第十四話 不破恭吾と『高町恭也』








ヒュンヒュンと妙な風切り音が響く道場。

「……なあ、兄さん」

なぜか道場の真ん中で寝そべり、腕を動かす恭也。その手から飛び出るものが音を立てる原因だった。

「なんだ?」
「なぜ……こんな体制で飛針を投げさせるんだ? というよりも、先ほどから座った状態やら、壁に背をつけながらとか、本当にわけからんぞ」

先ほどから変な体制で恭也が投げつけているのは、御神流の暗器である飛針である。
恭也の手から投げ出された飛針は、壁に立てかけられた木の的に突き刺さる。
的の中央には赤いマークがつけられているのだが、先ほどから恭也が投げる飛針は僅かにマークからずれていた。体制が整っていてからだろう。もっともそれは本当にわずかで、的には確実に当たっていた。

「わからんか?」
「わからん」

恭也は、恭吾が意味のないことなどしないというのは知っているが、考えていることを理解できるというわけではない。
少なくとも恭也は、こんな鍛錬はしたことがないし、士郎に師事していたときも、今までもしたことはない。

「このごろ剣の鍛錬に偏りすぎていたからな、お前も怪我をしたから丁度いい。しばらく暗器の鍛錬に移る」
「いや、怪我って……」

むしろ今日病院にいくことになっている。さらに言うならばたいしたものでもない。無茶な動きをしたために、少しばかり節々が痛いぐらいなのだ。

「医師の診断とは別に、最低一週間は剣を握らせんぞ。握った場合はシメる」
「ぐっ……いや、答えになっていないのだが」

兄はやると言ったらやる。こういうとは黙って聞いておいた方がいいというのは、恭也も経験から理解していた。
というかいつか聞いたことがあるような言葉で、また恭也も似たようやことを考えたことがあるような……
しかし、答えになっていない。
一週間の間、暗器の鍛錬をするというのは構わない。が、しかし、なぜこんな体制でやらせるのか。

「はっきり言うが、お前の暗器の扱いはまだまだだ」
「……まあ、そうだろうな」
「何より、立った状態でしか狙った場所に正確に当たらないのでは話にならん」
「そうか? しかし、戦闘中は……」
「馬鹿弟子、貴様は阿呆か」

恭吾は半眼で言い、同時に手を突き出して恭也の額にデコピン。

「ぐおおおおおっ!」

恭也は飛針を捨て、額を抑えながら床を転がり回る。
痛い。猛烈に痛い。
デコピンに徹を乗せられる技量は凄いと恭也も思うが、それを自分に使われるとたまったものではない。
しかし、恭吾はそんな様子の恭也を気にするでもなく語った。

「暗器というのは迎撃やカウンターにも向く武器だ。相手は武器を持ってないと油断してくることも多いからな。どんな体制のときでも放てるようにするのは当然のことだ」

そんな説明を聞いている間に、痛みが治まってきた恭也は何とか立ち上がる。

「父さんがこんなことしているところを見たことないんだがな」
「ああ。俺もない」

むしろ恭吾がない以上、恭也も見たことあるわけがない。

「そうだな。確かに士郎さんも、別に暗器を得意としていたわけではないな。別に下手というわけでもなかったが。最低限と言ったところだ。だが、お前は最低限では困る」
「なぜ?」

士郎にはなれない、そんな当然のことはもう恭也もわかっている。だが、それでも恭也にとって士郎は自分が目指すべき到達点だ。今はさらに目の前の兄も目指すべき到達点である。
まるでそれでは駄目だと言われているようだった。

「お前は俺と同じだ」
「兄さんと?」
「御神の剣士としてではなく、ただの剣士として致命的にまで、俺とお前は武器がない」
「…………」
「士郎さんのような力も、静馬さんのような技量も、一お……父さんのような速度も、俺たちにはない」

