「もう一度、東京に出る事になりそうだ」

「えっ、またどうして?」

「この前知ったんだが、知人が入院しているのでな」

「あらぁ、それは大変ねぇ。入院している場所は、分かってるの?」

「ああ、場所は聞いてあるから、問題ない」

「それなら心配ないわね。見舞いに行くんだし、何か持って行ってあげたらどう?」

「……それを、頼もうとしていたんだがな、かーさん。ああ、いずれ先方……支倉さんと

いうんだが、その人から店に連絡が来ると思う。もし俺がいなかったり、出られなかった

ら頼む」

「分かったわ。ねぇ、恭也」

「何だ?」

「その人、もしかしなくてもリリアンの関係?」

「……」

「ふぅん……自分の携帯番号教えたって、いいんじゃないかと思うけど?」

「何か言ったか?」

「ううん、別に」

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜病院でのとある話〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、もしもし。〔翠屋〕でございます」

[もしもし、あの私、支倉と申しますが、そちらに高町さま……高町恭也さまはおいでで

しょうか?]

「あ、はい……あっ、少々お待ち下さい。只今代わります」

[……]

「もしもし、電話代わりました」

[あっ、高町さまですね? ごきげんよう、支倉です]

「ご無沙汰しています……先週の月曜日以来ですね」

「はい、そうですね]

「で、試合の方は?」

「はい。おかげさまで、何とか優勝出来ました]

「それは良かった」

[高町さまのおかげです]

「……いえ、俺は何もしていませんよ。山村先生の依頼を受けて、臨時で講師しただけで

すから」

[でも、あの時は……〔妹〕の、由乃の事があって、自分を見失っていたと思うんです。

高町さまの言葉がなければ、もしかしたらそれにも気付かなかったかも……]

「……」

[その……実は優勝決定戦の時、高町さまの声が聞こえました]

「俺の?」

[はい。きっと、高町さまに導かれて勝ったのだと思うんです]

「それは……どう、でしょうね……でも、良かった」

[はい……っと、そうでした。あの、由乃ですけれど]

「ええ」

[手術、無事成功しました]

「そうですか、それは何よりです」

[ありがとうございます。お医者さん曰く、本当に簡単なものだったそうですけれど]

「ますます何よりですね。今は、面会出来るのですか?」

[はい。私も、昨日行って来ました。手術したのが信じられないくらい、元気にしていま

したよ]

「それは、また……」

[本当に手術したのかと思ったくらいです。それで、由乃の言うには午後だったらいつで

も、という事でしたから]

「承りました。では今度の土曜日、午後にでも伺いましょう」

[土曜の午後、ですね……分かりました。その日は私も時間が取れますから……病院の休

日外来入り口で二時頃待ち合わせ、という事でよろしいですか?]

「構いません」

[それでは、当日に]

「はい」

[あ、あの……高町さま]

「はい」

[その……本当に、あの時はありがとうございました。ごきげんよう]

「……」

「恭也、決まったの?」

「ああ。土曜だ」

「分かったわ。それで、入院した知り合いの人、具合はどう?」

「今は元気にしている。レンみたいに、心臓が少し良くなかったらしい」

「そう……だったらなおさら見舞いに行かないと、ね」

「だな」

 こうして、恭也は三度、武蔵野の地に赴く事となった。

 

 

 

 

 

 秋は既に深く、射してくる陽もまた柔らかさを増している。ふと見上げると、時に頭上

をかすめるが如く空を舞っていたアキアカネが、いつの間にやら姿を消していた。そう遠

くない内に、冬の便りが届くだろう。

(もう、秋も終わりつつあるな……)

