その光景を目の当たりにした者達は、等しく言葉を失った。

 かつては名城と謳われたニューカッスルの城砦は、惨状を曝していた。生き残った者に絶望を感じさせ、死者に鞭打つ惨状だ。城壁は度重なる砲撃と魔法攻撃で瓦礫の山となり、戦場となった場所の其処彼処に、無残に焼け焦げた無数の死体が転がっていた。

 当初の予定よりも若干早く総攻撃を開始した反乱軍“レコン・キスタ”が、攻城に要した時間は僅かだった。しかし、彼らが落城までに被った損害は、戦闘前に想定していた数字をはるかに上回るものだった。総兵力三〇〇の王軍に対して、わが方は死傷者約五〇〇〇。王軍は三〇〇人全員が戦死したから、損害比は一対一六・七という、驚くべき結果となった。戦死傷者の数だけみれば、どちらが勝ったのか分からないぐらいだ。

 浮遊大陸の岬の突端に位置する城は、一方向からしか攻めることが出来ない。密集して押し寄せたレコン・キスタ軍は、魔法と大砲の斉射を何度も喰らい、大損害を受けた。また、狭い範囲に密集したことにより思うような機動が取れず、そのことがさらに損害を増やした。

 とはいえ、所詮は多勢に無勢だ。大兵力を活かして次々攻め寄せてくる敵兵の猛攻を受け、ついに城壁の一画が突破されてしまう。一旦、城壁の内側へと侵入された堅城はもろかった。

 王軍は、そのほとんどがメイジで、護衛の兵を持たなかった。王軍のメイジ達は、苦手とする白兵戦を余儀なくされ、一人、また一人と討ち取られていった。

 敵に与えた損害は大きかった。

 しかし、その代償として、王軍は全滅した。損耗率五〇パーセント以上、という意味での全滅ではない。最後の一兵に至るまでが戦い、斃れた。文字通りの、全滅だった。

 アルビオン革命戦争の最終決戦、ニューカッスルの攻城戦は、かくして幕を閉じた。

 王軍は、自軍の百倍以上の敵軍を相手によく戦い、自軍の十倍以上にも上る損害を与えた。

 彼らはウェールズ皇太子が企図したように、また、柳也が語り継ぐまでもなく、伝説となったのだった。

 

 

 

 

 

永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:51「零番目の系統……虚無」

 

 

 

 

 

  攻城戦が終わった二日後の朝――――――。

 じりじりと照りつける太陽の下、いまだ死体と瓦礫とが入り混じる中、長身の貴族と、貴族ではないがマントを羽織った男が戦跡を検分していた。猛禽の羽根飾りをつけた帽子をかぶり、アルビオンでは珍しいトリステイン魔法衛士隊の制服をりゅうと着こなしている。

 ジャン・ジャック・ワルド。

 祖国を裏切り、婚約者を裏切り、友をも裏切った、メイジの神剣士だ。

 彼の隣を歩くのは、赤毛のウィリアム・ターナー。ハルケギニア人のワルドに、異世界の超兵器・永遠神剣を与えた人物だ。

 礼拝堂を襲った謎のオーラフォトンの爆撃を凌いだ彼らは、一時戦場を離脱。アルビオンの首都、ロンディニウムで体を休め、再びニューカッスルの戦場跡へとやって来ていた。

 二人の周りでは、レコン・キスタの兵士達が財宝漁りに励んでいた。いわゆる戦場掃除だ。宝物庫と思しき辺りでは、金貨探しの一団が歓声を上げていた。

 長槍を担いだ傭兵の一団が、元は綺麗な中庭だった瓦礫の山に転がる死体から装飾品や武器を奪い取り、魔法の杖を見つけては子どものようにはしゃいでいる。

 二人はそんな様子を流し目に、目的の場所へと向けて歩を進めた。

「……しっかし、いつ見ても嫌なモンだな。戦場掃除っていうのは」

 赤毛のウィリアムが、珍しくしかめっ面で呟いた。

 ワルドは隣を歩く神剣士の聴覚だけを揺さぶるようなか細い声で応じた。

「戦場掃除が初めてじゃないとは……軍隊経験があるのか?」

「あるといえばあるが……正規軍に籍を置いたことは一度もない」

 ウィリアムもワルドにならって小さな声で言った。

「ただ、色な世界を巡って、色んな戦争を見てきたからな。……ここの連中はまだましだ。生きていくことに精一杯の奴らってのは、金になる物だけを取っていく。けど、余裕のある奴は、戦場の記念だって、普通じゃ考えられねぇ代物を盗っていく」

「たとえば?」

「人間の頭蓋骨」

「…………」

「俺が以前暮らしていた世界に、亜米利加って国があった。その国ににはな、スカル・コレクションっていう文化があるんだ。信じられるか? その連中、同じ亜米利加人の頭蓋骨まで収集して、オークションに出すんだぜ?」

「狂気の沙汰だな」

 ワルドは苦々しげにつぶやくと、「着いたぞ」と、立ち止まった。

 そこは、二日前まで礼拝堂であった場所だ。ワルドとルイズが結婚式を挙げようとした場所であり、ウェールズが命を失った場所だった。

 しかし、摂氏三万度のオーラフォトンの熱線を何度も叩きこまれたその場所は、いまや目につく瓦礫さえ乏しい更地となっていた。別段、軍の方で瓦礫を撤去したわけではない。熱線のほとんどはまるで狙いすましたかのようにウィリアムを痛めつけたが、何発かは彼をはずれ、礼拝堂そのものを叩いた。超々高熱の光線に焼かれた礼拝堂は、天井や床の大部分が蒸発していた。

「……二日経っても、まだここは暑いな」

 ウィリアムが額に浮かんだ汗を拭いながら呟いた。

 三万度の熱線に焼かれたその場は、二日というインターバルを置いてなお、冷えてはいなかった。熱気を閉じ込める天井も、壁も蒸発して存在しないも拘らず、だ。全身の汗腺を刺激する熱気に揉まれ、二人は辟易とした様子で溜め息をついた。