言ってしまえば、二人には特長というものがない。大抵のことはできるが、突出したものがないのだ。
未来で言えば、速度は美由希、技量では美沙斗が遙か上にいた。しかし、『高町恭也』には二人と違って突出したものが何一つない。
確かに力は二人よりもあるし、平均と比べてもずっとあるだろう。だが、だ。その程度の力、ある程度の鍛錬を積めば、誰でもつけられるものだ。難しいことではない。
士郎の場合は、元より御神の剣士たちの中でもかなりの力があり、そこに技量を混ぜることで、その力を数段引き延ばすこともできた。
腕が長い、というだけでも本来は武器になるし、身長が高いというのも武器になる。だがやはりそう言った面での特長も恭也にはないし、この先も手に入れることはない。それは『高町恭也』が完全に成長した姿を知っている恭吾だからこそわかる。
突出したものがない。それは本来致命的とは言わない。だが戦いが拮抗した場合は、致命的となる。言ってしまえば、最後に頼れるものというのがないのだ。

「しかし、ないならば作り出せばいい」
「作り出す?」
「この前俺が乱撃用の奥義を教えると言ったとき、おかしいとは思わなかったか?」
「何が?」
「少しは考えろ……まあいい。士郎さんがよく使っていた奥義は何だ?」
「虎切と薙旋だ」
「静馬さんは?」
「確か、薙旋と射抜だったか」
「父さんは?」
「花菱と虎乱……だったと思う」

さすがに静馬や一臣がよく使っていた奥義というのは、あまり良く思い出せない。それは仕方のないことだ。元より二人が剣を取った姿というのは、恭也はそれほど見たことがないし、見たのはもうかなり前のこと。記憶も薄れる。
恭吾は一つ頷く。

「では逆に、それらの人たちが、他の奥義を使った姿は?」
「いや、ほとんど思い出せない。使っていなかったということはないと思うが、ほとんど印象に残っていない」
「まあ、それは当然だな。それらの人たちは、今お前が上げたのが得意技だった」

これは未来で美沙斗に確認しているので間違いないことのはずだ。

「まあ、そうだろうな」

得意技であるからこそ、使用頻度も高くなる。
もちろん隠さなければならないから、御神の人間以外にはそれでほぼ仕留めていたことだろうし、その人間独特の癖や弱点などは御神の人間にも隠していただろう。

「静馬さんははっきり言えば、乱撃系の奥義……虎乱や花菱は苦手で、必要な状況でもなければあまり使わなかったそうだ。士郎さんは射抜と雷徹が苦手だった。父さんは抜刀系、つまり虎切と薙旋だな」

それぞれが苦手としたもの。
さらに斬、徹、貫の基礎にも得手不得手があっただろう。

「さて、これで見えてくるものはないか?」

その質問に恭也は眉を寄せ、顎に手を当てて呟くように返答する。

「それぞれの得意技が、自分の特長に直結してる?」
「正解だ。士郎さんは力と瞬発力を使う薙旋と虎切を得意とし、技量の高かった静馬さんは高い技術が必要な射抜と、士郎さんとは違い、技術に特化させた薙旋を得意とした。父さんは速度、その中でも剣速が重要である乱撃系の花菱と虎乱が得意だった」

己の最大の特長を最大限に引き出せる技を、それぞれ得意としていた。
それはある意味当然の選択と言えるだろう。

「他の技はそれぞれ平均か、さっき言った通り不得意か、と言ったところだ」
「…………」

恭也にとっては、恭吾が上げた人物たちは、自分と比べることなどできないというほどの者たち。そのために、彼らは何でもできる、と思っていた。
しかし、恭吾が言うにはそうではない。

「それぞれ得意とする技は、間違いなく他の御神の剣士たちの追従を許さなかっただろう。だが、他の技はそんなことはない。苦手な技もあった」
「そう……なのか」
「本来、奥義なんていうのは六つもいらん」
「いらない?」
「御神の奥義、という意味ではなく、一人の人間としての奥義という意味だ」

絶対に誰も負けない一があれば、どうとでもなる。他のものは状況に合わせるためだけに使えばいいものでしかない。
六つある一つか二つを極限にまで鍛え上げれば、それこそ必殺の奥義になる。
技など無駄にあっても意味はない。多くの技の体得と錬度を上げるのに時間をかけるならば、一つの奥義を必殺にまで昇華させた方がよほど実用的だ。
人間なんていうのは、そう多くのものを覚えられない。

