優しい歌 第9話 安らぎを求めて

    *

 わたしは歌い続けている。ただそれだけ。

 嬉しさも悲しさも怒りも……。感じるものはなにもない。

 それが全てのはずだった。

 わたしに記憶は存在しない。あったかもしれないけど心には何も残っていない。

 あるのはうただけ。

 なのにわたしは求めてしまった。

 陽だまりのようなあの声を……

 あの声はわたしを懐かしい気持ちにさせる。記憶などないはずなのに。

 わたしはその時、ずっと忘れていた何かを見つけたようなきがした。

 でもそれはなんだったのだろう?

 わからない……。

 あの人に会えばそれが解かるのかな?

 わたしの声を聞いてくれた陽だまりのようなあの人に……。

 あの人に会いたい。

このちくちくする気持ち、溢れてくるものの意味を教えてくれる気がするから……。

 少女はそれが涙であることを知らなかった。

    *

「ここまでくると日本に帰ってきたって気がするね」

 飛行機から降りて軽く伸びをする知佳さん。

「そやねー、耕介君たち元気にしとるかな?」

 ゆうひさんも軽く欠伸をして頷いた。

「海鳴までは電車で1時間といったところですね」

 俺は疲れて眠ってしまったリーアを背負って電車の時刻表を見ながら頷いた。

「アタシは日本、久しぶりだなあ。皆元気にしてるかな?」

 アイリーンさんが懐かしそうに眼を細めている。

「あはは、アイリーンはずっとコンサートだったからね。皆喜ぶよ」

 フィアッセさんが苦笑しながら頷く。その輪に知佳さんが混ざる。

「わたしとゆうひちゃんはさざなみで過ごすつもりだけどフィアッセ達はどうするの?」

「わたしは恭也のところ」

「アタシはどうしよっかなあ。久しぶりだから皆に顔見せしておきたいし」

「それじゃあ、アイリーンはさざなみかな。まあ今夜は皆集まってカラオケ大会することになってるからちょうどいいね」

 知佳さんがそう言ったとき、不意にケータイの着メロらしき音楽が流れた。

「……あれ?メールだ。誰からだろう」

 どうやら知佳さんのだったらしく、ケータイを開いて確認している。

 それにしても、長旅で疲れているだろうに、よくカラオケなんてできるな。まあ、俺たちも混ぜてもらうことになってるから文句は言えないか、それに皆騒ぐの好きだし。

「あっ、リスティからだ」

「リスティはフィリスとシェリーと一緒に温泉に行ってるんだよね?」

 フィアッセさんが確認するように尋ねる。

「うん。あっ楽しそうにやってるみたいだ、今日の夕方くらいに帰ってくるって。ほら」

 そう言って知佳さんはフィアッセさんにケータイの画面を見せる。

「あっ本当だ。ふふふ、楽しそう。……あれ?これなんだろう」

「えっ、どれどれ……。ここをクリックすれば面白いものが見れる?」

 知佳さんも画面に表示されていた文字を読んで怪訝な顔をする。

「リスティのことだからまたしょうもないことだとは思うけど……取り合えず押してみよっか」

