『三つのオレンジの恋』




                              第一幕  沈んだ王子

「いや、あれだよ」
「違うって」
「そうじゃないんだ」
 舞台の上で何人かが議論をしていた。
 やたらと悲しい顔をした人間もいれば笑っている顔の人間もいる。着飾った男もいれば呆けた顔の人間もいる。どれも老若男女揃っていて誰が誰なのかもわからない程だ。
 その彼等が銘々口を開いて言い合っている。議論の内容は。
「この話はどうなるかはだな」
「悲劇にすべきだ」
 悲しい顔の連中はこう主張するのだった。
「絶対にそうするべきだ」
「いいや、喜劇だ」
 笑っている顔の連中がそれに反論する。
「笑えるものでないと」
「詩が一番ではないのか?」
 着飾った者達の主張も出て来た。
「叙情というものが欲しいのだが」
「いやいや。そんなものはいらない」
 呆けた連中まで言い出した。
「やはり馬鹿げた話にしてな」
「いいや、やはり悲劇だ」
「喜劇でないと駄目だよ」
「詩人こそが素晴らしい」
「芝居は面白くなくて何が芝居なんだ?」
 最早混沌としていた。だがそれでも彼等は言い合い続ける。
「悲劇だ」
「喜劇だ」
「詩だ」
「馬鹿げたものにしてだ」
 そうした言い争いは何時果てることなく続こうとしていた。しかしここで。
「ああ、もうそれ位にして」
「止めましょうね」
「むっ、あんた達は」
「ピエロじゃないか」
 今度出て来たのはピエロ達だった。彼等が出て来てそのうえで一同に告げるのだった。
 そうしてそのうえで。そのピエロ達が言うのであった。
「では皆さん」
「今回の舞台はです」
「今回は何をするんだ?」
「それがわからないのだが」
 他の者達はピエロ達の後ろから問うた。
「一体何を」
「それで作品は」
「三つのオレンジの恋」
「それだよ」
 ピエロ達はその作品が何かも話した。
「それを今上演するから」
「楽しみに待っていてくれ」
「いいな」
「わかった。それじゃあ」
「楽しみにさせてもらおうかな」
「いやいや」
 ピエロ達は去ろうとする彼等を呼び止めるのだった。そうしてそのうえでさらに告げる。
「あんた達にも仕事はあるんだよ」
「当然わし等も」
「まさかその三つのオレンジの恋に」
「我々も出るのか」
「如何にも」
「その通りだよ」
 ピエロ達は得意げに笑いながら彼等に話す。話しながらひょうきんな動作をしてみせるのが如何にもピエロらしい行動だった。
「さあ。だから」
「早く用意しよう」
「早速な」
 こう口々に話していくのだった。
「もうすぐ舞台もはじまるし」
「それじゃあ行くか」
「まあ仕事ならな」
「やるか」
 こう彼等の言葉に頷いてそのうえで舞台を後にする。そうして今舞台がはじまった。
 その国が何処にあるのか誰も知らない。何時何処にこの国があったのかはわからない。しかしその国の王宮は実に見事なものだった。
 みらびやかな装飾で飾られた赤い宮殿だった。丸いアーチ型の屋根に所々に黄金が見える。高い塔が幾つもあり重厚な趣である。
 その中もまた見事なものだった。巨大な暖炉に堆く積まれ飾られた黄金の装飾とクロテンの毛皮、それとウォッカに脂の匂いが満ちている。
 音楽も聴こえる。賑やかでかつ派手な音楽だ。大広間もまた同じであり煉瓦の上に紅の絨毯が敷かれている。その中で王は玉座から隣にいる王子を見ていた。
 王は濃い黒い髭を生やしクロテンの毛皮のマントに分厚い服を幾重にも着ている。王冠は黄金で出来ておりそこにサファイアやルビーが飾られている。その隣に座す王子も見事な分厚い服を着ている。
 その顔立ちは柔和で白い。目は青く神は黄金である。小柄で細い面持ちである。その王子を見ながら浮かない顔をしている王だった。
「駄目か」
「はい、どうやら」
「駄目なようです」
 そこに頭の禿げた赤い髭と鼻の男と緑と赤の服を着た道化師が出て来て答える。道化師は白く化粧をして笑顔になっているが実際の表情は浮かないものだった。
