※本作は永遠のアセリアAnotherの番外編短編小説です。

 アセリアAnother本編ではありえない話を、オリ主桜坂柳也とヒロインのカップリングで進行させていきます。

 なので、そういった話がお嫌いな方……原作キャラがほとんど活躍しねぇぞ。どういうことだゴラァ!? な、人は、今すぐバック・プリーズ。

 そうじゃない方は、稚拙な文章ではありますが、しばし目線をお留めいただければ幸いです。

 

 

 あ、あと本作はあくまで番外編なので、時系列は基本とんでもないことになっています。

 なので、その辺りもよろしくお願いします。

 

 

 

 龍の大地を舞台に起きた、永遠の時を生きる神々と、限りある命を燃やす人間の戦いは、人類の勝利に終わった。

 神々の支配から脱した人々は、自分達が実力で掴み取った勝利に酔い、歓喜に震えた。

 しかしそんな中、人類側の先鋒を務め、大戦中最も活躍した一人であるエトランジェの男は、その勝利を素直に喜べずにいた。

 神々との戦争では、多くのものが失われた。

 それはたくさんの命であり、未来であり、そしてまた、自分自身の時間だった。

 二十歳を目前にして神々の姦計に巻き込まれ、若き日の貴重な時間を浪費して戦わざるをえなくなった男は、やがて戦争が終わった後嘆いた。

 具体的には、

「俺の青春を返しやがれー!」

と。

 それは世界の中心ではなく、龍の大地の一地方都市の端っこにて叫ばれた。

 人知れぬ川原の橋の下で叫ばれた魂の言葉は、彼をよく知る人々の耳には届かなかった。

 しかし、彼をよく知る神々の耳には、ちゃっかり届いていた。

「それなら、失った青春をわたくし達のもとで取り戻しませんこと?」

 そう申し出たのは先の大戦で敵として戦った法皇の名を冠する永遠存在。

 彼女は彼に三度の飯と住む場所と、毎日の服を提供するから自分達のもとで働かないか、と訊ねた。

 甘い話には裏がある。

 彼女の囁きに、男は、いかんいかん、と思いながらもホイホイ頷いてしまった。

 頷かなければ、話が進まなかったからだ。

 かくして男……桜坂柳也は、就職氷河期のこの時代、新たに職を得た。

 雇用主の名は法皇テムオリオン。

 秩序の永遠存在の中でも、ナンバー3に当たる大物中の大物。

 柳也は彼女の、お茶汲み係として採用されたのだった。

「お茶汲み係……って、話が違うだろう! 」

 柳也の二度目の嘆きは、龍の大地ではなく、彼女の居城にて響いた。

 彼が取り戻そうとした青春は、お茶汲み係として費やされるのだった。

 

 

 

永遠のアセリア

-The Spirit of Eternity Sword Another Story “Twin Edge of Protection”-

番外編 Episode03「イベリア半島の苛め ――まさかのテム様ルート――」

 

 

 

 ある次元の裂け目にて……。

 銀河宇宙の何処かより持ち出した直径二十キロメートルの小惑星。

 鉄を多く含む岩の塊を開拓した地平に建てられたレクタンギュラー・キープ式の城が、法皇テムオリンの現在の居城だった。

 ロウ・エターナル集団の一員として、様々な宇宙、様々な銀河、様々な世界に介入するのを常とする彼女は、特定の根城というものを基本的に持たない。一箇所に留まることによる襲撃の危険性もさることながら、作戦の度に前線基地を用意した方が効率的だからだ。

 戦いに際しては千手先を見通す戦略眼を持つ法皇は、何より効率性を重視する。

 そんな彼女の数少ない例外が、このレクタンギュラー・キープ式の宮殿だった。

 もとよりこの建築様式は、恒久的な拠点としての設計思想を持つ。永遠を生きるエターナルにとっての恒久とは、すなわち永遠に他ならない。それだけでも、この城が例外だと窺えよう。エターナルは不老だが、不死ではない。また、子どもも作れぬ身だ。レクタンギュラー・キープ式宮殿は、次代の後継者もまたそこを根城とすることを想定している。ために、恒久拠点なのだ。子を作れず、また後継者の問題にも囚われないエターナルが、このタイプの城を持つこと自体、異質といえた。

 東京ドーム七個分の広大な敷地には、様々な施設が設けられていた。

 このうち、テムオリン本人と、彼女の直属のエターナル達が暮らす宮城は、敷地中央の矩形のキープの上に建てられていた。

 建物自体はルネサンス以降の建築様式が色濃い構造物で、いわゆる御伽噺に登場する類の城だ。

 その城に設けられたバルコニーの一つで、マーブル模様の赤い空を仰ぎながら、法衣に身を包んだ少女は書類仕事に精を出していた。

 法皇テムオリン。

 ロウ・エターナルの古参メンバーの一人にして、虚空の拡散トークォに次ぐ実力者の一人。

 時間の概念が存在しない異空間にあって、彼女はもう三日もの間、卓上に広げられた紙面と格闘していた。

 書類の内容はいずれも今後ロウ・エターナル集団が“始まりの永遠神剣”を完成させる上で重要な作戦計画に関するものばかり。

 世界を破壊し、世界に満ちるマナを吸い上げ、高位の永遠神剣を掌中に収める。そのために必要な人材と予算、予想される敵対勢力の抵抗と、それを抑え込むために必要な戦力の見積もり書。緻密な計算の果てに導き出された数字と名前を何度も思考実験し、およそこれ以上の完成度は不可能と思えるような計画を練り上げる。

 そのためにテムオリンが割いた時間はすでに八五時間以上。不老のエターナルにとって大した時間経過ではないが、さすがに少し疲れてきた。

 書類仕事に一区切りをつけたテムオリンは、円形テーブルの上に置かれたベルを手に取る。

 振れば超音波を音色を奏でるベルは、この宮殿に仕える使用人を呼ぶための物だ。

 休憩のためベルを鳴らすと、五秒と経たぬうちに、バルコニーに一人の男がやって来た。

 最近雇ったばかりの給仕係の男だった。青春時代の貴重な時間を、茶汲み係として浪費することを選んだ酔狂人だ。

「や、酔狂人って……私だって、仕事の内容が茶汲み係だと事前に知らされていれば、あの申し出も受け入れていませんて」

 シンプルなデザインの燕尾服に身を包んだ彼は、憮然とした表情で言った。

 そろそろ自分に呼ばれる頃合だと見当を付けていたのだろう。すでに温かに息をするポットを含むティーセット一式を掲げ持っている。

「……用意が良いですわね?」

「先の発言は無視ですか。ああ、そうですか。……いやね、いままでの経験から、そろそろお呼びになられるかと思いまして」

「では、今度からは意識して時間をずらすことにしましょう」

「それは苛めですか?」

「さ、早く淹れてくださいな」

「また無視ですか。ああ、そうですか」

 給仕係の男は忌々しげに口元を歪めながら、手早くテーブルの上を片付けて、ティーセットを並べていった。ちゃんと葉を蒸らした時間が分かるように、砂時計も持ってきている。

 雇い始めた当初はぎこちなかった手つきも、いまでは手馴れたものだ。あっという間に、お茶の準備が整ってしまった。

 着々と進む準備を眺めながら、テムオリンは、それも当然か、と思った。

 自分がこの男……桜坂柳也を、自分専属の給仕係として採用して、すでに五年が経っていた。馴れるのは当然だったし、五年も経つのだから、少しは上達してもらわなければ困る。

「カップはすでに温めておりますので」

「では、カップが冷めるまで待ちましょうか」

「あの、私の努力を、無駄にしないでいただきたいんですが?」

 憮然とした口調。やさぐれた声音。

 なぜかそれが耳に心地良く、テムオリンは、口元を緩める。

「冗談ですわ。あなたを弄るのは楽しいですけど、それで紅茶の味を落としては、勿体ないですしね」

 柳也は何か言いたそうな顔をしたが、テムオリンは無視してポットに手をやった。

「茶葉は?」

「オレンジペコ。二杯飲むかと思いまして、三杯分入れておきました」

 紅茶を飲む時のゴールデンルールの一つだ。茶葉は人数+一杯分が適量。

 この城にやって来た当初、何も知らなかった彼に、自ら手本を示したのは、懐かしい思い出の一つだ。いまでは彼も、自分の教えたゴールデンルールを完璧に覚えてしまった。

 テムオリンは満足げに頷くと、ポットからカップに紅茶を注いだ。

 匂いたつ香気が、自分の鼻腔を刺激する。

 合格。

 しかし、口に出して言うと目の前の男が調子に乗るので、賞賛の二文字は胸の内に秘めておく。

 角砂糖を二つ、碗の中から取り出し、カップの中に入れた。ほのかに香るブランデーの匂い。なるほど、角砂糖に仕込んでおいたのか。スプーンでかき混ぜ、まずは一口。

 味も、合格だ。茶葉の質が良いこともあるが、ちゃんと高い場所から湯を注ぐことで、ポットの中で葉を十分に躍らせている。

 採点は……辛口に見積もっても、九十点は固いだろう。

 だが、先にも記したように、この男は褒めると、調子に乗る。

 だから口に出す言葉は、

「……五五点」

「……手厳しいですねぇ」

 柳也は難しい表情を浮かべて呟いた。

 すぐに、眉根を寄せて思索に耽る。さて、今回の紅茶はいったいどこが悪かったのか。そう考えているに違いなかった。

 テムオリンは構わずに問う。

「今日のオレンジペコは、どちらの産地です?」

「本場インド産の物を買ってきました。私自ら地球に足を運びまして。……苦労しましたよ。“門”を使わせてもらえないものですから、高速宇宙艇で、マキシマ・ドライブを連続で使用して、それでも片道三ヶ月掛かりました」

 柳也はにこりともせずに淡々と答えた。マキシマ・ドライブは光速の何十倍もの速度で宇宙を進む技術だが、門を使っての次元跳躍を可能とするエターナル達の間では、すでにローテクの範疇に入る。

「往復半年の労の末が五五点とは……甲斐のない話です」

 柳也は皮肉っぽく言って、テムオリンを睨んだ。

 小さき法皇は、おすまし顔でカップを傾け、その視線を受け流す。

 彼に“門”を使うな、と厳命したのは他ならぬ自分だった。

 何よりも効率を優先する彼女が、“門”を使えばもっと早く済むものを、なにゆえ次元跳躍はするな、と命じたのか。理由は簡潔にして、明白だった。柳也の苦労する姿が見たかったからだ。半年の旅を経て、疲れきった彼の顔を見たい欲求にかられたからだ。

 桜坂柳也を雇ってからの五年間、テムオリンはとにかくこの男を弄繰り回すのを楽しみとしていた。

 かつて自分に逆らい、自分と戦い、自分に打ち勝ったこの男を顎でこき使う。彼の困った表情や疲れた様子を見る度に得られる快感は忘れ難く、病み付きにさせてくれた。柳也の情けない姿をもっと見たいと、彼の情けない声をもっと聞きたいと思い、かくして、意地悪の矛先は彼にばかり向くようになった。

 ――半年分の苦労の甲斐が僅か五五点とは……!

