『ニーベルングの指輪』

 序夜 ラインの黄金



                                第二幕  ヴァルハラへの入城

 地下の国。周りは厚い岩に覆われている。その岩は漆黒でそれだけで闇そのものだった。
 光は松明にヒカリゴケによるものだった。その二つが映し出すものは酷使される人々だった。
「さあ、働くのだ!」
 アルベリッヒが居丈高に働く小人達に命じていた。彼等はツルハシやシャベル、それに一輪車を手にあちこちをあくせくと動き回っていた。誰もが薄汚れた黒い作業服を着ている。
 だが一人だけ白衣の者がいた。やはり小人で背は曲がっていて顔には疣がある。白い髭を生やしていて白い髪はやや薄い。作業服ではなく黒いスーツでその上に白衣を着ているのだ。
 その彼が今ツルハシを手にしていた。そうしてそのツルハシで何かを掘っていた。
「これを掘り出して」
「そうだ、わかっているな」
 アルベリッヒはその白衣の彼のところに来て意地悪く言ってきた。
「ミーメ、貴様のやることはだ」
「わかっているさ、兄者」
 弱々しい声で彼に言うのだった。
「わしが掘り出したこんお金で」
「貴様のその技術を使ってだ」
 アルベリッヒはその手の鞭をわざと彼に見せてきていた。
「細工を作れ。いいな」
「わかってるさ。だから掘っているんだ」
「掘るのが遅いな」
「わしは作る方だからだ」
 それは白衣を見ればわかることであった。
「だから掘るのはだ」
「掘るのはニーベルングの仕事だ」
 しかしアルベリッヒはこう彼に言うのだった。
「違うか?」
「それはそうだが」
「それに先に命じた細工だが」
「まだできてはいない」
「見せてみろ」
 弟の白衣のポケットにあるのを見た。そうしてそれを取り上げてすぐに見るのだった。
 その細工を見てアルベリッヒは。不機嫌な顔で弟に言った。
「完成しているな」
「まだだよ」
 苦しい顔で兄に返す。
「まだだ。手抜かりはないかと見ておるんだよ」
「そんなものがこれの何処にある?」
 その細工を彼の目の前にわざわざ持って来て問う。
「完全に鍛えてつなぎ合わせているな」
「それは」
「これをできていないとして後は失敗したということにして」
 ミーメの魂胆を完全に見抜いていたのだった。
「自分のものにしようとしていたな」
「それは違う」
「ふん、わかっているのだ。それにこれはな」
 見ればその細工は帽子だった。金と銀に輝く不思議な帽子である。
「被れば自由に姿を消せるし姿も変えられる」
「それはその通りだが」
「それを自分のものにしようとはけしからん奴だ」
「それは誤解だ」
 事実を隠す言葉であった。
「わしはそんなことは」
「どうやら仕置きが必要なようだな」
 アルベリッヒの言葉がさらに酷薄なものになった。
「それではだ」
「なっ、消えた!?」
 アルベリッヒが帽子を被った。するとその姿が見る見るうちに消えてしまった。ミーメは消えてしまった兄の姿を見回すが何処にもなかった。
「何処だ!?何処にいるんだ?」
「わしはここだ」
「うわっ!」
 ここでミーメは吹き飛ばされた。それと共に酷く焼けるような痛みと衝撃が彼を襲う。明らかに鞭によるものだった。アルベリッヒの鞭である。
「ニーベルングの者共よ!」
 姿を消したアルベリッヒが叫ぶ。
「わしは御前達を何処からでも見ているのだ」
 そしてこう言うのだった。
「わしの姿が見えなくともわしはいる。わしの目は誤魔化せぬぞ」
「そんな、それではわし等は」
「そうだ、わしには逆らえぬ」
 ミーメの嘆きに応えた言葉だった。
「決してな。わしは常に貴様等を見張っているのだ!」
「ああ、何ということだ」
 ミーメはへたれ込み嘆き悲しむしかなかった。
「これではわし等はもう終わりだ」
「ここです」
 彼が嘆いているとそこに。二人の異邦人が来た。黒い肌の男が隻眼の男に告げていた。
「ここがニーベルハイムです」
「ここがか」
「はじめて来られたようですね」
「そうだな」
 ヴォータンはこうローゲに答えた。
「ここに来たのははじめてだ」
「そうですか。しかし」
「しかし?」
「今日は随分と騒がしいですね」
 ニーベルハイムから聞こえてくる音を聞いての言葉だ。松明の赤と苔の白に浮かび上がっている洞窟の世界は嘆きと何かを打つ音で満ちていた。
「本来は掘ったり作ったりする音ばかりなんですがね」
「こんなふうではないのか」
「ええ。あれは」
 ここでローゲはあたふたと歩いてきたミーメに気付いた。
「ミーメです」
「確かアルベリッヒの弟だったな」
「はい、そしてニーベルングきっての腕の持ち主です」
 こうヴォータンに話すのだった。
「何かを作ることでは天才ですよ」
「そこまでの男か」
「そうです。おいミーメ」
 ローゲはそのミーメに対して声をかけた。
「どうしたんだ?えらく苦しんでるな」
「何でもない」
 ミーメは苦々しい顔でローゲに答える。
「どうせあんたにも何もできないさ」
「私にもかい?」
「そうさ。だから放っておいてくれ」
 こう言うだけだった。
「わしのことはな」
「また随分とやさぐれているものだ」 
 ローゲはそんな彼の言葉を聞いて述べた。
「どうしたものだか」
「今の兄者はどうしようもない」
「アルベリッヒがか」
「そうだ。どうしようもない」
 やはり忌々しげな言葉であった。
「あいつの手にはニーベルングの指輪がある」
「ラインの黄金から作ったあれか」
「あいつは愛を断った」
「愛をか。そういえばどうやってだ」
「男でなくなってだ」
 それによってだというのだ。
「それによってだ。とはいっても女でもないがな」
「ふむ、それはまた随分と無茶をしたものだ」
 ローゲはミーメの言葉が何を意味しているのかよくわかった。そしてそれによりどうなるのかも。よくわかったのである。手の中にあるように。
「最早子を作ることもできないな」
「租してそれにより手に入れた魔力でわし等を支配しているのだ。ニーベルングの夜の軍を」
「ニーベルングの」
 それを聞いたヴォータンの顔が曇った。
「ではやはり」
「そしてわし等のような憂いなき鍛冶屋が今まで作っていた」
 ミーメの嘆きは深まる。
「女達の飾りや美しい細工も今は作れず」
「あいつの為のものばかりか」
「そうだ。あいつだけの為に働かされ」
 それが今の彼等の置かれた立場なのだった。