「王子様はやはり」
「何とも」
「困ったことだ」
 王は詩人達の歌を聴きながら浮かない顔をしていた。
「我が御霊は神の御前にあり」
「今永遠の喜びを確かめる」
「この歌も素晴らしいものだが」 
 王は詩人達の歌を聴きながら述べた。
「しかしそれにも」
「はい、全くです」
「私が何もしてもです」
 今度は道化師が言ってきた。
「何もできません。それに」
「それに。どうしたのだトゥルファルディーノ」
 禿げた男がその道化師の名を呼んで問うた。
「何かあるのか」
「はい、パンタローネ様」
 道化師もまた彼の名を呼んでそのうえで応えた。
「私の弟子達が何をしてもです」
「ほら王子様」
「如何でしょうか」
 実際に今度はピエロ達が王子の前でおどけた踊りを見せる。呆けた男達もそれと共にあれやこれやと笑ったり騒いだりしているがだった。
「駄目です、この通り」
「そうか。それではだ」
 パンタローネは困り果てた顔をしながらもここで自分の手を叩いた。すると今度は喜劇役者と悲劇役者達が出て来た。そのうえで彼等は混ざって芝居をはじめた。
「ああ、私は歌に生き愛に生き」
「すぐにドゥルカマーラのところに行かないと」
 芝居をする。しかし王子は俯いたままであった。
「駄目か、やはり」
「困ったことだ。このままではだ」 
 王は王子を見続けながら再び言った。
「王子はわしの跡を継げぬ」
「ええ、これでは」
「流石に。何も喋られず動かれないのでは」
 パンタローネも道化師もその言葉に頷いた。
「どうしようもありません」
「それでは」
「王位はあれに譲るしかない」
 王の顔は急激に曇ってきた。そしてその顔で言うのだった。
「クラリーチェにな」
「クラリーチェ様ですか」
「あの方に」
「嫌な話じゃ」
 王はその顔で再び言った。
「全く以ってな」
「はい、クラリーチェ様は何かと評判の宜しくない方ですし」
「こう言っては何ですが」
 パンタローネも道化師もよく見れば困惑しきった顔になっていた。そうしてその顔で話すのだった。
「意地がお悪いですし」
「それに野心も強い方ですので」
「おまけに浪費家で浮気者だ」
 王も彼女のことはよく知っているのだった。
「あの者を王にすれば大変なことになる」
「私もそう思います」
「ですから」
「どうすればよいかのう」
 王は悩み苦しむ顔で呟いた。
「ここは」
「そうですな。ここは」
 王に応えてパンタローネが言うのだった。
「祭を開きましょう」
「祭をか」
「そうです。如何でしょうか」
 再び王に対して言うのだった。
「それでは」
「祭りか」
 祭と聞いて少し考える顔になる王だった。そうしてそのうえで話すのであった。
「面白いかもな」
「では開きますか、祭を」
「やってみる価値はある」
 王は言った。
「それで王子が気を取り直すのならな」
「わかりました。では」
「レアンドル」
 王はここでもう一人を呼んだ。すぐに黒い服を着た暗い顔の男が出て来た。暗いのは表情だけでなくその目の色も顔の色もであった。
「王よ、御呼びでしょうか」
「そなたに命じることがある」
 己の前に来て一礼した彼に対して告げた。
「よいか」
「何なりと」
 まずはこう返したレアンドルだった。
「祭の準備をするのだ」
「祭をですか」
「パンタローネとトゥルファルディーノを助けてな」
「そうだ」
 再び彼に対して告げた。
「王子の心を取り戻す為にな」
「王子のですか」
 それを聞くと何故かその顔をさらに暗くさせた彼であった。
「御心を」
「そうだ。できるか」
「わかりました」
 そのこの上なく暗い顔での言葉だった。
「それでは」
「頼んだぞ。これで心が取り戻せればだ」
 王の言葉は実に切実なものだった。
「王子だけではない。この国も救われるのだ」
「はあ」