「人間の身体はそれほどうまくはできてない」

身体というのはそれぞれの人間によって特長は変化し、同じ技など存在しない。
例えば、今ここで恭吾と未来の美由希の中身が入れ替わったところで、お互い奥義どころか基礎も使えなくなる。歩くこととて困難だろう。
身体の大きさ、流れる血の量、神経、骨格、どれも違う。皮膚の厚さも、重心も違う。美由希の身体で恭吾が薙旋など使えば、美由希の身体の筋繊維が完全に断裂するだろう。昨日、恭也が無茶をして筋肉を痛めたのと同じことだが、結果はもっとひどいことになる。薙旋は全身の回転や捻りを利用するので、基本的に筋肉という鎧が必要なのだ。美由希の身体にはそれはがない。というよりも、小柄な人間や女性にはあまり向かない技だ。恭也とてそこらがまだまだで、その上にアレンジなど加えたから筋を痛めたのだ。
それに基礎である徹を使っただけで指の骨が砕けかねない。脳神経も違うのだから、神速を使えば下手をすれば廃人だろう。
なぜならば、どの技も恭吾に特化した技だからだ。どれだけ見た目が似た技でも、違う人間の思考には、その使い方などまず理解できない。身体もまた理解できない。これは美由希を育てたのが恭吾だとかそういうのは関係ない。美由希がしてきたそれまでの経験、美由希の脳、美由希の身体の全てが揃うことで、初めて美由希の身体を動かし、その技を使うことができる。
恭吾の身体が小さくなったことで、歪みが現れたのも似た理由だ。だが、恭吾の脳にはそのときの身体の経験があったため、負荷が小さかった。身体は小さくなっても、あくまで恭吾の脳と経験があり、小さくなったとはいえ、それは恭吾の身体に違いない。

「つまり、技というのは型は同じでも、使う人間によってどこまでも異なるものになる。士郎さんの薙旋は士郎さんが使うからこそ、最高の薙旋だが……」
「俺では父さんとまったく同じことはできない。全てが違うから、これから成長したとしても、近づくことはあっても同じになるとはありえない」
「そうだ。仮に、お前が士郎さんの薙旋を使えるようになったとしても、使った時点で二度と戦うことはできない身体になるだろう」

それらと同じで、一つの技を体得するのにかかる時間もそれぞれによって違う。体得の仕方も違う。
人間の脳や身体、思考というのはそれだけ繊細で複雑なのだ。
人間の肉体というのは、限界はそれほど高くはないが、それぞれによっての上限値は変化する。
脳の作り、筋肉、思考の仕方、経験、それによって上限値が人によって全て異なるのだ。
だから全てが違うもの。
同じ技は存在しないからこそ、同じ奥義が激突すれば、特長で勝る方が勝つのは当然の帰結だ。もちろん本当の戦いになればそんな簡単なものではないが、それでも有利になるのは間違いない。
そして、それはその人物にしか使えないもの。ならばそれを目指す意味はない。
同時に人の一生で極められるものなどそう多くない。
一つの特長を伸ばし、極めていくのと、数多くの技に時間をかけるのとどちらがいいのか。

「その答えがある意味、あの三人ということだ」
「つまり、父さんたちは、他を削り、自分の最大の特長を理解した上で、自分の必殺を生み出した。そしてそれを極めようとしていた」
「そういうことだ。三人は他の技を最低限、もしくは平均だが、最大の奥義で強者となった。彼らにとっての本当の意味での奥義は一つか二つだ」

それらの技で、三人に敵う者はおそらくあのときの御神には存在しなかっただろう。
そこに経験などの付加要素が入ることを考慮すれば、三人の強さはとんでもないものになる。
それに最低限であっても、御神の奥義はあらゆる局面で有効なものになるだろう。

「で、俺たちにはその特長……最大と呼べる武器がない」
「……そうだな」

奥義で言えば、恭吾がもっとも得意としているのは薙旋だ。だが、士郎の薙旋と競り合えば、間違いなく恭吾が競り負ける。もっともこれは士郎の土俵に合わせたらだが。
恭吾には身体的、技能的な特徴はあまりないが、抜刀術に関しては士郎をも抜いていた。抜刀速度、抜刀のタイミングの見極め等々。むしろ感覚的部分が士郎よりも上だった。
つまりそれが恭吾の薙旋だ。
それよって緩急をつければ、多少は凌げるだろう。が、それでも恭吾の頭には自分が負ける想像しか浮かばないが。
それはいいと首を振り、恭吾は一番重要なこともう一度告げる。