 ワルドは呪文を詠唱し、レイピア杖を振るった。小型の竜巻が現われ、数少ない瓦礫を飛び散らす。これも一種の戦場掃除と言えた。

「む?」

 始祖ブリミル像と、長椅子を吹き飛ばすと、ウェールズの亡骸があった。椅子と像とに挟まれていたおかげで、プラズマの熱に直接さらされずに済んだようだ。

 長時間、高温の環境に放置されていたにも拘らず、死体の傷みは少なかった。生前のウェールズ皇太子の寝姿を、そのまま残している。どうしてだろうか、と考えて、ウィリアムは得心したように頷いた。空気が乾燥しているおかげだ。どうやらあまりの熱量が地表に炸裂したせいで、空気中から水っ気が飛んでしまったらしい。

「あったぞ。あの穴だ」

 ワルドの呟きに反応し、ウィリアムは彼の視線の先を追った。

 絵画が転がっていた地面に、ぽっこりと、直径一メイルほどの穴が穿たれていた。ギーシュの使い魔の巨大モグラが掘った穴だ。

 二人が穴を覗き込むと、奥の方から吹く冷たい風が頬をなぶった。どうやら、この穴は空に通じているらしい。

「この穴から逃げたんだったか?」

「風が入ってくるということは、空に通じているはずだ」

「追っても無駄か。連中、今頃トリステインかな」

「おそらくは。タバサの風竜を使えば、トリステインまではあっという間だ。例の手紙は、すでにアンリエッタの手の中だろう。結局、収穫は……」

 ワルドはウェールズの亡骸を見た。

「奴の命だけか」

 そのとき、遠くから二人に声がかけられた。快活な、澄んだ声だった。

「子爵! ワルド君! 件の手紙は見つかったかね? アンリエッタが、ウェールズにしたためたという、その、なんだ、ラヴレターは……。ゲルマニアとトリステインの婚姻を阻む救世主は見つかったかね?」

 やって来たのはレコン・キスタ軍の総司令、オリヴァー・クロムウェルだった。両脇を、護衛の兵士で固めている。

 ワルドはかぶりを振って、クロムウェル総司令に応えた。それから、地面に膝を着き、頭を垂れた。ウィリアムもそれに習う。

「閣下。どうやら、手紙は穴からすり抜けたようです。私のミスです。申し訳ありません。なんなりと、罰をお与えください」

 従容と跪くワルドに、しかりクロムウェルは、にかっ、と人懐っこそうな笑みを浮かべ、彼の肩を叩いた。

「何を言うか! 子爵! きみは目覚ましい働きをしたのだよ。敵軍の勇将を一人で討ち取る働きをしてみせたのだ! ほら、そこに眠っているのは、あの親愛なるウェールズ皇太子じゃないかね? 誇りたまえ! きみが倒したのだ! 彼は、ずいぶんと余を嫌っていたが……、こうして見ると不思議だ。妙な友情さえ感じるよ。ああ、そうだった。死んでしまえば、誰もが友達だったな」

 饒舌に語るクロムウェルの、台詞の最後に込められた皮肉の意図に気がついて、ワルドは僅かに頬を歪めた。しかしすぐに真顔に戻ると、自分の上官に再び謝罪を繰り返した。

「ですが、閣下が欲しがっておられた、アンリエッタの手紙を手に入れる任務に失敗しました。私は閣下のご期待に添うことが出来ませんでした」

「気にするな。同盟阻止より、確実にウェールズをしとめることの方が大事だ。理想は、一歩ずつ、着実に進むことにより達成される」

 それから、緑のローブを纏った総司令は、ワルドの背後で跪くウィリアムを見た。

「ところで子爵、そちらの彼を世に紹介してくれないかね? マントを着ているということは、貴族のようだが」

 クロムウェルに呼ばれて、ウィリアムは僅かに顔を上げた。ワルドと違って、二人はこれが初対面だった。

 ワルドは立ち上がると、クロムウェルに彼を紹介した。

「私の友人です。この場所で敵に囲まれ窮地に陥った私を、たった一人で助けに来てくれた男です」

「ウィリアム・ターナーと申します。閣下」

 ウィリアムはクロムウェルに深々と頭を下げた。

 総司令は莞爾と微笑んで、

「そうだったのか。きみが子爵を助けてくれたのか。……挨拶が遅れたね」

 クロムウェルは胸に手を添えた。

「レコン・キスタ総司令官を務めさせていただいている、オリヴァー・クロムウェルだ。元はこの通り、一介の司教にすぎぬ」

 クロムウェルは自らのいでたちを示して言った。丸い球帽と緑色のローブは聖職者の証だ。

「しかしながら、貴族会議の投票により、総司令官に任じられたからには、微力を尽くさねばならぬ。始祖ブリミルに使える聖職者でありながら、“余”などという言葉を使うのを許してくれたまえよ? 微力の行使には信用と、権威が必要なのだ」

「閣下はすでにただの総司令官ではありません。王党派が滅んだいまではアルビオンの……」

「皇帝だ。子爵」

 クロムウェルは笑った。

「確かにトリステインとゲルマニアの同盟阻止は、余の願うところだ。しかし、それよりももっと大事なことがある。何だかわかるかね? 子爵」

「閣下の深いお考えは、凡人の私にははかりかねます」

 クロムウェルは、かっと目を見開いた。両手を振り上げ、大げさな身振りとともに演説を開始する。高い鷲鼻と紺碧の瞳を持つ彼だけに、その姿は権力者というよりも、舞台役者を連想させた。

「“結束”だ! 鉄の“結束”だ! ハルケギニアは我々、選ばれた貴族たちによって結束し、聖地を、あの忌まわしきエルフどもから取り戻す! それが始祖ブリミルより余に与えられし使命なのだ! 結束には、なにより信用が第一だ。だから余は子爵、きみを信用する。些細な失敗を責めはしない」

