一度だけの出会いが、その人に大きな影響を与える事もあれば、その後何度も会う事で

少しずつ、その人に影響が及ぶ事もまた、ある。

 もとより、たった一度の出会い、ただそれだけの話という場合も枚挙に暇がないし、何

度も会いながら、それが当人に何らの変化すら与えない事も、確かに多いものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜とある出会い〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第三話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「恭也ぁ、ごめん、ちょっと来てぇ」

「了解」

 厨房からの声で、三人はウェイターの名前を初めて知った。

「ふぅん。あの人、恭也って名前なのねぇ」

「恭也、さん……か」

「お? 蓉子ぉ、もしかして、もしかする?」

「な……ちょっと、聖!」

 聖が蓉子をからかうのも、道理と言えば道理だろう。

 蓉子が注文したのは紅茶とケーキのセットだが、それを持って来た恭也は目の前で、紅

茶をティーカップに注ぐ。その間、蓉子は恭也の動きから目を離さなかったのだから。

 それにしても、普段物に動じないと思われていた蓉子のちょっとしたうろたえぶりは、

滅多に拝めないだけに見ものであった。

「そう言う聖も、ぼけぇっと見惚れてたんじゃなくて? 恭也さんの事」

「えっ? あら、ばれてた?」

「ばればれよ、私もそうだもの」

「おっと、江利子もそうなんだ」

「もう……あなた達……」

 結局、混ぜ返って丸く収まる。気を取り直して、スイーツを食べる事にした。

「うぅん、美味しい」

「ケーキも、甘過ぎなくて美味しいわよ」

「カスタードと、生クリームの具合がいいよね。甘過ぎるのはちょっと苦手だけど、これ

ならいくつでも入りそうだよ」

「食べ過ぎて太っちゃうのは、ちょっとみっともないかしら」

「言わない言わない……うん、コーヒーの苦味もちょうどいい感じだね」

「蓉子、紅茶の方はどう?」

「とても美味しいわよ。そうねぇ……私達が時々行く喫茶店、あるでしょう? あそこで

飲んでいた紅茶が、ちょっと霞んじゃうわ」

 江利子と聖は、蓉子のこの台詞にきょとんとした顔を向け合う。いくら恭也に見惚れて

いたからと言って、彼女が極端な、ひいきの引き倒しをするような人となりでない事は、

今までの付き合いからよく分かっている。それゆえの驚きだった。

 厨房から戻った恭也の立ち働く様を見ていると、背筋を伸ばし、足音をうるさく立てる

事もなく、きびきびと立ち振る舞う格好が、いかにも快い。

 愛想がいいとは、決してお世辞にも言えないかもしれないが、落着いた深みのある声、

そして接客時の物腰の柔らかな姿勢が、それを補って余りある。加えて、あの瞳――なる

ほど、蓉子も江利子も聖も、この店が女性客に人気を博す、その理由の一端を確かに知り

得たような気がしたのだった。

「恭也さんもだけど、ここのウェイトレスさん達、きびきびしてるわよね。それでいて愛

想が悪いわけじゃないし」

「言われてみれば……そうねぇ」

「でもさ、あの人が睨みを効かせていれば、嫌でも引き締まるんじゃないかな」

「……んー、そうね。こうは考えられないかしら?」

「何、江利子?」

「ちゃんと働いてれば、あの人に褒めてもらえる、とか」

「あー、それはあるかなぁ」

 恭也を肴に、あれこれと盛り上がる江利子と聖を見て、苦笑する蓉子。

 肴にされた当人は、そうとは知らずウェイターとしての仕事に集中している。三人は、

その様子を飽きる事無く観察していた。

 

 

 

 

 

