天井めがけて突き出された、ウィリアムの右腕。

 その手が握る短刀型の永遠神剣の切っ先から、巨大な光弾が発射された。

 松ぼっくりのような形をした、オーラフォトンの榴散弾だ。

 天井目がけて放たれた松ぼっくりは、ウィリアムがあらかじめ設定した高度八メートルに達するや炸裂。六〇〇個の、殺戮の種子を撒き散らした。一発々々が必殺の威力を秘めた、精霊光の弾子だった。

 ウィリアムと同様、天高く右腕を突き上げ、オーラフォトン・バリアをドーム状に展開する柳也は、襲いくる弾雨を見て、かたわらの仲間達に向けて叫んだ。

「全員、俺の側から離れるな! 絶対に、バリアの外に出るんじゃないぞ!」

 魂からの咆哮。

 揃って頷く一同の顔を、振り返る余裕はない。

 ――いまの消耗具合でバリアの全力展開はそう長く維持出来ない。〈戦友〉、バリアの範囲をぎりぎりまで絞り込んで、その分を出力に回せ!

【言われなくても!】

 ――〈決意〉はシールドを薄く張って、バリアの補強を頼む。

【領解した、主よ。卵の薄皮の役目、見事果たしてみせよう!】

 頼れる相棒達の力強い返答に勇気づけられながら、柳也は少しでもバリアを強化するべく神経を研ぎ澄ました。

 意識のすべてを、細胞レベルで同化した二振の永遠神剣から、力を吸い出すことにのみ集中する。

 すべてのマナを、己の生命力のすべてを、仲間達を守るためだけに、形成する。

 足下に展開する魔法陣が、ひときわ強く輝いた。オレンジ色のオーラフォトンが、アーク放電を起こしながら激しく燃え盛った。

 ウィリアムがばら撒いた弾子の数は六〇〇個。しかしそのすべてが、柳也達に向けて降り注ぐわけではない。奴自身が事前に宣言していた。六〇〇個の弾子は、半径一五メートルの範囲で降り注ぐ、と。だとすれば、真に脅威たりえるのは、六〇〇個のうち一割もあるまい。おそらくは六十発未満。それだけの数を、凌ぐことが出来れば――――――、

 ――ラ・ロシェールでは、ワルドのライトニング・クラウドだってこれで凌げた! 大丈夫だ。俺は、みんなを守れるはずだ!

 これまでの実績を胸に自らを鼓舞し、柳也は、マナを爆発させた。

 直後、灼熱のドームに、光のシャワーが降り注いだ。

 破壊のために練り込まれた精霊光と、大切なものを守るための精霊光が、激突した。

 一発。

 二発。

 三発。

 四発……。

 光の滴が一つ、ドームを叩く度に、灼熱に燃える精霊光壁の表面で小さな爆発が起こった。メガ・ジュールクラスのエネルギーが、何度も、何度も、柳也のバリアを激しく揺さぶる。

 かつてラ・ロシェールの地で受けたライトニング・クラウドの嵐よりも、

 かつて有限世界で受け止めた赤スピリットのフレイムシャワーよりも、

  凄まじい衝撃が、柳也のバリアを連打した。

 十発。

 二十発。

 三十発。

 やがて四十発も受け続けたとき、柳也は己のバリアの出力が急速に落ちていくのを自覚した。

 無理もないことだった。メガ・ジュールクラスのエネルギーといえば、戦車砲弾並の威力だ。それを四十発以上も、正面から受け止めるなど、第七位の神剣には過酷すぎる命令だろう。

 柳也は、相棒達の限界が近いことを悟った。

 ゆえに、彼は己と一心同体の二振を励ました。

 ――もう少しだ。あともう少しだけ耐えてくれ!

 もう少し。

 本当に、あともう少しなのだ。

 すでに視界に映じる光の弾子は目線で数えられるほどにまで減っている。

 あと三発。

 たった三発さえ、耐え、凌ぐことが出来れば――――――、

【ッ! ご主人様、すみません! バリアが破れます!】

 しかし、柳也の激励に応じた〈戦友〉の言葉は、無情にも、バリアの崩壊を告げるものだった。

 五十四発目の弾子が、痩せ細ったバリアの表面を叩いた次の瞬間、大きな爆発とともに、オレンジ色の障壁が消滅した。

 「あっ」と、驚きの声を上げる間もなかった。

 すぐに残る二発が、もはや遮るもののなくなった柳也達を襲う。

 二発の着弾点を予想して柳也は、反射的に、ケティと、ケティを膝に抱くルイズに覆いかぶさった。

「リュウヤ!」

 ルイズの悲鳴。

 ケティの、驚く顔。

 柳也は「心配するな」と、莞爾と微笑んで呟き、そして、背中に衝撃を感じた。

 きつね色の爆炎が、ルイズとケティの視界に飛び込んだ。

 

 

 

永遠のアセリアAnother × ゼロの使い魔クロスオーバー

ゼロの魔法使いとその使い魔と、ついでに現われた守護の双刃

EPISODE:45「脱出」

 

 

 

 六〇〇発の弾子が炸裂した礼拝堂は、見るも無残な廃墟と化していた。

 昨日まで敬虔なるブリミル教徒達が腰かけていたであろうベンチはことごとくが破壊され、床石はすべて砕かれ……、先の一戦を経てなお無事だったブリミル像さえもが、凄惨な姿で横たわっていた。

