――聖ヨト暦三三〇年、シーレの月、青、よっつの日、昼。

 

いつかは戦わなければならない敵だと認識していた。

しかし、その機会がこんなにも早く訪れることになるとは予想外だった。

バーンライト最強の猛将トティラ・ゴート。

馬上の将軍からきつい眼差しで睨みつけられ、柳也は顔の筋肉を硬化させた。

ラキオスとバーンライトが開戦してから、まだ一時間と経過していない。このタイミングでの敵将との遭遇は、彼に昂揚と恐怖の両方が等しく入り混じった緊張をもたらしていた。

――これが、本物の猛将の迫力ってやつかッ。

相棒の同田貫を正眼に構えつつ、柳也は深呼吸を繰り返して己を平静に保つよう努めた。

ラキオス王や、リリアナらが放つそれとは異質な、それでいて圧倒的な威圧感。

僅か一瞬、気を揉む暇すら与えてくれない高圧的な視線と態度には、歴戦の勇将でなければ出しえない気迫が漲っていた。

「守護の双刃のリュウヤ、だったな?」

確認の問いかけが、柳也の耳膜を叩いた。

トティラ将軍は隊長の陣羽織を着る悠人ではなく、副隊長の陣羽織を着る自分に話しかけた。これはいったい何を意味しているのか。将軍の意図はどこにあるのか。

柳也はトティラに付き従う六体のスピリット、いまだ隙あらば攻撃の機会を狙っているオディールらに警戒を払いながら、頷いた。

巌の顔に、柔和な笑みが浮かぶ。しかしポパイのような不男だけに、薄い微笑には凄絶な迫力があった。

「一度、こうして面と向かって話がしたいと思っていた。貴公の戦いぶりはオディールらから聞いているぞ? 二四対三の戦力差を跳ね除けて自分達を破った勇者だと」

「私も、閣下のご高名は常々伺っております。三〇年前の鉄の山戦争では、わが国を随分と苦しめたとか」

「此度の作戦は、貴公が?」

「はい。稚拙な戦術、お目汚し申し訳ありません」

「貴公の戦術が稚拙だとしたら、儂の取ったそれもまた稚拙、ということになるな。なにせやったことといえば貴公と変わらん。相手の油断を誘い、別働隊でそれを衝いた」

「考えることはお互い一緒ですな?」

「ああ。……失礼ながら、貴公と儂とは似た部分があるようだ」

「そうかもしれませんね。敵味方として出会ったのを喜ぶべきか、悔やむべきなのか」

苦笑交じりの呟き。しかし、答える柳也の表情は相変わらず硬い。

一言々々が互いの唇からこぼれ落ちる度に、両者の間に身を置く緊張は高まっていった。

柳也はトティラだけを見、トティラも柳也だけを見ている。

そしてその場にいる両軍の兵はみな、刻々と際限なく高まり続ける緊張感に一切の言葉を失っていた。

あたかも戦場に、桜坂柳也というエトランジェとトティラ・ゴートの二人だけがいるような錯覚を、みな感じていた。

馬上のトティラ将軍が、小さく微笑んだ。

「喜ぶべき、であろう。言ったはずだぞ? 儂と、貴公は似ている、と。儂はいま、歓喜の渦に身を置いている。貴公のような強敵と戦える。戦っている。その祭典に、儂の心はいま、昂ぶり躍っているのだ。その儂に似ている貴公のことだ。その胸の内ではいま、如何なる感情が脈打っているのだ?」

「そうですね……」

柳也は僅かな沈黙を挟んだ。

いま、この場でトティラ将軍と言葉を交わしている自分は、桜坂柳也という一個人であり、軍人……すなわち公人でもある。

事実この場にはラキオスとバーンライトのスピリットが一同に会し、自分と、トティラ将軍との言葉の応酬を見守っている。

公人としての自分の発言がもたらす影響を考えれば、慎重に言葉を選ばねばなるまい。

特に悠人とエスペリアの二人は、今回のオペレーション・スレッジハンマーが自分の発案によるものだということを知っている。他ならぬ発案者の自分が、いま、作戦に際して、何を考えているか。何を思い、この戦いに挑んでいるか。

顔の筋肉の運動を縛る緊張はいまだに解けない。しかし、顔中の筋肉が引き攣る中で、唇だけは、すらすら、と動き、言霊を吐き出した。

「歓喜と、恐怖の、両方ですね」

「……そうか」

馬上のトティラ将軍は瞑目した。

しかし、すぐに目を見開くと、彼は吼えた。

齢六二歳の老将軍の、しかし野太い怒声が戦場に響く。

「貴公は危険な男だ。バーンライトにとって……いや、この大陸にとって危険極まりない存在だ。そう判断せざるをえない」

トティラ将軍に付き従う六名のスピリットから、自分に向けられる殺気が増した。

「儂はいま、歓喜の中に身を置いている。しかし、そこに恐怖はない。恐怖を自覚しながら同時に歓喜を感じている貴公は、この戦場を演出した確信犯に他ならない。貴公の存在は、そこにいるだけで戦争を呼ぶ。貴公は、戦争の持つ恐怖と歓喜の両側面を知った上で、戦を求めている。貴公を生かすことは、大陸全土に災厄の種を振りまくことに等しい!」

「……で、あれば、どういたしますか?」

「貴公を殺す。貴公はこの場において、何より優先して命を奪わねばならぬ」

トティラ将軍が、ベルトに差していた硬鞭を引き抜いた。

それが第三軍の全スピリットに命令を下すことの出来る魔法の杖だと柳也が気が付いた時、彼の周りで、両軍のスピリット達のマナが暴力的に増大した。

馬上のトティラ将軍の顔に、もはや笑みはない。

彼は冷たく自分を見下ろしながら、

「……最後に、一つだけ、差し支えがなければ答えてほしい。これは軍人としての純粋な興味からの疑問だ。わが軍のスピリットどもの神剣レーダーは、この平野へと向かう十一の神剣の気配を確かに探知した。しかし、実際に蓋を開けてみればこの場所には貴公一人しかおらず、後から別働隊が襲ってくるのみだった。

貴公の側からはいまだにその十一の気配がするという。計算上はいまこの場に、三七体のスピリットとエトランジェが居なければならないはずだ。しかし、やはり実際には我が軍のスピリット一七体、貴公ら十体の計二七名しかおらぬ。いったいどんな魔法を使ったのだ?」

と、訊ねた。

将軍より疑問をぶつけられた柳也の視線は、自然と足下へと向けられた。

そこには、膝の辺りまで背のある草花に巧妙に隠蔽されて、握り拳半分ほどの大きさの石が九個転がっていた。

外見上は何の変哲もない普通の石だが、そこから感じられるマナの気配は、戦闘時の永遠神剣とまごうほどに激しい。この九個の石こそが、オディールらの神剣レーダーを狂わせ、横撃を成功させたいちばんの功労者だった。

種を明かせば、九個の石にはそれぞれに〈決意〉と〈戦友〉の一部が寄生していた。あのバトル・オブ・ラキオスで活躍したレーダー・ブイと同じだ。相棒の永遠神剣を寄生させた九個の石に、本物の神剣そっくりの反応を持たせることで、敵の神剣レーダーを誤魔化す囮に使ったのである。純粋なパワーやスピードでは〈求め〉や〈存在〉に劣る体内寄生型の永遠神剣だったが、こうした頭を使う戦い方をさせれば右に出る神剣はなかった。

勿論、九個もの囮を用意するにはそれ相応量のマナを必要とする。しかし、バトル・オブ・ラキオスで十体近い敵と剣を交わした柳也の体には、戦闘用のマナが大量に蓄えられていた。柳也が消費したマナは、貯蔵分の四分の一ほどに過ぎない。

柳也が足下に視線を払ったのは、僅か一瞬のことだった。

再びトティラ将軍に目線を戻した彼は、曖昧に笑った。

「その質問に対する答えは、差し支えがあるので控えさせてもらいましょう。こちらの切り札の一つなので」

情報には、あえて公開することで効果を発揮するものと、秘匿することで武器となりうるものの二種類がある。

スピリットの神剣レーダーを狂わせる技術などそうそうあるものではない。使い方次第では、第四位の〈求め〉よりも強力な切り札となりうるカードだ。こればかりは簡単に種明かし出来るものではなかった。

トティラ将軍もさほど期待はしていなかったらしく、説明拒否の返答を受けても落胆する様子はなかった。

小さく、ぽつり、と「そうか……」とだけ呟いた馬上の将軍に、柳也は続ける。

「私からも閣下に言いたいことが一つあります。あなたはいま、私のことを危険だ、とおっしゃいましたが、私にとっても閣下は危険な存在です。今後の戦いを楽に進めるためにも、閣下のお命は、ここで頂戴したい」

「やれるものならば、やってみよ!」

馬上の将軍の唇から、怒声が迸った。

濃密に緊張した空気が、にわかに殺気に粟立つ。

明確な殺意に汚染された空気に触れて、かすかに残る野生の本能を刺激されたか、トティラ将軍の愛馬が嘶いた。

その嘶きに呼応して、トティラ将軍も吼えた。

「アイリス、この男を殺せ!」

太く、重く、その名を呼ぶと、猛将に付き従っていた青スピリットの一人が、トティラを庇うように前へと出た。

柳也よりも頭一つ分は背の低い、小柄な少女だった。近世ヨーロッパ時代の重装騎兵を思わせる鎧甲冑に身を包み、特に上半身の防御を固めている。腰帯にはバーンライト王国軍制式のそれとは別なデザインの防塵布。インディゴ生地の群青色のマントには、ダーツィ大公国国旗のマークが刺繍されていた。

面と頭を覆う兜は身に着けていない。首の辺りで切り揃えた水色の髪は陽の光を帯びて優しい艶を放ち、同色の瞳がたたえる涼しげな眼差しは意思の強さを感じさせた。顔立ちから判断するに、年齢は自分と同年代か。可愛いとも、綺麗とも違う、静謐な凛々しさを感じさせる美貌に、柳也の視線は釘付けとなった。

「……いかん。思わず恋をしてしまった」

男としても、剣士としても。

いまや柳也は、目の前の青スピリットの少女にすっかり心を奪われていた。

これまでに数多くの敵と対峙してきた柳也の観察眼は、立ち振る舞いや体つきから相手の力量をかなり正確に測ることが出来る。そんな彼の剣士としての感覚が、目の前の少女に対して警鐘を打ち鳴らしていた。

この娘は危険だ、と。

この娘から感じられる剣気は、アセリアに匹敵するか、それ以上のものがある、と。

事実、トティラ将軍が口にした彼女の名前は、敵国ラキオスでも広く口ずさまれるほどに有名だった。

ダーツィ大公国からバーンライトに派遣された外人部隊最強の青スピリット。ダーツィ大公よりアウステート(戦闘者)の称号を与えられた唯一の妖精。その実力はラキオスの蒼い牙にも匹敵するとされ、並のスピリットが相手ならば一人で二個小隊を同時に相手取れるという。敵にするには、あまりにも危険すぎる存在だ。

しかし、桜坂柳也にとって、戦いに際しての危険はむしろ望むところだった。より強い相手との戦いを望み、その相手の血を求めてやまないのが、桜坂柳也という男だった。

強大な力を持っているであろう目の前の女を組み伏せ、そのすっ首に刀身を叩き込む。骨の砕ける感触。頬を濡らす返り血。そして、苦痛に歪む端正な顔。想像しただけで、にやけ面が止まらない。股間に集中する血液の脈動を、止められない。

思わず口をついて出た呟きが気に障ったか、青の少女が顔をしかめた。

戦場で出会った敵に対し、「恋をしてしまった」などと呟く柳也の態度を、軽薄不遜なものと受け取ったらしい。

「……話に聞いていた通りの男だな、守護の双刃のリュウヤ。早速の得意の口説き文句か?」

不愉快さを声音に滲ませた男性的な口調が、柳也の耳朶を静かに、烈々と撫でた。

マイナスの感情を孕みながらも不思議と耳によく馴染む透明な声。

柳也は怪訝な顔で訊き返す。

「話?」

「オディール達から貴様のことは聞いている。相当な実力者であり、かなりの女好きらしいな? 遠回しに、色を好む自分は英雄豪傑だと自称しているのか?」

少女は自分を真っ直ぐに見据えた。

どうやら自分の存在は、守護の双刃の二つ名とともに敵国内でかなり広範に知れ渡っているらしい。よもやあのバトル・オブ・ラキオスでの名乗りが、このような事態に発展するとは……自分でも驚いていた。