 今一つ以上に浮かない顔のレアンドルだった。だが何はともあれ彼等は王子の為に祭を開くことにしたのであった。その俯いたままの王子に対して。
「しかしじゃ」
「どうしたというの?」
 その時地下では黒い足まで完全に隠れた黒い服の魔法使いと魔女がそれぞれ向かい合って座っていた。地下は黒い土の世界でありキャンドルで照らされている。彼等はその中で黒いテーブルを挟んで座りそのうえでカードをしていた。
「ファタ=モルガーナ。御前も強情だな」
「それは私の台詞よ、チェリー」
 金色の髪と目の整った顔の魔法使いに対してこれまた整った顔の銀色の髪と目の美女が返していた。
 男は若々しく涼しげな顔をしている。しかし何処か騒がしい目の光を放ってもいる。
 女は鼻が高く小さな口をしており知的な美貌を持っている。しかし彼女もまたその表情に何処か騒がしいものをたたえていた。
 その彼等が今それぞれカードを持ってそのうえで言い合っているのであった。
 彼等の周りでは小鬼達が飛び跳ねて踊っている。それが実に騒々しい。
「悲しいのがいい」
「楽しいのがいい」
「いやいや、詩が一番だ」
「馬鹿話を言い合おう」
 こんなことを言い合いながら騒いでいるのだった。そしてチェリーはその中でクラブのキングを持ちながらファタ=モルガーナに対して話す。一方ファタ=モルガーナはその手にスペードのクイーンを持っている。それぞれ別のカードを手にしているのだった。
「こうして何時までも勝負を諦めないんだからな」
「あんたもね。よく飽きないわね」
「今度は負けんぞ」
 強い声でファタ=モルガーナに告げた。
「何があってもな」
「私もよ。あんただけには負けないわ」
「全く」
「強情なんだから」
 こんな話をしながら延々とカード遊びを続ける。二人は今は動く気配はなく小鬼達にも全く目を向けることはなかった。ただカードだけをしていた。
 そして王宮の大広間では。今は王も王子もいない。そのかわりにレアンドルが金髪を長く伸ばしており目つきの悪い高慢そうでかつ如何にも意地の悪そうな赤いドレスの女と共にいた。そしてそのうえで彼女の前で小さくなってその話を聞いているのであった。
「情けないことね」
「すいません」
「このままではラチが明かないわ」
 女は右手に持っている黒い羽根の扇を振りながら述べた。
「鬱にさせるだけではね」
「ではクラリーチェ様」
 レアンドルはその言葉を聞いて彼女の名を呼んだ。二人しかいない王宮は静まり返っている。玉座と王子の座の向こうには果てしない闇が広がっている。
「それでは一体何を」
「色々あるわ」
 ここでクラリーチェは酷薄な笑みを浮かべたのであった。
「色々とね」
「色々ですか」
「思いつかないの?例えば」
 その酷薄な笑みと共にさらに話す。
「阿片や」
「阿片・・・・・・」
「それか銃弾か」
 物騒なものを次々に出すのだった。
「それで王子を完全に呆けさせてしまうか亡き者になするかよ」
「あの、幾ら何でもそれは」
 レアンドルはクラリーチェのとんでもない言葉を受けてその表情を曇らせた。暗い顔ではなく曇らせた顔でそのうえで言うのだった。
「酷過ぎるのでは」
「酷い?何処がかしら」
 彼にそう言われても平然としているクラリーチェだった。
「呆けさせても始末してもどうということはないじゃない」
「今のままで充分ではないでしょうか」
 レアンドルの顔は困惑しきったものであった。
「流石に。御心が戻っていないのですから」
「戻ったらそれで何もかもが終わりなのよ」
 しかしクラリーチェはまだ言うのだった。
「そう、何もかもね」
「しかし祭を開いてもです」
 レアンドルがここで出した名前は。
「ファタ=モルガーナの魔法で王子は何があっても」
「念には念を入れるべきよ」
 クラリーチェの言葉は変わらない。
「だからよ。ここは」
「王子をですか」
「私がこの国の主になったなら」
 今度はこうしたことを言うのだった。
「レアンドル」
「はい」