 憤然とした感情を必死に押し殺す柳也の内心を察して、テムオリンはひとり悦に浸った。

 無言で注いでくる何か訴えかけるような眼差しが何とも心地良く、官能的で、ゾクゾク、と快感のパルス信号を発生させた。

 テムオリンは口元に酷薄な微笑を浮かべながら、カップを置いた。

「でも、まぁ……茶葉自体は悪くはありませんでしたよ? 及第点といったところですか」

 本当は合格点だが、あえてそう言っておく。

「また今度買ってきなさい」

「……分かりました」

 肩を落とした柳也は、しかしそれほど落ち込んではいない様子だった。むしろ、嬉々とした微笑を浮かべ、恭しい態度で自分の言葉を拝命する。

 また往復半年の旅に出ねばならないというのに、文句の一つもこぼさず、この表情……。

 その態度が気になったテムオリンは、言葉を重ねた。

「……いったい何です、そのアホ面は? そんなに地球に行けるのが嬉しいですか?」

「アホ面……って、一応、親から貰った大切な顔なんですけどねぇ。……いやね、勿論、故郷に帰れる嬉しさはありますよ」

 柳也は屈託のない笑みを浮かべて言った。

 五年という時間は、限りある命を生きる者にとって、決して短くはない。

 あの龍の大地で戦っていた時よりも僅かに険を帯びた顔立ちを柔和に綻ばせ、柳也は続けた。

「でもまぁ、それと同じくらい嬉しいことを見つけましてね。……今回の茶葉を買った店の店員さんが、美人でしてね。年上だし、ストライクゾーンど真ん中なんですよ」

「…………」

 テムオリンはじと目で柳也を睨んだ。

 何がそんなに嬉しいのかと思えば、なんだ、そんな理由か。

 しかし男は雇用主の視線にも気付かず、続ける。

「それはもう、猛烈にアタックかけましたよ。おかげさまで、彼女のアドレスゲットしました」

 よほど好みのタイプだったのか、柳也は嬉しそうに自らの釣果を誇ってみせた。

 自分が業務用にと持たせた携帯電話のフリップを開き、画面を示して莞爾と笑う。

 銀河間の通信も可能な携帯電話には、彼の母国語で、女の名前が表示されていた。どう発音するのかは、さすがに分からない。

「…………」

 テムオリンは能面のような表情で携帯電話の液晶画面に視線を注いだ。

 身長差から男の顔を見上げ、ぽつり、と一言。

「柳也、先ほどの言葉は撤回しますわ」

「……はい?」

「金輪際、件の喫茶店に足を運ぶことを禁止します」

「のわああ!?」

 かつてない衝撃を受け、柳也の顔が悲壮に歪んだ。

 テムオリンの背筋に、また、ぞくぞく、と快楽電流がひた走る。

 情けない顔。情けない声。ちょっと言葉の矢を射っただけでこの様子……だからこの男は面白い。

 テムオリンは楽しげに続けた。

「それから、業務用にとあなたに渡していたその携帯電話ですが……そのようにプライベートにばかり使うのでしたら、没収しますわ」

「ぬわんと!?」

 柳也は泣きそうな顔になった。

 ちなみにこの男、携帯電話を持つのは人生でこれが初めてのことだったらしい。

 二度目の衝撃に放心し、一瞬、虚脱状態に陥った柳也の手から、テムオリンは素早く携帯電話を奪い取った。

 男の唇から「ああ……さようなら詩音さん……」と、悲しげな呟きが漏れた。

 そうか。相手の名前は詩音というのか。今度タキオスに命令して、いびらせるとしよう。

 柳也は半泣きの顔で、自分を見下ろしてくる。

 うむ。良い表情だ。情けないことこの上ない。

 テムオリンは満足げに頷くと、カップの底に残ったゴールデンシロップをすすった。

 男の悲しげな表情を目で楽しみ、男の嘆きを耳で楽しみ、男の淹れてくれた茶を舌で楽しむ。

 桜坂柳也という男を手元に置いて、はや五年。

 その間に、幾度となく繰り返した至福の時間。

 それを心ゆくまで楽しんで、テムオリンはあどけない微笑をこぼした。

 

 

 その男の情けない姿が見たい。

 その男を手元に置いて、常に苛めていたい。

 法皇テムオリンが桜坂柳也という男に対して、そんな歪んだ感情を抱くようになったそもそものきっかけは、五年前、龍の大地での戦争が最終局面に至ったときに遡る。

 人間達が自分達エターナルの介入に気付き、愚かしくも戦いを挑んできた。雪と氷に覆われたソーン・リームの大地を突き進む軍団の、先鋒を務めていたのが桜坂柳也という男だった。彼は圧倒的な戦力と兵力の差を、知恵と勇気を以って補った。神にも等しい自分達にも果敢に立ち向かうその姿は美しく、テムオリンは何とかしてこの男を汚してやりたい、屈服してやりたいと強く思った。強い男を、女の……それも子どもの姿をした自分が辱める。それはこの小さき法皇にとって、最上の快楽を伴う行為だった。

 しかし、その思いは戦争中、ついぞ果たされることはなかった。

 男は仲間達とともに死力を尽くして戦い、ついには自分達に勝利した。

 敵対勢力のエターナルの援護があったとはいえ、戦力で優越している自分達を、人間の軍勢が破った。その事実はテムオリンに大きな衝撃を与えた。そして自分達を打ち破った人間達の中核をなした人物……桜坂柳也を、是が非でも苛めてやりたい、という執着心にかられた。出来れば自分の手元に置いて、永遠に苛めてやりたいと、強く、心の底から思った。

 折しも戦争終結後、桜坂柳也は今後どうするべきか、自身の目標を見失っていた。

 この男は生粋の戦士であり、太平の世にあっては居場所のない男だった。

 そんな彼の寂しげな背中を見たテムオリンは、これを好機と捉えた。

「それなら、失った青春をわたくし達のもとで取り戻しませんこと?」

 かくして、桜坂柳也はかつて敵対していた自分達の下にやって来た。

 ようやく手に入れたこの男を、テムオリンは早速、弄った。

 手始めに彼が到底望まぬ仕事を押し付け、自由を奪った。

 エターナルの自分に仕えるのだからと強制的に人体改造を施し、五百年は生きられるようにした。

 それから、テムオリンは、じわじわ、と彼を言葉で責め立てた。戦場では無類の槍働きをこなすこの男は、平時にあっては打たれ弱く、自分のちょっとした言動や、日々のふとした出来事で情けない顔を見せた。

 自分達を打ち負かした男は、こんな軟弱な人間だったのかと失望した。

 しかし同時に、テムオリンは歓喜に震えた。

 これはちょうど良い玩具を手に入れたぞ、と。

 大した労力をかけずとも、いつでも自分の嗜虐心を満たしてくれる、面白い玩具。

 いつからテムオリンは、この大好きな玩具を手放すことが出来なくなっていた。

 常に手元に置いて、自分のために茶を淹れさせる。

 柳也の淹れた茶をすすりながら、彼を苛め、彼の情けない顔と悲鳴を楽しむ。

 その時間が、永遠を生きる彼女の中で、かけがえのないものになっていた。

 勿論、いつかは終わる時間だ。桜坂柳也の命が有限である限り、いずれ終焉の時は訪れる。

 また、かの男は気分屋な一面があり、いつ、興味の対象が自分から他のものに移らないとも限らない。特に、桜坂柳也という男は女好きで、豊満な身体つきをした熟女を好むきらいがある。翻って、少女の頃に成長を止めてしまった自分の身体つきは、残念ながら女性としての魅力に溢れているとは言い難い。いつまでも繋ぎとめておくのは難しいだろう。

 いつかは終わってしまう時間。いつかは終わってしまう蜜月。ゆえにテムオリンは、今日もまたこの時間を存分に楽しむのだった。

 

 

「それなら、失った青春をわたくし達のもとで取り戻しませんこと?」

 かつての敵からその申し出があった時、桜坂柳也の中で葛藤がなかったわけではない。

 先の大戦ではこの女の策のために多くの命が失われた。敵も味方も、それこそ数多の命が、マナへと還った。

 ――この女の下で働かねばならないのか。

 当時、戦争の熱気冷めぬ時期に柳也が遭遇した葛藤は、並大抵のものではなかった。

 しかし、彼は最終的にその申し出を受け入れ、小さき法皇の部下となった。

 戦争の直後で生きる目標を見失い、受け入れざるをえなかった、というのも、理由の一つだ。

 しかし何より、柳也にテムオリンの傘下に入ること決心をさせたのは、彼自身の抱えたある感情の訴えゆえだった。

 その感情とはすなわち、愛。この女の側にいたい、と強く思う己の心。

 柳也は、かつて敵対したこの神のことを、心より愛していた。

 彼がその想いを自覚したのは、大戦終結直後のことだった。

 神剣に支配されていた大地。

 その衝撃の事実に大陸の人々が気が付いた時、柳也達の目の前に立ちはだかったのがテムオリンらロウ・エターナル集団だった。

 永遠の時を生きる神々は人類に対して宣戦を布告した。

 敵はあまりにも強大だった。

 しかし、万に一つの望みに賭けて、人類は死力を尽くした。

 互いにエーテル・ジャンプ技術を駆使しての局地戦を繰り返すこと百回以上。ソーン・リーム自治領に敵軍の根拠地があることを突き止めた人類は、総力を挙げてこれを強襲した。

 敵が“エキスパッション・ゲート”と呼称する要塞内での死闘は熾烈を極めた。

 数十にも及ぶ防衛線を突破しての白兵戦は、やがて敵のエターナルも自ら参戦する狂乱の坩堝と化した。

 神対人。

 壮絶な戦いの中で、柳也は法皇テムオリンとの直接対決に臨んだ。

 かつてない強敵だった。

 二十年の歳月を費やして磨いた己の剣技はまるで通じず、どんな作戦を用いてもたちどころに見破られてしまった。

 柳也は持てる力のすべてを投入して戦ったが、まったく歯が立たなかった。

 無力感が、己の心を支配した。

 こんな敵は初めてだった。

 かつてないほどに、魂が震えた。

 かつてないほどに、感情が昂ぶった。

 もっと戦いたい、と強く想った。

 この女とずっと戦わせてくれ、と強く願った。

 これまでにも自分の闘争本能を満たしてくれる女はいた。

 しかし、あの時ほど全身の細胞が喜びに震えた瞬間はなかった。

 この男にとって、法皇テムオリンとの対決はまさしく至福の時間だった。

 柳也は粘った。

 絶対的な実力差の戦いの中で粘り続けた。

 この至福の時を、一秒でも長く過ごしたい。

 この至高の歓喜を、一秒でも長くしゃぶりつくしたい。

 その一念で、神を相手に粘り続けた。

 やがて、至福の時間は終幕を迎えた。

 人類側に与したカオス・エターナルの援軍が戦線に到着、テムオリンに波状攻撃を仕掛け、これを討ち取ったのだ。

 首魁を失った敵軍はたちどころに崩壊した。

 かくして人類は勝利を収めたが、柳也には不満が残った。

 戦争には勝った。しかし、自力で得た勝利ではない。何より、テムオリンとの決着を、自分一人で着けられなかったことが不満だった。負け、でもよかった。戦いの果てに待っている結果が、“死”だとしても、従容と受け入れるつもりだった。それなのに、戦いの途中に横槍を入れられたことが、柳也には我慢ならなかった。

 ――もう一度、彼女に会いたい。もう一度、彼女と戦いたい。そして、今度こそ決着を着けたい……。

 終戦後、柳也はそのことばかりを考えていた。

 しかしまた、彼はその願いは決して叶わぬものと自覚していた。

 相手は永遠の時を生きる神にも等しい存在だ。人間の、それも敵だった自分の願いなど、聞き入れてくれるはずがない、と。

 そんな風に考えている時に、法皇は再び柳也の前に現われた。

「それなら、失った青春をわたくし達のもとで取り戻しませんこと?」

 その言葉を聞いた時、柳也の心の中には、葛藤と同時に歓喜が生じた。

 もう一度、この女と戦えるかもしれない。

 いやそればかりか、あの歓喜の瞬間を何度も味わえるかもしれない。

 この女の下にいけば……。

 この女と一緒になれば……。

 このとき、柳也は初めて自分の中に生じた思慕の感情に気がついた。

 法皇テムオリン。かつてなく、自分の魂を震えさせた、最高の女。その女と、もう一度戦いたい。もう一度会いたい。あわよくば、ずっと一緒にいたい! あの歓喜を、ずっと感じていたい!