 そう言って知佳さんがボタンを押した途端。

「わわわっ!りっリスティ……あの子はもう、どうしてこんなもの送ってくるのよ」

 知佳さんが急に顔を赤くして慌てだした。

「どうしたの?知佳……って、わわわっ!どうしたのこれ」

 怪訝に思ったフィアッセさんも、画面を覗き込んだ途端に知佳さんと同じような反応を示している。

「どうかしたんですか?」

「なっ、ななななな、なんでもないよ」

「そっ、そうそう。祐介は気にしないで」

 明らかに動揺している。

「何が映ってたんですか?」

 美優希も不思議そうに小首を傾げていた。

「美優希ちゃんになら……いいかな。ちょっとこっち来て」

「えっ何が映ってたのアタシにも見せて」

 アイリーンさんも興味津々に尋ねる。

「あっ、アイリーンは駄目。興奮しそうだから」

 そう言って知佳さんが美優希に俺から画面が見えないようにそっと見せた。

「うわあ、よくも堂々とこんなの送ってきますね」

「リスティはそういう子だから。それにしてもシェリーが可哀想……」

 美優希もそれを見て顔を赤くしている。

「なあ、美優希。いったい何が写ってたんだ?」

 俺が問いかけるとぴくっと肩が震えた。

「何でもないわ。差出人のリスティさんって人のちょっとした悪戯みたい。それより祐介には私がいるんだから、あんなの見る必要ないわ」

「何を言ってるんだ?」

 よく解からなかったが、見られるとマズイものが映っていたのだろう。

 気にはなったものの、それ以上追求すると後が怖いので止めた。

 それにしてもこの押し寄せてくる力はなんだ?遠くから波紋のように広がっている。

「(いったい何があるというんだ?この力は調律の詩に似ている。それになんだこの違和感は……)」

 今この世界で何かが起ころうとしている。たぶんそれはよくないこと。

 だが、何が起きても俺達はこの世界を守りぬかなければならない。

 この優しい人達が笑っていられるように……。

    *

 俺達はとある高台で寝そべっていた。

 いや、力尽きていたというほうが寧ろ適切な表現だろう。

「……なあ、美凪。俺達はいったい何をしているんだ?」

「こうしていればそのうち誰かがご飯を運んできてくれます」

「それは何かが激しく違うと思うんだが」

「ほら、人が来ました」

 どうやら本当に来たようだ。

「あっ、人が倒れてますね」

 この声は亀谷だ。こちらに気付いているのかどことなく楽しそうだ。

「し、静香さんっ!落ち着いてる場合じゃないと思います」

「そうですよ。早く助けてあげないと」

 こちらの声は初めて聞く声だ。

 1人は剣士だな。独特の気配を感じるので間違いないだろう。

「取り合えず、声をかけてみましょう」

 亀谷が近づいてきて俺を揺する。

「大丈夫ですか〜?生きてたら返事をしてくださ〜い」

「……」

 俺が黙っていると亀谷がため息を吐いた。

「返事がない。ただの屍のようです。……なら」

「……!!

 ガッ!!

