『椿姫』




             第四幕 パリを離れて


 暗い部屋であった。見れば窓にカーテンがかけられている。まるで太陽の光そのものを拒んでいるようであった。暗がりの中に質素な家具とベッドが見える。ベッドの中には誰かがいた。白い寝巻きを着てその中に横たわっている。白い顔は見れば整っているがそこには生気はない。まるで死人のそれのように青ざめていた。
 それはヴィオレッタであった。彼女は青い顔でそこに眠っていた。一見すればもう死んでいるようにも見える。だがここで彼女はふと目を開けた。
「今何時なのかしら」
 この暗がりの中ではそんなことすらわかりようがなかった。手許にあった鈴を鳴らす。すると暫くして召使が部屋に入ってきた。
「何でございましょうか」
「まずは窓を開けて欲しいのだけれど」
「わかりました」
 召使はそれに従い窓を開けた。開かれたカーテンから眩しいまでの太陽の光が入って来る。ヴィオレッタはそれを見て今がどんな時間なのかを理解した。
「朝なのね」
「はい」
 召使がそれに頷いた。
「少し寝ただけだと思ったのに」
「よくお休みでしたよ」
 召使はそう応えた。
「随分お疲れのようでしたから」
「もう疲れたも何もないのだけれどね」
 力なく笑ってそう応えた。
「今の私には。あとどれだけここにいられるのかも」
「そんなこと仰らないで下さい」
 召使はこう言って彼女を宥めた。
「きっとよくなりますよ」
「そうかしら」
 笑ったがやはりその笑みは力のないものであった。
「この病は。助からないと思うわ」
「そう思われるとどんな病でもそうですよ」
 そう言って励ます。
「病は気から、と申しますし」
「そうかしら」
「そうです」
 彼女は力強い声でこう言った。ヴィオレッタの力ない笑みを打ち消すかのように。
「この太陽の光を見て何とも思われませんか?」
「綺麗な朝陽ね」
「今までは夜でしたけれど太陽の光がそれを消したのですよ」
「太陽の光が」
「そしてきっと御主人様の病も。消えますよ」
「そうだといいのだけれどね」
 だがどうしても笑みを変えることはできなかった。
「夜の世界にいたから。太陽の光には慣れていないし」
「それは」
「いいのよ。自分のことは自分が一番よくわかってるわ」
 声にも力がなかった。
「もうね。これ以上は」
「そんなこと仰らずに。今日は御客様も来られると聞いていますし」
「そうだったの」
 それを聞いて少し驚いた声を出した。
「どなたかしら、それは」
「フローラ様です」
 召使は答えた。
「朝のうちに来られるそうですよ」
「じゃあもうすぐなのね」
「はい。御会いになれらますか」
「ええ。是非共御会いしたいわ」
 ヴィオレッタはそれに頷いた。そして暫くして家の玄関の鈴が鳴った。
「もう来たのね」
 ヴィオレッタは玄関の方に顔を向けてこう言った。
「悪いけどこちらに呼んでもらえないかしら」
「わかりました」
 召使はこれに頷き部屋を後にする。暫くして彼女に連れられたフローラが部屋に入ってきた。
「お久し振りですね」
「ええ」
 ヴィオレッタはベッドの中から彼女に挨拶をした。フローラもそれに応じてきた。彼女はヴィオレッタのベッドの側に置いてあるソファーに腰掛けた。それから話に入った。
「有り難うございます。わざわざ来られるなんて」
「こちらも気懸りでしたから」
 フローラはにこりと笑ってこう言った。
「御身体はどうですか」
「身体は痛みますが気分は穏やかです」
 彼女は素直にこう言った。
「昨日は神父様に来てもらいました」
「如何でしたか」
「この憂いを消して頂きました。それで心が落ち着いたのです」
「それは何より」
「おかげで夜はゆっくりと休むことができました。そのおかげで今はとても気分がいいです」
「では御元気なのですね」
「少なくとも気持ちは」
「なら大丈夫です。きっとよくなりますよ」