 歪んだ愛だという自覚はあった。

 しかしそれ以前に、もともと自分は異常な人格の持ち主だという自覚が柳也にはあった。戦争を望み、戦争の中でしか生きられず、死の恐怖に恍惚とする。そんな男が、異常でなくて何だというのか。

 自らを異常者だと自覚するこの男は、自らの欲求にどこまでも忠実だった。

 これまでともに戦ってきた戦友達との別れを惜しむ気持ちは、無論あった。

 しかし結局、柳也は自身の思慕の感情を満足させるために、テムオリンの申し出を受け入れた。

 

 

 かくして、桜坂柳也は法皇テムオリンの臣下となった。

 龍の大地を離れることになった彼は、これからの日常を思って心躍らせた。

 いったいどんな世界が待っているのか。広大な宇宙を縦横無尽に駆け巡る法皇の下で働くとはどういうことなのか。

 この男は日本人だが、アングロサクソン的な冒険心を持ち合わせていた。まだ見ぬ世界への憧れを胸に抱き、新たな職場へと身を投じた。

 しかし、彼に与えられた仕事は、当初予想していたどんな仕事とも違った。給仕係。それも、法皇が気まぐれに催すティータイムにのみ呼ばれるという茶汲み専門の係。

 新たに命じられた仕事の内容に、柳也は困惑と落胆を同時に感じた。

 まさかテムオリンは茶汲み係欲しさに自分を勧誘したのか……? いやまさか、いくらなんでもそれはありえまい。給仕係なら、ミニオンを使えばいいことだ。しかし、相手は永遠の時間を生きる神にも等しい存在だ。その言動は常人には理解しがたい思惑を孕んでいる可能性も否定出来ない。

 桜坂柳也は、三度の飯よりも戦いが好きな男だった。法皇の下でも戦うことを望んでいただけに、彼の感じた落胆は大きかった。

 とはいえ、今更掌を返すわけにもいかない。男が一度約束した以上、それは不義理というものだ。

 柳也はテムオリン専属の茶汲み係として日々を過ごすようになった。

 最初は不平不満を口にしながら務めていた茶汲みの仕事だったが、数日も経たぬうちに彼の毎日は充実したものとなっていった。

 茶を用意する、という文字にすればたったそれだけの行為は、実際にやってみると奥深く、なるほど、茶道なんてものがもてはやされるわけだ、と感心した。ポットに注ぐ湯の温度が一度違うだけで、味と香りがまったく違ってくるのだから、こいつは研究のし甲斐がある。

 また、職場の労働環境も悪くはなかった。テムオリンの城には彼女に仕えるエターナルミニオンが多数働いており、彼女らはみな眉目秀麗な美人ばかりだった。

 加えて神剣士の彼女らはみな戦闘力高く、休日には彼女らとの立ち合い稽古が柳也の日課となった。時にはタキオスやメダリオといった、テムオリン子飼いのエターナル達も参戦する立ち合い稽古は、この男にとって何よりの至福の時間だった。

 仕事に恵まれ、美人の多い職場に恵まれて、己の闘争本能まで満たしてくれる。あまつさえ、そこには自分の想い人までいる。その上で不満をこぼそうものなら、それは男として罰当たりというものだろう。

 最初口にしていた不平不満は、一年が経つ頃には、すっかり、なくなっていた。

 

 

 仕事に対する不満はなくなったが、最近の柳也は、自分の仕事に対して不安を感じていた。

 どういうことかといえば、

 ――はたして自分の給仕は、本当にテムオリン様の役に立っているのか?

という疑問に由来した不安だった。

 ある意味で、ロウ・エターナルの組織の発起人とでもいうべきテムオリンの毎日は多忙を極める。実力的にはナンバー2の地位にあるにも拘らず、組織の運営にはまるで興味のない虚空の拡散トークォや、そも意識のないリーダーのミューギィが何もしてくれないため、彼女にばかり負担が掛かっているからだ。

 そんな彼女の疲れを、僅かなひと時でも忘れさせることが自分の茶に出来ているのか?

 この五年間、ずっと彼女の側で、彼女のことだけを見てきた柳也には、そのことが不安だった。

 自分の魂を震えさせてくれた女が疲れた表情を浮かべているのは、柳也にとって苦痛でしかなかった。

 今日も仕事のために机と向き合う小さな背中を眺めながら、男は小さく溜め息をついた。

 給仕とは、本来、役所や会社のオフィスで書類の持ち運びや、茶汲み、ガリ版印刷といった雑用に使われた子供のことをいう。すなわち、雇用主の負担を減らすのが、給仕の仕事だ。

 そして自分に与えられた給仕の仕事は茶汲み係。茶を淹れて、雇用主の疲れを癒すことが命題だ。

 それなのに、本日の自分の紅茶に対する採点は半分よりやや上の五五点。この採点では、とてもではないが彼女の疲れを癒せているとは言い難い。

 今日ばかりのことではない。この五年間、自分は茶の技術を磨き続けたが、六十点以上の評価をもらったことは一度としてなかった。

 ――役立たずだよな、俺……。

 そればかりか無駄飯喰らいだ。高い給金を貰っておいて、衣食住の保証までされて、それなのに五年経ってもなお与えられた仕事を満足にこなすことが出来ない。迷惑をかけてばかりの存在だ。

 その事実がなんとも歯がゆく、なんとも悔しく、なんとも苦痛で、恐ろしかった。

 幼少の折に両親を失って以来、この男は極端に孤独を恐れるようになった。

 そんな柳也にとって、役立たずの烙印を押されることはこの上なく恐ろしいことだった。なぜならそれは、容易に孤独の出入口となりうるからだ。役立たずの評価の果てに見切られる。見限られる。彼はそうなることを酷く恐れていた。

 いっそ必要とされなくなるくらいなら、自分から辞意を示した方がまだましだ。柳也はそう考えてすらいた。

 ――自ら職を辞す、か……それもいいかもしれないな。

 このまま迷惑をかけるくらいなら、思い切って彼女の下を離れた方が、他ならぬ彼女のためになるかもしれない。

 柳也が法皇の下で茶汲み係を務めるようになって五年、この男の懊悩は深まるばかりだった。

 

 

 桜坂柳也が法皇テムオリンの下で働くようになって、もうじき六年目を迎えようとしていた。

 時節は地球でいうところの七夕の時期らしい。

 次元の裂け目に位置する法皇の城には四季の移り変わりがなく、地球出身の柳也にはどうにもその辺りの時間感覚が把握しづらかった。

「七夕の予定? いや、特にはないけど……」

 先日、地球に行って新たに購入した茶葉を試していた柳也は、不意の質問にそう答えた。

 問いを投げかけてきたのは同僚のミニオンの娘だった。自分と同じ給仕担当で、厨房でよく顔を合わせることから、それなりに親しい付き合いをさせてもらっている相手だ。愛らしい顔立ちをした赤毛の少女だった。

 彼女は自分の答えに満足げに頷くと、照れたようにはにかみながら言う。

「じゃあさ、その日、私と一緒に星を見に行かない?」

「星を?」

「そう。ライメイに乗って」

 宇宙船ライメイは二人乗りの小型の宇宙船で、小さいながらマキシマ・ドライブ航行が可能な船舶だ。柳也の権限で唯一自由に動かせる宇宙船でもある。視界の広いバブル・キャノピー搭載機だから、二人で星を眺めるには最適の船だろう。 

 柳也は頭の中で彼女の申し出を吟味してみた。

 確かに自分はこのところ稽古か、茶を淹れるかのどちらかばかりで、まともな休みを取っていなかった。ここいらで息抜きするのも良いかもしれない。ゆっくり星を眺めながら、隣の席の彼女と語り合う。素敵なアイデアに思えた。

「応。そうしよう」

「じゃあ、決まり。地球には七夕伝説ってあるんでしょ? 星、眺めながら、それ教えてよ。……デートなんだから、ちゃんと予習しておくように!」

「任せろ。ちゃんとエスコートしてやるよ」

 柳也は莞爾と微笑んでその申し出を受け入れた。

 仕入れたばかりの茶葉を試した紅茶を一杯、口に含む。

 個人的には九五点の評価だが。

 ――俺の九五点は、どうもテムオリン様には六十点程度らしいからな。

 もっと腕を上げなければなるまい。

 近い将来に待つ七夕と、それよりもっと近い未来に待つ、午後のティータイム。

 二つのことを考えながら、柳也は複雑そうに溜め息をついた。

 

 

 そんな厨房でのやり取りは、雇用主の法皇には筒抜けだった。

 今日も宮城のバルコニーで書類仕事に励んでいたテムオリンは、その片手間に、千里どころか十光年先をも見通す眼力を以って、柳也のことを監視していた。

 特別、監視の理由はない。自分の玩具がいま何をしているのか、少し気になっただけのことだった。桜坂柳也という男は極上の玩具だが、自分になんの断りもなく勝手な行動を取ることがしばしばある。龍の大地にいた頃は、持ち前の好奇心のせいで何度も危険な目に遭った。自分の玩具が勝手な行動の果てに、自分の知らないところで傷つくのは、不愉快極まりないことだった。

 ――自分の玩具なんですから、自分で管理しないといけませんものね。

 テムオリンは、ぶつぶつ、呟きながら厨房で新しい茶葉を試す柳也を眺めていた。

 そこに、自分の配下のミニオンの一人がやって来て、彼に話しかけた。

 話の内容が気になったテムオリンは、〈秩序〉の力を少しだけ解放して、耳を研ぎ澄ます。

 どうやら彼女は、柳也をデートに誘っているらしかった。根が女好きの茶汲み係は、嬉しそうに微笑んで、その申し出を受け入れた。その笑顔を眺めていると、急速に、腹の底から不快感が込み上げてきた。胃のあたりが、ムカムカ、し出し、ペンを握る指先に知らず力が篭もる。