 ティラノサウルスの氷像もまた、バラバラに粉砕されて、その屍を、窓から差し込む朝のやわらかな光に晒している。

 主人のワルドは、ウィリアムの展開したバリアのおかげでどうにか無事なものの、周りに広がる戦慄すべき光景を前に、思わず瞑目してしまった。

 祖国を裏切り、仕えるべき王女の信頼を裏切り、婚約者を裏切り、友と呼んだ男さえ裏切ったこの男をして、思わず目をそむけたくなるほどの景観だった。

 ほんの数時間前まで、ニューカッスル城に設けられた礼拝堂は、荘厳な雰囲気を纏った儀礼の場として相応しい偉容を誇っていた。

 それがいまではどうか。

 もはやそこは、礼拝堂だった面影は何一つなく、凄惨なる破壊と、死の匂いだけが充満する、鬼哭啾々たる荒涼の世界が存在していた。

 その世界の中心に立ちながら、ウィリアム・ターナーは、短く口笛を鳴らした。

 感心した眼差しを、崩壊した部屋の一画に注ぐ。

「二発、バリアを突破して、命中したと思ったんだけどなぁ……」

 黄金色の視線の先には、三人の女と、二人の男の姿があった。

 ルイズとケティ。マチルダと才人。そして、柳也の五人だ。 ルイズとケティは変わらぬ姿勢で、マチルダと才人は、烈火の怒りを瞳に宿し、ウィリアムを睨んでいる。

 そして、柳也は、

 二発の弾子を、背中に受けた柳也は――――――、

 ウィリアムは、しげしげ、とその姿を眺め、口を開いた。

「……弾子は二発とも、お前の背中に当たったはずだ。メガ・ジュールクラスのエネルギーが二発だ。五体はバラバラになって然るべきだろう。……それなのに、なぜ、無事でいられた?」

「……無事じゃ、ないさ」

 かすれた声をこぼす柳也は、膝を着き、総身から焼け爛れた腐臭を発しながら、しかし炯々たる眼光で、ウィリアムを見据えた。

 その背には、夥しい出血と、圧倒的な熱量に犯された火傷の痕が刻まれている。

 出血は、すぐにマナの霧となって蒸発するが、後から後から止め処なく流れ、オリーブ・ドラブの軍服を、常に朱色に染めていた。

「二発、確かに喰らったよ。……だが、喰らった瞬間に、才人君がデルフを俺の背中に突き刺してくれた」

 咄嗟の機転だった。

 才人はデルフの魔法を吸収する特性を利用して柳也の受けるダメージを少しでも減らせないかと考え、断腸の思いで師匠の背中に刃を突き立てたのだった。

 才人の思惑通り、デルフリンガーは柳也の背中で炸裂したエネルギーの半分以上を吸収し、彼の受けるダメージを大幅に減らすことに成功した。あくまで、減らしただけだが。

「それでも、三割近いエネルギーが、俺の背中で炸裂した。決して、無事ではいられなかったさ」

 ごほりっ、と咳き込んだ。

 咳き込んだ瞬間、赤黒い塊を吐き出した。

 弾子が炸裂した際の衝撃は、体表を突き抜けて、内臓にまで及んでいた。肉、骨、血管、神経、そして臓器。人体のあらゆる器官を破壊され、それでもなお柳也が生きていけるのは、ひとえに細胞レベルで同化した相棒達が、必死に生命活動の維持に努めてくれているおかげだった。

 体内寄生型の永遠神剣は、特に身体能力の強化に優れている。身体能力とは、筋力のみに留まらず、自然治癒力や、免疫力などもまた、身体能力の一つに含まれる。

 これが他の第七位神剣であれば、己は間違いなく死んでいただろう。

 〈決意〉と〈戦友〉。デルフと、その契約者たる才人。自分の生存は、このうち誰一人が欠けていても起こりえない奇跡といえた。

 相棒達のおかげで絶体絶命の危機を乗り切った柳也は、しかし、いまだ身を置くこの窮地から、どうすれば脱せられるか、頭を悩ませていた。

 ウィリアムを名乗る神剣士の力はあまりに強大だ。オーラフォトンの形成能力に長ける〈金剛〉の性能は、シンプルだが幅広い応用性がある。また、精製される精霊光の出力自体も高い。メガ・ジュールクラスのエネルギーを持った弾子を六〇〇個も用意出来た事実は、裏返せば、あの六〇〇倍のエネルギーを一度に扱えることを示している。それほどのエネルギーともなれば、それはもはや天災だ。すなわちウィリアムは、天災規模の暴力を自在に操れる存在ということになる。

 何より、ウィリアム自身が、最初に言っていたではないか。

『本気を出さなくて、済みそうだ』

 その発言を信じるならば、あの男はまだ、自分達を相手に、本気を出していないということになる。

 力をセーブしながら、ともすれば遊び半分の気持ちで、戦っていることになる。

 ――格が、違いすぎる!

 象に挑む蟻。あるいは、蟻をいたぶり、もてあそぶ象。

 戦いを楽しむなんて嘯く余裕さえないほどの、圧倒的な実力差。そもそも、向こうは戦いとさえ思っていない可能性さえある。

 この強敵を打倒することは、度重なる連戦で疲弊し、消耗した現状の自分達には至難の業といえた。

 かといって、相手がウィリアムでは、この場から逃げることも難しいだろう。

 これだけの実力差だ。蟻がどんなに必死に逃げたところで、象の歩幅には敵わない。象がちょっとその気になったら、蟻は簡単に追いつかれる運命にある。

 また、実力差云々以前の問題として、そもそもこの場から立ち去るための脱出ルートが見つからない。勿論、礼拝堂にはいくつかの出入口がある。部屋を出るだけならば、そう難しいことではない。

 問題は、礼拝堂を出た後のことだ。

 いまや、このニューカッスル城は貴族派の軍勢五万に囲まれ、その攻撃を受けている。これに対する王軍は僅か三〇〇の寡兵。脱出のための援護は期待出来ない。また、貴族派の総攻撃が早まったために、非戦闘員を乗せた脱出船はもう出港した後だろう。

 ウィリアムの追跡をかわしながら、総兵力五万になんなんとする軍勢の包囲を突破し、安全圏まで退避する。自分達は手負いで、しかも王軍の援護は期待出来ない。これまた、困難窮まりない道程となるだろう。

 ――戦ったところで勝機は薄く、逃げることもままならない。いったい、どうすれば……。

 作戦が、まるで思いつかない。

 この場を切り抜けるための良策が、まったく思い浮かばない。

 自分一人ならばまだよかった。自分一人だけならば、いっそ思い切って敵に突撃し、一か八かの勝負を挑むことが出来た。挑む覚悟を、決められた。

 しかし、いまこの場には、ルイズを始め守らなければならない仲間達の存在がある。

 仲間達を背後にしているこの状況では、思い切った行動など出来ようはずがなかった。下手を打てば、自分のみならず、仲間達をも危険に晒しかねないのだから。

 ――くそッ、どうすりゃいい……!