「この国の鉱物を全て掘らされあいつの強欲を満たさせられるのだ」
「そして御前はどうしてそこまでしょげているのだ?」
「わしも惨めなものだ」
 こう言ってまた嘆くのだった。
「姿を消せる帽子を作らさせられそしてそれで姿を消したあいつによって」
「殴られでもしたか?」
「鞭でな」
 ただ殴られただけでなかったのだ。
「あれだけは手渡したくなかったのにだ」
「御前にしては随分とヘマをしたな」
「あいつに奪われてしまった。できてそれを何処かにやろうとしたところで」
「それで御前がその帽子であいつから指輪を奪おうとしたんじゃないのか?」
 ローゲはそのままずばりと彼に言ってみせた。
「実際は」
「それは」
「まあそれは聞かないでおこう」
 あえて、であった。
「それはな」
「そうか」
「しかし。あいつには指輪だけではないのだな」
「そうだ」
 このこともはっきりと言うミーメだった。
「あの帽子もある。あれで姿を隠しそのうえ何にでも変身できるのだ」
「ふむ。では中々難しいかもな」
「わし等はもう終わりだ」
 また嘆くミーメだった。
「このまま永遠に奴の奴隷だ」
「とのことです」
 ローゲはミーメの話が終わったところでヴォータンに顔を向けて述べた。
「あの男を捕まえるのは厄介かも知れませんね」
「だが御前なら何とかなる」
 しかしヴォータンはローゲの知恵を信じていた。
「御前ならばな」
「まあそうかも知れませんね」
 そしてローゲも涼しい顔で返した。
「私なら。それでは」
「それにしてもあんた達は」
 ミーメは少し落ち着いたところでローゲ達に尋ねた。
「何者だ?一体」
「御前の友人だ。ニーベルング達を助けてやろう」
「助けるって。わし等をか」
「そうさ。さて、アルベリッヒはあちらか」
 ローゲがアルベリッヒのいる方に歩いていった。
「では行きましょう」
「そうだな」
 ヴォータンも応える。そうして洞窟の奥の方に行く。見ればアルベリッヒは相変わらず威張り散らしニーベルングの者達を虐げていた。
「さあ、もっと集めろ。それはそこだ」
 金を彼の右に集めさせていた。
「それはそこだ」
 銀は左に集めさせている。
「それでいい。細工をしたものはわしの前だ」
「は、はい」
「こちらに」
 ニーベルングの者達はガタガタと震えながらその細工や金銀を彼の周りに置いていく。
「こちらでいいのですね」
「ここに」
「そうだ。全て持って来い」
 あらためて彼等に告げるのだった。
「よいな」
「わかりました」
「それでは」
「わしはニーベルングの王だ」
 かつてもそうだったが今はそれだけではないといった言い様であった。
「そしてこの世の全ての王になる。そのわしに逆らうことはできんぞ」
「はい・・・・・・」
「そのわしに逆らう者なぞいる筈がないのだ」
「また随分と騒がしいな」
 その彼の前に二人が姿を現わした。あの二人である。
「アルベリッヒよ」
「貴様等は」
「夜の国ニーベルハイムにて近頃新しい話を聞いた」
 ヴォータンが彼に対して言う。
「この国の王アルベリッヒが新たに不思議な力を手に入れたそうだな」
「だとしたらどうするのだ?」
「それを見て楽しみたい」
 ヴォータンは不敵を装って彼に告げた。
「是非な」
「貴様等がここに来たのは何故かわかっている」
 アルベリッヒは敵意に満ちた目であった。
「わしにはすぐにわかる」
「おやおや、また随分と邪険なものだ」 
 ローゲはそんな彼の視線にあっさりと返した。
「そこまで嫌わなくてもいいだろうに」
「ではどうしてここに来たのだ?」
「私を知っていると言ったな」
 ローゲはその両手を軽やかに動かしながら仁王立ちはしてもまだ背が曲がっているアルベリッヒの前を通り過ぎるようにして歩きながら述べた。
「この私を」
「ローゲだな」
「如何にも」
 楽しそうに笑って答える。しかし顔は彼には向けてはいない。
「その通り。火の神ローゲだ」
「光の精霊におべっかを使う忌々しい奴だ」
「御前達が冷たいこの世界でうずくまっている時に私が笑顔を見せた」
 やはりアルベリッヒの顔を見ずに笑いながら歩いている。
「それで光や暖かい炎が来たのは忘れたのか?」
「以前はそうだったな」
「今もだ。考えてもみるのだ」
 その余裕に満ちた言葉が続けられる。
「私が火を与えなければ鍛冶仕事なぞできないのだぞ。その私にその態度はいただけないのではないのか?」
「しかし今はそこにいる片目の男の仲間だな」
 そんなローゲをジロリとに睨んで言うアルベリッヒだった。
「そうだな。しかし」
「しかし?」
「最早この男も恐れることはない」
 今度はヴォータンを睨んでいた。
「全くな」
「では私はここで言おう」
「聞くつもりはない」
 またローゲに敵意に満ちた目を向ける。
「全くな」
「それはまたどうしてだ?」
「御前の不実は信じるがその忠実さを信じないからだ」
 だからだというのである。
「だからわしは御前の言うことは信じないのだ」
「御前は相当な力を手に入れたのだな」
「これを見ろ」
 誇らしげな顔で自分の周りにうず高く積まれたその金銀や財宝を顎で指し示す。
「これが今のわしの力だ」
「ふむ。これはまた」
 ローゲはそれを見て少し驚いた様子を見せてみせた。
「中々のものだな」
「これだけではないぞ」
 アルベリッヒはさらに言うのだった。
「わしの力はな」
「ほう、宝はこれだけではないのか」
「このニーブルヘイムは宝があちこちにある」
 このことを誇らしげに述べるアルベリッヒだった。
「その全てがわしのものなのだぞ」
「ではこれはほんの僅かなのか」
「そうだ。まだあるのだ」
 誇らしげな言葉は続く。
「まだな」
「しかしだ。アルベリッヒよ」
 今度はローゲではなくヴォータンが出て来てアルベリッヒに言うのだった。
「御前の宝は何の役に立つのだ」
「何の役にだと?」
「そうだ。このニーベルへイムには喜びがない」
 光がないということである。
「その宝も何だというのだ?一体」
「宝を掘り出しその宝を保つにはだ」
 ここでアルベリッヒは彼なりの理由を述べてみせてきた。
「このニーベルへイムの闇が役に立つのだ」
「この闇がか」
「そうだ。この洞窟の中に積み上げているこの宝で奇蹟を起こすのだ」
 アルベリッヒのその目が爛々と輝いていた。本気である証だった。
「そう、世界をわしのものにするつもりだ」
「どのようにしてだ?」
