〜リリアン女学園高等部文化祭にて〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リリアン女学園の学園祭当日。

 年に一度だけ、一般の人がこの学園に入る事の出来る日だ。常日頃の清閑さが、この日

ばかりは喧騒と活気に変わる。

 各学級、各部活、同好会の出し物が華を添え、参加する皆が、大いに盛り上がる日だ。

そんな学園祭の賑やかさから、少しばかり距離を置いた古い造りの温室の中に、恭也と蓉

子、江利子、聖の姿を見る事が出来る。

 そこは奇しくも、昨日の出来事の後、祐巳が祥子を見つけた場所だった。もちろん、四

人はその事を知らない。

「ちょっとひと休み、ってね」

 数個、植木鉢を置いてある木製の長椅子の空いた場所に腰かけて、聖がにかっ、と笑う。

「多少壊れている箇所もありますが、手入れがよく行き届いていますね。保存を訴える生

徒がいる、と言うのも頷けます」

 恭也が室内を見渡して、それまで聞いた話から率直な感想を述べると、

「急いで壊しちゃうほどの必要もない、って理由もあったりするんだけれどね。何せ、無

闇に敷地が広いから」

 江利子が、くすくすと笑って種明かしをする。

「でも、こうした所で息抜きするのも良くなくて?」

 蓉子が、座ったところの隣に置かれている、名もなき花の葉を少しくもてあそびつつ、

柔らかな笑みを浮かべた。

 雅楽同好会のメンバーと共に、学園祭の始まった高等部に入った恭也は、早速三薔薇さ

まに拉致され――と言えば失礼に当たるだろう。三人は久我講師に伺いを立てて、その承

諾を得たのだから――大いに冷やかしを浴びつつ、校舎の中へと連れられて行ったのであ

った。

 舞を舞う恭也も『シンデレラ』を上演する〔山百合会〕も、準備の為に楽屋代わりの更

衣室に集合する期限が午後十二時半。それまで二時間ほどは余裕がある。

 そんなわけで、三薔薇さまの学園祭ガイド、という豪華な特典を独占した恭也は、あち

こちを引っ張られるがままに歩き回り、最後にこの温室に落ち着いたのだ。

 さて、最初の内はどのクラスの出し物が面白い、などという話だったのが、すぐに方向

性が変わってきた。

「やー、それにしても、先手を打てて良かった良かった」

「そうね。高町さまと柏木さまが、昨日初顔合わせだったのが幸いしたと思うわ。それに

祥子の事もあったから」

「うんうん。どっちにしても、アドバンテージはこっちにあるし」

「柏木さまが〔ああいう人〕だと分かったからには、その魔の手から高町さまを守らない

とね」

「そうそう、あんなえせ両刀使いに、高町さんを渡してたまるか」

 妙なところで怪気炎を上げる江利子と聖に、恭也は何とも言えない表情で天を仰いだ。

と言ってもその視界には、吊り鉢がいくつか目に入る以外は、温室の古びた屋根の部材し

か映るものがない。

「江利子も聖も、そのくらいにしなさい。恭也さんが困ってらっしゃるわ」

「なぁーにを言ってるか、蓉子。ああいうタイプは、放っておくと何をやらかすか分かっ

たもんじゃない」

 蓉子に聖が噛みついていく。

(何と言うか……俺にそういう趣味はないんだが……)

 恭也は苦笑し、肩をすくめた。もっとも、恭也自身が同性愛者の存在そのものを否定し

ているのか、となると、必ずしもそうではない。

(その人の好みの問題で、俺がとやかく言う事ではないからな)

 ただ、それが自分に対して向けられるのはごめんこうむりたい。そういう事なのだ。

 何にせよ、祥子と柏木の件はもはや、二人の今後の心持ち次第である。その事は、三薔

薇さまも良く理解しているところだった。

 

 

 

 

 

「高町さま」

「はい」

「昨日はあの事があったから、聞かなかったのですけれど」

「はい」

「もしかしなくても、何かたしなんでいますよね?」

 江利子の問いに、恭也は思わず蓉子に視線を向けたが、蓉子はわずかに頭を振っただけ

だった。

(という事は、鳥居さんの勘によるものか)

