

「ああ。確固たる意思を持つことは大切だ。だからこそ、そなたはパイロットになるべきかもしれぬ」

 そしてミツルギの意外な言葉にカズヤは首をかしげた。

 戦いたくないからこそ、戦うべきだ。

 そう、ミツルギは言ったのだ。

「意味が、分からないです」

「別に他意はない。人は望もうと望むまいと戦うことが出来るが、戦いを止めることが出来る人間はそう居るものではない。そなたの戦いを望まぬ心が、戦争行為を終わらせる為の鍵になる。だからこそ力を持つべきだと、私は言いたいのだ」

「矛盾してますよ、そんなの」

「そうだろうか? 力を持つことと、力を悪事に使うことは別の話だ。そして本来、力はそなたのような心の清い人間が持つべきなのだろう。力は心次第なのだ」

 話は以上だ、と言葉を切ってミツルギとカシワギが席を立つ。

 カズヤは二人に言葉を返すことなく、俯いたままうわごとのように呟いた。

「力は、心次第……」

 

 

 

 

――――――EDEN暦3年5月12日。

  セルダール本星、国軍総司令部。

 

 

  軍事国家セルダールの中枢とも呼べ得るこの施設は面積20ku、全高400mにもなる巨大建造物である。此処を中心に四方40kmには工廠、格納庫、演習場、宿舎などが整備され、全軍司令部と各種施設を合わせて『防人の鞘』と呼ばれている。 

 セルダール軍は主に三つの系統に分けられ、セルダール本星の防衛を主たる任務とする『国防軍』、属領の防衛を担当する『警護軍』がその大部分を占める。この二つの軍部は全軍司令部の直轄戦力となるが、他に近衛省が統括する第三軍『王宮近衛軍』があり、こちらは国王直属の部隊となっている。

  その保有戦力は常時十数万人規模、或いはそれ以上ではないか、という分析が他国の共通の認識だった。

  そんな国防の要たる重要拠点の中を危なっかしい足取りでよたよた走る女性が一人。年は若く、二十代半ばだろうか。羽織った白衣は正体不明の薬品であちこち変色し、着けている眼鏡もフレームが歪に歪んでいる。なんとも研究者然とした女性だった 。

  白衣の女が息せき切って駆け込んだ先はやや大きい作りの個人用オフィスルームだ。防音仕様の部屋には、机と床と問わず大量の書類と資料を綴じたバインダーが無数に積み上げられている。

「しょーぐん、しょーぐーん!」

  白衣の女性が間延びした声で呼びかける。一分ほどだろうか、沈黙の後にバインダーの山の影からむくりと起きあがる影が一つ。

  人影は妙齢の女性で、豪奢な軍服を皺くちゃにして着崩している。細過ぎない体格は筋肉質で無駄なく引き締まっており、頬に走る大きな傷と相まって彼女の経歴を物語っていた。

「メリー……何の用だ?  私は徹夜明けなんだが」

「何さー。頼まれものが出来たから教えて上げようと思ったのにー」

 『将軍』のいい加減な応対に白衣の女性――――――シャンメリー・ブランゲットは童顔の頬を目一杯膨らませて抗議した。丈の余った袖をバタバタと振り回す様は子供そのものだ。

「ああスマン、許せ。だから騒ぐな、頭に響く」

「むうー、じゃあはい。これ」

 苦笑して頭を下げる『将軍』にシャンメリーは一束の書類を差し出した。ちょっとした辞書ほどの厚さがある書類をおもむろに捲ると、『将軍』の顔から見る見るうちに穏やかさが消えていった。

「思ったよりも早い完成だったな、メリー」

「まあねー。やれば出来る子なんですー。あの助っ人も意外と役に立ったしねー」

 シャンメリーが胸を張って自慢げに答えるが、『将軍』は意も介さず書類に目を通し続ける。

「準備はどこまで進んでいる」

「むー、ベズボルンのおじさんがやってるよー。『杯満つる日には間に合わせる』って言ってた」

 ならばよし、と女将軍が頷いた。

 ラードリー・ベズボルン。セルダール全軍の内、全ての宇宙艦隊の指揮権を預かる老将軍で、前の戦争の際に付いた異名が『破城槌のベズボルン』。敵の要塞、前線基地といった拠点を少数精鋭の突撃戦法で次々に撃破し、開戦から長く続いたセルダールの劣勢を覆した三英雄の一人である。