 彼女もこう言ってヴィオレッタを慰めてきた。
「ですからお大事に。宜しいですね」
「はい」
 ヴィオレッタは頷いた。ここで外から何やら囃し声が聞こえてきた。陽気な声であった。
「あれは」
「謝肉祭を祝う声です」
 フローラがこう答えた。
「今日はパリ中がそれで大騒ぎでしてよ」
「そうなのですか」
 だがそれを聞いたヴィオレッタの顔は急激に萎んでしまった。
「どうかされたのですか?」
「いえ」
 彼女は元気ない顔で応えた。
「こんな日に一人で床に伏しているなんて。残念で」
「仕方のないことです」
 フローラはこう言ってまた彼女を慰めた。
「御身体のことを考えれば」
「けれど」
「けれどもこうしたもありませんよ。まずはお大事に」
「はあ」
「宜しいですね。そして来年一緒に行きましょう」
「行けたらいいですけれど」
「きっと行けますよ」
 そうは言いながらも何処か目が泳いでいた。やはり気持ちが何処か上滑りしている。
「ですからね。今は病を治すことに専念しましょう」
「わかりました」
「丁度いいニュースも入ってきておりますし」
「ニュース」
「ジェルモンさんのことです」
 フローラはこう言った。
「アルフレードの」
 その名を聞いただけでヴィオレッタの様子が急に変わった。顔に生気が戻ってきたのだ。
「彼がどうかしたのですか?」
「御知りになりたいようですね」
「勿論です」
 彼女は答えた。
「どうしたのですか。確かドゥフォール男爵と決闘されて」
「男爵に怪我を負わして暫くバイエルンに身を隠していたのですよ」
「そうだったのですか」
 ヴィオレッタはそれを聞いて頷いた。
「決闘に勝ったとは聞いていましたが」
「男爵の怪我も快方に向かっていまして。御父上を介して和解されたそうですよ」
「それは何よりです」
 それを聞いてほっと胸を撫で下ろした。
「一時はどうなることかと思っていました」
「そうだったのですか」
「本当に胸の苦しみが消えたようです」
「胸の」
「ええ。これでもう私には憂いはありません」
 少し晴れやかな顔でこう言った。
「他には何も」
「果たしてそうでしょうか」
 だがフローラはここであえて懐疑的な言葉を彼女に向けてきた。
「といいますと」
「貴女の願いはまだあるのでしょう?」
「いえ」
 だがそれには一旦首を横に振ってみせた。
「もう。彼が無事ならそれで満足ですから」
「遠くバイエルンで安全でいる。それだけでよいのですね」
「はい」
 彼女は頷いた。
「彼女が無事なら。それでよいです」
「そうなのですか?」
 だが彼女はここでまた問うてきた。
「本当に。そうなのでしょうか」
「何が仰りたいのですか?」
 執拗に言われると気になる。そう問いただしてきた。
「何かあるようですが」
「ありますよ」
 フローラは微笑んでそれに応えた。
「ですから申し上げているのです」
「私に」
「はい」
 ここで窓の外から何かが聞こえてきた。それは謝肉祭を祝う人々の声であった。
「さあさあ道を開けろ」
 越えは口々にこう言っていた。
「太った牛の凱旋だ。この素晴らしい日を祝おう」
 不思議な祭と言うべきか。本来偶像崇拝はこのキリスト教の世界においては禁じられている。そして牛はかつてモーゼが十戒を授けられた時に神によりその像を崇めることを禁じられている。だがそれが今こうして崇められているのだ。頽廃の香りもそこには漂っていた。
 だがそれはヴィオレッタにとっては命の息吹であった。彼女はそれを間近に聞いていた。そして彼女はそれから何かを感じていた。
「さあ皆祝おう、この牛を」
「そして楽しもうではないか」
「落ち着いておられますか?」
 フローラは今度はこう問うてきた。
「はい」
「なら宜しいです。それでは」
 彼女はやけに勿体ぶって言う。それがヴィオレッタには不思議で仕方なかった。
「貴女に喜ばしいお知らせです」
「私にですか」