 考えても、考えても、何も、思い浮かばない。

 頭の中で、誰かが囁く。

 〈決意〉でもない、〈戦友〉でもない声で、誰かが、「諦めろ」と、囁く。

 その声に頷きたくなる気持ちを必死に抑え込み、柳也は、無言で正眼に構えたまま、思考を続けた。

「考えるだけ無駄だと思うけどなぁ」

 表情から、こちらの抱える懊悩を察したか、ウィリアムが言った。ばかに明るい声音、弾んだ口調。挑発の意図は、明白だった。

「自分達もよく分かっているだろう? お前らの実力じゃあ、どう足掻いたって俺には勝てない。俺を撒いて逃げるのも、まず不可能だろう。素直に諦めた方がいいと思うけど?」

 諦めろ。

 ウィリアムの声と、頭の中で響く誰かの声とが重なった。

 柳也は悔しげに自らの唇を噛んだ。ウィリアムの発言を否定出来ない自分が。その言葉に一瞬、屈したい、と思ってしまった自分が、情けなく、悔しかった。

「同じ地球人の好だ。ひと思いに、楽にしてやるよ」

 ウィリアムの手の中で、またきつね色のオーラフォトンが輝いた。短刀本体の刀身を呑みこむように、七十センチになんなんとする精霊光刃が、身幅の広い両刃剣を形成する。十七世紀以降のヨーロッパで盛んに用いられた、ブロードソードに似た刀身だった。

「こいつの切っ先をお前達の心臓に突き刺してやる。そいで、そのまんまの状態で刀身を爆弾みたいに爆発させてやりゃあ、痛みなんて感じる間もなく、あっちに逝けるぜ?」

 右腕を、前に突き出した。

 左手を手首に添えて、狙いがぶれないようブロードソードを水平に支え持つ。

 また、その場に立ったまま、刀身長だけを伸ばすつもりか。

「さあ、誰から死にたい? ……それとも、さっきみたく刀身を砲弾化してぶっ放してほしいか? それなら、みんな仲良く死ねるが?」

「……」

 柳也は口を開いて、ややあって、苦汁の表情のまま閉じた。

 どっちも願い下げだ。そう、言おうとして、言葉にならなかった。言葉に出来なかったことに、愕然とした。

 自分はもう、諦めているのか。

 自分の心はもう、この戦いに、絶望の未来しか見出していないというのか。

 自分はすでに、ウィリアムの言葉に頷いていたのか。「諦めろ」という、その言葉に。

「……くそが」

 柳也の目線が、ひび割れた地面へと落ちた。

 ウィリアムの姿を、真っ向から捉えることを、やめた。

 正眼の構えが、僅かに崩れる。

 柳也の、剣気が、

 これまで、数多の戦いの中で、決して折れることのなかった好戦意欲が、

 折れた、その瞬間だった――――――、

「……どっちも、願い下げよ!」

 柳也の耳朶を、女の声が叩いた。

 聞き慣れた声。

 自分を、この異世界に呼び寄せた声。

 ルイズの、気の強そうな声。

 背後を振り返った柳也は、見た。 

 ルイズの顔を。

 ウィリアムを睨む、鳶色の瞳に映じた、生きようとする、強い意志の輝きを。

 ケティを膝に抱きながら、ルイズはウィリアムに向けて杖を掲げ持った。

 魔法の成功実績僅か一回だけ。落ちこぼれと蔑まれ、ゼロの異名で揶揄される魔法使いは、この絶望的な状況にあって、まだ諦めてはいなかった。

「戦うにせよ、逃げるにせよ……そして諦めるにせよ! どうせ結果が同じなら、私は最後まで足掻いてやるわ! 足掻いて、足掻いて、最後まで、足掻き続けてやる! あんたの言葉なんかに、屈してやるもんですかっ!」

 荒々しい語気。

 強い、感情のエネルギー。

 負けるものか。こんな奴に、負けてなるものか!

 勝算なんて少しもない。ただ、この男に負けたくない。諦めたくなんかない。生きたい。それらの想いを、胸に。ルイズは、杖を握った。杖を取り、自らの意志を示した。声を、荒げた。

「力では勝てないかもしれない。けど、私の心は……心だけは! あんたになんか、絶対に負けない!」

 その言葉に、はっ、とした。

 力では勝てなくとも、せめて、心だけは。

 心だけは、お前なんかには負けない。

 私の心は、決して諦めない!

