――二〇〇八年十二月十八日。

 午後五時十五分。


 鍔打つ太刀を両手に握る柳也の表情が、目に見えて強張っていくのを瞬は見逃さなかった。

「……柳也?」

 怪訝な表情と声で、銀髪の美少年は親友の名を呼んだ。

 柳也は普段、瞬の前では滅多に見せることのない剣士の表情を浮かべて、細い声を放った。

「瞬…ここを動くなよ」

 いつになく柳也の緊張した様子に、瞬も何かただ事ではない事態が起きていると気付いた。

 彼が事の真相を問いただそうと口を開いた時、すでに柳也はちゃぶ台に置かれた脇差を掴んで玄関を飛び出していた。

 父の形見のふた振りを佩刀し、柳也は一歩進めば不吉に鳴く階段を音もなく駆け下りた。無人の三部屋を横切り、正面玄関を抜けてアパートの外へと出る。

 街は、平日の夕刻とは思えぬほど、静かだった。

 斜めにかしいだコンクリートブロックに木造の古いアパート。老夫婦が営む昔ながらの八百屋。家を押し退けて茂っている樹齢百年は下らぬであろう樹木。石垣の間を曲がりくねった坂道。生垣に挟まれた細い路地から欠伸をしつつ顔を覗かせる猫。

 時代の波に取り残されたかのような昔ながらの街並みは、いつもと変わらぬ姿をそこにたたえている。薄く紅で化粧を始めた空の下、若い柳也でさえ不思議と懐かしい思いにとらわれてしまう景色だった。

 背筋をぞくりと悪寒が這った。アパートの部屋の中で感じたものと、同質の悪寒だ。

 まるで蛇に睨まれた蛙が抱くような恐怖感と、看守に四六時中監視されている囚人が味わうような不快感の入り乱れた、息苦しい寒さ。

 灼けつくような異形の冷気に、背骨が氷柱と化したかのような衝撃が走る。

 右手に殺気を感じた。

 柳也は左側に跳び退くと同時に打刀の鯉口を切り、即座に抜刀。

 野生の獣の如き素早さによる後退と、鞘引きを十分に効かせた一閃が、何もない虚空を……否、ねっとりと肌に纏わりつく、不快な空気を切り裂く。

 冷気が晴れ、殺気が消えた。

 そしてその代わりに、先ほどから感じている悪寒とは比べ物にならない凍結した視線と、殺気ではなく明確な殺意が出現した。

 同田貫の豪剣で一閃した空間のはるか先に、その美貌に恐怖すら覚えるほどの美青年が立っていた。

「お前は……」

 一昨日の晩はすでにとっぷりと日が暮れていた上、電灯も悲鳴をあげていたからすぐには分からなかった。しかし、今日は夕陽に照らされてその顔をはっきりと見ることができた。

 霞に包まれた記憶は、すでに取り戻していた。

 一昨日の晩に、いったい何があったのかも。

 あの晩、自分の身にいったい何が起きたのかも。

 目の前の青年がいったい誰なのかも。

 そしてここ数日の好調という名の変調の原因が、どこにあるのかも……。

 ――そうだ。

 青年の顔を見た瞬間、ようやく、思い出した。

 ――俺はあの夜、この男に……。

 殺された。そして、蘇らされた。その上、身体の中に、正体不明の“何か”を注がれた。

 信じられないことだったが、一昨日の晩の記憶は今やはっきりと思い出すことができる。桜坂柳也は、たしかに一度死んで、殺した相手の手によって生き返らされたのだ。人智の及ばぬ秘術によって、肉体の機能を大幅に強化されて…。

 柳也は、豪剣を支える柄を強く握り締めた。

 彼の脳裏では、一昨日の晩にも思い出した柊園長の言葉と、今朝、時深が口にした奇妙な言葉が、交互に蘇っては消え、蘇っては消えていた。

 ――園長先生、霊感がないなんて嘘ですよ…。

 第二の父であり、剣術の師でもある男は言った。

 いずれ近い将来、柳也にとってこの刀が必要になる時がくると。

 そしてその時は、本当に訪れた。それも二度も。

 ――時深さん、実はこういう事になるの、分かってたんでしょ?

 会ってまだ三日目の、不思議な空気を漂わせた巫女は言った。

 いずれ近い将来、柳也にとってこの打刀を支える拵が、きっと必要になる時がくると。

 そしてその時は、実際に訪れた。それもちょうど、今。

 これでは虫の知らせを信じぬ自分も、つい信じたくなってしまうではないか。これまで神仏の類に祈りを捧げたことのない自分も、つい祈りたくなってしまうではないか。

「南無八幡大菩薩……」

 かつての那須与一や、多くの剣者達がしたように。柳也の唇から、胸のうちで呟く念が漏れる。

 自分の剣が目の前の青年に通用しないことはすでに一昨日の晩で証明済みだ。この男を前にして、無事でいられる可能性は万に一つもない。神仏にすがり、祈りたくなる柳也の心中は、いかばかりのものであろうか。

 柳也は、同田貫の豪剣を八相に構えた。

「今夜はいったい何の用だい? え? 色男……」

 口をついで出る言葉に、余裕の色はない。

 冷や汗が、止まらなかった。

「……その口ぶりからすると、僕のことを憶えているのですか?」

「生憎と、一度見たら忘れられる顔じゃない。綺麗すぎるさね、その顔は」

「驚きましたね」

 言いながら、青年は眉ひとつ動かさなかった。

 シベリアの永久凍土のように不変の無表情のまま、彼は言葉を続けた。

「エターナルの…それも第二位神剣のあのお方が施した忘却術を跳ね除けるなんて」

「言っていることはよく分からんが、とりあえず好意的に解釈していいですか? その驚きは」

 恐怖のためか、かえって饒舌になっていた。

「名前も…憶えていますか? 僕の名前も」

「ああ。はっきりと……」

 本当は、つい先ほどまで忘れていたとは口が裂けても言えない。

 柄を握る両手に、我知らず力が篭もる。

 柳也の男らしい力強い声と、肥後の豪剣が夕方の空気を裂いたのは同時だった。

「〈水月の双剣・メダリオ〉!」

 斬撃の緊迫が夕闇を覆った。






 打ち放った渾身の斬撃は、しかし柳也が命中したと思った直後には防がれていた。

「相互の合意もなく、いきなり攻撃というのは少し乱暴すぎませんか?」

「前の晩は、いきなり襲ってきた男が言える台詞かッ!」

 あの日の晩と同じように、出会い頭の鍔迫り合いの最中に柳也は叫んだ。

 いつの間にかメダリオの両手には一昨日の夜にも目にした双剣が握られている。左右ふた振りで一対の、相似の双子剣だ。

 今は左手に握った方の刀身で同田貫の豪剣を受け止め、右手の刃は柳也に反撃の斬撃を繰り出すでもなく切っ先はだらりと地面を向いている。

 ――こうも歴然としているとは!

 剣の技だけではない。それを扱う筋力にも、柳也とメダリオとでは大きな差がある。

 柳也が両腕で放つ渾身の一撃を、メダリオは片腕一本で受け、それを阻んでいた。そのことは柳也とメダリオの間にある残酷な差を如実に表していた。なにも柳也が貧弱なわけではない。総重量十六キロの〈振棒〉を、一日に二千本も振るう柳也の腕力は、同年代の平均的な若者を大きく圧倒している。対峙するメダリオが、あまりにも強すぎるのだ。

「もう少し紳士的に対応できません?」

「そちらが真摯な態度を取ってくれるのならな」

 互いに力をぶつけ合い、鍔迫り合いを解く。前の晩はこのタイミングで狙いすました斬撃が襲ってきたが、今回、それはなかった。

 二人の間合いが、大きく開く。強化された身体能力の恩恵により、その距離、一歩の後退でなんと約八メートル。

「……まず、あんたが何者なのか、それからあんたの目的を教えてもらおうか?」

 柳也は、再び同田貫を八相に構える。

 肥後の刀工一派・名門同田貫の棟梁格が鍛えた業物の身幅は広く、かます切っ先は鋭い。この実戦刀を使いこなすには、真に優れた技術と膂力が必要だった。

「あんたは誰だ? なんだって俺を襲う? 一昨日の晩、俺を殺しておきながら、生き返らしたのは何故だ? 俺の身体に何をした? ……そして、今日、俺の前に姿を現したのは何故だ?」

 矢次早に浴びせかける質問の連続。もとよりまともな答えなど期待していない。ただ、何か口に出していないと気が狂ってしまいそうだった。

 だがメダリオは、柳也のすべての疑問には答えなかったが、そのうちのいくつかには答えてくれた。

「前の晩にあなたを襲ったのは……そう、あなたを、今の状態にするためでした」

「今の状態だと? それは、この快調を通り越した絶好調のことか!?」

 メダリオが、薄く冷笑を浮かべた。

 その笑みを柳也が知覚するか、しないかの刹那、メダリオの姿が視界から消え、同時に無理矢理に風を裂く刀勢が若武者の頬を撫でた。

 突進とともに脅威の美青年が放った、地擦りに走る一閃だ。

 一昨日の晩は、避けることはおろか見極めることすらできなかった一撃だ。

 重力に逆らって地から天へと上る怒涛の大瀑布を、柳也は青い閃光として垣間見た。

 絶対零度の笑みに金縛りにあうことなく、柳也は地擦りに走る一閃に、後の先の一刀をぶつけた。肥後の豪剣をして先に砕けてしまうのではないかと思うほどの衝撃と痺れが、同田貫を通して柳也の両手に伝わった。激突の衝撃波が、柳也の横鬢を撫でていく。

 メダリオは、今度ももう一刀を抜かなかった。

 己の刃と同田貫がぶつかり合うその様子を満足げに見届けると、メダリオは大きく後退して距離を取った。

 一昨日の晩は防げなかった攻撃を、今宵は防いだ。

 それが、柳也の問いに対するメダリオの答えだった。

「まだ二日目でその動き…普通は、注がれたマナに身体が適応しきれず、むしろ二日目は不調を訴えるはずなのですが。……よほど、身体を鍛えているようですね」

「わけの分からない単語についても、いちいち説明と注釈が欲しいところだな。……その口ぶりだと、俺は今頃布団の中にいるはずだったわけだ」

「ええ…。それがこうして外を出歩き、その上、刀まで振り回している。素晴らしい適応力と体力ですよ、あなたの肉体は。この場で切り刻んであげられないのが、残念なほどに」

 どうやら、今日もメダリオは自分を殺しにきたわけではないらしい。一昨日の晩は殺すつもりはないと言いながら殺されたが、結局こうして生き返っている。

「本当に素晴らしい身体です。ですがそのことは、喜ばしいことであると同時に、僕らとしては歓迎できないことでもある」

「……どういう意味だ?」

 直心影流二段の若武者の眉が、ぴくりと動いた。

 メダリオの言葉に怪訝な気持ちになったからではない。

 メダリオの発する空気が……その身体を包むオーラとでもいうべき雰囲気が……変わった?