「有名人は辛いね」と、おどけた口調で呟いて、柳也は、

「俺も、噂程度にだが、君のことは聞いている」

と、彼女の双眸を見つめた。

アクアマリンの海を溶かし込んだ瞳に映る自分の顔は、少しだけ先の未来に待つ戦いを想像して、楽しそうに歪んでいた。

「アイリス・青スピリット。ダーツィ大公国最強のアウステート。トティラ閣下と同様、一度会いたいと思っていた。会って言葉を交わしたいと、刃を交えたいと思っていた」

「わたしもだ。オディールを破った守護の双刃。貴様にはオディールの受けた屈辱を万倍にして返さねばなるまい、と常に思っていた」

楽しげな柳也とは対照的に、相変わらず渋面を浮かべる青の少女……アイリスはそう言って、腰に佩いていた鞘から長大な永遠神剣を抜き放った。

左手を主に、右手を従に。攻防自在の正眼に構え、真正面に立つ男を見据える。

アイリスの神剣は一五世紀のスイスを起源とするバスタード・ソードに似た刀剣だった。日本刀と同様に片手でも両手でも使える片手半剣とでもいうべき武器で、斬ることにも突くことにも適している。一般的には一一五センチから一四〇センチの間で全長がまとめられるが、小柄なアイリスの握るそれは、一メートル近い刀身を備えていた。

その刀身には、柳也の同田貫のように鍛えた鉄の鈍い輝きはない。アクアマリンの原石を思わせる素材で構成されており、金属製の戦うための武器というよりは、宝石で作られた神秘の道具然とした印象が強かった。しかし、淡い燐光を発する神剣から感じられる凶暴なマナの気配は本物だ。

「……しかし、不思議だな」

同田貫を油断なく正眼に構えたまま、柳也は苦笑した。

今度はアイリスの方が怪訝な眼差しを自分に送った。

柳也は躊躇いがちに口を開く。

「こんなことを言うと、またナンパ師の口説き文句と思われそうだが、君とは初めて会った気がしない。勿論、俺達は初対面だ。初対面で間違いはないんだが……どうも、君から感じられるマナの波動に覚えがある。以前、どこかで感じた気がするんだが、それがいつ、どこでだったのかが思い出せない。もどかしいな。喉の奥に小骨が刺さった気分だ」

「……奇遇だな。実を言えば、わたしもそうだ」

難しい顔で締めくくると、意外にも、アイリスは話に乗ってきた。

「わたしも、以前どこかでお前のマナを感じた気がする。何を馬鹿なことを、とは自分でも思うが」

「まったくだ。敵対している国家同士の兵が、いったいどんなシュチュエーションで出会えるっていうんだろうな」

「あるいは、運命なのかもしれないな。わたし達を戦わせようとするマナの導きが、わたし達にそんな錯覚をさせたのかもしれない」

アイリスは真顔で呟いた。軍人が運命や吉兆など験をかつぐのは、どこの世界でも一緒らしい。

アイリス・青スピリットは、透き通った海の色を宿した刀身を真っ直ぐ屹立させて、挑戦的な眼差しを向けた。

対する黒檀色の双眸も、好戦的な炎を灯して残忍に釣り上がる。

手にした得物は無論肥後の豪剣同田貫上野介正国二尺四寸七分。かます切っ先を天へと頂き、柳也は低く、静かに阿吽の呼吸を繰り返した。呼吸とともに気海丹田に沈めた気力の漲りを五体に感じながら、彼は静かに言を紡ぐ。

「後悔するなよ?」

「わたしと進んで戦おうとする奴は、みな決まってそう言う。そして、みな決まって、自分の口にした言葉の意味を噛み締めることになる」

「言ってくれるなぁ」

柳也の唇から、苦笑がこぼれた。

気力充実の阿吽の呼吸に僅かな乱れが生じた。

文字通り、瞬きほどの一瞬の隙だった。

しかしダーツィ大公国自慢のアウステートは、その僅かな隙を正確に衝いて攻めた。

アイリスの背中に純白のウィング・ハイロゥが展開した。ネリーやシアーが背中に頂く翼の一・五倍はあろう、巨大な猛禽の羽根だった。

正眼から八相へと構えが変化する。

そうかと思った次の刹那には、敵はもう、大地を蹴っていた。

頬を強風が撫でた。

ハイロゥの推進力を十全に活かして肉迫、そして袈裟斬り。

柳也は咄嗟に半歩退いて初撃を避けた。

しかし、アイリスにとってその程度の回避行動は想定内での出来事、彼女は前進を続けながら返す刃で青年の上顎を狙った。つばめ返しだ。

――こいつは避けられん!

瞬時の判断でそう悟った柳也は、先刻オディールの水車斬りを防いだのと同じ要領で顎先にオーラフォトン・シールドを集中展開した。と同時に、もう半歩摺り足で退く。直後、高密度の精霊光の盾に、急上昇する燕が激突した。

灼熱した痛み。

シールドを突き破った下方からの斬撃が、上顎を切り裂いていった。

――防御を突破されたッ。斬り上げでこの威力か!?

半歩退くのがもうあとコンマゼロ一秒遅ければ、自分の頭蓋はこの世に存在しなかったことだろう。

柳也は額に浮かぶ冷や汗を自覚しながら、不敵な冷笑を浮かべた。

第四位の神剣を持つ悠人や、エスペリア達緑スピリットの防御には及ばぬとはいえ、自分のオーラフォトン・シールドは並の青スピリットの攻撃などものともしない強度を有している。加えて、いまは防御範囲を顎先のみに限定することで構成密度を高くし、防御をより強固なものとしていた。その盾が体重の乗らぬ下方からの斬り上げによって突破されたという事実は、柳也に強い衝撃と激しい感動を与えた。

――攻撃力、一瞬の瞬発力はアセリアと同クラス。一瞬の油断、たった一つの判断ミスが即命取りとなる……たまらんなぁ!

柳也は黒檀色の双眸に嬉々とした眼差しをたたえ、目の前の敵を睨んだ。

戦っていてこんなにも楽しいと思える相手は、斬撃を受けてこんなにも魂が震える敵は、久しぶりだった。

柳也は摺り足ではなく、大きく地面を蹴って後方に跳躍、敵との距離を取った。

短く深呼吸。

柳也は戦場に響き渡る大声で叫んだ。

「全員、手を出すな! これは、俺と奴との戦いだッ」

味方だけではない。敵に対しても、柳也は毅然と言い放った。

誰にも邪魔されたくなかった。再度の戦いを望んだオディールにも、友人の悠人にも、手を出してほしくなかった。

こんなにも楽しい時を、こんなにも幸福な時間を、邪魔されてなるものか。

いまこの瞬間、青年の頭の中からは、目の前の敵とどう戦い、どう倒すか以外の思考は一切消えていた。いまの彼にとって、この戦いに横槍を入れる輩はすべてが敵だった。

柳也は同田貫を正眼に構えながら、剣尖を揺らした。

明らかな誘い。

しかし、柳也に攻撃を誘発したい意図はない。

ハイロゥを展開したままのアイリスが、柳也を追って距離を詰めた。デートの誘いに乗ってきた。柳也は再度跳躍してまた距離を取った。応じて、またアイリスも敵を追った。みたび柳也が後ろへと跳躍する。

奇しくも戦場で対峙した一団から、二〇メートルは離れただろうか。

柳也の足が、ぴたり、と止まり、アイリスも追うのを止めた。

柳也の唇が、ニヤリと冷笑をたたえる。

「ここでなら、お互い本気で戦えるな?」

永遠神剣の攻撃力はあまりにも強大だ。いくら正確な指示を下すためといっても、人間のトティラ将軍が側にいる状況では、アイリスも思う存分その実力を発揮出来まい。柳也としても、そんな敵との戦いはつまらない。

互いに周囲を気にせず全力を出し切るためには、戦場を選ぶ必要があった。

柳也は、改めて同田貫を正眼に構え、アイリスに向き直った。

「全力で来い。俺は、本気のアイリス・青スピリットと戦いたい!」

膨大な熱量を伴うオーラフォトンの魔法陣が、柳也の足下で展開した。

気力とともに五体に充実する圧倒的なマナを感じながら、柳也は吼えた。

戦いの最中にありながら楽しげな柳也の態度に何を思ったのか、アイリスは怪訝な表情を浮かべた後、やがて真剣な眼差しを青年に注いだ。

「……いいだろう。わたしも、お前とは本気で戦っておきたい。本気のお前を叩きのめし、地面にへたばった姿をオディールに捧げてやる」

静かに言い放った直後、アイリスの背中に浮くハイロゥが蒼い稲妻を帯びた。

途端、青の少女を取り巻く大気の質が一変した。

暴風が吹き荒れ、青マナが枯渇し、代わりに、アイリス自身のマナが強大化、バスタード・ソードの永遠神剣が、眩い閃光を放った。

これまでに経験したことがない程のハイロゥの活性化現象。ハイロゥにはスピリットがマナを攻撃力や防御力に変換する際のインターフェースとしての機能がある。そのハイロゥが活性化しているということは、言わずもがな、次の一撃の凄まじさを物語っていた。

Speak Mode gear on !」

互いに相棒の武器を正眼に構えて、二人は音もなく睨み合った。

隔てた間合いは五間半(約十メートル)はある。剣と剣とが対峙する戦いにおいてはかなりのロング・レンジだ。しかし、永遠神剣を操る両者にとってはこれでも一足一刀の間合いの内だった。一足一刀の間合いとは、一歩踏み込めば相手に致死の一撃を叩き込める、生死を決する距離のことをいった。

――先の一撃からも相手の攻撃力が絶大だということは分かっている。下手な小細工はむしろ付け入る隙を作りかねない。俺の、いちばんの得意技で攻める!

二人は動かない。互いに相手の力量は侮ってよいものではないと承知していればこそ、迂闊に攻め立てることは出来なかった。

粛として、ただただ睨み合うだけの対峙の時が続いた。

柳也はアイリスだけを見、アイリスも柳也だけを見ていた。

戦場の空気は凍てつき、もはや平野を凪ぐ風の音も、剣をぶつけ合う戦友達の喧騒も、柳也の耳からは消えていた。

ただ自分と、相手の呼吸音、そして放電現象を起こすハイロゥの音だけが耳膜を叩いていた。

十秒、二十秒と、沈黙を友とする対峙が続いた。

森閑とした静寂と濃密な緊迫が、両者を取り巻く空気を徐々に圧していった。

そんな中、柳也は心地良い緊張感に心を委ねていた。腹の奥底から次々と込み上げてくる楽しいという感情を、自身で制御出来なかった。

――……よし。

攻め込む覚悟を決意した柳也の正眼が、上段へと変じた。

防具をつけて竹刀で打ち合う道場剣術ならばともかく、真剣勝負の場で上段の構えを取るのは一般に素人丸出しとされる。なんとなれば最も守らねばならない胴をがら空きにしてしまうからだ。

しかし、柳也を見るアイリスの表情に侮蔑の色はない。オディールから聞かされた柳也の実力を知っていればこそ、目の前の男が上段に構えたのは打ち込みの速さによほどの自信があってのことと断じたのだった。

対手が上段に構えたのに応じて、アイリスはバスタード・ソードを八相に構えた。

無骨な拵えの柄を握る両手の手の内は完璧だ。

柳也は思わず口元に微笑を浮かべた。

パワーやスピードだけではない。目の前の敵には高い技量も備わっている。その事実が、純粋に嬉しかった。

「おおおおおお――――――ッ!!!」

柳也は咆哮した。咆哮しながら、彼は敵に向かって殺到した。

それは、踏み込む、というよりは、猛牛の突進を思わせる前進だった。

対するアイリスも、柳也の咆哮に応じて前へと踏み込んだ。

稲妻を纏ったウィング・ハイロゥが、静かに嘶いた。

餓えた獣の咆哮を上げた柳也は、同田貫を垂直に叩き込んだ。

同時に、ハイロゥの推進力さえも刀勢に載せて、アイリスは愛剣を袈裟に振り抜いた。

正中線を正しく狙った面打ちと、斜に引き裂く袈裟斬り。

肥後の刀工が精魂篭めて鍛えた刀と、神の名を冠に頂いた神秘の剣。

光線と化した二条の刃は、空中で激突した。

重い金属音。高速でぶつけ合った互いの神剣より散った火花が、両雄の頬を焼く。

ともに必殺を期した斬撃は不発に終わり、そのまま鍔迫り合いへともつれ込んだ。

両者の力は完全に拮抗していた。体格差からも歴然とした筋力の差を、アイリスはウィング・ハイロゥの推進力を利用して詰めていた。

小さく開いた唇から漏れる互いの吐息が顔を舐めるほどに肉迫した二人は、その身に宿るすべての力を注いで剣を押し合った。

――これが、アイリス・青スピリットのフル・パワーかッ!