 ワルドが深々と頭を下げ、ウィリアムも頷いた。

 二人のそんな仕草に気を良くしたか、クロムウェルの演説にいっそうの熱が篭もった。

「その偉大なる使命のために、始祖ブリミルは余に力を授けたのだ!」

「閣下、始祖が閣下にお与えになった力とは?」

 ウィリアムが訊ねた。

 自らの演説に酔うような口調で、クロムウェルは続けた。

「魔法の四大系統はご存知かね? ミスタ・ターナー」

 ウィリアムは頷いた。異世界人の彼だが、ハルケギニアで繁栄している貴族文化と、魔法について、彼は基本的な知識を有していた。火、風、水、土の四つだ。

「その四大系統に加えて、魔法にはもう一つの系統が存在する。始祖ブリミルが用いし、零番目の系統だ。真実、根源、万物の祖となる系統だ」

「零番目の系統……虚無」

 ワルドが、低く呟いた。

 零番目の系統については、ウィリアムも聞いたことがあった。たしか、いまは失われた系統のはずだ。文献には一切の記録がなく、どんな魔法だったのかすら、伝説の闇の向こうに消えているという。

「余はその力を、始祖ブリミルより授かったのだ。だからこそ、貴族議会の諸君は、余をハルケギニアの皇帝にすることを決めたのだ!」

 クロムウェルは、ウェールズの死体を指差した。

「ワルド君、ウェールズ皇太子を、是非とも余の友人に加えたい。彼はなるほど、余の最大の敵であったが、だからこそ、死して後は良き友人になれると思う。異存はあるかね?」

「閣下の決定に異論が挟めようはずもございません」

 ワルドがかぶりを振ったのを見て、クロムウェルはにこやかに笑った。

「では、ミスタ・ターナー。きみに、“虚無”の系統をお見せしよう」

 ウィリアムは興味深そうにクロムウェルの挙動を見つめた。

 アルビオンの新たな皇帝は、腰に差した杖を引き抜いた。低い、小さな詠唱が司祭の唇から漏れる。

 詠唱が完成すると、クロムウェルは優しくウェールズの死体に向けて、杖を振り下ろした。

 すると、なんということであろうか。冷たい躯であったウェールズの体が、冷たい躯であるはずのウェールズの瞳が、ぱちり、と開いた。ウィリアムの顔に、驚きの表情が浮かぶ。

 何度かの瞬きの後、亡国の皇太子は身を起こした。まるで身体の具合を確かめるようにゆっくりとした所作で。青白かった顔が、みるみるうちに生前の面影を取り戻していく。まるで萎れた花が水を吸うように、ウェールズの体に生気が漲っていった。

 死者の蘇生。

 神剣士のウィリアムにとって、さして珍しい現象ではない。神剣魔法の中には、死んだ人間を生き返らせるものもある。

 とはいえ、ウェールズが命を落としてからすでに二日が経っているのだ。脳細胞はとうの昔に死滅しているはずで、人間としてまともな思考能力は、期待出来るはずがなかった。

「おはよう、皇太子」

 クロムウェルが呟いた。

 蘇ったウェールズは、クロムウェルに微笑み返した。原始的な反射行動にすぎないが、死んだはずの脳細胞が活動している証左だった。

「久しぶりだね、大司教」

「失礼ながら、いまでは皇帝なのだ。親愛なる皇太子」

「そうだった。これは失礼した。閣下」

 ウェールズは膝を着くと、その場で臣下の礼を取った。

「きみを余の親衛隊の一人に加えようと思うのだが。ウェールズ君」

「喜んで」

「なら、友人たちに引き合わせてあげよう。みんなとても良い人達ばかりだ。……それにここは、どういうわけか暑いからね。早く冷たい水が飲みたい」

 クロムウェルは額に浮かんだ汗を拭うと歩き出した。その後を、ウェールズが生前と変わらぬ所作で歩いていく。そればかりかウィリアムと視線が合うと、にこりと微笑んできた。赤毛の神剣士も、思わず微笑み返した。

 不意にクロムウェルが立ち止まって、ワルドを見た。

「ワルド君、安心したまえ。同盟は結ばれても構わない。どのみちトリステインは裸だ。余の計画に変更はない」

 ワルドは会釈した。

「外交には二種類あってな。杖とパンだ。とりあえずトリステインとゲルマニアには、温かいパンをくれてやる」

「御意」

「トリステインは、なんとしてでも余の版図に加えねばならぬ。あの王室には、“始祖の祈祷書”が眠っておるからな。聖地に赴く際には、是非とも携えたいものだ」

 そう言って満足げに頷くと、クロムウェルはその場から立ち去っていった。

 

 

 

 

 クロムウェル達が立ち去ったのを見て、ウィリアムはようやく立ち上がると溜め息をついた。

「いやぁ、驚いた。あれが虚無か……」

「虚無は生命を操る系統……。閣下が言うには、そういうことらしい。俺にも信じられんが、目の当たりにすると、信じざるを得まいな」

 ワルドの呟きに頷いて、ウィリアムは穏やかな美貌にいつもの微笑を浮かべた。若干、引き攣った笑みだった。

「神剣魔法にも死者を蘇生するものはある。けれど、その多くは死んですぐにかける必要がある。脳細胞が死んじまってからじゃ、肉体は生き返っても、人格はまるで別人になっちまうからな。……けれど、オリヴァー・クロムウェルは、死後二日も経っているウェールズを、いともたやすく生き返らせちまった」

「俺の〈隷属〉では不可能なことだ。お前は?」

「俺の〈金剛〉も無理さ。そもそも、俺の神剣にゃ、そんな回復魔法はないしな」

 ウィリアムは溜め息混じりに呟き、続けた。

「少なくとも、あれと同じことをしようと思ったら、第三位クラスの神剣が必要だ。生命を……原始生命力を本当の意味で自在に操るっていうのは、そういうことだ」

 

 

 

 

 才人達が魔法学院に帰還してから三日後に、トリステイン王国王女アンリエッタと、帝政ゲルマニア皇帝、アルブレヒト二世との婚姻が正式に発表された。式は一か月後に行われるはこびとなり、先立って、両国の間に軍事同盟が締結されることとなった。

 同盟の締結式は、ゲルマニアの首府、ヴィンドボナで行われ、トリステインからは宰相のマザリーニ枢機卿が出席。条約文に署名した。

 アルビオンに新政府樹立の公布がなされたのは、同盟締結式の翌日のことだった。

 トリステイン・ゲルマニア同盟との間にはすぐに緊張が走った。しかし、アルビオン帝国初代皇帝クロムウェルはすぐに特使を派遣し、両国との間に不可侵条約を結ぶことを打診した。