「『門』は今日、午後五時三十分に、あなたの部屋に開くように設定したんです」

「だから何を言っている!?」

「予定では不調を訴えて学校を休んだあなたを、秋月瞬が見舞いに来て、それで二人とも“あちらの世界”へ運ぶつもりだったのですが……」

「貴様ぁ……ッ!!」

 柳也の双眸が、紅蓮に燃えた。

「瞬を…あいつをどうすつもりだ!?」

 メダリオの言う“あちらの世界”が何なのか、柳也に分からない。

 しかし、彼が口にした親友の名を、無視することはできなかった。

「瞬に指の一本でも手を出してみろ。貴様、ただではおかんぞ!!」

「……できるものなら」

 メダリオの姿が掻き消えた。

 柳也の姿も掻き消えた。

 いつも以上に軽く、いつも以上に湧き上がる力で、これまでにない速度と攻撃力で、柳也は迫るメダリオを迎え撃とうとした。

 柳也の剣が時にしなり、時に直線的に、時には回転してメダリオの急所を狙う。

 しかし恐怖の美青年は、双子剣の一刀のみでそれらの攻撃をことごとく撥ね、払い、戻し、叩いて退けた。その俊敏な動作には、指の関節ひとつひとつの動きにいたるまで、かつてない速度と勢いが宿っていた。

 ――なんということだ。こいつ、さっきまではまったく本気じゃなかったのか!?

 改めて突きつけられた脅威の現実に、柳也はもはや言葉を発する余裕すらない。

 しかもメダリオは、まだ双子剣のうちの一刀しか抜いていない。一刀ですら歯が立たぬのに、この上、二刀流で攻められたら、もはや防ぐ手立てはないだろう。

「おとなしく部屋に戻ってくれるのなら、いたずらに怪我をさせるつもりはありません」

「くっ! 瞬、逃げろ――――――ッ!!!」

 勝ち目など最初からなかった。

 しかし、引き分けに持ち込む手立てすらないと悟った瞬間、柳也の行動は素早かった。

 彼はありったけの声を張り上げて、叫んだ。腹の底から振り絞って、大声を出した。

 メダリオは言った。「『門』は今日、午後五時三十分に、あなたの部屋に開くように設定したんです」と。柳也には『門』が何であるかは分からない。しかし、このままあの部屋に瞬を残しておいては危険だ。

 柳也の絶叫は、アパートの瞬にも十分、届いたはずだった。

 同時に、近隣の民家にも届いたはずだったが、誰の声も聞こえてこなかった。奇妙なことだったが、まるで世界に自分と、目の前のこの怪物だけが取り残されてしまったかのような錯覚すら覚えてしまう。

 しかし、柳也に周辺の人家に対してまで気を配れるほど柳也に余裕はなかった。彼は自分と、瞬のことで手一杯だった。

 アパートの中から、瞬が出てくる気配はない。自分の声は聞こえているはずなのに…。

 苛烈な、あまりにも苛烈な剣戟を交わす柳也の耳膜を、今、いちばん聞きたくない声が打った。

「う、うわああああっ!!」

「瞬ッ!!!」

 部屋に設けられた唯一の窓。そこから聞こえてくる親友の悲鳴。自分の部屋で何かが起こっているのは、もう間違いなかった。あるいは、目の前のメダリオとは別な刺客が、瞬のもとに送り込まれているのか……。

 親友の悲鳴に、一瞬、気を取られた柳也のもとに、抜かれぬ双剣を握った方の拳が襲来する。

 山河を飲み込む雪崩のように、なんの躊躇いもなく、一気に。

「うぐ、おおおおおお――――――ッッ!!」

 狙い済ました一打は、最初から直撃の軌道をずれていた。

 炸裂したのは斬撃ではなく鉄拳。しかも、直撃ではなく頬をかすめただけ。しかし、たったそれだけの攻撃が生んだ衝撃に、柳也の身体は何度も地面をバウンドし、転げ回る。

 距離の離れた柳也のもとに、秒とかけずにメダリオが殺到し、転がる少年の襟首を掴んだ。

「そろそろ、時間です」

 そう告げると、メダリオは凄まじい速さで木造アパートの階段を駆け上がり、柳也の部屋へと踏み込んだ。

「りゅ、柳也!」

 開けっ放しだった扉の向こう側で、瞬は怯えた表情を浮かべていた。

 太い男の腕に、首を絞められながら。

「遅いぞ、メダリオ」

 野太い、男らしい力強い声。

 壮絶な闘気が、人の姿を取っているようだった。

 自分の部屋に土足で上がりこんでいた男は、まさにそう形容するべき黒衣の巨漢だった。二メートルはゆうに下らない大柄な長身に、鍛え抜かれた鋼鉄の肉体。厚い胸板は柳也の一・五倍はあり、太い腕は最大で平均的成人男性の腿ぐらいはあろう。顔の造作は精悍だが、どこか野人を思わせる風貌をしているのもまた事実だ。

「『門』が開くまでもうあまり時間がない。早くその男を縛りつけてこの部屋に入れろ」

 男は、その野性味に満ちた顔に似合わぬ理知的な口調で言葉を紡いだ。

「そんなことはあなたに言われなくてもわかっています」

 どうやらメダリオとこの男の仲は、決して良いとは言えぬ間柄らしい。滅多に表情を動かさない美青年の顔には、命令口調の男に対する明らかな不満が窺える。

 一方、黒衣の巨漢はそんなメダリオの表情の変化には一切気を取られることなく、値踏みするような眼差しで柳也を見下した。

「ほう…貴様が〈誓い〉の守り手か」

「き、貴様らは……」

 柳也は紅蓮の眼差しで男の視線を受け止めた。

 相手はメダリオだけではなかった。理由は分からないが、何か組織だった動きが、自分と瞬を狙っているらしい。

「なかなかにいい面構えをしている。これはさぞかし強い剣士になるだろう」

「そりゃ……どうも!」

 襟首を掴まれた体勢のまま、柳也は同田貫を一閃した。狙いは己の襟首を掴むメダリオの右腕。

 しかし反撃の刃は、残す左の一刀によって阻まれる。

 巨漢の口から、感嘆の吐息が漏れた。

「この状況でなお反撃する意志と力を失わないとは…」

「諦めが悪くなくちゃ、剣士なんてやっていけねぇよ」

「もっともな意見だな。だがどうする? 反撃の刃は阻まれたぞ?」

「こうする!」

 ぱっと同田貫の柄から手放した柳也の左手が、逆手に脇差の柄を掴んだ。鯉口を切るやすかさず抜刀し、青年の右足を狙う。

 しかし反撃の刃は、またも俊敏なメダリオの一刀に阻まれる。

 だが、両手を駆使した柳也の攻撃を防ぐには、さしものメダリオも両手を駆使せねばならなかった。

 必然、柳也の拘束は解かれ、彼は転がるように自室へと飛び込む。

「柳也!」

「瞬ッ!!」

 敵のいない部屋の外ではなく、敵の待ち構える部屋の中へと飛び込むのは愚策以外の何物でもない。

 しかし、柳也には巨漢の男に拘束される親友を見捨てることなどできなかった。

 這うように低い姿勢で突進するや、同田貫――ではなく、無銘の脇差を振るった。狭い部屋の中では取り回しの困難な長太刀より、短い脇差を振るう方が効果的なのだ。

「……ふん!」

 だが、飛び込みざまに振るった脇差の刃は、巨漢の男には届かなかった。

 黒衣の男が右手を伸ばし、気合を入れたその刹那、男の手の中にテニスボールぐらいの大きさの黒い“何か”が出現し、信じられないことに、柳也に向かって飛んできた。

 本能的に危険を察知した柳也は、反射的に両腕をクロスして防御姿勢を取る。

 勢いの乗った柳也の身体に、男の掌から放たれた黒い“何か”が、衝突した。

「――――――っ!!」

「タキオス!」

 メダリオの声と、声にならない柳也の悲鳴が同時に爆ぜた。

 衝撃などという言葉では言い表せないほどの感覚が柳也の身体を襲い、少年は我が家から外へと放り出された。

 向かい合う無人の部屋の扉を突き抜け、ささくれ立つ畳の上を滑る。

 全身の骨と肉が別々のもののようにぶれるのを、柳也ははっきりと感じた。

 しかし剣士の本能か、そんな惨事に見舞われながらも、両手にした刃だけは、手放さなかった。

「大切な守り手の身体になんてことをしているのですか、あなたは?」

 険を孕んだメダリオの声が、遠くから聞こえてくる。実際には大して距離の開きはない。しかし、漸次、遠のいていく意識では、あの透き通るような青年の声も、柳也には遠い出来事のように聞こえてしまう。

「心配するな。手足の一本や二本、マナの豊富な“あちら”なら、すぐに再生する」

「そういう問題ではありません」

 わけのわからない単語、わけのわからない言葉の羅列が、柳也の耳膜を静かに打つ。

 彼は立ち上がろうとしたが、できなかった。

 タキオスと呼ばれた男の言うように、すでに自分の両脚は今の一撃で壊れてしまったらしかった。

「柳也、しっかりしてくれ、柳也……!」

 力のない声で、瞬が自分の名を呼んでいる。

 すべての景色から色彩が失われ、すべての物音が遠ざかっていく中で、なぜか親友の声だけは、明瞭に聞こえた。

 瞬は紅色の瞳から涙をこぼし、必死に己の名を呼んでいた。

「しゅ、瞬……」

 守らなくては。

 彼を。

 己の大切なものを。

 父の言葉を、守らなくては。

 そう思うのに、脚がまったく動かない。

 前に進まなければならないのに、まったく動いてくれない。

 ――動け……動いてくれ……。

 悔しかった。ただただ悔しかった。

 この剣で彼を守ると誓ったばかりだった。それなのに、地べたを這いつくばっているしかない自分がたまらなく悔しかった。

「クショウ…チクショウ……」

 ――これじゃ、あの日と同じじゃないか……。

 あの日、瞬と、佳織と、二人に出会ったあの日……。

 最初に一頭を倒しただけで、後はやられ放題だった幼き日の自分。あれから、少しは強くなったと思っていたのは、自分の錯覚だったのか。自分はまだ、この同田貫の刃を握るに相応しい強さを持ちえていなかったのか。

 ――俺は、全然、強くなんて、なっちゃいなかったのか……。

 誓ったのに。

 瞬を守ると。彼に。そして自分自身に。

 誓ったのに。

 父の言葉を、そして母の言葉を守ると。自分自身に。

「父さん…母さん……」

 唇からこぼれ落ちる、己の言葉すらもはや聞こえない。

 闇に、落ちる。

 意識が、完全なる闇の世界へ……

「しゅ、ん……」

「柳也――――――ッ!!」

 ――瞬!