 この十四年前から四年前までの十年間にセルダール本星の各地で繰り広げられた侵略戦争は、開戦当初から無人の人型機動兵器を大量投入したマジークの優勢であった。魔法の先進国であったマジークはその力を大いに戦場へ投じ、特に呪法の行使はセルダール国民を震え上がらせた。原因不明の病が大流行し、僅か一ヶ月で無人と化した都市もあった。また呪法によって稼動する無人の機動兵器の運用はマジーク軍の人的損耗を劇的に減少させ、対してセルダールは多くの人命を失うこととなった。

 マジークがこれほど非人道的な戦術を行使するに至った原因はセルダール側にあったのだが、これは公には明かされていない。少なくともセルダール国内では。

 かくしてマジークへの抗戦感情が国民の間で高まり、しかし無謀な反抗作戦の決行に誰もが二の足を踏む中で名乗りをあげた三人の将兵が居た。一人は当時王子だった現セルダール国王ソルダム、一人はベズボルン。そして今、シャンメリーの前で大あくびをしている女将軍『LJ・メジェストゥ』。

 三人が率いる決死隊はセルダール各地を占領し始めていたマジーク軍とその拠点を次々に陥落させ、反抗作戦開始から二年後にはセルダール星域からマジーク軍を撤退させるに至る。だがこの時点でセルダール軍は二年間もの熾烈な戦いに疲弊しきっており、マジーク本星を叩く事は物理的に不可能であった。マジークもまた戦略的優位性と投入した主戦力の大半を失い、再度侵攻作戦を実施するには到底国力が足りなかった。

 そんな両国が和平交渉へと舵を切るまでさほど時間は掛からなかった。

 凄惨な戦争を直接的な終結へと導いた三人はその功績により、『剣聖王ソルダム』『破城槌のベズボルン』『不死身のメジェストゥ』と称えられ、一連の戦争における三英雄として祭り上げられることとなったのである。

 今やセルダールの民の中でこの三人の名を知らぬ者はいない。

 閑話休題。

 メジェストゥは先ほどまでの気の抜けた様子など嘘のように、険しい将軍としての顔でシャンメリーを見やり、言った。

「メリー、ベズボルンに伝えなさい。『杯に毒酒は満ちる』と」

「りょ〜か〜い…………いーんだね、リンダ?」

 コミカルな敬礼で返答しつつも、シャンメリーは打って変わって神妙に問い返した。

 だが対する女将軍の眉間には、肉が裂けんばかりの皺が走っている。

「躊躇も懺悔もあの日に捨てた。そしてその名で私を呼ぶなと言ったはずだ、シャンメリー・ブランゲット」

「…………うん、ごめん」

「なら行け。近衛に感づかれると厄介だ」

 

 

 

 

 

 ―――――EDEN暦3年5月13日。

 

 カズヤが第七駐屯基地に来てから五日が経った。

 しかし少年の状況に変化は無かった。特に任務を与えられるわけでもなく、ただ黙々と筋力トレーニングとシミュレーターによる操縦訓練をこなすばかりだ。配属先などは未だ不明のままだが、一方でシラナミや基地の正規パイロットたちと親しくなったカズヤは、現場や軍内部の実情などを掻い摘んで聞く機会も得ることになった。

「ここ終戦協定が決まってからはずっと暇なものだ。上層部()から無茶な出撃命令が出るわけでも、お空から敵が降ってくるわけでもない」

 そう言って金属製のマグカップに口をつけるのは第七駐屯基地の機動部隊を預かるベングリン隊長だ。階級は大尉、高めの身長にがっしりとした体つきで浅黒い肌。切り揃えられた顎鬚と鋭い目付きが一角の兵士であることを物語っている。

 この基地に配備されている実働部隊は彼の機動部隊のみで、後の兵士は基地要員か輸送部隊の所属になる。マジークとの終戦協定締結からセルダールでは軍縮が段階的に進められており、かつてセルダール本星最大級の輸送拠点とまで言われたこの基地でも配備戦力は削減の一途を辿っていた。ただ為政者の腕が良いのだろう、職を失った兵士の再就職は極めて順調ということだ。

 ちなみに話しかけられたカズヤ本人は、午前中のハードトレーニングにすっかり目を回して話の途中から床に大の字で寝転がっていた。意識があるのかも怪しい。

「おい、シラナミ。おい!……シロガネ、いい加減やりすぎじゃないのか?」

 皺の寄った眉間を指で揉むベングリンにシロガネは「そうでもないさ」と肩をすくめるばかりだ。

 ここは基地の格納庫の一角で、ベングリンたちは訓練を終えてそのデブリーフィングの真っ最中だった。途中で目を回したカズヤが床にぶっ倒れたので、彼が持ち直すまで軽い談笑をして時間を潰そうということであれやこれやという裏話が始まったのだが。