 その意志に、胸を打たれた。

「……るーちゃんの、言う通りだ」

 柳也は、ルイズから視線をはずし、ウィリアムを振り返った。

 黒檀色の瞳には、もう、諦観の色は、存在しなかった。

「たとえ勝機がなくとも……逃げられる可能性が、どんなに低くても! 生きることを、諦める理由にはならない!」

 圧倒的な、その力を見せつけられて。

 現状を打破する作戦が、まるで思い浮かばなくて。

 気が弱っていた。そこを衝かれて、心の方が先に折れかけた。

 だが、ルイズの目を見て。彼女の、強い意志を感じて、心を、奮い立たせた。

 脇差を再び正眼に置いて、柳也は、炯々と輝く眼光も鋭く、突如この場に表れた神剣士を見据えた。

「戦うことも、逃げることもせず、ただ諦めるなんざ、俺らしくもねぇ真似をするところだった。敵わぬまでも、テメェにこの刃、叩き込んでやらぁッ」

 いまだこの場を切り抜けるための作戦は思い浮かばない。

 一か八か、当たって砕けろの覚悟で、正面から突っ込むしか道はない。

 しかし、柳也の胸中に不安はなかった。

 不敵に、そして残忍に嗤うその顔には、目の前の敵を打倒せんとする、強い意思が漲っていた。

「……いい、気迫だ」

 ウィリアムの顔から、微笑が消えた。

 怜悧な、日本刀の刃のように鋭い美貌が、険を帯びる。

「その意気に免じて、二人いっぺんに殺してやろう」

 ブロードソードの切っ先が、柳也と、ルイズの間で揺れた。

 ウィリアムの口から、精霊光刃の再形成を命じる呪文が紡ぎ出される。

「精霊光刃再形成。刀身形状をミリタリー・フォークに変更。刀身長は、ポール部分が一メートル。スピアー・ヘッド部が五十センチ。スパイクの間隔は二十センチとする」

 ウィリアムが唱えた次の瞬間、広刃の両刃剣を形成していたオーラフォトンが、また姿を変えた。

 二股の槍。西洋世界で、ミリタリー・フォークと呼ばれる武具だ。元は農具から発展した武器で、主な用法は勿論、“突き”だ。また、二股というその形状を活かして、刺叉のような捕物道具としても使うことが出来た。

 先ほど、ウィリアムは二人まとめて殺してやる、と言い放った。なるほど、あの二股の槍ならば、自分とルイズを同時に刺殺することも可能だろう。

 さて、次の一撃をどう凌ぐか、と考えて、柳也は、いいや、とかぶりを振った。

 考えるまでもないことだ。

 背後にルイズ達がいる以上、攻撃を回避することは許されない。五体満足の才人やマチルダはともかく、手負いのケティや、彼女を抱くルイズはその場から動けない。自分が盾となって、敵の攻撃を防いでやる必要があった。

 ――バリアの広域展開で防ぐか、斬撃で刺突を払いのける他に道はない!

 どちらにせよ、いまの自分には困難なミッションだ。

 はたして、二度の連戦を経て、消耗しきったいまの自分に、ウィリアムの攻撃をブロック出来るだけの強度を持ったバリアを展開出来るだろうか。

 はたして、所詮は第七位の神剣士に過ぎない自分に、格上と思しきウィリアムの攻撃を見切れるだろうか。

 不安は尽きない。

 しかし、諦めるつもりはなかった。

 諦めて、手をこまねくつもりはなかった。

 柳也は正眼に構えた脇差を、素早く腰元へ引き寄せた。

 地擦りの構え。

 やってくるであろう刺突の一撃を、斬り上げ一閃、弾き上げる腹積もりだった。

「ご主人様と一緒に死にな、〈宿命〉の奴隷」

 死刑宣告も同然の、酷薄な言霊が、爆ぜた。

 きつね色のオーラフォトンが、ひときわ強く輝いた。

 

 

 ……その時だった。

 地面が。

 ぼこり、と柳也達が立つすぐ側の地面が、突如して隆起した。

 強烈な既視感。

 はて、自分は以前にも、これと同じ光景を目にした覚えがあるような。

 奇妙な感覚に囚われた柳也は、目前まで迫る脅威も一瞬忘れて、思わずそちらを見た。

 ぼこっ、と床石が割れ、のっそり、茶色い、熊ほどもある巨大な生き物が顔を出した。

「……は?」

 思わず、素っ頓狂な声が唇からこぼれた。

 この状況、この場にそぐわぬ、ぱっちり、つぶらな瞳が、嬉しそうに自分を見つめている。

 ようやく会えた、と愛らしい仕草が語っていた。

「……う、うぇえ? ヴェルダンデ!?」

 はたして、現れた巨大生物は、巨大モグラのヴェルダンデだった。ギーシュの使い魔の、あの巨大モグラだ。魔法学院に置いてきたはずの彼が、なぜ、ここにいるのか。

 呆気に取られたのは柳也ばかりではない。才人達はもとより、これからまさに必殺の一撃を叩き込まんとしていたウィリアムまでもが、茫然とした眼差しを巨大モグラに注いだ。

 集中力が切れたか、短刀の刃から放出されていたオーラフォトンが霧散する。

「……ええと、その、なんだ……モグラ怪獣のモングラー?」

「真っ先に思いつくのがそれか! いい趣味してんなぁ、お前!」

 柳也は思わず吠えた。空想科学シリーズの原点ともいうべき名作『ウルトラQ』に登場した怪獣だ。

 直後、巨大モグラが掘った大穴から、ひょこっ、と今度は主人のギーシュが顔を出した。端整な甘いマスクが、土に汚れている。どうやら、ヴェルダンデとともに、地面を潜ってきたらしい。

「こら! ヴェルダンデ! どこまでお前は穴を掘る気なんだね! まぁ、いいけど! ……って、おや?」

 穴から這い出たギーシュは、すぐそこに見慣れた顔ぶれが揃っているのを見て、歓声を上げた。

「サイト! それにみんなも! そうか、みんなここにいたのか!」

「ぎ、ギーシュ! なんでお前がここにいるんだよ!?」

 デルフリンガーを正眼に構えたまま、才人は驚いた表情で訊ねた。

 それはまた、才人だけでなく、この場にいる全員の疑問でもあった。

 ギーシュはお得意の、芝居ががった所作と朗々たる声で、質問に答える。

「いやなに、“女神の杵”での一戦を見事勝利で終えた僕達だったが、その後、妙な男に襲われてね。奮闘むなしく気絶させられ、気がつけば深夜だったわけさ。目覚めた僕らは動けるようになり次第、寝る間も惜しんできみたちの後を追いかけた。なにせ、この任務には、姫殿下の名誉がかかっているからね」

「いや、追いかけてきた、って……お前、ここ、雲の上だぜ?」

「タバサのシルフィードに乗せてもらったのよ」

 続く才人の質問に答えたのは、ギーシュではなく、彼に遅れて顔を出したキュルケだった。

 またしても突然やってきた再会に、才人達は驚いた。

「キュルケ!」

「ハイ、ダーリン。あたしと会えなくて、寂しくなかった?」

「キュルケの言う通りだ。僕たちはシルフィードに乗って大陸までやって来た。しかし、だ。アルビオンに着いたはいいが、なにせ、勝手が分からない異国だ。どうしようかと途方にくれていたところ、突然、このヴェルダンデが。そう! 僕の愛する、可愛い可愛いヴェルダンデが! ぱっちりつぶらな瞳が可愛いヴェルダンデが!!」

