『さまよえるオランダ人』




                          第一幕  永遠に彷徨う者

 ノルウェーの岸壁。荒れたこの場所に今一隻の船が近付いてきた。空は暗く激しい嵐が荒れ狂っている。海も荒れ船はそこから逃れてきたようである。
 船は錨を下ろすとそこに停泊する。帆を降ろし綱を投げたりしている。その間に船長らしき男が岩場に降りてきていた。そのうえで周りを見回す。
「ダーラント船長」
 船から船乗り達が彼の名を呼んで声をかける。
「そっちはどうですか?」
「問題ありませんか?」
「いや、ない」
 ダーラントは低く底から聞こえるような声で彼等に応えた。船乗りの服を着ている大柄で顔中髭だらけの男だ。髭には白いものが混ざっている。それを見れば初老らしきことがわかる。少し垂れている目の尻には皺もある。だが姿勢はよく堂々としたものであった。
「何もないぞ。だが」
「だが?」
「かなり押し流されてしまったな」
 彼が言うのはそれであった。
「嵐のせいでな」
「はい、それは」
「長い航海の後でもうすぐ到着だというのに」
 ダーラントの目が曇っている。
「こうなってしまうとはな」
「まあそれは」
「ここはザンドウィーケさ」
 ダーランとはここの地名も知っているようだった。
「もうすぐだが。しかし」
「娘さんが気になるんでしょ?」
「よっ、憎いね」
「うむ、ゼンタにな」
 ダーラントは船員達の言葉を聞いて娘の名を呟いた。
「会えると思っていたが今は仕方ないな」
「それでどうされますか?」
「今は休もう」
 結論としてはこうであった。
「焦っても仕方ない。それでいいな」
「わかりました。それじゃあ」
「それでだ」
 ここでダーラントは船乗りの一人に声をかけてきた。
「舵取りよ」
「はい」
 その舵取りがダーラントの言葉に応えてきた。
「わしは寝るがその間見張りを頼めるか」
「ええ、それでは」
 舵取りは彼のその言葉に応えて頷いてみせてきた。
「お任せ下さい」
「うん、それじゃあ頼むぞ」
 ダーラントはそれに応えて船に戻る。他の船乗り達も船の中に入っていく。甲板に残っているのはその舵取りだけだが。彼も何か眠そうに目をこすりだした。
「遠い海から嵐を超えて御前の胸に戻って来た。愛しの南風に連れられて御前にこの黄金の腕飾りを」
 そう歌いながらうつらうつらとしていきやがては。完全に眠りに入ってしまった。するともう一隻船がやって来た。それは実に変わった船だった。
 マストは漆黒でありその帆は血の様に赤い。波をものともせず音も立てず海の上を進んでくる。そして岸に泊まり投錨する。やがてその船から一人の男が出て来た。
 変わった男だった。服は黒いスペイン風の服だった。ズボンに服、そしてブーツとカラー。ただしそのカラーも白ではなく黒だ。帽子も黒であり何もかもが漆黒だ。陰気な顔をしており顔色は蒼い。蒼白だった。暗い黒い目をしており髪も同じ色だ。大柄であるが幽鬼の様に見える。不気味な男であった。
 男は岩場に降り立つと。まずはこう呟いた。
「期限は切れた」
 まずはこう。
「幾度めかにまた七年が過ぎた」
 時間が言われた。
「如何にも飽きたというように海は私を陸に置く。だが高慢な海よ、御前はすぐに私を呼ぶ。そんな具合に御前の反抗は強靭だが私の苦しみは永久だ」
 こう述べていく。
「私が陸に探し求める幸せを私は決して見出しはできぬだろう。世界の海のあらゆる潮よ、私は御前と運命を共にする。世界の波が全て砕け最後の水が渇くまで私は御前と共にある」
 言葉を続けていく。
「憧れの心もて海の淵に身を投じたことも行くたびか。帆の恐ろしき墓である浅瀬に船を追いやっても死ぬことは許されぬ。命知らずの海賊達に戦いを挑んでも彼等は十字を切って逃げる。これが悪魔が私に与えた恐ろしい呪いなのだ。私の忌まわしい運命なのだ」
 ここで彼は上を見上げた。暗澹たる空を。
「讃えられるべき天使よ、我が救済の条件を与えてくれた天使よ」
 空に向かって問う。
「御前が私に救済の手立てがあると示してくれたのは私を御前の嘲笑の道具をする為だったのか!?無駄な希望!恐ろしくも甲斐なき妄想!」
 叫びだした。
「地上の永遠なる貞節は終わりを告げた。ただ一つの希望よ不動であれ私に残されてあれ!」
 心の叫びであった。彼の儚い心の。