「肝心の新人が潰れちまったら元も子もねえ。そうだろ、ロケットボーイよ」

 コンテナにもたれ掛かったままガハハ、と大声で笑うのはケドゥック中尉。機動部隊の隊員で、ベングリンの副官でもある。ベングリンの一回り以上は大きい体躯は部隊内でも屈指のパワーを持っている。戦い方もパワー重視の力押しだ。

 ちなみに「ロケットボーイ」というのはシロガネの仇名で、あまりにハイスピードでアクロバティックな操縦をすることが由来だ。このケドゥック中尉には気に入った隊員に仇名をつけて呼ぶ癖というか趣味のようなものがある。

「しかし実際、このルーキーはまったく分からんな」

 そう言ってベングリンはマグカップを置いた。

「戦い方はてんで素人だが、追い詰められてくると時たま妙にいい動きをする。鍛え甲斐はあるな」

「少しずつとはいえ、ロケットボーイの動きを追ってこれるようになってきているぐらいだ。元々下地があったのかもしれねぇなぁ」

「そういうお前はもう少し慎重な攻め方を覚えろ。戦中からまるっきり変わらんぞ、ケドゥック」

 そいつは違いない、と悪びれるでもなくケドゥックは豪快に笑うばかりだ。

 呆れ返るベングリンにシロガネが思い出したように言った。

「そういえば、隊長たちは前の戦争の時からの知り合いだったんだっけ?」

「正確には同じ部隊の隊員だ。あの頃の面子で部隊に残っているのはスナイパー出身のビバマ、メカニック上がりのジェドロ、そして俺たちの四人だけだが」

 彼らが出会ったのは戦争後期、ようやくセルダールが盛り返してきた時期のことだ。当時マジークに対抗して編成された人型機動兵器を中心とした機甲部隊で、四人は初めて顔を合わせた。それも以前からセルダール軍で投入されていた人型兵器『リィオゥ』の臨時パイロットとしてである。

 その頃の経験を買われて現在も人型機動兵器エンブレム・モジュールのパイロットを務めているのだが、彼らの過去を知る者は殆ど居ない。

「なんでっすか?」

「戦死したからだ」

「……ああ、スンマセン」

 軽率な質問だったと、シロガネは頭を下げる。

 しかしベングリンは気を悪くした様子も無く首を横に振った。

「事実だ、かまわんさ。それより……いい加減おきろ、シラナミ。昼飯を食いっぱぐれるぞ」

 もう時刻は正午を過ぎている。

 隊長の言葉にようやくカズヤは重そうに体を起き上がらせたのだった。

 

 

 

 

 麗らかな午後、第七駐屯基地から十数km南下した海岸一帯に広がる大都市『コーデルト』の繁華街を歩く一人の少女が居た。平日でも大いに賑わうショッピングモールを金色の髪を揺らして見て回る姿はとても楽しげだ。

 少女の名はアプリコット・桜葉。

 白のワンピースに身を包んだ可愛らしい外見からは想像できないが、実はEDEN軍所属の少尉である。今日は休暇を貰い、久しぶりのショッピングに繰り出したのだ。このところ何かと多忙で給金だけが溜まっていくだけの状態だったので、ちょっと大きな買い物でもしようかとアプリコットは考えていた。軍の会計係から税金対策についてあれこれ言われてしまったから、という理由もある。

「んー、どれにしようかなー」

 そういう彼女が立ち止まった店はファンシーショップだった。視線の先には自分の背丈よりも大きなクマのぬいぐるみ。価格もぬいぐるみとしてはかなり高めだったが、今月中に使わなければならない金額と比べると微々たるものだ。

 どうしようかと悩む少女だったが、次の瞬間には問題は解決していた。巨大ぬいぐるみはクマだけではなかった。クマの後ろの方にはまだトラやニワトリといった定番の面子が鎮座していたのである。

 アプリコットはとりあえず店員を呼び、この巨大ぬいぐるみ計7体の会計と配送の手配を頼んだ。店員も最初こそは普通の応対だったが、アプリコットの財布から札束が飛び出してきた辺りで血相を変えてオーナーを呼びに行ってしまった。