 くすんでしまった赤い枯れ葉が、肌寒さすら含む風に乗って、舞い流れて行くのを見送

ると、恭也は病院の敷地に入っていく。そこは、M駅から少し離れた住宅地の中にある総

合病院。そう、由乃が入院している場所である。

 休日外来入り口には、既に令がいて恭也を待っていた。

「お待たせしました」

「いえ、来て下さってありがとうございます、高町さま……あっ、そうだ」

「?」

「あの、これ……洗っておきました」

「……ああ、これは……そこまでしなくとも良かったのに」

 恭也から借りたままだったハンカチをようやく返すと、令は恭也を案内する。エレベー

ターで五階に上がり、ナースステーションを横目に由乃のいる病室へ。ちょうどすれ違っ

た若い看護婦が、溜め息を漏らしていたのに気付いて、令はくすくすと笑う。

「どうか、しましたか?」

「いえ……先程の看護婦さん、私たちを見て溜め息吐いていたみたいなので、一体どう思

ったのかな、って」

 恭也は軽く肩をすくめるに留めて、特にコメントはしなかった。だが、傍目から見ると

どうして、恭也と令のツーショットも中々絵になる。

 女性としては身長が高い方の令だが、恭也も上背がそれなりにあるから――しかも背筋

が真っ直ぐ伸びているので、実際の身長より高く見える――並んでも違和感を感じない。

増して、片やボーイッシュな印象はあっても充分美しい容貌の令と、片や士の(もののふ)風情ある美

男子の恭也だ。看護婦が溜め息を吐くのも、無理はない。

 そんなわけだから、恭也と連れ立って入ってきた令に対する由乃の第一声が、

「令ちゃん、骨抜けちゃってるじゃない……顔、だらしないよ?」

 だったのは、ある意味当然だったろう。

「よ、由乃ぉ……」

 情けない顔になってしまった令を見て苦笑すると、恭也は助け舟を出した。

「まぁ、そのくらいで……ご無沙汰しています、島津さん」

「ごきげんよう、高町さま。今日は遠いところをわざわざ、ありがとうございます」

「いえ。それにしても手術の成功、おめでとうございます」

 言うと、紙袋の口を開き――

「見舞いの品、と言うには、ささやかですが……」

 取り出したのは、桃子手作りのマドレーヌ詰め合わせである。

「わぁ、凄い……おいしそう。ありがとうございます、高町さま」

 由乃が笑顔で詰め合わせを受け取ると、

「あ、そうだ。紅茶、淹れてくるね」

 令が席を外した。由乃はその姿を見送って、恭也に向かいくすりと笑う。

「普段は凛々しく見えますけど、令ちゃん、凄い世話焼きで、その上繊細なんですよ。だ

から、もしかしたら高町さまも知ってるんじゃないかって思いますけど……あの時はちょ

っと、薬を効かせ過ぎたかな? なんて、今は思ったりしているんです」

 もちろん〔あの時〕の意味するところは、恭也も聞き知っていた。それが、リリアンの

生徒達に期せずして、大きな波紋をもたらした、という事も。

「高町さま……令ちゃんの事、本当にありがとうございました」

「いえ、俺は特にこれといった事は……」

「いいえ。それにこの前、聞きました。高町さまも、似たような事があったって……」

 苦笑して、それはそれと言いかけた恭也が、不意に口をつぐんだ。紅茶を淹れに行った

令が、もう少しで戻って来るだろうと察したからであった。

 

 

 

 

 

 時ならぬティータイム。安静にしているのがよほど退屈だったのか、由乃は剣道部の練

習での恭也の事を、色々と聞いていた。

 こういう場合、恭也は自分の事をあまり話さないので、代わりに(?)令が、この練習

の時はこうだったとか、あるいはこういう事を部員達に教えていたなど、由乃に話す事に

なる。

「えーっ!? 高町さまったら、防具も着けないでみんなの打ち込みを捌いてたの?」

「先生が、防具を貸すので着けたらどうですかって、勧めたんだけどね」

「……普段、剣術の鍛錬では防具を着けないので」

 竹刀で身体のどこかを打たれても、瞬間は別として、後に残るほどの痛みは相当強い力

で打たないと出ない。もっとも剣道では防具を着けている為、余程打ち所が悪くない限り、

打たれても痛みが後々まで残る、という事はないのだが。

 しかし、剣術の鍛錬では木刀を使う――特に御神流の場合は、鍛錬からして既に〔実戦

を想定〕している――から、下手に打たれるとただでは済まない。

「凄いなぁ……どうせなら、高町さまのように……」

「由乃……その前に、入院中は大人しくしてないとだめだってば。あの時は私も同罪だっ

たけれど、勝手な事したらだめって、叱られたじゃない」

「……勝手な事、とは?」

「あ、あははは……」

 由乃がひきつった笑顔を貼り付けたのを、恭也は不思議そうに見ている。

 そこで令が話したのは、手術後初めて見舞いに行った時に、由乃が術後の痕をこっそり

見せた事だった。

 もちろん、そんな事が許されるわけがなく、看護婦さんにあっさりバレた挙句に二人と

も散々、油を絞られたのだ。

「……人の事は言えないですが……いくらなんでもそれは……」

 さしもの恭也も、まさか由乃がそんな無茶をやらかしたとは思っていなかったのか、見

て分かるほどはっきりと、苦笑を(あらわ)にする。

「でも……令ちゃんにはやっぱり、見て欲しかったの」

 半ばすねたような口調で、しかし笑みを絶やさず話す由乃を見ていると、

(心の強さ、というものは、島津さんがはるかに上をいくな……無茶の度合いは、こっち

も大して変わりないが)

