〜蘭陵王舞 海鳴大学園祭〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第三話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 演奏終了後、久我講師を呼び止める声があった。

 呼び止めたのは、山村である。

「雅楽部の先生でしょうか?」

「はい、そうですが……と言っても、同好会ですけれど。あの、何か?」

「ええ、その前に……」

 山村は自己紹介代わりに、一枚の名刺を手渡した。

「まぁ、あのリリアン女学園の教師なのですか?」

 久我は驚きを隠さないでいる。

「まさか、リリアンの方が見に来て下さっていたとは、知りませんでしたわ。おいで頂き、

ありがとうございます」

「いえ、大変素晴らしい舞を見せて頂きましたし、海鳴に来た甲斐がありました」

「それにしても、一体どんないきさつで、こちらに来たのでしょう?」

 久我が聞くと、山村はちょっと苦笑じみたものを顔に出し、

「水野さん、佐藤さん、鳥居さん。いらっしゃい」

 呼ばれて来たのは、蓉子、聖、江利子の三薔薇さま。三人それぞれ久我に簡単な自己紹

介をすると、山村が本題に入った。

「実は、いずれリリアンでも学園祭をするのですけれど、先程の舞楽でしたね……それを

我が校で、催して頂く事は出来ませんでしょうか?」

「えっ?」

「もちろんこちらの方でも、学園側に話を通さないとならないのですが、もし許可が降り

た暁には……」

 久我は、いささか唐突とも言えるこの申し出に、目を丸くした。まさか、こういう形で

公演の依頼が来ようとは、思いもしていなかったのである。

「そ、それは、私としても願ってもない事ですけど……でも、舞楽でしたら他にも著名な

大学の雅楽部はありますし……」

 すると、山村は更に苦笑の度合いを大きくして、

「久我先生。実を言いますと、今度の話は私の方から出たのではなくて……」

 言いつつ、三薔薇さまの方をちらりと見やる。

「公私混同もいいところですけれど……この三人が、今回舞を舞った高町さん、でしたか。

彼と知り合いだそうで」

 それぞれの表情を見せる三人を見て、久我は何かをおぼろげながら、理解したような表

情になった。思わず笑みが漏れてきそうになるのをこらえて、彼女たちに問いかける。

「今更な気もしますけど、一応確認させて頂くわね。うちの同好会は、あなた方の招待を

受けるだけの価値が、あるかしら?」

「私は、是非お呼びしたいと思っています。実際に見て、心からそう思いますわ」

 真っ先に答えたのは、蓉子だった。泰然とした物腰の内側では、今や〔言い出しっぺ〕

の聖に負けず劣らず、恭也を是非とも招待したいという気になっている。

「来て下さればきっと、今年の学園祭は面白くなると思います」

 江利子が、いかにも興味深げな微笑を見せる。恭也がリリアンで舞った時に何が起きる

のか、それが彼女としては非常に楽しみのようだ。

「私も二人に同感。これほどのものだとは、思ってもみなかったし」

 聖が、真面目な表情を見せる。彼女からしても恭也の舞は、冗談抜きでとんでもなく素

晴らしいものだった。もう一度、今度はリリアンで見たい――そう思う。

 三薔薇さまの答えを聞いて、満足気に頷く久我。

 ステージの上では新たな出し物が始まっていた。海鳴大剣道部による、一連の演武(えんぶ)であ

る。こちらも見る事になったのだが、

(こっちも呼んだら、面白くなるかしら……んー、でも何か物足りないわね……)

 江利子の考えた事が、部の面々に罪はないものの、結局は三薔薇さまの総意、という事

になってしまったようである。唯一、恭也の親友である赤星の剣舞のみが、強い印象を彼

女達に与える事が出来たとは言え。

 

 

 

 

 