 己の名を呼ぶ、親友の声。

 一切の景色が消え、一切の物音が消え……けれど、その声だけは、はっきりと聞こえた。

 ――……そう、だ。

 誓ったでは、ないか。

 今は亡き父に。今は亡き母に。己自身に。

 強さには、果てがない。

 そして、人間の一生で求められる力など高が知れている。限られた時間の中で、父が望み、柳也が求める強さは、はたして手に入るのか。

 かつて、多くの剣士達がぶつかったその難問に対するその答えは、柳也にはまだ見えない。

 しかし、これだけははっきりと言える。

 たとえ父の望んだ強さが、手に入ろうが、入るまいが、自分はこれからも剣術を学び、強さを求め続ける。

 この身に備わった剣の技で、

 この身に備わった力で、

 両手に握るこの刃で、

 大切なものを、守り抜くために……。

 柳也は、柄を握る両手に力を篭めた。

 両腕は、まだ動いた。

 柳也は手探りで進むべき方角を見出すと、腕の力だけで前へと進んだ。

「……待ってろ、瞬」

「りゅ、柳也……?」

 今の柳也には、何も見えない。何も聞こえない。だがそんな中で、守るべき者の声だけは聞こえる。

 瞬の声が、柳也に進むべき道を教えてくれる。

「今、そっちに行くからな…」

「あの一撃に耐えた……わけではないな。その身はとうに動ける体ではない。それが動いているということは、いかな信念に突き動かされてのことだ?」

 タキオスの声は、柳也には届かない。

 だから柳也は、その言葉を無視して前へと進む。

「お前を……守る!」

「…なるほど。己を捨てても友を守ろうとする不退転の決意か」

 大切なものを守りたいという思いではない。

 大切なものを守るという強い決意だった。

 大切なものを守り抜いてみせるという不退転の意志が、柳也の身体を突き動かしていた。

 どこにタキオスがいるか、どこにメダリオがいるかなど関係ない。

 圧倒的な実力差の上、こちらは負傷しているという事実も関係ない。

 今は、ただ、一刻も早く瞬のもとに辿り着かねば……その一念のみが、柳也の中にあった。

 そうすることが、瞬を守ることに繋がる第一歩だった。

 柳也は進んだ。

 瞬の声を頼りに。

 己の名を呼ぶ、瞬の声だけを頼りに……。

【……柳也よ……】

 ふと、自分の名を呼ぶ別な声に気が付いた。

 瞬のものほどはっきりとはしていない。遠くの方から、呼びかけているかのような、掠れた声だ。普段、正常な聴覚が働いている時ですら、聞き取るのが困難なほど小さな声だ。

【桜坂柳也よ……】

 声が、また……。

 瞬とは別の声が、また、己の名を呼ぶ。

 瞬の言葉と重なって、まるで瞬の言葉を聞き取るのを阻害するかのように。

 ――黙っていろ!

 柳也は、心の中で叫んだ。

 進むべき針路を決定する上で必要不可欠な瞬の声が、別な声に重なってよく聞き取れない。

 苛立たしげに放った声は、柳也の心の中だけで響くものだった。

【そう邪険にするでない】

 ――ッ!?

 だが、そんな柳也の心の言葉に、返答があった。タキオスの声ではない。メダリオの声でもない。初めて聞く、声だった。

 ――痛みで、とうとうおかしくなったか?

 心の声に答えられる人間などこの世に存在するはずがない。この世のものでなければ幽霊か、妖怪変化が相場だが、自分にはそんな存在を霊視できるような能力はない。

 だとすれば、考えられるのは幻聴妄想の類だが……。

【これが幻聴だと思うか?】

 ――……いや。

 そう、なぜだか原因は分からないが、頭の中に響いてくるこの声は、決して幻聴などではないと、本能が告げていた。そしてその本能の言葉を、理性もまた無条件に聞き入れていた。

 ――お前は、誰だ?

 柳也の心の問いかけに、声はまた答える。

【我は、汝の中に潜みしもの。汝の意志に与するもの】

 ――お前は、何だ?

【汝の血。汝の肉。汝の骨。汝の臓物……。汝の肉の欠片の一片々々にいたるまでが、我が存在。我は汝の血。我は汝の肉。我は汝の骨。我は汝の臓物。我は汝の、剣】

 ――お前の、名前は?

【我が名は、〈決意〉。永遠神剣第七位〈決意〉……】

 〈決意〉が名乗り、不意に暗闇に閉ざされていた視界に光が差し込んだ。

【我は汝の剣。我は汝の決意に応えし者。汝、我を受け入れるか?】

 〈決意〉の、人間離れした声が頭の中に響く。

 と同時に、まるで空の皿に次々とスープが注がれていくように、知識の奔流が頭の中に流れ込んでくる。

 そして、柳也は悟る。

 永遠神剣と呼ばれる存在。

 マナと呼ばれる生命の輝き。

 己の中で起こった、変化の正体。

 脳という皿に知識のスープが次々と注がれ、柳也はそれらの情報を理解する。

 第七位の神剣が持ちえる情報は決して多くはない。

 しかし個の持つ情報を貪欲に啜り、柳也は理解した。一方的に送られてくる情報。そして、情報を送る剣の所在を……。

 ――体内寄生型の、永遠神剣?

【そうだ…。ゆえに、我は汝の血であり、肉であり、骨であり、臓物でもある。そして我は、汝が手にせし武具を寄り代に、神剣としての力を発露させることができる】

 ――俺の決意に応えて、か。

【左様…。汝の決意の想いの強さに応じ、我は汝に力を与えよう。汝が、守りたいと思うすべてのものを守るための、力を】

 ――……。

【……では、今一度、問おう。汝、我を受け入れるか?】

「……そんなこと、言うまでもねぇだろうが」

 心の声は、いつしか大気を震わす音となって、柳也の唇の外へと出ていた。

 ――お前は、俺の血であり、肉であり、骨であり、臓物でもあるんだろう? だったら、わざわざ口に出さずとも、分かっているはずだぜ?