刃筋を重ねた豪刀が、迫り合う刀が激しく震えていた。

パワーも、スピードも、ラキオス最強のアセリアと同等の域に達している。そればかりか、普段は無表情・無感動が常のアセリアの剣にはない激しい気迫が、アイリスの剣には宿っている。その猛気はアイリス・青スピリットの剣技を極限まで高め、こうして鍔迫り合っているだけで、精神と体力が著しくすり減っていくの柳也はを自覚した。

――まともに攻撃を受けていたら、たとえバリアを張っていたとしても五体がバラバラになっていた……!

死の恐怖が、背筋を這っていった。

恐怖とともに、歓喜の感情が総身を駆け巡った。

自分はいま、恐怖を感じている。

恐怖を感じられる自分はいま、生きている。

生きていることは喜びだ。生は幸福だ。それを実感し、柳也は、満面の笑みを浮かべた。

楽しい。

楽しい。

楽しすぎる!

いまのこの瞬間が、死と隣り合わせの緊張感が、楽しくて、楽しくて、たまらない!

鍔迫り合う時間は永遠のように感じられた。

しかし、実際にはすべては瞬きほどの一瞬の間に起きた攻防でしかなかった。

次の刹那、突進の勢いを殺さぬ柳也の体当たりが、小柄なアイリスの身に炸裂した。

斬り結びから鍔迫り合いに持ち込むことなく、あるいは鍔迫り合いの最中に奇襲の体当たりをかまし、突き飛ばして体勢の崩れたところに必殺の第二刃を叩き込む。柳也の得意技だ。いままでに何人ものスピリットが、この技の餌食となった。

体当たりは完全な不意打ちとなって爆発した。スピリットといっても所詮は女の小柄な身だ。体重の軽いアイリスは、一個の砲弾と化した柳也の思惑通り突き飛ばされた。

アイリスの両足が、地面から離れる。

闘牛の突撃が、少女の体を宙へと追いやった。

いまや姿勢を崩したアイリスに、次の一撃を防ぐ余裕はない。

柳也は今度こそ、と肥後の豪剣二尺四寸七分を上段に振り上げた。

柄を握る手の内も正確に、渾身の力を刀勢に載せて必殺の一太刀を振り下ろす。

天から地へ。

稲妻の如き怒涛の一撃は、攻撃に伴って響く音を引き剥がして、落雷する。

神剣の加護を受けた同田貫は、いまや音速の領域で躍っていた。

――もらったぞ、アウステート!

柳也は己の勝利を確信した。

その時、柳也の視界に巨大なウィング・ハイロゥが唸りを発して羽ばたく姿が映じた。

目の前の空間を、ハイロゥが放出する稲妻が焼く。音の壁を突破する雷の音。静電気を多分に含んだ強風が、柳也の頬を薙いだ。

そうかと思った次の刹那、アイリスの体が、ふわり、と右へ躍った。

ハイロゥの推進力を全開に、姿勢を制御しつつ軽やかに着地する。

――しまったッ。

敵の狙いを悟った時には、もう、遅かった。

柳也の上段斬りは何もない空間を両断し、代わって右へ跳んだアイリスのバスタード・ソードが、袈裟に襲い掛かった。

狙いは上段斬りの直後で無防備な己の頚動脈。苛烈な一撃は柳也の面打ちと同様、音速の領域からの斬撃だ。

振り抜いたばかりの同田貫も、左腰の脇差も、バリアもシールドも間に合わない!

ならばせめて少しでもダメージを軽減するよう努めなければ、と、両脚に力を篭めたその時、敵を睨む視界を、銀色の閃光が埋め尽くした。

鋭利な激痛が、柳也の身を襲った。

 

 

 

 

 

永遠のアセリア

-The Spirit of Eternity Sword Another Story “Twin Edge of Protection”-

第二章「蠢く野心」

Episode42「アウステート」

 

 

 

 

 

――聖ヨト暦三三〇年、シーレの月、青、よっつの日、昼。

 

その男の倒れゆく姿が、高嶺悠人にはひどく現実味の乏しい光景に思えた。

桜坂柳也。ラキオス王国最強戦力の一角にして、四戦不敗負け無しの勇将。

佳織の幼馴染で、自分にとっても大切な戦友と呼べるこの男は、決して人前では弱気な姿を見せない、強い男だった。

右も左も分からない異世界に放り出された境遇は自分達と一緒なのに、自信に満ちた微笑を浮かべて彼はいつも自分と佳織を引っ張ってくれた。

佳織を人質に取られて気が動転していたのは彼も一緒のはずだったが、取り乱す自分をなだめ、最前の方向へと導いてくれた。

女好きで、軍オタで、何より剣術と戦うことが大好きな、困った男だ。恐れを知り、悲しみを知り、そうであるがゆえに妥協と諦めを嫌う。勇気を親友とするその心は豪胆にして自由、自分本位な発言をすることもあれば、仲間のために涙を流す義に厚き顔も持っている。決して美男子ではないが精悍な面構えには笑顔がよく似合い、満面に浮かべた力強い笑みが、自分は好きだった。

柳也が敗北するなんてことはありえない。そんな根拠のない確信が、悠人の頭の中にはいつも横たわっていた。

勿論、柳也とて人間だ。失敗は当然あるだろうし、時には敗北することもあるだろう。そんなことは、頭の中では十分理解しているつもりだった。しかし、そうした当たり前の理を感じさせない“何か”が、桜坂柳也という男からは感じられた。

自分自身の運命も、他人の宿命さえも変えてしまう柳也の姿は、悠人の目には、どこまでも強く、気高く映じた。

それゆえに、悠人には柳也が倒れていく姿が信じられなかった。ましてや、敵の攻撃を受けて、敗北する姿など……あるはずのない、光景だった。

「りゅ……う、や……?」

目の前で対峙する敵の存在も忘れて、悠人は愕然とその光景を眺めていた。

柳也が、負けた?

誰よりも強く、誰よりも誇り高い、あの柳也が……負けた?

――ありえない! そんなことが、あるはずがない!

しかし、視界に映じる現実は残酷だった。

決して負けないはずの男は地面に倒れ伏し、立っているのは……

りぃぃん、と頭の中で鈴の音が鳴った。

お馴染みの、第四位の永遠神剣〈求め〉がアクセスしてくる感覚。普段は煩わしいそれが、いまは、福音のように聞こえた。

【契約者よ、このままでは危険だ。あの者のマナが少しずつ弱り始めている】

――煩い! そんなことは分かってるッ。どうにかしろ、バカ剣!

【ふむ。それが此度の汝の望みか? よかろう。代償たるマナは……分かっているな?】

「余所見をするな、エトランジェ!」

前方より殺気。鉄板のような刀身を持ったダブルセイバーのぶ厚い切っ先が、眼前に迫る。どうやら、柳也の身を気にするがあまり自身への攻撃に対する集中が甘くなっていたらしい。ここに至るまで、攻撃に気付かなかった。

咄嗟に〈求め〉の厚い刀身で受け止める。鈍い衝撃。柄を握る両手に痺れが走った。

数ヶ月前の自分なら、こうは防御出来なかったろう。アセリアやエスペリアとの訓練があればこそ、いまの斬撃も防ぐことが出来た。その稽古の相手には勿論、柳也の存在も含まれている。その柳也はいま、かつてない窮地に立たされている。

〈求め〉の問いかけに対する答えは、考えるまでもなく決まっていた。

――ああ。柳也を……あいつを助けられるのなら!

対手の赤スピリットが離れるよりも先に〈求め〉を引き、敵の刃を弾いた。

直後、両手の〈求め〉より攻撃的なマナが五体へと流れ込むのを実感する。

かつてなく軽い身体、かつてなく研ぎ澄まされる心。

相当な実力者のはずの赤スピリットの動きがやけに遅く感じられ、対照的に、戦いに関しては素人のはずの自分が敵の動きを圧倒する。

目指す先は無論、傷つき、倒れた友のもと。

そこへ辿り着くためには、まずは眼前の敵を倒し、進路を切り開かねば。

「オデット!」

自分を襲った赤スピリットを守るように、別の小隊が前に出てきた。

オディール・緑スピリットを筆頭とする、青一名、緑二名の小隊だ。

――お前達も、邪魔をするのかッ。

柳也が事前に教えてくれた情報によれば、オディールの実力は外人部隊の中でもアイリスに次いで高いらしい。

なるほど、いま柳也が戦っている敵ほどではないが、良い動きをしている。いまのままの自分では、この敵を捉えるのは至難の技だろう。

――もっとだ。もっと力をよこせ、バカ剣!

魔法陣が、足下で展開した。

熱量を伴ったオーラフォトンが自身の身を焼き、防御と引き換えに攻撃力を飛躍的に高めた。

パッション・オーラ。防御を犠牲にすることで限界以上の攻撃力を得る、熱情のオーラフォトンだ。

悠人は〈求め〉を八相に構えた。

かつてないほどに強力な、そして攻撃的なオーラフォトンを刀身に宿し、第四位の永遠神剣は禍々しい輝きを放っていた。

立ちはだかるスピリットは全部で五人。全員、柳也のもとへと向かおうとする自分の進路を阻むように、目の前に展開している。青が一人、赤が一人、緑が三人の構成だ。この五人を一度に振り払うには、八相からの横一閃以外にない。

「邪魔、だぁぁぁああッ!!!」

腹の奥底よりこんこんと湧き出でる、どす黒い感情。目の前の敵が、邪魔で邪魔でしょうがない。行く手を阻む女どもが、憎くて、憎くてしょうがない。

悠人は咆哮した。咆哮しながら、剣を振るった。

フレンジー。怒りの感情から引き出した攻撃的なオーラフォトンを、すべて攻撃力に変換した一撃だ。

悠人は腰を据え、臍下丹田に気を篭め、刀勢に、怒りを載せた。

邪魔をするな。そこは、己の通る道だ。柳也を助けるために、己が通らなければならない道だ。その歩みを阻む輩には、容赦しない!

「オデット、下がってッ。あれは危険よ!」

好戦的に輝く〈求め〉から尋常ならざる剣気を感じ取ったか、オディール小隊の緑スピリット達が、オデットと呼ばれた赤スピリットの少女を守るように前へと出た。オデット自身の小隊からも、緑スピリットが彼女を庇うように前へと出る。

前衛に三人の緑スピリット、後方に青と赤が各一名ずつという配置だ。

オディール達緑スピリット勢は、シールド・ハイロゥを中心にアキュレイド・ブロックを広域展開した。オデットと青スピリットは直接防御には参加せず、シールドを内側から張ることで三人分の障壁を補強した。

〈求め〉の切っ先が、かつてない伸びを見せて、薄紫色の光線と化した。

右から左へ。ぎりぎり展開の間に合ったアキュレイド・ブロックに、重い刃の一閃が激突した。

遅速。

しかし、勢いを完全に殺すまでは至らなかった。

三人分の、甲高い悲鳴が上がった。

オディールの両隣から。そして、緑のスピリットが庇うはずだった青の妖精の唇から。

アキュレイド・ブロックが切り裂かれた瞬間、咄嗟の判断でドラゴニック・アーマーの肩当てを斬撃にぶつけて凌いだオディールと、その背後にいたオデットだけが生き残った。

他の三名は、あまりにも隔絶した〈求め〉の一撃を防げず、秒と経たぬまま消滅してしまった。青スピリットなどは、攻撃の余波だけで消し飛んでしまった。

また、生き残ったオディールも無傷ではいられなかった。

フレンジーの一撃にぶつけた右肩のドラゴニック・アーマーは、ズタズタに斬割され、防具としての体裁をなしていなかった。守護の双刃の必殺の一刀を受けても無傷だった、ゴート家の家宝だった。

「そんな……ドラゴニック・アーマーが……」

オディールの唇から、悲壮な声がこぼれた。

ついで、親の仇を見るかのような、憎しみの篭もった視線。

しかし、いまの悠人にそれを気にする余裕はない。

フレンジーの一閃で突破口は開いた。

オディールもオデットも、直撃を凌いだとはいえダメージは大きい。すぐには動けるような状態ではない。

これ幸いにと悠人は敵の眼前を突っ切った。

目指す先は勿論友が倒れている場所。

走りながら八相に構えた視線が睨む先は仇敵アイリス・青スピリット。

敵はあの柳也を打ち負かした相手だ。技量の差は歴然としている。肩肘は張らず、とにもかくにも一太刀浴びせることだけを考えて接近した。

 