「はい。それは」
 彼女はにこりと笑っていた。そしてヴィオレッタに対して告げた。
「あの方は今パリにおられます」
「えっ!?」
 ヴィオレッタはそれを聞いて思わずベッドから身体を起こした。
「それは本当ですか!?」
「はい」
 フローラはそれに頷いた。
「御父上と一緒に。御父上に連れられてこちらに戻られたのです」
「それは本当のことですか!?」
 ヴィオレッタはもう一度問うてきた。
「本当に彼がパリに戻って来られたのですね」
「はい、そして」
 フローラはまだ言った。
「こちらに向かっておられます。もうすぐ来られることでしょう」
「本当なのね!?」
 顔に生気が戻ってきていた。そしてまた問う。
「彼が。私の側に」
「もうすぐ御会いできると思いますよ。待ち遠しいですか?」
「それはもう」
 もうその気持ちを隠そうともしなかった。
「今あの扉が開いて彼が来るのかと思うと。それがもう楽しみで」
「そう、もうすぐです」
 二人は部屋の扉を見ていた。そこにはまるで希望が輝いているかのようであった。
「彼が来ます。貴女の前に」
「ああ!」
 喜びのあまり声をあげた。
「もうすぐあの扉が開いてあの方が」
「貴女の側に。音が聞こえてきませんか?」
「音が」
「ええ、彼の足音が」
 耳を澄ます。確かにそれが聞こえてきた。それは扉に向かって近付いてきていた。
「ほら、貴女に御会いする為だけに」
「私の為に」
「今それが止まりました」
 確かにそれは止まった。扉の前で。
 そして扉が開いた。遂に彼が姿を現わしたのであった。
「ヴィオレッタ!」
「アルフレード!」
 二人はそれぞれの姿を認めて互いの名を呼んだ。アルフレードは駆け寄りヴィオレッタを抱き締める。彼女はそれを両手を拡げて待っていた。そして彼を受け止めた。
「済まない、僕は馬鹿だった!」
 アルフレードはまずこう言ってヴィオレッタに謝罪した。
「何も知らずに。とんでもないことをしてしまった」
「宜しいのです」
 彼女は泣きながら、だが笑みを以ってこれを許した。
「全ては。許されたのですから」
「全てが」
「はい。だからこそ貴方はここに来られたのです」
 ヴィオレッタはアルフレードの顔を上から優しい笑みで以って見ながらこう言った。
「私の下に。これこそが貴方が神に許された証し」
「貴女には許されているだろうか」
「私がどうして貴方を許さないことがありましょう」
 そして優しい声でこう言った。
「貴方は私の全て。他の何にも替えられないものだというのに」
「僕が替えられないものだと」
「はい」
 彼女はこう答えて頷いた。
「その貴方がここに来られた。私の側に帰って来られた。それだけで充分なのです」
「貴女にあのような仕打ちをした僕に・・・・・・」
 アルフレードは今彼女の温かさと心の広さに感激していた。そして見れば彼も泣いていた。
「有り難う。貴女は何と素晴らしい方なんだ」
「私は素晴らしくなんかありません」
 だがヴィオレッタはこう言ってそれを否定した。
「私は。夜の世界を彷徨った女です。ですがそれは貴方によって救われました」
「僕に」
「あの時貴方が私に愛を告げてくれたから。私は夜の世界を出ることができたのです」
「そして僕の側に」
「はい」
 彼女はまた頷いた。
「そして今ここに。それまでのことはもう消え去りました」
「それじゃあ今から」
「はい、またはじまるのです」
 彼女は告げた。
「私達の新しい暮らしが。それは永遠に続くでしょう」
「僕達の暮らしが」
 見れば部屋からフローラも召使も姿を消していた。気を利かして姿を消したのであろうか。だが二人はそれには気付いてはいなかった。ただ二人だけの、愛の世界にいた。
「悲しみも罪も。何もかも消え去って」
「そして僕は貴女の側にいる」
「はい。私もまた貴方の側にいる」
 二人は互いに言い合った。
「何時までも」
「そう、何時までも」