 両国は協議の結果、これを受けた。両国の空軍力を合わせても、アルビオンの艦隊には対抗しきれない。喉元に短剣を突きつけられたような状態での不可侵条約だったが、いまだ軍備が整わぬ両国にとって、この申し出は願ったり叶ったりだった。

 なお、これはまったくの余談であるが、不可侵条約の締結を知った柳也は、「これじゃ三国志の時代と変わらないな」と、現在の情勢を嘲笑った。彼はこの手の不可侵条約が、軍備を整えるための時間稼ぎにすぎなかった事例をいくつも知っていた。

 ともあれ、ハルケギニアに、表面上は平和が訪れた。勿論、政治家たちにとっては夜も眠れない日々が続いた。しかし、国政には関わらない普通の貴族や、平民にとってはいつもと変わらぬ日々が待っていた。

 それは、トリステインの魔法学院でも例外ではなかった。

 

 

 

 

 絶え間なく膨張と収縮を繰り返し続ける、広大無辺なる宇宙の闇。

 太陽系から六〇〇万光年もの距離を隔てたとある銀河の片隅に、その惑星はあった。

 漆黒の世界に生を受けてまだ四億年足らずの、若い星だ。

 周辺宇宙に棲息する高度な知的生命体から、“ベゴヴェ”と呼ばれている惑星だった。

 あらゆる光の波長を歪める超重力の地獄、ダイヤモンドすらも焼き尽くすほどの熱を孕んだガス星雲の中に存在するその星は、およそ生物が発生しうる環境をその身に宿してはいなかった。

 地球の半分ほどの大きさでありながら、その二〇〇倍もの質量を持つ惑星はまさしく重力の井戸。超重力によって高度に圧縮された大気は夜間でさえ一二〇〇度の炎となって地表を覆い、四つある大陸を分かつ海は、液化した硫黄を主成分としていた。水は、地表は勿論地殻中にも存在しない。惑星の地殻を構成するのは主に鉄で、次いで鉛、タングステンと比較的重い金属群が続いた。自転の周期は地球人の感覚でおよそ七時間。惑星の一年は、一日七時間が三六〇〇回に及んだ。

 ベゴヴェの環境は、水とタンパク質を主成分とする生物が生きるには、あまりにも過酷なものだった。仮に存在しえたとしても、エネルギー源となる食糧の調達がまったく見込めない世界だった。まさしく生命を拒絶する星であり、事実、“ベゴヴェ”の名は、件の知的生命体らの言葉で、“墓標”を意味していた。

 

 

 無明の宇宙空間を、青白い炎を纏わせながら、一匹の魚が悠然と泳いでいた。勿論、比喩だ。ラグビーボールを細長くしたかのような形状のそれは、高速で飛行する宇宙船だった。いかなる超科学の産物か、真鍮色の外板は非金属の素材できているらしく、まるでゴムのように、ぶよぶよ、と蠢いていた。

 宇宙船は、ベゴヴェが所属する銀河で最も高度な文明を持つ知的生命体の乗り物だった。

 自らを“ブデマゾチ”と称する彼らは、この銀河で最も進化した生命体だった。ブデマゾチは、地球人が電気を扱うのと同様の感覚で重力子を操る技術を持ち、外宇宙への進出を可能とするほどの科学力を誇っていた。彼らは地球人と同様二足歩行する動物で、チューブ状の口や足の指が四本しかないことなど一部の身体的特徴を除けば、ホモ・サピエンス種に比較的近いシルエットをしていた。なお、“ブデマゾチ”とは、彼らの言葉で“愛の人”を意味している。

 魚型の宇宙船の全長はおよそ三〇メートル。四人乗りの小型船には、各種のセンサーが搭載されていた。魚型の宇宙船は、ブデマゾチの本星から定期的に出されている観測船だった。

 船と、船員に与えられた仕事は惑星ベゴヴェを“監視”すること。観測ではなく、惑星の監視を主目的としていることからも明らかなように、ブデマゾチの宇宙軍に船籍を置く船だった。

 観測船は秒速六〇〇キロメートルの巡航速度で監視対象の惑星を目指した。

 やがて数百光年にわたる厚さでベゴヴェを覆うガス雲に近づくと、観測船はその宙域で停船した。

 重力子を自在に操るブデマゾチにとって、ベゴヴェから発せられる重力はさしたる脅威ではない。しかし、ガス星雲が孕んでいる数千度の灼熱地獄の中へと飛び込むのはさすがに避けたかった。

 観測船の航海士は、センサーの有効範囲とガス星雲の放射熱の影響範囲とを計算し、ぎりぎりの距離から、船の計測機器を起動させた。

 観測船に積み込まれたセンサーは様々な物が揃っていた。

 惑星が放射する熱量を測るための物。大気の組成を調べるための物。ポイントごとの重力場の強さを計測する物など……。センサー類はすべて、百光年を隔てたその先にある惑星の環境の変化を、逐一正確に補足出来るだけの精度を持った高性能な物ばかりだった。

 ベゴヴェは生後四億年足らずという、比較的若い惑星だ。人間でいえばいまだ成長期の只中にあり、ふとしたきっかけで何が起こるが分からない。

 最悪の場合、超新星爆発や質量の増大によるブラックホール化もありうる。万が一そんな事態になれば、ブデマゾチの本星も無事では済まない。そうした変化をいち早く捉えるための観測船であり、監視の任務だった。

 各センサーはそれぞれが独立して機能し、惑星ベゴヴェを隈なく走査した。

 測定機器が入手したデータは、コンピュータにより一括管理され、コクピットの多機能ディスプレイに表示された。

 測量士はディスプレイに出力された各種のデータに目線を落とすと、過去の観測データとの差異をチェックしていった。勿論、惑星に何か異常な事態が起こっていないかを調べるためだ。