「御前達は風がそよ吹く天界で笑い興じたり恋をしたりしているな」
「その通りだ」
 ヴォータンもそれを認める。ローゲはこの時無表情であった。
「それはな」
「しかしわしは違う」
 アルベリッヒは言葉を変えてみせてきた。
「わしは黄金の力で御前達を全て捕らえ征服してくれるのだ」
「黄金でか」
「御前達はアルプの力を侮っている」
 これはその通りだった。もっと言ってしまえば彼等は神であるが故に他の種族全てをそう見ている。もっともそれを客観的に見ている神はローゲだけだが。
 そのヴォータンに対して。アルベリッヒはさらに言うのだった。
「気をつけることだ。御前達は全てわしの奴隷になるのだ」
「よくもそこまで言えるものだな」
「夜の軍勢が攻め寄せる、やがてはな」
 これもまたアルベリッヒの野心なのだった。
「そしてニーベルングの宝が沈黙の深みから明るみに昇っていくのだ」
「それは夢に過ぎぬ」 
 ヴォータンはアルベリッヒの言葉をこう言って全否定した。
「今その夢を抱いて永遠に眠れ」
「まあヴォータン」
 ローゲがタイミングよく出て来て槍を出そうとするヴォータンを止めた。
「荒立つことはありません」
「落ち着けというのだな」
「その通りです。それでアルベリッヒよ」
「今度は何だ?」
 またローゲとアルベリッヒの話になっていく、
「御前のその仕事は確かに凄いものだ」
「それは認めるのだな」
「そうだ。御前がその宝で考えている計画が成功したならば私は御前を讃えよう」
「媚びているのか?」
「媚ではない」
 得意の話術でそれは否定する。
「月や星達はおろか燦然と輝く太陽でさえも御前に奉仕するだけになってしまうな」
「その通りだ」
「しかしだ」
 ここからローゲは言うのであった。
「その宝を積み上げるニーベルングの者達が御前に邪心を抱くことなく従う」
「それがどうしたのだ?」
「それが重要だと思うがな」
 アルベリッヒに人望や魅力がないといったことをわかっての言葉である。彼はただの狡猾で傲慢な支配者でしかなくニーベルングの者達にも内心敬愛されていないのだ。
「指輪がなくてもな」
「この指輪はわしからは離れぬ」
 ここで左手の薬指にある指輪をローゲ達に見せた。それは確かに黄金に眩く輝いている。しかしその輝きには何か得体の知れない不気味な赤もあった。
「決してな」
「そう断言できるのだな?」
「一つ言っておこう」
 不快感を露わにさせた顔でローゲに言ってきた。
「御前は自分が一番策略に富み他の者は全て愚かだと思っているな」
「それは買い被りだがね」
 肩を竦めさせてみせての言葉だった。
「私でもそこまでは思っていないさ」
「それでその知恵を働かせてわしを陥れようとしているな」
「また随分と疑い深いな。わかっていたが」
「だからだ」
 ここでまた言うアルベリッヒだった。
「わしは考えたのだ」
「そうしてどうしたというのだ?」
「これを見るのだ」
 言いながら出してそのうえで神々に見せたものは金と銀のあの帽子であった。縁のないその帽子を彼等の前に突き出してみせるのだった。
「これをな」
「中々見事な帽子だな」
「これは我が弟ミーメに作らせたものだ」
 ローゲがこのことを知らないと思っているのである。
「我がニーベルング族の中で最も細工の巧みなあいつにな」
「それでか」
「そうだ。これを使えばだ」
 彼はさらに言う。
「己の姿を思うがままに変えることができるのだ」
「それはまた凄いことだな」
 ローゲはまた驚いてみせるのだった。
「そんなものを手に入れたのか」
「そうだ。わしを探そうともその姿は見えない」
 まずはこのことを告げる。
「わしの方では人目にかからず何処にでもいられる。だからわしは最早何も恐れぬ」
「ふむ」
 ここまで聞いてわざと顎に右手をやって考える素振りをみせるローゲだった。
 そうしてそのうえで。彼はまた言った。
「わしは多くのものを見聞きしてきたがそんなことはまだ見たことがない」
「ないというのか」
「そうだ。だから信じられないな」
 密かにアルベリッヒを挑発しているが必死に強気に出ている彼には気付かないことだった。
「そんなことはな」
「わしの言うことを信じないというのか?」
「若しだ」
 またしても挑発を言葉の中に潜ませてきた。
「それが本当なら御前の力は永遠のものになるのだがな」
「わしは嘘はつかん」
 アルベリッヒは挑発に乗ってしまった。彼も気付かないうちに。
「貴様やヴォータンとは違うからな」
「この目で見ない限りは信じるわけにはいかない」
 ローゲはさらに挑発を隠してみせていた。
「この目で見ないとな」
「言ったな」
 アルベリッヒは最早引かなかった。
「では死ぬ程羨ましがらせてやるぞ」
「では私をそうさせてみるのだな」
 ローゲはまた挑発してみせた。
「羨ましがらせるなり恐れさせるのもな」
「よし。それではだ」
 アルベリッヒは遂に乗った。完全に。
 そうして帽子を被り。言うのだった。
「見よ、この姿」
「むっ!?」
「この大蛇の姿をな」
 言うなりすぐにとてつもなく巨大な大蛇に変わってみせるのだった。大蛇はまさに洞窟の中を完全に覆ってしまわんばかりだった。その姿で彼等の前に出たのだった。
「どうだ?」
「うわっ、これは」
 ローゲもこれには驚いた顔をした。するように見せた。
「何ということだ。わかった、わかった」
「わかったな」
「そうだ、わかった」
 両手を前に出してその掌をしきりに振ってそれを認めるのだった。
「よくもそんな姿に変わったものだ」
「これでわかったな」
「ああ、信じよう」
 そしてこのことは認めた。もっとも認めただけではないが。
「それはな。それではだ」
「まだ何かあるのか?」
「大きいものにはなれるのだな」
 いよいよ策略を仕掛けるローゲだった。
「大きいものにはな」
「何が言いたい?」
 大蛇のアルベリッヒはそれに問うた。ローゲの今の言葉に。
「小さなものにはなれるのか?」
「小さなものにか」
「そうだ。抜け目なく危険を逃れることこそが最も賢いことだ」
 こう言ってアルベリッヒをそそのかしていく。
「それがまた非常に難しいのだがな」
「難しいと思うのは御前が馬鹿だからだ」
 アルベリッヒはローゲの驚いた仕草にもう有頂天になっていた。
「そのようなことはな」
「できるのか?」
「できる」
 彼は蛇の姿で豪語してみせた。
「どんな小さなものにも変わってみせるぞ」