 折角だから、みんなへのお土産に何か買って帰りましょう、そう言ったのは蓉子だった。

もとより、聖も江利子も異存はない。外を見ると、いつの間にか陽が暮れて来ている。

「ケーキやシュークリームが、本命なんだけれど」

「でも、大体みんなが集まるのは〔薔薇の館〕でしょう? さすがに学園内では、ね」

「無難なところでクッキーかな」

「そうね」

「小さめのものを三袋くらい買えば、ちょうどいいかしら?」

「うんうん」

「本命は、そうねぇ。家へのお土産に買いましょう」

 と、恭也の姿が、いつの間にか店内のどこにもいない。蓉子が代金をまとめて精算して

いる間に、江利子が外に目をやって彼を見つけた。

 バイトのウェイトレスのひとり――多分女子大生だろう、と思われた――と、店の外で

シュークリームやクッキーなど売っている。

「へぇ、外でも売ってるんだ」

「みたいね。色々とやってるのね、このお店って」

「お待たせ……あら、どうしたの? 二人とも」

「ああ、あれあれ」

「店の前でも、ああやって売ってるのね」

 蓉子に立て替えてもらった分を、江利子と聖がそれぞれ返す。と、

「でもさ」

 聖が恭也の方を見て、何気なく口を開いた。

「もしあの人に彼女がいたとしてさ、その彼女、あれを見て余裕でいられるかなぁ。例え

ば、私達の誰かが、あの人の彼女だったとして、さ?」

 厄介な仮定だった。少なくとも、恭也が三人にとって好印象である事は間違いなかった

が、いきなり話が飛躍するのもどうかと思わないではない。それに、これから店を出よう

という時に切り出すような話題でもなかった。

 互いに口をつぐんだまま店を出ると、すぐに恭也の声が三人に向けてかけられる。

「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

 次の瞬間、蓉子も江利子も聖も、時間の感覚がどこかに吹っ飛んだかのような、そんな

錯覚を覚えた。

 何の事はない、それは単なる営業スマイルだった――と言っても、普段の愛想に欠ける

ような感じの恭也の事である。せいぜいが微笑みと言っていい――が、この時の三人は確

かに、程度こそ違え何かに貫かれたような、衝撃と言えば大げさかもしれないが、そのよ

うなものを感じたのだ。

「? あの、何か?」

 恭也が怪訝に思って聞いてくる。

「……えっ? はっ、い、いえ、何でもありませんわ」

 流石と言うべきかどうか、最初に我に返ったのは蓉子だった。

「そう、ですか? ああ、確か、昼頃にお会いしましたね」

「あ、え、ええ。その……あの時は騒がしくしてしまって、申し訳ありませんでした」

「いえ、お気になさらず」

 ここでようやく、江利子と聖が我に返る。

「あ、ええと、昼間は騒がしくてごめんなさい」

「ごめんね」

「いえ、本当にお気になさらず」

「シュークリーム、美味しかったですわ」

「コーヒーも美味しかったよ。もしもここに住んでたなら、きっと毎日でも飲みに来るだ

ろうね」

「いずれまた、必ず寄りますわ」

「ええ、必ず」

「そうだね、ここにはまた来たいし」

 恭也は更に微笑ましげに目を細め、

「ありがとうございます」

 頭を深く下げて三人を送り出す。

「では、ごきげんよう」

「ごきげんよう」

「ごきげんよう、またね」

 

 

 

 

 

 夕闇が、更に深くなりつつある。買い物をする人や、仕事を終えたサラリーマンなど、

様々な人々がそれぞれの方向へとすれ違っていく。

 それは、三人の住む東京でも、ここ海鳴でも変わりはない。何の事もない日常の光景で

ある。

 海鳴駅前へと続く商店街の道を歩きつつ、

「はぁ……あんなの見せられたら、それはリピーターが増えるわけよねぇ」

 江利子がぼそりと呟く。

「あれは、相当反則だね……心臓を鷲掴みにされたような気分だったよ」

 聖が苦笑混じりに応える。そして、

「ねぇ蓉子……って……蓉子、何やってるの?」

 見ると、蓉子は歩きながら息を大きく吸っては吐いている。見ると、頬もかなり上気し

ているようだった。

「え? あ、うん。ちょっと、刺激が強過ぎたかしら……」

「気持ちは分かるわよ、蓉子」

「江利子も?」

「ええ、かく言う私なんか、蓉子が立ち直ってもまだ固まってたもの」

「私もそうだね。あの目で正面切って見られると、吸い込まれそうになるよ」

 三人揃って、大仰にため息を吐いた。次いで、それに何か感じたらしく、今度は同時に

笑い出す。ちょっと片手を添えて、つつましやかに笑う辺り、リリアン女学園に通う生徒

としての自覚を、忘れていない証だろう。

 これからどうなるにしろ、このまま一期一会で済ますには、

(もう、惹き込まれてしまっているのかも)

(あの人……興味が湧いてきたわ)

(んー、もう一度会ってみたい、かな?)