 大切なものを、守る。

 この身に備わった剣の技で、

 この身に備わった力で、

 両手に握るこの刃で、

 そして、新たに得るその力で……己の大切なものを、すべて守り抜いてみせる。

 かつて亡き父が、幼き我が子を救ったように…。

【……領解した。ならば汝に、我が力を貸し与えよう。我が力を始動させる鍵は、強い決意なり。汝の強い決意が、我が力を高めるものと知れ!】

 頭の中で、心の奥底で、ガラス細工が割れたかのような甲高い音が響く。

 そして同時に、己の中にこれまでにない強大な力が溢れ出すのを実感する。

「しゅ…ん……」

すでに視界は開けていた。

周囲の音も、はっきりと聞こえる。

すでに両脚の傷は癒え、立ち上がれるようになっていた。

「お、れ…は……」

〈決意〉は言った。

 己の固める決意こそが始動の鍵、己の固める決意の強さこそが与える力の強さと。

 ならば、今、宣言しよう。

 己の想いのたけり。親友のことを想う己の、すべての感情をのせた決意の言葉を…。

「お前を、守ってみせる……!」

 立ち上がり、脇差を鞘に納めて同田貫を上段に構える。狭い空間内で決してやってはならぬ愚挙。だがしかし、柳也は寸分の迷いもなく豪剣を構える。

 刀は、元寇の役以来豪壮を極めた。それら豪剣の中でもとくに頑健で知られる同田貫の刀身が、まばゆい輝きを灯し出す。

「これは……」

 無表情だったメダリオの声に、僅かな驚愕の色が混ざる。

「神剣の、覚醒? ですが、〈決意〉の覚醒はもう少し先の予定では……」

「覚醒に必要なマナを補うほどの強い想いか、それとも、俺たちの知らぬところで何か起きたか」

 メダリオの時と同じように、いつの間にかタキオスの手には、出刃包丁をそのまま巨大化したような、剣の範疇を超えた、鉄板のように分厚い得物が握られていた。

 あれもまた永遠神剣なのだろう。

 本能で察した柳也は、己の血であり、肉である神剣に向かって話しかける。

 ――〈決意〉、分かっているな。

【この刃に我が力を宿せばよいのだな、主よ】

 五体に充足するマナの……原生命力の、純粋な力。

 それと同質の力が同田貫の豪剣に光を灯し、静かな輝きと熱が、十二月の夕闇を覆い焦がす。

 この瞬間、豪剣は肥後九州同田貫上野介であると同時に永遠神剣第七位〈決意〉の刃となった。

「ほう……」

 感嘆の吐息は、黒衣の巨漢……タキオスが発せしものだ。

「これが第七位の、それも覚醒したばかりの小童の力か?」

 上段に構えた〈決意〉を、柳也は地擦りに構える。

 狭い空間内で長刀を使う場合の、必殺の構え。

 その刃は刀身にオーラフォトンの輝きを纏い、ひと振りするだけですべてを破断する。

 いかなる刃よりも鋭利で、いかなる火砲よりも強大な一撃の波動が、今、大気を揺らし、木造二階建てのアパートを、激震で揺らす。

 若武者が、狙うは――――――

「直心影流・桜坂柳也……参る!!!」

 狙うは、瞬を取り押さえるタキオスではなく、その前に壁として立ちふさがる、〈水月の双剣・メダリオ〉。

 〈流転〉の双刃の一刀だけを構え持つ美青年に向かって、神速の領域へといたった刃風が襲い掛かる――――――

「……どうやら時間のようだ」

「な、に……」

 ――しかし、その刃は阻まれる。

 黒き大剣によって。

 黒き刃を持つ、永遠を生きる神の手によって。

 柳也の放つ渾身の一撃を目に見えぬ障壁で受け止めたタキオスは、冷酷な一瞥を柳也にくれる。

「若き剣士よ、お前の持つその力、その決意、とくと見せてもらった。俺個人としてももう少し相手をしてやりたいところだが……残念だ。じっとしていろ。『門』が来るぞ」

 タキオスが、言い終えるか、言い終えないか、ちょうどそんなタイミングだった。

 光が……

 金色の光の柱が……

「こ、これは……!?」

 天井を突き破り、金色の光柱が天空へと真っ直ぐ伸びている。

 視界を許容量の限界を超えた光芒が覆い尽くし、何もかもが、光の渦に飲み込まれていく。

「う、うう……なんだ!?」

 唐突に浮遊感が、柳也の身体を襲った。

 のみならず、自分の立つ地面がガラガラと崩れていく奇妙な感覚。

「しゅ、瞬……ッ!」

 圧倒的な光に包まれながら、柳也は親友の名を呼んだ。

「りゅ、柳也―――ッ!!」

「瞬! どこにいる!?」

 光だけが氾濫する世界にて、親友の所在がつかめない。

 声だけは相変わらず聞こえるも、それも距離感や方角がまったくつかめないものになっている。

 ――〈決意〉、何が起こっているか分かるか!?

【…………】

 柳也の問いかけに、しかし〈決意〉は答えない。

 いや答えられないのだと、柳也は気付いた。〈決意〉の力とともに得た知識にはマナに関する情報もあった。柳也達の暮らす世界では、マナは酷く希薄なものなのだという。

 マナの希薄な世界で放った渾身の一撃は、覚醒したばかりの〈決意〉の力を大きく消耗させてしまったに違いない。

「クソッ……瞬! 瞬! どこだ―――――ッ!!?」

 何度も、何度も問いかける。

 しかし、絶叫に返す答えはない。

 助けを求める親友の声も、ない。

 いつしか柳也は、あまねく光だけが繚乱する世界に、たったひとり取り残されていた。





永遠のアセリア

-The Spirit of Eternity Sword Another-

序章「白い翼の少女」

Episode04「今日は人生最悪の日だ」





 柳也は光の渦に飲み込まれていた。

 強大な力に圧倒され、昇っているか、落ちているのかすら判然としない。

 痛みはなかった。

 しかし、とうに気を失ってもおかしくない光景が広がっていた。

 金色の光が氾濫し、すべての視界を失いながらも、なお心眼に映る壮絶な光景。

 体中を光の矢に貫かれながらも痛覚はなく、むしろ身体の中を突き抜けていく感覚に快感すら見出せる。

 いっそのこと意識の手綱を深い闇に手渡してしまえば楽になれるだろう。

 だが、剣士としての本能が、現実からの逃避を許さなかった。

 ――ここで気、抜いたら、大変なことになる……!
 
 この空間で気を失ってはいけない。

 奇妙な確信に突き動かされながら、柳也は必死に緊張の糸を張り詰めていた。

 心の中で〈決意〉に呼びかけるも、相変わらず返事はない。

「ったく! どうしろってんだ!?」

 すでに瞬の姿は見えない。

 あれほど明瞭だった声も聞こえない。

 暴風が渦を巻いているような轟音の中で、自分の声さえはっきりと聞き取ることができなかった。

 身体の自由はまだかろうじて利いたが、今やそれがどれほどの役に立つであろう。この暴風雨の真っ只中にいるかのよう空間で、いかに強化されているとはいえ人ひとりの力など高が知れている。

 光の繚乱の中に、ふと変化を感じた。

 閃光に耐え切れず閉じていた瞼を開ける。

 瞑目してなお視神経が焼ききれそうなほどだった光芒が、消えていた。

 身体を押し流す強力は相変わらずだが、視界は青く開けている。身体を強引に押し流される感覚に、ブラックホールのような空間にいるのかと思ったが、どうやら違うらしい。

 ――……なんだ?

 光の渦の中央が、水晶のようになっていた。

 その輝きは天然の水晶というよりは、どこか加工されたガラスのようだ。

 自然の輝きが感じられぬほど不必要なまでに磨き上げられた水晶の表面に、不思議な映像が流れている。

 あれは……

「地球、だと!?」

 ……いや、違う。

 なぜだか分からないが、本能がそう告げている。

 目を凝らしてよく見てみる。

 ――やはり、違う……。

 学校の教科書に掲載されている衛星写真や本屋などに展示されている地球儀とは、まるで違う。海に浮かぶ大陸は見たこともない形状をしているし、なによりアメリカやユーラシアといった既存の大陸が見えない。

 ――これは過去の地球の姿なのか? かつて、俺達が現在知っている大陸がすべて一つに繋がっていた頃の世界なのか?

 いや、それも違う。

 少なくとも柳也の知る限り、かつて地球にあんな文明はなかったはずだ。

 ……そう、そこには文明があった。

 柳也の位置から見える惑星の空には、点々と、信じられないことに空に浮かぶ島々があった。そしてその島々のいくつかには、明らかな文明の形跡があった。

「卵形の、構造物……?」

 視界に映る幾何学的な建築物について、ありのままの感想を柳也が述べた、その時――

 光の渦の中心へと柳也を押し流す力が、途端に強まった。

 まるでそれ以上、柳也の視界に件の浮遊世界を映したくないと、何らかの意志がはたらいたかのように…。

「くっ……!」

 柳也は咄嗟に辺りを見回した。

 このままこの力に押し流されれば、待っているのはあの中央の水晶だ。本当にあの場所に磨き上げられた結晶体があればそこで終着だろうが、もし、なかったとしたらその果てにあるのはあの見知らぬ世界だ。

 ――地表に激突してぺしゃんこ……ってな事態だけは避けないとなッ!

 だが付近には、足場になりそうなものは何もない。

 いかに体術に優れた柳也といえど、脚を根ざす地表がなければどうすることもできない。まさか、空を飛ぶというわけにはいかないのだ。

 ――なら……!

 柳也の決意は早かった。

 近くには、たしかに足場になりそうなものはない。そしてこのまま流れに身を任せるばかりでは、確実に命はないだろう。流れに抗ったとしても、いずれは力尽きて結局は変わらない。

 それならば……

「流れに身を任せるな。流れに抗うな。流れを、追い越せ……!!」

 流れを追い越し、せめてあの空に浮く島々へ。

 柳也は身体から力を抜いた。

 全てのエネルギーをただ一方向にのみ集中するために、余計な力の全てを節約する。

「頼むぜ、〈決意〉。……父さん!!」

 手の中の一刀から、返事はない。

 しかし、タキオスに全力の一撃を放った時の、あの感触は今も生々しく掌に残っている。

 意識を集中する。

 全ての意識を、剣の力を引き出すことに。

 ――〈決意〉は言った。俺の固めた決意の強さが、そのまま神剣の強さに……俺自身の強さに繋がると。

 まだ会ったばかりで、言葉を交わしたのも数回に過ぎない永遠神剣なる正体不明の存在の言葉をこうも信用できるのは、その力が父の形見の一剣に宿っているからだろう。

 柳也は身を翻した。

 豪剣の柄を強く握り、上段に構える。

「〈決意〉、聞こえているかどうか分からないが、今一度俺の決意をほどを吐露するぜ」

 大きく、息を吸い込む。

 直心影流の稽古では阿吽の呼吸を教えている。“阿”の口で息を吸い、その息を“う”で止めて気海丹田まで深く沈め、吽の終着にて一気に吐き出す。

 全身に漲る気の力を口から解放した時、同時に、豪剣に宿った力が、解き放たれた。

「俺は、突き進む!!!」

 振り下ろした一刀より、圧倒的なエネルギーが放出された。

 そのエネルギーによって加速し、柳也の身体が渦の流れの外へと出る。

 レールの上をはずれたジェットコースターは、あとは、不変の法則に従って落ちていくのみだった。

 異常なスピードで中央の水晶の輝きに突入する。

 はたして、蒼光の中心部はあたたかく、硬い感触はなかった。

 気が付くと、柳也は蒼空に放り出されていた。

 それまで異界の空間にて光だけに照らされていた柳也の体を、ここにきて出現した空気抵抗が襲う。

 大気のうねりに揉まれながら、柳也は必死に降下点を探した。

 ――ははっ、今朝、見た夢と同じだ。

 今朝、何気なく見た奇妙な夢。

 パラシュートなしに降下した自分は、地表に激突してその衝撃で目が覚めた。

 今回も自分にパラシュートはない。しかし、パラシュートはないが今の自分には強化された肉体と〈決意〉の刃がある。

 〈決意〉の力を駆使できる今ならば……あの空に浮かぶ島々ならば、降下も可能であろう。

 辺りを見回し、適当な島がないか確かめる。

 いったいいかなる原理作用か、空に浮かぶ島々の中に、手近なところに文化の花が咲く島を見つけた時、柳也は心の中で喝采した。

 再び〈決意〉を構え、何もない虚空を斬る。

 刃に篭められたエネルギーが空中に解き放たれ、反動で少年の身体にその島の方角へと加速が加わった。

 見る見る大地が迫ってくる。

 柳也は白亜の建物が建ち並ぶ街の中に降下するよう〈決意〉の斬撃で位置を調整し、身体を丸めた。

 ミリタリー・オタクの柳也は、空挺降下の際には柔道の受け身の要領で着地すると感じたら一回転することが肝要であると知っている。下手に足から下りようとすると、足を折る危険が大きいからだ。着地のショックを、接地面積の少ない足ではなく背中で受け流すのだ。

 ――これで……。

 柳也の表情が、ほっと安堵に緩む。

 あとは着地の瞬間に〈決意〉の力で減速すれば、とりあえず当面の問題は回避できるはずだ。

 しかし、柳也が安心するにはまだ早かった。

 ほどなくして、柳也は着地する。

 だが着地の瞬間の柳也の表情には、安心の色はなく、驚愕の色だけが占拠していた。

「な……!?」

 信じられないことに、柳也は上空に着地した。正確には、街のはるか高空に張られた、目に見えない壁に。

 たちまち、背中を丸めていた柳也の身体が見えない地表を転がる。

 さすがのミリタリー・オタクも、未だかつて空中の見えない壁に降下したという実例は聞いたことがなく、すぐには反応できなかった。

 柳也が背筋を伸ばし、見えない壁に刃を突き立てて留まろうとした時にはもう、彼の視界が捉えていたのは空に浮かぶ島々の底部だけだった。

 ――チッ……!