「…………」

 テムオリンは自身の眉間に、くっきり、と縦皺が刻まれるのを自覚した。

 対面で同じく書類仕事に励んでいたントゥシトラが、訝しげな視線を向けてくる。

 「きゅるるぅ?」と、訊ねてきた彼に、テムオリンは「何でもありませんわ」と、応じた。

 しかし、眉間の皺は相変わらずで、表情もまた険しい。

 不機嫌な感情が、後から後から、湧き上がってきた。

 脳裏に思い浮かぶのは、先ほど見た男の笑顔。自分の前では、決して見せない、嬉しそうな顔。

 あれは――――――

 あの男は、自分の玩具だ。自分だけの玩具なのだ。

 あの男の情けない表情も、笑顔も、全部自分のものなのだ。

 他の誰でもない、自分の……。

「……きゅぐるきゅるぐぅ〜?」

「……そうですわね。嫉妬、なのでしょうね。自分の玩具を、勝手に使われていることに対する」

 テムオリンは上品に微笑んで、懐より白紙の紙を取り出した。

 素早くペンを走らせ、新たな命令書を作成する。

 にっこり、笑って、業火の炎帝にそれを差し出した。

「すみませんが、これを、宇宙港の管理責任者に渡してくださいな」

「ぐきゅるぅ」

 

 

<宛、守護の双刃のリュウヤ。

 本日より宇宙船ライメイの使用を一切禁ずる。

 発、法皇テムオリン>

 宇宙港の管理責任者よりその文書を渡された柳也は、ついに来るべきものが来たか、と深々と嘆息した。

 自分が法皇の下で働くようになってもうすぐ六年、一向に上達しない自分の腕前に、とうとう見限られたか。

 茶葉の買出しにも使っているライメイを使うな、ということは、そういうことなのだろう。遠回しに、辞表の提出を求めている公算が大だった。

 ――仕方ない、か……。

 すべては自分の努力不足が招いた事態だ。テムオリンを恨む気にはならない。

 まさか二十代半ばにして辞表を書く羽目になろうとは、と内心ぼやきつつ、柳也はパソコンのワープロソフトを起動させた。

 生まれて初めて持った自分専用のパソコンとも、そろそろお別れか。

 支給品だから、返納の前に中のデータを処分しなければならない。

 ブラインドタッチで文字を叩き出す傍ら、柳也は不要なデータをどんどん消去していった。

 

 

 翌日、辞表を提出しようと思ったが、肝心のテムオリンは城内から姿を消していた。

 ロウ・エターナル集団の一員、悟りの死睨のアジトの一つをカオス・エターナルの一団が強襲し、その救援のため城を出て行ったからだ。

 懐刀のタキオスを連れて行かなかったことから大した規模の戦闘ではない様子だったが、それでも、第二位の神剣士自らの出陣だ。銀河系の一つくらいは消滅するかもしれない。

 ――無事だといいが……。

 柳也は何の手助けも出来ない自身の非力さを悔やみつつ、タキオスを探した。

 黒き刃のタキオスはロウ・エターナル、テムオリン集団内でもナンバー2の地位にある男だ。テムオリンが城中にいない現在、辞表は彼に提出するべきだろう。

 はたして、タキオスはすぐに見つかった。

 自分と同様三度の飯よりも戦いが大好きでたまらないという男だ。練兵場に行けば会えるだろう、という柳也の考えは、見事的中した。

 練兵所にてひとり稽古に励むタキオスに、柳也は早速昨日したためたばかりの辞表を提出した。

 自分の辞意を知ったタキオスは、会って早々、露骨に顔をしかめた。

 そんな彼に、柳也は莞爾と微笑んでみせる。

「そんな顔をしないでくださいよ? これで、テムオリン様を狙うライバルが一人減るんだ。もっと喜んでください」

 身の丈二メートルをゆうに超えるこの巨漢が、小さき法皇に恋慕の感情を抱いていることは日頃の言動からも明白だった。そして自分もまた、テムオリンに対しては並々ならぬ思慕の念を抱いている。いうなれば自分と彼はテムオリンを巡って対立するライバルのようなものだった。

「ここを出て行って、どうするつもりだ?」

 タキオスは重々しい響きを孕んだ口調で訊ねた。

 対して、柳也は肩をすくめて言う。

「さあ? ……実を言うと、先のことはまだ具体的には考えていないんです。いまはとにかく、これ以上テムオリン様に迷惑をかける前に、ここを出て行かなければ、と思いまして」

 柳也は昨日伝達されたライメイ使用禁止の命令について、タキオスに伝えた。

 六年経っても一向に上達の気配を見せない自分に、どうやら秩序の法皇様が愛想を尽かしたらしいことも伝える。

 柳也の話を聞き終えたタキオスは、小さく溜め息をついた。

 鋼の如き肉体と精神を持つこの男には、なかなか珍しい光景だ、と柳也は思った。

「貴様が自分の意思で決めたことだ。止めはせんぞ?」

「ええ。そうしてくれると助かります」

「出立はいつを予定している?」

「荷をまとめ次第、明日にでも。……といっても、大した私物はありませんが」

 「そうか……」と、呟いて、タキオスは口を閉ざした。

 しばしの沈黙。

 やがてタキオスは、口調を僅かに改めて己の名を呼んだ。

「桜坂柳也」

 重々しい声音は変わらぬまま、しかし舌先には若干の険が帯びていた。

 俗に闘将の相と形容される鋭い双眸が、責めるような眼差しを放つ。

「貴様と会話する最後の機会になるやもしれん。ゆえに、言っておくが……」

 この男にしては珍しい、遠回しな口調だった。

 何事に対しても実直なタキオスらしからぬ言い回しに、柳也は怪訝に小首を傾げた。

 はたして、続く男の言葉は、柳也がこの六年間、常々疑問に思っていたことに対する解答だった。

「テムオリン様は、戦いに際しては千手先の局面を読み、手を打つ途方もない戦略家だ。あの方は日常生活においても何より効率を尊び、部下には適材適所の人事を心がけている。そんなお方が、なぜ、荒事向きの性格をした貴様を、茶汲み係などに採用したか、分かるか?」

「……いえ」

 柳也は小さくかぶりを振った。

「というより、それが分かっていたら、もっと上手くやっていますよ。クビにもされませんでした」

「だろうな。……あの方が、お前を茶汲み係に採用した理由は、二つある」

 タキオスは断定的な口調で言い切った。

「一つは、貴様の情けない姿、困った顔が見たかったからだ」

「……なんですと?」

 柳也はタキオスの発言が信じられず、思わず聞き返した。

 自分の情けない姿が見たかったから、というのは、どういうことだ? いやそもそも、あの無駄な事を嫌う法皇様に限って、そのようなことがありえるのか?

「貴様とて、六年もあの方にお仕えしてきたのだ。あのお方の性格は分かるだろう? テムオリン様は基本的にサディストだ。人の困った顔を見るのが、何より楽しいのだ」

 唖然とした表情を浮かべる柳也に、タキオスは平然と続けた。

「戦場に立てば鬼神の如き活躍を見せるのが桜坂柳也という男だ。しかしそんな貴様も、給仕のような馴れぬ仕事では、ヘマをやらかすことの方が多い。その度に歪む貴様の顔を見るのが、テムオリン様は何より楽しいのだ。落ち込む貴様を言葉で責め、泣きそうな顔を見るのが何より楽しいのだ。あのお方にとって貴様は、最高に楽しめる玩具なのだ」

「……玩具ですか」

 柳也は複雑に苦笑いを浮かべて、溜め息をついた。

 タキオスの言葉は、到底、信じられるような話ではなかった。

 永遠の時を生きる神にも等しいエターナルが、そんなちっぽけな事柄で快感を得るなど、あるはずのないことだった。

 しかし、目の前のこの男は、なんといっても法皇テムオリンのいちばんの忠臣だ。たかだか六年ぽっちしか仕えていない自分とは、文字通り年季が違う。それこそ数千年の単位で、テムオリンに従ってきたのだ。

 法皇のことをよく知る彼だけに、その発言には、この上ない説得力があった。

 なるほど、玩具か。どうりで一向に配置換えがないと思った。玩具は決まった玩具箱にしまってあるからこそ、すぐに取り出して遊ぶことが出来るのだから。

 さしずめ、自分が茶を淹れる動作は、ゼンマイ回しといったところか。

 タキオスは続けて言う。

「いま一つの理由は、貴様を失うことを恐れたからだ」

「……なんですと?」

 柳也はまた、彼の言葉が信じられずに聞き返した。

 先の玩具云々もそうだったが、それ以上に信じ難い、タキオスの言動だった。

 詳しく話してほしい、と頼んだ柳也に、黒き刃の異名を持つ男は口を開いた。

「貴様はたしかに優れた戦士だが、所詮は第七位の神剣士に過ぎん。対して、我らエターナルの敵は、同じように第三位以上の神剣を持つエターナルだ。テムオリン様の下で戦士として働くということは、そういった高位の神剣士と日常的に戦わねばならない、ということだ。

 前の戦争で貴様が生き残ったのは僥倖と思え。本来、第七位の神剣と、第三位の神剣との隔たりは絶対的なものなのだ。第三位の神剣士に正面きって戦いを挑んだところで、貴様には万に一つの勝機もない。秒とかからずして、消滅するのがオチだ」

 第三位の永遠神剣は、その気になれば地球サイズの惑星をも砕く。

 翻って、柳也の持つ〈決意〉と〈戦友〉では、せいぜいが直径一メートル程度の岩の塊が関の山だ。

 なるほど、そんな自分と敵エターナルとでは、戦う前から勝敗など決まりきっている。まともな勝負にすらならないだろう。

「あのお方は思いのほか貴様のことを気に入っている」

「……玩具として、ですよね?」

「……どのような認識であれ、あのお方がお前のことを気に入っているのは確かだ。あのお方は、貴様を失うことを極度に恐れている。貴様を失いたくないと思えばこそ、貴様に戦闘とは関係のない仕事を与えているのだ」

 タキオスは溜め息混じりに呟いた。

 いったい何が気に入らないのか、太いラインで構成された横顔には、憮然とした表情が浮かんでいる。

「貴様が先のライメイ使用禁止令をどう解釈したかは、この際問題にはしない。だが忘れるな。貴様自身がどう思っていようと、貴様はテムオリン様のお気に入りだ。辞めるのは構わんが、挨拶くらいはしてから辞めろ」

「挨拶……って、いま、テムオリン様は遠征中でしょうに」

「戻られるのを待て。……もっとも、それがいつになるかは俺にも分からんが」

 懐刀のタキオスを伴わなかったことから察するに、此度の遠征は決して大きな戦ではあるまい。

 とはいえ、テムオリン自らが赴く程度には大きな戦いだ。帰りがいつになるか分からぬとするタキオスの言葉は、真実本心からのものだった。

 

 