 恭也が雅楽同好会の部室から出た頃には、演奏が終わってから一時間近く経っていた。

「舞人専門でいいですから。幽霊部員でも構いません、お願いします」

「い、いや……そう言われても……」

 それこそ、同好会の勧誘に困り果てたものだ。全力を尽くして、まずは自分にとっても

最良の結果を得たまでは良かったのだが、ある意味それがいけなかったのかもしれない。

 後日、改めて返事をするという事でその場を何とか切り抜けると――何の事はない。要

は、逃げ出したのだが――携帯電話で美由希と連絡を取り、合流場所を学生会館の前とし

た。皆の案内役は引き続き、忍に任せている。

 外に出ると、陽の光がやけに眩しく思えた。相も変わらず晴れ渡っている。午前中に比

べると、往来はそれほどでもなくなってきている様に見えたが、やはり人は多い。

(皆、剣道部の演武も見ただろうな……)

 剣道部の出し物である演武には、当然赤星が参加している。風芽丘の頃も、彼の演武は

その激しさ、流麗さにおいて、並ぶものがなかったくらいである。試合においては、今更

言うだけ野暮というものだ。大体が、恭也が扱う〔剣術〕に、剣道で良い手合わせが出来

る者など、そうはいないのである。

 ともあれ。

 歩く事しばし、学生会館が見えてきた。遠目に美由希達と三薔薇さま達が、あれこれと

談笑しているのが見える。

(こうして見ると……不思議な構図だな……)

 ふと、思った。三薔薇さまとは、これまで全く接点と言うものが存在していなかった。

それがどうだろう。今やあっと言う間に、美由希達と打ち解けてしまっている。

 と、最初はその談笑の影に隠れて見えなかったものが、ふとした拍子に恭也の視界に入

ってきた。

 桃子、久我、山村の三人が、何やら話し込んでいるように見える。

 そこはかとなく嫌な予感がした。

 人間、良い予感よりも悪い予感の方が、より多く当たると言われている。これといった

根拠こそないが、ある意味普遍的と言えるこの法則に、どうしても当てはまるような気が

してならない。

 遠ざかったところで、どうせ一時しのぎの現実逃避にしかならないのは、本能がよく理

解するところである。

(仕方ない。何が出てくる事やら想像もつかんが……行くか)

 こんな表現をするには相当に大げさだが、ある意味覚悟を決めて、恭也は合流を果たし

た。みんなこぞって、恭也を囲む。

「恭ちゃん、お疲れ」

「師匠、お疲れ様でしたっ!」

「お師匠、お疲れ様ですー」

「高町くん、かっこよかったよ」

「凄かったですよぉ、恭也さんの舞」

 口々に上る褒め言葉に、恭也はちょっと戸惑った。

 複雑な表情が表に出ていたのだろう、ひとしきり落ち着いたところで、蓉子が控えめに

声をかけてきた。

「高町さま、どうかなさったのですか?」

「あ、いえ……」

 江利子も声をかけてくる。ちょっといたずらっぽい表情をして。

「変に壁を作るような場面でも、ないと思いますけど?」

 屈託もなく自分の顔を見上げてくる江利子に、恭也は眩しさを覚えた。

「あぁ、その……褒められるのは、苦手と言うか、あまり慣れていないもので……」

 憮然とした表情で言う恭也に、

「年上の人に、こんな事言ったらいけないかもしれないけど……高町さんって……かわい

いんだね」

 聖がおもむろに言ってのける。

 言われてぬぅ、と唸ったきり、恭也はますます憮然となった。見ていた皆が笑う中、聖

が笑顔のまま両手を合わせて〔ごめんね〕のジェスチャーを取る。

 さしもの恭也も、これには形無しだった。

 

 

 

 

 

