『サロメ』




              第一幕  情念

 静かな月夜の下今宵も宴が繰り広げらていた。この時代ヘブライの者達は奸智に長け卑しいヘロデの下圧制に虐げられていた。彼はローマにおもねり自信だけが快楽と栄華の中にあった。それに従うのは誇りをなくした者達ばかりでありシオンの民は既に滅亡の退廃的な空気の中にあった。
 そのヘロデ王の宮殿からは夜通し灯りと歌と笑い声が聞こえる。守衛の兵士達はそれを外から見守っていた。
「なあ」
 うちの一人が同僚に声をかけてきた。ローマ風の鎧にグラディウス、槍を備え髭も剃っている。ヘブライの者達は髭を剃らないというのにだ。彼等はそのことに不満を抱いていたが口に出すことはできなかった。王自らそうしているからである。
「やけに月が大きくないか?」
「そうだな」
 同僚の兵士も彼と同じ姿だ。その姿で応える。
「それに白い。まるで」
「まるで?」
「王女様のようだ」
「サロメ様のようにか」
「ああ。何か綺麗でそれで」
 彼は言う。
「怖いな」
「そうだな。吸い込まれてしまいそうだ」
 同僚は彼の言葉に頷く。
「サロメ様を見ているとそうなる。不思議なことにな」
「あれはどうしてなんだ?」
 彼は仲間に問う。
「サロメ様は確かにお美しい。しかし」
「待て」
 ここで黒い髪をローマ風に束ね黄金と白のヴェールに身を包んだ少女が現われた。小柄で華奢な身体に白い雪の如き肌に黒く大きな目と小さく整った紅の唇。睫毛も長くあまりにも綺麗だ。だがそれと同時に妖艶であり見ているだけで引き込まれてしまいそうだ。彼女こそがサロメ、このヘブライの王女である。
 前王と妃の間に生まれた。だが前王が死にその弟であるヘロデが王となり妃であったサロメの母を妻とした。その為彼女は今でも王女となっているのだ。だが王の実子から養子になっていたのである。
「人形のようだな」
 最初に月を指差した黒い髪の兵士が言った。
「人形か」
「そうだ。確かにお美しい。しかしその美は」
「この世のものではないか」
「そうだ。そう思えないか?」
「確かにな」
 同僚の兵士達はその言葉に頷く。ここで宮殿から突如として怒鳴り声が聞こえてきた。

「またか」
 兵士達はそれを聞いて表情を変えずに述べる。
「相も変わらずだな」
「全くだ」
 呆れた声であった。よく聞けば天使がどうとかいるかいないかといった話であった。