 三人とも、いずれ近い内にまた、この海鳴に来ようと考えている。では、先程聖が口に

上せていた事はどうだろうか。

 蓉子がふと、口を開く。

「そうそう」

「何かしら? 蓉子」

「うん?」

「あの時、聖が言った事……私だったら、やきもちを焼くかもしれなくてよ」

「やっぱり。私がそうだとして……んー、余裕でいられる自信は、ないかなぁ」

「そうねぇ」

 江利子も考えるが、

「もし、あの人と付き合ってたとしてあれを見たら、余裕ではいられないかも」

 結論。やはり、三人とも考えている事は同じだったようだ。

「ふふっ……とりあえず、今回はこれまでね。そろそろ帰りましょうか」

「賛成」

「異議なし」

 蓉子の音頭で、リリアン女学園の三薔薇さまによる海鳴の旅は、ひとまず幕を下ろす事

となった。

 夕闇に、星がいくつか瞬いて見えている。

 

 

 

 

 

 ――夜も、大分更けている。

 日課である鍛錬を終えた高町恭也は、自室の一角に端座し、妹の美由希(みゆき)(実際は従妹で

ある)に関して気付いた事を、一冊の大学ノートに書き留めていた。

 御神真刀流小太刀二刀術(みかみしんとうりゅうこだちにとうじゅつ)なる、古流剣術の数少ない使い手、という〔もうひとつの顔〕

を、恭也も美由希も持っている。そして、美由希の実母、御神美沙斗が立会いの下、御神

の剣を皆伝して後も、恭也は日課としての鍛錬を欠かした事はない。

 美由希が御神の剣を皆伝したのは、クリステラ・ソングスクールの世界一周公演が無事

に終わってから、しばらく時が経った頃の事だった。

 対犯罪組織〔香港(ほんこん)特別(とくべつ)警防隊(けいぼうたい)〕で働く事になった、と言う美沙斗は、その時荘厳な面持

ちで、恭也と美由希を見つめていた。

 美沙斗の右手が振られると、互いに持てる力を出し切った、凄絶な手合わせとなる。突

き、薙ぎ、払い、斬る。踏み込み、蹴りを放ち、時には鍔競り合い、いつ終わるか分から

ぬ程の、果てしのない戦が続く。

 どれだけ時間が経ったろう。共に小太刀の切っ先を、互いの喉元ぎりぎりに突き立てた

瞬間、

「それまでっ!」

 美由希はその時、名実共に〔御神の剣士〕となったのだった。へたり込む美由希を、美

沙斗が安堵の思いを込めて見つめていた。

 そして恭也は、大いなる達成感と、全身に澱む虚脱感――異なるふたつの感慨を、同時

に抱いていたものである。もっとも、翌日無理矢理に連行された病院で主治医に、

「なんてムチャな事をしたんですか!? 折角治る見込みがあると言うのに、ひとつ間違え

たら、冗談じゃなく歩けなくなるところですよ!!

 散々絞られた挙句、春の盛りの数日間を入院する羽目になってしまったのは、それが必

要な事だったとは言え、自業自得としか言いようがない。恭也は、かつて無理を重ねた挙

句、事故に遭って右膝を傷めた事がある。今はその根本的な治療をしているのだが――世

辞にも医者にとって良い患者とは、言えなかった。

 そんな事を思い出しながら、ノートに書いていた恭也の動きが止まる。

(そういう事、なのだな)

 これまでに書いた内容を、クリステラ・ソングスクールの世界一周公演の前辺りから、

見直してみる。変化は、明らかだった。

 それまで、色々と書き込まれていた内容が、次第に少なくなっている。そして、皆伝し

た後の今日――もはや、書き留めるべき事項は殆ど無いに等しかった。

 改めて、ノートを眺める。これまでに、数冊のノートを書き埋めてきた。もしかしたら、

これが最後の一冊になるかもしれない。

 すっかり冷めてしまったお茶の残りを、一気に干す。淹れた時よりもはるかに増した苦

味を感じながら、恭也はノートを静かに閉じた。

 立ち上がって歩き出すと、部屋の障子戸を開けて、縁側に出る。この数日で涼やかさの

増した夜の空気が、恭也の全身を包みながら流れていた。月が出ているのか、庭木の輪郭

が夜目にぼんやりと見えていたが、月そのものを縁側から見る事は出来ない。

 その場に座り込む。あぐらをかいた。目を細めて、ただそこに佇んでいる。

 ふと、今日の午後から夕方にかけての事が、脳裏に浮かんだ。

 初めて出会った、三人の美しい女性。

(俺には、全く縁がないと思っていたが……二度も顔を合わせる事になるとは、な)