「だからこそ、最大の武器を作り出す」
「できるのか、そんなこと?」
「それはお前次第だ」

少なくとも恭吾は、自分にはできなかったと思う。

「なぜ、俺がこの前乱撃用の奥義を教えると言ったと思う?」
「ん……わからない。むしろ今までの話を聞いていると、虎切と薙旋を重点的にやった方がいいような気がしてきた」

だろうなと恭吾は頷く。
実の所、恭吾とて迷っていたのだ。
しかし、すでに決めた。目の前の恭也は自分とは違うと恭吾はすでに理解している。
一番の違い。それは、目の前の恭也は膝に爆弾を抱えていない。ならば、多少の無茶はできるということだ。

「手数を増やすためだ」
「手数?」
「ああ。できれば射抜を教えたいところだったが、すでに虎切があるからな。少し後に回す」
「いや、待ってくれ。手数とはどういうことだ?」
「そのままの意味だ。手数をお前の武器にする。全ての技、全ての奥義だけでなく、暗器、格闘術、関節技、気殺や気配感知を含む暗殺術……どれも今まで以上の密度で叩き込む。無論、できる限り身体に負担がかからないようにな。
それと平行して基礎の三つの鍛錬はこれまで以上の時間をかけて行う」

恭吾の宣言を聞いて、恭也は一瞬惚けてしまった。
それもそのはずだ。

「ちょっと待ってくれ、兄さん! それは今までの話と矛盾していないか!?」

そうだ。恭吾の宣言は、今まで彼自身が説明したこととどこまでも矛盾する。
人間は多くのことを覚えることはできない。だからこそ得意不得意ができ、その中で自分の必殺を探すと語ったばかりなのだ。
生涯の奥義は一つか二つのみ、と。

「していない」
「どこが!?」
「俺は別に、それぞれを極めろなどとは言っていない。そんななことは不可能だと言っただろう」
「え?」
「薙旋で士郎さんに勝てなくてもいい。射抜で静馬さんに勝てなくもいい。花菱で父さんに勝てなくてもいい。お前に必殺などいらん」

やはりそれはどこまでも先ほどまでの説明とは矛盾する。

「だが、その分全ての技を最低平均まで持っていけ。不得意な技を作るな。均等とは言わない。どれかが突出してもかまわない。薙旋など、ある程度得意な技ができてもいい。だが、もう一度言うが不得意なものは作るな」
「…………」

恭也は呆然と恭吾を見続けていた。
しかし、それでも恭吾は淡々と続ける。

「士郎さんには射抜と雷徹で勝て。静馬さんには花菱と虎乱で勝て。父さんには薙旋と虎切で勝て」
「…………」
「相手の土俵に合わせる必要などない。手数があれば応用性が広がる。相手の苦手なものを叩き込めばいい。それに必殺とはいえ、弱点がないわけではない。自分の中の手数から、弱点に効果的なものを叩き込め。
ただし、斬、徹、貫の攻撃の基盤だけは平均以上に……それこそあの三人を越すぐらいのところまで持っていくと意識しろ。むしろお前の奥義はそれだと思え。それだけで応用性はさらに広がるし、奥義を平均以上にまで持っていけるだろう」
「できる……のか、俺に?」
「できる」

恭吾がすでに説明した通り、難しいのは確かだ。人ができることには限りがある。器用貧乏という言葉があるが、実際にはこと武術においては、どんな技でも器用にこなすというのは難しいことなのだ。
何かを極めることを止め、全て伸ばす。言うのは簡単だが、かなり無謀だ。しかし、それでも恭吾は断言した。
一がないのなら作り出すしかない。そして恭也に可能なのはそれなのだ。
技の一ではなく、応用性。臨機応変という一。
恭吾には無理だった。それを思いついたこともあったが、可能とは思えなかったのだ。
だが、恭吾の目の前にいる恭也は違う。膝の怪我がないということだけでなく、時間がある。今の恭也は美由希を鍛えていないのだ。その分を自分の時間に回せた。
何より恭吾がいる。
教えられる人間がいて、剣を交える者がいて、その相手は今の恭也よりも強い。
今、恭吾の目の前にいる恭也ならば条件が揃っていた。