「地に萌芽がある限りその萌芽も滅んでいく。新盤の日よ最後の日よ、御前は何時私の前に姿を現わす、この世の終わりを告げる殲滅の音は何時響く。全ての死人が蘇るその時に私は救われるのだ。宇宙よ、御前の運行を止めよ!」
 そして最後に言う。
「とこしえの壊滅よ、私をとらえてくれ!」
「とこしえの壊滅よ、我々をとらえてくれ!」
 船の中からも声が響く。それが終わってから船の中からダーラントが出て来た。そして眠っている舵取りに声をかけてきたのだった。
「おい舵取り君」
「はい!?」
「寝ていたのかい?」
「いえ、私は」
 飛び起きて彼に応える。
「何も」
「しかしだね。見てくれ」
 彼はここで舵取りに対して言う。
「あの船を」
「あの船!?」
「見えるだろう」
 こう言って先程出て来た船を指差してみせる。
「あの大きな船が。見えているな」
「あの船は」
「やっぱり寝ていたのか」
 戸惑う舵取りを見て顔を顰めさせる。
「全く」
「申し訳ありません」
「まあいいか。本来ならわしが見張るべきだったしな」
 自分にも負い目があるからこれ以上は聞かないのだった。
「それはな。ところでだ」
「はい」
「あの船は何処の船だろう」
「さて」
 ダーラントの問いに対して首を捻る。
「私にもさっぱり」
「わしもだ。全く知らん」
「そうですか」
「かなり古い船のようだな」
 ダーラントはその船の外観を見て述べる。
「それはわかるが」
「そうですね。やけに不気味な感じです」
「うむ。おや」
 ここでダーラントはあることに気付いた。
「あそこにいるのは」
「どうしました?」
「あそこだ」
 こう言って岩場を指差すのだった。
「人がいるぞ。あの船の者かな」
「そうですかね、やっぱり」
「うむ。おおい」
 ダーラントは早速彼に声をかけた。
「君は誰だ?何処の国から来た?」
「私か」
 彼はダーラントの言葉に応えて顔を向けてきた。
「私を呼んだのか?」
「そうだ。君は何処から来たんだい?」
「遠くから来た」
 まずはこう答えたのだった。
「遠くからな」
「そうか、遠くからか」
「暫しここにいていいだろうか」
 今度は彼からダーラントに尋ねてきた。
「嵐でここに逃れてきたのだが」
「何、困った時はお互い様だ」
 ダーラントはにこりと笑ってそれを受け入れた。
「それに客をもてなすのは船乗りの義務じゃないか」
「それもそうだな」
 彼はにこりともせずそれに頷くのだった。
「その通りだ」
「それでだ」
 話の間にダーラントは彼のところに来た。それでさらに問うのだった。
「君の名は何というのかな」
「オランダ人だ」
 彼はこう名乗った。
「こう呼んでくれ」
「わかった。ではオランダ人」
「うむ」
 この呼び名で決まった。そのうえで話を続けていく。
「私は今から祖国ノルウェーに戻るのだが」
「ノルウェー。ここからすぐだな」
「そうだ。あと少しなのにな。ここに逃れてきたわけだ」
「そうだったか」
「とりあえず難を逃れたが。君の船は大丈夫かい?」
「私の船は大丈夫だ」
 こうダーラントに答えた。
「船は堅固で何らの損傷も受けてはいない」
「そうか」
「嵐と悪しき風に追われ私は海をさすらう」
 彼は言う。
「何年経ったか覚えてはいない。最早年月も数えてはいられない」
「何とまあ」
 ダーラントは今の彼の話を半分ホラと思って聞いていた。だから気付かなかったのだ。
「多くの国を見てきた。しかし安息の地を見つけることはできなかった」
「そうか」
「ノルウェーだったな」
 国を彼に確認してきた。
「貴方の国は」
「うん、そうだ」
「よかったら案内してくれ。謝礼はする」
「謝礼!?」
「そうだ。例えば」
 懐から金貨を出してきた。
「これは挨拶にだ」
「金貨か」
「これだけある」
 数枚出してきた。
「それにこれも」
「何と」
 今度出してきたのは宝石であった。しかも何個もある。
「他にもあるが」
「まだあるというのか」
「さあ」
 オランダ人が船に向けて左手を掲げるとすぐに陰気な男達が出て来た。誰もが白い顔をしていて亡霊の様に音を立てない。そのうえで何か木箱を持って来たのだ。
「これが宿泊の御礼になればいいのだが」
「いや、御礼などとはとんでもない」
 ダーラントはもうその木箱から覗く宝玉や真珠、黄金に目を奪われてしまっていた。心も。