 二人は互いの心が触れ合うのを感じていた。だがそれだけではなかった。彼等はまた互いに言った。
「天使だろうが悪魔だろうが」
 まずヴィオレッタが言った。
「誰にも私達を離すことはできはしないわ」
「ああ」
 アルフレードはそれに頷いた。そして彼も言った。
「ヴィオレッタ」
「何?」
「パリを離れないか?」
「パリを」
「そうさ。そして静かな場所で暮らそう」
「二人で」
「勿論さ。それで君はきっとよくなる」
 アルフレードもまたヴィオレッタの病は知っていた。だからこそ言った言葉であった。
「この街は君の胸にとってよくない。退廃的なこの街は」
「けれど私は」
 だがヴィオレッタはここで眉を顰めさせた。
「この街から離れて生きていくことは」
「できる」
 だがアルフレードはこう言い返した。
「できるんだ」
「できるかしら」
「僕がいるから」
「貴方が」
「そう。だからこそできるんだ。二人なら何でも」
「貴方がいれば」
「そして僕には貴女がいれば。他には何もいらない」
「私はそして、昼の世界に生きるのね」
「そう。未来も何もかも私達の上に微笑む」
「何もかもが」
「神が祝福される。もう君は夜の世界にはいない」
「ええ」
「この世界にいるんだ。僕と同じ世界に」
「貴女と同じ世界に」
「だから。行こう」
「はい」
「二人で」
「アルフレード」
 彼女はまたアルフレードの名を呼んだ。
「何だい?」
「まずは教会に行きましょう」
「教会に」
「そうよ。貴方が来られたことを神に感謝する為に」
「神に」
「この奇跡を。何時までも忘れない為に」
 そう言いながら起き上がろうとする。だがそれは適わなかった。
 やはり病のせいであった。それはもう誰の目にも明らかであった。そして彼女の命の蝋燭のことも。アルフレードにもそれはわかった。わかりたくはなかったが。
 ヴィオレッタは鈴を鳴らした。それで召使を呼ぶ。
 召使がやって来た。ヴィオレッタは彼女に対して言った。
「外に出たいのだけれど」
「えっ」
 召使はそれを聞いて驚きの声をあげた。
「あの、今何と」
「聴こえなかったの?外に出たいのだけれど」
 ヴィオレッタはまた言った。だが召使はそれを聞いても動こうとはしない。かわりにこう言った。
「あの」
「何かしら」
「今は旦那様と一緒におられる方がいいと思いますが」
「私達はもう何時でも一緒よ」
「しかし」
「ヴィオレッタ」
 それを横で聞いていたアルフレードが召使に助け舟を出すようにして言った。
「今はここにいよう」
「けれど」
 だがヴィオレッタはそれにあがらおうとした。まるで自分の運命にあがらおうとするかのように。
「主に報告をしなければ」
「それは何時でもできるよ」
「けれど」
 だがそれは出来る筈もなかった。そう語る側からヴィオレッタの顔は青くなっていく一方だったのである。次第に生気が消えていくのがアルフレードにもわかった。抱いているその身体も徐々に冷たくなってきていた。
「ねえヴィオレッタ」
 アルフレードは最後の時が近付いて来ようとしているのがわかった。まさかこんなに早く来るとは思ってはいなかった。だがそれでも勇気を振り絞ってヴィオレッタに対して語り続ける。もう逃げるつもりはなかった。
「何かしら」
「君は」
「私は大丈夫よ」
 それでもヴィオレッタは言った。
「だから」
「いや、もう駄目なんだよ」
「えっ・・・・・・」
 その言葉にヴィオレッタは絶句した。
「駄目って」
「もう貴女もわかっている筈だ。貴女の身体なんだから」
 ヴィオレッタの病のことについて言った。
「もう貴女は」
「いえ、そんな筈はないわ」
 だがヴィオレッタはそれを認めようとしなかった。何処かではわかっていてもそれを認めることはできなかった。
「私は貴方と一緒にいるのは。何時までも」
「けれどもう」
「そんな筈が。私は何時までも」
「ジェルモンさん」