「俺が……お前をそこまで昇らせる」

恭吾は目を鋭くさせ、再び宣言した。
それに恭也は目を見開く。
恭也にとって目の前の男は、どこまでも心強い……いや、心強すぎる兄であり、師である。
その男がこうまで言うのだ。できなければ、それは恭吾ではなく、自分の未熟だと内心で呟いた。

「お願いします。師範代」
「ああ」

こんなときだけ師範代と呼ぶ目の前の自分に、恭吾は少しばかり苦笑する。
それから恭吾は恭也に背を向け、恭也が的に使っていた木の板に近づいていく。

「まあ、今日はここまでだ。汗を流して病院に行く準備をしておけ。片づけは俺がやっておく」
「わかった」

少し考えたものの、恭也はもう一度頭を下げて道場から出ていった。




恭也を見届け、的に刺さった飛針を抜いてから、恭吾は息を一つ吐き出した。

「これで種は蒔いた」

種。
それは決して恭也に言った手数という武器ではなかった。
確かに、手数を恭也の武器にするというのは前々から考えていたことだった。
だが、それだけでは足りない。
数年後、それを武器にして恭也が美沙斗と戦うことになれば、恭也が二、美沙斗が八で、かなりの確立で負けるだろう。
彼女は静馬と同じで、射抜という剣士として最強の武器を持つ。それを手数だけで恭也が切り崩すのは難しい。
当初は、自分と同じように薙旋を武器にさせようと思っていたが、膝を壊していない恭也に自分と同じことをさせても意味がないと恭吾は考えたのだ。
今の恭也には、当時の恭吾とは比較にならないほどの可能性がある。
しかし、それを加味しても美沙斗に勝てるようになるか、と聞かれれば微妙だ。今も彼女は裏社会で実戦経験を積み続けるのだから。

「美沙斗さん、か」

恭吾ならば……こう言っては何だか、きっと今の美沙斗なら勝てる。
ただ、これは単なる裏技だ。恭吾が美沙斗を越えた、とかそういう話ではない。
恭吾は美沙斗の射抜を知っている。長年、美沙斗と鍛錬として幾度も試合をしただけに、今では彼女の射抜の癖や弱点はだいたい見えている。それは彼女が放つ射抜だからこその癖と弱点。恐らく静馬だったら何の問題もないこと。無論、静馬には静馬の癖と弱点があったかもしれない。
逆に未来の美沙斗は、恭吾の薙旋の癖と弱点を知っていた。恭吾の放つ薙旋だからこその癖と弱点を。やはりこれも士郎だったなら弱点になりえないものだろう。
この時代での美沙斗はそれを知るわけがない。そういう意味で、完全に恭吾の方が有利なのだ。相手の情報を一方的に知っているのだから。
しかし、恭吾は美沙斗との戦いは、本当にどうしようもない、という状況にでもならない限り、手を出すつもりはない。この世界では、恭吾はどこまでも部外者でしかないからだ。
一度も考えなかったわけではない。この時代で美沙斗に接触することを。
美由希と会わせてやりたいと思うのは当然だし、気持ちは痛いほどわかるが、この時の美沙斗の行動は、御神の剣士としても誉められたものではない。止めたいとも思った。
だが、結局それはすぐさま却下された。
確かに恭吾は『高町恭也』だ。だが、それがどうした。先ほども言ったとおり、恭吾はどこまでも部外者だ。

「今の俺は不破恭吾だ」

『高町恭也』であっても、この世界に本当の高町恭也がいる限り、不破恭吾でしかない。
仮として不破一臣の息子を演じているが、美沙斗にそんなものは通じないだろう。美沙斗にとっては、恭吾はどこまでも他人なのだ。
他人である恭吾が、美沙斗の人生に口出しできるわけがない。
何より恭吾は、何か理由がない限り、もしくは巻き込まれない限り、自分からこの世界の『かつて』の知り合いたちに接触はしないと決めた。
あくまで受動的に動く。
知佳との出会いもそんなものだったし、さざなみ寮に行ったのもそうだ。もちろん会いたいというのもあったが、それも知佳が誘わけなければ、絶対に恭吾からは切り出さなかった。
薫や瞳たちとだって、同じクラス、近い席ではあるが、こちらから話かけるようなことは一切したことがなかった。
ハメを外すと言っても、自分からは何もする気はない。