「それではだ」
 ローゲは内心ほくそ笑みながらまたアルベリッヒに対して告げた。
「ごく小さな隙間にもヒキガエルなら逃げ込めるな」
「容易いことだ」
 彼は有頂天になってローゲに告げた。
「そら、見てみるのだ」
「おおっ」
 実際にヒキガエルになってみせるのだった。そこでさらに言おうとするがだった。
「ヴォータン!」
「うむ!」
 ここで二人は顔を見合わせて頷き合うのだった。
「今です。あのヒキガエルを!」
「わかっている!」
 すぐにそのヒキガエルを踏みつけてしまったヴォータンだった。ローゲも駆け寄りそのうえでそのヒキガエルの頭から帽子を取った。それによりヒキガエルは元のアルベリッヒの姿に戻ってしまったのだった。
「くそっ、しまった!」
「よし、これでいい」
 ローゲは早速そのアルベリッヒを完全に縛り上げてしまった。自分で出した炎の縄で。
「後は山の頂上に戻りましょう」
「うむ」
 ヴォータンはローゲの言葉に頷く。そうしてそのうえで二人で山に戻るのだった。
 山に戻るとローゲはすぐに。縛ってあるアルベリッヒに対して言うのだった。
「さあ、ここだ」
「ここは確か」
「そうだ。御前が何時か手に入れようと言ったその世界だ」
 上にはあの城が見える。それも指し示しながらアルベリッヒに言うのだった。
「ここがな」
「くっ・・・・・・」
「私を何処に閉じ込めるつもりだった?」
 アルベリッヒを見下ろしながら問うた。
「何処にだ?それで」
「覚えていろよ」
 アルベリッヒは怒りと憎しみに満ちた目でローゲだけでなくヴォータンも睨みすえていた。
「わしにこの仕打ち。決して忘れんぞ」
「勝手にそう考えているといい」
 ヴォータンもまた彼に対して冷酷に告げる。
「それよりもだ」
「何だ?」
「御前はやらなくてはならないことがある」
 こう告げるのだった。
「これからな」
「やらなくてはならないこととは何だ?」
「身代金を払え」
 これが彼のやらなくてはならないことだった。
「早くな。放してもらいたければだ」
「わしはペテンにかかった」
 アルベリッヒは項垂れ憎々しげに呟いた。
「この様な失策を犯すとは」
「復讐したいのなら好きにしろ」
 ローゲも冷たく彼に告げる。
「しかしそれは自由になってからだ」
「自由だと?」
「それが欲しければ身代金を支払うことだ」
「それをか」
「そうだ。自由な者は縛られている者を恐れたりはしない」
 これは事実だった。しかも厳然たる。
「若しそうしたければ早く支払うのだな」
「では何が欲しい」
「まずは御前が集めたあの宝全てだ」
 ヴォータンは最初にそれを示した。
「そして」
「まだあるというのか?」
「御前のその帽子だ」
「これもだというのか?」
「勿論帽子もだ」
 ローゲもそれも取り上げようというのだった。
「それも頂いておこう」
「くそっ、これだけはだ」
「早く差し出すのだ」
「・・・・・・わかった」
 忌々しげだが頷くしかないアルベリッヒだった。
「それではだ。まずはこの炎の縄を解いてくれ」
「宝の引渡しが全て済んでからだ」 
 そんなことは最初から見抜いていたヴォータンだった。
「逃げない為にな」
「わかった。では見るがいい」
 丁度ここで地下からニーベルング達が出て来た。そうしてその宝を次々と神々の側にうず高く積んでいくのであった。アルベリヒはそれを見てもやはり忌々しげな顔であった。
「奴隷達にこのような姿を見られるとはな」
 彼にはそれが我慢ならなかったのである。
「こちらを見るな。早く積んでしまえ」
 こう言っている間に宝は全て積まれた。アルベリッヒは帽子も取られ項垂れるばかりだった。ローゲはここでヴォータンに対して問うのであった。
「これで終わりにしますか?」
「いや」
 だがヴォータンはその問いには首を横に振った。
「まだだ」124
「といいますと?」
「その指輪も貰おう」
「何だとっ!?」
「それも当然宝のうちだ」
「これだけは駄目だ」
 流石にこれには激しく抵抗を見せるアルベリッヒだった。
「何としてもな。これだけはだ」
「いいや、渡してもらう」
「命はどうともこれだけは嫌だ」
 やはりどうしても渡そうとはしないのだった。
「絶対にだ。これだけはだ」
「御前の命になぞ興味はない」
 これは本当のことであった。
「だが指輪は貰う」
「命や身体が助かるのなら指輪もだ」
 やはり引き渡そうとしないアルベリッヒだった。
「これだけはわしのものだ」
「その指輪は御前のものではない」
 ヴォータンはそのアルベリッヒの否定をさらに否定してみせた。
「それは誰のものだ?」
「誰のものだと?」
「そうだ。本来は誰のものだ」
 彼が問うのはそのことだった。
「誰から奪ったのだ?それは」
「くっ、これは」
「そうだな。ラインの乙女達から川底で奪ったものだ」
 このことを今アルベリッヒにあえて言うのであった。
「その悪行を忘れたとは言わせんぞ。決してな」
「おのれ、それでもだ」
「あの娘達が御前にやるとは言っていないな」
 このことを告げ続けるヴォータンだった。
「そうだな」
「わしはこの為に愛を捨てたのだ」
 アルベリッヒにとってもこれは譲れないところであった。
「それでどうして渡すことができるというのだ」
「どうしてもというのだな」
「そうだ」
 またはっきりと告げたヴォータンだった。
「必ずな」
「泥棒は御前達だ」
 また忌々しげにヴォータン達を見上げての言葉だ。
「この指輪はわしのものだ。それを奪うなら誰であろうと許さん」
「御前の許しを得るつもりはない」
 縛られている彼はやはり恐れられはしないのだった。
「勝手にしろ。それではな」
「おのれ!」
 ここで遂にアルベリッヒの腕からその指輪を奪い取ってしまった。アルベリッヒはそこから呪詛の言葉をあげた。ヴォータン達を睨み据えながら。
「覚えていろ。傲慢な神々よ!」
「これが権力の源だな」
 ヴォータンは早速その指輪を右手に持ちながら見据えた。
「私が持つべきものだ」
「それでヴォータン」
 ローゲがここで彼に声をかけてきた。
「こいつを放しますか?」
「そうだな」
 もう何の興味もないといった口調だった。
「放してやれ」
「はい、それでは」
 ローゲはここで右手の指を鳴らす。するとそれでローゲが操っていたその炎の縄は消えた。アルベリッヒはこれでようやく自由になれたのであった。