 惑星の平均気温――――――過去の統計データとの誤差±〇・〇七パーセント。異常なし。

 大気成分――――――酸素成分の若干の増大を認めるも、異常なし。

 硫黄の海の温度――――――前回の測定時よりも三度上昇。異常なし。

 重力場の強度――――――前回の測定したデータと完全に照合。異常なし。

 マントル層の活動状況――――――通常通り。特に異常なし……。

 その後も、多機能ディスプレイには『異常なし』の表示が躍り、測量士のブデマゾチは、「今日も問題はなさそうだな」と、安堵の呟きを漏らした。

 測量士は最後に、生命アナライザーが入手したデータをディスプレイに表示した。生命アナライザーとは、生体から発せられる特殊な波動を捉えることで、走査範囲内に生物がいるかどうかを調べる機器だ。観測船に限らず、未知の星へ赴く可能性のある宇宙船すべてに搭載が義務付けられている装置で、本体の出力さえ十分ならば、理論上は数万光年離れた惑星における生命反応の有無を走査可能な代物だった。

 測量士が画面表示を切り替えると、ディスプレイの右半分に惑星全体のCG地図が表示された。惑星のどのポイントで、どの程度の数生命反応が見られたかを示す画面だ。

 測量士はタッチパネルにもなる多機能ディスプレイに触れると、惑星のCG図を回転させながら、異常な反応がないかチェックを進めた。

 その結果は、 

 生命反応――――――高度な知的生命体の活動を確認。数は前回測定時よりも若干の増大。個体総数は、推定八〇〇万体以上。異常なし。

 生命アナライザーからのデータを見て、測量士は「問題なし」と、満足気に頷いた。

 生命を拒絶する環境を持つ星、惑星ベゴヴェ。

 生物が自然発生出来るはずのない世界に、生命反応があった。そんなデータを受けてなお、彼は、問題なし、と呟いた。

 重力と熱の地獄世界……惑星ベゴヴェから、多数の生命反応が見られるようになったのは、昨日今日のことではなかった。それこそ、ブデマゾチが宇宙への進出を開始する以前から、生命反応は確認されていた。

 生命アナライザーが実用化されたばかりの頃、ブラックホール・エンジンを搭載した宇宙船はまだ登場していなかった。当時のブデマゾチは、この宇宙に自分達以外の知的生命体が存在しないか確かめるべく、完成したばかりのアナライザーを使って三〇〇光年先までを走査した。ベゴヴェから多数の生命波動が検知されたのはそのときのことで、あの分厚いガス星雲の向こうには生物がいる、という認識は、いまでは当たり前のものとなっていた。

 ――はたして、灼熱の超重力下環境でも生存可能な生物とは、いったいどんな姿をしているのか……。

 測量士は特殊偏光スクリーンの向こう側に映じる、遠いガス星雲の彼方へと思いを馳せた。

 所属銀河の外へと進出を始めているブデマゾチだったが、いまだベゴヴェに直接探査船を飛ばした経験はなかった。理由は技術的な問題からで、惑星の地表まで到達出来る船と計測機器を作れないためだ。それほどまでに、惑星の環境は過酷で、それを取り巻くガス星雲は脅威的だった。

 

 

 

 

 硫黄の海によって分かたれている、惑星ベゴヴェの五大陸。

 そのうちの一つ……鉄分を多く含んだ大地がインドほども広がっているダイヤ型の大陸のほぼ中央に、白亜の街並みは広がっていた。

 一言で表せば、異様としか形容のしようがない小世界だった。街の規模も、建物の姿形も、何もかもが異様だった。

 一見した限りでは、明らかに人工物と思しき石造建築が整然と建ち並ぶ巨大都市だ。建物の壁や天井はみな例外なく白一色で統一されており、はるか高空よりこの景観を見る者がいれば、漆黒の大地に白い花畑が咲き乱れているようにさえ思えるかもしれない。

 しかし、惑星の大気が高密度に圧縮され炎と化していることを知れば、みな例外なく「異様だ」と、口にするだろう。炎獄の世界に常時その身を置きながら、無垢なる白を保ち続ける石の群れ。他の材質ならばまだしも、石造建築にはみな焦げ目一つ見られなかった。明らかに、異様な光景だ。

 建物の奇怪さはそれだけにとどまらなかった。

 まず目につくのは、やはり建物の見た目だ。塗装の一点を除いて、建物の外観からは文化的な統一感がまったく見られなかった。地球でいう古代サイクロプス式の神殿ような建物の隣にゴシック調の屋敷が建っているかと思えば、さらにその隣には装飾を一切配した真四角のブロックが建っている、という具合だ。一本の石柱だけが支えという、奇妙な高床式の建物もある。それだけ多種多様な人種が住んでいることの表れともいえるが、それにしても杜撰な都市計画の産物というほかなかった。

 建築様式だけでなく、大きさもまた異様だった。林立する家々は、どれも大きさがまちまちだった。それも、二階建てや三階建てといった領域の話ではない。ドアの大きさや、塀の高さといった次元での話だ。屋根までの高さが地上から一メートルもないようなミニチュアの三階建ての隣に、玄関の大きさだけで高さ二、三十メートルもあろう巨大な一階建てが建っている。これまた、体の大きさが違う人種が隣り合って暮らしていることの表れと解釈出来るが、かくも体格差著しい巨人族と小人族が、はたして共存出来るのか。常識的に言えば、答えはノーだ。

 斯様に大きさも建築様式も異なる建物の群れは、大陸のおよそ五分の一を占めていた。

 大陸の五分の一を占めるほどの都市、という規模もまた、地球人の感覚からすれば異様と取れよう。しかしそれ以上に奇妙なのは、そうした建築群が、まるで京の都のように碁盤の目状に整然と並んでいることだろう。これだけ統一性のない建物の建設を許しておきながら、区画整備だけはきちんと行っている。この都市をデザインした人間の頭の中はいったいどうなっているのかと、疑いたくなるばかりだった。

 碁盤の目の中央には、巨大な、それは巨大な宮殿が築かれていた。関東全域ほどもある広大な敷地をめいっぱい使って建てられており、政治のための拠点というよりは、軍事拠点としての顔を重視した装いをしている。幾重にも連なった城壁、要所々々に設けられた天守もまた、白無垢で彩られていた。