 翠屋での三人が、自分の動きに視線を送っていた事は知っていた。だが、それがどんな

理由からなのか、恭也には今ひとつ理解出来かねた。

 彼女達の姿が見えなくなってから、店の前で一緒にシュークリームやクッキーを売って

いたバイトの娘――同じ海鳴大生である――には、あの三人について質問される羽目にな

ったし、〔翠屋〕の主である桃子――かーさんには後で、

「恭也もやるわね、三人共だなんて」

 などと言われる始末。

(今日、初めて会った人達だと言うのに……まぁ、いい。もう寝る事にしよう)

 部屋に入り、障子戸を閉める。この一連の出来事が、後にどのような形で恭也の日常に

変化をもたらす事になるのか、神ならぬ恭也は、全く知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 少し、時間はさかのぼる。

 蓉子が土産に持ち帰り、遅めの夕食の後にデザートとして振舞った〔翠屋〕のアップル

パイは、両親に好評だった。

「これで、店がこっちだったらなぁ」

「本当に」

 蓉子もそれは同感だった。それにしても、これであのウェイター、恭也さんの淹れた紅

茶があったなら、もっと美味しかっただろうに。ふと、そんな事を思うと、途端に頬が赤

くなって来るような感じがする。

(はぁ、せめてと思って紅茶を自分で淹れてみたけれど……どうしてかしら?)

 アップルパイは美味しいのに、自分で淹れた紅茶が、恭也の淹れてくれたそれに比べて

今ひとつに思え、少しばかり複雑な心境だった。

 そして夜も更け、そろそろ寝ようとベッドに潜り込んだが、あの優しげな漆黒の瞳が、

蓉子の心を昂ぶらせる。今宵しばらくは、寝られそうになかった。

 

 片や、こちらは鳥居家。

「これが噂の〔翠屋〕のシュークリームね。確かに美味しいわ」

「そうでしょ、お母さん」

「うーん、いい味だね。あ、そうだ江利ちゃん、今度は僕と一緒に〔翠屋〕に行こうよ」

「こら、それは僕の台詞だ」

「待て! 江利ちゃんは僕と一緒に行くんだよ」

「ええい、お前達は黙れ! 江利ちゃんは、(わし)と一緒に〔翠屋〕に行くんだ!」

「って、はいはい。お父さん達、少しは静かになさい。ゆっくりお茶も楽しめないでしょ

う?」

「母さん、これは大事な事なんだよ」

「そうだよ、誰が江利ちゃんと素敵な旅を楽しむのかが、かかってるんだ」

「だから、江利ちゃんは僕と……」

「お前ら、長幼の序くらいわきまえろ!」

「いいかげんにお黙りなさい!!

「うっ……」

「あ……」

「二度は、言わないわよ?」

 大の大人、それもいい年齢の男四人が、母親の一喝で震え上がる様は、何と言うか笑い

すら取れそうな程、滑稽である。

 家の男性陣がリビングから強制排除されると、江利子はおもむろに今日の事を母に話す。

特に母の関心を引いたのは、〔翠屋〕のウェイターの話だった。

「そうなの……うふふ、江利子も年頃なのねぇ」

「お、お母さん!?

「江利子、興味を持ったのなら、しっかりと見極めてらっしゃい」

「あ……うん、分かったわ」

 

 そして、佐藤家。

 聖は、チーズケーキを土産にしていた。やはり家族には好評で、聖自身もケーキの味を

堪能したものだ。

「うーん、今日は中々いい一日だったかな」

 自室に戻り、海鳴での事を思い出してみる。とにかく、あの青年――恭也の事が、一番

印象に残っている。

 かつてのめり込んだ時とはまた違う、しかし本質的には全く同じ感覚。ふと、自分と別

れる道を選んだ友人の事を思い出す。

(私ね……今、ちょっと気になる人がいるんだ……)

 今感じているものが、本当のものなのか、まだ聖自身にとって判然としていない。だか

らこそ、もう一度海鳴に行って、確かめたい。

 もしも、それによって〔姉の忠告〕を守れなくなったら、という怖さが、ないわけでは

ない。ただ、あの人に会う事で私の中の何かが分かるなら、何かが変わるなら、

「それもまた、いいのかも……ね」

 部屋の窓を開けて、聖は夜空を見上げる。不思議に思った。

 東京の夜空は、こんなに曇っていたかしら。海鳴の夕闇は、星がはっきりと見えたとい

うのに。

 

 

 

 

 

 それぞれの一日は、終わりを告げる。新しい一日を迎える為に。




恭也たちは海鳴で出会ったか。
美姫 「でも、今はまだ顔を合わせたという程度よね」
だな。ここから、再会があったりするのだろうか。
美姫 「うーん、本当に先が楽しみだわ」
うんうん。次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」



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