「貴方はこの国の王よ」
「私がですか」
「私は今一人よ」
 独身ということである。見ればそれなりにい歳であるがそれでもだ。
「そして貴方も」
「はい、妻に先立たれてもう随分経ちます」
 こう述べるレアンドルだった。
「それはそうですが」
「ならお互い都合がいいわ。私が女王で」
「私が王」
「王になりたいわね」
 あらためて彼に問うた。
「それで」
「ええ、まあ」
 少し力なく答えるレアンドルだった。
「それはその通りですが」
「なら決まりよ。わかったわね」
「わかりました」
「とりあえず殺しはしなくても」
 それは一先置くというのである。
「祭が開かれても」
「王子を笑わせない」
「そうよ。そしてその為には」
 クラリーチェの言葉は続く。それと共に彼女の頭の中はかなり激しく仕事を続けていた。
「あの女にここに来てもらうわ」
「ファタ=モルガーナをですか」
「そうよ。あの女が来れば」
 また言うクラリーチェだった。
「もうその魔法で何もできなくなるわ」
「確かに。あの女の魔法では」
「そうよ。私達には地下の世界の魔法使いがいるのよ」
 このことにかなり強い後ろ楯を感じているクラリーチェであった。
「お祭で何か出来るわけはないわ」
「それでは」
「すぐにファタ=モルガーナを呼び出して」 
 クラリーチェはレアンドルに告げた。
「いいわね」
「はい」
 こうして二人は手を打った。その後で祭が開かれた。場所は王宮の中庭であった。雪が降る白い世界の中で王は王子と並んで座っている。そのうえで我が子を心配そうな顔で話しているのであった。
「祭で本当に上手くいくのか?」
「やってみないとわからないかと」
 王の横に立つパンタローネがこう答える。庭にはクラリーチェやレアンドルだけでなく多くの大臣た貴族達が揃っていた。そこにはあの悲劇役者に喜劇役者、詩人に呆けた者、ピエロ達も揃っていた。彼等はそれぞれの芝居や歌の打ち合わせに余念がなかった。
「そしてここでは」
「よし、そうしてだ」
「そのうえで皆で」
「盛り上げよう」
「頑張ってな」
 こんな話をして打ち合わせをしている。クラリーチェとレアンドルは隣にいる長い銀髪を後ろで束ねたファタ=モルガーナとあれこれと話をしている。
「それでだけれど」
「頼んだぞ」
「任せておくことよ」
 ファタ=モルガーナは自信に満ちた顔で二人に告げていた。
「私が来たからにはね」
「大丈夫なのね」
「何があろうとも」
「私を誰だと思っているのかしら」
 こんなことも言うのだった。
「私は地下の魔女よ」
「ええ」
「それはよくわかっているつもりだ」
「私の魔術には誰もあがらうことはできはしない」
 その自信はここでも健在だった。
「絶対にね」
「それじゃあ今も」
「頼んだぞ」
 こう言葉を交えさせてそのうえで祭が開かれるのを待っていた。やがて道化師が庭の真ん中に出て来てそのうえで一同に告げるのであった。
「さあさあ皆々様」
「おお、道化師だ」
「いよいよはじまるな」
 貴族達は彼の姿を認めてそれぞれ言った。
「さて、それじゃあ」
「何がはじまるかな」
「まずはこれを御覧下さい」
「やあやあどうもどうぞ」
「お邪魔します」
 まず出て来たのはピエロ達だった。それぞれ過渡やかに動き回りながらおどけてみせている。
「こうしてほいっ」
「どうでしょうか」
 逆立ちをしてそこから飛び跳ねたり奇妙なダンスを踊ったり。それが最初に一同の興味を引いた。
「これはかなり」
「見事な」
「今我々は明るく働き」
「明日の為に笑いましょう」
 今度は詩人達が出て来て歌う。呆けた者達は彼等の演奏に合わせて芸をしてみせる。
「ほいっと」
「はいっ」
 腹を見せるとそこには顔が描かれている。
 それを動かしてみせる。すると一同大笑いになった。
「おお、これは面白い」
「蛇も操ってみせているし」