 恭也は、肩をすくめてそれに答える。

「はい。古流の剣術を少々。そう言う鳥居さんは、何か?」

「いえ、私は何も。でも〔妹〕の令が剣道をしてるから、それで見る目は養ってるつもり

なんですけれど」

 くすくすと微笑む江利子に対して、

「何もしてないけれど、江利子は一度見たものなら、大抵のものは出来るからねぇ」

 聖が茶化し気味に割り込む。

「あら、高町さまに出来て私に出来ないものは、いくつもあるわよ。高町さまの雰囲気は

独特だし、蔦子さんの件に昨日の事でしょう? そして舞……」

 そう言う江利子の瞳が、心なしか潤んでいるように見えて、恭也は一瞬どう応えればい

いやら分からなくなった。

(ふふーん、江利子はそういうとこから斬り込むか)

 どうやら江利子は、恭也に出来て自分が出来ないところを見出し、そこに惹かれてきて

いるらしいと、聖は当たりをつける。

 蓉子は恐らく、恭也の存在感そのものに大きな魅力を感じているのだろう。

(私は、どうかな……恭也さんの内側にある〔何か〕が、まだはっきりしてないし)

 今のところ、聖は恭也にやはり大きな魅力を感じつつ――そういう意味では一歩を踏ん

でこそいるものの、まだ〔そこ〕で止まっている。かつて受けた〔姉〕の忠告が、一種の

ブレーキとして聖に歯止めをかけているのかもしれない。

 ともあれ、はっきりしているのは、

(恭也さんを、嫌いにはなれそうもない)

 その事だった。もうひとつ、

(んー、いつまでも〔高町さん〕って呼ぶのも、なんか他人行儀で嫌だな……)

 自分で不思議に思うのだが、こんな事を異性に対して感じたのは、初めての事だ。今度

は、歯止めが効きそうにない。

「高町さん」

「?」

「その、さ……いつまでも名字ってのも何だから、名前で呼び合ってみないかな? 蓉子

だけってのも不公平だし」

「私も同感。それに、堅苦しく呼び合うのは面白くないわ」

 江利子の援護射撃もあって、聖がにんまりとなると、恭也は憮然とした表情になり損ね、

頭を心持ち傾けて、また起こす。

「……いいんですか?」

 二人とも頷いたのを見て、恭也はふと、

(何と言うか……この三人に流されているな……俺)

 そんな感慨を抱く。だが、元々女所帯と言えばおかしいが、そういう環境の中で暮らし

ているだけに、これと言って抵抗も覚えなかった。

 むしろ、一種の心地好ささえ感じつつ、恭也は呼んだ。

「聖さん……江利子さん……」

「はい、恭也さん。もしよろしければ、呼び捨てでも」

「いや、流石にそれは……」

「あははは、困ってる困ってる」

 

 

 

 

 

 三人同じ分だけ、少しではあるが恭也との距離は縮まった。蓉子も江利子も聖も、不思

議とその事に嫌な思いは感じない。

 心なしか、恭也の表情は今までよりも暖かみを増しているようにすら思える。最初の内

感じた厳しさが、いかに表面的なものであるか――そう見えていた、いや、そう思ってい

た――海鳴大の学園祭の時に垣間見た、高町家の〔家族〕が恭也に寄せるものを、三人は

理解出来てきたように思っている。

 それからしばらく取りとめもない事を話して、四人は温室を後にした。まだ集合時間に

は三十分程の余裕があったものの、上演の順番としては恭也の方が先になるので、装束の

着付けの時間なども考えると、そろそろ戻った方が良さそうな時間になっていた。

「どうせなら、このまま恭也さんと一緒に、もっと歩きたいけど」

「上演がなければ、迷わずそうしていたわね」

「でも、少し早めにご飯を食べておいて正解だったわ。今頃食べていたら、私たちが遅刻

して、みんなに示しがつかなくてよ?」

「それもそうか。でも食べたと言えば、〔桜亭〕は面白かったわね」

 面白かった、と言う江利子に、つい数十分前の出来事を思い返して、蓉子も聖も笑みが

こぼれる。

 温室に落ち着く前に、二年桜組の〔桜亭〕でカレーライスなど食べて来たのだが、その

時の桜組は蜂の巣をつついたような騒ぎだった。しかも、カレーを食べた時の恭也の舌の

正確さには、居合わせた全員が唖然としたものだ。

「さすが、〔翠屋〕の後取りさんだよねー」

 聖がまるで、我が事のように恭也をべた褒めすると、恭也は何故か渋い表情をして押し

黙る。

「あ……あ、れ……?」

 これには、流石の聖も大いにうろたえた。ちょっと、どうしていいのか分からなくなっ

てしまう。

(な、何か恭也さんの気に障るような事、言っちゃった?)