 そんな印象を抱く。恭也の場合、かつて崩壊寸前まで傷めた右膝を、今でも大して構う

事をしないから、由乃の事をそう強く言えない。

 もっと困った事に、恭也はある種のサボり癖を持っていて、本来なら優先されるはずの、

右膝の根本的な治療をおろそかにしてしまい、たまに行けば決まって、主治医にきつく絞

られてしまう。

(悪循環なのは、分かっているんだがな)

 そういう意味で、自らの意志で手術に臨んだ由乃は、俺なんかよりはるかに〔強い〕と

言えるのではないだろうか、恭也はそんな事を考えた。

「これから、料理も勉強して……応援だけじゃ物足りないから、やっぱり剣道もやってみ

たいんですよね。流石に、高町さまみたいに剣術とまではいかないですけど」

「由乃、それよりもまずは……」

「はいはい、分かってます。あ、そうだ」

 ふと、由乃は恭也の方を向いて、

「その内、海鳴に遊びに行きたいな」

 満面の笑顔で恭也に言った。

「こんな素敵なお菓子を頂いたお礼もしたいし……〔翠屋〕には行きたいなって、ずっと

思っていたんですよ」

「身体を癒してから、是非。店では、俺も時々ウェイターしていますので」

「本当ですか? じゃあ令ちゃんと一緒に、絶対行きますからね」

 こうして、ささやかな約束を交わす三人だった。

 

 

 

 

 

 見送りをしようとする令を、好意だけ受け取ります、と言って留めると、恭也は由乃の

病室を後にした。

(後は、帰るだけかな……結局、江利子さんの事は分からぬままだったが)

 ひとりごち、エレベーターへの通路に踏み出そうとして、

「……ん?」

 ふと、わずかに、胸騒ぎに似たような感覚を覚えた。理屈ではない。恭也はこの時、覚

えのある〔誰かの気配〕を不意に感じたのだ。とは言え、感じたそれは明確なものでなか

ったから、まずは確認する事だ。

 ナースステーションを過ぎ、由乃の入院している病棟とは、反対側の病棟に向かう廊下

を進む。すると、程なくして入院患者の後ろ姿が見えた。

(ふむ……しかし、何やら見覚えのあるよう、な?)

 白いガウンを羽織った、その後ろ姿に、どこか記憶を刺激するものがある。肩まで伸ば

した髪の毛――ふわりとした感じでもないし、どこかはねた感じでもない。

 足音を忍ばせ、近付いて行くとすぐに、恭也はその後ろ姿の女性の名前に行き着いた。

それも、意外と簡単に。

(何とまぁ……同じ病院に入院していたとは、な……)

 更に近付いて、恭也はその名前を呼んだ。

「江利子さん」

 ぴくり、と肩が動き、一瞬遅れて振り返ると、江利子はリリアンの生徒達が見たら、

(まぁ、黄薔薇さまもあんなお顔になる事があるのですね)

 と言うだろう、珍しい顔になった。信じられないものを見たかのような、呆気に取られ

た表情になっている。

「きょ、恭也さん!? ど、どうしてここに?」

 江利子が上げた素っ頓狂な声に、恭也は苦笑した。

「島津さんが入院していると聞いたので、その見舞いですよ。支倉さんも向こうにいます

が……まさか、江利子さんもここだったとは」

 言うと、今度は江利子が苦笑する。

「あぁ、それは……ここで話すのも何ですし。病室に来ませんか、恭也さん?」

「いいんですか?」

「ええ。蓉子も聖も薄情で、見舞いにも来ないし……誰か来ないと、退屈で退屈で」

 一体どこが病人なのか、と疑うくらい元気な江利子は、ほとんど恭也の腕を引っ張るよ

うにして、自分の病室へ連れて行った。

 程なくして病室に着くと、江利子は恭也に椅子を勧め、自分はベッドの縁にそっと腰か

ける。ふぅ、とひとつ溜め息を吐き、

「恭也さんにこの姿を見られるなんて、思いもしなかった」

 笑いながら言う。

「しかし、一体どこが悪くて入院したんですか? 見た限りでは大事なさそうですが」

 恭也の問いに、別に丁寧な言葉なんか使わなくてもいいのに、と思いつつ、江利子は顛

末を話す事にした。

「本当はね、身体そのものはどこも悪くないの」

「?」

「……その、ね」

「はい」

「……親知らず、抜いたの」

「はぁ、親知らず……えっ? 親、知らず……ですか?」

 恭也は、入院するくらいだから余程どこか痛んだのだろう、そんな想像はしていたが、

これは全く予想外だった。

「生まれてこのかた、歯医者のお世話になんか、なった事なかったのに……」

 それと今度の入院が、一体全体どう結びつくと言うのか。親知らずで入院など、少なく

とも恭也は聞いた事がない。

 

 

 