 

「来るなぁッ、悠人!」

その時、男の絶叫が戦場に轟いた。

普段の稽古で呼吸器系を日常的に鍛えていればこそ出しうる、重く、凄絶な声。

聞き慣れたはずの友の声は、しかし、掠れていた。

普段は余裕に満ちた笑みばかり浮かべているこの男がこうした声を出す時は、決まって状況が芳しくない時に限られる。ネリーへの特別訓練の最終日がそうだった。あの特訓の後、柳也は自力では動けぬほどに消耗していた。

いまもあの時と同じように、それだけ体調が危ういということなのか。

あの時、周りにいたのは味方ばかりだった。しかし、今回は……

だが、そんな状態にも拘らず、言の葉に載せた意思は、明確な拒絶だった。

前に進もうとしていた悠人の足が、目に見えて鈍る。

「来るんじゃねぇぞ、悠人……これは、俺の戦いだ」

「なぜ?」と、問いかける前に、柳也が口を開いた。

左腕一本で上体を起こし、同田貫を支えにゆっくりと立ち上がる。

利き手側の肩口からは血の濁流。浴びせかけられた袈裟斬りの刹那、反射的に前へと踏み込んだことで頚動脈の切断こそ逃れたものの、利き腕を斬られたダメージは少なくない。

剣を支えに立ってはいるも、その腕自体が小さく痙攣していた。右腕への血の供給が不足し始めている証拠だ。

他方、対峙するアイリスはいたって平然と立ち、正眼に剣を構えていた。

背中には青マナの燐光を静かにたたえるウィング・ハイロゥ。あの稲妻を伴ったハイロゥは消耗が激しいらしく、展開してない。

彼女は必殺の斬撃を叩き込んだ男が再び立ち上がっても、冷静な態度を崩さなかった。

傷を負って戦力の低下が著しい相手に対しても決して油断せず、落ち着き払った所作で目線を眼前の敵へと置いている。

如何なる状況にあっても自分のなすべきことを忘れないその姿は、まさに歴戦の戦士たる風格を漂わせていた。

袈裟斬りとともにアイリスが後退したことで、両者の間合いは四間ほどまで広がっている。

柳也は同田貫を杖代わりにしたままの姿勢で、アイリスを見据えた。

その口元には、不敵な冷笑が浮かんでいた。傷を負った柳也の口元に、だ。

「……やるなぁ。初見であれを破られたのは久しぶりだぜ?」

「褒め言葉ではないな。破っただけで、殺せはしなかった」

「はっ、そう簡単にこの命はやれねぇよ」

柳也は杖代わりの同田貫を片手正眼に構えた。

一方の左手は脇差の柄に添えて、ゆっくりと刀身を引き抜く。

右の同田貫には〈決意〉を、左の脇差には〈戦友〉の一部を寄生させ、柳也は正眼に身を置いた。

「折角、面白くなってきたんだ。そんなすぐに、死んでやるのは勿体無い」

「面白い?」

アイリスが眉をひそめた。

柳也の顔に、好戦的な笑みが浮かぶ。

「ああ。面白いぜ? なによりもいま、この瞬間が。いま、君と戦っているこの瞬間が! たまらなく楽しい。楽しすぎる!」

「……不可解なことを言うな。勝ち戦ならばまだしも、状況は貴様の方が劣勢だぞ?」

「負け戦を勝ち戦にしてこそ、本当に楽しい戦いなんだよ」

柳也は不敵な笑みを浮かべて言った。

嘯きではない。彼は真実、いまこの瞬間を、楽しい、と感じていた。

「たしかに、いまの状況は劣勢だ。現にいま、俺の肩は、いてぇいてぇ、って泣き叫んでやがる。けど、この痛みを乗り越えた先に……この劣勢を乗り切ったその先に、強いお前を組み伏せて、そのすっ首切り裂く未来があるのだと想像したら……胸が熱い。心が震える! 歓喜の感情で、魂が震える!! 思わずイッちまいそうな気分だ」

この刃を、あの白い首に叩き込めたなら、それはどんなに心地良い感触を自分に与えてくれるだろう。

あの白い肌から噴出する返り血で喉を潤したら、それはどんなに甘美な味わいを提供してくれるだろう。

あの女の剣。自分に傷を負わせた、あの剣技。これまでに掛けてきたであろう情熱のすべてを、研鑽のすべてを、己の剣で否定し、完膚なきまでに打ちのめしてやったら、どんなに気分の良いことだろう。

柳也は脇差を正眼にしたまま、右の同田貫を上段に構え直した。

攻撃の同田貫と、防御の脇差。両の刃に託したそれぞれの役割を誇示する構えだ。こちらの手の内を相手に晒しているようなものだが、そのだけにはったりは十分、牽制にはなる。

チラリ、と、一瞬だけ、自分を助けようと駆け寄った悠人に視線を向ける。

「……ってわけだ。悠人。こんな楽しい戦いの邪魔をするんじゃねぇ」

柳也は再び視線を目の前のアイリスに戻した。

彼が悠人の顔を見たのはほんの一瞬、コンマ一秒にも満たない時間だった。

アイリス・青スピリットという強者を前にして、余所見をすることは、本来であれば絶対に許されない愚行だ。刹那の時間、相手から目線をはずしただけで致命傷を負わされかねない。

そんな危険を冒してまで、柳也は悠人を見た。

左の脇差を振りかぶる。剣尖を向ける先は、いまこの瞬間も別な敵と戦っている戦友達のいる方向。柳也はアイリスの姿を視界の中心に据えたまま、口を開いた。

「だから、お前は、お前の戦いをしろ」

「…………」

俺は行けないから。俺の代わりに、仲間達を頼む。

目の前にある戦いを心から楽しみたいという気持ちと常にともにある、戦友達の身を案じる気持ち。

言外に託された柳也の意思を感じ取り、悠人は、顔をくしゃくしゃにした。

だがそれは一瞬のことだった。悠人は踵を返すと、その頃にはもう態勢を整えなおしたオディールとオデットの二人組と対峙した。

その気配を感じ取りながら、柳也は脇差を再び所定の位置……正眼へと戻した。

「悪いな。気を遣わせた」

柳也は不敵に微笑んだ。

真剣勝負の最中に、一方が相手から注意を反らすなど二度はない絶好の好機だ。そのチャンスを前にして一切の攻撃がなかったのは、友を見送る自分にアイリスが気を遣ったのだと柳也は判断した。

「構わん。立場は異なるが、仲間を想うその気持ちは理解出来る。……それにどうせ、あの男も死ぬ。わたしが、殺す」

静かな、しかし力強い断定の声。

柳也の唇に、微笑とは別な凶暴な冷笑が浮かぶ。

「はっ……一人でエトランジェを二人も、か。欲張りだな。俺も大概に強欲だが、お前さんはそれ以上だ」

「無駄口を叩くのは、終わりにしよう。……Speak Mode Start Up !」

稲妻を伴ったウィング・ハイロゥが、再びアイリスの背中ではためいた。

直後、再び感じるマナの増大。一度剣を重ね合って理解した。平時のアイリスの身体能力は外人部隊の一般的な青スピリットと大差ない。しかし、青の雷光を纏っている時の彼女のスペックは、ラキオス最強のアセリアを四割は上回っている。

普段からその状態を維持していないのは、よほど負担が大きいからだろう。大きな力には、それ相応のデメリットが伴うものだ。

無駄口云々というアイリスの言葉は、柳也に向けたと同時に、彼女自身自分に言い聞かせた発言だったのかもしれない。

Speak Mode gear on. ダーツィのアウステート、第六位〈苦悩〉のアイリス・ブルースピリット。守護の双刃、せめてこれからは、私の中で、マナとなって生きろ」

「はっ、こっちの台詞だ」

柳也が嘯いた、その直後だった。

彼の視界の中から、不意に、アイリスの姿が消えた。

次の瞬間、右側方より斬撃の殺気。

先の一撃よりも、さらに速い打ち込みが、上段より頭蓋を狙う。

どうやら牽制の構えは、意味をなさなかったらしい。

考えるよりも先に、右の同田貫が動いた。

鋼と鋼の打ち合う音。

十字に切り結んだ豪剣を通じて、凄まじい衝撃が手負いの利き腕を揺さぶった。

鋭い痛みが走る。いまだ止血の処置さえされていない肩の裂傷から、鮮血が噴出する。

「ぐぅ……だぁッ!」

苦悶の絶叫が、喉の奥から込み上げた。

敵に弱味は見せまいと、懸命に堪えた。

絶叫を無理矢理に裂帛の気合へと変えて怒号一閃。左足で右足を引きずり、正面を右に四五度回転させながら脇差を袈裟に薙ぐ。

二尺に満たない白刃が鋭い伸びを見せて、お返しとばかりに相手の左肩を狙ったが、アイリスはまたしても、ふわり、と右に跳んで斬撃を避けた。

次の刹那、またも頚動脈を狙った袈裟斬りが我が身を襲う。

敵の斬撃に応じて左右に跳び、攻撃の直後で防御も反撃も困難な状態の敵の隙を衝いて袈裟に斬る。どうやらこの一連の流れこそが、アイリス・青スピリットの得意技らしい。

「――逆風剣っ」

アイリスの唇から、涼しげな呟きが漏れた。

バスタード・ソードの〈苦悩〉が巻き起こす突風が、柳也の頬を撫でる。

アイリスの放つ連環は、すでに一度披露した太刀筋だ。

しかしその対処は極めて難しい。

敵が攻め立てるのは右方。斬撃の直後以前の問題として、傷を負った利き腕側からの攻撃だ。

「しゃああッ」

裂帛の気合が、知らず口から迸った。

しかし、五体の筋肉が激しく躍動するその都度赤い血煙を噴出する右腕と、その延長にある豪剣は、迸る気合の勢いに着いていけなかった。

腰を入れるとともに手首を返して斬り上げた白刃は、はたして、斜に襲いかかる斬撃と激突した。

万全の状態で、かつ両手でしかと手の内を練った上での斬り上げであれば、あるいはその打ち込みを弾き返すことが出来たかもしれない。

しかし現実には己の右腕は負傷し、豪剣を支える腕はその右腕一本。手の内こそ十全なれど、それだけで襲いくる斬撃を防げるほど、アイリス・青スピリットは甘い相手ではなかった。

「……もらったぞ。守護の双刃!」

同田貫が、打ち負けた。

その直後、柳也の耳朶をアイリスの冷たい声が叩いた。

防御のために、アイリスに対し正面を向いた男の右肩から左の脇腹にかけて、一条の光線が炸裂した。

血煙と、黄金の霧が噴出する。

柳也の顔から、一切の感情が消える。

文字通りの、身を引き裂く痛み。

身体中の血が急速に失われ、判断力と思考力、そして、いまこの瞬間を生きようとする力が失われていくのを実感する。

六尺豊かな体躯を支えていた膝が笑い出し、男の下肢はやがて、

「……待っていたぜ。この時を!」

力強く、大地を踏みしめた。

言葉とともに、口から迸る赤い塊が、刃を叩き込んだままのアイリスの頬を濡らした。

青の妖精の顔に、驚愕の表情が浮かぶ。

「はあああ――――――ッ!!!」

阿吽の呼吸。

“あ”の口で息を吸い、“う”の口で止めて気界丹田へと沈め、“ん”の口で吐き出す。

柳也は同田貫を手放すや、開いた右手でアイリスの左手首を掴んだ。

思いっきり引き寄せる。

当然、アイリスは反射的に退こうとしたが、それは叶わなかった。スピリットといえど、所詮は女の細腕だ。平素日頃から重量二十キロの振棒を素振りして鍛え、さらには神剣の加護が加わった握力に、抗えるはずもない。

