『左手に風を、右手に雷を』




「はぁ〜・・ったくよぉ・・」
 風呂上りの湿った髪をガシガシとタオルで拭きつつ、ソファーに座りドカッと足をテーブルに投げ出す。そのままテーブルの上に投げ捨ててあった紙箱からタバコを取り出して火を点ける。
「はぁ・・」
 いつもならそれなりに気分が良い筈の風呂上りの一服にも関わらず、狼の口からは紫煙混じりに嘆息がもれた。その理由は――
「狼様〜、お茶はいかかですかぁ〜」
 妙に間延びした声で尋ねてくるフィーの存在だろう。
「はぁ〜・・」
 再度深く嘆息すると、諦めた様にフィーに視線を移し――
「で、何でお前はそんな格好してやがんだ?」
 と冷め切った視線を送った。
 そんな狼の言葉に、フィーは
「? 何かおかしいですか?」
 と怪訝そうに服のすそを摘んで小首を傾げた。
 それを見て、深く深く溜め息を吐きつつ、狼は少し前に思いを馳せた。


 ――数時間前――
 またも振り出しに戻った会話に、辟易した狼が実力行使に移ろうとすると、それを遮る様に久義が口を開いた。
「ねぇ、ロー」
 その声に視線を移すと、久義はフィーにも声をかける。
「え〜っと、フィーちゃん?」
「はい?」
「フィーちゃんはローと一緒に居たいんだよね?」
 その言葉に、うんうんと大げさな位頷いて「はいっ! 居たいです!」と答えるフィー。
「・・・俺は居たくねぇっつーに」
 ぽそりと言った狼の言葉にフィーが反応するより早く、「はい、ローは黙って」と釘を刺してから続ける。
「で、ロー」
「何だ?」
 嘆息交じりに返した狼に、ニコリと笑って
「おいてあげなよ」
 と言った。
 それを聞いて『わぁ〜い』と喜ぶフィー。
「だからいらねぇってのに」
「まぁまぁ」
 煩そうに答える狼を宥め、続ける。
「ローが守天使はいらないってのはさ、守ってもらう必要がないからでしょ?」
 その言葉に、何か言いかけたフィーをリュイーが制した。久義に任せろ、と言う事らしい。
「ね、どう?」
「あぁ。それに護られんのは性にあわねぇ」
 それに頷くと、今度はフィーに尋ねる。
「フィーちゃんってさ。家事、得意?」
「え? あ、はい。苦手じゃないですけど・・」
 何でそんな事を? と言った感じで答えたフィーに、久義を満足そうに頷く。一方、狼は怪訝そうな表情を深めた。過去の付き合いから、久義がこんな表情を浮かべるときは大抵ロクでもない事を思いついた時だと知っているからだ。
「・・・久義、お前、何考えてやがるよ?」
 警戒しつつ尋ねた狼に、久義は満面の笑みで言い放った。
「って訳で、フィーちゃんにはメイドとして迅野家の家事手伝いをしてもらおー!」
 何故か腕を突き上げつつのたまった久義の言葉に、狼、フィー共にあっけに取られた表情を浮かべた。
「理由は?」
 こめかみを押さえつつ聞いた狼に、久義が『何言ってんの』とでも言わんばかりに答える。
「だってロー、家事技能壊滅的じゃないか」
「・・・おい」
「今までは僕らが手伝ってたけどさ。いつもいつもって訳にはいかないでしょ、流石に」
 その言葉に狼が言葉に詰まる。確かに、食事やらに関してはリュイーの手を煩わせているのは確かであり、久義はともかく――リュイーには手間をかけさせてしまっている。リュイー自身は『気にしないでいい』と言ってくれていたが、本来は狼の守天使と言う訳でもなし、狼にしても気にしてはいたのだ。そんな狼に追い討ちをかける様に久義の言葉は続く。
「フィーちゃんはローと一緒に居られるし、ローは苦手な家事を手伝って貰える。一石二鳥じゃない」
「ぬ・・だがな・・」
 