 アルベリッヒは自由になったがそれでも憎しみを忘れてはいなかった。その憎悪に燃えた目でヴォータン達を睨み、そのうえで言うのだった。
「呪われろ!」
 こう言った。
「その指輪には最早権勢を与えるだけではなくなったのだ」
「権勢だけというのか?」
「そうだ。誰もそれを得たいと思うが得たならば破滅が訪れる」
 こうヴォータン達にも言うのだった。
「わし以外の。そしてあの女達だけはそれを逃れられる」
「本来の持ち主だからな」 
 ローゲにはわかる理屈だった。
「それは当然だな」
「しかし他の者は違う。指輪は必ずわしの下に戻る」
 彼は言い続ける。
「しかしそれ以外の指輪の持ち主はその奴隷となり苦しみ抜いて死ぬ」
「苦しむか」
「そうだ。それがその指輪にわしが今かけた呪いだ」
 それだというのである。
「わしの呪いからは誰も逃れられん、そのことを覚えておくことだ」
 こう言い捨てて姿を消すのだった。ローゲはその言葉を聞き終えてからヴォータンに顔を向けて告げた。一応は冷静を保っているが心中は穏やかではなかった。
「あの男の戯言を聞かれましたか?」
「勝手に言わせておけ」
 こうは言うがそれでも内心穏やかではないヴォータンだった。
「勝手にな」
「ああ、丁度いい時に」
 ここでまた声をあげるローゲだった。
「巨人達がフライアと共に戻ってきましたよ」
「神々もだな」
「はい。それでは話の再開ですね」
「うむ、そうだな」
 こうしてまた話になる。神々はヴォータン達のところに集まってそうしてそのうえで彼等に対して問うのであった。
「それで朗報は」
「ええ、こちらに」
 ローゲがフリッカに答えそのうえでアルベリッヒの宝を全て見せるのだった。
「ありますよ」
「そうですか。それではフライアは」
「いいことだ」
 フローはその宝とローゲの言葉で顔を穏やかにさせた。
「これでフライアが戻って来るのだから」
「そうだな」
 ドンナーも穏やかな笑顔で彼の言葉に頷く。
「全ての喜びがな。戻って来るのだ」
「ではフライア」
 フリッカが向こう側に囚われたままのフライアに対して声をかける。
「さあ。早くこちらへ」
「へえ、姉様」
 フライアもそちらに向かおうとする。だがそれはファゾルトが止めるのだった。
「待て」
「待てだと!?」
「何故だ!?」
 ドンナーとフローが今の彼の言葉に眉を顰めさせた。
「まだ離さないというのか!?」
「約束を違えるというのならだ」
「まだ身代金は支払っておらん」
 彼が言うのはこのことだった。
「全てはそれからだ」
「それはこれだ」
 ヴォータンがその宝を彼に指し示した。
「さあ、持って行くがいい」
「そうか。それではだ」 
 ファゾルトはそれを聞いてまた述べた。
「フライアを忘れようとさせるのならばだ」
「何だ?」
「このうるわしい花の様な姿がわしの目に見えなくなるだけの宝を積み上げてもらおう」
「ではそれだけのものを作れ」
 ヴォータンは忌々しげな口調でそれに返した。
「フライアの身体の大きさの枡をだ」
「うむ、わかった」
「それではだ」
 ファフナーも出てフライアの左右に杭を立てる。丁度彼女の高さだった。
「それではここにだ」
「宝を積み上げてフライアの姿を完全に消してもらう」
 二人は神々に対して告げてみせた。
「それだけの宝で満足しよう」
「それでいい」
「早くやってしまえ」
 ヴォータンは忌々しげにローゲに告げた。
「見るのも不快だ」
「わかりました。ではフロー」
「私か」
「悪いが手伝ってくれ」
 こう彼に頼むだった。
「少しばかりな」
「わかった。それではな」
「ああ」
「可哀想なフライア」
 フリッカは恥ずかしそうに立つ妹を見て嘆くのだった。
「それもこれも貴方が」
「また私だというのか」
「そうではないのですか!?」
 こう言って夫を責めるのだった。
「全ては」
「言いたいならば言え」
 夫も開き直るのだった。
「これで話が終わる」
「何ならわしの力を測らせてやろうか」
 ドンナーはフライアの悲しい顔に我慢できなくなりその右手の鎚を再び巨人達に見せてきた。
「それだけフライアを測りたいのならな」
「何っ!?」
「何だと!?」
 巨人達もドンナーの言葉に敵意を露わにさせる。ドンナーは巨人族にとって怨敵なのだ。数多くの巨人の勇者達が彼に倒されているからだ。
「同胞達の仇が」
「今ここでもそのミョッルニルを振るうのか」
「貴様等が望むとあらばな」
 実際に今まさに放たんとさえしていた。
「何時でもな」
「ならばだ。我等もだ」
「貴様を今ここで」
「止めよ」
 しかしここでヴォータンが両者の間に入った。ローゲとフローはようやくその宝でフライアの姿を消そうとしてしまっていた。
「フライアは隠れた。これでいいな」
「もう宝はない」
 ローゲもここで巨人達に告げる。
「これで丁度だ」
「いや、まだだ」
 だがファフナーが文句をつけてきたのだった。
「フライアの髪の毛が見えているではないか」
「何っ!?」
 見ればその通りだった。確かにその豊かな金髪の上の部分が見えている。しかしローゲはそれを見て顔を顰めさせて告げたのであった。
「こんなものいいだろうが」
「よくはない」
 しかしファフナーはこう言って聞かない。
「約束は約束だ」
「では何を乗せろというのだ?」
「それだ」
 丁度ローゲが持っていたその帽子を指差したのだった。
「その帽子を乗せろ」
「これもか」
「そうだ、それもだ」
 ファフナーはこう言って聞かないのだった。
「いいな、早く乗せろ」
「何という欲の深い奴等だ」
 これには流石に不快感を露わにさせるローゲだった。
「これまで持って行くとはな」
「何度も言おうか?約束だ」
「その通りだ」
 ファフナーだけでなくファゾルトも言ってきた。
「早く引き渡してもらおう」
「いいか」
「ではいいだろう」
 ヴォータンもまた忌々しげながら頷くのだった。
「それもな。やってしまおう」
「わかりました。それでは」
 ローゲは舌打ちしながらもその帽子を置いたのだった。そうしてそのうえで不快感に満ちたその顔で巨人達に対して言うのだった。
「さあ、これでいいな」
「これで終わりか」
 ファゾルトは少し残念そうに述べた。
「フライアは見えなくなった」
「まあこれだけの宝があればな」
 ファフナーがその横で言った。
「満足してもいいか」
「これで手放すのか」