 学園祭が滞りなく終わり、赤星や忍、那美も交えて高町家で打ち上げをしてからも――

三薔薇さまと山村は、翌日に差し障らないように、後夜祭を見ず帰っていた――恭也の感

じた〔嫌な予感〕は残り続けていた。

 雅楽同好会の顧問と、リリアンの教師を交えて何かしら話していたらしい桃子は、結局

今になっても、その内容について口に出していない。

 それとなく聞いてみたのだが、

「えっ? 特にこれといった話はしてないわよ」

「そうか……」

「あ、そうそう、恭也」

「うん?」

「山村先生だったかしら、あの人と話した事だけどね。やっぱり向こうの新聞部に、恭也

の舞の記事、載せてもらおうかって」

「……ちょっと待て、母」

「うふふふ。冗談よ、冗談」

「そうでなければ困る」

 こんな感じで、はぐらかされるのがオチだった。

 夜も更けた。空は薄く雲がかかり、月の光は降りて来ない。

 今は、自分の部屋の前の縁側にいる。学園祭の初日に至っても続けていた日課を、今宵

は止めた。

 剣士として、影の世界で戦う防人としての鍛錬。しかし、たまに休むのも、決して悪く

はないはずだった。

 未だ完治していない右膝を酷使しながらの鍛錬が、主治医のストレスをやたら増加させ

ている、という自覚だけは十二分にあったから、せめて今くらいは――

(……なんて事を思うくらいなら、ちゃんと定期的に診察を受けに来なさい、そう言われ

るな……)

 苦笑がにじみ出てきた。

(そう言えば……)

 今はイギリスにいる姉的存在――光の歌姫――フィアッセ・クリステラも、自分の膝の

事をよく気にかけていたものだ。それは今でも変わらないが。

(我ながら、困った性分だな……分かっては、いるのだが)

 放っておくと、ますます自嘲的になりそうだった。

 縁側から視線を向けたその先に、松の樹が一本ある。夜目に影となってたたずむ、その

枝のひとつが僅かにかさり、と揺れた。目を凝らして見ると、一羽の鳥の影が見え隠れし

ているのが分かった。

 再び動きが止んだのを見届けると、何か思い出したのか、浅く息を吐く。

(とにかく、舞は三人とも喜んでくれたみたいだし、良しとしようか)

 舞を舞ってから、恭也は特に何かしたわけではない。大学内のあちこちを、美由希達が

忍の案内で回るのに、付いていっただけである。

 何かあったらいつでも動けるように、多少の間合いを保つ――つもりだったのが、気が

付くと蓉子、江利子、聖、三人の傍にいる事が多かった。

(三人とも皆、綺麗だからな……)

 あちこち回っていて、三薔薇さまに声をかけてきた男どもの多いこと。露骨なナンパも

少なくなかったから、その度に視線も鋭くひと睨みで黙らせたり、時には盾として前に出

る事も、一再ではなかった。

 不届き者どもを退散させた後、自分を見る三対の瞳。気恥ずかしさと心地好さの奇妙に

同居した感覚が、また蘇ってくる。ごく軽い胸の疼き。

 出会ってからこの方、三人とも自分を好意的に見てくれている。その事は分かったよう

な気がしていた。

(しかし……)

 結局、分からないのは自分自身がどうなのか、だった。美由希達は、家族として大切に

思っている。忍や那美に対しては友人としての好意。では、あの三人に対してはどうだろ

うか? しばらく考えにふけってみたが、簡単に答えなど出るわけもない。

 また明日から、いつもの一日が始まる。部屋に戻って、ひと眠りしよう――恭也は、こ

れ以上考えない事にした。

 

 

 

 

 

 背中が、大きかった。広かった。どこかしら、誰をも寄せ付けぬような厳しさを感じさ

せ、それでいながら暖かさを覚える。今まで見た誰とも違う、その後ろ姿。

 これまで、常に側にいた異性と言えば、親バカ丸出しの父親と、これまた兄バカ(シスコン)丸出し

の三人の兄。これさえなければ多分、江利子は父と兄達をそれなりに自慢出来ただろう。

(恭也さんが、もし私のお兄さまだったとしたら……)

 何となく想像してみる。もしかしたらリリアンで、黄薔薇さまの素敵なお兄さま、とで

も言われ、もてはやされるのだろうか。普段は無愛想で不器用で、ちょっと厳しく、しか

し優しい恭也。あれこれ言いながらも傍を離れようとしない自分――

(あ……やだわ。そうなったら、今度は私が〔妹バカ(ブラコン)〕になっちゃうじゃないの)