「これだけのものを」
「私の船の中にはまだまだある」
 オランダ人は執着なぞないといった口調で述べた。
「全て貴方にあげてもいい」
「嘘だろう?」
「いや、本当だ」
 オランダ人はこう答える。
「それにだ。貴方には娘がおられたな」
「うむ」
 オランダ人のその問いに対して頷いてみせる。
「さっき言った通りだ」
「御会いしたい」
 オランダ人はこう言ってきた。
「是非共」
「ああ、いいとも」
 ダーラントはむげもなく答えたのだった。
「それならばな。わしとしても異存はない」
「財宝なぞ何の意味もない」
 オランダ人もオランダ人で一人呟く。
「私にとっては。愛こそが」
「いい娘ですぞ」
 ダーラントは有頂天になって彼に述べてきた。
「そんなにか」
「うむ、美しいだけではなく誠実で」
「誠実と」
「そうだ、誠実だ」
 オランダ人に対して念を押したのだった。
「素晴らしい心の持ち主だ、我が娘ながらな」
「そうか。それならば余計にいい」
「君は随分と苦労をしたみたいだがそれはもう終わりだ」
 上機嫌のままオランダ人に述べる。
「君は私の婿になる」
「夫に」
「娘のな」
「今日にでも会えるだろうか」
「風が導いてくれるさ、我々とな」
「彼女が私のものに」
 オランダ人はまだ姿すら見ていないその娘のことを想い呟く。
「私に残された唯一の希望を失うまいとするのも許される。天使が私に希望を下される」
「嵐が運命を運んでくれた」
 ダーラントもダーラントで笑顔になっている。
「想わぬ幸運だ。私に財産が与えられる」
「船長」
 ここであの舵取りがダーラントに声をかけてきた。
「どうした?」
「風です」
「風か」
「そうです、南風です」
 こう彼に告げるのだった。
「南風が吹いています。これに乗れば」
「オランダの方」
 ダーラントは彼の言葉を受けてオランダ人に顔を向けるのだった。
「幸運の天使は貴方に微笑みかけている。風が吹き海は静かになった」
「ええ」
「すぐに錨を掲げて帆を上げよう」
「そして向かうのは」
「故郷だ」
 はっきりとオランダ人に対して告げた。
「故郷だ、私のな」
「さあ帆を上げろ」
「錨ももういいぞ」
 既にダーラントの船では海に戻ろうとしていた。オランダ人はその彼等を見てからダーラントに顔を戻し言うのであった。
「貴方の船が先に」
「それでよいのですな」
「はい、私の船の者達はまだ疲れていますので」
 こう言ってきた。
「ですから」
「しかし風向きが変わったら」
「御心配なく」
 オランダ人は落ち着いた声で彼に述べるのだった。
「風はまだ当分の間南から吹きます」
「御存知なのですな」
「この時期のこの海も何度か航海していますので」
 そのうえでの言葉だというのだ。
「ですから問題はありません。すぐに追いつくことができます」
「ではそうしよう。陽のあるうちに娘に出会えればいいですな」
「是非共」
 これに関してはオランダ人も同じ意見であった。
「御会いしたいものです」
「では早速」
 ここで彼は自分の船に乗るのであった。
「出航だ。いいな」
「了解、それじゃあ」
「出るか」
「ではオランダの方」
 船に乗るところでオランダ人に顔を向けて声をかける。
「どうかついてきて下さい」
「はい、それでは」
「遠い海から嵐と共に来たのさ」
 ダーラントの船から船乗り達の陽気な歌声が聞こえてくる。
「愛しい娘さん、塔の高さ程の潮に乗ってわしは戻って来たぞ」
「南風が吹かなかったらここには戻ってこられまい」
「南風よもっと吹け」
 こう歌うのだった。
「あの娘がわしを待っている」
「出航だ!」
 最後にダーラントの声が響いた。
「いざ故郷の港へ!」
「おうよ!」
 彼等は意気揚々と出航し故郷に戻る。オランダ人もそれについて行く。まずはオランダ人にとっては希望を見出せたはじまりであった。



勝手に婚約みたいな話になっているけれど。
美姫 「娘の方が納得するのかしら」
だよな。しかし、ダーラントとオランダ人の方は既に乗り気だし。
美姫 「一体どうなるのかしらね」
次回も待っています。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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