(確かに俺は……あの人たちを知っている)

知佳を、真雪を、薫を、耕介を。それだけじゃない。もっと多くの人たちを知っている。大切な人たちだった。護りたい人たちだった。
だが、やはりそれがどうした。
ここが過去なのか、それとも別の世界なのかははっきりしない。
しかし、恭吾が知っている彼女たちと、この世界にいる彼女たちは確かに同じ容姿、同じ性格を持つ。だが、それを一緒くたにしては彼女らに失礼でしかない。
美沙斗の想いだって、確かに今の恭吾はわかる。それを確かに美沙斗から聞いたから。
だが、それはテストで言うカンニングのようなものだ。
今の恭吾が、あなたの気持ちはわかる、などと言ってどれだけの説得力があるというのだ。カンニングをすればそのテストでは0点。それと同じでやってはいけないこと。それこそ美沙斗の全てを汚す行為。
恭吾という存在が、全てを台無しにしてしまいかねない。
人の想いさえ、ねじ曲げてしまう。

(まったく、どうせなら御神流以外の記憶が全てなくなっていてくれた方が楽だったかもしれんな)

恭也の師としてあるために、御神流に関しては残っていてくれなければ困るが、『高町恭也』としての記憶が、恭吾の行動に制限をかける。
何が起こるのかを理解している。それがどれだけ罪深いか、どれだけ面倒か、どれだけ邪魔か。それは恭吾だけが理解できることだろう。
恭吾が動かないために、悲しむ者がいるかもしれない。少なくとも美沙斗の件では、フィアッセやクリステラソングスクールの生徒たちは被害を受ける。それにティオレにとっては最後のコンサートなのだ。心配事などなく終わってほしいだろう。
だが、それがわかっていても、今の時点では、恭吾はどうするつもりもない。

「悪いとは思うが……」

美沙斗だけでなく、フィアッセたちの想いも知るだけに、悪いとは思う。
しかし、やはり『高町恭也』の記憶を使って、未来を積極的に変える気はおきない。
本当に説得力がない。
記憶がある。未来の知識がある。本当にそれがどうした。それを使って、嫌なことを防ぐために行動する。どれだけ愚かな行動だ。
未来の記憶を使って、助ける相手や戦う相手を勝手に理解した気になって行動するのは、それはやはり相手を汚す行為であり、侮辱する行為であり、どこまでも説得力がなさすぎる。想いを踏みにじってしまう。
元の世界の大切な人たちすら軽んじる行為だ。
確かにそんなことは誰にもわからないだろう。きっと未来の知識を使って色々な人たちを助ければ、不幸を防げば、誰からも感謝される。

「考えただけで吐き気がするな」

感謝されること自体が、気持ち悪すぎる。ありえないはずの知識を使って感謝されるなど。
相手の性格や考え方を、立場を、行動の結果をわかった気になって、事象に干渉し、過去を弄り、気をよくさせ、感謝され……感情を操る。どれだけの卑怯者だ。
そうなれば、恭吾だけは自分を呪う。記憶があるからこそ、過去を、この世界の、元の世界の人たちを踏みにじったと呪い続ける。

「すでにやってしまったことでもある……が」

この世界の恭也や美由希を相手にやってしまったことではあるが、そこまで恭也と美由希は過剰な感謝というのはないだろう。師ができたことが嬉しいとは思っていても。
高町家の内部である以上、恭吾が居る限り何かがかわる。美由希のこともほぼ受動的な動いた結果だし、恭吾が動かなくとも同じ結果になっていた。
答えは一つしかない。
今、ここにいる『高町恭也』は不破恭吾を演じきるしかないのだ。
本当にどうしようもない状況ならば、不破恭吾として大切な人たちを守ろう。確かに不破恭吾という異分子が現れたことで、変わったところも多くあるのだから。しかし、それ以外では何かをしようとは思わない。
今の時代はまだいい。確かに知佳たちと接触したが、彼女たちがこのとき何を思い、何をしていかなど、恭吾は知らない。色々なことが起こった、というのは聞いたが、それを詳しく聞いたことなどない。断片的な情報があるだけだ。
何をしたところで、人以外は『高町恭也』の記憶に触れない。身にかかる火の粉ならば払うし、助けを求められたならば動く。
しかし、いつか『高町恭也』としての記憶が、恭吾の行動を制限するときがくる。
色々と大きな事件があるが、その代表が美沙斗だ。
そのとき恭吾が積極的に動くことはほとんどないだろう。