「おい、そこの主人馬鹿。使い魔が可愛いのは分かったから、先、進めろや」

「おっと、すまない」

 才人の苛立った声に肩をすくめて、ギーシュは続けた。

「突然、ヴェルダンデがいきなり穴を掘り始めた。後をくっついていったら、ここに出たというわけさ」

 巨大モグラは使い魔仲間の柳也と才人の側によって、フンフン、鼻を鳴らした後、今度は、フガフガ、言いながら、ケティを膝に抱くルイズのもとへと擦り寄った。顔色の悪いケティのことを心配しての行動かと思ったが、違った。ヴェルダンデは、ルイズの指に光る、“水のルビー”に鼻を押しつけた。

 その仕草を見て、ルイズは得心した様子で頷いた。

「そっか、ジャイアントモールは鼻がいいから……」

「なるほど。水のルビーの匂いを追いかけて、ここまで穴を掘ってきたのか。僕の可愛いヴェルダンデは、そう! 僕の可愛いヴェルダンデは、なにせ、宝石が大好きだからね」

「……やっぱり羨ましい」

 ヴェルダンデのことを自慢げに話すギーシュを見て、マチルダがぽつりと呟いた。土メイジの彼女には、宝石の匂いに敏感なジャイアントモールの能力は、やはり魅力的に見えるらしかった。

「……はっ」

 不意に、柳也の唇から喜色を孕んだ声が漏れた。

 いったい何事かと、みなの視線が集中する。

「は、はは……」

 見ると、柳也の口元に、笑みが浮かんでいた。

 人を食ったような不敵な冷笑でも、危機的状況を前にして自暴自棄になった末の自虐的な笑みでもない。

 屈託のない、満面の笑みが、柳也の顔に浮かんでいた。

 三度の飯よりも戦い好きの男が、勝機を見出した、好戦的な笑みだった。

「……ぎりぎりのところで、活路が見えてきたぜッ」

 ヴェルダンデの掘ってきた穴。ニューカッスル城内と外とを繋ぐ、直通の脱出口。

 福音以外の何物でもない。柳也は同じ使い魔仲間の掘ってきた穴に、文字通り活路を見出した。

 柳也は好戦的に嗤うと、脇差を大上段に振りかぶった。

 猛る肉食獣の眼差しで、ウィリアムを見据える。

 ――一瞬だ。僅かな一瞬、奴の動きを止めることが出来れば……!

 この穴に、全員が飛び込める。

 全員で、この城を脱出出来る。

 全員の命を、救うことが出来る。

 僅かな一瞬、奴の動きを止められれば!

  僅かな一瞬、時間を稼げば!

 ――次の一刀に、すべてを篭める!

 己のすべてを、次の一太刀に篭める。

 己のマナを……原子生命力の、すべてを、刀身に乗せる。

 己の、魂を、燃やす。

 柳也の足下に、魔法陣が生じた。

 オレンジ色の、オーラフォトンが眩い、魔法陣だった。

 柳也は己の肉体、すべてを、オーラフォトンに転化するつもりで、マナを燃やした。

 そうして練ったオーラフォトンのすべてを、一尺四寸五分の刀身に、託した。

 攻撃。

 ただそのためだけに練り上げられた、高出力の精霊光を宿して、相州伝の脇差が紅蓮に燃えた。

 荒れ狂うオーラフォトンは白刃の内に留まりきらず、アーク放電を起こして、周辺の大気を焦がした。

「……すんげー、気迫だな」

 柳也の体から発せられる、闘気のオーラフォトンを肌に感じ、ウィリアムが呟いた。

 興奮して、笑っているのか、怖じけているのか、複雑な表情をしていた。

「こりゃあ、俺もちょっと、本気を出さないと駄目かね」

 腰を落とし、右半身を引いた。

 短刀の〈金剛〉を右手で握り、抱え込むように持ったその構えは、さながら、矢をつがえた弓の弦を、めいっぱい引いている状態に思えた。

 精霊光刃は、まだ形成されていない。

 はたして、ウィリアムの次の一手は、いかなるものか。

 そのとき、ようやくウィリアムの存在に気がついたギーシュとキュルケが、驚きの声を発した。

「あ、あの男は……!」

「なんだよ、ギーシュ? 知り合いか?」

「そんなわけないだろう! あの男だよ。僕達を襲った、奇妙な男というのは!」

 ギーシュは杖を構えるや憎悪の眼差しを叩きつけた。

 因縁の相手に向ける杖は、僅かに震えている。

 いったい、ラ・ロシェールで彼らはウィリアムとどんな戦いを演じたのか。

 疑問に思いながら、柳也は再会を果たした弟子に言う。

「手を出すな、ギーシュ君」

「ミスター・リュウヤ、しかし……!」

「気持ちは分かるがな。いまは堪えろ。いまのきみじゃあ、どう足掻いても奴には勝てない。俺達も、これから、逃げ出そうとしているところだ」

「逃げ出す?」

「撤退戦だ。俺が、奴に斬りかかったら、みんなはすぐ穴に飛び込め」

 柳也は脇差を大上段に振りかぶったまま言い放つ。

 有無を言わせぬ強い語気に、ギーシュは思わず唾を飲み込み、頷いた。自分達を想っての発言だ。頷くほか、なかった。

 

 

