『メフィストーフェレ』




                         第二幕  マルゲリータ

 緑の庭である。エメラルドグリーンに輝いている。
 周りの木々も日差しで美しく光りその周りには紅の薔薇が咲き誇っている。
 その中においてファウストは金髪碧眼の初々しい美女と会っていた。彼は今は若い騎士の服とマントを着ている。色は青だ。それに対して美女は二重の流麗な瞳をしていてそのうえで高い鼻と紅の肌に唇を持っている。彼女の服は白だ。青と白の対比が緑の芝生にある。
 そこで彼女は。ファウストに対して言っていた。
「騎士様」
「何でしょうか」
「私の名はです」
「はい、それは」
「マルゲリータといいます」
 その清らかな声での名乗りだった。
「この私がどうしたら貴方様の御心を惹けるでしょうか」
「真紅のその唇から」
 ファウストは優しい笑みで彼女の言葉に答えた。
「並ならぬ美しい言葉を聞かせて下さることで」
「それだけで宜しいのですか?」
「はい、それだけで」
 いいというのであった。
「ですから是非」
「それだけで」
 二人はそんな話をしていた。そしてその間メフィストは頭の角だけを隠した端整な容姿で黄色い服の女に対して声をかけていた。ブラウンの髪に緑の目の女にである。
「マルタさん」
「はい」
 まずは彼女の名前を呼んでみせてから話すのだった。
「一人ならばです」
「一人ならば」
「素晴らしい冒険を探してそのうえで世界を股にかけて激しく回るのもいいものです」
「それはまた」
「ですが」
 ここでメフィストはこうも言うのだった。
「やもめで歳を取り痛ましいその日が来たら」
「その日は」
「孤独の床で死ぬものです」
 そうなるというのである。
「残念ですが。ただ」
「ただ?」
「その日を思うと私は不安を覚えています」
「不安をですか」
「そうです、覚えてしまいます」
 そうだと話す。
「残念なことに」
「ですが貴方は」
「私は?」
「そのことにはまだまだ時間はありますよ」
「そうですね、確かに」
 笑って話す二人であった。そしてファウストとマルゲリータもさらに話をしていた。
「それでなのですが」
「それで?」
「私の慎みのない言葉をです」
 こう話してきたのであった。
「魅惑の奇跡の様な貴女のお顔が目の前に見えると」
「その時は?」
「この口に出て来た無遠慮な言葉をお許し下さい」
「それはありません」
 それはないのだと返すマルゲリータだった。
「私はです」
「貴女は?」
「苦しみ悩みです」
 そう話していく。
「不安を感じました。貴方がよからぬ方ではないかと」
「私をですか」
「そうです」
 まさにそうだというのである。
「それで泣きました」
「そうだったのですか」
「私の胸には貴方のお顔がずっとありました」
 じっと彼を見詰めての言葉である。
「それはとても」
 その時メフィストとマルタはさらに話していた。二人は立ってそのうえで話をしている。ファウストとマルゲリータがお互いに座っているのに対してである。
 その立ったままで。二人は話していた。
「古い言葉にあります」
「古い言葉に」
「そうです。賢い妻は稀だと」
「そうなのですか」
「実際に滅多にいません」
 瞑目してみせての言葉である。
「これは」
「それはそうでしょうか。では貴方は」
「私はですか」
「愛というものは」
「何もかも知りません」
 まさにそうだというのである。
「本当にです」
「それではです」
 マルタはそのメフィストに対して問う。無論彼が何者なのかは知らない。
「魅惑が欲しくて胸が詰まり夢を見てその身を焼かれたことは」
「ありません」
「またそれは」
 そんな話をしていた。その時にはであった。
 マルゲリータは恍惚とさえなって。ファウストに対して問うていた。
「エンリーコ様」
「何でしょうか」
「貴方は神の教えについてどう思われているでしょうか」
「そのことですが」
 実際の年齢を感じさせる、だがマルゲリータには決してわからないことで答えた。
「明晰な心を持っておられる方の信仰を惑わしたくはありません」
「信仰をですか」
「そうです。私は愛する人に全てを捧げます」
「まずは信仰です」