 ここで部屋にフローラが入って来た。
「フローラさん」
「御父様がここに来られたわ」
「お父さんが」
「どうされるの?こちらに来られたいって言っておられるけれど」
「それは」
「お通しして下さい」
 ヴィオレッタは消え入りそうな声でこう言った。
「是非共」
「いいのかい?それで」
「ええ」
 ヴィオレッタはアルフレードに対して頷いた。
「貴方の御父様にも。祝福してもらいたいの」
「父に」
「あの時私と貴方を離れるように言ってくれた方が祝って下さるなんて。このうえない喜びでしょう?」
「しかし」
「しかしも何もないわ。来て頂きたいの」
「・・・・・・いいんだね」
「ええ」
 ヴィオレッタは頷いた。
「それじゃあ」
 フローラは一旦部屋から消えた。そして暫くしてジェルモンを連れて部屋に現れた。ジェルモンは沈痛な顔でまずは帽子を胸に置きヴィオレッタに対し一礼した。
「私が貴女の前に姿を出せるとは思っておりませんが」
「いえ」
 だがヴィオレッタはその言葉には首を横に振った。
「貴方が来て下さることを心待ちにしておりました」
「左様ですか」
「はい。ようこそおいで下さいました」
「私に対してもそのような」
 ジェルモンは深い悔悟に襲われていた。それと共にあることを言おうと決意した。
「あの」
「はい」
「私は貴女に謝罪すると共に一つのことを申し上げたいと思います」
「それは」
「貴女を娘として呼びたいのですが」
「私を娘と」
「はい」
 ジェルモンはこれに応えて頷いた。
「貴女をそう呼ぶ為に私は今ここに来たのです」
「お父さん、それじゃあ」
「うむ」
 ジェルモンの目が優しいものとなった。
「世間の評判なぞ。どうとでもなるものだ」
 彼もようやくわかったのだ。
「それは幻想に過ぎない。つまらない者達はどのような相手であっても中傷するものだ。そして真に心が清らかならば神が御加護を授けて下さる」
「神が」
「そう。御前とこの方には神の御加護がある」
 アルフレードに対して言った。
「今それがわかった。・・・・・・私は愚かな男だった」
「いえ」
 だがヴィオレッタはその言葉に首を横に振った。
「私はそれでもう満足です。貴方にも認めて頂いたのですから」
「何と言えばいいのか」
 ジェルモンもまた心を打たれていた。
「私の様な者に」
「貴方によりアルフレードは生まれました」
 ヴィオレッタは言った。
「そして私の前に姿を現わして頂きました。これが私の運命を変えたのですから」
「しかし」
「それが何よりの証拠です。それだけでもう」
「何という方だ」
 次第に言葉に詰まるようになった。
「私の様な愚かな老人に対しても」
「アルフレード」
 ヴィオレッタは今度はアルフレードに対して顔を向けてきた。
「何だい」
「貴方にお渡ししたいものがあるの」
「僕に」
「ええ」
 そう言いながら首かけているペンダントを外した。それをアルフレードに手渡す。
「これを」
「ペンダントを」
「その中にね、私の肖像画があるわ」
 アルフレードに手渡しながら説明する。
「だから。受け取って。そして私のことを」
「馬鹿な、何を言っているんだ」
 今度はアルフレードが信じられなくなった。
「君は僕とずっと一緒にいるんだろ?」
「ええ」
 それには頷いた。
「それを。どうして」
「貴方と一緒にいる為に」
 ヴィオレッタは言った。
「だからお渡しするのよ。私はその中にいるから」
「この中に君が」
「そして貴方の心の中に」
「僕の心の中に」
「そう」
 今にも消え入りそうな声になっていた。だがそれでも言った。
「永遠に生きるから。貴方の中で」
「そして僕達は何時までも一緒に」
「暮らしましょう。私は死なない」
「君は死なない」
「貴方の中に生きていくのだから。だから死なないのよ」
「そう、魂は死にはしないわ」
 フローラがそれを聞いて呟いた。
「貴女は。何時までも生きるのよ」