 この時代ヘブライの宗教論議は完全にする為の論議になっていた。建設性はなく完全に形骸化し、空虚なものになっていた。その中で彼等は道化のように議論をしているだけであったのである。
「またか」
 宮殿の外で青いトーガを着た茶色の髪に青い目の若者が宮殿の方を見て呟く。彫の薄い顔を見ていると彼がローマの者ではないとわかる。シリアの者で名前をナラボートという。
「いつもいつも。好きなことだ」
「おお、ナラボート殿」
「どうされたのですか?」
 兵士達は彼に気付いて声をかけてきた。
「いえ、涼みに来たのですが」
 そうは言いながらもサロメを見ている。
「王女もおられるのですね」
「ええ」
 ナラボートは答える。答えはするがその声は空ろであった。
「ですが」
「ですが?」
「あの方は何と青い顔をしておられるのだ」
 彼はサロメを見て述べた。
「まるでこの月のように」
「今の月が!?」
「いや、そういえば」
 兵士達は月を見上げる。見ればそうも見える。
「そうかもな」
「ですがナラボート殿」
 彼等はナラボートの暗い顔を見てまた彼に声をかけた。
「月は元来不吉なもの」
「ですから」
「しかし」
 彼は兵士達の言葉を遮ってまた言う。
「見ないではいられないのだ」
「月をですね」
「そう、月をだ」
 その月は天にある月ではない。地にある月である。
「私は見ていたいのだ。何時までも」
「無駄だ」
 ここで地の底から声が響き渡ってきた。
「!?この声は」
「あっ、今の声は」
「その」
 兵士達はナラボートが今の声に顔を見回すのを見てバツの悪い顔を見せてきた。そのうえで述べる。
「そのですね」
「今の御言葉は」
「御言葉」
 ナラボートは彼等の態度が恭しいのに気付いた。そこでまた声が聞こえてきた。
「私の後に聖なる方がお生まれになられる。その方が来られる時には不毛の大地は喜び百合のように咲く」
「奇跡か」
 ナラボートはその言葉を聞いて言った。
「それは」
「目の見えない者は目が見えるようになり耳の聞こえない者は聞こえるようになる。赤子もまた竜や獅子に負けないようになるであろう」
「今の言葉は」
「聖なる方の御言葉です」
 黒い髪の兵士が彼に答えた。
「聖なる方の」
「そうです。その方の」
「預言者なのです」
 同僚の兵士も述べてきた。
「私が日々の食事を持って行くと礼を言われ」
「非常に優しい言葉をかけて下さるのです」
「その方の名は」
 ナラボートは彼等に問う。
「何といわれるのだ」
「ヨカナーン」
 彼等はそう答えた。
「それがその方の御名前です」
「ヨカナーン殿ですか。何か神々しい響きのある御名前ですね」
「ええ」
 兵士達はその言葉に頷く。
「全くです」
「元は荒地から来られた方で」
「荒地から」
「そうです、ヘブライの荒地から」
 シオンの地は決して豊かな地ではない。荒涼とした場所である。だからこそここではヤハウェの神が現われたのだ。絶対的な指導者、導くべき存在が彼等に必要だったからだ。
 それがユダヤ教の興りである。しかし今ではそれが形骸化し、先程の宮殿から聞こえてくるような下らない論争になってしまっていたのである。
「蝗と野蜜を糧として生きてこられ、駱駝の皮の粗末な服を着ておられたのです」
「そうだったのか」
「ええ」
 黒髪の兵士はそうナラボートに述べた。
「おわかりでしょうか。凄い方なのです」
「そのような方だったとは」
「驚かれたようですね」
「驚かない筈がない」
 そう兵士達に返した。
「できれば。御会いしたいのだが」
「残念ですがそれは無理でしょう」
 同僚の兵士がナラボートに述べてきた。
「それは何故だ?」
「陛下が御許しになられないからです」
 黒髪の兵士はそうナラボートに説明する。
「ですから」
「そうなのか」
「申し訳ありません」
「いや、いい」
 それはよしとした。しかしまた聞いた。
「ただ。何処におられるのだ?」
「井戸の中です」
 兵士達は答えた。
「井戸の中に」