 俺は殺気を感じて咄嗟に頭を横に振った。

 刹那、俺の頭があった場所には土煙を上げながら亀谷のブーツが深々とめり込んでいた。

 今、力を使ったな……。

「なんだ〜。生きてるじゃないですか〜♪」

 亀谷が一瞬舌打ちをして嬉しそうに俺を叩いた。

 後ろにいた二人の少女が引いている。それもそうだろう。

 思えばこうやって俺の反射神経は鍛えられたのかもしれないな。

「……今、本気でやろうとしただろう?」

「なんのことですか?」

 俺は起き上がって亀谷を睨むが、軽く流された。

「まあいい。おい、美凪。もういいから起きろ」

 そう言って俺はまだ屍を続けている美凪を起こしてやる。

 亀谷は美凪を見ていつもの笑っている顔から急に真面目な顔になった。

 こっちの顔のほうが魅力的だと思うのだが(特に女子にもてそうだ)。

 こいつの性格がいつも笑っている顔を作るのだ。

 俺達の学校では“仏の静香”と呼ばれている。ちなみに鬼は麗奈先輩だ。

「そちらの方は?」

「旅先で知り合った。いろいろあって今は俺の女だ」

「ぽっ……」

 美凪が赤面している。これはいつものことだ。

「貴方もよくそんなことを堂々と言えますね」

 亀谷が呆れたようにため息を吐いた。

「……しかし、貴方も前へ進むのですね」

 亀谷は何かを確かめるように呟いた。

「人は変わっていくものだ。俺も例外ではなかったということさ」

「お強いのですね。祐介さんもあなたも……」

「高橋はどうか知らないが、俺の場合はこいつがいたからな」

 そう言って俺はチラリと美凪のほうを見た。

「はじめまして、遠野美凪です。……ぺこり」

「おお、そうだ。美凪こいつがお前が言ったカメだ」

「なんのことです?」

「こいつにおまえのことを話したら、そういうことになった。間違ってはいないだろう?」

「それはそうですけど、何か釈然としません」

「細かいことは気にするな。まあ少しずれているかもしれないが、いい奴だからよろしく頼む」

「そういうことなら解かりました。あっ、そうだ。私のお友達の方を紹介しますね」

 そう言って亀谷が紹介を始めたが、あまり頭に入ってこなかった。

 なぜならこの街に流れている波動が気になってしかたがなかったからだ。

 いったいこれはなんなんだ?

    *

 あたし達は海鳴駅を降りた途端、その違和感に気付いた。

「……なんだよこれ?時空がひん曲がってるぞ。しかもそれを調和の波動が押さえつけてほとんど解からなくなってる。この干渉に気付けるのは美優希くらいじゃないのか」

 真は時を司る聖獣。空間干渉には敏感なのだろう。

 あたしでさえ違和感を感じるのだから相当なものに違いない。

 さっきの連絡で祐介達はもうじき到着するそうだ。ホテルの手配はすんでいる。全員が集まる前に少し調べておく必要があるかもしれない。

「真、干渉の一番強いところがどこか解かる?」

「相当微弱だからなあ……。探せなくはないけど、ほとんど手探りのようなもんだぜ」

「それでもいいわ。もしかしたら、あたし達が思ってる以上に深刻な状況になってるかもしれない」

「解かった。でもあんまり期待しないでくれよ」

 そう言いながら歩き出したとき、誰かに呼び止められた。

「麗奈さん、真さん」

 それは静香だった。零一も一緒だったらしい。それに見知らぬ少女を三人連れている。

「零一、先についてたのね」

「ああ、力尽きていたところを亀谷に拾われた」

「でっ、そっちの三人はあんた達の連れ?」

「はい、二人は私のお友達です。それでもう一人は……」

 静香が説明しようとするよりも先に不思議なオーラを放つ少女が口を開いた。

「はじめまして、遠野美凪です。零一さんからお話は伺っています。主人がいつもお世話になっています。これからもよろしくおねがいします。……ぺこり」

「しっ、主人ですってー!?