「全てが終わっても。最後の審判の後で私は貴方を抱き締める」
「その時には僕も君を抱き締める」
 アルフレードも言った。
「けれど」
「アルフレード」
 ジェルモンが息子に声をかけてきた。
「その時まで待つのだ。だが今は」
「お父さん」
「全ては私の罪だ。私は愚かだった」
「いいえ」
「慰めはいい」
 もうジェルモンは自分を偽ることができなかった。もとより偽りはできなかったがそれでも自分の良心に逆らうことができる程彼は悪人ではなかった。善人の仮面を被る程卑劣でもなかった。
「結局私は二人の若者を不幸にしてしまった。愚かな老人だ」
「それは違います」
 だがそれをフローラが否定した。
「何故」
「貴方は今この二人を結び付けました」
「もう手遅れだ」
「愛に手遅れはありません」
 フローラは毅然として言う。
「結ばれれば。それで全てが実るのです」
「しかしもう」
「ヴィオレッタの言葉は御聞きになられた筈です」
 彼女はさらに言った。
「しかし」
「あまり御自身を責められぬよう。貴方は間違ったことをされたわけではありません」
「彼女に別れるように強いたのは」
「それは仕方のないこと」
 フローラはそれを不問とした。
「貴方はそうするしかなかった。昼の世界の住人なのだから」
 フローラとて夜の世界にいる。だからヴィオレッタのことがわかる。だが同時にジェルモンのこともわかるのだ。彼女でなければわからないことではあったが。
「私とて貴方と同じ立場にいたらそうしたでしょう」
「・・・・・・・・・」
「それが昼の世界の住人の掟、そして彼の為にも」
「アルフレードの為にも」
「彼の妹の為にも。それは仕方のないことです」
「申し訳ない」 
 こう言うのが精一杯であった。ジェルモンは自分にそう言ってくれたフローラに心の底から感謝した。だがそれでも自分を責めないではいられなかった。
「貴女も一緒に行けたら」
 アルフレードはまた言った。
「どんなにいいだろう。貴女と一緒に行けたら」
「それはできないわ」
 ヴィオレッタは微笑んで首を横に振った。
「貴方にはまだ見えないでしょう?」
「何が?」
「私が生きる世界が」
「貴女が生きる世界が」
「私は今からそこに行くわ。貴方の中に」
 そう言いながらアルフレードの手を掴む。
「永遠に、アルフレード」
 最後の言葉を口にした。
「私は貴方の中にいるわ。これからもずっと」
「これからもずっと」
「だから。悲しむことはないわ。私は生きるの」
「僕と一緒に」
「そうよ。けれど今は眠らせてもらうわ」
 静かな声でこう言った。
「お休みなさい」
 にこりと微笑んだ。力こそなかったが優しい、優雅な笑みであった。
「お休み」
 アルフレードも言葉を返した。ヴィオレッタはそれを見て満足したようだった。
 ゆっくりと目を閉じる。そのままアルフレードの腕の中で眠りに入った。
「これでもう僕達は離れることがない」
 アルフレードは眠りに入ったヴィオレッタを見下ろして言った。
「永遠に。僕達は決して離れない。何があろうとも」
 そんな彼等をジェルモン達が見守っていた。彼等の遠くから祭りを祝う声が聞こえてくる。それはまるでアルフレードの心の中に入ったヴィオレッタを祝福するかのようであった。生の喜びを歓声によってたたえていた。


椿姫   完


                  2005・10・30





う、ううぅぅっ。悲しいお話だ。
美姫 「本当よね。でも、最後に分かり合えたのは救いよね」
アルフレードも誤解していたと分かり、その父も二人のことを許して。
なのに…。
美姫 「本当にしんみりしちゃうわね」
いやー、本当に良いお話でした。
美姫 「投稿ありがとうございました」
次の作品も楽しみにしてます。



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