互いの産毛がそうと見て取れるほどの超至近距離での肉薄。

柳也の唇の端が、楽しげに釣り上がる。

「捕まえたぜ?」

「くっ……!」

苦痛に歪むアイリスの顔。射るような視線が睨み上げ、〈苦悩〉の柄から左手を離す。

右腕一本で振り上げたバスタード・ソードを、男の右腕目掛けて振り下ろそうとした時には、もう、遅かった。

アイリスを刃圏に捉えた無名の脇差一尺四寸五分が、少女の体を袈裟に斬る。

光線と化した白刃が、鉄の鎧を斬割した。

血煙。そして、金色に輝くマナの霧。柳也自身が流すそれと混じり合って、消える。

敵の傷は浅い。刃を叩き込んだ距離が、あまりにも近すぎた。しかし浅いがゆえに、血飛沫は派手に飛散した。

柳也はアイリスの手首を掴んだまま離さない。

二度、三度と、その後も脇差を胸甲に斬りつける。互いの距離があまりにも近すぎるために、アイリスはウォーターシールドを展開することが出来ない。

また、一メートル近いバスタード・ソードは、あまりにも接近しすぎている敵に対して、有効打を叩き込めない。

「アイリス・青スピリット……君は凄い女だよ」

斬撃の奔流とともに、男の唇からは烈々たる口調の言葉が迸った。

「最初に剣を重ねた瞬間、すぐに分かった。パワーもスピードも、君の身体能力は俺やアセリアのそれを大きく上回っている。特に、君の運動性・機動力は素晴らしい。悔しい話だが、俺の速さじゃ君の動きを捉えることは非常に困難だ。だから、その動きを、まず止めさせてもらった」

敵の得意技や長所を封じ、我がほうが得意とする戦い方で勝負を挑む。柳也が取った戦術は、非常にシンプルな代物だった。

敵の機動力が脅威ならば、それを活かせないよう、この手で捕まえてしまえばいい。

一メートル近い長大なバスタード・ソードを脅威と感じたのならば、それを思いっきり振り回せない間合まで近付いてしまえばいい。

そのために必要な代価が腕の一本、胴の傷一つならば、安いものだ。

「肉を切らせて骨を立つ! 日本男児、侍の戦い方よ」

虎穴に入らずんば虎子を得ず。

角を掴んで雄牛を捕らえる。

より多くの成果を得るためには、時に危険の渦中へと飛び込む覚悟を決めなければならない。そして柳也は、それが出来る男だった。

死中に、あるかどうかも分からない活路を見出す覚悟を決められる侍だった。

「……まぁ、肉どころか骨まで切らせた、まさしく捨て身の戦法だったけどな」

至近距離でアイリスの顔を見つめて、柳也はニヤリと笑った。

唇の端から、血の濁流が溢れ出している。

いまや両者の距離は一尺とない。ほとんど抱き合っているような状態だ。これほどに切迫した間合においては、バスタード・ソードは無力化し、脇差の威力さえ半減する。

「安心しろ。女のあんたの、顔を傷つけるようなことはしない!」

柳也は吼えた。

吼えて、脇差を何度も振るった。

アイリスの胸を覆う装甲が砕ける。

胸甲の崩壊に伴って、肩当ての接続部も破損する。

とうとう完全に防具を引き剥がされたアイリスの双丘に、斬撃の刃が叩き込まれた。

血飛沫。

苦痛に歪む女の顔。

切り裂いた衣服の向こう側で、白い乳房が真っ赤に染まる。

背筋が、ぞくぞく、した。

股間に血が集まるのを自覚した。

「いくぜェ……桜坂柳也の必殺剣!」

アイリスの手首を離した。

自らもダメージを負い、がたがたの下肢に残る最後の力を振り絞って、その場に屈む。

落ちていた同田貫を右手で素早く拾い上げるや、手の内を練った。

「アイリス、離れて――――――ッ」

遠くから、オディールの声。

そういえば彼女は、バトル・オブ・ラキオスでこの技を目撃していたか。

戦友の声に反応して、アイリスが咄嗟に離れようとする。

しかし、屈んだ体勢からの柳也の跳躍の方が、僅かに、早い。

「スパイラル大回転斬り――――――ッ!」

柳也はそのまま身体を捻り込みながら跳躍した。

スパイラル大回転斬り。六〇〇年の長きにわたってその技を伝える剣術の名門・香取神道流剣術の、居合“抜附之剣”をヒントに柳也が編み出した、守護の双刃独創の剣だ。

抜附之剣では、左足を着いた体勢から自分の身の丈ほども跳躍し、抜刀するのに対し、スパイラル大回転斬りでは抜刀の動作を排し、あらかじめ両の刀を抜いたままの状態で回転しながら跳躍する。その動きはまさに竜巻の如き螺旋の力を生み、双刃の刀勢に強力な遠心力を注ぐ。

右の同田貫と、左の脇差が、猛禽の翼の如くはためいた。

独楽の回転を得た両の二刀が暴れ、無数の斬撃が女の総身を襲う。

咄嗟に〈苦悩〉を正眼に構え、ウォーターシールドを前面に展開するなどして防御に努めたアイリスだったが、二条の白刃は障壁と激突しても回転の勢いを弱めず、水の盾を軽々と突き破った。

のみならず、斬撃の嵐は垂直に立てた〈苦悩〉を怒涛の勢いで左へと弾き飛ばした。

もはやアイリスへの攻撃を阻むものは、何もない。

「……神剣の主、アイリス・青スピリットが命じる」

その時、柳也の耳朶を、この数分間ですっかり聞き慣れた涼しげな声が叩いた。

絶体絶命のこの窮地にあって、アイリスの声は平静を保っていた。自分のやるべきことを、取るべき行動を見失っていない証拠だった。

「アイスバニッシャーッ」

稲妻を発するウィング・ハイロゥが一瞬だけ輝きを増し、アイリスの眼前に魔法陣が展開する。

青スピリットが得意とする凍結の消滅魔法だ。

陣内より飛び出した凍気の塊は、エトランジェの柳也にとって、通常大きな脅威とはなりえない。

しかしこの一瞬……作戦だったとはいえ少なからぬダメージを背負い、この身に残る最後の力を振り絞って、起死回生の斬撃を目前の敵に叩き込まんとするこの一瞬においては、それは最大の脅威となった。

冷気の塊が、柳也の体に炸裂した。

一瞬の凍結。それはすなわち、斬撃の遅速へと繋がる。

それはアイリスの胸元へあと一寸、物打を進めれば、必殺の斬撃を叩き込める間合での出来事だった。

刀勢の鈍った僅か一瞬の隙を衝いて、アイリスは大きく後退した。

スパイラル大回転斬りは技の性質上、相手との間合を極端に詰めなければならない。また、移動しながらの攻撃ではないため、技の途中で間合が変化すると着いていけないきらいがある。

ゆえに、斯様に距離を取られると完全にお手上げだった。

――仕留め損なったかッ!

苦々しく歯噛みした柳也はすぐさま技を解いた。

着地と同時に反撃に備えて身構える。

と、その巨体が、グラリ、と揺らぎ、柳也は思わず地面に膝を着いた。

立ち上がろうとする。出来ない。足に力が入らない。そればかりか、二刀を握る両腕も、思うように動かない。

――血を、流しすぎた。

最初に袈裟に浴びた一太刀と、アイリスをこちらの間合に収めるためにわざと受けた一太刀。それに付け加えて、激しい運動に伴って生じた多量の出血。なるほど、いかに強化された肉体とはいえ、これはたしかに血を流しすぎだ。

人間というのは不思議な生き物だ。一度出血量を自覚すると、それまで感じなかった痛みや疲労が、どっ、と押し寄せてくる。

視界が霞み始めた。

途方もない疲労感と猛烈な眠気が、五体から俊敏な動きを奪った。

全身を痛みが苛む。外からの痛み、身体の内側からの痛みが、燃えるような熱を生み出している。それでいて、総身には凍る冷気が込み上がってくる。

瞼が重い。身体が睡眠による休息を求めている。いっそこのまま眠ってしまいたい衝動が、柳也の理性を誘惑する。

――隙を見せるな。やられるぞ!

柳也は己を叱咤した。

このタイミングで膝を着き、動きを鈍らせることは、死に向かうためのパスポートを自ら申請するようなものだ。

ここで目を閉じてはならない。

瞼の重みと、内臓を蝕む疲労感に身をゆだねてはならない。

ゆだねれば、眠ってしまえば、待っているのは、死だ。

柳也は必死の形相で両目を見開いた。

大振りの双眸を精一杯押し広げ、真っ直ぐ正面を見据える。そこに、目下当面の敵がいるはずだった。

アイリスは――――――。

アイリスは、柳也と同様地面に膝を着き、〈苦悩〉の刀身を支えにしてこちらを見据えていた。彼女もまた、彼と同じように少なからぬダメージを負い、まともに動けないでいた。

アイリスは土気色に染まった顔を隠そうともせず、肩で息を切らしていた。ハイロゥは展開していない。胸からの出血は柳也ほど酷くはなかったが、あの稲妻のハイロゥの影響もあってか、せわしなく息を継ぐ彼女の消耗具合は、自分と同じか、それ以上と思われた。

「……貴様は、馬鹿か?」

憮然としたアイリスの声が、耳膜を叩いた。

柳也の唇が、血を吐きながら苦笑いする。

「馬鹿って、こりゃまた酷いな」

「そうとしか形容のしようがない。私の機動力を脅威に感じた。結構な話だ。だからそれを封じようとした。ここまでは分かる。だが、それでどうしてあんな行動に繋がる?」

あんな行動……とは、わざと攻撃を受けた時のことを言っているのだろうか。

しかしあの捨て身の戦法は、特に考えあってのことではない。アイリスの機動力を殺し、バスタード・ソードを殺す必要がある、と悟った瞬間、自然と頭の中に出てきたものを実行したにすぎない。いわば柳也にとって、あの捨て身の戦法は思考の当然の帰結だった。

どう答えたものか、としばし沈黙していると、アイリスは土気色の頬を紅潮させた。

ここに至って初めて、憤りを宿した眼差しが、柳也の目を射抜いた。

「不可解だ。まったくもって、理解不能だ。下手をすれば自分の方が死んでいたかもしれないのだぞ?! 貴様は、命が惜しくないのか? 死ぬことが恐くないのか!?」

「ああ? 恐いに決まっているだろう?」

柳也は青色吐息で答えた。

「恐いから、生にしがみつくんだよ。生きたいと思うから……生きて、もっと面白い戦いを楽しみたいと思うから、一縷の望みに賭けた。ああした方が生存率が高いと思ったから、ああしたまでだ」

生きたい、と強く思った。

生きたいから、あえて死に近付いた。

生きるためには、死に近付かねばならないと思った。

だから、そうした。

それだけのことだ。

「貴様は……」

アイリスは不思議そうな眼差しで柳也を見つめた。

ラピスラズリの瞳に憤懣とした色はなく、そこには純粋な好奇心が根ざしていた。

「貴様は、何者だ?」

「ラキオスのエトランジェ、リュウヤ・サクラザカ。ただの……侍さ」

いつの間にか柳也の出血は止まっていた。

体内の〈決意〉と〈戦友〉が止血してくれたのもあるだろうが、なにより流す血が足りなくなっていた。

柳也は左手に力を篭めた。肩を斬られた右腕と違い、左腕には、まだ力が入った。脇差の手の内を練り、彼は言う。

「さぁ、殺せよ。あと一太刀を入れにこい」

柳也の瞳は、いまだ好戦的な色を宿していた。

アイリスがトドメを刺しに近付いた瞬間、反撃の刃を叩き込む腹積もりでいることは明白だった。捨て身の覚悟、背水の陣で、最後の勝負に挑むつもりだ。

「…………」

アイリスは動かない。いや、動くことが出来ない。

男の発する烈々たる気迫、烈々たる剣気を目の当たりにして、彼女は茫然としていた。

――なんなのだ、この男は……。

死が恐いと、たったいま、この男は言った。

だから生にしがみつくのだと、この男は言った。

それならばなぜ、この男は、斯様に死へと近付くことが出来るのか。死へと近付くことに、躊躇いがないのか。

こんな人間は初めて見る。こんな男を、自分は知らない。

アイリスは、敵に近付くことが出来なかった。

近付きたくない、と思ってしまった。

近付けば、この男を殺さなくてはいけなくなる。

殺してしまえば、この男のことを知れなくなる。

アイリスは、いま自分が抱いている感情が、軍人にあってはならぬものだということを自覚した。

敵に対する必要以上の興味。

しかしそれを自覚しながらも、彼女は胸の内から湧き上がる好奇心を、払拭することが出来なかった。

 

 