 遠野美凪と名乗った少女の口からとんでもない言葉が飛び出してきた。

 あたしは零一をまじまじとみつめた。

「美凪、ちょっと来い」

「はい、何ですか?」

 零一は顔を真っ赤にして美凪を引っ張っていくと、何やら小声で話し出した。

「ちょっとそこ、痴話喧嘩ならどっか他所でやりなさいよね」

「バカ、そんなんじゃない」

「違うんですか?……がっかり」

「美凪、おまえも誤解を招くようなことは言うな。俺たちはまだ結婚してないだろうが」

「まだ、ってことはそのうちそうなるってことよね」

 あたしの指摘に遠野さんが頬を赤らめ、零一は目を逸らせてしまった。

「さて、こんなところで立ち話も何だから、どこか落ち着いて話せる所に行きましょうか」

 ニヤリと自分でも分かるような笑みを浮かべてそう言うあたしに、零一が肩を落とす。

「はい。私もいろいろと聞きたいですし、お二人はどうします?」

 静香がまだ名乗っていない二人へとそう声を掛ける。

「あ、わたしは特に問題ないので」

「わたしも、よかったらご一緒させてもらえますか?」

「もちろんです。いいですよね」

「ええ、あたしは別にいいわよ。静香の友達なんでしょ」

「はい。よかったです」

 そう言って喜ぶ静香に、ほんの少しだけほっとしているあたしがいる。

 この娘もこんなふうに普通に友達作って、笑えるようになったんだと思うと嬉しかった。

「じゃあ、行きましょうか。えっと……」

「あ、わたし、高町美由希って言います。わたしの家が喫茶店をやってるので、よければそこに行きませんか?」

「そうなの?じゃあ、案内してもらえるかしら」

「はい。こっちです」

 そう言って歩き出す高町さんの後を慌ててついていくもう一人は神咲那美さんというらしい。

 二人は親友同士だそうで、よく一緒に行動しているとか。

「ところで、あんたたち。気づいているとは思うけど」

 前を歩く二人の背中を見ながら、聞こえないように小声でそう切り出すあたし。

「ああ、ここにきて薄々感じていた。だがどうにも解せない。この街に流れている力……調律の詩に似ているが、もっと柔らかい感じがする」

「……ここの人に、この街に接していればそれがなんなのか必ず解かるはずです」

 零一の疑問に静香が口を開いた。

「それがこの波動の答えね。じゃあこの違和感はなに?」

「それは私にも解かりません」

「そう言えばシルフィスが何か話したいことがあるって言ってたわね」

「シルフィスさんもこちらに来てるんですか?」

「みたいね。だけど、すぐに用があるからってまたどこかへ行ったわ。全員揃ったら連絡をよこせって言ってたからそのうち来るでしょ。とりあえず、あたし達はちょっと気になることがあるからこの後調べに行くけど、あんた達はどうするの?他にも用があるんなら取り合えず召集かけるまでは自由にしてていいわよ。そっちでも何か掴んだら連絡してちょうだい」

「解かりました」

 静香と零一はそれぞれ頷いた。

「あー、ところで。この娘、俺らの話聞いてたみたいなんだけど」

 真が少し困ったような顔をして美凪を指差していた。

「ああ、美凪なら問題ない。ここに来るまでに大方の事情は話してあるから」

「ええっ!?

「生涯の伴侶にするんだ。それくらいは当然だろう」

 驚くあたしたちに零一は真面目な顔でそう言った。

「ま、まあ、それならそれでいいんだけど。零一。あんた、変わったわね」

「人は変わっていくものだ。結局は俺も人の子だったということなのだろうな」

「はぁ、恋は人を変えるって言うけど、まさか、おまえがねぇ」

 真が呆れと感心の入り混じったような調子でそんなことを言っている。

「ま、何にしても今はティータイムにしましょう。肴もいろいろあることだし」

 そう言ってまた笑みを浮かべると、あたしは前を行く二人に追いつくために足を速めた。

    *

 わたし達は三泊四日の温泉旅行を終えて一人と多数のお土産を持って海鳴に帰ってきていました。

「楽しかったねフィリス♪」

 シェリーは窓の外を眺めながら鼻歌を歌っています。

「そうね。久しぶりにゆっくりできたってかんじだったからね。リスティはどうだった?」

「んー、まあまあかな」

 そう言いながら、さっきまで誰かと話していたケータイを畳んで気だるそうに手をひらひらさせてる。

「さっきの電話、誰からだったの?」

「ああ、知佳からさ。そっちはどうかって」

「でもなんだか怒ってなかった?話し声が漏れてたみたいだけど」

「それはたぶんこれを送ったからだと思う」

 そう言ってリスティはケータイの画面を見せてくれた。

「あー!リスティ、あなたはなんてものを送ってるのよ」

 そこにはシェリーの寝顔が写っていました。

 それだけならまだ良かったのだけど……。

「ちょ、リスティ。あなた、何てことするのよ!?

 そこに写っていたシェリーはなんと全裸にされていたのです。

 当の本人は横からそれを興味ありげに覗き込んで、そのままの姿勢で固まってしまった。

 そして、数秒後。

「リ〜ス〜ティ〜!」

 地獄の底から響いてくるようなシェリーの怨嗟の声。

 き、聞こえない。わたしは何も聞こえない。

「いいだろ?おまえだってフィリスの裸に興奮してたくせに。その後気絶するほうが悪い」

「なっ、ななななな、なんてこというんだよっ!!