 

 

 話を聞いている内に、どうやら事の次第が恭也にも飲み込めてきた。

 生えてきた親知らずだが、学園祭の前後は何の自覚症状もなかったのに、その後急速に

痛みが増したらしい。

「この年齢(とし)で歯医者さんが嫌い、なんて物笑いの種だし……でもあのドリルの音が嫌だっ

たから、一度行ったのに、結局中に入れなかったの」

 更に、家族にも隠していたのが災いしたようだ。しまいには熱が出て腫れ上がってしま

い、うんうん言ってるところを父親に見られたそうな。

「それは……人の事は言えないですが、自業自得かと……」

「そうは言うけど、恭也さん? 私、歯医者がどうしても怖かったのよ」

 ともあれ。見られたまでなら、まぁどうと言う事はない。普通だったら、何故黙ってい

たんだとか、散々叱られた末に歯医者へ――そんなものである。が、ここから先が面白い

やら何やら。江利子の父親は、熱で唸っていた彼女を見て、なんと自分がパニックになっ

てしまい、あろうことか救急車を呼んでしまったのだ。

「で、運ばれた先がここだったの」

「はぁ……」

「ここは歯医者さんもあったから、すぐに抜いてもらったのはいいんだけど……お父さん

って、町内会長なんかやってて見栄っ張りだから、とんでもない事言い出して」

「と、言うと?」

「救急車呼んでしまったから、熱が下がるまで帰るな、入院してろ……ですって」

 恭也、あまりの展開に言葉なし。とにかく江利子は父親に押し切られ、熱が下がってか

らも検査の名目で――細菌によって別の病気が併発する恐れがある、という話だったが、

詳細はよく分からない。何しろ父の話だから――入院生活をしていたのだとか。

「……まぁ、心配してもらえないより良いのでは、と思いますが」

「そうかしら?」

「そうですよ……ところで」

 ふとテレビの横、深皿に無造作に盛られた、いくつかのりんごに目が行く。

「あ、それはこの前、お兄さん達が持って来てくれたの」

「ふむ……少し待っていてくれますか?」

 言うと、恭也は病室を出て行く。江利子が黙って待っていると、しばらくしてどこから

借りてきたのか、小皿とつまようじ、そして果物ナイフを持って来た。

 準備を済ませると、りんごを取り出して皮を剥き、手際よく切り分けて小皿に。

「恭也さんって、手先が器用なのね」

「この程度なら。さあ、どうぞ」

 勧められて、素直にりんごを取りかけた江利子だが――

「んー、恭也さん? 病人に食べさせてくれないんですか?」

 いたずら心が湧いて出てきた。恭也が少し困った表情になるのに構わず、あーん、と口

を開ける。このくらいは役得でしょ、などと思いながら。

 すげなくしてもすねられると思ったか、それとも別の何かが働いたのか、恭也はひとつ

溜め息を吐いて、りんごをすっと差し出してやる。しゃくっ、とした歯応えと共に、江利

子はりんごの味を噛み締めた。

「んー……美味しい。誰かに食べさせてもらうのがこんなに美味しいって、新鮮。うちの

お父さんもお兄さん達も、散々私の事構うくせにこういう事が出来ないんだから」

 言うと、またあーんと口を開く。恭也は、苦笑しつつもりんごを江利子の口に運ぶ。そ

れにしても傍から見ると、恋人に甲斐甲斐しくりんごを食べさせてやる彼氏、という構図

そのままだ。

(うふふ……後で、蓉子と聖に自慢出来そうだわ)

 江利子はほくそ笑み、恭也の切り分けたりんごを全部食べてしまった。それで満足する

かと思いきや、さにあらず。

「恭也さんに会えて良かったわ。ね、しばらく話し相手になってくれません?」

 それから夕食時まで、江利子は恭也を相手に談笑の時間を楽しんだとか。

 

 

 

 

 

 恭也が帰ってから――知人の神父さんに頼んで、ひと晩泊めてもらうそうな――江利子

は少し考えるところがあった。

(そういえば……ここって、総合病院だものね)

 元々、恭也が来たのは由乃の見舞いが目的だったのだ。そう考えるとこの偶然には、い

くら感謝してもいいくらいである。それはともかく。

(令か由乃、あるいは両方……恭也さんに好意を持っているわね)

 第一印象こそ取っ付きにくいが、いざ懐に入ってしまうと、その包容力はそこいらの男

共より、はるかに大きい。こういう人は、周りにそうそういない。

(ライバルが増えそうだけど……それはそれで面白くなるかしら……ふふふ)

 はっきりした事が、ひとつある。どうやら黄薔薇さま――鳥居江利子は本格的に、恭也

に〔照準〕を定めたようだ。








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