 最終的にはオーナーから「サービスです」と新商品らしい着ぐるみパジャマ(牛)まで付けてもらい、アプリコットは店を後にしたのだった。ちなみにぬいぐるみの置き場所に悩むことになるのはまた後日の話である。

「んー! 買っちゃったー!」

 公園のベンチに腰を下ろし、開放感に導かれるまま背筋と両腕をストレッチの要領で伸ばす。セルダールの中でもこの辺りの地域は穏やかな気候で、今の時期はちょうど夏の終わりから初秋、その中間にあたる。

 日差しも穏やかで暖かいが、買い物の興奮冷めやらぬアプリコットには少し熱いぐらいだ。

 ふと見やれば、公園の噴水の近くでアイスクリームの屋台販売をしているではないか。彼女は懐の余裕も手伝って(ウェスト的な余裕はこの際頭から締め出しておく)、屋台へ歩み寄った。

「すいませーん」

 おずおずと声をかけると、店員と思しき男性がアプリコットへ振り返った。どうやら何かの作業をしていたらしい。

「ひっ」

 しかしその顔のなんと醜悪なことか。彼女が思わず悲鳴を上げそうになったのも頷けるほど、店員の相貌は恐ろしげなものだった。

 鬼?

 怪物?

 いや、ゴミだろうか。

 しかも両手に刀を持っている。アイスクリームを作るのにどうやったら刀が必要なのか、アプリコットにはこれっぽっちだって理解できなかった。

 ともかく怯えるアプリコットの様子に気付いたのか、店員はスマイルを浮かべながら声をかけてきた。

「おう、お嬢ちゃん。アイスクリームが欲しいのかい? んんぅ?」

 しかし先述の顔でスマイルされても不気味さに拍車が掛かるだけで、少女の恐怖は限界点に達しようとしていた。

 これは生命の危機と言ってもいい。

「い、いいいいいやああああああああああああああああっ!!!」

 咄嗟に繰り出されたアプリコットの右ストレートが店員の顔面を捉える。

 ミシリ、という骨の軋む音と共に店員の顔面が潰れ、その衝撃力は筋骨隆々な店員の肉体を屋台の壁さえ突き破って噴水へ叩き込むほどだった。

「お、おい大丈夫か!?」

 騒ぎを聞きつけたのだろう。青い髪の小柄な女性がアプリコットに駆け寄ってきた。

「アイツに何かされたのか? もしくは変な事を言われたとか……ともかくすまない、出来る限りの償いをさせてくれ」

 殴り飛ばしてしまった店員と知り合いなのだろうか。女性は申し訳無さそうに頭を垂れる。突然の謝罪にアプリコットも我に返り、慌てて否定した。

「いえ、その! 顔が、凄く怖かったので」

 相手の店員に非はない。

 アプリコットはそういうつもりで言ったのだが。

「アイツの顔は昔から病的なまでに変態なのだ。見逃してやってはくれまいか」

「アイリス!? おでのこと、そんな嫌い!?」

 どうやら単純にあの店員の扱いが酷いだけらしい。

 女性の言葉に、壊れた屋台の壁を直していた店員の男がよよと泣き崩れる。ほぞを噛み、人差し指でのの字を描きながらくねくねと身をよじる様はこれっぽっちも同情を誘ったりはしなかった。

「ちくしょう、ちくしょぉう……」

 すっかり不貞腐れた男性店員は屋台の裏で、体操座りからのいじけモードに突入してしまった。

「顔はよぅ。顔は気にしてるんだよ、これでもよぅ……」

 そう言って黙りこくる店員の顔はアプリコットに殴られたことで酷く腫れ上がってしまっていたが、女性もアプリコット自身も指摘することはなかった。

「うう、なんか申し訳ないです」

 結局、真っ白に燃え尽きた男性店員を放置して女性に謝罪を繰り返した後、アプリコットはアイスクリーム屋を後にした。女性が(やはり屋台の関係者だったようだ)アイスクリームの入ったカップを二つほど持たせてくれたが、さすがに二つも一人で食べるのは気が引ける(ウェスト的な意味で)。