 宮殿の中央には、炎の天を衝く巨塔が建っていた。

 まともな神経の持ち主であれば、思わず自殺したくなる衝動にかられてしまうほど、途方もなく巨大な構造物だった。

 門の高さだけで、ゆうに三〇〇メートルはあるだろうか。

 まるで古い宗教画に描かれたバベルの塔を思わせる円柱状の建物で、壁や柱には精緻な彫刻が刻まれていた。彫刻のモチーフは様々で、何かの動物をかたどったものもあれば、天体の位置関係をかたどったと思しきものもある。壁面に刻まれた画の多くは、遠近法を排した平面的で奥行きのないものだった。しかしかえってそのことが、壁画にオカルティックな美しさを与えていた。

 塔は、この巨大都市の指導者を祀る神殿だった。

 また塔は、この巨大都市の指導者が暮らす居城でもあった。

 高層建築は天ばかりか地下へ向かっても伸びており、地下空間も含めた全長は四〇キロメートルにも及んでいた。このうち、地上に露出しているのは四分の三ほどで、あとの一〇キロメートルは地下へと続いていた。

 早朝――といっても、ベゴヴェの一日は僅か七時間でしかなく、この惑星で早朝と呼べる期間は僅か三十分ほどでしかないが――巨大な塔に相応しい、巨大な門を叩く一人の男の姿があった。

 巨大な男だった。比喩ではなく、身の丈が二〇メートル近くある。筋骨隆々とした上半身は剥き出しで、下肢は、驚くべきことに、緋色のトラウザーズで覆われていた。履物は布袋に皮の底板を張り付けただけの簡素な靴で、足首にはゲートルを巻いている。浅黒い肌のに頬の裂傷が痛々しい顔立ちは一見地球人然としているが、体格から見ても、そうでないことは明らかだった。

 門を叩いていない方の左手には、長柄の斧が握られている。男自身、二〇メートルになんなんとする体格の持ち主だ。斧の大きさは、全長だけで一五メートルはあった。鉄でできているとすれば、いったいどれほどの重量物なのか。

 男が扉を三度ノックすると、ほどなくして、戸が自動的に開いた。開閉機構からは機械的な駆動音はせず、扉自体も無音で動いた。

 戸が開くと、男の灰色の瞳に飛び込んできたのは、広いホールだった。床面積は、小さな市一つはゆうにあろうか。それほど巨大な空間だった。

 男が塔の中へ入ると、戸が自動的に閉まった。

 天井から吊るされた、これまた巨大なシャンデリアの灯りを頼ることなく、迷いの足取りで、目的の場所目指して駆け出す。

 驚くべき速さだった。歩幅が、地球人の十倍以上あることを差し引いても、尋常じゃないスピードだ。時速に換算して毎時三〇〇〇キロメートルは出ているだろうか。

 男はやがて、巨大なリフトの前で立ち止まった。空母のエレベータを何倍にも大きくしたような代物で、床には象形文字と思しきペイントが記されていた。

 リフト内には、階数を指定するための円柱状の操作盤が置かれていた。どうやら巨人の体格に合わせて作られているらしく、円柱の高さは、彼の腰のあたりまであった。

 男の目的はこのエレベータにあったらしい。巨人は、その巨体には似合わぬ粛とした歩みでリフトに乗り移った。操作盤に触れ、階数を指定すると、エレベータは時速六〇〇キロメートルという速度で下っていった。目指す先は塔の最下層、地下十キロメートルの世界だ。

 一般に地下では、三〇メートル潜るごとに一度の割合で温度が上昇していく。また、圧力は一〇メートル潜るごとに三気圧ずつ高くなる。ただでさえ炎と化した大気が地表を熱し、地球の何十倍もの重力がのしかかる惑星ベゴヴェだ。この星における地下十キロメートルの世界とは、地上世界の過酷な環境をも上回る、高温高圧の地獄にほかならなかった。

 はたして、巨人の乗ったリフトは、たっぷり一分間を要して、最下層へと到着した。

 塔の最下層は、巨大な空洞になっていた。

 いったいどれほどの時間と技術を費やしたのか、地上のホールよりもなお広く、天井はなお高い。

 ただ穴を掘るだけでも莫大な労力を投じているはずだが、この空間を築いた者達はなお余力を持ち併せていたのか、床や壁は白石のブロックで覆われていた。のみならず、壁面には、丸い照明器具が等間隔に設けられていた。白亜の壁に埋め込まれた球体はあらゆる方向に向けて燦爛と光を発し、まるで真昼のような視界を巨人の男に提供していた。

 広間に柱の類は見当たらなかった。

 中央にはドリア風のずんぐりとした柱に支えられた、広壮な神殿が建っている。

 男は迷わず神殿を目指し歩を進めた。

 美しい意匠が凝らされた神殿の門は、巨人を快く迎え入れた。

 巨大な塔の地下空間に築かれた神殿もまた、二〇メートルになんなんとする彼を軽々呑み込むほどの威容を誇っていた。

 神殿の内側は広々としていた。広間の床には平滑な敷石が一面に敷かれ、弓型に湾曲している天井からは、星の輝きを宿したランプが摩訶不思議な力によって無数に垂れ下がっていた。

 大広間の奥には巨大な祭壇が置かれ、御神体であり、またこの街の支配者たる王は、重厚な造りの寝台に、その巨躯をゆったりと預けていた。

 巨人の男が、祭壇を前にして跪いた。

           ・・・
 王が、かしずく彼に、一斉に視線を向ける。

 山のように巨大な、八つ首の大蛇だった。装甲のような鱗に覆われた長い尾っぽ。ネコ科の肉食獣を思わせる逞しい胴体から伸びた太い四肢。八本ある大蛇の首は炎の色をした鱗に覆われ、巨人の男をも丸呑みに出来るであろう大きな顎からは、強烈な毒気を孕んだ吐息が漏れていた。炯々と輝く一六の瞳はホオズキのように赤く、禍々しい。