 柳也は再び身を翻し、今度ははるか彼方の地上を目指す。

 もはや、足がかりになる島は周囲にはなく、目指す場所はそこしかなかった。

「イチか、バチかだな……」

 柳也は覚悟を決めた。

 降下に対しての恐怖はあったが、それしか道がないのだからしょうがない。その覚悟はむしろ開き直りに近いものがあった。

 かつてのノルマンディー上陸作戦で先陣を切った空挺部隊の隊員達も、はたしてこんな気持ちだったのだろうか。

 そう思うとミリタリー・オタクとしては少し誇らしげな気持ちになると同時に、しかしあれはたかだか高度数百メートルでの事ではないかと憤りが湧いた。

 現在柳也が舞う高度はとても数百メートルでは済まない。落下の恐怖はあの日の兵達の比ではないはずだ。もっとも、D上陸作戦の降下兵達には降下後の戦闘に対する恐怖がつきまとっていたはずだが、あちらは訓練された兵士で、自分はにわか剣士。そもそも比べる方が間違っている。

「あ、藍より蒼き〜…お、大空に……」

 有名な空挺部隊に関する軍歌を口ずさむも、恐怖は一向に薄れない。

 やがて、柳也の視界に、恐怖の世界が見えてきた。

 黒々とした密林が、柳也の顔を青ざめさせた。

「う、上手く枝に引っかかってくれよぅ…」

【それは儚い望みであろうな】

 不意に、頭の中に声が響いてきた。

 それまでずっと沈黙していた、〈決意〉の声だった。

「け、〈決意〉!?」

【主よ、今まで不義理をしてしまい相済まぬ。話せば長くなるがこの世界はマナが豊富でな。あちらの世界で失った分をようやく取り込むことができ、会話するほどまでに回復した次第だ】

「そ、そうか…。よく分からんがあえてそう言っておくよ。早速で悪いが、もうひと働きしてもらうぜ」

【よかろう。では、汝の決意を我に聞かせよ】

 すでに地表までの高度は千メートルを切っていた。

 だが、柳也の中で恐怖は僅かに……本当に僅かではあったが、薄らいでいた。

 すぐ側に〈決意〉がいる。この空の上で自分が孤独ではないと知って、ようやく元気が出てきた。

「俺は……生きる! ここを無事に降りて、生き延びてみせる!!」

 強い決意の言葉が、手にした神剣に力を与えた。

【よかろう。では、減速させるぞ!】

 決意の言葉によって力を得た神剣の、不思議なパワーによって柳也の身体にぐっと制動がかかる。

 先ほどから柳也は〈決意〉のエネルギーを放出してばかりだったが、永遠神剣にはこのような特殊な使い方もあるらしい。

 ――後でやり方、教えろよ。

【汝の決意を聞かせてくれればな】

 軽口を叩き合い、柳也はそっと微笑んだ。

 落下の恐怖の最中にも拘わらず、穏やかに笑みを浮かべた。

「お前も歌え、〈決意〉! 見よ落下傘、空に降り!」

【見よ落下傘、空に降り……ところで主よ、汝はかなり歌が下手であるな】

「ほっとけ! ……見よ落下傘、空を征く!」

【見よ落下傘、空を征く】

「見よ落下傘〜〜、空を征く!!!」

【見よ落下傘〜〜、空を征く】

 見る見る迫る地表。

 見る見る迫る原生林。

 やがて衝撃が、柳也の身体に訪れた。

「う、おおおおお――――――ッ!!」

 茂る木々の枝々に身を裂き、柳也は落下した。

 大木の茂る葉の海を抜けると、そこには柔らかな草地があった。

 柳也は、今度こそ背を丸めて、転がった。着地のショックを、背中で受け流す。

 ごろごろと転がって、柳也は腰をしたたかに打ちつけた。転がっているうちに近くにあった木に、腰を打ちつけてしまったのだ。

 咽かえるような土と草の濃い臭いが、柳也の身体を包み込む。

 彼は、自分が今、地面に寝転がっていることを実感した。

 仰向けに背中を地面に預ける。

 風が吹き込み柳也の頬を撫で、そこで彼は初めて自分が泣いているのだと気が付いた。

「は、ははっ……」

 安心感からか、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れる。

 柳也の口は、大きく開いていた。

「あは…あはははは……あはははははははっ!!!」

 腹の底から、声を吐き出して、

 頭の中のすべてを空っぽにして、

 大きな双眸からいくつもの涙を流して、

「俺…俺……生きてるよぉ……あははははっ!! チクショウ! もう二度とやんねーからな!!!」

 柳也は、大声で笑った。

 そのまま何秒も、何十秒も……。

 やがて十分も笑い続けていると、安心感からか、柳也の意識は徐々に闇に飲まれていった。






 ――不明。


【主よ……】

 ――ああ…。気付いている。

 つかの間の眠りに落ちていた意識は、〈決意〉に起こされるまでもなくすでに覚醒していた。

 ゆっくりと閉じていた瞼を開く。

 あれからどれほどの時が過ぎたのか、辺りはすでに夜の闇に閉ざされていた。木々の深緑があまりにも深いため空は見えないが、肌を撫でる気温もぐっと低くなっている。十二月の気温にしては春の夜のように過ごしやすく、さりとて、火も焚くことなく眠りについていた無防備な人間を襲おうとする、野生動物の気配もない。季節感を感じさせない、不思議な夜のぬくもりがあった。

 柳也は、野生動物の気配を感じることはなかったが、明らかな知性を持った存在の接近には気付いていた。

 音を立てぬように慎重な足運びをしているようだが、草地のためにカモフラージュは不完全に留まっている。隠密行動の訓練を受けた者の足運びではない。素人とはいえないが、気配を殺して行動することに、慣れていないのだろうか。

 不自然にそよぐ草の音。

 目下柳也のいる場所に接近中のその風の音の数は、ひとつ。

 夜の澄んだ空気にあって、僅かに響く金属音は、それだけで接近する相手が人間であると気付かせる。マナの作用によって強化された聴覚は、自分と相手との距離を正確に柳也に教えてくれた。

 ――右手方向、距離は……六メートルってところか。

 右側には低い木々が生い茂っており、視界は三メートルもない。

 はたして、どうやら相手は目の前の木々に一旦躊躇いをみせ……しかし、柳也が動く気配をみせないとして、ガサガサと音を立ててやってきた。

 相手との距離が、四メートルを切る。

 柳也はいつでも俊敏に動くことができるよう、仰向けながら下肢に力を篭める。

 心臓の鼓動が、静かに、しかし徐々に激しくなるのを実感した。

 お馴染みの感覚だ。戦いを控えた剣士ならば誰もが一度は経験する、あの酸っぱいようななんともいえない緊張感。

 ギリギリのスリルに酔いながら、柳也は柄を握る力を強くした。

 同田貫……今や永遠神剣第七位〈決意〉と一体となった父の形見を、柳也はまだ手放していなかった。

 草むらを掻き分けて、影がひとつ、柳也の視界に留まる。

 その姿を眼にした瞬間、柳也は思わず息を飲んだ。

 ――うわっ。すっげぇ美人。

 作られた人形のように、美しい顔立ちをしていた。齢は柳也と同じ頃だろう。整った目鼻立ちに透き通るような白い肌。外国人でもそうはいない。

 ――……いかん。思わず恋をしてしまった。

 だがそれ以上に印象的なのは、細い眉の下にある青色の双眸と、それと同色の長い髪だった。瞳はともかくとして、天然の色ではあり得ない髪の色。しかし、自然のものとしか思えないほど艶やかで、不自然な輝きのない毛先をしている。根元の方も青い。どんなに優れた染料でも、髪の根元だけはどうしても地毛の色が出てしまうものだから、少女の髪の色が天然のものであることは疑いようがない。

 衣服は、黒と青を基調とした飾り気のないデザインの、しかし、激しい運動には機能的な服を一枚着込んでいるだけだ。肘の辺りまで伸びている半袖の下から覗く細い腕には、幻想的な少女の容姿とは到底相成れぬ金属の篭手が嵌められている。肘関節の動きを阻害しないよう、手首の辺りまでを覆うグローブタイプの篭手。作業性を考えてかフィンガーグローブのように指の関節部は露出しており、その手が握っているのは……

 ――……剣?

 切断という機能を極限まで高めた日本刀と、同じ目的の下に進化してきたデザイン。以前、外国の武術を学ぶのも勉強だとして調べたことがある。たしか、シャムシャールとかいう剣に似た形状だった。

「ラスト、イハーテス?
(敵か?)

 少女の、形の良い唇から夜の空気に滑るように言葉が紡がれる。

 しかしそれは、聞き慣れない言語だった。

 日本語ではないし、英語でもない。発音的には聞き慣れた日本語に近いが、単語の区切りはヨーロッパ系の言語の形態に近い。柳也の知らない言語だった。

 ――俺はいつの間に外国にやってきたんだ?