 シェリーが耳まで真っ赤にしてリスティを叩いてる。というかあの時2人とも寝てたんじゃ……。

「ちなみに、こんなのもあるぞ」

 そう言ってリスティが不適に笑った。

「どっ、どうしてこんなのまであるのよ!」

 それは今わたしの膝の上で眠っている漣さんにキスされた時のものでした。

「ふっふっふ、このボクを甘く見てもらっちゃこまるね。それにしてもこいつよくそんな寝にくそうな格好で寝られるなあ」

「目覚めたばかりというのもあってきっと疲れたのよ」

 わたしは優しく漣さんの髪を撫でながら眼を細めた。

「2人で励んだからじゃないの?」

「もう、どうしてあなたはそうやって下品な方向に話を持っていこうとするの」

「だってそのほうが面白いだろ?」

 そんな他愛もない話をしながらわたし達は海鳴への帰路を辿るのでした。

    *

 俺達が海鳴に着いてまず最初に感じたのは柱の気配だった。

「(ここまで移動してきたというのか)」

 チラリと横を歩いているフィアッセさんの様子をみる。

 彼女もそれを感じているらしく、何だか落ち着かない様子でそわそわしている。

「(どうかしたんですか?)」

「(あっ、祐介……)」

 俺に気付くとフィアッセさんは曖昧な笑みを浮かべた。

「(何か気になることでもあったんですか?)」

「(うん。……実はね、ここに着いてからずっと声が聞こえてくるの。“会いたい”って。誰かがわたしを呼んでるの)」

 やはり柱はフィアッセさんに干渉しているようだ。

 だけどこの街、世界は彼女を異物として拒んでいる。

 あるべきものをあるべきところへ。それが俺たちが決めたこの世界の在り方だから。

 それでも、おそらく近いうちに彼女はこちら側に現れるだろう。早いとこ皆に知らせなくては。

「(フィアッセさん。俺はこれから今起きている事態に関わっている人を集めてきます)」

 俺は美優希を呼び寄せて耳打ちすると、真剣な表情でフィアッセさんに言った。

「(フィアッセさんの傍には美優希を置いておきますので、何かあったらすぐにしらせてください)」

「(うん、わかった)」

 フィアッセさんは不安そうに頷いた。

「(大丈夫ですよ。彼女は人に危害を加えるようなことはしませんから。ただあなたに会いたいだけです。あいつは温もりを求めたから)」

 それを聞いて少し安心したのか、フィアッセさんがくすりと笑った。

「(わたしに会いたがってる女の子、優しい子なんだね)」

「(ええ、とても。だからこそ、俺たちはあいつのそんな優しさに甘えてしまった……)」

 自責の念に駆られて俯く俺。けれど、そうしていたのはほんの一瞬で。

 次の瞬間にはもう顔を上げていた。

「(……あの子の、エターニアのこと、お願いしても構いませんか?)」

「(それがあの女の子の名前?きれいな名前だね)」

 そう言って微笑むフィアッセさんは本当に優しくて、きれいだった。

 ――エターニア……。

 俺と美優希の、聖龍王と聖天使との間に生まれた初めての子供に願いと温もりを乗せてつけた名前。

 あの時の願いは今も続いている。だからこそ、過ちは絶ち切らなければならないのだ。

 ――“永遠”は確かに存在する。

 だからこそ超えなくてはならないのだ。皆が笑っている今をこの先に繋げるために。

    *

 私は今、とあるビルの一室で一人の女性に対して現状報告を行なっていました。

 長い髪を三つ編みにして、にこにこと笑顔を浮かべている彼女は宇宙連合地球圏総括局の局長、水瀬秋子さんです。

「そうですか……やはり元凶はシュウ・シラカワですか」

「はい。彼が行った時空制御装置の実験により柱は時空の狭間に流されました。そして、奴はこの世界に混沌をもたらそうとしています。シュウは自分を超える力を求めています。その為には手段を選びません」