「ああ……いや、聖さんは悪くないんです」

 聖の内心を理解したかのように恭也が繕うが、それだけで納得がいくようなものではな

かった。

「……少し、昔の事を思い出して……」

「昔の、事?」

「何かあったの?」

「その……私達に話せないような事なら、無理にとは申しませんわ」

 結局、恭也は〔昔の事〕を恥ずかしげに――ごく簡単に語る。聞いた三人とも、それを

聞いて一様に呆気に取られた。そして。

「っくっくっくっ、あっはっはっはっ!」

 聖が堪えかね、大声で笑う。聖ほどではないが、江利子も笑い声を抑えられず、お腹を

抱えてしまっている。

「そ、そういう事だったのですね……」

 蓉子だけが、笑いながらも辛うじて、恭也に受け答えしている。

 恭也は幼い頃から、その味覚の正確さに定評があった。それが存分に発揮されたのは、

父親の士郎と結婚した桃子が、念願の喫茶店〔翠屋〕を開店してからだった。

 いくつかの新作ケーキを試食した恭也は、桃子に対して的確な味覚を証明し、店のメニ

ュー確立に文字通り貢献したものである。

 だが、しかし――

 この味覚の才が、恭也自身を知らぬうち窮地に追い込み、果ては甘いものの苦手な体質

に変えてしまったのである。これを皮肉と言わずして何と言おうか。

 恭也は、まだ憮然とした表情を崩さず、三薔薇さまになだめられるような格好になり、

ようやく普段の調子に戻る頃には、それぞれの着替え場所に着いてしまっていた。

 この時、時計の針は午後十二時十分を指している。

 

 

 

 

 

 学園祭などで体育館が使われる場合、花寺学院、あるいは他から応援に来た男子は体育

準備室で着替えを行う、という事になっている。当然の事ながら、リリアンの体育館に男

子更衣室なるご大層な部屋は、存在しない。自明の理、と言うものである。

 恭也が、おっとり刀に近い状態で体育準備室に入ると、田丸と、そして柏木が何事か話

していた。柏木が恭也を見て声をかける。

「昨日は騒動に巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした」

「いえ」

 昨日の事を、恭也は同好会のメンバーには何も話さなかったのだが、田丸の表情から察

するに、柏木もどうやら特に触れていなかったようだった。昨日の内に、柏木は三薔薇さ

まから事情を聞いたのであろう、恭也に対する言葉も、それなりに整ったものである。

 田丸は要領を得ない表情で、

「一体、何があったんだ?」

 聞いてきたが、

「まぁ、ちょっとした事です。実は、俺も詳しい事が分からないまま、巻き込まれたよう

なものなので」

「ふぅん……まぁいいか。とりあえず時間前に来た事だし、早いけど着付けを済ませてお

こうか。手伝うよ」

「お願いします」

 恭也は、普段着を着た状態で正面から見ている限り、胸板こそそれなりに広いが、決し

て筋骨隆々という風には見えない。

 しかし、それが見かけだけなのは、上着を脱いだだけでも充分に分かる。恭也はその身

体が人目につくのを極端なまでに避けている。もっとも、最初に教えを乞うた渡会氏や、

着付けを手伝う田丸には、その身体に刻まれたものの〔ごく一部〕を、知られてしまって

いるのだが。

「やれやれ……お前さんのそれ、いつ見ても背筋が寒くなるなぁ」

 すると一体どこに興味をそそられたのか、柏木がおもむろに近付いてきて、

「凄い……傷はともかく、引き締まったいい身体だ……」

 恭也の腕を何気にさすり始める。

(おいおい……うっとりしたような口で言わんでくれ……)

 半ばうんざりしたような表情を見せつつ、すぐに(ほう)と袴を身に着け、この上に裲襠(りょうとう)と呼

ばれるものを着て帯を締める。本来は顔を、金色龍頭の魁偉な面で覆うわけだが、今回恭

也は面を着けずに、天冠(てんかん)と呼ばれる一種の冠を被り、面を見せて舞う事になっている。

 着付けを終えた恭也を見た柏木は、唖然とした表情を隠さなかった。それを見る田丸は

くつくつと含み笑い。

 恐らく、舞楽の装束を着せて恭也ほど、

(素面でも形が決まる)

 人材はそう多くないだろう。雅楽同好会が、一時期恭也に何度も入会を打診した所以(ゆえん)