「アイリスッ!」

その時、戦場で睨み合う二人の耳朶を、重い男の声がしたたかに叩いた。

ついで、地面を軽やかに蹴り進む馬蹄の音。

二人とも互いの存在に夢中になるがあまり、その接近に気が付かなかった。

いつの間にか忍び寄っていたトティラ将軍とレヨエタス号が、膝を着くアイリスに殺到した。

「なッ!?」

驚きの声は、柳也とアイリス、双方の口から漏れたものだった。

左手で手綱を操り、右腕を少女の腰に回したトティラ将軍は、アイリスを一気に馬上へと拾い上げる。小さく手綱を引いて方向転換、レヨエタス号の腹を蹴り、柳也に背を向けて走る。

「無事か?」

腕の中で小さくなっている青スピリットに、極力優しい声音をかけてやった。

小さく頷くアイリス。

「自力で動けるか?」

「なんとか……ただ、Speak Modeでの戦闘は難しいかと思われます」

アイリスの口にしたSpeak Modeとは、あの稲妻を纏ったハイロゥのことだ。神剣に自我が飲み込まれる限界点ギリギリまでハイロゥの出力を搾り出すことで、通常より多くの青マナを取り込み、そのすべてを攻撃力に変換する。神剣にもハイロゥにも、アイリスの肉体にも大きな負担を強いる形態だが、パワーで六割、スピードで四割の戦力強化が狙えた。一回の限界継続時間は現在のアイリスで約五十秒間。もっとも、五十秒目一杯使った後は、自力では立てなくなるほどの疲労が身を襲うため、実戦では数秒間の使用を何回かに分けるのが常だった。

トティラ将軍は続けて質問を重ねる。

「通常戦闘は?」

「それならば、なんとか……」

「よし。飛べ」

「はっ」

短く応じて、アイリスはウィング・ハイロゥを展開した。

将軍の腕の中から、するり、と抜け出し、レヨエタス号と並ぶ形で飛行する。胸の傷が痛々しい。

「第三軍総員に告ぐッ」

トティラ将軍はいまだ戦闘中のスピリット達に向けて、大声で叫んだ。

通信技術が未熟で、かつ軍隊の規模が小さいファンタズマゴリアの戦場では、指揮統率の基本は指揮杖と発声によって行われる。

トティラ将軍は、腹の底からの大声に合わせて、指揮杖を大きく振った。

「これよりわが軍は撤退戦に入る!」

「撤退戦!?」

老将軍の隣を飛ぶアイリスが驚愕の表情を浮かべた。ついで「何故です?」と、いまだ戦意の衰えぬ眼差し。回復魔法さえかけてもらえば自分はまだまだ戦える、と無言のうちに語っていた。

そんな彼女に、トティラ将軍は叱責するように言う。

「周りをよく見よ、アイリス・青スピリット。貴公が守護の双刃と戦っている間に、さらに三体のスピリットがやられているのだ」

トティラ将軍に指摘されて、慌ててアイリスは周囲を見回した。

たしかに、つい数時間前には言葉を交わしていた戦友の顔が見当たらなくなっている。

「此度の戦闘ではすでに十三体のスピリットをやられた。すでに損害は五割以上に上っている。これ以上の戦闘は得策ではない。また、これ以上の損害を出した上での撤退は、もはや撤退にあらず。それは潰走だ」

一般に軍隊は初期兵力の三割が死傷すると壊滅状態と見なされる。

第三軍の場合は、すでに五割以上の損害を被っていた。しかも、全員が戦死という有様だ。これ以上のダメージを受ければ、撤退行動そのものが不可能になりかねない。

殿軍も出す余裕のない逃走は、もはや撤退ではない。

「貴様の気持ちも分からんでもない。仲間を殺され、悔しい思いをしているのは儂とて一緒だ。しかし、いまはその気持ちを抑えよ。いまはこれ以上の損害を出すべきではない」

真の猛将とは、攻めるべき時に攻め、引く時には引く、その判断が正しく出来る者をいう。ただ徒に不要な猪突猛進を繰り返すような輩は愚将でしかない。

「損害の大きい第一大隊の第三、第四小隊はオディールの指揮下に入れ。第二大隊の第二、第四小隊は合体しろ。臨時にこれを、それぞれ第一大隊所属の第三、第四小隊とする」

損害状況を顧みて、トティラ将軍が即座に編成したのは緑スピリット三体の第三小隊と、赤スピリット三体の第四小隊だ。彼女らを含む十一名のスピリット達は、すでに撤退戦へと意識を向けている。

「進軍方向は南だ。殿軍はまず第三、第四小隊が務めよ。四〇〇メートルを進出の後、殿軍は第一、第二小隊が交代。これを繰り返せ! なお、これは敗北の逃走ではないッ。新たな正面に向けての前進である」

戦場に立つ軍人に、後ろ向きな発言は必要ない。

トティラ将軍の力強い命令に、戦士の少女たちは一様にして「応」と答えた。

 

 

咆哮とともに発せられたトティラ将軍の指示は、いまだ立ち上がれずにいる柳也の耳にも届いていた。作戦の内容を秘匿コードではなく、敵に知られるのを承知で具体的な指示として伝えたのは、やはりいまの第三軍全体の練度が落ちている証拠なのか。

それはさておき、敵軍撤退の報を聞いた柳也は、これは好機と捉えた。

撤退戦では逃亡側の方が心身ともに負担が大きい。ましてや敵軍は少なからぬダメージを負っている。疲弊の隙を上手く衝ければ、さらなる大損害を与えられる公算が高い。

傷を負い、自力では立ち上がることもままならない、足手まといの自分さえいなければ。

柳也は悠人を見た。

目が合う。

胃の奥から込み上げてくる吐血の不快感を必死に堪え、柳也は吼えた。

「悠人! STF副隊長としての立場から進言する。俺のことはひとまず捨て置いて、ここはPursuit を実行だッ」

Pursuit は、追撃を意味する英単語だ。現代世界においては世界共通語としてあまりに知られすぎている英語も、有限世界の大地では十分秘密コードたりえる。日本語も同様だ。

STFでは以前からこの二つの言語を暗号とし、命令一過、即座に行動出来るよう訓練を積み重ねていた。

「…………」

柳也の提言を受けた悠人は、難しい表情で顔を顰めた。

戦場においては一瞬の迷い、判断の遅れが致命的なミスに繋がる。ましてやそれが前線指揮官の迷いや遅延となれば尚更だった。

焦れた柳也が催促の言葉を投げかけようとした。

しかしその寸前、悠人は口を開いた。

それは命令には違いなかったが、柳也が望んだ内容ではなかった。

「……ハリオン、柳也の治療を頼む」

「は〜い。お姉さん頑張っちゃいますよ」

「なっ……おい、悠人!」

当然、柳也は悠人に食ってかかった。

友人が敵の追撃よりも自分の治療を優先してくれたことはたしかに嬉しい。しかし、そのために千載一遇のチャンスを逃すなど、許されてよいはずがない。

「馬鹿を言うな。第三軍に致命的な打撃を与えられるチャンスだ。俺のことはいい。敵を追え。攻撃の手を休めるなッ」

柳也は必死の形相で悠人を怒鳴った。

世界戦史上、攻撃をするべき時に攻勢に出ず、敗北し、最終的に国を滅ぼした将は数多い。

柳也は親友にそれと同じ轍を踏ませたくなかった。

しかし悠人は、そんな自分に悲しげな視線を送ると、首を横に振った。

「……たしかに、これはチャンスなんだろうな。柳也が言うんだから、間違いないだろ。けど、目の前の勝利のために、手負いの友達見捨てて、敵地に置き去りにするなんて、俺には考えられない」

「そんなヒューマニズムが……!」

「それに!」

なおも反論しようとした柳也を黙らせるべく、悠人も大声を発した。

しかし、続く言葉は幼子をあやすように静かで、穏やかな口調で紡がれた。

「それに、前に柳也自身が言っていたことだぜ? なにより生き残ることを最優先に考えろ、って。柳也も、いまは敵を倒すことじゃなく、生き残ることを考えてくれ」

「悠人……」

「俺達はもう、敵に五割以上の損害を与えた。当初の目的だった、敵を壊滅状態にする、っていうのはクリアしたじゃないか。オペレーション・スレッジハンマーの第一段階は成功したと考えるべきだ」

「……それは、STFの隊長としての判断か?」

理性的な悠人の声を聞いて幾分落ち着いたか、柳也は冷静な声で問うた。いまだ黒檀色の双眸からは、憤りの炎が消えていない。

そんな柳也に、悠人は「ああ」と、静かに頷いた。その上で、「それと」と、さらに言葉を重ねる。

その表情は友人の身を案じ、友人に理解を求めた、憂いの色が濃いものだった。

「お前の友達、高嶺悠人の判断だ。いま、お前を一人にするわけにはいかない」

「…………」

悠人の言葉を受けた柳也は瞑目した。

深々と溜め息をひとつこぼす。まったく、この友達想いの甘ちゃん野郎は……嬉しすぎて、笑いを堪えるのも一苦労ではないか。

瞠目した柳也は、得心した表情を悠人に向けた。

「分かった。隊長の判断に従うよ」

「すまない。……それから、ありがとう」

悠人はそう言って朗らかに笑った。戦いの後で煤汚れた顔は、しかし太陽のように明るく、見る者を安心させた。

「リュウヤさま〜」

ハリオンが隣にやって来た。

相変わらずにこやかな笑みを浮かべているが、自分の名を呼ぶその口調は、どこか硬質感を伴っている。彼女にしては珍しく、少しだけ怒っているように思われた。穏やかなはずの笑顔から、奇妙な迫力を感じる。

「ユートさまの言う通りですよ〜。自分で自分を蔑ろにするような真似は、めっ、です。今回はお姉さんもちょっと怒っているんですからね?」

まるで幼児を相手にしているかのような口調だった。

しかし、語気に滲んだ静かな怒りは、柳也の背筋を震え上がらせるのに十分な威力を伴っていた。

第二詰め所のメンバーとはもう三ヶ月以上の付き合いになるが、ハリオンについてだけはいまだ底知れないというか、理解の出来ない部分がある。その、理解外の部分を指して、本能が、この娘を怒らせてはならない、と訴えていた。

「……悪かったよ。申し訳なかった」

柳也は素直に謝った。

ハリオンの笑顔から、喉を干上がらせる奇妙な迫力が消える。

「分かればいいんですよ〜。それで、どこから治療しますか?」

「胸と、肩だな。顎の傷は自力で治す」

損傷箇所を申告すると、程なくして回復魔法……アースプライヤーの優しい光が身を包む。

陽だまりのような温もりに身を委ねながら、柳也は悠人に視線をやった。

「エスペリアは他のみんなの回復を頼む。軽傷のアセリアとヒミカは……ええと、周辺の警戒を」

視界の中で、たどたどしくも命令を下す友人の姿が、やけに頼もしく思えた。

 

 

――同日、夕方。

 

戦闘終了から四時間後、左手の腕時計が午後六時を示した頃に、柳也達STFはセラス達の補給部隊と合流を果たした。

「サムライ、待たせたな」

「セッカ殿、よく来てくれた」

補給部隊の馬車とは別に、颯爽と駿馬ウラヌスに跨って現われたセラスを、柳也はにこやかな笑みとともに迎えた。

ハリオンのかけてくれた回復魔法の効果もあって、すでに傷は塞がっている。相変わらず内腑の痛みは消えてくれなかったが、それでも、立ち上がって自由に歩ける程度には回復していた。

戦闘終了後、柳也達は主戦場となった平野をさらに東進して、ラジード山脈麓の竹林の中に身を隠していた。山脈とその周辺の地形に関する詳細な情報は、ダグラスの密偵を通じて予め入手済みだった。オペレーション・スレッジハンマー第一段階成功の暁には、この場所に身を潜め、セラス達との合流を図る手はずを事前に決めていたのである。