 ギーシュの首肯が、合図だった。

 柳也が、地面を蹴った。

 ウィリアムもまた、後ろに引いた右足で、床を強く蹴る。そういえば、才人の襲撃を避けるための一歩を除いては、これが初めての踏み込みだったかと、柳也は思った。

 両者の間合いが、急速に、煮詰まった。

 ウィリアムの手元で、きつね色の精霊光が光る。

 六寸と少しの刀身から放出されたオーラフォトンが形成するのは、脇差。

 ウィリアムが形成したのは、奇しくも、柳也が亡き父から受け継いだ相州伝の白刃と、ほぼ同じ寸法の刀身だった。

「これぐらい短い方が、扱いやすい!」

 言い放つや、前進と同時に、素早と左右の半身を入れ替える。

 前へと出た右手の脇差が、柳也の喉元目がけて突き出された。

 対する柳也は、脇差を垂直に振り下ろす。

 上段からの、真っ向斬り。

 あらゆる剣術の中で、基本中の基本とされる、最大の奥義だった。

 斬撃と刺突。

 はたして、

 はたして、先に、相手に刃を叩き込むのは――――――、

「精霊光刃、回転しながら射出!」

 柄尻を握る、柳也の左手が、僅かに動いた、その瞬間だった。

 ウィリアムの、酷薄な命令が、爆ぜた。

 脇差を形成していたビーム刃が、勢いよく、発射された。

 まるでブーメランのように回転しながら、柳也の首を切断せんと迫った。

「ッ……!」

 柳也は、咄嗟に床を蹴り、右へと跳んだ。

 人体の正中線を正しく斬割せんと振り下ろした白刃の軌道を、無理矢理、身を守るために変化させる。

 右へ跳びながら手首を捻り、斜に構えた脇差に、回転刃が激突した。

 物凄い衝撃を、手の内に感じた。

 回転し、暴れ狂うきつね色のオーラフォトンが、脇差の刀身に宿る己のオーラフォトンを、どんどん、削っていく。

「グッ……こん、のぉ……!」

 渾身の力で、刀身を押し出した。

 弾かれた回転刃はあさっての方向へと飛んでいき、壁の高いところに設けられたステンドグラスを破壊して、礼拝堂の外へと消えた。

 直後、咄嗟のことで姿勢の乱れた柳也に、ウィリアムが迫った。

 脇差の届かない背後へと回り込む。

 一瞬の早業。脅威の運動能力だった。

 右手一本、逆袈裟に構えた〈金剛〉には、また脇差精霊光刃が形成されている。

 肩ごしに振り返り、敵の接近を見取った柳也は、悔しげに唇を噛んだ。

 反撃も、回避も、バリアやシールドの展開も、もう、間に合いそうになかった。

「楽になれ、〈宿命〉の奴隷……!」

 短い呟き。

 それに重なる、才人達の悲鳴。

 自分の言に従って、己が床を蹴ると同時に脱出口へと飛び込んだ仲間達の、悲痛な顔が、肩ごしの狭い視界に映じた。

 それらの顔は、すぐに穴に落ちて消えた。

 思わず、口元に微笑が浮かんだ。

 今生最期に見る光景が、仲間達の顔か。

 悲しげに歪んだ表情を見るのは辛かったが、また同時に、嬉しく思った。

 

 

 その、直後だった。

「……ッ!」

 ウィリアムが。

 背中を向ける自分に対して、絶対的に優位なポジションにあるウィリアムが、突然、驚いた表情を浮かべて、攻撃の手を止め、大きく退いた。

 いったい、なぜ?

 呆気に取られる柳也だったが、しかし、すぐに彼の表情もまた、愕然としたものに変わる。

 神剣士の感覚が、得体の知れない気配を、捉えたためだ。

 マナが……。

 巨大な、マナが……。

 途方もなく巨大で、どこまでも暴力的なマナが、急速に、近付いている。

 この場に。

 この、礼拝堂に。

 圧倒的な速度で、近付いてくる!

「なんだ、このマナは……!?」

 ウィリアムの放った、精霊光のバリアのドームの下で、ワルドが叫んだ。

 この場に残る、三人の神剣士の視線は、等しく上を向いた。

 礼拝堂の天井。

 巨大なマナは、自分達がいまいるこの礼拝堂を目指して、上空より、急速に降下しているようだった。

 高度が下がってくるにつれて、マナの正体が、高出力のオーラフォトンの塊だと、おぼろに理解する。

 爆撃。

 不意に、なぜかその二文字が、柳也の頭の中に浮かんだ。

 考えが脳裏をよぎった、その直後、己の立つ位置から、数百メートル上空に、柳也は、巨大な熱エネルギーの存在を感じた。

 ほどなくして、礼拝堂の天井が、蒸発した。

 比喩ではない。

 高出力の熱線の照射を受けて、礼拝堂の天井が、液体を通り越して、たちまち蒸発した。

『なっ……!?』

 柳也と、ウィリアム。そして、ワルド。三人の神剣士の驚く声が、奇しくも重なった。

 突然、自分達の頭上を覆っていた天井が溶け、そして消滅した。

 それだけも驚嘆に値する出来事だったが、直後、さらなる衝撃が、三人の心を揺さぶった。

 熱線が。

 莫大なエネルギーを孕んだ、熱線が。

 何発も。

 何発も。

 雨あられの如く、降り注ぐ。

 礼拝堂に向けて。

 礼拝堂に立つ、一人の男に向けて、

 降り注ぐ。

「お、おおおおおお――――――ッ!!!」

 ウィリアム・ターナーは短刀の〈金剛〉を頭上に向けると、精霊光刃をドーム状に展開した。

 襲いくる光の槍はすべて、まるで狙ったかのように、ウィリアムにのみ降り注いだ。

 摂氏三万度を超える熱光線が炸裂する度、バリアのドームが悲鳴を上げ、ウィリアムの口から、苦悶の絶叫が迸った。

「……!」

 しばし茫然と、自分を追い詰めていたはずの敵が、突如として窮地に立たされた姿を眺めていた柳也は、やがて、はっ、とした。

 何が起こっているかは分からない。あの熱線の正体も。あの熱線がなぜ、ウィリアムばかりを狙っているのかも。何一つとして、分からない。

 しかし、これだけは理解出来る。

 これは、好機だ。

 この場から逃げ出せる、唯一最後のチャンスだ。

 柳也は仲間達が飛び込んだ大穴を見た。

 すぐに飛び込もうとして、思いとどまる。

 何を思ったか、柳也はウェールズの遺体のもとへと走った。

 ウィリアムのオーラフォトン榴散弾の雨あられの中で、勇敢なる皇太子の遺体は、奇跡的に損傷を免れいていた。遺体に刻まれた傷跡は僅かに二つ。ワルドのエア・ニードルの刺殺傷と、柳也がウェールズからマナを得るために叩き込んだ、斬撃の痕のみだった。