 ここが日本だとしたら、話されるにしてもそれは日本語か英語、もしくは韓国語と中国語、あとは他のヨーロッパ諸国の言語ぐらいだ。間違ってもペルシャ語やパシトゥー語のような、日本人にとっては比較的マイナーな言語が飛び出してくることはないはず。

 しかし今自分が耳にしているのは、明らかに耳慣れぬ言語。

 しかもその言葉を紡ぐ相手は、なぜかペルシャの歪曲剣に似た武器を手にしている。

「ラ、エノウィ……ラスト、デウネ、ラナ・レナ?
(お前は……人間ではないのか?)

 何か質問しているかのような声音。しかし、それが実際に疑問文であるかどうかは分からない。所詮、未知の言語だ。

 現時点で柳也が理解できることといえば、手にした剣が喉元に突きつけられた時点で、相手がいつでも自分の命を絶つことができる立場にあるということだけだった。

 剣呑な雰囲気が、辺りに漂う。

 仰向けに倒れる柳也は、この状況にあって冷静だった。

 ――さて、どうするか?

 思わず少女の容姿に見惚れてしまい、気が付くとたいへん危険な窮地に陥ってしまった。

 この状況を打破する方法がないわけではないが、いまだ事情がよく飲み込めない現状では下手に動くのは危険すぎる。

 敵……と、判断するべきかどうかは迷うところだが、少女がひとりで行動しているとは限らないのだ。もし、少女に仲間がいたとして、しかもそれがかなりの大規模な人数だとしたら……下手に動いて少女を敵に回したりした場合、後々厄介なことになりかねない。

【いや、おそらくそれはないだろう……】

 心の中で、〈決意〉が呼びかける。

【仲間がいたとしてもせいぜい一人か二人だ】

 ――……なんでそんなことが言える?

【神剣の気配を感じない】

 ――神剣って……おい、まさかあの娘が持っているのは永遠神剣なのか!?

【その通りだ】

 〈決意〉の返答は、素っ気のないものだった。

 ――やばい。やばいぞ…。

 あの少女が持っているのもまた永遠神剣だとしたら……脳裏に、あのタキオス、メダリオの顔と並外れた戦闘力の程が浮かぶ。もし、目の前のこの少女も同じような戦闘力を持っているとしたら……ギリギリのスリルなどと、言っている場合ではない。

【案ずるな。あの娘はあれらほどの力は有していない】

 そうは言っても無視できる不安材料ではない。

 〈決意〉との契約を交わした際に得た情報のおかげである程度の知識を得たとはいえ、柳也にとって永遠神剣とは未知数の部分の方が多い。その存在自体は理解できたが、いったいいつ、どこの、誰が、何の目的で製作したのかなどの情報は、〈決意〉からは送られてこなかったのだ。

【我ら永遠神剣には、他の永遠神剣の反応を知覚することができる。汝も意識を研ぎ澄まして感覚を拡大してみよ。この娘の神剣の気配が、感じ取れるはずだ】

「……」

 言われるままに、意識の集中を開始する。

 やり方は、〈決意〉が直接教えてくれた。

 自分の知覚能力のどの部分を、どういった方向性で集中してやれば他の神剣の気配を感じ取ることができるのか……頭の中に分かり易いイメージとして、〈決意〉から情報が流れてくる。いや、体内寄生型の永遠神剣である〈決意〉だったから、情報は自分の身体の中からひとりでに湧き上がってくるようだった。

 意識を、より高いレベルで集中させる。

 最初に感じたのは自分の手の中と、自分の体内の〈決意〉の存在。

 次に知覚できたのはすぐ側にいるこの少女の剣。その感覚は、たしかに自分の中にある〈決意〉と似たものだった。

 そして、この場所から少し離れたところに……気配が三つ。今にも消えそうなぐらい弱弱しい反応が一つと、激しくマナを燃焼させている感覚が、二つ。

 ――……マナを、燃焼させている?

「ラスト、クス、ヤミニュ、ニノラン、ラ、ヨテト、シクル、イスタ?
(こういう場合、私はどうするべきなのだ?)

 少女の言葉が、頭の中に留まることなく右耳から左耳へと通り過ぎていく。

 激しく燃焼し合い、ぶつかり合う神剣の反応のうち、一つが消えたのはその直後のことだった。

「なっ……!」

「ニナー……!?
(何……!?)

 柳也と少女が、同時に叫んだ。

 のみならず、少女は神剣の反応がしていた方角に向かって振り向いている。

 ――チャンス!

 柳也は右手を振るった。

 喉元に突きつけられていたシャムシャール状の永遠神剣が豪剣の刃に弾かれ、突然の攻撃に驚いた少女が一歩後ろに飛び退く。その速度といい、跳躍距離といい、神剣の恩恵か普通の人間が発揮できる運動能力ではなかった。

 柳也は少女が飛び跳ねた瞬間をついて一気に起き上がる。落下によるダメージの後遺症は、まったくなかった。

「ク……!」

 仰向けに倒れていた柳也が、てっきり動けないほどに弱っていると思い込んでいたのだろう、その表情には驚愕以上に騙されたことに対する憤りがありありと浮かんでいた。

 ――別に騙したわけじゃないっての…。

 先のことを見越して、動けないフリをしたことがそんなに気に食わなかったのか。

 忌々しげに睨む少女に、柳也は愛想笑いを向けた。

「えっと、あ〜……とりあえず、喧嘩はやめよ? な? な?」

「エノウィ……!
(貴様……!)

 だが向けた愛想笑いも、紡いだ日本語もすべては無駄に終わってしまう。

 少女は柳也が持つ刀よりも歪曲して反り返った刃の切っ先をこちらに向けると、怒りの視線とともに吐き捨てた。

「イハーテス、ラ、エノウィ!
(貴様は敵だ!)

 何か断定するような口調。

 言葉が分からずとも、向けられた殺気で少女が自分に対してあまり好ましい感情を抱いていないことは分かる。

 少女の宝石のように青い瞳には、剥き出しの殺意があった。

「ハイム、ソサレク、ワ、エノウィ!
(貴様を殺してやる!)

 ――マジかよ……。

 神剣を構えた少女の背に、そして頭上に、漆黒の光芒が咲き乱れる。

 永遠神剣の力を発動させた証。少女の背中には、一対の漆黒の翼が出現していた。双翼を大きく広げて剣を握るその姿は、宗教画に登場する悪魔を討つ天使のようにも見える。

 〈決意〉を八相に構えながら、柳也はたまらずに叫んだ。

「今日は人生最悪の日だぁッ!!」

 土煙が舞い上がった。

 柳也の視界から、少女の姿が一瞬にして消える。

 ――速い……!

 だが、メダリオほどのスピードではない。

 〈決意〉の言うとおり、目の前の少女の実力はあの二人組の怪物ほどではない。しかし、だからといって油断できる相手でもなかった。

 鋼の打ち合う音が、夜の森に響き渡る。

 次々と迫る恐るべき速さの斬撃を、柳也はすべて後の先で撃ち落していった。

 もともと八相の構えには相手の出方を監視して、その出方によって攻撃を変えるという後の先の側面がある。これは自分の太刀ゆきに余程自信がなければできない構えでもあり、柳也は目の前の青い少女と自分とでは、自分の方が技量の点で上回っていると踏んでいた。

 ――〈決意〉、オーラフォトンは使うなよ。マナは刀身の強度と硬度の強化にだけ使え。

【峰打ちのみですませるつもりか?】

 ――未だに状況がつかめない。情報は少しでも欲しい。

【承知した】

 峰打ちは全力を加えれば刀身が曲がってしまうという。軽く打っただけで失神を誘うには、ギリギリまで刃を返さずに振り下ろす技術が必要となる。

 だが相手も永遠神剣持ちだ。強化された肉体に対して、軽い一撃で昏倒させられるとは思えない。全力の一撃を加えねば、失神させることは難しいだろう。全力の峰打ちを放つためには、得物の強度と硬度を極限まで強化しておく必要がある。

 少女の打ち込みに対する刀身の答える鳴き声の変化を確認するや、柳也は少女に対してコンパクトに蹴りを放った。

 剣士の得物は刀のみにあらず。古の古流剣術を学ぶ柳也にとっての武器は、手にした一刀以外にもいくらでもある。

 しかし柳也の蹴りは、少女に対して致命的な一撃を与えることなく終わった。

 少年の右足が少女の腹部に炸裂する直前、少女の前方に水の皮膜を思わせる壁が出現し、柳也の攻撃を阻んだのだ。彼の蹴りは水の壁を突き破ることには成功したが、その靴底が少女の身体に触れることは最後までなく、反撃の刃を躱すため、逆に柳也は慌てることとなった。

 再び開く両者の距離。

【マナの壁だな】

 ――マナの壁?

 再び襲いくる斬撃の嵐を受け流しながら、柳也と〈決意〉の心の対話は続いた。

【そうだ…。マナとは原始生命の力。その力には属性があり、今、その娘は青の属性……水のマナを操って、自らの身を守る盾としたのだ】

 ――なるほど。水の防壁……ウォーターシールドか。突破できるか?