「ずいぶんとお詳しいのですね。シュウについて」

 デスクの上に肘を着き、胸の前で組んだ両手の上に顎を乗せて私の話を聞いていた秋子さんがそう言って目を細めた。

 それはそうだ。彼とは旧知の仲なのだから。

「相変わらず彼の居場所は教えてくださらないのですね」

「時がくれば必ず彼は私達の前に現れますよ」

「そうなってからでは遅いのですけど」

 そう言って秋子さんは溜息を吐いた。

「貴方は何故シュウのことを知り尽くしていて、彼がこの世界に災いをもたらすと知りながら彼を庇うのです?」

「できうる限りの情報はお渡ししたつもりですが」

「確かに彼の経歴・所属先・人間関係・地位等と、とても貴重な情報を提供していただいたことには感謝しています。ですけど肝心な居場所を教えていただかないとこちらも攻めることができません」

 困ったような表情でそう言う秋子さん。

 怒っていないのはただ本当に困っているだけだから。こちらを試しているのでしょうね。

 では、私も一つカードを切らせていただくとしましょうか。

「今はまだそのときではありませんよ。そもそも動く必要すらない可能性のほうが高いとあなたは考えている。建前だけの調査にこれ以上の危険を冒すこともないでしょう」

 笑顔でそう言う私に、秋子さんはますます目を細めてしまった。

「では、こうしましょう。シュウはこれから数日以内に必ず海鳴に姿を現します。そのとき私のほうで彼を捕縛して本部へ連行します。そうすればこれ以上の災厄は起こさせずに済む」

「質問があります」

 私の提案に、秋子さんは姿勢を正すと真剣な表情でそう言った。

「なぜシュウが海鳴に現れると言えるのですか。仮に現れたとしても彼のことです。容易に捕まってはくれないでしょう。そのあたりはどうするつもりですか?」

「問題ありませんよ。人員のほうは私が用意しますし」

「それでシュウが現れなかったら?」

「来ますよ。彼は必ず」

 そう言った私の顔には祐介の言うところの気持ち悪い笑みが浮かんでいたことでしょう。

 秋子さんも似たようなことを思っているのか、微かに表情を顰めて溜息を吐いています。

「とりあえず、こちらからも何人か向かわせましょう。あと、あまりあの子たちに危ないことはさせないでくださいね。事情はどうあれ、まだ子供なんですから」

「それは保障しかねますね。彼らもまた守護者ですから」

 私の答えに秋子さんは難しい顔になって沈黙する。

「さて、これから私は海鳴で麗奈さん達と合流するのですが、何か伝言はありますか?」

「いえ、今はありません。麗奈とは事が済んだらお茶にでも誘うつもりですから」

「それでは失礼します」

「はい。ご苦労様です」

 そう言って私は部屋を後にした。

    *

「ふう、ついに動き出すのですね」

 シルフィスさんが出て行った後私はそっと息を吐いてイスに深く腰掛けました。

「彼は今のところ白ですね」

 しばらくすると何もない虚空から声がかかりました。

「これからも変わらないと思いますよ」

「彼を完全に信用するのは危険だと思いますよ。保険はかけておくべきです」

「彼はもうあの時とは違うのですよ。確かに不明瞭な面はありますが、あれから変わった。それだけは断言できます。なによりそれを士郎さんが証言してくれるでしょう」

 そう、……もう“神魔戦争”の時とは違うのです。彼も彼女も……。

「シルフィスさんが連れてきた瀕死の重傷だった彼がですか?」

「はい。彼は信用に値する実績を収めていますし、なによりシュウへの対抗手段として必要不可欠な存在です」

「……TE細胞ですか」

 TE細胞……テレキネス・エナジー細胞の略で、人の思念。つまり想いを力に進化を続ける無限の可能性を秘めた細胞。稀に人間の細胞内に発生するHGSの原点とも言われる細胞です。HGSと違って病気ではないのですがTE細胞と同化できなかった細胞はことごとく破壊されてしまうのです。それが結果的に死をもたらすのです。発生率はHGSよりもさらに稀で、死亡率も極めて高いのです。それに近い性質も持っているのが“仁村知佳”さんです。ゆえに彼女のコードネームは“TE−01”となりました。