「俺がすることなどない。やるのは……恭也だ」

だからこそ、恭也を鍛えるのだ。美沙斗を止めるためにも。それは恭也がやるべきこと。部外者である恭吾は、その恭也を強くし、ある程度の手助けをするだけでいい。それで護ることに繋がる。
そのために今回の種が必要だった。
手数というのは表向きの理由。もちろんそれだけでも武器にはなるが、それはあくまで種でしかない。
手数の先には、恭也が目指すべき一つの境地があるはずだ。
絶対に恭吾には辿り着けない境地。いや、境地の先の境地。
そこに恭也を立たせてみせる。

「本当なら射抜が良かったのだが……」

次に教え、鍛える奥義は本来なら射抜にしたかった。
美沙斗への対策ではなく、種を早く開花させるなら、射抜が一番いい。しかし、そこまで考えていないときに虎切を教えた以上、ここでさらに長射程の技を教えれば、抜刀術から切り放そうとしているのに、今度は射程の長い技ばかりになってしまう。
だからこそ、乱撃を先にもってくる。射抜はそのあとだ。

「あとはあいつがどう成長するか」

恭吾にはできなかったことを、恭也にはさせる。
それは手数であり、その先にあるもの。
もっとも開花にはそれ相応の時間が必要だろうが。

「今はゆっくりとやっていくしかないな」

時間はまだ多くある。
その間に恭也を美沙斗よりも上に持っていく。
恭也が成長するまでの問題、その間に降りかかる火の粉は自分が払う。
しかし、恭也が本当に御神の剣士となったときは、そのときは恭也こそが、この世界の大切な人たちの守人となる。
そのときは……不破恭吾が必要なくなるとき。
それがいつになるかわからないし、そのあとどうするのかなど今は恭吾もわからない。
だが、そのときは……

「今は考えても詮無いことか」

恭吾は首を振り、飛針や的を抱えると道場の入口へと歩く。
しかし、すぐに振り返り、道場の奥の神棚を眺めた。

「俺は……間違っているか、父さん?」

一臣という偽りの父親ではなく、本当の父親である士郎へと、恭吾はどこか寂しげに問いかける。
事前に不幸を打破するはずの不破である自分が、それを見逃す。不破としては間違っている。
だが、未来の知識を使って、この世界に介入することの方が間違っているとしか思えない。だって、恭吾はこの世界の美沙斗のことなど知らないのだ。
忍のことだって知らない。
久遠だってまだ出会っていない。
晶とレンは繋がりさえない。
フィリスたちはまだ生まれてすぐぐらいだろう。
でも、今ならば色々なことができる。
未来の知識を使って、多少のツテを使い、美沙斗の元にいくこともできるだろう。
今ならば勝てるだろうから、無理矢理でも美由希に会わせてやることだってできる。
忍の脅威になることを考えて、今のうちにイレインの所在を調べ、破壊してもいいし、安二郎とかいう男を脅してもいいだろう。
久遠を殺すことはできないが、考えれば何かできることもあるかもしれない。
レンを説得して、今のうちから手術を受けさせることもできるかもしれない。
晶の家庭環境に何かできることがあるかもしれない。
フィリスやシェリーを解放することもできるかもしれない。
未来を、そこに生きていた人たちを知っているからこそ、どれだけのことでもできるだろう。

「だけど……俺はしない」

それはあくまで自分が生きた未来、世界での話。この時代、世界でまったく同じことが起きていたとしても、それは自分が介入していいことではないはずなのだ。
目の前にそれらを突きつけられたならまだしも、ただの知識のみで動くことが、どれだけ愚かか。
その記憶で動いた瞬間、恭吾はこの時代、世界を否定したということだ。
だから何もしない。
ただ、それは不破としての在り方としては正しいものではない。
大切の人たちを護るために、不幸を未然に斬り捨てる不破としてはどこまでも相反する。