――現在――
 そんなやりとりでフィーが居つく事になってしまったのは、まぁ良いとしよう。狼としても、あまりリュイーの手を煩わせるのは気が引ける。そう、それはしかたない。
 だが――
「・・何でお前はメイド服なんぞ着てやがるんだ」
 そう。今のフィーはエプロンドレスにカチューシャ・・漫画から抜け出してきたメイドそのままと言った格好をしていた。元々様子が整っているから似合っていない事もない。ないのだが――
――色んな意味で何かが間違ってるだろ・・。
 胸中で呆れのこもった呟きを漏らす狼とは対照的に、フィーはと言えば
「あ、久義さんがくれたんです。カワイーですよねぇ〜」
 とその場で何故かクルリと回ってみせる程ご機嫌であった。
「・・・何でアイツはんなモン持ってんだ?」
 嘆息交じりで呟いた狼の前に、お茶の注がれた湯飲みを置きつつフィーが答える。
「前に通販で買ったって言ってましたよ〜」
 それを聞いて、狼は頭が痛くなった気がした。今更あの男の趣味をとやかく言うつもりはないし、既にして諦めているが、そんな男が友人にいる自分の不幸を一瞬嘆きたくなった。
「いや、ちょっと待て。って事はアイツ家ではリュイーにそんなカッコさせてんのか?」
 だとすればリュイーが哀れすぎる。そう思って尋ねた狼に、フィーはあっけらかんと返した。
「いえ、頼んだけど断られたって言ってました。こんなに可愛いのに何ででしょうねぇ〜」
「そうか・・」
 本気で悩んでいるフィーを前に、『お前よりは良識あるからだろ』と言おうとして、言っても無駄かと諦めた。
「・・・神よ、やっぱテメェは敵だ」
 余りのかったるさ加減に思わず狼の口からポツリと愚痴が漏れる。その一部がフィーの耳に届いていたらしく、
「あれ、狼様〜。神様に何か御用ですか〜?」
 と尋ねてきた。
「いや・・」
 気だるげにヒラヒラと手を振って答える狼の耳に――
「そうですか。だったらお呼びする必要はありませんね〜」
 と言う信じられない一言が飛び込んだ。
「ちょっと待て」
 勢い良くフィーに向き直り、声をかける。それにフィーは「はい?」とのほほんとした様子で小首を傾げる。
「今呼ぶとか言わなかったか?」
 訝しげに尋ねた狼に、「はい、言いましたけど?」とキョトンとした表情で答えるフィー。
「・・・呼べるのか?」
「はい。呼べますよ〜」
 まるで紙はハサミで切れます、と言う位平然と答えるフィーに、狼は一瞬絶句するが――
「呼べ」
 即我に返りフィーに命令を下す。
「良いですけど・・どうするんです?」
 小首を傾げ不思議そうに尋ねたフィーに対して狼は――
「取り敢えず殴る。全力かつ容赦なく」
 キッパリと断言した。
「殴る!?」
「むしろ殺す勢いでな」
「神殺し!?」
 平然と神に喧嘩を売った狼に、フィーが慌てふためく。「はわ、あわ、あぅ」と繰り返しながら、何故かピョンピョン飛び跳ねる。が、元より運動神経と言うものに恵まれていないらしい彼女がそんな事をすれば当然――
「きゃんっ」
 見事にバランスを崩し、とても見事な尻餅をついた。「いたたた・・」と涙目で打ったらしい腰をさする彼女を、狼は冷めた目で紫煙越しに眺め・・・嘆息混じりに告げた。
「見えてんぞ?」
 その言葉にフィーの表情が「え?」と言ったものに変わり、あちこちを見回し、やがてその場所に行き着いた。
 そう、捲れ上がったスカートに。
「きゃぁっ!」
 慌てて裾を押さえ、真っ赤な顔で狼に「・・見えました?」と尋ねる。
「だから言ったんだろ?」
 涙目で恥ずかしがるフィーとは対照的に、落ち着き払った狼が答えた。途端に、フィーの目にブワッと涙が浮かぶ。
「あぅあぅ・・・お嫁に行けません・・」
――神界にも嫁入りなんて概念あったのか・・。
 等と変な所に感心している狼に、フィーは上目遣いで続けた。
「・・狼様、責任とって幸せにしてくださいね?」
「断る」
「即答!?」
 見目愛らしい少女の仕草と表情の上乗せされた台詞を、狼は即断して見せた。躊躇い、逡巡一切なし。清々しい位の即答だ。フィーの目にさっきまでとは違った意味の涙が浮かび――
「狼様〜、酷いですよぉ〜」
 狼に飛びつく様に抱きついた。
 が、狼は一切動じる事無く「いや、何処が?」と尋ねた。
「そんな即答で断らなくても〜。女の子の憧れなのに〜」
「阿呆。自分の失態をハッピーエンドでカバーしようとするな」
「私の下着見えたって言ったじゃないですかぁ〜」
「だからよ、そもそもそれが自業自得だろーが」
 取り付く島もない狼の態度に、フィーは抱きついたまま「えぅ・・ぐすっ・・」と小さくしゃくり上げる。そんなフィーに狼は深く嘆息すると、タバコを灰皿に押し付け、立ち上がる。それでも抱きついて離れないフィーの首筋を掴み――
「ふにゃぁっ!」
 座っていたソファーにポスンと落とした。猫の様な鳴き声を上げたフィーをおいて、スタスタとドアに向かう。
「どこ行かれるんです、狼様〜?」
 のほほんとした表情に戻ったフィーの問いに「・・寝る」とだけ答え、スタスタと足を進める。
 リビングのドアを通り抜け、キッチンの前を通り、階段を上り自室のドアを開け――
「・・・おい」
 狼が嘆息混じりに呟いた声に、
「はい?」
 としっかり後をついてきていたフィーが小首を傾げて答えた。
「・・何でついて着てやがんだ?」
「え、だって寝るんですよね?」
「ああ・・」
 ガリガリと頭を掻きつつ答えた狼に、フィーは満面の笑みで答える。
「添い寝ですっ!」
「・・・・」
 ニコニコと笑っているフィーに、流石の狼も言葉をなくし――
  ガシッ
 首筋を掴んで持ち上げる事で言葉に代える事にした。
「にゃ?」
 変な泣き声を上げるフィーを右腕一本でぶら下げたまま、狼は自室から廊下へ。自室の向かいの部屋のドアを開けると――
  ポイッ
物でも放るように放り投げた。
「ふみゃっ」
 狼の狙った通りベッドの上に落ちたフィーは、またも猫の様な鳴き声を上げて、ベッドの上で軽くバウンドする。が、まぁ、ダメージはないだろう。あくまでスプリングの反動でバウンドしただけである。
 その様子を見届けるまでもなく、狼は踵を返した。
「あ、狼様〜?」
「リュイーが掃除してくれてるから綺麗だろ。そこ使っていいからそこで寝ろ」
「そ、添い寝は・・」
「却下だ」
 未練そうに聞いてくるフィーに素気無く答え、狼はドアを閉め、自室に戻る。そのままベッドに倒れこむと
「あ・・・ったりぃ・・」
 深い嘆息まじりに呟く。
 幸いな事に、すぐさま睡魔が襲い掛かり――
 抗う事無く狼は睡魔に身を委ねた。







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