 そして数年前のテロリストによる爆弾事故で死んだとされる“高町士郎”さんが現在確認されているTE細胞発症者の中で唯一同化に成功した例なのです。
「ですがあの力は危険ですよ。ぼくでもあの力の底の無さに恐怖を抱くくらいですからね」

「それはその力を悪用したらの話でしょう?大丈夫ですよ、彼はそんなことにあの力を使ったりはしません。私が保証します」

「まあ、貴方の考えに逆らう気はありません。ですが覚えておいてください。どんなに信じていても裏切られることはあるんですよ」

 そう言って暗闇の中に浮かぶ彼の眼は遠い眼をしていました。

    *

 俺はあの時、確かに死んだはずだった。

 数年前、俺は親友である政治家アルバート・クリステラとその家族を狙った爆弾テロからアル達を守って爆弾の爆発に巻き込まれ、死んだ。

 誰もがそう思っていた。俺自身も死んだと思っていた。

 しかし現実は違っていた。俺はまだ生きていたのだ、あの爆発の中で。

 俺が目覚めた時、そこはどこかの病院だった。そしてそこにいたシルフィスと名乗る男が全てを語ってくれた。

 アルを狙った爆弾テロに隠された真実、それは俺という存在の抹消だった。俺の体にはTE細胞という特殊な細胞が同化しているらしい。今では訓練によりその細胞の力を自在に操れるようになったが、正直今でもこの細胞の正体がなんなのか解からない。

 人体に害もなくむしろ特殊な力と驚異的な身体能力・自己再生能力を得て前よりも自分の体が便利になったようだ。この細胞についてはそのくらい楽観視している。そのくらいのほうがいいそうだ。まあ力を手に入れたからといってそれを悪用するつもりはないが。この力のおかげで俺は今こうして生きていられるのだから。だから俺はこの力を人の役に立つように使いたい。使いようによってはとても素晴らしい力だ。本質的なところでは俺の剣と変わらないな。使い方を間違えればそれはただの破壊になってしまう。だからこの力もきっと良い事に使っていいはずだ。

 それにしても恭也達は元気にしているだろうか?

 俺は死んだことになってるから皆に会いに行くことができない。桃子にそうとう苦労をかけているんだろうな。桃子のシュークリームを出来ればもう一度食べたいものだ。

 俺がそんなことを考えていると執務室からシルフィスが出てきた。

「よう、報告は済んだのか?」

「ええ、やはり報告というのは堅苦しくで肩が凝ってしまいます」

 そう言ってシルフィスは首を回してこきこき鳴らす。

「それは仕方ないだろ。一応俺達、あの人の部下なんだから」

「まあ、それはいいのですが。ところで今は暇ですか?」

「ん?まあ暇といえば暇だな。次の任務があるまで空いてるからな」

 現にさっきまで時間つぶしに鍛錬をしていたしな。TE細胞が覚醒してから妙に体の調子がよくて一日中鍛錬を続けてしまったこともある。さすがにその時はシルフィスに止められた。

「でしたらわたしと一緒に日本へ行きませんか?」

 日本……ずいぶんと懐かしい気がするな。だが今はあまり行きたくないな。

「誘ってくれるのは嬉しいが断らせてもらう」

「ご家族に会うかもしれないからですか?」

 相変わらず鋭い奴だ。

「まあ、そんなところだ。あいつらにとって俺はもう過去の人間だ。今更行ってなんになる」

「確かに貴方は世間では死んだことになっています。ですが貴方の遺体は未だに発見されていません」

 それはそうだ。こうして生きているのだから。あの爆発の後すぐにシルフィスが俺を病院に運んだらしいから見つかるわけもない。それに俺はあの爆発の後崩れてきた建物の下敷きになったはずだから誰も正確に俺がどうなっていたかを知る奴はいない。フィアッセなら覚えているかもしれないが。