ウラヌス号から飛び降りたセラスは、なぜか左足を引きずっていた。

「どうしたんだ、その左足は?」

「ん? ああ、これか」

鎧姿のセラス・セッカは照れ臭そうに笑って、荷車を牽引するロバを見た。

「あれに蹴られた。なるべく早くお前達合流しようと思い、急かしたらこのザマだ」

「そりゃあ、災難だったな」

「ロバがラキオス産で残念だ。バーンライト産であったら、名誉ある戦傷第一号だった」

セラスは冗談めかした口調で言った。

それから彼は、荷台の奥から濃いオリーブドラブに染められた軍服を柳也に手渡した。M-43フィールド・ジャケットだ。

「サムライのことだ。今回も大きな傷を負っているに違いないと思って持ってきた。案の定、酷い姿だな。……お前ほどの男が、誰にやられた?」

「ダーツィのアウステートだよ」

「アイリス・青スピリットか」

セラスは得心した様子で頷いた。アイリス・青スピリットの勇名は、広くラキオスでも知られている。

「それで、結果は?」

「七・三で俺の負けだな。見様によっては引き分けだが、俺の方は決して褒められた戦い方じゃなかった」

「そうか。負けたか……だが、死んではいない。そうだな?」

「ああ。次は、俺が勝つ。判定勝ちなんかじゃなく、完全勝利で飾ってやるよ」

意気込み強く言い放ったその時、「お兄ちゃーん」と、ネリーの声が耳朶を撫でた。

鼻腔をくすぐる肉汁の甘い匂い。どうやら、今日の夕飯が出来たらしい。

補給物資の品目には水や食糧も含まれている。それも、日持ちする保存食ではなく、それなりに鮮度を保った肉や野菜だ。それを、エスペリアやハリオン、補給部隊の護衛としてセラスが徴集したセシリアらが調理してくれたという。

「ん。いま行くよ。……セッカ殿はどうする?」

「生憎と、人間には、人間同士の付き合いがある」

セラスは寂しげに微笑んで、補給部隊の面々を顎でしゃくった。

「私個人としてはエスペリアやセシリアの料理は魅力的だが、彼らはスピリットが作った料理など食べたくないそうだ」

「残念だな」

「出来れば、スープの一杯でも残しておいてくれ。後で食べる」

「……保証は出来ないが、努力はする」

STF一の大食漢は頬を掻いて苦笑した。

敵国バーンライトの風が、柳也の前髪を撫でた。

 

 

――同日、夕方。

 

戦闘終了後、なんとか無事にリーザリオに帰還したトティラ将軍達は、待機していたバクシーらの口から事の真相を聞かされた。

第三軍の主力部隊がリーザリオを発ったのと入れ替わるようにして、ラキオスからの使者がこの地を経由して王都サモドアへ向かったこと。その使者が携えていた書簡に、先の魔龍討伐作戦に対する正式な抗議と、報復目的の開戦を示唆する内容が記されていたこと。使者がサモドア入りを果たした途端、各都市間の連絡が上手く取れなくなってしまったこと。通信兵を何人走らせても誰一人として戻ってこないこと。苦肉の策で護衛のスピリットと一緒に通信兵をリモドアに送ったところ、ようやく詳細な情報が得られたこと。それによればすでにラキオスとバーンライトは開戦し、各軍は連絡線の確保に必死で、まともな防衛戦略を取れずにいること。

すべての説明を聞き終えたトティラ将軍は、あまりにもダーティな敵の手口に怒りを覚えると同時に、今後の対策を練るべく、司令室で情報の整理に努めた。

「……今回の戦闘の結果、わが第三軍の実質的な戦力は、スピリット一一体にまで落ち込みました。加えてそのうちの八体はダーツィからの外人部隊です。事実上、バーンライト王国第三軍は、壊滅したと考えるべきでしょう」

「リモドアの第二軍、王都の第一軍への増派要請は?」

「すでにやっています。ですが、敵間諜による妨害工作のせいでしょう。各軍との連絡は上手くいっておりません。援軍の望みは薄いでしょう」

「手持ちの戦力でやりくりするしかないか。……現在訓練中のスピリットは?」

「青が一、赤が二、緑が一の計四体です。ただ、いずれも初等訓練すら完了していない者達です。徴用したとしても、満足な戦闘は……」

「無理、か」

バクシーが無言で頷いたのを見て、トティラ将軍は腕を組み、瞑目した。

思い出すのは先刻対峙したラキオスのエトランジェとスピリット達の戦いぶりだ。一部の若いスピリットこそ拙い戦技を披露していたが、おおむねよく訓練された、油断のならない敵と評価するのが妥当だろう。特に、あの二人のエトランジェが最大の脅威だった。仮に最盛期だった頃の第三軍をぶつけたとしても、正面から戦えば苦戦したに違いない。

あの十名の部隊の目的が、トティラの予想した通り第三軍の撃破にあったとしたら、後に控えたリーザリオの制圧戦では、より多くの戦力が投入されることになるだろう。おそらくはヤンレー・チグタム将軍麾下のエルスサーオ方面軍と、先の十名が合体して襲ってくるに違いない。制圧戦はスピリットだけでは不可能だから、人間の兵士も出てくるだろう。

開戦前の公開資料によれば、エルスサーオ方面軍の基幹戦力はスピリット二個大隊三十名から構成されているという。これに先ほど戦った十名を加えると、スピリット三八名、エトランジェ二名という強大な戦力となる。

――まともにやりあったとして、敗北は必至か。

トティラ将軍は苛立たしげに溜め息をついた。

せめて情報戦で優位に立てればまだ望みもあるが、ラキオス国内におけるバーンライトの情報網が壊滅して半年、諜報活動の成果はかつての一割にも至っていない。

そもそも、情報部が健常であれば、敵間諜の妨害工作はもっと小規模なものになっていたはずだ。王都やリモドアとの連絡も、とうの昔に取れていたに違いない。

――質で負け、量で負け、情報で負け、政治でも負けている。鉄の山戦争以来だな。かくも厳しい状況は……。

かといって、目の前の現実から目を背け、逃げるという選択肢はトティラの頭の中に存在しなかった。

己は王国軍の将軍で、第三軍の司令で、なにより“石の壁”の異名を取る猛将なのだ。責任がある。そしてなにより、自身これから来る戦いを望んでいるきらいがある。苦境はむしろ望むところだ。猛将スア・トティラの身が健在なうちは、侵略者どもにこのリーザリオを明け渡しはしない。

トティラ将軍はゆっくりと目を開けた。

正攻法で挑んだとしても、待っているのは敗北だ。奇策を講じて一時的にその場を凌いだとしても、最終的には数の暴力の前に圧し負けることになるだろう。ならば、王国軍の軍人として、第三軍の司令として、取るべき方策は……。

「バクシー、軍司令命令だ。第三軍に籍を置くすべての将兵、すべてのスピリットを緊急招集せよ」

「すべての将兵、すべてのスピリットですか?」

「そうだ。訓練中、休暇中関係ない。いますぐに、集められるだけ集めてくれ。第三軍司令より、緊急に伝えたいことがある。それから、リーザリオの領主殿にも連絡しろ。これより第三軍は、戦時防衛態勢に入る。ゆえ、城壁の門を閉めよ、と」

「かしこまりました。早速、各部署に手配します」

粛と挙手敬礼をして、司令室を退出するバクシー。彼にはこれから自分の手となり足となり、目となり耳となって、働いてもらわねばならない。

トティラ将軍は不意に窓の外を見上げた。

雲ひとつ浮かんでいない、薄紅色に化粧した空。

三〇年前の鉄の山戦争の折、敵に奪われたリーザリオ奪還戦の最中に見上げた空と、まったく同じ景観がそこにあった。

三〇年の過日、この空の下に、自分と、アイデス前王はいた。

「……アイデス陛下、あなたと私が愛したこの国の大地に、血を捧ぐ時がようやくきたようです」

小さく呟いて、乾いた唇を真一文字に閉じる。

岩石の相貌に並々ならぬ決意の表情を滾らせて、トティラ将軍は席を立った。

 

 


<あとがき>

 

タハ乱暴「今回の話は賛否両論ありそうだなぁ」

 

北斗「なんだタハ乱暴、藪から棒に?」

 

タハ乱暴「いやさ、アイリスのSpeak Mode のことでね。ちょっとやりすぎたかなぁ……と。オリキャラ優遇しすぎ、っていう意見は覚悟の上だけど、アセリアの世界観に合わないだろう、っていう意見がありそうで怖い。ファンタジー作品の二次は、その世界観を壊すような設定を盛り込んじゃいかん、っていう不文律があるからさ」

 

北斗「一応、ハイロゥの超活性化現象なんだろう、あれは?」

 

タハ乱暴「うん」

 

北斗「なら、問題ないとは思うが……」

 

タハ乱暴「うん。大丈夫とは思うんだけどねぇ……はい。読者の皆様、おはこんばんちはっす。今回も永遠のアセリアAnotherをお読みいただきありがとうございます!」

 

柳也「今回の話はいかがだったでしょうか……って、タハ乱暴! 今回の話はなんだ!? スパイラル大回転斬りが破られたぞ! 通算してまだ三回しか放ってない主人公の必殺技が、あっさり破られたぞ!」

 

タハ乱暴「べジータのファイナルフラッシュなんて、登場一回目で破られたでしょうが……それより、今回の問題はSpeak Mode だよ。どうするよ、あれ」

 

北斗「総合的に見て、戦闘力は一・五倍か。スーパーサイヤ人の戦闘力五〇倍に比べれば過剰なパワーアップではないだろうが……そもそも、アイリスの現在の実力はどの程度なんだ? アセリアを一〇〇とするとどうなる?」

 

タハ乱暴「ええと……守護の双刃モードの柳也が一一〇で、アイリスが九〇ぐらいかな。その一・五倍だから一三五? 普通にやり合っても柳也には勝てないけど、Speak Mode を使えば勝てる、っていう設定だから。ちなみに、原作における黒アセリアほどのパワーアップじゃない、っていう設定」

 

北斗「なら、やはり問題はあるまい。それにあまりビクビクしても仕方あるまい。作品の評価を決めるのは貴様ではなく、読者諸兄だ。貴様は堂々と構えていろ」

 

タハ乱暴「どうどう!」

 

北斗「……胸を張ってはいるが腰が引けているというこの矛盾!」

 

柳也「それに、賛否両論で言えば、この後のおまけの方がやばい、って。なに、あれ? 姉さんって……」

 

タハ乱暴「いやぁ、おまけは八割ネタだから、何やっても許されるかなぁ、とね。……読者の皆様、今回も永遠のアセリアAnotherをお読みいただき、ありがとうございました!」

 

北斗「次回もお付き合いいただければ幸いです」

 

柳也「ではでは〜」

 

 

 

 

 

<おまけ>

 

全身全霊を篭めた一撃だった。

これですべてを終わらせてやる、と己の持つすべての力を愛刀に注ぎ、振るった。

だがその一刀は阻まれた。

己の斬撃に応じて放たれた敵の一刀も阻まれた。

片や稲妻を描いた白刃は褐色の指先一つで受け止められた。

片や分厚い鉄板の如き黒き刃は、同じく褐色の右足の爪先によって止められた。

柳也とタキオスの、それぞれが放った渾身の一撃を受け止めたのは、等しく一人の人物だった。

褐色に日焼けした肌。筋骨隆々たる逞しい体躯。二メートル近い長身に比して体格は大柄。真昼の眩しい陽光に惜し気もなく肌を晒し、不敵に微笑んでいる。唯一身に纏った桃色の薄布の意匠は艶美にして淫靡。背徳感すら漂う耽美なる代物なるは。左右の側頭から垂らした三つ編みはその者の内なる心の表われか。

巨漢は、不敵な微笑みを分厚い唇にたたえたまま、呟く。

「あらあら、良い男の匂いがプンプンするかと思ったらんっ〜、どぉ〜こかで見た顔じゃないのん」

「なっ……!」

柳也は、茫然と目を見開いた。

すかさず刃を引き戻し、距離を取って警戒の姿勢を露わにする。

事ここに至るまで、まったく接近に気が付かなかった。いくら目の前の敵にのみ集中を注いでいたとはいえ、いつ目の前に割り込んできたのかさえ分からなかった。

ただ、気が付いた時にはもう、斬撃を止められていた。

素手で。

それも、指先一つで。

――只者ではない。

柳也は最大級の警戒を持って眼前の巨漢を睨みつけた。

神剣の力を含むあらゆる感覚器官を総動員して、相手の身体を走査する。

結果、脅威といえるほどのマナは感じられなかった。しかし、マナとは別の凄まじいエネルギーを感じた。

――このプレッシャー……タキオスと同格だと!?