「困ったなぁ。この間ケーキバイキングでドカ食いしちゃったばっかりだし」

 お腹の周りをさすりながら一人ごちる。

 いや、食べることは出来る。

 むしろ食べたいぐらいだ。

 しかし食べることによって、数日後の自分にどれほどの絶望感が襲い掛かってくるのか。ゆらゆらと揺れる体重計の針をアプリコットは想像して身震いした。

 憂鬱だ。それも激しく。

 そんな時だった。沈み込むアプリコットの目の前で、全力疾走していた男の子が盛大に転んだのは。

「だ、大丈夫!?」

 見た目は四歳か五歳ぐらいだろうか。

 活発そうな少年は前のめりに転んだ体を両手で起こし、ぱちくりと瞬きをした。まだ自分が転んだ、ということに頭の理解が追いついていないのだろうか。

 違う。

 服に付いた土の汚れを適当に払うと、男の子は再び走り出そうとした。

「ダメ、待って!」

 慌ててアプリコットは引き止めた。

 振り返って不思議そうにきょとんと首をかしげる少年の右膝を見る。決して酷くはないが、擦りむいて血が出ていた。

「動いちゃダメだよ、怪我してるからね」

「うん」

「ほら。これで大丈夫」

 近くの水飲み場で傷を洗い、ハンカチを当てて軽く縛る。

 簡単な手当てだが両親がきちんと消毒をしてくれるだろう。

 そう考えてアプリコットは少年に尋ねた。

「君、お父さんとお母さんは?」

「うんとねー、追いかけっこしてたの」

 ほら、と公園の広場の方を指差すと父親らしき男性がこちらに駆け寄ってくるところだった。三十代後半、端正な顔立ちとマッチョとまでは行かないがしっかりとした体付き。いわゆるイケメンパパである。

「すみません、息子がご迷惑を」

「いえいえ。気になさらないで下さい」

「そういうわけには……ほら、ジョン。ちゃんとお礼を言いなさい」

 頭を下げる父親に恐縮していると、男の子――――ジョンもぺこりと腰からお辞儀をした。

「おねえちゃん、ありがとう」

「いいの、いいの。……あ、そうだ。これあげる」

 そう言ってアプリコットは先ほど貰ったばかりのアイスクリームのカップを取り出した。ジョンは大喜びでアイスを受け取り、ステップしながら満面の笑顔を振りまいている。

「あ、こら、ジョン! ……何から何まで、本当に申し訳ない」

「一人で二個もアイスは食べられませんから。あははは」

 善行を行いつつウェスト増大の危機も回避する。我ながら希代の一手だ、とアプリコットは内心ガッツポーズをとりつつも愛想笑いは崩さない。

 ほどなく親子二人は広場に戻っていった。

 父親と手を繋いで歩くジョン少年はまだしきりにこちらへ振り返り、大きく手を振っている。そんなジョンの歩く芝生の向こうには母親であろう女性がレジャーシートの上で二人を待っていた。

 平和だ。

 誰もが笑い合って、助け合って生きていける世界。

 この風景を護りたくて。そしてかつて英雄として世界を護った姉に憧れて、アプリコット・桜葉は軍に入った。

 自分の原点を見たような気がして、胸の奥から湧き上がる情熱に彼女は頷いた。もっと頑張って、皆がずっと穏やかに暮らせるようにしよう。

「転ばないように気をつけてねー!」

 少し背伸びをしながら少年に手を振り返す。

 自分が答えたことがまた嬉しかったのだろう。ジョンがまた笑顔で手を振ろうと腕を伸ばし―――――

 

「え?」

 ――――――爆発した。

 

 理解が追いつかない。

 公園の至る所で爆発が起こり、炎と煙が全てを覆い隠していく。

 あの親子の姿が見えない。

 いったい何がどうなっているのか。

 耳がかすかに捉えた噴射音からこの連続爆発がミサイルの類によるものだと判別した瞬間、アプリコットの体も爆発の衝撃で宙へ放り投げられた。

「う……あ――――――」

 空中を漂っていたのはほんの一秒か二秒だろう。気付けば自分の体は地面に転がっていた。あちこち打ったのだろう、全身が酷く痛い。胃の中がぐるぐる回っているような気がして、気持ち悪くて仕方がなかった。

 耳鳴りも酷い。至近距離でミサイルが爆発したのなら、当然といえば当然だろう。むしろまだ生きていることの方が奇跡かもしれないが、アプリコットにはそこまでの判断能力は戻っていなかった。

 それでも両腕はかろうじて動かせる。手をついて体を起こし、立ち上がろうとして失敗した。両足に力が入らない。不安になって視線を向けると、ちゃんと足は両方とも無事だった。恐らく腰が抜けたのだろう。