 考えている内に、ひどく滑稽な結論が出てきた。これでは、家の男共の事を言えなくな

ってしまう。

 思わず吹き出した。恭也の背中から、ここまで連想出来る自分がおかしかった。どちら

かと言うと、妄想に近いかもしれないが。

 恭也の、表立ったところだけを見ていてはきっと分からない、いくつもの表情。無愛想

な外見に隠れている、優しい内面。

(次に会う時が、楽しみになってきたわ)

 茫洋とした表情が、いつの間にかほころんでいる。今夜は、気分良く寝る事が出来そう

だった。

 

 安心感、という言葉を現実のものとしてイメージすると、それは恭也さんになる。

 そんな気が、聖にはした。

 大学内を回っている最中、恭也が側にいるというだけで、多くの男どもは近寄って来な

かった。しつこいナンパこそ確かに何回もあったが、それも彼のひと睨みだけで片が付く、

そんな程度でしかなかったのだ。

 異性に対して、これほどはっきりとした安心感を抱いたのは、初めてかもしれない。

(やっぱり、違うなぁ……恭也さんって)

 出し物への勧誘なのかナンパなのか、よく分からないような困った男子に比べると、恭

也の存在感はあまりに圧倒的だった。もっとも、比べる事そのものが、きっと間違いかも

しれないけれど。

 普段は無愛想で不器用な恭也。

(それだけじゃないのよね……それだけじゃ)

 彼がその内側にどれほどのものを抱えているのか、何故か気にかかって仕方がない。傍

にいる時の感覚は、今の〔妹〕とも、かつて別れた友達とも違った。

 心の内に秘めた何か、それが知りたい。彼の優しさを、もっと知りたい。

 聖にその時、自覚があったかどうか。彼女は確かに一歩〔踏み出していた〕のかもしれ

ない。

 

 厳しさ、優しさ、そして『蘭陵王』を舞った時に垣間見えた〔儚さ〕に似たようなもの

――恭也さんは、何を背負っているのだろう。何を心の中に秘めているのかしら――異性

の事を、これほど真剣に考えたのは初めてだった。

 以前〔翠屋〕で父親の事を聞いた時、恭也さんは既に死別している、そう言った。それ

から、きっと色々な事が起こったに違いない。

 もしかしたら、それをひとつひとつ乗り越える為に、恭也さんは多くのものを、その心

の内にひたすら留め、秘め続けてきたのかもしれなかった。

 とてつもなく強い瞳の力、大きくて広い背中、朴訥で不器用な言動。何者も崩せないよ

うな厳しさ、天性とも後天的ともつかない、包み込むような人となり。

 蓉子の心を鷲掴みにして、離さないものがある。

 ふとした時、柔和に細められる視線。そして――江利子も聖も、意見を同じくするだろ

う。あの微笑の、なんと優しく、魅力的な事か。

(心を寄せている人は、やっぱり多いわね……家族やお友達に限らず)

 学園祭での恭也を見ていて、そう思う。そして蓉子には、ある種の確信があった。

(恭也さんと結ばれたら、その人はこの先何があろうとも、きっと幸せになれるでしょう

ね……)

 その〔たったひとつしかない椅子〕に、もしも自分が座れたなら――こんな薄っぺらな

私でも――

 蓉子がその思いの後に、一体どんな言葉を続けたものか。

 

 

 

 

 

 そして皆、新たな日常を迎える。




大学の学祭は無事に終わったみたいだな。
美姫 「恭也も舞楽を無事に終えたわね」
まあ、ちょっと勧誘や何やで困った事にはなってたみたいだけれど。
美姫 「本人はもうやらなくて良いと思っているのかもね」
けれど、あの三人が怪しげに会話していたからな。
美姫 「さてさて、どうなる事かしらね」
うーん、続きがとっても気になる。
美姫 「次回も楽しみに待っていますね」
待ってます。



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