 八岐大蛇。

 祭壇に身を預ける巨竜は、まさしく神話の怪物を連想させる異形の姿をしていた。あるいは、神話に登場する怪物そのものなのか。

 奇なる蛇神、ミカゲ。

 惑星ベゴヴェに築かれた白亜の街を支配する王であり、第三位の永遠神剣〈奇蛇〉をその身に内包する、巨大なる獣。

 その力は蹴りの一撃であらゆる物質を砕き、その気になれば恒星クラスの天体を一口で咀嚼してしまうほどの咬合力を有していた。

 第三位の永遠神剣が持つ絶大な力をもって白亜の街に君臨する彼は、また同時に、“ロウ”と呼ばれる組織の幹部の一人だった。

 かつてのこの宇宙にはただ一振の永遠神剣だけが存在した。

 しかしあるとき、何かの拍子でこの永遠神剣が砕け、砕け散った神剣の破片が、数多の宇宙、数多の世界、そして無数の永遠神剣を作った。

 真偽の程は、定かではない。

 重要なのは、この説を信じて、すべての宇宙、すべての世界、すべての神剣を破壊し、一つに束ね、始まりの永遠神剣を作らんとする組織が存在することだ。

 それこそが“ロウ”と呼ばれる集団であり、ミカゲは組織の中でも特に強力な神剣士の一人だった。

 地上にそびえたつ白亜の街並みは、組織におけるミカゲの部下達が住む箱庭だった。麾下に八個の軍を保有するミカゲの総兵力はおよそ四〇〇万。様々な世界、様々な宇宙からかき集められた神剣士達と、彼らを支えるために用意された人員およそ一〇〇〇万人が、地上の街では暮らしていた。

 祭壇の前で跪く巨人もまた、ミカゲの部下の一人だった。

 体の大きさが社会的な地位を左右するという文化を持った惑星の出身者で、母星ではこの巨躯をもってしても社会の最底辺……不可触民の烙印を押された。存在自体が不浄とされるアンタッチャブルとしての毎日は、男にとって地獄以外の何物でもなかった。そんなときにミカゲと出会い、永遠神剣を与えられた。彼はその絶大な力をもって自らを蔑んだ同胞達に反撃し、はては母星を滅ぼした。故郷の星を自ら砕いた男はそのままミカゲの臣下となり、惑星ベゴヴェで暮らすようになった。

「……エイジャックか」

 ミカゲの、八つある首の一つが、声を発した。超々密度の大気を、若い男の澄みきった声が引き裂く。

 異界の言語によって紡がれた、エイジャックの音は、巨人の男の名前だった。

 名を呼ばれ、男が顔を上げる。

 見る者に嫌悪感を催させる異形の怪物へと向けられた眼差しは、畏敬の念で輝いていた。

「はい。“憤怒”軍第九師師団長、〈千陣〉のエイジャック、ミカゲ様にお伝えしたき議があり、参上いたしました」

 ミカゲの言葉に頷き、再び恭しく平伏する。

 奇なる蛇神ミカゲの八つ首には、それぞれの首に個々の人格が宿っていた。すなわちミカゲは、一つの体に八つの人格を持つ多重人格者といえた。各々の人格はそれぞれ〈傲慢〉、〈嫉妬〉、〈暴食〉、〈色欲〉、〈怠惰〉、〈貪欲〉、〈憤怒〉、〈無心〉と呼ばれ、各人格は麾下に一個の軍を有していた。

 エイジャックが口にした憤怒軍は、その名が示すように〈憤怒〉人格が所有する軍だ。一個軍の編成は二〇個師団によって構成され、第九師師団長の肩書きは、かつては不可触民だった巨人の男が、いまでは一個師団を統率する立場にあることを示していた。

「申せ」

 言葉短く、ミカゲはエイジャックに命令した。地下の神殿に、また若々しい男の声が響く。〈傲慢〉の人格を宿す首の発言だ。ミカゲは、他者と言葉を交わすとき、主に〈傲慢〉人格を会話の窓口にとしていた。

「はっ。先ごろ、わが師団に所属する〈金剛〉の神剣士、ウィリアム・ターナーから定時連絡があり、その内容について、少し気になる点があったので、ご報告に参りました」

「ウィリアム……あの男か……」

 〈傲慢〉とは別な首が、しわがれた男の声を発した。エイジャックの直接の上司にあたる、〈憤怒〉人格を宿す首だ。

「覚えている。試しなどというふざけた理由で友を奪われ、通じぬと分かっていながら、それでも天に向けて怒りの言霊を吐き続けるしかなかった男……我が直々に、声をかけた男だ。あれはたしかいま……」

「システム・ゼロ……現地人の言葉でハルケギニアと呼ばれている、時間樹世界の中に」

「ああ、そうであったな。我がそこに向かうよう命令したのだった。あの世界に存在する四つの四。あれは良いマナを抱え込んでいる」

「四つの四をまとめて砕くことが出来れば、よき神剣が創れよう。……して、エイジャック、報告したいこととは?」

 〈憤怒〉人格の言葉を継いで、〈傲慢〉人格が訊ねた。

 エイジャックは頷き、再び面を上げる。

「ウィリアムからの連絡によれば、計画通り、四つの四に関係深い人物との接触に成功したとのこと。ですがその過程で、思わぬ敵に遭遇したようなのです」

「敵?」

「正確には、敵か、どうか、いまいち判断に迷う相手だったと……」

「詳しく申せ」

「その男は、第七位の神剣を二振り所有する、神剣士だったようです」

「ほぅ……」

 〈傲慢〉人格のホオヅキ色の眼差しが、鋭くなった。

「珍しいな。時間樹の内に含まれているとはいえ、あそこはそもそも永遠神剣の数自体が少ない世界。そんな世界で神剣士同士が出会うとは……」

「ウィリアムの報告によれば、ただの神剣士ではないようです。その男名を、リュウヤというらしいのですが、どうやら異世界からやって来た人間の模様。しかもその男の体からは、あの法皇のマナが感じられたらしいのです」

「テムオリンめの……」

 法皇。その名を聞いて、ミカゲの八つの首が一斉にエイジャックを注視した。

 法皇の名は、自分と同じロウの組織に所属する、とある幹部を意味する単語だ。数万通りの策謀を同時に進め、常に数億手先を見据えて行動するロウ集団随一の知恵者。件の男の体から、彼女のマナが感じ取れたということは―――――、