 しかしマルゲリータは純粋に言うのだった。
「それではないのですか?」
「私にとってはです」
 今の彼の言葉はであった。
「聖人達の言葉ではなく」
「その言葉ではなく」
「それは今の私にとっては私の求める真実に対するからかいです」
 そんなものでしかないという。
「また誰なら私は神を信じていないと言えるまで大胆なのでしょうか
「それは」
「私は貴女に求めます」
 マルゲリータをじっと見詰めての言葉である。
「先ず心を満たされることを」
「それをなのですか」
「そうです、それをなのです」
 こうマルゲリータに話す。
「言葉に尽くせない真の愛の鼓動をです。そして」
「そして?」
「それからその法悦を」
「法悦を」
「自然とも愛とも神秘とも」
 言葉を続けていく。
「生命とも神とも呼べばいいのです」
「そうされよというのですか」
「そうです。実感に比べたら」
「それと比べたら」
「名前や言葉は煙や噂に過ぎません」
「左様ですか」
「それで」
 今度はマルゲリータ自身に問うた。
「貴女は御自身の家ではどうなのですか?」
「私の家ではですか」
「はい。そこではどうなのでしょうか」
「私の家は小さく」
 そう話していく。
「そして菜園や食事や家計を見ています」
「そういったものをですか」
「常に見ています」
 そうだというのである。
「私はです」
「左様ですか」
「糸車も使います。母は厳しいですがそれでも幸せに穏やかに過ごしています」
「では」
 糸車と聞いてだ。ファウストはそれに話を合わせて述べた。
「その糸車で」
「糸車で」
「貴女の心と私の心を合わせつぐめないだろうか」
「それは」
「できないと」
「母がいますので」
 ファウストから顔を背けての言葉だった。
「ですからそれは」
「心配はいらない」
 こう言ってであった。その懐から一個の小さな薬瓶を出して言うのであった。
「これを」
「これを?」
「これを飲めば御母上は深い眠りに落ちますので」
「そのお薬で、ですか」
「そうです」
 にこやかに笑って話すのだった。
「だからどうか」
「私は世の中のことや愛のことははじめてで何も知りません」
 そうだというのである。
「ですが」
「ですが」
「不思議な、ですが親しめそうな風を感じます」
 こうファウストに話していく。
「それが私の心に吹き込み」
「心に」
「その風を感じます」
「それはです」
「それは?」
「気高い望みです」
 彼の心についての言葉だった。
「生の聖なる奇跡です。終わりのない愛の奇跡です」
「愛の奇跡なのですか」
「そうです、そして貴女も」
「私もまた」
 こう彼女にも話を回していく。
「同じなのです」
「同じなのですか」
「ですからこれを」
「はい、それでは」
 その薬を遂に受け取った。そうしてじっとファウストを見詰める。
 そうしてから。ファウストを恍惚とした顔で見詰めて。
「貴方と共に」
「有り難うございます」
 その後ろではメフィストが楽しくマルタと話していた。
「ではまた」
「はい、御会いしましょう」
 彼はお互いにわかっている戯れの愛を楽しんでいた。二組の愛が動いていた。
 ブロッケン山。荒涼として木の一本もないその不気味な山に今恐ろしい歌声が聴こえてきている。それは人間のものかどうかさえ怪しいものであった。
 そしてその中でだ。メフィストがファウストに対して話していた。
「博士」
「この歌声は」
「気になりますか?」
「人のものなのか?」
 いぶかしむ顔で悪魔に問うのであった。
「私の知っているどの言葉でもないようだが」
「魔界の言葉ですので」
 そうだと話す。黒い空に赤い月がある。その月は鈍い光を放っている。
 それに照らされているのは奥の山の影とブロッケンの不気味な岩達だ。その山自体がまさに魔界であり異形の歌声がそれをさらに醸し出していた。
 その二人の前にだ。不気味な青白い炎が出て来た。
 ファウストはそれを見て言うのだった。
「鬼火か」
「そうです」
「鬼火よ」
 ファウストはその鬼火に対して告げた。
「ここは暗い。私達を照らしてくれ」
「はい、それでは先に」
 メフィストがすっと右手を前に出すとそれで鬼火は二人の前に来た。そのうえで照らしてきた。それを明かりにして前に進んでいく。