 腕だけで匍匐前進をしながら辺りを見回す。

「そん、な」

 そこはもう公園ではなかった。

 あたり一面焼け野原。

 覆い茂っていた木々は根こそぎなぎ倒されて燃えている。広場の芝生もだ。

(あ)

 何か、頭に引っかかった。

 広場、すっかり焼けてしまった広場の芝。

 つい今しがたまでその上をあの子は――――――

(あ、あ、あああああ)

 そうしてアプリコットは気付いてしまった。

 地面にはいつくばっている自分の僅か一メートルもない先に、黒く、真っ黒になった人の腕が落ちている。太さ、長さからみて子供のものだろう。手には熱で変形したアイスクリームのカップ容器がかろうじて引っかかっていた。

 人は窮地に追いやられると変な所で頭が冴えたりする。時にはそれが命を救うことも在るし、自分を殺すこともある。教官の言っていた言葉だ。

 本当に、自分の頭はどうにかしている。

 どうして気付いた。

 どうして分かってしまった。

 ジョンは、あの少年は。

「しん、じゃった……?」

 他ならぬ自分の目の前で、一人の子供が無残に殺された。

 何も出来ぬまま。

 瞬き一つの間に細切れにされてしまった。

 震えるアプリコットの体を、別の振動が揺さぶった。

 ズシン、ズシンと響くそれは巨人の足音のようだ。いや、巨人の足音そのものだった。

 見上げれば、弾切れになったミサイルランチャーを放り捨てる人型の機動兵器の姿がある。全長約20m、猛禽類のような鋭い意匠のカメラアイがこちらを見据えている。

 理解した。

 理屈ではなく、直観でアプリコットは全てを理解した。

 コレだ。

 コイツがあの無垢な少年の命を踏み躙ったのだと。

「う、あ」

 許さない。

 全身を内側から燃やし尽くすような激情がアプリコットを突き動かす。

 護身用のレーザー拳銃を奇跡的に無事だったポーチから素早く引き抜き、その銃口を巨人へ向けた。

 トリガーを引き絞る。

 二発、三発と立て続けに吐き出されたレーザー光線が巨人へ喰らいつき、しかし傷一つ負わせられぬまま霧散した。

 七発撃ったところで銃のエネルギーが切れた。

 巨人は健在。

「うああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 それでもアプリコットは引き鉄を引き続ける。

 弾が出なくても、狂ったように引き続ける。

 許さない、絶対に許さない。その確固たる意思表示であり、同時に己の無力さを認めたくないが故の愚行でもあった。

 しかし現実は変わらない。

 鋼の巨人は今まさに、手に持った銃砲を彼女へと向けた。

 

 

 

 続く

 


用語解説・人物紹介

 

EDEN

 正式には『民主的銀河連邦EDEN』。EDENは「エデン」と読む。前作「銀河天使大戦」の中で、トランスバール皇国において発生したブレーブ・クロックスの蜂起、軍総司令官ティティガ・エルドゥルの反乱を教訓とした女皇シヴァが、各惑星のトランスバール統治政府を解体し、現地民による民主議会を召集。その議会から選出された惑星代表によって運営される、全加盟惑星国家の総合行政府である。現実に例えるならば国際連合に主導権と統治機能を足したもの。

 連邦の参加する惑星国家は軍を持つものの、惑星間の侵略戦争の完全禁止が義務付けられている。この『惑星間』の定義は連邦未参加の惑星も含まれており、さらに相手からの明確な侵略行為が確認されない限り交戦権は認められない。

 さらにEDEN自体は、エンジェル隊を含む皇国防衛特務戦隊を前身とする少数精鋭型の独立戦力『EDEN軍』を持つが、こちらも上記の禁止令が義務付けられる点においては例外ではない。EDEN軍そのものも形骸化が進み、実質戦力は旗艦一隻のみとなっている。さらにその旗艦もNEUEへ国家交流の名目で派遣されているため、現在のEDEN連邦そのものが保有する戦力は皆無に等しい。

 

 

NEUE

 クロノゲートを渡った先、別次元の宇宙のことを指す。

 現在大小様々な惑星国家が確認されているが、その殆どはセルダールかマジークという二大国の属領となっている。

 

 

剣の惑星国家セルダール

 国王ソルダムが統治するNEUE最大規模の国家の一つ。本星の他に12の属領惑星を統治する。国土面積、人口総数共にマジークを上回っているが十四年前に勃発した『呪怨戦争』によって本星の人口は全盛期の60%まで減少し、現在も7割を切っている。