 弟にそう言われてもそれでも彼はまだ未練を見せていた。
「これで・・・・・・むっ!?」
「どうした兄者」
「そこからフライアの目が見える」
 微かに開いていたそのフライアの目を見ての言葉だった。その湖の色の瞳をだ。
「あれが見える。やはりここは」
「一つ言っておく」
 ファフナーは兄の言葉に呆れながら神々に告げた。
「あの隙間を防ぐべきだ」
「もうないと言ったぞ」
 また言うローゲだった。
「見ろ、実際にもう何もない」
「いや、まだある」
 しかしファゾルトがこう主張するのだった。
「まだあるではないか」
「何処にあるというのだ!?」
 ローゲは顔をこれでもかという程顰めさせて言い返した。
「そんなものが何処にだ?」
「それだ」
 ファフナーがここで指差したものは。
 ヴォータンの左手であった。見ればその薬指にそれがあった。
「その黄金の指輪だ。それで隙間を塞ぐのだ」
「この指輪をだと!?」
「そうだ、それをだ」
 ファフナーは主張する。
「早く手渡してもらおう」
「さもなければフライアをわしにだ」
「おい、一つ言っておこう」
 ローゲが前に一歩出て巨人達に告げてきた。
「この指輪は本来は御前達のものじゃない」
「では誰のものだというのだ?」
「ラインの乙女達のものだ」
 それだというのである。
「彼女達に返されるものなのだ」
「誰によってだ?それは」
「ヴォータンによってだ」
 わざと神々の主の名前を出してみせたのも計算によるものだ。
「だからだ。御前達に入る余地はないのだ」
「待て」
 しかしここでそのヴォータンがローゲに対して言ってきたのだった。
「何時そんなことを言った?」
「何と!?」
「私が何時あの娘達に返すと言ったのだ」
 ヴォータンはこう言うのであった。
「そんなことは言っていないぞ」
「いえ、それは」
「私が苦心して手に入れたこれは私が持っておく」
 それが彼の考えだったのだ。
「だからだ。これは巨人達にも渡さぬしあの娘達にも渡さん」
「しかしそれではです」
 ローゲはそれに対して主張するのだった。
「私が乙女達にした約束が」
「どうなるというのだ?それが」
「反故になってしまいます。それでは契約が」
「それは御前のことだ」
 ヴォータンはすげなく彼に返すだけであった。
「私を拘束するものではない。この指輪はあくまで私のものだ」
「だが」
 しかしここでファフナーがまた言ってきたのだった。
「フライアの身請けの為にそれを差し出すのだ」
「何でも言え」
 だがヴォータンも引かない。
「御前達の欲しいものをな」
「何っ!?」
「何でも渡す」
 彼はこう言うのだった。
「しかし指輪は渡さん。この指輪はな」
「では話はこれで終わりだ」
 ファゾルトは今のヴォータンの言葉に苛立たしさを露わにさせて返した。
「フライアは連れて行くぞ。元の話通りにな」
「そんな・・・・・・」
 それを聞いて蒼白になったのはまずはフライアだった。
「助からないの?私は」
「あなた、そんなことをしたら」
 フリッカも妹と同じ顔になって夫に告げる。
「フライアが」
「そうだ、ここは」
「指輪を引き渡しても」
 ドンナーとフローも言い合う。
「フライアを助けるべきだ」
「その通りだ」
「いや、ならん」
 しかしローゲは彼等の言葉も聞こうとはしなかった。
「これは私のものだ。絶対にな」
「ではそれではフライアは」 
 フリッカはあくまで妹のことを考えていた。
「このまま」
「だが指輪はだ」
 ヴォータンはそれにあくまでこだわっていた。
「渡さぬ、この力もな」
「待つのです」
「!?」
「この声は」
 突如としてここで女の声が聞こえてきた。誰もがその声がした方に顔を向けた。
 するとそこに理知的な美貌を見せる緑の目の女がいた。髪も緑であり長いドレスを着ている。そのドレスも緑であり全てを緑に包まれた女であった。
「貴女か」
「久し振りですね、ローゲ」
「ええ、確かに」
 ローゲは彼女と話をするのだった。
「お元気そうで何よりです」
「はい。ヴォータンよ」
 女はローゲとのやり取りからヴォータンに顔を向けるのだった。
「避けるのです」
「避ける!?」
「そうです。指輪の呪いから避けるのです」
 彼女はこう彼に告げるのだった。
「その指輪を手に入れる時は貴方の身には救いもなく」
「救いもか」
「そう。そして」
 女の言葉は続く。
「暗き破滅に身を滅ぼすでしょう」
「警告する女よ」
 ヴォータンはその彼女に顔を向けて問うた。
「御前は何者だ」
「私は過去を知り未来をわかっている者」
「ノルン達か!?」
「いや、違うようだ」
 フローがいぶかしむドンナーに答えた。
「彼女達は常に三人でいるからな」
「そうか。では違うな」
「うむ、間違いない」
「私の名はエルダ」
 女はここで名乗った。
「とこしえの世の太初の波です」
「とこしえの!?」
「波だというのか」
「智恵を司る女神」
 また名乗るのだった。
「この世のはじめに創造された三人の娘達は」
「ノルン達のことだな」
「そうだな」
 ドンナーもフローもここでわかったのだった。
「間違いない」
「あの娘達のことだ」
「それは我が娘達」
「何とっ」
 フリッカもそれを聞いて驚きの声をあげた。
「あの娘達は貴女の」
「そうです。かつての我が夫との間に生まれた娘達」
 彼女はまた言った。
「この世の最初に私と共に生まれたその夫と」
「それは一体」
「誰なのだ?」
 巨人達もいぶかしむ。当然神々もだ。しかしローゲはその中で一人涼しい顔をしていた。そして何処か親しげな顔でエルダを見ているのであった。
「私の目に映る全てのものはこのノルン達から夜毎に告げられるものです」
「それを知るのは二人だけなのですよ」
「そうです」
 エルダはローゲの言葉にも応えた。
「二人だけなのです。それは」
「ではもう一人は誰だ?」
 ヴォータンは怪訝な顔でローゲに尋ねた。
「それは」
「そのもう一人はエルダよりはずっと見えないようですが」
 何故かこう述べるローゲだった。
「しかし知恵はそこから出て来るかも知れませんね」
「知恵が、か」
「まあそれはどうでもいいことです」
 やはりそれについては言おうとはしないローゲだった。
「エルダのお話ではありませんから」
「そうだな」
 ヴォータンもローゲが何かを知っていることは察していたがそれと共に何も言わないこともわかっていたのであえて問わないのだった。