 するとであった。声がさらに聴こえてきた。ファウストはその声を聴いてまた言った。
「この言葉は」
「ドイツ語です」
「そうだな」
 それは彼にもわかることだった。
「間違いなく」
「その通りです」
「しかしドイツ語だけではないな」
 多くの言葉がありそれを聴いているうちにわかったのである。
「フランス語にイタリア語、英語にスペイン語もあるな」
「言語にもお詳しいのですね」
「若い頃に学んだ」
 そうだというのである。
「ラテン語から学べばそれで簡単に収められる」
「そうですね。まずはラテン語ですから」
「うん。さて」
「さて?」
「この歌声は魔女達のものか」
「その通りです」
 その聴こえてきた女達の歌声について話すメフィストだった。
「ここで魔女の宴が開かれますので」
「そうだな。この山こそは」
「ですから」
「それに他の声も」
 ファウストはそのことにも気付いた。
「あるな。これは先程の言葉も入っている」
「私の同志達もいます」
「そうなのか」
「登ろう」
「そうだ登ろう」
 ここで魔女達の声が聴こえてきた。その不気味な歌声がである。
「そして魔王の下へ」
「魔女と悪霊の宴の夜は今はじまったばかり」
「それでは今から」
「この長い夜を楽しもう」
 こう歌っていた。二人もその中に入るのだった。
 その中で今度は魔法使い達の声が聴こえてきた。
「この楽しい宴を」
「心から楽しもう」
「赤子の丸焼きや血のワインでも出るのか?」
「そんなものはありませんが」
 メフィストはそれは否定した。
「普通に御馳走とワインを楽しみます」
「そういったものはないのか」
「ないです」
「そうか。話に聞いていたことと違うな」
「あれは噂です」
 メフィストはこう言ってそれを否定した。
「天使達が流した嘘です」
「そうだったのか」
「それでなのですが」
「うん、この宴だね」
「ここです」
 ある開けた場所に来た。そこに多くの者達がいた。
 悪魔もいれば魔女達も魔法使い達もいる。多くの者達が黒い服を着てそこに集まっていた。
「今こそはじまった」
「この宴が」
「さあ歌おう」
「そして飲もう」
「さて」
 メフィストが周りに対して告げた。
「我が僕達よ」
「おお、メフィストーフェレ」
「こちらに来られたのですか」
「今宵の宴に」
「そうだ」 
 まさにそうだと返すのであった。
「それでだ」
「ではワインを」
「そして駱駝のを踵を」
「それに鶯の舌を」
「孔雀の脳味噌を」
「ローマ時代の馳走だな」
 それを聞いてまた呟くファウストだった。
「これは」
「本当によく御存知ですね」
「昔の文献で出ていた」
 またメフィストに話すのだった。
「これもまた」
「ふむ。では味は」
「いや、それは知らない」
 ただ読んだだけだというのである。
「残念だが」
「他にも色々とありますが。ヤマネもありますしウズラも」
「他にもありそうだな」
「勿論です。そうしたものも如何ですか?」
「そうだな。貰おうか」
 こう話をしてであった。ワインや様々な御馳走が二人に出される。二人はその中でそういったものを食べながらであった。そのうえでメフィストはガラスの珠を出してきたのだった。
「これですが」
「ガラスだな」
「ただのガラスではありません」
 そうだというのである。
「ここに何が見えますか?」
「世界が」
 それがだという。
「空で丸く上がったり下がったりしているな」
「跳ねたり光ったりしていますね」
「そうだな、それに」
 ファウストはさらに見ながら話した。
「太陽の周りを光が回り」
「震えて吼えて作って壊したり」
「これが世界なのか」
 ファウストはその光を見てまた話す。
「これがか」
「時には何も産まず時には多く産みます」
「時によって」
「その巨大な背中の上に一族がいます」
 メフィストの言葉が変わった。
「一族?」
「猥雑にして狂った高慢にして小心な」
「ふむ」
「不実にして卑しい一族がです」
 いるというのである。
「そしていつ何時も邪悪の世界の端から端まで貪る一族がです」
「我々の人間のことだな」
「悪魔もです」
 自分達もなのだという。