「そうです。そこにおられるのです」
「そこに誰かいるの?」
 この話はサロメに聞かれていた。彼女は兵士達とナラボートの方にやって来て声をかけてきたのだ。
「井戸の中に」
「王女様」
「誰なの、それは」
「いえ、その」
「言って」
 じっと兵士達の目を見て問う。その眼差しには魔性がある。兵士達はその目を見ると逆らえなくなってしまったのであった。まるで魔法にかけられたかのように。
「いいわね」
「は、はい」
「それでしたら」
「悪いわね。無理なお願いをして」
「いえ、それはいいです」
 兵士達は慌ててサロメを宥めてきた。
「ただ」
「ただ。何かしら」
「どうしてこちらへ」
「宴には」
「楽しくなくて」
 サロメはその妖しい目に憂いを含ませて答えてきた。
「だから」
「そうだったんですか」
「そうよ。御義父様はね」
 彼女は言う。
「私を変な目で見ているのよ。だから」
 実はヘロデはサロメに対してよからぬ想いを抱いていたのである。彼女もそれに気付いている。だからそれを嫌がって離れたのである。そうした事情があったのだ。
「それに」
「それに?」
「私は騒がしいのは好きではないし」
 表情にも憂いを帯びさせてきた。陰のある美貌になった。
「ああした議論もギリシア風のお化粧も好きではないのよ」
「ローマのお話は」
「それもよ」
 そう兵士に返す。
「ローマのことは好きではないのよ。ああした贅沢も」
「そうなのですか」
「そうなの。それにエジプト人もね」
 サロメは言う。
「あの人達のお洒落というのも。何もかもが」
「はあ」
「それよりもお月様の方がいいわ」
 上を見上げる。そこに白い月があった。
「綺麗だと思わない?」
 月を見上げて兵士達とナラボートに問う。彼等もサロメに続く。
「銀貨みたいで。お花にも見えるわよね」
「そうですね」
「本当に。ただ」
 彼等はサロメの言葉に頷く。頷いてから述べる。
「ただ?」
「不吉なものも感じます」
 同僚の、茶色の髪の兵士は言う。
「特に今日の月には」
「そうかしら」
 だがサロメはその言葉に首を傾げさせる。
「私はそうは思わないけれど」
「しかし王女様」
「やはり」
「遂に時は来た」
 ここで声がする。サロメはその声の方に顔を向けた。
「主が来られる時が」
「あの声は?」
 声の方に顔を向けながら兵士達に問う。
「誰の声なの?」
「預言者様の声です」
 黒髪の兵士が答える。
「預言者というと」
「申し上げにくいのですが」
 茶髪の兵士が答える。
「先程の話なのですが」
「私が尋ねた話ね」
「はい」
 兵士達はまた答える。
「というとあの声は御義父様の言っておられた」
「そうです。ですから」
「御近付きには」
 そう言って彼等はサロメを止めようとする。怪訝な顔で彼女の顔を見ていた。
「母上はあの方を嫌っておられたわね」
 サロメはふと思い出したように述べた。
「そういえば」
「ええ」
「それもありますし」
 兵士達はとにかく彼女を止めようとする。サロメの前に立っている。
「ですからやはり」
「お聞きになって頂ければ」
「一つ聞きたいことがあるの」
 しかしサロメはそんな彼等にまた問う。
「その預言者は幾つなのかしら」
「幾つですか」
「そう。若いの?それとも」
「若い男です」
 黒髪の男が答えた。
「それは確かです。ですが」
「何かあるの?」
「ございます。荒野にいた為その御身体は」
「身体は」
 サロメは何故か身体という言葉に刺激を感じた。ふと顔が上がる。
「どうなっているの?」
「逞しいものになっています」
「若くて逞しい男だというのね」
「そうです」
「何故かしら。それを聞くと」
 声が上ずっていた。その声でまた言う。
「会いたいわ」
「いえ、それはなりません」
 兵士達はそれをすぐに否定してきた。またしてもサロメの前に立つ。
「どうかここは」
「パレスチナの民よ」
 またヨカナーンの声がした。
「御前達を打ち据えた鞭が折れたとしても終わりではない。蛇の種から魔竜が現われ」