 柳也は朱色に染まったウェールズの身体をまさぐった。何が形見になるような品はないかと視線を巡らせ、手を動かす。やがて柳也は、皇太子の指に嵌った大粒のルビーに気がついた。アルビオン王家に伝わる、“風のルビー”だ。

『水と風は、虹を作る。王家の間にかかる虹さ』

 不意に、柳也の頭の中に、ウェールズの言葉がよみがえった。

 柳也は死後硬直著しい王子の指からそれをはずすと、ジャケットのポケットに収めた。M-43フィールドジャケットは、ポケットの数と容量だけはある。

 指輪をしまった柳也は、改めてウェールズの遺体を前に瞑目し、短く念仏を唱えた。

 念仏といっても、「南無阿弥陀仏」と、短い言葉だけだ。

 異世界人相手に、地球の――それも仏教の――念仏がどれほど効くかのか。しかし、柳也はこれ以外に、誰かを送る言葉を知らなかった。

 柳也は穴に駆け戻った。

 彼が穴に潜ったとき、ウィリアムはまだ、謎の砲撃を受け止め続けていた。

 

 

 ヴェルダンデが掘った穴は、アルビオン大陸の真下に通じていた。

 才人達が穴から出ると、すでにそこは雲の中だった。落下する六人と巨大モグラを、タバサの使い魔の風竜・シルフィードが受け止める。人間達は背に。モグラは口で。

 口でくわえられたヴェルダンデが、抗議の鳴き声を上げた。

 穴から落ちてきた六人を受け止めて、タバサは怪訝な顔をした。

 ご苦労様、とシルフィードの首筋を撫でながら、「リュウヤは?」と、みなに訊ねる。

 すると才人達は、悲しげに顔をくしゃくしゃにした。

 まさか、と最悪の想像が、タバサの頭の中をよぎった。

 その直後だった。

 ヴェルダンデが掘った穴から、また一人、空へと放り出された。六尺豊かな大男。まごうことなき、桜坂柳也その人だった。

 朱色に染まった軍服姿の柳也は、シルフィードの姿を認めると、笑いながら手を振ってきた。

 才人達の顔に、笑顔が弾けた。

 タバサは彼を受け止めるべく、シルフィードの首を軽く叩いて命令を下した。

 

 

 風竜の広い背中の上に乗せられた途端、柳也は気を失ってしまった。

 振り返れば、ドーチェスター隊との戦闘からここまで、彼は今日一日で都合三度の連戦をしたことになる。

 シルフィードの背に揺らされながら、仲間達の壮健な姿を見てほっと気が抜けた途端、深い眠りに落ちてしまうのも仕方のないことだった。

 明らかに消耗した様子の柳也の姿に、みなはそのまま眠らせてやることにした。

 柳也がいかに戦ったかを知る才人達四人はもとより、お喋り好きのギーシュまでもが口をつぐみ、なるべく音を立てないように努めた。タバサとキュルケは、ケティの治療で忙しい。静かで、穏やかな時間が、シルフィードの背中の上で流れた。

 そんな中で、ルイズは柳也の頭を自分の膝に乗せながら、ぼんやり、アルビオン大陸を見上げていた。

 シルフィードはトリステインを目指して力強く羽ばたき、緩やかに降下を続けている。

 風竜はすでに雲の層を抜け、アルビオン大陸は次第に小さくなっていった。短い滞在だったが、ルイズ達の心に色々なものを残した、白の国だった。

 いつまで、そうして眺めていただろうか、ルイズは、もはや黒い岩の塊にしか見えない大陸から視線をはずすと、膝の上の柳也の顔を見た。

 黄色い肌。

 塵埃で汚れ、返り血に濡れ、小さな傷をいくつも負った、男の顔。

 よほど疲れが溜まっていたのか。若い男の肌にも拘らず、脂っ気の薄いかさついた頬を、ルイズはハンカチで拭ってやった。

 規則正しい寝息が、ルイズの掌を撫でる。

 ――こうやって黙っていれば、結構、いい男よね、こいつ……。

 汚れをふき取りながら、ルイズは胸の内で呟いた。

 と、そのとき、ハンカチを手にしたルイズの手が滑り、その指が、柳也の乾いた唇に触れた。

 思わずそちらに視線がいき……、彼の唇を見た瞬間、どくん、と心臓が跳ね上がるのを自覚した。

 心臓の鼓動は、一度の高鳴りでは留まらず、徐々に激しく、ビートを刻んでいった。

 ごくり、と、いつの間にか口の中に溜まっていた唾を飲み込む。

 異性の唇を見て、胸がときめくなんて、生まれてこのかた、初めての経験だった。

 突然、ルイズはこれまでに経験したことのない、強い欲求にかられた。胸の奥からせり上がる、したい、という激しい思い。

 ルイズは柳也の黒髪を撫でながら、そっと周囲を見回した。

 自分達はいま、シルフィードの背中の後ろの方にいる。

 前の方では、風竜の背びれをせもたれに、才人とギーシュが静かに語らい、こちらに背を向けていた。キュルケとタバサはケティの治療に集中して、こちらを見ていない。そしてマチルダはといえば、ひとり昼寝の真っ最中だった。

 ルイズは再び柳也に視線を落とした。

 腰を曲げ、上体を傾け、顔を寄せる。

 相手の産毛が見えるほどの距離まで近づいて、目を閉じた。

 そのまま、顔を進めた。

 唇に、肉の感触を感じた。

 乾いた、そして傷だらけの、薄い肉の感触だ。

 ルイズは、男の熱を、唇に感じた。

 

 