 見れば蛇を出してそれを詩人に向ける。すると詩人達は演奏は続けているがびっくりした顔になって逃げ惑う芝居をしたのであった。
「蛇だ蛇だ!」
「逃げろ!」
 こうした話をして逃げ惑ってみせる。わざと慌てて。
 そこに悲劇役者達が出て来て。わざと嘆いてみせる。
「雪に蛇が出て来るとは」
「これ以上の嘆きがあろうか」
「ああ、神よ」
 そのままの彼等の普段の演技だが実に場違いなものであった。
「これではどうしたものか」
「最早何もないではないか」
 この場違いさも笑いの元だった。最後には喜劇役者達が登場して面白おかしく芝居を見せる。誰もが一連の見世物に大笑いだった。しかし王子だけは。
「駄目か」
「はい」
「お祭でも」
 パンタローネと道化師も俯いたままの王子を見ながら王に答える。
「どうしても」
「駄目なようです」
「困ったのう」
 王はいよいよ手がなくなったと思いだしていた。
「このままでは本当に」
「クラリーチェ様がこの国の王になります」
「そうです。あの方が」
 道化師も困り果てた顔になっていた。そうして無意識のうちにそのクラリーチェのいる方に顔をやる。そしてそこで彼女を見つけたのであった。
「むっ!?」
「どうしたのだ?」
「いえ、あの女ですが」
 パンタローネの言葉に応えてそこにいるファタ=モルガーナを指差したのであった。
「あの銀色の髪と目の女は」
「むっ!?まさか」
「ええ、そのまさかですよ」
 ここでまたパンタローネの言葉に応えるのだった。
「ファタ=モルガーナです」
「あの女が何故ここに!?」
「クラリーチェ様のお側にいますが」
「では悪巧みをしているのか」
「その可能性は高いかと」
 ファタ=モルガーナの名前はこの国にも届いている。非常に底意地の悪い魔女としてだ。
「ですから」
「追い払うに限るな」
「また何をしてくるかわかりません」
 不吉なものを感じながら述べる道化師だった。
「ですから」
「追い払おう」
「はい」
 こうして道化師はファタ=モルガーナのの方にそっと近付いた。そうして化粧の下に剣呑な表情を隠してそのうえで彼女に告げるのだった。
「おい」
「何よ」
「何よではないっ」
 怒った声でファタ=モルガーナに告げる。
「ファタ=モルガーナだな」
「人違いよ」
「ではその髪は何だ?」
 まずは髪の毛を指摘するのだった。その銀色の髪の毛を。
「それに目の色も」
「髪や目がどうしたっていうのよ」
「どちらも銀色ではないか」
 道化師はそのまま指摘してみせた。
「それこそが何よりの証拠だ」
「私がそのファタ=モルガーナだっていう?」
「その通りだ。何をしに来た」
 今にも彼女に殴りかからんばかりの剣幕になっていた。
「何を企んでいる。ことと次第によってはだ」
「どうするっていうのよ」
「出て行ってもらうぞ」
 一歩ずい、と前に出ての言葉だった。
「いや、本当に出て行ってもらおうか」
「いい度胸ね」
 ファタ=モルガーナも負けてはいない。如何にも気の強そうな顔で彼に返してきたのだった。
「私にそんなこと言うなんて」
「出て行かないのか」
「あんたの指図は受けないわ」
 彼の顔を見上げて言い返してみせた。
「あんたなんかのはね」
「言ったな。では腕づくでもだ」
「できるっていうの?」
 いよいよ一触即発となってきた。どちらも全く引かない。
「言っておくけれどね、喧嘩では子供の頃から負けたことがないのよ」
「口喧嘩でか?」
「殴り合いでもよ。男にもね」
「面白い。それはわしもだ」
 完全に売り言葉に買い言葉であった。
「ではだ」
「やるのね」
「こうしてやるわっ」
 いきなりファタ=モルガーナの左腕を掴んだ。そうして。
「さあ出て行け」
「追い出そうっていうのね、本当に」
「悪巧みをしているに決まっているわっ」
 彼は既に彼女のことをよく知っていた。地下にいてそこから悪巧みをして魔法を使う悪い魔女だと。既に有名になっているのである。
「だからだ。出て行けっ」