 荷造りがあるから、と練兵場を立ち去る柳也の背中を見送った後、タキオスは不意に口を開いた。

「……というわけだ」

「きゅるきゅるきゅるるぅ〜」

 独り言同然の低い呟きに対し、返ってきたのは人語ではなかった。

 弦楽器を滅茶苦茶に演奏したかのような不快な音の連なりを発しつつ、上空より降下してきたのは業火のントゥシトラ。

 ふよふよ、と空をたゆたう異形のエターナルは、タキオスの前に浮遊位置を固定すると、深い知性をたたえた眼差しで彼を見つめた。

 タキオスもまた地上に降りた炎帝の瞳を真っ直ぐに見つめ、静かに口を動かす。

「俺はこれからテムオリン様のもとへ行く。留守を頼みたいが」

「きゅるぐるるぅ〜」

 ントゥシトラは手足がなく、胴体もない身体を上下に揺らした。

 任せろ、と言わんばかりの力強い眼差し。

 その所作が了承を意味するボディランゲージだと知るタキオスは、自らも首肯をもって応えた。

 それから彼は、刀身長だけで一・五メートルはある巨大な鉈型の永遠神剣を手に、マーブル模様の空を見据えた。

 テムオリンが居城を置いたこの亜空間の空は、常に世界の“門”と繋がっている。上位神剣の持ち主であれば、“門”を通じて好きな時、好きな場所にワープすることが出来た。

「きゅるぎゅ〜」

「土産? あまり期待してくれるな」

「きゅっ、きゅるぎゅるるるきゅ〜〜」

「ああ。分かっている。……辞めさせはせん。テムオリン様があの男を気に入っているのと同様、俺もまた、あの男のことを買っている。あの男との戦いは楽しい」

「きゅるきゅるきゅる〜」

「ん? ああ。そうだったな……お前も、だったな」

 タキオスは武人らしく大きな唇に苦笑を浮かべた。

 つまるところ、我がロウ・エターナル、テムオリン集団のエターナル達は全員、あの男のことが好きなのだ。

 ゆえに、あの男は絶対に引き止めねばならない。

 あの男の都合は関係ない。

 自分達のエゴで、あの男を手元に置く。

 そのために、もっとも確実な手段は、鶴の一声だ。

 タキオスは重々しく頷いて、宙へと躍り出た。

 

 

 漆黒の宇宙空間を背景に、白い流星が二つ、激しくぶつかり合っていた。

 流星、といっても、本当の星ではない。

 星の速さで機動し、互いに必殺を期した技を放ち合う彼女らは、ともに星をも砕くエターナルだった。

 第二位〈秩序〉の神剣士、法皇テムオリン。

 第三位〈時詠〉の神剣士、時詠のトキミ。

 ロウとカオス。それぞれの集団に所属する二人のエターナルは、文字通り宿敵の間柄にあった。千年以上にも及ぶ、因縁の敵だ。

 両者が初めて出会ったのは、地球人の感覚でかれこれ一二〇〇年も前のことだった。

 絶えず膨張と収縮を繰り返す銀河宇宙の片隅の、とある惑星で、新たなエターナルが誕生した。

 そのエターナルを自分達の陣営に引き込むべく接触を図ったテムオリンは、その説得に失敗した。そればかりか、若いエターナルは敵カオス集団へと降っていった。その若きエターナルこそが、このトキミだった。

 以来、テムオリンとトキミは千年以上にも渡って激しい戦いを繰り広げていた。

 二人のエターナルは、ともに対照的な存在だった。

 テムオリンが中・遠距離での戦いを得意とするのに対し、トキミは近距離での戦闘を得意とする。テムオリンが策謀を好むのに対し、トキミはカオス・エターナル随一の打撃力を以って正面からのぶつかっていくのを好む。テムオリンの智謀が勝利を収めることもあれば、トキミの特殊能力が強引に勝利を呼び込むこともあった。互いに一歩も譲らぬ二人の実力は、公平に見てほぼ互角といえた。

「法皇テムオリン……今日こそあなたとの因縁を終わらせてみせます!」

 近距離からの打撃を得意とするトキミが接近を試みようと、テムオリンに迫る。

 対するテムオリンは、自分の得意な間合を保つべく、杖型の〈秩序〉を振るった。

 神剣の先端から無数のオーラフォトンの光弾が飛び出し、弾幕を展開する。一発々々が高精度の追尾機能を持った、光弾の嵐だ。その発射速度は、秒間八万発にも及んでいた。また、光弾自体の飛翔速度自体も速い。秒速二〇〇〇キロメートルで上下左右に運動する光弾からは、たとえエターナルであっても全弾回避するのは難しい。

 しかし、その困難な芸当を、いとも容易くやってしまうのが、テムオリンの宿敵だった。

 時詠のトキミは、持って生まれた特殊能力の力で、未来を見通すことが出来る。

 あらかじめ軌道の分かっている光弾を時に避け、時にバリアで防ぎつつ、トキミはほとんど無傷のままテムオリンに肉迫した。

「タイムアクセラレイト!」

 時間ごと加速して振り下ろされる青銅の刃。

 無数の刺突。

 トキミの神剣〈時詠〉は、古代日本で使われた儀礼用の青銅の剣に似た形状をしている。

 剣には、刀のような反りがない。

 ゆえにその運剣は、刺突が基本となる。

 一撃で月クラスの質量物を破壊出来るだけのオーラフォトンを刀身に宿した刺突の連撃は、秒間七万六〇〇〇発。

 テムオリンはすかさず、全周囲にオーラフォトンのバリアを展開した。

 激突とする刺突。

 刀身に宿るマナと、バリアのマナが蒸発し、漆黒の宇宙空間が黄金色に彩られる。

「相変わらず……ッ、しつこい、ですわね!」

 バリアで攻撃を防ぎつつ、テムオリンは杖を握っていない方の左手に、マナを集めた。 

 紅葉のように愛らしい小さな手に、ゴルフボール大の光球が出現する。大きさに反して惑星一つ破壊するほどのエネルギーを孕んだ光弾は、反撃の狼煙に相応しい一撃のはずだった。

 刺突と刺突の間に存在する、僅かな隙。

 時間にしてコンマ〇〇〇〇一秒よりも短い、僅かな間隙。

 その一瞬の隙を縫って、テムオリンはバリアを解除するや反撃した。

 左手で眼前の空間を薙ぐや、白銀の砲丸がトキミの顔面を狙う。

 しかし、未来を見通す彼女は、あらかじめその攻撃を読んでいた。バリア解除よりも一瞬早く後ろに飛び退いたトキミの左側方を、光弾がすり抜けていく。

 もっとも、テムオリンも敵の回避運動は予測していたことだった。

 小さき法皇には、トキミのように未来を見通す力こそないが、それに匹敵する智謀がある。自分の打った一手から千通り以上の未来を想定し、その中から最も高い確率で起こるだろう未来に対し、また一手を打つ。

 ロウ・エターナル集団最強の策士の智謀は、このような局地戦にあっても如何なく発揮されていた。

 光弾は、トキミとの間合を自分の得意な距離に戻すための布石にすぎなかった。

「しつこい女は、嫌われますわよ?」

 間合が開くや否や、テムオリンは短く呪文を唱え、〈秩序〉を振るった。

 次の瞬間、小さき法皇の眼前の空間に、亀裂が走った。

 比喩ではない。

 漆黒の宇宙空間に突如として白い光線が走り、そこから、空間が裂けた。

 あわいの向こう側に映じるのは真紅の異空間。

 異界より吹く生暖かな風が、トキミの頬を薙ぐ。

 真紅の異空では、無数の黒点が蠢いていた。よく見ると、すべてヒトの形をなしている。

 エターナルミニオン。第三位以上の上位永遠神剣が生み出した、人間型の生体兵器だ。かつて龍の大地で柳也が戦ったスピリットに近い存在で、勿論、全員が永遠神剣を所有している。エターナルの手足となって働く、兵隊のような存在だった。

「お行きなさい、ミニオン達」

 テムオリが小さく呟くと、空間の裂け目から無数のミニオンが飛び出した。

 その数、約六〇〇〇。

 真っ直ぐ、トキミに向かって殺到する。

 襲いくるミニオン達の攻撃を時に避け、時に防ぎながら、トキミは顔をしかめた。

 歴戦のエターナルである彼女にとって、ミニオンは大した脅威ではない。千体いようが、一万体いようが、全滅させるだけの自信と実力が、混沌の戦巫女には備わっていた。

 とはいえ、なんといっても相手は六〇〇〇体だ。数が多い。また近接戦闘を得意とするトキミは、複数の敵を同時に攻撃する手段や、広範囲を制圧する攻撃手段に乏しい。ゆえに、そのすべてを撃破するためには、相応の時間を費やす必要があった。

 ――時間をかければかけるほどに、不利になっていくのは私の方だ……!

 眼前の敵をオーラフォトンを篭めた鉄扇の一撃で薙ぎ払うトキミの表情には、濃い焦燥の色が浮かんでいた。

 テムオリンの愛らしい唇は、すでに新たな神剣魔法発動のための詠唱を始めていた。

 宿敵の戦闘スタイルを熟知した上で、ミニオンを使って呪文詠唱のための時間を稼ぎ、自身の持つ最強の攻撃を放つ。

 法皇テムオリン必勝の計は、いまここに成立した。

 星一つどころか、銀河を一つ消滅させられるだけの膨大な、あまりにも膨大なマナが、少女の言霊に宿る。

「……開きなさい、法皇の世界」

 言霊が、爆ぜた。

 その刹那、闇色の宇宙空間が暗闇に覆われた。

 漆黒の宇宙といっても、そこには当然、星々の煌きがある。その星の灯りさえもが立ち消え、周囲は完全な黒へと塗り固められた。

 法皇の世界。

 テムオリンが自らのマナと〈秩序〉の力で構築した異相空間だ。小さき法皇がその力を十全に発揮するために作った、バトル・フィールドだった。

 この異空間にあってはテムオリンの意思こそが世界のすべてを支配する理であり、彼女の存在は、神か、法そのものといえた。

 この異空にあって彼女に逆らう者はすべて異端であり、異端者が排斥されるのは世の常である。

 自身を取り巻く闇色の空気の、ぬめっ、とした感触を認めたトキミは、眼前のミニオンを撃破するや小さく舌打ちした。

 法皇の世界は、狡猾なテムオリンが用意したバトル・フィールドだ。この空間内では、あらゆる事象がテムオリンの有利に働く。自分は全力を発揮出来ず、逆に敵はその超常の戦闘力を十全に発揮することが出来た。

 ――ここで戦い続けるのは、あまりにも不利……!