「また」
 サロメはその声に反応して顔を上げる。
「あの声が」
「その魔竜達が御前達を襲うだろう」
「不思議な声」
 サロメはその声を聞いて述べる。
「またその声が私にかけられたら」
「まずい」
「これは」
 兵士達はサロメの様子を見て危ういものを察した。
「お戻り下さい」
「そうですね、ナラボート殿」
「そうですな」
 相槌を求められてそれに応える。この場合彼は兵士達の同盟者になっていた。
「やはりここは」
「井戸は確か」
 しかしサロメは彼等の言葉を聞いていない。記憶と目に入るものを辿りながら井戸を探す。そうしてそれを見つけたのであった。
「あそこだったわね」
「さあ、王女様」
 兵士達はまたサロメに声をかけてきた。
「ここはお下がりを」
「宮殿に」
「連れて来て」
 しかしサロメは言う。
「ヨカナーンを。いいわね」
「ですが」
 兵士達は戸惑う。しかしそこで彼女は兵士達の目をじっと見据えてきたのであった。

「うっ」
「いいわね」
 サロメはまた彼等に言う。言葉が加わってはもう逆らうことはできなかった。
「わかりました」
「それでは」
 魔性には逆らうことができなかった。こうして彼等は井戸に向かうのであった。
 その間にナラボートがサロメの前に来た。そうして語る。
「王女様、どうしてもなのですか」
「ええ」
 サロメは妖しく笑ってナラボートに答える。
「どうしてもね。わかるわね」
「しかし」
 ナラボートはサロメに対して述べる。
「やはりここは」
「いえ、私は決めたのよ」
 しかしサロメの心は変わらない。ナラボートの言葉も彼女には届かない。
「だから」
「胸騒ぎがします」
 ナラボートは不吉なものを恐れる顔でサロメに述べた。
「このままですと恐ろしいことが」
「それでもいいわ」
 それでもサロメは言うのであった。
「どうなってもね」
「貴女がどうなってもですか」
「構わないわ。あの声の主の姿が見えるのならね」
「どうしてもですか」
「そう、どうしても」
 サロメは言う。
「あの方を見たいわ」
「そうなのですか」
 ナラボートはそれを聞いて俯く。遂に諦めたのであった。
「貴方には花をあげるわ」
 サロメは言う。
「それか微笑みか。どれがいいのかしら」
「どれもいりませぬ」
 ナラボートはサロメから少し顔を離して述べた。
「そのどれも」
「無欲なのね、貴方は」
「欲はあります」
 しかしナラボートはその言葉に首を横に振る。
「ですが」
「ならその欲を実現させればいいのよ」
 サロメの言葉は彼女の考えそのものであった。
「違うかしら」
「それができればそれに越したことはないでしょう」
 そうサロメに述べる。
「ですが」
「私はするわ」
 サロメは彼を見て言った。
「何があろうともね」
「そうなのですか」
「王女様」
 ここで兵士達が戻ってきた。
「お連れしました」
「有り難う」
 サロメは彼等の方を振り向いて礼を述べた。
「御義父様には私から申し上げておくわ」
「ですが」
 兵士達が恐れているのは王についてではなかった。
「あの方に御会いするのは」
「やはり」
「貴方達が気にすることではないわ」 
サロメは彼等に告げる。
「だから。安心して」
「そうでしたら」
「ではヨカナーン殿」
 二人は後ろにいる兵士達に顔を向けてきた。
「こちらです」
「王女様か」
「王ではないのか」
 そこにいたのは背が高くみすぼらしい黒い服を着た男であった。髪も髭も切らず伸ばしていた。それはヘブライの風習であった。その目は深い知性を宿り激しい光を放っていた。知性はあってもそれは激しい知性であった。顔はみすぼらしい中にも品性があり卑しい者ではないことを示している。しかしそれ以上に彼が激しい者であることが出ていた。
「あの罪深い王ではないのか」
「御義父様なのね」
 サロメはその言葉を聞いてすぐにわかった。
「それは」
「あの王妃でもないのか」
 彼は今度は王妃について述べていた。
「夫を殺した男と寝て様々な男と交わり贅沢の限りを尽くすあの女でもないのか」
「御母様ね」
 今度も誰なのかわかった。
「いずれ裁きがある。それを教えてやろうぞ」
「貴方がヨカナーンなのね」
「むっ」
 ヨカナーンはサロメに気付いた。
「御前は誰だ」
「何という鋭い光」
 サロメはヨカナーンの目を見ていた。その目を見ながら恍惚としていた。
「その光が今私に」
「私を見ているのか」
「黒い、それでいて輝く瞳」
 ヨカナーンの目をじっと見詰めている。恍惚としたまま。
「気まぐれな月に掻き乱された黒い湖みたいな、それでいて松明よりも赤く輝いているわ」
「王女様、やはり」
 兵士達とナラボートはまたサロメに声をかける。そこに狂気を感じていたからだ。
「ここはお下がりを」
「ヨカナーン殿も。戻られて」
「何という身体」
 だがサロメは聞かない。今度はヨカナーンの身体を見ていた。
「痩せていて白くてまるで象牙の像のよう。月のように浄らかで」
「危ないですぞ」
 ナラボートはその言葉を聞いてさらに危惧を感じた。
「このままでは」
「はい、やはり」
「ですから王女様」
「もっと側に」
 サロメは夢遊病患者のようにヨカナーンの方に向かう。
「そしてあの人を」
「誰だ、御前は」
 ヨカナーンはサロメに問う。
「何故私を見ているのだ?」
「私はサロメ」
 サロメは名乗った。
「その目で何を見ているのだ。黒と黄金の混ざったその目で」
「サロメというのよ。ヘロデアの娘」
「あの女の娘だというのか」
 ヨカナーンはその言葉を聞いて顔を顰めさせてきた。
「あの女の」
「それがどうしたというの?」
「不浄だ」
 彼は言った。
「御前は不浄な女の娘だ。御前の母の罪はあくまで重い」
「お止め下さい、ヨカナーン様」 
 兵士達が彼を止める。
「その御言葉を」
「ですから」
「いえ」
 しかしサロメがここで言う。
「言って。もっと」
「駄目です」
 彼女にはナラボートが止める。
「宮殿に」
「もっと言って」
 だがサロメはヨカナーンにさらに寄ろうとする。うっとりとさえして声をかける。
「私に。その力強く低い声を」
「近寄るな。御前が求めるのは私ではない」
「私ではない」
「そう、人の子だ」
 彼は厳かな声で言う。
「人の子こそを求めるべきなのだ」
「誰なの、それは」
 サロメは彼に問う。
「その人の子というのは」
「間も無く現われる」
 イエスのことだ。だがそれを知る者はまだ僅かであった。視ってはいても彼とヘブライの運命は定まっていたことであるが。
「そう、間も無く」
「一体誰が」
「裁きを」
 ヨカナーンはまた言う。
「裁きの天使を。今ここに」
「裁きの天子だというのね」
「不浄な罪を犯し続けるヘブライの者達を」
「ヨカナーン、その白い肌」
 サロメはその言葉をよそにヨカナーンに声をかけた。
「その白い肌を私に。そして」
「下がれ」
 だが彼はサロメを拒む。
「私は女には関心はない」
「何故なの?」
「私はそれ以外を見て生きているからだ」
 そうサロメに告げる。
「だからだ」
「妙なことを言うわね」
 その言葉は彼女にはわからないものであった。
「女を見ないなんて。しかも私を」
 サロメは幼い頃から美貌を誇っていた。だからヨカナーンが自分を見ないことが信じられなかったのだ。だから余計に彼に問う。
「その光の中にはなかった白い肌もエドムの葡萄の房のような髪も。何という綺麗な髪」