「はいそうですかって従う奴なんていないわよっ」
 ファタ=モルガーナも負けてはいない。彼のその手を思いきり振り払って返す。
「誰があんたみたいな不細工なピエロに!」
「誰が不細工だ!」
「あんたよ!」
 今度は言い争いをはじめる二人だった。
「あんた以外に誰がいるのよ!」
「わしは男前で通っている!」
 道化師は意地になった声で彼女に言い返した。
「それこそ水も滴るようなな!」
「そのお化粧でわかるものですか!」
「では見てみるか!」
「ええ、見てやるわよ!」
 言い争いはさらに激しいものになっていく。
「その不細工な顔をね!」
「おのれ、まだ言うか!」
「何度でも言ってやるわよ!」
 ファタ=モルガーナは実際に言いながら彼に掴みかかってきた。
「この醜男!」
「この魔女が!」
 そして道化師も応戦する。お互いにつねったり引っ掻いたり掴んだり引っ張ったりといったみっともない喧嘩に入ってしまっていた。
 それは周りにも丸見えだった。皆そうした二人を見て祭をよそに言うのだった。
「何だ?見世物か?」
「芝居の一環か?」
 こんなことを言いながら二人を見る。それは王達も同じだった。
「どうしたのじゃ、道化は」
「さて」
 王の問いに首を傾げるしかないパンタローネだった。
「何でしょうか」
「見世物じゃろうか」
「そういえばあの女」
 パンタローネはその目を細めさせて言った。
「ファタ=モルガーナに似ていますな」
「そういえばそうじゃな」
「よく化けております」
 まさか本人だとは思いも寄らないのだった。
「髪を見事に染めて」
「目はそのままなのかのう」
「魔法で色を変えてみせているのでは?」
 二人は能天気にそう考えていた。
「いや、それにしても本人によく似ています」
「全くじゃ」
 二人は本物だとは全く気付いていない。そしてそれは道化師やクラリーチェ達以外の祭に参加し観ている者達も同じであった。
「いや、面白い見世物だ」
「今度の演目はファタ=モルガーナとの喧嘩か」
「それにしても本人にそっくりだな」
 見世物だと思っているのだった。
「髪の毛や目の色も」
「顔も似ているよな」
「服までな」
 何もかもがそっくりたと感心していた。勿論二人が本気で喧嘩をしているとは思いも寄らない。二人は既に髪の毛は乱れ帽子も服も破れだしている。汗だくにもなっており実に酷い様子であった。
 しかしそれでも喧嘩を続けている。クラリーチェ達は何時の間にかファタ=モルガーナと離れていた。そうしてそこから喧嘩を見ながらひそひそと話すのであった。
「私達は無関係よ」
「関係ありませんか」
「そう、あの女はファタ=モルガーナではないわ」
 こういうことにして厄介ごとから避けようというのがクラリーチェの魂胆であった。
「いいわね、それで」
「はあ。それでしたら」
「ここで見ていればいいから」
 何時の間にか祭の端に位置していた。そこから高見の見物に興じることにしたのだった。
 皆その喧嘩を見ている。そしてそれは王子も同じだった。あまりにも突拍子のない騒ぎなので無意識のうちに顔をあげていたのだ。またファタ=モルガーナが喧嘩に夢中になってしまって魔法を解いてしまっていたのだった。王子の病は治ろうとしていた。
 そのファタ=モルガーナは相変わらず道化師との喧嘩を続けている。その中で一旦間合いを離して体当たりを仕掛けようとする。ところが。
「おっと」
「あっ」
 その体当たりは道化師にあえなくかわされてしまった。そしてバランスを崩した彼女は滑りながら足からバランスを崩していき。そのままこけてしまった。
「いったあぁぁい・・・・・・」
 背中も頭も打ってしまった。その鈍い痛みに思わず声をあげてしまった。しかもそれだけではなかった。
「ははは、何という姿だ」
 まずは道化師の嘲る声を横から聞いた。
「踏み固められた雪の上は滑る。注意しておくのだったな」
「言われなくてもね」