 兵法の鉄則の一つに、自分に有利な地形に陣を張る、というものがある。いまのトキミは、まさしくその対極の位置に身を置いていた。

 かといって、異空間からの脱出は叶わない。

 法皇の世界は、外部からの侵入を防ぎ、内部からの離脱を許さぬ結界でもあった。

 この異相空間を破る術は二つ。法皇の世界内でテムオリンを倒すか、彼女に屈従するか。

 そしてカオス・エターナル集団の切り込み隊長倉橋時深に、後者の手段の選択はありえない。

 トキミは素早く作戦を練った。

 法皇の世界の中では、自分は全力の一割も出せない。他方、テムオリンはその実力を遺憾なく発揮出来るばかりか、いまだ三〇〇〇近い兵力を擁するミニオン達を周囲に置いている。長期戦になれば、どんどんこちらが不利になっていくばかりだろう

 となれば、この際ミニオンは無視し、先にテムオリンを倒すのが上策だ。テムオリンを倒せば、法皇の世界も崩壊する。ミニオン達の相手は、然る後に、じっくりすればいい。

 取るべき戦術を定めたトキミは、呼吸を深く、臍下丹田に気を篭めた。

 圧倒的に不利なこの状況下で、強敵テムオリンに勝利を収めるためには、自分の持つ最強の攻撃手段を使うほかない。

 剣気を研ぎ澄ます。

 自分の持つマナのすべてを、攻撃というただ一つの目的のために練り上げる。

 永遠神剣第三位〈時詠〉。

 そして、未来を見通す“時見”の超能力。

 己の持つ力という力のすべてを解き放ち、トキミはテムオリンを見据えた。

 対する白き法皇は、宿敵の次なる一手が最強の一撃と予想した上で、自らも最強の攻撃の構えに移る。

 漆黒の法皇の世界に、薄らぼんやりと明かりが灯った。

 テムオリンの発する、マナの光だ。

 自らが発する燐光に照らし出され、彼女を取り巻く周囲の光景が露わとなる。

 少女の周りでは、無数の永遠神剣が浮遊していた。

 剣。槍。斧。鎌。盾杖。矢。中には、およそ武具とは呼べぬ形状をした神剣もある。

 法皇テムオリンは優れた神剣士であると同時に、神剣収集家でもあった。

 過去に集めた契約者不在の永遠神剣を召喚し、〈秩序〉の力で強引に操作。相手に直接叩き込む自爆攻撃……“神々の怒り”。ロウ・エターナル集団最高の頭脳を誇る法皇テムオリンの、最強の攻撃魔法だ。その威力は自爆攻撃に使う神剣の位階によって変動し、第三位の神剣ともなれば、銀河系を二、三個、容易に消滅させるほどの出力を有していた。

 勿論、それほどのエネルギーの炸裂となれば、余波のエネルギーも強大だ。しかし、法皇の世界を展開している現在、キック・バックがテムオリン自身を傷つけることは絶対にない。

 両雄は、静かに睨み合った。

 三〇〇〇からなるエターナルミニオンの群れが、両者の周りを飛び回り、包囲の円環を作る。ひとたびトキミが動き出せば、身を挺して法皇を守る構えだった。

 テムオリンが、〈秩序〉を振るった。

 彼女を取り巻く神剣の群れが、一斉にトキミに向かって殺到する。

 〈秩序〉の力によって追尾機能を与えられた神剣群は、ミサイルのように空間を踊りながらトキミを狙った。追尾するのはエターナルのトキミが発する膨大なマナの波動だ。間違っても周囲のミニオン達を捕捉することはない。

 襲いくる神剣の数は、それこそ、無数、という形容詞が、ぴったり、当てはまるほど大量だった。

 未来を見通せるトキミをして、完全回避は困難なほどの数。

 しかしトキミは、雲霞の如き攻撃に対しても怯むことなく、果敢に前へと踏み込んだ。

 闇色の異空間に、テムオリンのマナの輝きと、トキミのマナの輝きが繚乱する。

「オン・キリク・ギャク・ウン・ソワカ……」

 前進しながら、トキミが呟いた。

 〈時詠〉の刀身に刻まれた“歓喜天”の文字が、鈍く光る。

 歓喜天は、インド神話のガネーシャを起源とする天部で、知識や富の守護者であり、夫婦和合や子宝をもたらす神でもある。しかしその一方で、歓喜天は父であるシヴァ神の持つ破壊神としての性格をも受け継いでおり、気性の荒い、暴れ者でもあった。

 ひとたび歓喜天の怒りに火がつけば、その結果もたらされる破壊は甚大だ。

 その歓喜天の名を刻む刀身に、闘気のオーラフォトンが宿った。

 テムオリンの目の前で、トキミが分身した。

 残像や、幻術の類ではない。トキミ本人と同等の攻撃力と知力、そして何より行動力を持った、文字通りの分身だった。

 クリティカル・ワン。

 未来を見通す時見の眼を以って、敵のあらゆる攻撃・防御手段を無力化し、その上で最大の攻撃力を宿した一刀を、分身したトキミが次々と叩き込む。倉橋時深最大の奥儀だ。

 この技の前では、如何なる敵の如何なる反撃や防御も意味をなくす。あらかじめ相手がどんな攻撃をし、どんな防御をするか分かっているトキミの前では、何者も彼女の進撃を止めることは出来ない。……ただ一人の、例外を除いては。

 その唯一の例外、法皇テムオリンは向かってくる何人ものトキミに容赦なく神剣を放った。目の前の敵が未来を見通そうと、そんなものは関係ない。攻撃のパターンや軌道が分かっていたとしても、避けようのない攻撃をすればいいだけのことだ。

 斬撃が、刺突が、殴打が、魔法の矢が、トキミのもとに殺到した。

 分身体のトキミが、一人、また一人と消滅していく。

 しかしトキミの方も負けてはいない。

 何人もの分身体を倒されながら、ついに六人のトキミが、法皇を〈時詠〉の間合に捉えた。

 対するテムオリンは自分のコレクションの中でも特に強力な第三位と第四位の神剣群を以って、防衛線を展開した。

 同時に、自らの周囲にバリアを張る。出力を最大にしたオーラフォトンの壁は、二発までなら、トキミのクリティカル・ワンにも耐えられるはずだった。

 六人のトキミは四人が正面から、後の二人がそれぞれ左右から法皇を攻めた。

 正面の四人が牽制と撹乱しつつ、左右から本命の二人を突撃させるつもりか。

 テムオリンは正面の神剣群は動かさず、側背に並べた神剣群を動かした。

 僅かに二人のトキミに対し、差し向ける神剣は計二〇〇〇振。決して多いとは思わない。未来を見通すトキミに対しては、これでも不足しているくらいだ。

 事実トキミは、殺到する神剣の群れを次々と防ぎ、避け、いなしていく。

 どんな機動を取っても、直撃弾を炸裂させられそうにない。かといって命中寸前に自爆させたのでは、大したダメージにはならない。バリアに防がれるか、瞬時に回復されるかのどちらかだ。

 そうこうしているうちに、正面の四人が神剣群の防衛線を突破してきた。

 どうやら両翼より襲いくる二人に意識を向けすぎたらしい。本来、牽制と撹乱を目的とする四人が先に突出してきた。

 テムオリンは小さく舌打ちしつつ、伏兵とばかりにあえて召喚しておかなかったコレクションを四人の進路上に展開する。

 しかし、通常であれば不意をつけたはずの攻撃も、トキミの前では通用しない。瞬く間に突破されてしまった。

 四人のトキミが織り成す斬撃の舞踊が、テムオリンを襲った。

 一発。二発。渾身の一刀を叩き込んだトキミはその瞬間消滅し、同時にテムオリンのバリアも消滅する。

 三発目。〈秩序〉を振るって緊急展開したシールドに炸裂。エネルギーに耐え切れず、テムオリンの小さな体は後方に飛んだ。そこに、四人目の分身と、両翼からの二人が殺到した。

 テムオリンのコレクションの神剣達は、主人に迫るトキミ達を追った。

 ミニオン達は、テムオリンを守るべくトキミ達の前に立ちはだかった。

 ミニオン三〇〇〇。神剣群は約八〇〇〇。さしものトキミも、この物量の前には無傷ではいられない。

 分身の一人が消滅し、残った二人の進撃速度も目に見えて落ちていった。

 テムオリンはこの隙に体勢を整えようと身構えて、不意に、よく知った男のマナを感じて、眉根を寄せた。

 自分が開いた法皇の世界。

 その世界に、“門”を使って何者かが侵入してくる。

 はたしてそれは、自分が法皇の世界への立ち入りを許した、数少ない忠臣の一人だった。

「テムオリン様ぁぁ――――――ッ!!」

 黒き刃のタキオス。

 自分の部下のエターナルの中でも、最強を誇る豪将。

 その最強の男が、突如としてトキミの一体の頭上に出現した。

 時見の目を持つ彼女のことだ。この事態をあらかじめ予想していなかったわけではなかろうが、タイミングが悪かった。

 正面にミニオンと、背後の神剣の群れとに包囲されたところを狙った、タキオスの一撃だった。

 分厚い鉈のような〈無我〉が異空の大気を裂き、トキミの白装束を朱色に染める。

 タキオスは第三位の神剣士だが、単純な攻撃力だけならば第二位の自分すら上回る。

 その一刀を浴びせかけられたトキミの分身は、瞬く間に消滅した。

 形勢逆転。

 唯一生き残った最後にして本体のトキミの唇から、落胆の溜め息が漏れる。

「……やはり、こうなってしまいましたか」

 正面のミニオン。背後の神剣群。

 そして戦場に現われた、法皇テムオリン最強の臣下。

 未来は変えられる、という一縷の希望に賭けてクリティカル・ワンを発動してみたが、やはり、当初、時見で予見した通りの結果になってしまった。

 これで勝ち目は完全にゼロとなった。この上は、出来るだけ派手に暴れまわって、少しでも敵にダメージを与えるくらいのことしか出来ないか。

 戦略方針の転換を考える時深を前に、しかしタキオスは信じられない発言を口にした。

「テムオリン様、この場は私が引き受けますゆえ、至急、宮城にお戻り下さい」

「「……は?」」

 トキミとテムオリンの声が、奇しくも重なった。

 タキオスは油断のない視線をトキミに注ぎつつ、テムオリンに近付いて続ける。

「これをお読みいただければ、理由は分かるかと」

 そう言って懐から取り出したのは、柳也がしたためたあの辞表だった。

 テムオリンは訝しげな面持ちをしながらも、とりあえずその手紙を受け取ってみる。内容を黙読して、途端、米神をひくつかせた。

 ――あの男、また勝手な真似を……!

 テムオリンは苛立たしげな眼差しをタキオスに向けた。

「……タキオス」

「はっ」

「私がいなくても、法皇の世界は五分は保ちます。ここは任せましたわよ」

「御意」

「え? あ、あの……ちょっと……?」

 事態の展開についていけないトキミが、困惑した様子でテムオリンとタキオスの顔を見比べた。

 テムオリンは忌々しげに表情で歪めて、「時深さん、あなたとの決着はまた今度着けて差し上げますわ」と呟いた。

 そのまま、ぷんすか、怒りながら、タキオスが通ってきた“門”を潜ってしまう。

 異相空間から宿敵の気配が消え、同時に、彼女のコレクションの神剣の気配も消えた。

 かくして戦場に残されたのは、茫然とするトキミと、戦意旺盛なタキオス、そしていまだ二〇〇〇はいるミニオンの群ればかり。

 トキミはタキオスの顔を伺い見た。

「え、ええと……どういうこと?」

「いわゆる、人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られてなんとやら……というやつだ」

 タキオスは憮然とした表情で、〈無我〉を構えた。

 

 

 法皇テムオリンの臣下となった柳也に与えられた部屋は八畳一間の豪邸だった。

 かつてはコーポ扶桑の四畳半で暮らしていたこの男にとって、八畳の部屋というのは、ほとんど高級ホテルの一室に近い感覚がある。かつての城よりも、三畳半も自由に使えるスペースがあるのだ。憧れのカラーテレビに電気が通った時は、感動のあまり涙した。それも、いまとなっては良い思い出だ。