 NEUEでは最先端の科学技術を保有し、独自に開発した人型機動兵器を戦力として編成・運用するほど。しかし機動兵器の大半は『呪怨戦争』の際に失われており、現在はより高性能なEDENの『ヘクトールU』のライセンス生産に切り替えている。

 王制を敷いており、あらゆる行政司法軍事機関は国民議会の信任を得た国王に所属する。従って例え王族であり、王位継承権を持っていても議会の議決が無ければ国王の座につくことは出来ない。そして各機関は議会の議決を受けた国王の要請によって稼動するが、国軍内の王宮近衛軍のみ例外として国王の判断で勅令を下すことが出来る。

 マジークとは数十年来、領土争奪の競合相手という事もあって国交断絶状態が続いていたが、『呪怨戦争』終戦後は和平条約に基づき国交の正常化が進められている。

 

 

魔法の惑星国家マジーク

 謎のベールに包まれた『魔女会議』によって統治される魔法国家。科学力はセルダールには劣るが他国にはない『魔法』を国内に普及させており、その国力はセルダールに勝るとも劣らない。7つの属領惑星を保有しているがその内の2つは最重要国家機密により厳重な封印が掛けられており、立ち入るには『魔女会議』の総議決による許可が必要。内一つの惑星には暗黒の魔人によって封印されているとかいないとか。

 十四年前の『呪怨戦争』では、名前の由来となった『呪法』を転用した各種兵器を大量投入した。敵国の人間を確実に虐殺するこの兵器は終戦協定締結の折、両国間での使用・開発・生産・譲渡の完全禁止となっている。

 人型機動兵器の開発技術も保有しているが、セルダールよりも一歩劣る。しかし呪法を転用した無人兵器は当時の戦場において比類なき破壊力を発揮したという。

 セルダールより遅れる形ではあるがマジークも『ヘクトールU』のライセンス生産を導入しており、独自に改修した機体も生産されているという。

 

 

EMS03 ヘクトール(Hectorl)U

 EDEN連邦の中核であるトランスバール国軍の汎用量産型EMEMS-02 Hectorlを発展させた次世代型EMである。艦隊支援ではなくEM単独での作戦行動を主眼に置いて再設計され、全ての性能がヘクトールを大幅に上回っている。特にジェネレーターは、安定性を向上させた『デュアル・クロノストリングス・エンジンU』に変更されており、より強力な装備の運用を可能にした。

 ヘクトールUの開発には複雑な事情が絡んでおり、機体本体は白き月の次世代兵器開発プロジェクト、各種兵装を民間企業への委託開発がそれぞれ担当する形になっている。白き月の生産設備のみでは兵装の十分な数とバリエーションを確保できず、機体の完成度を下げる結果を軍部が予測した為、企業への委託へ踏み切ったのである。

 前作に登場したEMX01ギャラクシーと同じツインカメラタイプの頭部デザインと、開発成功の裏で企業と軍部の癒着が進んだことから、『ブラックギャラクシー』と揶揄されることもある。

 

 

EMS02(01) ヘクトール(Hectorl

 本編開始の四年前に旧トランスバール軍で正式採用されたEMS(エンブレム・モジュール・スタンダードモデル)。艦隊支援を目的に開発された皇国軍初の量産型EMでもある。両肩に大口径レールガン一門と対艦ミサイルポッド一基を装備し、高い砲撃戦能力を持っている。また状況に応じてライフルやビームセイバーなどの対EM戦装備に換装できる設計で、汎用性も高い。トランスバールの主戦力として相当数が生産・配備され、発展型の開発も進められている。現在配備されている機体は後期生産タイプのもので、頭部のカメラセンサーがゴーグルタイプとなっている他、ギャラクシーと同型の頭部を使用した先行量産モデル(EMS-01)が少数存在する。

 ただし現在のトランスバール他EDEN所属の各軍は、宇宙艦隊を機軸とした戦力編成となっているためEMシリーズが運用される場面は決して多くない。逆にNEUEは積極的にEMを運用する方針を採っており、部隊の錬度に差が生まれつつある。

 

 

EMS04 ヘクトール(Hectorl)V

 EDENの主力EMであるヘクトールUをベースにセルダール近衛省が開発した高性能EM。駆動系やフレームの一部にEDENでもNEUEでもない『第三の技術』が使われており、ヘクトールUに比べて極めて高い戦闘能力を獲得している。しかし操縦には搭乗者の優れた技術と豊富な経験が求められるため、王宮近衛軍の中でも限定されたパイロットのみにこの機体は支給されている。