 ムキになった顔と声で上体を起こしながら言い返す。
「そんなことは」
「それにしてもだ」
 道化師の嘲る声はまだ続いていた。
「早く服をなおすことだな」
「服!?」
「だから何という姿だ」
 道化師はまたこう言ってきたのだった。
「自分の姿をよく見てみろ」
「姿!?・・・・・・えっ!?」
 気付いてみると何と。その法衣がめくれあがってしまっていた。それで脚も下着も丸見えになってしまっている。
「おお、脚もいいな」
「全くだ」
「実に艶かしい」
 これには悲劇役者であっても呆けた者であっても言葉は同じだった。黒いハイヒールにこれまた黒いストッキングに包まれた脚は確かに見事なものだった。
「それに下着も」
「色気があるな」
「美人だし余計に」
 喜劇役者も詩人もそのショーツに目が釘付けになっていた。ストッキングはガーターでありショーツは黒である。肌が白いだけにその黒がかなり目立つ形になってしまっている。
「いやいや、これは面白い余興で」
「サービス満点」
 ピエロ達がおどけて踊りながら囃し立てる。
「まさかこんな美女が出て来るとは」
「しかもこんなものを見せてくれるとは」
「全く全く」
 貴族達も満足している。そして王子も。
「あはは、何あの女の人」
 王子の席から転げるようにして笑いだしたのである。
「パンツまで見せて転んで。喧嘩だけでもおかしかったのに」
「しまった、魔法が」
 ファタ=モルガーナはここで王子にかけていた鬱病の魔法が解けてしまったことを悟った。
「喧嘩に夢中になってそれで」
「奇麗なのに下着まで見せて」
 王子は笑い続けている。
「それもあんなこけ方ってないよ」
「王子が笑ったぞ」
「はい」
 王もパンタローネも顔を見合わせて言い合う。
「何ということじゃ」
「奇跡です、これは」
「王子様が笑われたぞ」
「しかもあれ程明るく」
 他の者達もこれには驚いていた。
「いや、何と素晴らしい」
「全くですな」
 皆このことに驚いたうえで喜んだ。二人を除いて。
「どういうことなの!?これは」
「魔法が解けたようです」
 レアンドルが驚いているクラリーチェに対して告げていた。
「どうやら」
「あの魔女がパンツを見せたからなの?」
 見ればファタ=モルガーナも上体を起こしたまま呆然となっている。相変わらずその見事な脚と下着を露わにさせたままであった。
「そのせいだっていうの!?」
「若しくはあの時の喧嘩に夢中になって」
「何てことなの」
 事態を理解したクラリーチェは今度は忌々しげな顔になって呻いた。
「それでこんなことになるなんて」
「どうしましょうか」
 レアンドルはおずおずと主に尋ねた。
「この事態は」
「様子を見守るしかないわ」
 とりあえずはこう言うクラリーチェであった。
「今はね」
「左様ですか」
「魔法が解けたのは癪だけれど」
 事実は事実として認めるしかないということだ。
「ファタ=モルガーナだってこのままじゃ終わらないでしょうしね」
「そうですな。それでは」
 こうして二人は今は様子を見守ることにした。王子はなおも笑っている。
「しかもまだパンツも脚も見せたままだし」
「えっ・・・・・・」
 王子の今の言葉で自分の状況に気付いたファタ=モルガーナだった。
「いけない、これじゃあ」
 慌てて服を元に戻し隠すべきものを隠す。そうして立ち上がって身なりを整えて。そのうえでまだ笑っている王子をきっと見据えるのだった。
「見たわね」
「見たも何も見せてくれたじゃない」
 王子の言う方が正解だった。
「違うの?それは」
「許さないわよ」
 しかしこの場合正論は何にもなりはしなかった。かえってファタ=モルガーナを怒らせるだけであった。
 彼女はその身体をワナワナと震わせそのうえで。右手から黒い星が付いたステッキを出してそれを王子に突き付けて叫んだのだった。
「呪われるがいいわ!」
「呪い!?」
「そうよ、三つのオレンジに恋をしなさい!」