「その我々も奴等には空虚なほら話であり地獄は冗談の嘲りであり」
「そうしたものだと」
「天国はましてや」
「ましてや?」
「愚弄と嘲笑でしかありません」
 天国についてはかなりそうだった。
「そんな人間と我々ですが」
「我々は?」
「最後の審判の日まで同じです」
「さあ踊ろう」
「歌おう」
 メフィストがそのガラスを収める中でまた騒ぐ周りだった。
「世界はまた隠れた」
「それではその隠れた世界の中で」
「また騒ごう」
「これが喜びか」
 ファウストはその騒ぎを冷静に見ながら述べた。
「これが」
「まあそのうちの一つではあります」
 メフィストもそれは否定しなかった。
「他にも多くありますが」
「そうなのか」
「はい、そうしてです」
 ここでファウストに杯のワインを出して勧めてきたのだった。
 ファウストはそれを受け取って飲む。そして前を見たがここで遠くに何かを見るのであった。それは。
「!?あれは」
「どうしたのですか?」
「あれは一体」
 その見たものを指差しながらメフィストに告げる。
「何なのだ?」
「あれですか」
「そうだ。あのかすんだ空にだ」
 その暗い空に見ているのだった。
「蒼ざめた悲しい娘が見える」
「あの娘ですか」
「鎖で縛られた足をゆっくりと引き摺っているが」
 その娘は空を歩いている。その鎖で縛られた足で、である。
「あれは一体」
「死にゆく者の魂ですな」
「マルゲリータか?」
 ここで気付いた彼だった。
「あれはまさか」
「違うのでは?」
「いや、間違いない」
 目を凝らす。彼には間違いなくマルゲリータに見えた。
 それを確かめるとだった。さらに言わずにはいられなかった。
「何故だ、何故ここに?」
「あれは天国に行く霊達か」
 メフィストは彼女が空を歩いているのを見て残念そうに言う。
「地獄に落ちるのならここに来るのだから」
「天国に行くというのならだ」
 ファウストは彼のその言葉を聞いて述べた。
「何なのだ?あの死者の様に見開いた瞳に白い肌は」
「死せる魂ですから」
「何故だ、何故マルゲリータが」
「まあ博士」
 メフィストは嫌な予感がしてそれでファウストにまた杯を出してきた。
「また飲んで下さい」
「いや、いい」
「そう言わずに」
「今はいい」
 彼は手でもそれを拒絶した。
「それはだ」
「ですが」
「あの首飾りは何だ?」
 ファウストはその死者の首にも気付いた。遠目だがよく見えていた。
「あの血の筋の様なものは」
「首が切れているのですね」
「首が?」
「ペルセウスに切られてですね」
「何故だ」
 それを聞いてさらに言うファウストだった。
「マルゲリータが首を何故」
「それでなのですが」
 メフィストはさらに嫌なものを感じて彼に言ってきた。
「これからはさらに踊りが」
「メフィスト」
 ファウストは真剣な顔でメフィストに顔を向けてきた。そのうえでの言葉である。
「御前は私と契約しているな」
「はい」
 契約という言葉を出されるとだった。肯定せざるを得なかった。彼としてもです。
「それはその通りです」
「ならだ。私をマルゲリータの元に連れて行ってくれ」
「あの娘のところにだ」
「そうだ、今すぐだ」
 それは最早命令だった。
「今すぐだ。いいな」
「わかりました」
 契約は契約であった。それは決して破ることはできない。悪魔にとって泣き所である。メフィストは溜息と共に頷いてそのうえで、であった。ファウストに対して答えた。
「では彼女のところに」
「連れて行ってくれ」
「わかりました。それでは」
 こうしてファウストはすぐにマルゲリータのところに向かうのだった。メフィストはその中で一人呟くのであった。
「まさかこの博士は」
 嫌な予感がしていた。しかし今はそれを言わずにだ。彼をその場に案内するのであった。



普通に恋して、とかじゃないみたいだな。
美姫 「みたいね。でも、一体何があったのかしら」
次回で分かるのかな。うーん、気になる。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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