【無論…】

 〈決意〉から自信に満ちた答えが返ってきた。

 現に〈決意〉の力によって強化された柳也の蹴りは、相手に届くまではしなかったものの水の壁そのものはすでに貫いている。

「期待しているぜ……と!」

 それまで受け太刀に回っていた柳也が、初めて自分から動いた。

 今までの自分では考えられぬ爆発的な初動をもって突進し、少女の剣と斬り結ぶ。身幅の広い同田貫とはいえ、細身の日本刀を駆使する上であまり褒められるべきではない用法だ。これも〈決意〉の恩恵で刀身を強化してあるからこそできる行為である。

 柳也はそのまま鍔迫り合いに持ち込むことなく、突進の勢いを殺さずに体当たりを敢行した。

 斬り結びから鍔迫り合いに持ち込むことなく奇襲の体当たりをかまし、突き飛ばした相手に必殺の第二刃を振り下ろすこの戦法は、柳也が得意とする戦い方の一つだ。

 完全な奇襲の形で成立した体当たり攻撃に、水の壁を張る余裕も与えさせない。

 突き飛ばした相手に対し、柳也は流れるような動作で、しかし豪快に、豪剣の第二撃を振り下ろす。

 少女は、今度こそ水の障壁を張り巡らして……それがいとも簡単に切り裂かれたのを見て愕然とした。

「単純な力技で申し訳ない!」

 異界の言語をもって、柳也が叫んだ。

 振り下ろす一閃の刃が、激突の瞬間くるりと反転して峰を見せる。

 柳也の一刀は、少女の眉間へと吸い込まれていった。

 直後、少女の身体がぐらりとよろめき、そのまま地面に倒れ伏した。






 全力で打ち込んだとはいえ、打点をずらした一撃だった。

 少女は軽い脳震盪に陥ったらしく、気を失っている。

 柳也は少女の頭を持ち上げると、自分の膝の上に載せて彼女の脈を測った。規則正しい正常な鼓動が、指先に伝わってくる。

 相手の生死がまずは確認できたことにほっと安堵すると同時に、初めて本気で人と真剣を斬り結んだという恐怖が、今更ながら蘇ってきた。

 ギリギリのスリルの快感の後に訪れた恐怖に、男の身体が、ぶるり、と震える。

「ははっ、情けない…」

 自嘲の笑みが唇から漏れた。

 普段の立ち会い稽古とは明らかに異質の疲労が、柳也の身にどっと押し寄せる。メダリオ、タキオス、謎の少女との連戦は、心身ともに彼を疲弊させていた。

 ふうっと、柳也は深く息をついた。

 大自然の濃い空気を大きく吸って、静かに吐き出す。

 何度か繰り返すことでようやく気の昂ぶりが治まってきた頃、ふと見上げた黒い深緑の夜空に、なにやら白い影がよぎったのを柳也は見逃さなかった。

 ――なんだ……!?

 治まりかけた気の昂ぶりが、再び鎌首をもたげて柳也の四肢に力を注がせる。全身の細胞が緊張と再び訪れた戦いに対する期待で熱を灯し出し、心臓の鼓動がこれまでにない高鳴りをみせていた。柳也は反射的に膝の上の少女から距離を取り、〈決意〉の刃を正眼に構えながら立ち上がった。

 吹き込んできたのは、一陣の突風だった。

 倒れている少女と、刀を構える柳也の両方とを視界に収められる位置に、白銀の天使が舞い降りる。気を失っている少女と同質、同型の、巨大な翼が、視界の中で美しく輝く。気を失った少女と違い、純白の翼を持った彼女は……やはり、可憐なる少女だった。

「……まさか、一日で二度も恋する羽目になろうとはな」

 呟く柳也が目を奪われるのも無理はない。

 先刻の少女と同じ、いやともすればそれ以上に美しい少女が、彼の目の前に立っていた。

 腰まで伸びた水色の髪。宝石を思わせる澄んだ青の瞳。やはり雪のように白い肌。白と青を基調としたシンプルなデザインの服は機能的で、腰から下には防寒用か、龍を思わせる意匠の刺繍が施されたマントを着用している。今度の少女は手首だけでなく、指先から肩までの全部を覆う重厚ながらも関節の駆動に適した造りの篭手……いや、もはや鎧の一部といっても過言ではないものを纏っていた。

 その右手には、槍よりも短い柄と、薙刀よりも厚く太い刀身を持った、永遠神剣が握られている。両手持ちを基本としているらしいその剣は、一見して小柄な少女には不釣合いなほど長大な姿をしていた。

 そしてその反対側の手……少女の左手には、柳也も予想外の得物が抱えられていた。

「た、高嶺!?」

 小柄な少女のどこにそんな力があるのか。すでに気を失っている様子の朋輩を抱える少女は、無表情に言い放つ。

「……クー、エノウィ、ラレーネ……ソサレク
(逃げるなら……殺す)

 またしても耳慣れない言語。

 驚きに硬直する柳也に、少女はまたも言葉を紡ぐ。

「ワ、イハーテス……テヤカ!
(敵を……倒す!)

 言い終えるとほぼ同時に、白い翼の少女が一条の閃光と化した。

 ドサッと、少女の腕から抱えられていた友人が落ちる。

「高嶺ッ!」

 全身を硬直させた柳也が、友のもとへ走るのと少女が柳也の隣をすり抜けていったのはほぼ同時だった。

 もともとの健脚を〈決意〉の力でさらに強化した柳也の全力疾走は、あっという間に朋輩の少年のもとに辿り着かせる。

 白く輝く巨大な翼を、より強く輝かせて突き進む少女の突進は、常軌を逸した速度で小柄な少女を目的の場所へと運ぶ。

 柳也が後ろを振り返った。

 白い翼の少女が、両手にした大剣を振りかぶっていた。

 振りかぶった刃の下には……無抵抗の、あの少女が倒れている。

「なっ! やめろ……!」

 柳也は腰の脇差を抜いて投げ放とうとしたが…………遅かった。

 視界を走る白い閃光。

 何かを切り裂いていく音が、妙にはっきりと聞こえた。

「グッ、グァ……」

 迫りくる死に驚いたのか、それともそのずっと前から起きていたのか、両目を見開き、驚愕に染まった少女の顔は……あまりにも、美しすぎた。

 返り血に染まり、濡れる白い少女。

 無表情に刃を振るう彼女の姿も、まるで出来の悪い映画を見ているかのように、美しすぎた。

 黒い少女の身体が、金色の粒になって霧散していく。

「マナの、霧……」

 自然の法則を……少なくとも、柳也の知る自然法則を無視したその光景を、彼は妙に納得した表情で受け入れた。自分でも不思議なほどあっさりと、その光景を受け入れることができた。

 青い髪が、青い瞳が、黒い翼が、透き通るような白い肌が、のみならず、着ている黒い服、手にした永遠神剣……少女を形作るすべての要素が、金色の輝きとなって消滅していく。

 その光景は儚く、哀れで――。

 思わず目を奪われるほど、美しかった。

 それは柳也の目の前で、ひとつの命が消えた瞬間だった。

 少女は殺人の直後とは思えぬほど自然な動作で、取り立てて今、自分の取った行動に何ら感慨を抱いていない様子で、振り返った。

 少女の水色の瞳が、柳也を見つめる。

 柳也の鋭い眼差しも、少女の白い肌を見つめる。

「……なぜ、殺した?」

 それが相手に通じないと理解していながら、柳也は言った。

「なぜ、あの娘を……」

「……」

 少女は、無表情のまま柳也達のもとへ歩み寄る。

 美しき殺人者の接近に、柳也の全身が緊張する。

 そして互いに一歩踏み出せば相手に刃が届くほどの距離まで接近して、少女はようやく口を開いた。

「キニカスング、デイハーテス、ヤァ、ヒナゾス。……スオル、ケナミエ、ミ、ウースィ
(〈存在〉が敵じゃないと言っている。……お前も連れていく)

【どうやらこの娘に敵意はないようだな】

「そう、みたいだが……」

 剣を納める少女から、敵意は窺えない。

 〈決意〉に諭されるまでもなく、柳也もそれはなんとなく感じていた。

 柳也は少し躊躇って、同田貫を鞘に納めた。一応、念のために脇差の柄に手を当て、鯉口だけ切っておく。目の前の殺人者が、いつ心変わりをするか分からない。

 ――でも、多分それはないな…。

 奇妙な確信に、柳也は囚われていた。

 青い髪。

 青い瞳。

 真っ白な翼。

 月明かりに照らされる少女の姿は、不思議な神々しささえたたえていた。

 目の前の少女は、嘘をつくような人間ではないし、つける人間でもない。なぜだかは分からなかったが、強く確信できた。

「……」

 少女は、無言で少年の隣を横切る。

 片手一本で意識を喪失している悠人を軽々と抱きかかえると、少女はついて来いとばかりに森の奥へと突き進んでいった。迷いのない歩みは、少女がこの森の地理に関して熟知していることを物語っていた。

「お、おい待てよ……」

 柳也は慌てて少女の背中に声をかけた。

 少女が、「なんだ?」という風に振り返る。

「あ、いや、その……」

 その水色の瞳に見つめられると、どこか心が痛むのはなぜだろう。まるで、何も知らない子どもに悪事を見られているような心苦しさが、柳也にバツの悪い表情をさせた。

「そ、その…なんだ……とりあえず、そいつのズボンだけなんとかさせてくれないか?」

 柳也は、おずおず、と言った。

 白い翼の少女に抱えられた朋輩は、いったいどういう経緯でそうなったのか、下半身の陰部を丸出しにしていた。






 主のいなくなった古屋敷の部屋で、漆黒の刃を持つ巨漢は呟く。

「ふっ……面白い小僧だったな」

 主のいなくなった古屋敷の部屋で、水月の双剣を握る美青年は答える。

「あなたと同じ意見だと思うと遺憾ですが、たしかに、興味深い人間ではありましたね」

 二人の……いや、そう数えるのが適切かどうかすら判然としない二つの命は、同時に頭の中にひとりの男の顔を思い浮かべる。

 桜坂柳也。

 本来ならば自分達の敗北が確定している戦いの未来を、自分達の勝利へと変えるべく時の流れに組み込んだ少年は、こんな初期の段階からタキオスらの予想を超える動きをしてくれた。

 当初そうなるはずだった未来をいとも簡単に変え、並外れた適応力でマナを受け入れたはかりか神剣すらも覚醒させた。本当ならあの第七位の永遠神剣は、『門』に飲み込まれた後、“あちら”の世界で目覚める予定だったはずなのに。

 いかに自分達と敵対する巫女の邪魔があったとはいえ、いきなり信じられぬ活躍ぶりだ。

 それに、なにより驚嘆するべきは神剣を覚醒させたばかりで発揮した、最後のあの一撃。あの威力は……。

 タキオスとメダリオは、自分達の立つ床……い草の香りなどとうに消え去った畳の上をじっと凝視する。

 日に焼けた畳に、ぽつぽつと赤い染みが広がっては、黄金の霧を噴いて消えていく。

 流れていたのは、タキオスの血だった。

 頬を横切る髪の毛ほどの細い傷口の端に、玉のような紅の雫が光っている。赤い光玉はある程度大きさを増すと、ぽたり…ぱたり……と落ちて、静かに古びた畳に染みを作っていた。