全身の汗腺が開き、とめどなく冷や汗が流れた。

喉が、からから、に渇く。

剣を保持する両腕の震えを、止められなかった。

しかし、この場にあって柳也以上に愕然としていた人物がいた。震える人物がいた。

その人物に気付き、柳也はまたも愕然とした。

ワナワナ、と痙攣したように震えを繰り返し、額に脂汗を流す人物はタキオスだった。

褐色の顔からは、明らかな動揺が見て取れる。

柳也はこの男の斯様な表情を、初めて見た。

「ば、馬鹿な……お前は……お前は……!」

震える唇から紡ぎ出された言葉は、わなないていた。

次に彼が口に出した言葉は、柳也に、そして周りのみなに、本日一番の驚愕をもたらした。

「ね、姉さん!!?」

「「「「「「なにぃぃ!!?」」」」」」

「うふ。久しぶりね、タッキーちゃん」

街の踊り子。傾国の美女。彼女を表す名はいくつもあれど、どんな言葉もその本質を形容するには至らない。

その名は貂蝉。三国志の物語で最も光り輝く女にして、創作上の人物でありながら中国三大美女の一人にさえ数えられた女。

幾周期もの時を経て、最愛の実弟と再会した彼女は、軽くウィンクしてみせた。

 

 

傾国の美女、貂蝉の介入によって気勢を削がれた柳也とタキオスは、ひとまず相手に向ける敵意と太刀を納めることにした。無論、相手に対する警戒は一時たりとも怠らないが、ともかく一時休戦とあいなった。

戦いを中断したタキオスは、早速貂蝉に話しかけた。

「姉さん、いったいいままで何処を彷徨い歩いていたのだ? 俺がテムオリン様の臣下となり、武者修行を終えて家に帰った時にはもう、姉さんは家を出ていたな。あれからすでに一四周期、セルの叔父上や従兄弟のビクトリューム・メロン、そして何よりアナゴの父上がどれだけ心配したと思っている?」

「あらあら、それはごめんなさい。でもぉ、わたしがあの家を出たのは、タッキーちゃんにも原因があるのよ?」

「なに?」

「だって、あの家ってばタッキーちゃんとセルの叔父様を筆頭に、毎日々々戦いの話ばかりじゃない? 遠縁のコーチなんかは、アマノって女の子に恋をしているというのに……。わたしだって素敵な恋をしたいわ。そう思ったら、わたしはあの家を飛び出していたのよ」

遠い目をして身の上話を語る貂蝉。

周りの朱里達は時折出てくる横文字に小首を傾げ、柳也はといえば、「これ、伏せ字にした方がいいんじゃないか……」と、頭を抱えている。

「いや、これ、マジで伏せ字にした方がいいって。色んなところから怒られるって」

「ぐふふ。意外と臆病なのね?」

「いや、臆病も何も……っていうか」

柳也は貂蝉を見た。

「姉?」

「そうよん」

柳也は次いでタキオスを見た。

「弟?」

「そうだ」

「……なんというドリームな展開。生き別れた姉と弟が期せずして戦わなければならないという……!」

「それよりもあなた、たしか、桜坂柳也と言ったわね?」

「ん? ああ、そうだ」

「そう。なら柳也だからリュウちゃんでいいわね。さてリュウちゃん、そんなくだらない質問よりも、わたしに聞きたいことがあるんじゃないの? たとえば、そう……なぜ、自分がこの世界に召喚されてしまったのか、とかん」

貂蝉は軽くウィンクをしながら柳也に擦り寄った。にじり寄った。強引に手と手を合わせ、また強引に目と目を合わせた。

後ろにいるチビが卒倒する。

柳也の表情が険しくなった。

「知っているのか? なぜ、俺がこの世界に飛ばされてしまったのか、その原因を」

「ええ。知っているわ。それは海よりも深く、山よりも高い話にして、月よりの使者も真っ青な展開なの」

「……聞かせてくれ。この世界は何なのか。俺がどうしてこの世界にいるのか。俺の身に、いったい何が起こったのか」

柳也は切々と訴えるように言った。

貂蝉はまたも軽くウィンクを投げて、「すべて話してあげるわん」と、呟いた。

「あなたの知りたいことをすべて話してあげる。それこそが、この外史をあるべき姿に戻すために必要なことなのだからん」

「姉さん、それはどういう……」

「あなたも聞きなさい、タッキーちゃん。この外史は……いえ、この世界はいま、滅びの道を歩もうとしているのよん」

 

 

すべてを話してあげる。

そう言った貂蝉は紐パン一枚の装いながらたたずまいを直すと、柳也とタキオスを交互に見た。

「……すべての始まりは、リュウちゃんがタッキーちゃんと、タッキーちゃんのお友達のメダリオちゃんに襲われた日のことよ。あの日、リュウちゃんは本当なら、ファンタズマゴリアという世界に召喚されるはずだったの。けど、あるちょっとした手違いから、この世界に飛ばされてしまったのよ」

「ちょっとした手違い?」

「そう。ちょうどね、リュウちゃんが世界と世界とを繋ぐ門を潜ろうとしたその時、本来、この世界に召喚されるはずだった人物……北郷一刀もまた、世界と世界とを繋ぐ門を潜ろうとしていたの。あるアイテムを使ってね」

「そのアイテムって、まさか……」

「そう。リュウちゃん達も持っている、永遠神剣よ。それも強力な第三位のねん」

貂蝉は小さく溜め息をついた。

「天文学的な確率で起こった奇跡よ。第三位以上の力を持った永遠神剣がまったく同じタイミングで、まったく別の場所へと繋ぐ門を強引に呼び寄せ、開いてしまった。その結果、世界と世界とを繋ぐ亜空間世界に多大なバイアスが掛かってしまったの。本来は一方通行であるはずの道が捻れて別の世界に繋がり、北郷一刀はファンタズマゴリアに召喚され、リュウちゃんはこの世界に召喚されてしまったのよ」

「……正直、言っていることの半分も理解出来ないんだが」

柳也は難しい顔をして続けた。

「要するに、本来この世界に召喚されるはずだった男が別な世界に行って、本来別な世界に召喚されるはずだった俺が、この世界に来てしまった。そしてその原因は、二つの永遠神剣が強引にその“門”とやらを開けてしまったことに由来する。……そういうことか?」

「それだけ理解していれば無問題よん。……門というのはね、世界と世界を繋ぐ文字通りの門なの。SF的に言うならば、ワープ空間への出入口ね」

「ああ……」

柳也は得心したように頷いた。

「それなら何となく分かる」

「ただ、この門はワープゲートと違って、本来は人間が自由に開けたり閉じたり出来るものではないの。例えるなら、そう、門には鍵穴がついていて、その鍵は誰も持っていないのよ。人の意思で開けようと思ったら、鍵ごと強引に開けるしかない。そんなことをすれば当然扉には……」

「負荷が掛かる、ということか」

「そうよ。下手をすれば、修復が不可能なほどの負荷がね。そして今回の場合は、その下手を打ってしまった」

貂蝉はタキオスを見た。

柳也もタキオスを見た。

貂蝉の話の内容の半分はおろか十分の一も理解出来ない朱里も、釣られてタキオスを見た。

みんな、冷たい視線だった。

「とりあえず、この話は一旦ここで止めておくわね。次に、この世界についてだけど……リュウちゃんのことだからすでに気付いているんじゃない? ここは西暦二〇〇年代、三国志の時代の中華大陸。但し、リュウちゃんのよく知る正史と違って、演義をベースに構築された世界。三国志に登場する主要な武将がみんな女の子という世界よ。

本来、この世界では北郷一刀という男の子が劉備の役割を演じるはずだったわ。結果的に北郷一刀は召喚されず、リュウちゃんが召喚されたわけだけどね。本来あるべき筋書きでは、北郷一刀が愛紗ちゃんや朱里ちゃん達と一緒に戦い、この世界を消滅させようとする二人の導師と決着を着けるはずだったわん。

ここで、最初の話に戻るわよ? この世界に、滅びが迫っているということについてねん」

「ああ」

柳也は頷いた。

「いったい、どういうことなんだ?」

「さっきも言ったけど、無理矢理に門をこじ開けようとしたせいで世界と世界とを繋ぐ亜空間世界に大きな負荷がかかってしまったの。その結果、門と隣接する様々な世界……この世界や、リュウちゃんが本来行くはずだった有限世界、はてはリュウちゃんの故郷の世界にまで、ある影響が現われ始めたのよ」

「ある影響?」

「世界の破滅よ」

貂蝉はさらりと言ってのけた。

「世界によって起こる現象は様々だけどん。タッキーちゃん達が開いてしまった門と隣接しているすべての世界は、いま、等しく滅びの未来に向かっているわん。実際、リュウちゃんの故郷の地球では、リュウちゃんがいなくなった直後から、いくつもの自然災害が猛威を振るっているわん。新型のインフルエンザまで出現してしまったのん」

柳也はまたタキオスを見た。

さきほどのような冷たい視線ではなく、憎悪の炎を灯した射るような眼差しだった。

柳也は視線を貂蝉に向けた。

「貂蝉、崩壊を止めるにはどうすればいい!?」

「……方法は一つよ。本来、北郷一刀がやるはずだった仕事……この世界を消滅させようとしている、二人の導師を止めるの」

「どういうことだ?」

「さっきも言ったけど、この二人の導師は第三位に相当する永遠神剣を持っているわん。世界の崩壊が進んでいるのは、この二人が永遠神剣の力を使ってこの世界を消滅させようとしているからなの。……想像してみなさい? 世界を一つ消滅させるほどのエネルギーよ。傷ついた門はその力を、他の世界にまで流出させているの。それが、世界を破滅に導こうとしている原因!」

「おい、姉さん」

タキオスが言った。

「門と隣接するすべての世界が、と言ったな? それはつまり、わが主のいる世界も滅びようとしている、ということか?」

「そうよ。あなたと愛しいテムちゃぁぁぁんのいる世界も、滅びようとしているのよん」

「桜坂柳也」

タキオスは柳也を見下ろした。

「一時休戦だ。お前をわが主のもとへ連れて行く目的に変わりはない。しかし、その主のいる世界さえもが滅びの未来を歩んでいるというのなら、俺はそれを、止めなければならん」

「……それは俺も同じだ」

柳也は、憤怒の感情を載せた眼差しを叩きつけながら言った。

「お前は瞬を傷つけた。そのことを許すつもりはない。……けど、いまはそれに眼を瞑ってやる。だからタキオス、いまは俺に協力しろ」

「ご主人様!」

二人の男がにらみ合う最中、呂布の邸宅の庭に、砲弾の如く黒い影が飛び込んできた。

艶やかな黒髪。

巨大な青龍偃月刀。

いうまでなく愛紗だ。

柳也は突如やって来た彼女を見た。

「どうした愛紗? お前は俺達がはばにして、本陣に残るよう言っておいたはずだが?」

「ご主人様たちのお帰りが遅かったので、様子を見に来たのです。言いつけを破ったことについては、後でいくらでも。……それより、いま、この屋敷の周りは!」

「知っている」

柳也は言葉短く愛紗に答えた。

そして彼は、眼前に聳え立つ、憎き敵を睨み上げた。

「早速だが、共同戦線だ。この屋敷を取り囲んでいる白装束を蹴散らす」

「……いいだろう」

タキオスは頷くと、柳也の頭に右手を置いた。

むん、と気を篭め、マナを送る。

傷つき、疲れ果てた柳也の五体に、みるみる活力が漲った。

「斯様にマナの希薄な世界では、回復もろくに出来まい」

「……礼は言わないぜ」

「ぐふふ。最強のティームの結成ね」

貂蝉が軽くウィンクをしながら、柳也の隣に立った。

「及ばずながら、このわたしも、あなた達に力を貸すわん」

永遠神剣第七位、〈決意〉のリュウヤ。

永遠神剣第三位、黒き刃のタキオス。

街の踊り子、貂蝉。

そして、中華の大地に生まれ育った、屈強なる英傑達。

この場に集まった一同は、等しく感慨を抱いた。

いま、この屋敷に集結しているのは、大陸最強の戦士達だ。

その最強の一団の中に、自分達はいるのだ。

呂布の屋敷の門が破られた。

姿を見せたのは、なるほど、管亥のチビが言った通り、白装束に身を固めた集団だった。

雪崩を切ったかの如き勢いで、押し寄せてくる。

「鈴々、チビ、華雄将軍、三人はさっき言った通り程遠志の援護に回れ。他は、この場を確保するぞ。……いけるな、貂蝉? タキオス?」

「愚問だな」

「ぐふ。街の踊り子貂蝉ちゃんの、真の力を見せてあげるわん」

「よし、いくぞ!」

同田貫を正眼に構え、柳也が号令をかけた。




アイリス強いな。
美姫 「本当よね。柳也も結構危なかったわね」
初戦としては相手を撤退させれたけれど。
美姫 「今後も楽はできないでしょうね」
この撤退もトティラの英断だしな。
後方で戦力を確保して待ち構えられたら、更なる困難になるだろうな。
美姫 「戦力が整う前に何とかしたいわよね」
さてさて、どうなるかな〜。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
ではでは。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る