「ですから今貴方が出て行っても大丈夫だと思います」

「だが俺は一度死んだ男。そんな女々しいことはできない」

「そんなことを言って、手のほうは既に荷物をまとめ始めているじゃないですか」

「うっ、これは別にそんなんではないぞ」

「桃子さんでしたっけ。彼女のシュークリーム、最近ますます評判が上がって全国から人が集まるようになっているんですよ。私もこの前食べに行ってきましたけど、あれは本当に美味でした」

「ぬぬぬっ、……シルフィスめ。俺が知らない間に桃子のシュークリームを……」

「私と一緒に行けば会えますし、そうしたら幾らでも食べられますよ〜」

「……参った。降参だ」

 渋い顔でそう言って両手を挙げる俺に、奴はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。

「変なプライドは捨てるべきです。そんなものは一文の足しにもなりませんからね」

「まあ、意地張って損するのもしゃくだからな。今回だけは乗ってやるよ」

「ええ、それで結構です。貴方が思うままに、願うままにすればいい」

「はぁ、何だよそれ」

 何やら意味深なことを言うシルフィスに、俺は怪訝そうに眉を顰める。

「戯言ですよ。気にしないでください」

 そう言ったシルフィスはどこか遠い眼をしていた。

 



 あとがき

 

 こんにちは、堀江紀衣です。

 今回はみんな海鳴へ集合。とまさかのミステリーよろしくで士郎さんの登場です。

麗奈「あの男生きてたのね。死んだと思ってたんだけど」

佐祐理「無事だったのならいいじゃないですか。中がどうなっていようと」

麗奈「それもそうね。まっ、それは置いといて今回も景気よくいくわよ」

佐祐理「はいっ♪」

紀衣「あの〜、わたしの意志は?」

麗奈「そんなの無視」

 紀衣、問答無用で連れて行かれる。

紀衣「あ〜れ〜」

麗奈「それではただ今より第5回堀江紀衣着せ替えショーを始めます」

佐祐理「ぱちぱち」

麗奈「今回は衣替えをテーマに純情な紀衣にぴったりの純白のワンピースで決めてみました」

佐祐理「わあー、よく似合ってます。さすがは紀衣さんです」

紀衣「そっ、そうですか?」

佐祐理「そうですよ〜。艶やかな黒髪に雪のような真っ白いお肌がとても眩しいです」

麗奈「まったくだわ。同じ女として妬けるわ」

紀衣「お二人がそこまで言うのならそうなのでしょうね」

佐祐理「そうですよ。もっと自分に自信を持ってください。紀衣さんは磨けば磨くほど輝けるのですから」

紀衣「……自分でも少しはオシャレしてみようかな(何か大切なものを失いつつあるような気がするけど)」

麗奈「佐祐理っ!今の聞いた」

佐祐理「はい。ついに紀衣さんが目覚めてくれたのですね。佐祐理は感激です」

紀衣「でも本当に少しだけですよ?お二人があまりにも喜んでくれるものだから。お二人に対する礼儀みたいなものです」

麗奈「やったわ!ついにあたしの計画の第一段階が達成されたわ。なんて喜ばしいことなの。よし、近々由衣を読んで計画の第二段階を実行よ」

佐祐理「はいっ!」

 とても嬉しそうな麗奈と佐祐理。

紀衣「何かとても流されているような気がするけど、今度からは由衣も一緒ならまだ少しはマシかな」

麗奈「話もまとまったことだし、これにて今回の堀江紀衣着せ替えショーは終了です。次回もお楽しみに」

 

 

 




生きていた士郎。
美姫 「しかも、何やら不思議な力まで」
さて、どうやら日本へと向かうみたいだけれど。
美姫 「一体、どうなるのかしらね」
うんうん。次回も楽しみに待ってますね。
美姫 「待ってまーす」



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