 完璧に防いだつもりだった。

 マナの希薄なこの世界では存分に力を引き出せぬ上、出力自体を抑え気味にしていたとはいえ、自分の〈絶対防御〉は格上の神剣を持つ“永遠存在”ですら容易には敗れぬ鉄壁の防御陣。それを第七位の神剣に……それも覚醒したばかりでろくに神剣の力の引き出し方も知らぬような子どもに突破されるとは。

「此度の戦い、ともすれば〈誓い〉の主よりも、あの小僧の方が重要な存在になるやもしれんな」

「〈誓い〉の主は、第二位の神剣の下僕になりうる可能性を秘めた者ですよ?」

「だが少なくとも運はある。実力も今の段階では“四神剣”の契約者の誰よりも強い」

 タキオスは反論を許さぬ口調で言い切った。

「此度の戦、あの男の使い方ひとつでガラリと化けるかもしれんぞ」

「……それにしても、なぜこのタイミングで〈決意〉が覚醒を……」

「時深さんの仕業、でしょうね」

 男達ばかりが集う部屋の中に、老女のものとも、幼女のものとも取れる女の声が響いた。

 狭い室内の空気が、激しく揺らぐ。

 住人の汗と体臭とで淀んだ空気が攪拌され、光の氾濫とともに、粛然と、ひとりの白い少女が降臨する。

 法衣を纏った幼げな容貌が、紅葉のような手でつかんだ錫杖を“しゃらん”と鳴らすと、二メートルを超す巨漢と、戦慄の美青年が染みついた動作でひざまずいた。

「私たちがあの少年に注ぎ込んだマナは、〈決意〉が“あちらの世界”で覚醒するよう予め計算して用意した量。…どこかの誰かさんが顔を傷つけられたぐらいで逆上したために、不足分を私が補う羽目になりましたが、それでもその絶対量は変わっておりません」

 法衣の少女の言葉に頷く二つの異形の命。

 見た目にもたおやかな花を思わせる可憐な少女に、タキオスも、メダリオも、ただただ平伏している。そこに目の前の年端もいかぬ少女に対する並々ならぬ畏怖の念があるのは明白だった。

「そこにおそらく時深さんが……こちら世界でも第七位の永遠神剣が十分覚醒可能な量のマナになるように、調整したのでしょう。あの坊やの体内からは、今、坊や自身のマナ以外にも、私とメダリオのマナ、それに時深さんのマナを感じますわ」

 どうやら因縁の宿敵はその時に、自らもまた〈決意〉とは別な神剣を件の少年に託したようだが、もし、時深の介入がその永遠神剣を覚醒させるための行為だとしたら、彼女らの信じる〈運命〉とはあまりにも皮肉なものだ。実際に覚醒したのは彼女が託した神剣ではなく、自分達が放った永遠神剣だったのだから。

 ――とはいえ、まだ安心できませんわね……。

 あの少年を〈誓い〉の守り手に選んだのが、はたして吉となるか凶となるか。

 “エターナル”の施した忘却術にも屈することなく、異常なまでの適応力でマナを取り込んで肉体を強化し、あまつさえ自分達の予想外のスピードで神剣を覚醒させたあの若者の行動には、今後も目を離すことができないだろう。

 さすがに〈誓い〉の守り手、〈求め〉の討ち手という立場を逆転させることはありえないだろうが、〈空虚〉程度ならば、直接〈誓い〉に手を下させずとも彼ひとりで屠るぐらいはするかもしれない。いやそればかりか、行方不明の“リュトリアム”を探し出して始末するような事態さえ考えられる。

「うふふ…」

 邪悪なる法皇は、その瞬間を想像して配下達の前で不気味に微笑む。

 愛らしい唇からこぼれる吐息は、異次元に潜む異形の風を孕んでいた。

「メダリオ……」

 幼い容姿を持つ怪物は、配下のひとりの名を呼んだ。現時点で己が保有する戦力の中でも特に有能なひとりだ。今回の作戦には、自分を含めて五名の“エターナル”が参加することになっているが、いずれも自分の飼っている私兵の中では最精鋭の実力者達ばかりである。

 〈水月の双剣〉の異名を持つ青年は、平伏したまま少女の言葉を聞いていた。

「あなたは今後もあの坊やを監視なさい」

「監視するだけでよいのですか?」

「助ける必要も、余計な手出しをする必要もありません。あたなはただ見守っていてくださいな」

「わかりました。では、ただちにサーギオスへ……」

「待て、メダリオ」

 立ち上がろうとしたメダリオを、タキオスが止めた。

 出鼻をくじかれたメダリオは、隣の男に抗議の視線を向ける。

「サーギオスに行っても無駄だ」

「……どういうことです?」

「あの小僧、本当に面白い男だ。自分で転送先を選びおった。桜坂柳也の行き先は、ラキオスだ」

 タキオスが愉快そうに言い、メダリオが静かに眉根を寄せた。

 そして幼い容貌の法皇は、いきなり変わり出した運命に不快感を露わにした。






 森の中を歩き進むこと約四時間、神剣の作用か歩き詰めにも拘わらず疲労の少ない身体を動かして、ようやく辿り着いたのは巨大な洋館だった。

 ――でっけぇ…。

 コーポ扶桑の何倍もある建物だ。外観から推察するだけでもかなりの部屋数があることが分かる。基本は木材と石造りのようだが古さは感じさせず、ごくごく最近できたものであると推測できる。その気になれば、百人ぐらい一度に収容できそう規模の施設だ。

 目の前の巨大な建物に圧倒される柳也を放っておいて、白い翼の少女はさっさか突き進む。どうやらこの洋館が、彼女の家らしい。

 ――もしかして俺は、とんでもないお嬢様と一緒に行動をしているんじゃ……。

 慌てた柳也が追い着くのを待って、少女が洋館の扉を開く。

 呼び鈴はなく、さりとて帰宅を告げる言葉も発しない。どうやら少女は、もともと寡黙な性格のようだった。

 洋館の中は、外装と違って内装には石材は使われていないようだった。洋式の板張りの床が奥へと長く続く廊下には不思議な形状の照明が設けられ、視界に映るいくつかの部屋には、明りが灯っていた。屋内の壁も、木材ばかりが使用されている。一見したところ、電気の通っている様子はない。

 家人の帰宅を戸の開く音で察したのだろうか、明りの点いている部屋のひとつから、パタパタと足音が聞こえてくる。

 狙ってやっているのか、それとも本当に正式なユニフォームなのか、現れたのは緑を基調とした変わったデザインの、メイド服の少女だった。年齢は柳也よりも一つ、二つ年上か。隣に立つ少女に、負けず劣らずの美人だった。

 ――なんてことだ。一日で三度も恋をしてしまった!

 茫然と見惚れる柳也と視線が合い、メイド服の少女が僅かに驚いた表情を浮かべる。

 そんなメイド服の少女に、白い少女は素っ気無い口調で言った。

「リュースオルマク、スノン
(今、帰ってきた)

「ただいま」とでも、言っているのだろうか。

 短く告げた言葉の中に、柳也達の説明がある様子はない。

 メイド服の少女が、柳也と白い少女、それから少女が抱えている悠人の顔を見回して、おずおずと口を開いた。

「ラスト、スサテス、ラ、テンスト、セィン、イスカ、アセリア……
(アセリア、この方々はいったい……)

「……コスネンハ
(……拾った)

 なぜか唖然とした表情を浮かべるメイド服の少女。

 柳也は、二人の少女に日本語が分からぬと気付いている上で、

「ドリームのようなワールドだ!」

と、自分達を囲む美少女らの顔を見回した。



<あとがき>

柳也「藍より蒼き〜おおぞ〜らに、おおぞ〜らに……」

タハ乱暴「たちまぁち開く〜…百千の〜」

北斗「『空の神兵』か…また懐かしい歌を持ってきたな」

柳也「いやあ、名曲だし」

タハ乱暴「主人公が軍オタで好きな音楽が軍歌とくれば、歌わせないとな」

柳也「他にも謳いたい軍歌はたくさんあるんだぜ? 『歩兵の本領』、『抜刀隊』、『軍艦行進曲』……」

タハ乱暴「アセリアという話の都合上、海軍系軍歌は歌う機会がなさそうだがな。……永遠のアセリアAnother EPISODE04、お読みいただきありがとうございました!」

北斗「今回の話でようやく柳也達が異世界に飛んだか」

柳也「ずいぶんかかったよなぁ〜。他の作家さんがさっさと終わらせるところを長々とこの男は…」

タハ乱暴「いやまぁ、たしかに序章はプレイヤーからあまり人気のない章だけどね。でも、序章をしっかり書いていたからこそ、第二章以降の人間ドラマが面白くなるわけだし。ここはちょっとしっかり書いておこうと思ってさ」

北斗「珍しく正論をほざいたな。たしかに、あの序章の和やかさがあったからこそ、第三章の悲壮な展開が活きていたわけだ」

柳也「あ〜…たしかに。太平洋戦争も、最初の頃は勝っていたからこそ、後半以降の悲惨な状況が強調されている部分あるし」

タハ乱暴「おかげで柳也については序章だけで書くべきことはほぼ書けたと思う」

北斗「そして今回の見せ場といえば永遠神剣の発動シーンだが…」

タハ乱暴「神剣の発動シーン? なにそれ?」

北斗「……何を言っているのだ、この男は?」

柳也「今回の見せ場といったら俺の『ドリームのようなワールドだ!』発言に、決まっているじゃないか!」

北斗「…貴様らは前回に引き続きまた、あのような発言を主題と言い張るか…」




とうとう異世界へ。
美姫 「物語はいよいよ大きく動き出すのかしら」
いやー、これまでも面白かったけれど、ここからの展開も楽しみだな。
美姫 「本当よね。どうなって行くのかしらね」
次回も待っています。
美姫 「待ってますね〜」
ではでは。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る