「あくまでウィリアムの考察ですが、どうやらその男は、生来神剣士としての素質があった人間ではなく、後天的に永遠存在のマナを注がれて作られた、人工の神剣士のようです」

「〈運命〉の奴隷か……その男、どうやらテムオリンが何らかの計画のために用意した神剣士のようだな」

「やはり、ミカゲ様もそう思われますか?」

「うむ。……して、ウィリアムはその男を“敵”と表現していたそうだが、そ奴とは矛を交えたのか?」

「はい。幸いというべきなのか、その場では取り逃がした模様ですが……今後また、その男が一度敵対したウィリアムの、すなわち我々の計画の前に立ちふさがる可能性はあります」

「ふむ……」

 〈傲慢〉人格はしばし瞑目し、思索にふけった。

 件の男がウィリアムの考察通り法皇が作った人工の神剣士だとすれば、彼女が進めている何らかの計画に関与している可能性が極めて高い。もしくは、本人に自覚はなく、知らぬうちに法皇の計画に巻き込まれたくちか。どちらにせよ、同じロウ集団に所属する自分の部下が、そんな彼と戦ったことが知れればどうなるか。

 一度目は、相手の正体を知らなかった、でまだ言い訳が効く。しかし、二度目以降の戦闘となれば、今度は言い訳は通用しない。

 ――テムオリンは頭の良い女、自分の計画を邪魔されたからといって、いきなり全面戦争を仕掛けてくるような真似はするまいが……。

 少なくとも、組織内での関係悪化は必至だろう。あるいは、今回の一件を貸しにして、いずれ自分に法外な要求をけしかけてくるか。どちらも出来れば避けたい事態だ。組織の和を乱すことも、一方的に貸しを作ってしまうことも、己の本意ではない。

「……命令を下す」

「はっ」

「エイジャック、憤怒軍第九師団の総力を挙げて、その男……リュウヤなる神剣士の情報を集めよ」

 その男が出身世界でどんな生活を送っていたか。社会的地位はどうか、交友関係はどのようなものなのか。いかなる経緯を経て永遠神剣を手にしたのか。神剣士としての実戦経験はいかほどのものか。そしてなにより、その男を使って、テムオリンがどんな計画を進めていたのか。

 件の男に対して、今後どのようにアプローチをしていくか、方法を考えるにしても、まずは彼についての情報を集める必要がある。

 戦に限らず、情報収集はあらゆる社会活動の基本だ。客が何をいちばんに求めているのかが分からねば商売は出来ないし、病気の正体を知らねば、医者は適切な治療を施せない。

「テムオリンめがその男を使ってどんな計画を推し進めていたのか……それが分かれば、共同戦線の道も拓けよう」

 ウィリアムからの報告によれば、件の男からは法皇自身のマナが感じられたという。

 ロウ集団随一の智謀を誇るテムオリンは、常に複数の作戦を同時に進めている。そんな多忙極まる彼女が、自らマナを注ぎ込むほどの事態だ。おそらく、件の男が関わっている計画は、第二位クラスの永遠神剣の創造に絡んだもの。

「我が計画と、テムオリンめの計画……上手くいけば、第三位以上の永遠神剣を二振、わが陣営に迎え入れられるかもしれぬ」

「早速、行動を開始します」

「うむ」

「それから……」

 〈傲慢〉人格に変わって、〈憤怒〉人格の首が口を開いた。

「ウィリアムに伝えよ。我らが対応を決める前に、件の神剣士の男が再び貴様の前に立ちふさがるかもしれぬ。そのとき、戦うことが避けられず、戦力が不足するようならば―――――――」

 ミカゲの、八つある首の一つが、静かに嘶いた。

「“門”を開き、指揮下大隊兵力の召喚を許可する、とな」

 


<あとがき>

 

 惑星ベゴヴェやブデマゾチ、白い塔なんかの描写は、とにかくスケールの大きさを感じてもらいたかっただけです。

 どうも、読者の皆様おはこんばんちはっす。タハ乱暴でございます。今回もゼロ魔刃をお読みいただき、まっことありがとうございました! 今回の話はいかがだったでしょうか?

 今回は、おっさんと、おっさんと、おっさんと、おっさんと、美青年と、怪物だけが登場するという珍妙な話でした。しかも美青年は死人で、残るおっさん四人は全員が異能者という、これだけ書くと奇天烈すぎる集団。需要があるかどうか、ものごっつ心配です。なお、ウィリアムは見た目若いけど、中身実はかなりのおっさんです。

 ちなみに作中に登場したミカゲですが、タハ乱暴は全長約五〇〇メートル、高さは一五〇メートルぐらいをイメージして描写しています。恒星を一口で咀嚼する、という描写は、まぁ、麺類を食べるときのように、ちゅるん、とやってしまうんでしょう。

 今回の話は一万七〇〇〇字オーバーで、実質七日で書き上げました。……うん。遅筆に定評のあるタハ乱暴からすると、異常なペースだ。やはり明日からワイシャツはあずき色に……

タハ乱暴’s シスター「だからアイロンが面倒だわ!」

 ちぇっ。

 次回もお付き合いいただければ幸いです。

 ではでは〜




おお、謎の神剣士の背後に居る人物が出てきたな。
美姫 「しかも、何やら凄そうなイメージが」
まあ、流石にテムオリンが絡んでると知って無謀に手を出すという選択肢は取らなかったけれど。
美姫 「調査を終える前に会わない事を祈るばかりね」
会って柳也が優勢になったら、今以上に非常事態になりそうだしな。
美姫 「柳也に関する情報をどれだけ早く集められるかよね」
出会うのとどちらが早いかだな。
美姫 「うーん、一言で変態、もう少し詳しく言えば戦闘狂の変態という報告で終わったりしてね」
いやいや、流石にそれはないだろう。と言うか、それで報告済ませちゃ駄目でしょう。
美姫 「何はともあれ、これらの思惑は柳也たちにしてみれば与り知らぬ事だしね」
まあな。彼らがこれからどう行動するのか。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
ではでは。



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