 八畳の部屋は、すでに荷物の整理が終わって、がらん、としていた。

 広々とした印象、というよりは、生活観に乏しい寂しげな景観だ。もともと、大した私物などなかったから、荷造りの必須用品段ボール箱も、二つ積み上がっているだけだった。

 積み上げた段ボール箱に背を預けながら、柳也はひとり愛刀・同田貫に用いる漆柄を握り、手の内を練っていた。

 テムオリンの帰りを待て、とタキオスは言ったが、いつ帰ってくるか分からない相手を待つことほど、苦痛なものはない。

 辛い時間を少しでも楽しいものに変えるため、柳也は室内でも可能な稽古に励んでいた。

 正しい剣法は、正しい手の内に宿る。

 第七位の神剣士にすぎぬ自分が、もっと強くなるために。少しでも、あの女の強さに近付くために。日々の稽古は欠かせなかった。

 ――少しでも彼女に近付く、か……今後はもう、戦う機会さえないだろうに。

 テムオリンとの再戦を望んで彼女の下に降った。

 そして、再戦の願いを叶えられるまま、彼女の下を去る。

 あの胸の高鳴りをもう一度感じられなかったことが心残りではあったが、身から出た錆だ。向上のない自分自身の、努力が足りなかっただけのことだ。

 ――いっそ、ユートのツテを頼って、カオス集団にでも転がり込もうか。

 かつて龍の大地で肩を並べた戦友は、いまではカオス・エターナル集団期待の新星として、同集団の主戦力となっていた。

 このようなことで昔の友人を頼るのは、なんとも情けない話だが、

 ――少なくとも、敵として、またテムオリン様に会うことが出来るな。

 再会はまた戦場で。

 彼女のために奏でる恋歌は、斬撃の轟音。

 我ながら、なんとも剣呑な恋愛だ。

 唇に苦笑を浮かべながら、柳也は漆柄を握った。

 もっと強くなるために。

 いつかまた、彼女と戦場で会い見える時のために。

 柳也は、自らを鍛えた。

 そうして自らを磨いているところに、横槍が入った。

「……何を無駄なことをしているのですか?」

 可憐な声が、稽古に集中する柳也の耳朶を撫でた。

 何の前触れもなく、八畳の部屋に自分とは別の、巨大なマナの気配が出現する。

 背後からかけられた声に、柳也はさして動揺することもなく振り返った。

 そこには、柳也の愛おしい小さな法皇様が浮いていた。

「無駄……って、俺のこれまでの人生の大半を、そんな一言でばっさり切らんといてくださいよ」

 柳也は苦笑を浮かべながら、「遠征はどうしました?」と、続けた。

 テムオリンは無表情に答える。

「タキオスがやって来て、仕事を取られました」

「タキオス様が?」

「ええ。その際、ついでとばかりにこちらを渡されました」

 テムオリンはそう言って、懐中より手紙を取り出した。見覚えのある字と、見覚えのある内容。間違いない。自分がしたためた、辞表だった。

 ――あのお節介者め……。

 柳也は上司にして好敵手のエターナルの顔を思い浮かべて、溜め息をついた。

 しかし、その表情はどこか明るい。わざわざ自分の書いた辞表を届けるために、タキオスは足を運んでくれたのか。あまつさえ、自分如きのためにテムオリン本人をこの場に連れてきてくれたのか。タキオスの粋な計らいが嬉しくて、柳也は莞爾と微笑んだ。

「そうでしたか。……タキオス様には感謝せねばなりませんな。こうして、テムオリン様と別れの場を設けてくださったのですから」

 柳也は呟きながら、漆柄を置き、姿勢を正してテムオリンに向き直った。

 深々と頭を垂れる。

「テムオリン様も、わざわざご足労いただきありがとうございます。私如き不忠者のために足を運んでいただくなど、望外の喜びにございます」

「……何か、勘違いしてはいませんか?」

「は?」

「私は、お前を手放すつもりはありませんわ」

「お言葉は嬉しく思いますが……」

 柳也は困惑した表情で呟いた。

 いったいこれは、どういうことだ? テムオリンは自分に別れの挨拶をするためにやって来てくれたのではないのか?

 それに手放すつもりはない、とは? 先のライメイ使用禁止令はいったい何だったのか?

 怪訝に小首を傾げる柳也の目の前で、テムオリンは彼の辞表を破ってみせた。無風の室内で、紙吹雪が散る。

「なッ!?」

 これには柳也も思わず姿勢を崩す。

 「何をされるのか!?」と、眼光鋭く言い放つや、逆にテムオリンから睨まれ、身をすくめた。

 テムオリンは柳也を鋭く見据えたまま、愛らしい唇を開閉する。

「……タキオスから聞いたのでしょう? 私が、あなたをどう思っているのか」

「……お気に入りの玩具、と窺っております」

 柳也は不服そうに唇を尖らせて言った。

 テムオリンが頷く。

「ええ。そうですわ。あなたは、私の玩具です」

 お気に入り、の部分には何も触れず、テムオリンは続けた。

「私はまだ、あなたという玩具に飽きてはいません。だから手放す気もありません」

「で、では……先のライメイ使用禁止命令は、いったい何だったのです?」

「あなたが、私のいないところで、勝手なことをするからですわ」

「勝手なこと?」

「七夕、と聞いて、ぴん、と来るものは?」

「……あります。っていうか、覗いてたんですか?」

 柳也はしかめっ面でテムオリンを見た。お世辞にも性格が良いとは言えぬ法皇様だが、よもや覗きをしていたとは。

 テムオリンは柳也に冷たい視線を向けつつ言う。

「あなたは、私の玩具です。私“だけ”の玩具なんです。私の許可なしに勝手に行動しようとした報いですわ」

「ええと……ライメイ使用禁止令は、もしかしなくても私が勝手にデートに使うなんぞと言ったから、ですか?」

「ええ」

 柳也は頬を引き攣らせながらも、得心した様子で頷いた。

 ――そりゃまぁ、会社の車をプライベートに使うようなもんだからなぁ。

 タネを明かしてみれば、なんとも単純なことだった。あれほど深読みして悩んだ自分が、馬鹿みたいだ。

 ――とはいえ、茶汲みの腕が一向に上達していないのは事実だしなぁ。

 法皇テムオリンは部下に対しては高い能力と、絶えることのない向上を求める。

 翻って、己の茶の腕前は、この小さき法皇に仕えるようになってかれこれ六年が経つというのに、あまり成果を上げていない。肝心のテムオリンの採点が、七十点にも届かずにいる。

 べつに千利休を目指しているわけではないが、進歩らしい進歩のない自分が不甲斐なく、情けなく、悔しかった。

 その旨を告げると、テムオリンは鼻で笑ってみせた。

「ああ……あれは嘘です」

「はい?」

「あなたは単純な男ですから」

 単純な男だから、ちょっと褒めると調子に乗る。柳也が調子に乗っているのは、自分としては面白くない。だから、口に出す評価はいつも点数をマイナスしてきた。そうやって低い評価を口にすると、この男は決まって情けない顔をするから。

「……え? 苛め?」

「正真正銘の、苛めですわ。……いえ、これも一つの愛の形と言うべきかしら?」

 平然と言ってのけたテムオリンを前に、柳也は肩を落とした。

 今日までの六年間の苦悩の時間を返せ、と言ってやりたい。

 勿論、そんなことを口にすれば後が恐いので、実際には何も言わないでおくが。

「根性なし」

「……フッ、認めましょう」

 柳也は乾いた苦笑とともに溜め息をこぼした。

 辞めなくてもいい、という安堵と、やはり就職先を間違えたか、という思いの入り混じった、複雑な溜め息だった。

 安心したら、急に気が抜けてきた。今日はこの後、この心の隙間を、馴染みのキャバレーで癒してもらうとしよう。

「ああ、ちなみにあなたが贔屓にしていたキャバレーは、先日潰しました」

「潰れたじゃなくて潰した!? お、おでの心のオアシスを!?」

「あなたが贔屓にしていた娘は……たしか、明美ちゃん、だったかしら? 彼女は今頃実家の果樹園を手伝っているはずですわ」

「あ、明美ちゃああああんッ!」

 柳也は泣いた。

 その場で泣き崩れた。

 おういおうい、と泣いた。

 意地の悪い上司にいびられ、人外の同僚に囲まれ、色々とストレスの溜まってしまう自分にとっての、唯一の心のオアシスだった。

 テムオリンは泣き叫ぶ男に、畳み掛けるように言う。

「あなたは私の玩具なのです。あなたの情けない顔も、あなたの笑顔も、あなたの心の痛みも、すべてが私のもの。……勝手に、他の女に愛想を振り撒かれるのは気分の良いものではありません」

 なんという傲慢な言葉だろう、と柳也は思った。

 桜坂柳也という男のすべては自分のもの。小さき法皇の唇から紡がれた所有物宣言は、嬉しい反面、恐ろしくもあった。

 今更ながら、厄介な女を上司に持ってしまった、と後悔の念が沸いてくる。女遊びは、この男が戦争と剣術に次いで楽しみにしている生き甲斐だというのに。いちいち許可が必要な環境になってしまた。もしまたテムオリンの機嫌を損ねたらと思うと、気が気でなかった。

「……もっとも、馬鹿正直に女遊びがしたいと申し出たところで、許可をするつもりは毛頭ありませんが」

「ヴァ―――――――ッ!!!」

 柳也は奇怪な悲鳴を上げた。

 とうとう、完全に女遊びを封じられてしまった。

 ――酒と女と荒事は、男の人生そのものなのに!

 桜坂柳也は、男の人生は酒と女と喧嘩に花道がある、と古くからのダンディズムに生きる男だった。

 そのうちの一つを絶たれ、自分はこれからどう生きていけばいいのか。冗句ではなく、真実、絶望感に襲われた。

 涙が、頬を伝う。

 涙が、澎湃と溢れ出て止まらない。

「……何も泣くほどのことでは、ないでしょうに……」

 テムオリンが、冷たい眼差しを向けてきた。

 臓腑が凍るような冷たい視線だったが、それよりも絶望感が勝ったか、頬を突き刺す目線にも柳也は動じなかった。

「これが泣かずにいられますか! 男にとって、喧嘩、酒、女のどれか一つでも禁じられることは、何より辛きことなのです! ……お、おでは今日からどう生きていけばいいんだぁぁ!?」

 柳也は涙で顔を赤く腫らしながらテムオリンに詰め寄った。

 この瞬間、彼の頭の中からは、自分と目の前の少女との関係が、すっぽり、抜け落ちていた。

「それともなんですか!? テムオリン様が私の相手をしてくれるとでも!?」

 言ってから、しまった、と思った。

 勢いに任せて、つい、とんでもない発言をしてしまった。

 これは後のお仕置きが恐ろしいぞ、と柳也は、びくびく、しながらテムオリンの顔を覗った。

 しかし意外にも、小さき法皇様は怒りの形相を見せなかった。そればかりか頬を紅葉色に染めて、黙然と何か考え込んでいる。どうやら、自分の発言の内容を吟味しているらしかった。

「…………」

「……え? マジで?」

 急に無言になってしまったテムオリンに、柳也は思わず真顔になって訊ねた。

 その口調に慄然としたものが宿っているのは、この男に対するテムオリンの普段の態度を顧みれば、詮無きことといえよう。

 はたして、白の法皇は「し、仕方ありませんわね」と、照れくさそうに呟いて、

「ちゃんと手入れをしてあげないと、玩具は楽しめませんからね」

と、続けた。

 なるほど、最近の玩具は確かに精巧だ。精密さゆえに、ちゃんと手入れしてやらねばちゃんと動いてくれないことがままある。

「……やっぱり玩具扱いですか」

 柳也は乾いた笑みを漏らしつつ項垂れた。

 必要とされなくなるよりは何倍もマシだが、やはり自分は玩具扱いなのか、と落ち込む気持ちを抑えられなかった。

 落ち込む柳也を前に、不意にテムオリンは話題を転じた。

「……それはそうと、私の許可なく使用でライメイを使おうとし、それに対する罰として下した命令を勘違いし、あまつさえ私の許可なくここを出て行こうとしたあなたには、相応の罰を与えねばなりませんね」