 怒りのまま叫んだのであった。
「そうして死ぬ程苦労して本当に死ぬがいいわ!」
「何っ!?まさか」
「あの女は」
 ここで皆やっと気付いたのだった。
「まさか本物の」
「ファタ=モルガーナなの!?」
「さあ、王子よ」
 呪いをかけ終えてもまだ怒っているファタ=モルガーナはさらに王子に対して告げる。
「そのオレンジを観つける旅の中で野垂れ死になさい!」
 こう言うと彼女のいる場所に派手な爆発が起こった。そうしてその中に消え去ったのであった。
「消えた・・・・・・」
「じゃあやっぱり」
 これではっきりとなった。彼女はやはりファタ=モルガーナだったのである。あの悪名高き。
「本物だったとはのう」
「全くです」
 皆そのことに呆然となっている。それは王とパンタローネも同じであった。
「しかし三つのオレンジとは」
「何なのでしょうか」
「よし、それなら」
 だがここで王子が言うのだった。
「見つけ出しに行くよ」
「えっ、王子」
「何と」
「道化よ」
 彼は周囲が自分の言葉に顔を向ける中で道化師に顔を向けて告げてきた。
「そなたが共になるのだ」
「えっと、私がですか」
「そうだ。目指すは魔女クレオンタの城だ」
「魔女クレオンタの!?」
「あの世界の果てにある」
 クレオンタという魔女は世界の果てに住んでいるのである。森に河に谷に海に荒野に山に砂漠を抜けたその果てに。一人で住んでいる変わった魔女である。
「まさか。そんなところまで行かれるとは」
「折角御病気が治ったのに」
 皆今の王子の言葉に驚く。王はさらに切実に我が子に対して問うのだった。
「王子よ、それは本気なのか?」
「はい、そうです」
 王子の返事は聞き間違えようもないまでにはっきりとしたものであった。
「父上、私は行きます」
「魔女の城にか」
「三つのオレンジを手に入れに」
 その為だというのである。
「今から行きます」
「しかしじゃ」
 王は困惑しながら我が子に言葉を返す。
「そこまで辿り着けるのか」
「御心配には及びません」
 ここでもはっきりと答える王子だった。
「今の私には勇気も分別もあります」
「それでもじゃ。途中には」
「そして剣もあります」
 こう言って聞かないのであった。
「そして知恵袋も」
「それが私なのですね」
「その通りだ」
 満足した顔で道化師を見ながらの言葉であった。
「そなたもいてくれる。だから大丈夫だ」
「はあ。そうですか」
「ですから父上」
 あらためて父王に言うのであった。
「今から行きます」
「何ということじゃ」
 怒涛の、かつ衝撃の展開にまずは唖然となっている王だった。
「この様なことになるとは」
「どうしましょうか」
「行かせるしかあるまい」
 パンタローネの言葉にも唖然となったまま返すだけだった。
「今はのう」
「左様ですか」
「では道化師よ」
 王子はもう席を立っていた。腰の剣と白いマントが如何にも王子らしい。
「行くぞ」
「今ですか」
「そうだ、今だ」
 道化師の問いにこれまたはっきりとした言葉で返す。
「わかったな。それではだ」
「はあ。それじゃあ」
「いざ冒険の旅へ!」
 腰の剣を抜きそれを天に高々と掲げての言葉であった。
「三つのオレンジを手に入れる為に!」
 呆然とする周りの者をそのままに旅立つ王子であった。後に従う道化師もまだ呆然としていた。



レアンドルはクラリーチェ側でどうなるかと思ったけれど。
美姫 「まさか、魔女自身が呪いを解くとはね」
結構、間抜けかなと思ったけれど新しい呪いを掛けていったな。
美姫 「三つのオレンジってどういう意味なのかしらね」
本当にオレンジなのかな。しかし、呪いに掛かっているはずなのに身体に異常はないような気もするが。
美姫 「ここからどんな話になるのかしらね」
次回も待っています。



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