 ヨカナーンに告げる。
「その髪も」
「触るな」
 近寄ろうとするサロメを拒む。
「私に構うな」
「その茨の冠のような髪。紅のしっかりとした唇も。柘榴や薔薇よりも紅いのに何と逞しいの?そなたの唇は」
 また恍惚としていた。その顔で言う。
「珊瑚や朱よりも。何と紅いの」
「紅い唇も私には関係ない」
 彼はサロメから顔を背けた。
「全ては神の御為に」
「神が何だというの?」
「愚かな」
 そのサロメの言葉を言い捨てる。
「神を解せぬとは。一体何の為に生きているのか」
「王女様、ですから」
 ナラボートはまた彼女の前に来た。
「下がって」
 しかし彼を退ける。
「いいわね」
「ですが」
「ナラボート殿」
 兵士達が首を横に振って彼に告げる。
「ここはもう」
「諦められた方が」
「しかしこの不吉な気配は」
 それでもナラボートは留まろうとする。
「何としても」
「それでもです」
「ここは」
「どうしようもないのか」
「御覧下さい」
 黒髪の兵士がサロメに目をやって彼に述べる。
「あの御様子を」
「王女様はもう」
「そうか。最早人の世界にはないのだな」
 ナラボートは俯いてそう述べた。今それがわかった。
「それでは最早」
「去りましょう」
「人であらざる世界から」
 ナラボート達は止むを得なくその場を後にした。しかしそこにはまだサロメがいた。今もじっとヨカナーンを見詰めている。
「さあ、口付けを」
 そうヨカナーンに言う。
「その唇を」
「淫欲は全てを滅ぼす」
 ヨカナーンはサロメを見ずにそう述べた。
「淫欲の罪を犯した女の娘、人を救うあの方を迎えよ。そうして御前は救われるのだ」

「救いが何だというの?」
 サロメにとっては救いなぞはどうでもよかった。きっぱりとした声で語り首を横に振るのであった。そのうえでまたヨカナーンに問う。
「口付けを」
「愚かなことだ」
 その言葉に言い捨てる。
「そうして身を滅ぼすというのか。ならそうするがいい」
 サロメから目を離したまま。ゆっくりと身体も離していく。
「何処へ行くの?」
「私が今までいた場所に」
 そうサロメに告げる。
「それだけだ」
 井戸に戻っていく。自分から再び闇の中へ入り姿を隠したのであった。
 サロメはそんな彼をじっと見詰めていた。姿が見えなくなったがまだ彼を見ていた。

「きっと私は」
「王女様」
 そこにナラボートが戻ってきた。兵士達も一緒である。
 彼等は難しい顔をしている。その顔でサロメを見ていた。
「何かしら」
「宮殿においで下さいとのことです」
 ナラボートはそうサロメに告げる。
「宜しいでしょうか」
「宮殿に」
 サロメはそれを聞いて顔を顰めさせた。
「そうです、宮殿に」
「ですから」
 兵士達も彼女に告げる。
「元気がないと言って」
 そう言って行こうとはしない。
「今は」
「ですが陛下の御要望ですので」
 茶髪の兵士がそう述べる。
「ですから」
「断れないのね」
 サロメは不機嫌な顔で彼に問い返す。
「どうしても」
「たまにはおいでになられるのもいいかと思います」
「ですから」
「仕方ないわね」
 その言葉に不承不承ながら応えることにした。
「それじゃあ」
「はい」
「ではどうぞこちらに」
 彼等はサロメを宮殿に導いていく。みらびやかな大きな部屋の中に様々な着飾った男や女が入り乱れ酒と馳走、ローマやエジプトのそれの淫らな服に身を包んだ芸人や歌い手達が遊んでいる。淫らな曲に合わせて淫らな舞を舞い男達はそれを見て喝采を送っていた。
 美食はあちこちに散乱し皆それを貪っている。美酒は美女の口から男達の口に注がれ淫猥な味を醸し出させている。その中央の二つの玉座にその中でも特別に着飾った初老の男女がいた。



ヨカナーンの予言。
美姫 「サロメはどう行動するのかしら」
うーん、一体どんな話になるんだろう。
まだ分からないな。
美姫 「どんな結末が待っているのかしらね」
続きを待っています。



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