「……うぐ。やはりそうなりますか?」

「当たり前ですわ。普通なら、電気椅子並の罪です」

「電気椅子……あの、なんとか、電気マッサージ椅子になりません?」

「…………」

「いえ、何でもありません! だから無言で、そのイタイ物を見るような眼差しは止めてください!」

 肉体的にはタフだが、精神的には弱い柳也だった。

 彼はその場で土下座するやコメツキバッタのように謝った。

 なんとも軽い土下座だった。

 テムオリンはそんな柳也の姿を見て悦に浸りつつ、言葉を投げかけた。

 

 

「……あの、テムオリン様?」

「なんです?」

「これ、罰ですか?」

「ええ。罰でしてよ」

「ええと、私には、どうもいまの状況が罰とは思えないのですが」

「私が罰と言ったら罰です」

「ははは。素晴らしいジャイアニズムですな」

 柳也は本日何度目かの乾いた笑いをこぼした。

 呟きつつも、マルチ・ファンクション・ディスプレイに表示された数値の変化からは決して目を離さない。少しでも数値に異常があれば総合入力パネルに指を這わせ、サイド・スティックを操作して機体を正常な位置に保つ。慣れたその手つきは、一端の宇宙船パイロットのそれだった。

 柳也とテムオリンは宇宙船ライメイのコクピットにいた。

 マキシマ・ドライブ航法ではなく、通常航法で星を眺めながら宇宙空間を飛んでいる。

 なにゆえこのような状況になったかといえば、理由は簡単だ。他ならぬテムオリンが、自分と一緒にこの小型宇宙船への乗船を望んだためだった。

「罰として私をライメイに乗せて、天の川まで連れて行きなさい」

 小さな法皇様の罰と呼べぬ罰を言い渡された柳也は、早速乗船解禁となったライメイ乗り込むと、この六年の間にすっかり慣れた手順を踏んで、宇宙船を起動した。

 ライメイは二人乗りが可能な船艇で、そのコクピットは地球の戦闘機と同じく前席と後席に分かれていた。もとは某惑星の軍隊が使用していた軍用の連絡艇で、前席が操縦席、後席がレーダーなどの管制を担当する。勿論、一人でも動かせる機体だ。柳也はテムオリンを後部座席に座らせ、自らは前席で操縦桿を握った。

 宇宙船ライメイは法皇の居城を取り囲む亜空間を抜け、満天の星が輝く宇宙空間へと飛び出した。

 もともとが連絡艇だけあり、ライメイは足の長さと速さが自慢の宇宙船だ。マキシマ・ドライブ航法を用いずとも、秒速三五キロメートルの速力を誇った。

 柳也は最初にマキシマ・ドライブ航法で天の川の周辺まで船を運ぶと、あとは通常航法でのんびり星を眺めながら進むことにした。

 特に指示こそ下さなかったが、なんとなく、後席のテムオリンはそれを望んでいるような気がしたからだ。

「地球の七夕伝説を、教えてくださるかしら?」

「……いまは七夕ではありませんよ?」

 計器の数値をチェックしながら、柳也は背後のテムオリンに向けて言った。

 後席に座る法皇は、冷ややかな声音で言う。

「あら? ミニオンの娘相手だと相好を崩すのに、私が相手ではお話をする気にもなりませんか?」

「……実はまだ、ちゃんと予習してないんですよ」

「構いません。知っている範囲で結構」

 柳也は小さく溜め息をついて、自分の知る範囲で七夕伝説について語り出した。

 幼い頃、まだ存命だった母から聞かされた内容を思い出しつつ、唇を動かす。

 琴座のベガと、鷲座のアルタイル。天帝の娘だった織姫と、彦星の結婚。働き者だった二人は、結びついた途端、愛を育むばかりの毎日を送るようになった。織姫は機を織らなくなり、彦星も牛を追わなくなった。怒った天帝は二人を隔てたが、一年に一度、七夕の日にだけ会うことを認めた。

「人間とは愚かな生き物ですわね。決まり定まった星の運行に、わざわざそんな話をつけて戯れるなんて」

「そりゃあ、エターナルの皆様からすればそうかもしれませんがね」

 柳也は苦笑して答えた。

「でも、人間の想像力も、存外、捨てたもんじゃありませんよ」

 事実、テムオリン達は、他ならぬ人間の想像力によって龍の大地から撤退を余儀なくされたではないか。

 そう呟いて笑った柳也は、不意に、サイド・スティックを握る手に温もりを感じた。

 見ると、後ろから小さな、紅葉のような手が伸び、自分の手と重なっていた。

「……テムオリン様?」

「私は、離しませんわよ? 何があろうと……。あなたの意思は関係ありません。少なくとも、この私が飽きるまでは、あなたのすべては、私のものなのですから」

 誰にも渡すものか。この男の泣き顔も、笑顔も、この手の温もりも、すべては自分のものなのだ。たとえ〈宿命〉の女神が手放すよう命じたとしても、従うものか。

 小さく呟かれた囁きを拾って、柳也は満面の笑みを浮かべた。

 法皇テムオリン。

 自分の魂に火をつけてくれた女。

 自分はもう一度彼女と戦いたくて、ずっと彼女と一緒にいたいと思って、ロウ・エターナル集団に降った。

 そんな彼女の口から、斯様に熱烈なプロポーズの言葉を聞かされて、嬉しくないはずがなかった。

 柳也はにやけ面のまま正面の宇宙空間を見据えた。

 船内の照明に照らされて、バブルキャノピーには後席のテムオリンの顔が映じていた。

 一方的な所有物宣言を口にした法皇様は、珍しく恥ずかしげに目元を伏せていた。

 

 

 

 

 

 おまけ

 天の川デートから帰ってきた翌日、柳也の部屋に、業火のントゥシトラが足を運んできた。

「んきゅうぎゅるぎゅるぎゅ〜」

「あ、ントゥシトラ様、おはようございます。私に何か用ですか?」

「きゅるきゅるきゅるるぅ〜」

「デートは楽しかったか? いやぁ、そりゃあもう……」

「きゅるぐぅぐぅるぅぅ〜」

「え? 自分も連れていってほしい? いいっすよ〜」

「きゅるぐきゅるぐぅぅる〜〜♪」

「あはは。そんなに喜ばなくても」

「きゅるきゅるきゅるる〜♪」

「あはは。じゃあ、俺も楽しみにしてます」

 その様子を、例によって覗き見していた法皇様は、

「あ、あいつも敵か!?」

と、ほぞを噛んでいたそうな。

 なんとも平和なロウの皆さんだった。


<あとがき>

タハ乱暴「番外編のあとがきの相方はヒロインに務めてもらおう! ということで、今回まさかの相方、法皇テムオリン様です」

テム様「読者の皆様、永遠のアセリアAnother番外編をお読み頂き、まことにありがとうございました。読者の皆様には私から感謝の意を篭めて、特別に触手攻めを……」

タハ乱暴「ダメ―――! 触手はダメ―――!! それやると掲載先変えないといけなくなるから!」

テム様「むぅ……残念ですわね。折角、この私直々に皆様の新たな一面を開花させてあげようかと思いましたのに」

タハ乱暴「Sめ……この幼女S調教師め……」

テム様「それはさておき、今回の話は私がメインということで、原作ゲームで描写されなかったロウ・エターナルの日常などが書かれていましたが……」

タハ乱暴「ロウ・エターナルの皆さんの描写は完全にタハ乱暴の妄想の産物です。……なんでかなぁ? タハ乱暴の頭の中では、テム様達は冬にみんなでコタツ囲んで紅白見ながらみかん摘んでるイメージがあるんですよねぇ。原作ゲームだと、これ以上ないってくらい殺伐とした、戦闘特化連中なのに。どうも、ほのぼの、とした日常のイメージしか湧かない」

テム様「そういえばいつぞやの<おまけ>では、あろうことか冬○ナを観ていましたね、私」

タハ乱暴「ええ。ええ。今回のバルコニーのティータイムなんかは、まんまあのイメージの延長です。原作ゲームではあんな凶悪なテム様も、自宅では……っていう」

テム様「ティータイムのシーンといえば、あの時、話題に上がった詩音さんですが……」

タハ乱暴「あぁ……うん。分かる人には分かるでしょうねぇ。紅茶で、詩音て……まぁ、良くも悪くもタハ乱暴の人生を変えてくれたゲームでしたよ。……歳がばれるなぁ(苦笑)」

テム様「それと、ミニオンとデートの約束をする場面で話題になった七夕についてですが、数ある星空イベントの中でなぜ、七夕を?」

タハ乱暴「日本人にいちばん馴染みのある星空イベントかなぁ……と。あと、これ書いている最中に、超・電王、観に行ったので。いまは遠い、ベガ、アルタイル〜♪」

テム様「なるほど。……最後に、今回の話のラストですが」

タハ乱暴「あはは。やっぱり突っ込んでくる? うん。自分でもね。正直、あのオチはインパクトとして弱いかなぁ〜、と思いましたよ。でも、いまの自分にはあれ以上のものは書けない、と思いましてね。……ま、要するにタハ乱暴はまだ、テムオリンというキャラの魅力を掴みきってないんでしょうねぇ」

テム様「リベンジをするつもりは?」

タハ乱暴「あります! いつかテム様はもう一度書こうかと思っております!」

テム様「結構。ちなみに、前回、前々回と、番外編ではこれを訊くのが恒例らしいので質問しますが、今回の話は原稿用紙何枚分になりました?」

タハ乱暴「八十枚ちょい。番外編だと過去最大容量。やっぱり、エターナルってまだ明らかになっていないことが多すぎるから、その辺りを補完しようと思うと、どうしても文量を食ってしまうんですよね。タハ乱暴に文章をコンパクトにまとめる技術がない、っていうのもあるんでしょうけど」

テム様「精進しなさい」

タハ乱暴「うい。頑張ります」

テム様「さて、次回の番外編は誰のルートを予定しているのですか?」

タハ乱暴「エスペリアとオルファで迷ってます。あと、朱里ルート。あ、るーちゃんも悩みどころですけど」

テム様「後ろ二つは本編未登場のキャラではありませんか……」

タハ乱暴「ううん。朱里もるーちゃんも、比較的動かしやすいキャラなんですけどねぇ……さて、読者の皆様、今回も永遠のアセリアAnother、番外編をお読み頂き、ありがとうございました! 次回もお付き合いいただければ幸いです」

テム様「本編の方もよろしくお願いしますわ」

悠人「ではでは〜」




テムオリン、見事なまでにSですな。
美姫 「玩具扱いされる柳也、可哀相ね」
滅茶苦茶楽しそうな顔ですが?
美姫 「お茶汲みになったというのが面白いわね」
それは確かにそうだが。やはり最後の方のテムオリンが思わずツボだった。
美姫 「あの頬を染めての所ね」
うん。殺伐とした中を行くイメージが強いんだが、あそこは全く違うイメージが。
美姫 「確かにね。番外編、楽しませてもらいました」
次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」



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