「それでエルダよ」
「はい」
「ここに来た理由はだ」
「その娘達が私に告げたことを貴方に知らせる為に」
 その為だというのだ。
「貴方の危機を救う為に」
「私の危機をか」
「そうです」
 また言うエルダだった。
「若しその指輪を持ったままだと」
「どうなるのだ?」
「呪いにより」
 そのニーベルングの呪いであった。
「貴方は幽暗の中に陥り滅んでしまうでしょう」
「滅ぶのか、私が」
「はい。ですから」
 指輪を離せというのだった。
「何があろうとも。それでは」
 ここまで離して姿を消すエルダだった。エルダが姿を消し誰もが怪訝な顔になっていた。ただ一人赤い服の男だけが納得した顔で頷いていた。
「エルダ、やはりわかっているか」
「それではやはり」
「その指輪は」
 そんな彼に気付かず神々は怪訝な顔になっていた。
「手放すべきか」
「あのエルダの言葉に従って」
「我等の為にもですね」
 ドンナーとフローだけではなくフリッカも言うのだった。
「そうだ。神々の為にもだ」
「指輪を手放し」
「元々惜しくはありませんし」
「よし」
 ドンナーが他の二人の言葉を纏めた。そうして巨人達に顔を向けて告げた。
「巨人達よ」
「何だ?」
「決めたのか?」
「あの黄金は御前達のものだ」
 こう彼等に言うのである。
「それでいいな」
「そうして、御願いだから」
 当のフライアもそれを願ってきた。
「私はそれで」
「わかった」
 ここで遂に頷くヴォータンだった。
「この指輪を手放そう」
「そうして下さい」 
 フリッカもここぞとばかりに夫に告げた。
「それでフライアは」
「フライア、こちらに戻るのだ」
「はい」
 それを聞いてやっと笑顔になったフライアだった。
「それでは」
「青春は買い戻され我々のところへ戻って来る」
 ヴォータンは言った。
「さあ、だから指輪をだ」
「うむ、わかった」
「それではな」
「これで終わりだ」
 ヴォータンは右手でその左の薬指の指輪を抜いた。そうしてそれを隙間に置いた。フライアはそれと共に離れ姉のところへ駆け寄る。彼女はその妹を強く抱き締めそのうえで安堵の息を漏らすのだった。
「今まで大変だったわね」
「ええ。けれどこれで」
 彼女達は救われたのだった。そして巨人達はその間に宝物を収めようとしていた。ファフナーは早速袋を取り出してそこに宝を入れていく。
 しかし袋は一つだ。それを見てファゾルトが抗議する。
「おい、待て」
「何だ?」
「わしの分もあるのだな」
「あることはある」
 憮然とした顔で兄に告げるのだった。
「しかしだ」
「何だ?」
「あんたの袋はない」
 実に冷たい声であった。
「そんなものはない」
「何だと!?公平に分けるべきだ」
「知るか、そんなことだ」
 またしても冷たく返す弟だった。
「わしはわしの取り分を貰う」
「取り分だと!?」
「そうだ。女に惚れたな」
「フライアにか」
「そうだ。じゃああんたは女がよかったんだ」
 こう兄に言うのだった。
「何とか黄金と取替えさせたが」
「それがどうかしたのか?」
「フライアが手に入ったらフライアはあんたばかりのものになっていたな」
 そのことをわかっていたのである。彼も。
「だから宝はわしが多くを貰う。それでいいな」
「何と言うことだ、そんなことを言うのか」
「そうだ、宝はわしが多く貰う」
 こう言って引かない。ファゾルトはそれを聞いてたまりかね神々に顔を向けて言うのだった。
「これについてどう思うか」
「どう思うかか」
 彼に応えたのはローゲであった。
「我々に何を求めているのだ?」
「裁決を頼む」
 彼が求めているのはやはりそれであった。
「あんた達にだ。正義に従って公平に裁決してくれ」
「それではだ」
 ローゲはそれを受けて裁決をするのだった。
「宝の殆どはファフナーでだ」
「うむ」
 ファフナーがそれに頷く。
「指輪はファゾルトだ。それでいいな」
「指輪はわしか」
「それで権勢は御前のものだ」
 あえて呪いのことは言わないのだった。
「それでな」
「よし、ではわしはそれを貰おう」
 ファゾルトも権勢と聞いてそれで頷くのだった。そうして指輪に手をやる。
「それではだ」
「待て、それはわしのものだ」
「何だと!?」
「気が変わった。他の宝はあんたにやる」
 ファフナーもまた指輪を見てそれに魅せられたようであった。
「そして権勢はわしだ。それでいいな」
「何っ!?最早宝なぞいらん」
 ファゾルトはローゲの言葉をたてに主張する。
「そんなものはな。それよりも指輪だ」
「まだ言うのか。指輪はわしのものだ」
「わしのものだ!」
「何を!」
 二人は早速争いに入った。共に地を割らんばかりに暴れるがファゾルトがバランスを崩したその時だった。黄金の束の一つを掴んだ弟が兄の頭を打った。
「うぐっ・・・・・・」
「銀もくれてやる!」
 今度は銀を掴んでそれで殴った。しかも何度もだ。これでファゾルトは倒れ目の光を消してしまった。ファフナーはその兄が死んだのを見ると忌々しげにこう言い捨てた。
「さっさと納得していればそんなことにはならなかったんだ」
 そして袋に宝を全て入れてそのうえで立ち去るのだった。ローゲはその彼の後姿を見てそのうえでヴォータンに対して言うのだった。
「あいつもです」
「滅びるというのだな」
「兄と同じ末路を迎えます」
 冷たい声でヴォータンに告げていた。
「やがては」
「それが指輪の呪いなのだな」
「そうです。それよりもヴォータン」
 ここであらためて彼に述べてみせた。
「貴方の幸福はそれよりも大きいものです」
「大きいとは?」
「指輪を手に入れることにより多くの利益を得て」
 まずはその権勢のことを話すのだった。
「指輪を取られてはまたそれ以上の得をする」
「取られてなのか」
「そうです。貴方の敵達は」
 その横たわるファゾルトの亡骸を指差す。彼は仰向けに倒れ死者の顔を見せているだけだ。
「あのようにして滅んでいくのです」
「あのようにか」
「はい」
 ここでローゲが右手の人差し指と親指を打ち合わせる。するとそれにより炎が起こり巨人の亡骸を包み込む。そうして彼を葬るのであった。
「一人でに」
「しかしだ」
 だがヴォータンの顔は晴れやかではなかった。
「不安に苛まれている」
「不安に?」
「憂慮と懸念が心を捉える。それをどうするべきか」
「ふむ。それならです」
 ローゲはここでまた彼に助言をするのだった。