 武装は西洋剣もしくは太刀型の単分子ソード、および86mm電磁速射砲。王宮警備局の機体は西洋剣型の単分子ソードを標準装備としており、扱いの難しい太刀型の装備を希望する者は少数にとどまる一方、設計上では直剣型よりも太刀型の方が運用に適しているという見解もある。こういった特色は本機の開発には近衛省非公式特務官であるシロガネ、ミツルギ、カシワギ、ヤシロから提供されたデータ――――つまり『第三の技術』がフィードバックされている影響だという噂も。

 一説には対異星人用に開発された機体であるとも言われているが、データ提供者とされている四名の存在を政府が公式に認めていないため真偽の程は不明である。

 

 

アプリコット・桜葉

 EDEN軍特殊部隊『ルーンエンジェル隊』所属の若き隊員。十四歳で階級は少尉。成績優秀で気配りも利き、部隊の中では全体のサポートに回ることが多い心優しい少女である。表に裏に国家の危機を救った英雄的軍人と称される姉に憧れて入隊したが、その憧憬に囚われる事無く「軍の出番がないのは平和な証拠」と活躍の機会のない現状を憂う事無く部隊の活動に従事している。

 一見すると将来有望な軍人だが男性が非常に苦手で、触られると凄まじい怪力を発揮して40tのパンチ力で相手を粉砕してしまう、と言う欠点がある。美少女かつ優等生であったため、学生時代の教師やクラスメートで彼女の犠牲になった男は数知れない。

 

 

フォルテ・シュトーレン

 EDEN軍の少佐でカズヤや『ルーンエンジェル隊』の指導教官を務めるベテランの女性軍人。硝煙香る銃火器と大型バイクを相棒として宇宙の平和を護るべく奔走している(自称)。そして、かつて旧トランスバール皇国において起こった様々な国家的危機を解決したという伝説の特殊部隊『ムーンエンジェル隊』の元隊長。当時六人いたメンバーのうち、現在も軍に身を置く唯一の人物でもある。

 新型EMMk‐U』のパイロットに選出されたカズヤの指導を受け持ち、NEUEEDENの軍事同盟の調整役として活動している。

 

 

シロガネ、ミツルギ、カシワギ、ヤシロ

 セルダール軍第七駐屯基地に身を寄せる謎のパイロット(プラス補佐?)たち。

 気になる人は『MUVLUV Alternative』をプレイするか、もしくはMUV-LUV Refulgenceを読んでね!

 


あとがき

 

ゆきっぷう「読者の皆様、初めまして。私、筆者のゆきっぷうと申します。『第二次銀河天使大戦 第一章一節』をお読み頂きありがとうございました。初っ端からメインヒロインが絶体絶命の大ピンチですが今後ともお付き合い頂ければ幸いです」

 

カズヤ「こ、こんにちは。主人公のカズヤ・シラナミです。これからよろしくお願いします……っていうかゆきっぷうさん?」

 

ゆきっぷう「おお、カズヤ君。どうしたんだい」

 

カズヤ「僕、主人公なのにストーリーの中核から遠ざけられていませんか? それも露骨に」

 

ゆきっぷう「何が言いたいのかな?」

 

カズヤ「第一話が終わったのに、僕の乗るマシンがこれっぽっちも登場してないじゃないですか! 他にも敵の陰謀だとか、キーパーソンとの出会いも無く……しかも人物紹介に載ってない! そしてやったことなんてせいぜいシミュレーター訓練でヘロヘロになったぐらいです!」

 

ゆきっぷう「甘いな、カズヤ君。君の物語は既に始まっているのだ。敵の陰謀も重要人物との出会いもしっかり入っているぞ。それに君の紹介はイコール本編でもある。君の物語なのだからな」

 

カズヤ「え?」

 

ゆきっぷう「では皆さん、また次回お会いしましょう!」

 

カズヤ「ちょ、ちょっと!? どういうこと!? だったら何で僕は筋トレと訓練と飯食うだけの生活のままなんですか! うわぁぁぁぁん!」




前作の続編がついに。
美姫 「主人公もカズヤに変わってどんな物語が紡がれるのかしらね」
まあ、そのカズヤは本人が嘆くように訓練漬け状態というか、それだけだったり。
美姫 「でも、何やら意味深な事が後書きで言われているけれど」
さてさて、これからどうなっていくのか。
美姫 「気になる次回は」
この後すぐ!



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