「間違っているのか、俺は?」

しかし、答えなどあるわけがない。
当たり前だと恭吾は自嘲し、今度こそ背を向けた。

『…………』

だが、すぐに足を止めた。
聞こえたのだ。
後ろになぜか暖かい気配がある。
しかし、それもすぐに消えた。
恭吾は、苦笑を浮かべる。今の声が、気配が、ただの勘違いでもいい。
それでも自信が漲ってきた。

「ああ」

恭吾は……この世界で初めて、そして、最後の『高町恭也』としての顔を浮かべ、最後の声を出し、強く頷いた。
確かに聞こえたから。
夢か現か、幻聴か幻覚か。
それでも聞こえ、感じた。
大丈夫。
恭也は必ず強くする。
自分ではなく恭也が、これから起こる不幸の全てから、大切な人たちを護れるように。
そのために、自分もできる限りのことはしよう。
決して未来を変えるために動く気はないし、自分から誰かに深く干渉する気もない。
だが、不破恭吾として、護って見せよう。
恭吾は、今度こそ道場を後にする。
もう迷いはない。
迷いは断ち切られた。
幻聴か幻覚かもわらない声と気配に。
それでも確かに聞いたから、高町士郎の声を。



『お前の好きにすればいい』



その……言葉を。




あとがき

本当にお久しぶりです。
エリス「もう本当だよ。このごろリレーSS版の投稿にしか顔を出してない。それに今回は鍛錬風景と恭吾の独白だけになってるし。1と2のキャラと絡ませていくって言ってたのに」
すいません。今回は恭也の将来のためにと、恭吾のスタンスの確立のために重要な場面だったので、鍛錬風景のみとなりました。ある意味、メールで質問があったことの回答でもあったのですが。
エリス「積極的に動かない、受動的っていうのは今までと同じだけど、ちゃんとそれを確立しちゃったわけだね」
もちろん、目の前に自分が知らなかった危機とかあったら動きますけど、自分の未来の知識を使って、不幸を事前に潰すとかはしません。
つまり未来が……リレーSS版の短編にあるように……変化したとしても、それは恭吾が未来の知識を使って『変えた』のではなく、恭吾がいるから『変わった』、という感じにしたいかな、と。
エリス「ある意味逆行物としては間違ってると思うんだけど。というか全否定」
まあね。ある意味私の考えでもあるし。でも1と2の大きな事件は断片的な情報しか恭吾も知らないから、関わることになるかと。
エリス「次はいつになるんだか」
うー、色々あったんだよ。なんかうまく進まないし、入院するし。いや、まあ、今回の入院はいい結果になったけど。
エリス「入院がいい結果って……」
物書きとしてはね。入院期間がいつもより長かったから、色々とネタを拾えた。回診なんかのときに、お医者さんや看護士さんに詰め寄って、人間の身体やら脳関係について聞きまくった。他の患者さんにも色々と。
エリス「な、なんて迷惑な患者」
ベッドが空いてなくて、脳外科の病棟に入院することになったのだけど、それもよかったなー。おかげで色々なお医者さんに聞けた。
今回の話にも、そのネタがリアルになりすぎない程度に、だけどふんだんに使われてる。入院生活もほとんどネタの整理をしてたし。
エリス「本当にご迷惑をおかけました」
とにかく次回は、もう少しキャラを出していこうと思います。
エリス「では、読んで頂いた方々、浩さん、美姫さん、ありがとうございましたー」
ありがとうございましたー。



改めてはっきりと不干渉を決めたという事か。
美姫 「そうみたいね。それと恭也の育成ね」
うーん、手数だけじゃなくてその先にある何か。
そこを目指させるのか。一体、それは。
美姫 「予想通りか、どうか楽しみね」
だな。それにしても、入院してそこまでアクティブに動かれるとは。
美姫 「ずっと寝ていたアンタとは違うわね」
うっ。と言うか、入院しているんだから寝ていても……。
美姫 「はいはい」
何で!?
美姫 「さて、次回はどんなお話になるのかしら」
次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」



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