「先程の女神ですが」
「エルダか」
「彼女に会われるといいでしょう」
 このことを勧めるのであった。
「そうすればどうするべきか教えてくれるでしょう」
「そうか。それではな」
「ではヴォータンよ」
 ローゲはこのことを進めてからまた彼に声をかけた。
「あとは城に入りましょう」
「あの城にか」
「そうです、主を暖かく迎えようとしているあの城に」
 天に浮かぶその城を指差しての言葉であった。
「あの城に入りましょう」
「うむ」
 ヴォータンもここでは彼の言葉に頷くのだった。
「不吉な、そして多くのものを支払ったがな」
「どうも空気が悪い」
 ドンナーがここで出て来て述べた。
「うっとうしいもやが辺りを生めて憂鬱な感じがする」
「確かに」
 フローもそれに頷く。
「どうにも。これは」
「よし、ここはだ」
 ドンナーは意を決した顔で言うのであった。
「蒼白い雲を集めてそのうえで雷光雷を起こし」
「天を清めるのだな」
「そうする。それではだ」
 早速その鎚を高々と掲げるのであった。
「雲よ霞よここに集まれ」
 そしてこう言った。
「御前達の主ドンナーが呼んでいるのだ。鎚を振り上げたならばここに集まれ」
 それと共に今雷達がその鎚に集まり空を清めた。最早晴れ渡りもやはなくなっていた。ドンナーはそれを見届けてからフローに対して言うのだった。
「それではだ」
「うむ」
 フローもそれに応えて頷く。
「それではな」
「次は私だな」
「虹を頼む」
 ドンナーが言うのはこのことだった。
「どうかな」
「わかった。それではだ」
 彼が剣を抜きそれを一閃させるとだった。虹が出てそれが橋となって城にかかった。山と城がそれにより結ばれたのであった。
「さあ、この橋を渡り城に入りましょう」
「それではだ」
 ヴォータンは前に一歩踏み出しそのうえでフリッカに声をかけてきた。
「妻よ、ヴァルハラに入るぞ」
「ヴァルハラとは?」
「この城の名だ」
 こう妻に話すのだった。
「今私が名付けたのだ」
「聞いたことのない名前ですが」
 フリッカもそれを聞いても首を傾げるばかりであった。
「それは一体」
「恐怖を克服した我が勇気の名付けた名だ」
 こう妻に話すのであった。
「城が勝利のうちにながらえればだ」
「はい」
「その意味はそなたにもわかるだろう」
「そうですね」
 妻もそれに頷くのだった。
「それでは」
「さあ神々よ」
 ヴォータンは今度は他の神々にも声をかけた。
「今こそ虹に入りだ」
「はい、それでは」
「入りましょう」
「あの城に」
 フライアやドンナー、フリッカはそれに頷いた。そうしてそのうえで虹に向かう。だがここでローゲは一人呟いていた。
「ふむ」
 まずは一呼吸置いた。
「これはいかんな」
 安堵している神々を見ながらの言葉であった。
「彼等は自分達の存続を疑ってはいない。そう」
 ここでヴォータンを見る。
「ヴォータンだけはな。しかしそのヴォータンも逃れられないだろう」
 こう言うのであった。
「自ら終焉へと向かっている。行動を共にするのは恥とすら思える」
 そして次は自らのことを思うのだった。
「私も原初のあの燃え盛る炎に戻るとするか」
 この考えを抱くのであった。
「彼等を愛そうとも思ったがやはり無理か。長く生きているとそれだけ見えるものもある」
 彼等より長く生きている、彼ともう一人だけが知っていることであった。
「神々であろうと見えないのでは滅びる他ない。私をこのように従えていた。しかしそれも終わりにして炎に戻り新しい時代の者達を見守るのもいい」
 こんなことを考えているとだった。河の方から声がしてきた。
「ラインの黄金よ」
「純なる黄金よ」
 乙女達の言葉であった。
「何と明るく曇りなく優しく光っていたのか」
「何故私達の手から離れたのか」
 嘆く声が響く。
「あの黄金が再び」
「私達の手に返るように」
(そうあるべきだ)
 実はローゲもそう考えてはいるのだった。
(この者達にこそ。あの黄金は)
「あの娘達か」
 ヴォータンはそれを聞いて眉を顰めさせた。
「指輪を返せというのか」
(貴方が本来はそうあるべきと思っていること)
 ローゲはまた心の中で呟いた。
(それがな)
「嘆いてもどうにもならない」
 だがそれでもヴォータンはこう言うのだった。
「最早。それはな」
「その通りです」
 ローゲもまた本心を隠していた。
「娘達よ。嘆いても仕方がないことだ」
「ローゲ、何故そんなことを?」
「私達に言うの?」
 乙女達は揃って彼に嘆きの言葉をかけた。
「全てを知っている貴方がどうして」
「そのようなことを」
「ヴォータンの言葉を聞くのだ」
 しかし彼はあくまでこう言うだけだった。
「御前達のあの黄金はもうその手から離れた」
「そんな、それでは」
「私達は」
「神々の新しい光の下に楽しく暮らすのだ」
「その通りだ」
 ヴォータンもやはり心を隠して話す。
「では神々よ」
「はい」
 ローゲが代表して応える形となった。
「参りましょう、ヴァルハラへ」
「うむ、それではな」
 ヴォータンもそれに頷く。
「行こう、神々の座へ」
「あの橋を渡り」
 神々はその橋を渡っていく。しかし乙女達の嘆きは続いていく。
「あの黄金を再び私達の手に」
「親しみと誠はただ深みにだけあり」
 こう嘆きの言葉を出していく。
「上の世界で楽しむことは虚偽と卑怯ばかり」
「その通りだが。さて」
 神々は橋を渡り終えてヴァルハラに入った。最後に渡り終えたローゲは橋に火をやった。
 虹の橋はこれにより燃え落ちてしまった。ローゲはそれを暫く見ていたが完全に焼け落ちたのを見て今はヴァルハラに入った。その考えを隠したまま。


ラインの黄金   完


                              2009・6・20



指輪を奪ったというか、黄金を取り返したけれど。
美姫 「まさか呪いを掛けるとはね」
それによって兄弟が喧嘩の末に、だしな。
美姫 「何気に怖いわよね」
だな。それにしても、ローゲには何か秘密があるみたいだけれど。
美姫 「うーん、一体何があるのかしら」
今回の話は序章だから、まだ続きがあるみたいだし。
美姫 「どうなるのか楽しみね」
ああ。次回も待ってます。



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