「……なあ、ギーシュ」

「言うな。サイト。それから、紳士として、いまだけは振り向くんじゃないぞ……」

 シルフィードの背びれに寄りかかりながら、二人の少年はひそひそと囁き合う。

 そのやや後ろで、土気色の顔に乾いた微笑を浮かべて、ケティはか細く呟いた。

「オーク鬼の居ぬ間になんとやら、ですかね……」

「……ケティ、あなた、言うわね」

 彼女の治療に努めるかたわら、キュルケは昼寝中のマチルダを見て呆れたように呟いた。

 他方、対面に座すタバサは無表情のまま。しかし、魔法の杖を握る手には力が篭もり、ぶるぶる、と震えていた。

 シルフィードは力強い飛翔で、一路トリステインを目指している。

 疾風のように空を飛ぶ風竜のせいで、強い風が、背中の上のみなをなぶった。

 冷たいはずの風。

 しかしルイズは、頬を叩く風を、温かく感じた。

 

 

 

 

 

 

 ティファニアは目の前の青年に驚いた眼差しを注いだ。

 今朝、朝食の準備をしている最中に、突然、居間で紅茶を飲んでいたシュンが「嫌な感じだな」と、呟いた。

 「え?」と、怪訝な表情を浮かべたティファニアが振り返ったときにはもう、シュンは家の外に飛び出していた。

 どうしたんだろうと思ったティファニアは、パンを焼くオーブンの火加減を年長のジムに任せると、彼の後を追った。

 はたして、シュンはすぐに見つかった。

 村の中央にある広場に立った彼は、腰に佩いた深紅の刀剣を抜き放つや空を睨み、突然、聞いたことのない言の葉を唱え出した。

 すると、シュンの足下に巨大な魔法陣が出現し……、ほどなくして、空に向けて突き出した彼の掌から、光線が発射された。

 何度も。

 何度も。

 やがて二十発近く、光線を発射しただろうか。

 突然、光線の連射をやめたシュンは、怪訝な面持ちで小首をかしげた。

 光線のあまりの眩さに家屋の陰に身を置いていたティファニアは、おそるおそる彼に訊ねる。

「しゅ、シュン……いま、何をしたの……?」

「……わからん」

 シュンはいつものようにぶっきらぼうな口調で、ティファニアの質問に答えた。

「……どういうわけかは分からないが、なにか、僕の大切なものを、誰かが傷つけているような……そんな気がした。だから、それらしい感じがする方向に向けて、とりあえず攻撃をしてみた」

「とりあえず攻撃した、って……」

 説明になっていないシュンの発言に、ティファニアは慌てた様子で光線が飛んでいった方角の空を見上げた。

 この無愛想な青年の持つ不思議な力がどれほどの威力を持っているのか。ティファニアは知っている。それだけに、光線が向かったその先でどのような大惨事が起きているか、想像するのが怖かった。

 慌てるティファニアをよそに、シュンは訝しげな表情を浮かべたまま、自分が光線を放った空を見上げた。

 先ほど感じた、嫌な感覚は、頭の中からすでに消えている。

 はて、あれはいったい何だったのか。

 異世界の空の下で、シュンは……・、

 永遠神剣第五位〈誓い〉の契約者は、いつまでも首をひねり続けた。

 


<あとがき>
 

 ゼロ魔刃は柳也の勝率低いなぁ〜。

 まぁ、国軍の後ろ盾がないし、仲間達とも常から一緒に訓練しているわけじゃないから、仕方なんだけど。

 さて、読者の皆様、おはこんばんちはっす。タハ乱暴でございます。今回もゼロ魔刃をお読みいただきありがとうございました。ようやく、ようやくさ、風のアルビオン編完結です。

 ルイズと柳也、そしてワルドの過去の記憶から始まったこの章が、無事に完結を迎えることが出来たのも、ひとえに読者の皆さんの応援あってこそ。まずは、支えていただいた皆様に感謝の言葉を述べたいと思います。サンキューベイベー、あかちゃぁぁん!!

 さて、原作者のヤマグチ先生が、二巻のあとがきで語っているように、風のアルビオン編のテーマは冒険でした。魔法学院の外に出たルイズ達が、見知らぬ土地で何を見、誰と出会い、どう感じたか。これこそ、冒険の醍醐味だといえるでしょう。

 ゼロ魔刃においても、風のアルビオン編のテーマは冒険です。

 魔法学院の外に飛び出した結果、愉快な仲間達は様々なものを見、経験し、その度に何らかの感情を覚えました。ルイズの気持ち。才人とギーシュの誓い。柳也の、ワルドに対する複雑な感情。最後には新たな永遠神剣と、ウィリアムの出自が判明し、愉快な仲間達に大きな脅威と、いくつかの疑問、そして柳也と才人にとっては、元の世界へ帰還出来る可能性を与えました。

 危険を冒す、と書いて冒険と読みます。これまでやったことのない、まったく新しい経験。当然、そこには大なり小なりのリスクがありますが、それを乗り越えた先には、まったく新しい成果が待っているものです。ビジネスと同じです。リスクを背負わねば、大きな利益は望めません。

 その点、今回の柳也達の冒険の釣果は、まぁ、上々だったと言えるのではないでしょうか。あくまでも、作者的に、ですが。最終的な判断は、読者の皆様にゆだねたいと思います。

 ゼロ魔刃は次回から新章突入です。そして次回は、ちょっとした実験的なお話となります。

 次回もまたお付き合いいただければ幸いです。

 ではでは〜




いや、今回もまた絶体絶命かと思ったけれど。
美姫 「意外な救援ね」
しかも、援護した方はそれと気付いていないしな。
美姫 「とりあえずが、まさか親友の命を救ったとは思わないでしょうね」
救われた方も分からないだろうな。
美姫 「いやはや、どうにかピンチをまた凌げたわね」
手に汗握る展開だったからな。ようやく一息だな。
美姫 「次回は姫様に報告って所かしらね」
どうだろうか。そんな気になる次回は……。
美姫 「この後すぐ!」



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