ある。流石に強制は出来なかったが。

「いやぁ、凄い」

「それは、どうも……」

 半ば呆けたような柏木の賞賛に、かなり居心地の悪い気分を味わいつつ、恭也は返答す

る。〔薔薇の館〕で最初の内感じたそれとは、質が全然違う。

 しかし、その居心地の悪さを長く味わう事も、その必要もなかった。と言うのも――

「田丸君、高町君?」

 ノックに続いて、準備室の扉越しに久我の声が聞こえた。

「そろそろ時間だけど、準備はいいかしら?」

 開演の時間――午後一時。海鳴大の学園祭の時と、全く同じ時間だった――が迫ってい

たからである。恭也は安堵感を内心に秘めつつ、柏木に目礼すると田丸に続いて準備室を

後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 雅楽同好会の演奏開始を五分前に控えた頃、更衣室に駆け込んだ二人の影があった。

「どこに行っていたの!? 十二時半までに集合って言ったでしょう!」

 蓉子が、普段の雰囲気からはちょっとイメージし難い怒声を放つ。

「お姉さまったら、まるで『白雪姫』のお妃さまみたい」

「遅れたら、まずごめんなさいでしょう?」

「ごめんなさい」

「ごめんなさい」

 その二人とは、紅薔薇のつぼみこと小笠原祥子、そして福沢祐巳の二人だった。

「急に気が変わったかと思って、気が気じゃなかったのよ。二人そろって消えちゃったの

かと思ったわ」

「まさか」

「でも、これでひと安心ね」

 蓉子は、『シンデレラ』で扮する王妃の舞台衣装を着たまま、一足先に更衣室を出て行

く。公演を依頼した、海鳴大の雅楽同好会の紹介をしなければならなかったからだ。

「さぁ、急いで準備するのよ。そうでないと、折角呼んだ雅楽同好会の演奏を見逃してし

まうわ」

 義母の衣装を着けた江利子が号令をかけ、

「と言っても、終わってないのはこの二人だけだけどね」

 聖がツッコミじみた事を言って、からからと笑う。

「あ、そうだわ。祐巳」

 祥子が部屋の隅から取り出したるものは、一見何の変哲もない紙袋。しかしてその中身

たるや。

「新品でなくて悪いけれど、良かったら使って」

「祥子さまの……」

 渡された袋の中身は、まことに豪奢なシルクのブラジャー、であった。祐巳が〔小道具〕

として渡されたそれを見て、妙な気恥ずかしさを感じていると、業を煮やしたのか、

「ああっ、もどかしいわねぇ! みんな……押さえつけて、着けちゃえ!」

 トンでもない命令を江利子が発してのけた。

「ちょ、ちょっ、たた、助け、って、きゃーっ!!

 この辺りは諸賢の想像力――あるいは妄想力――に委ねる事として、一応これだけは書

き留めておきたい。

 哀れ、祐巳が普段愛用のコットンブラジャーは、寄られたかられ無残にも(?)剥ぎ取

られた挙句、

(すっぽーん)

 宙を舞ったとさ――そうそう。王様の衣装をまとった聖が、ここぞとばかりに〔主導的

役割〕を果たしたとか果たさなかったとか、とりあえず余談までに。

 そんなこんなの騒動もありながら、祥子と祐巳の着付けは進む。

「ところで、二人とも何してたの?」

 聖が興味深げに、祥子と祐巳に今までの事を聞くと、何とも微笑ましい答えが返って来

たものだ。

 二人は科学部や手芸部、美術部と回り、次いで写真部では、エースの武嶋蔦子に記念写

真を――そう。祐巳にとっては、総てのきっかけとなった出来事を、文字通り〔切り取っ

た〕写真、それも特大パネルの前で――撮ってもらい、その後は〔桜亭〕でカレーライス

を食べてきたのだそうな。

 聖と江利子は呆れたような表情を見合わせて、それから笑った。何の事はない。祥子と

祐巳がしたのと似たような事を、先に彼女達は恭也を相手にやってのけてきたのだから。

 そしてようやく祥子と祐巳の着付けが終わると、聖と江利子が真っ先に更衣室から出て

行く。

「さぁ、体育館に行くわよ。急いで急いで」

 龍笛の、清冽な音が吹き抜ける。雅楽同好会の演奏は、既に始まっていた。




祥子と祐巳の方は問題ないみたいかな。
美姫 「原作通りって感じよね」
だな。恭也と三薔薇様たちの方も午前中は楽しんだみたいだし。
美姫 「いよいよこれからが本番って訳ね」
ああ。果たして、どうなるのか。
美姫 「それでは、また後ほど」



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