『恋姫伝説 MARK OF THE FLOWERS』




                         第九十八話  孫策、賭けを考えるのこと

 司馬尉が山賊達を皆殺しにしその首で京観を築いたことはすぐに都にも伝わった。曹操もその話を聞いてだ。
 血相を変えてだ。報告をした楽進に対して問い返した。
「それは本当なの!?」
「はい、春瞬殿達からの報告です」
「そう、それならね」
 間違いないと。曹操もわかった。
「その通りね」
「しかしです」
 楽進もだ。顔を驚いたものにさせてだ。己の前に座る曹操に対して述べる。
「まさか。京観なぞ」
「私も実際にしたというのはね」
「はじめてですか」
「ええ、はじめて聞いたわ」
 曹操もだ。それははじめてだというのだ。
「今の乱れている世でも」
「そこまでする方は」
「いなかったわ。確かに項羽は敵の多くの者を生き埋めにしたけれど」
 それでもだというのだ。
「京観までは」
「築いてはいませんでしたか」
「確かね」
 こう楽進に話すのだった。
「覚えがないわ」
「しかし司馬尉殿はですか」
「それをあえてしたわ」
 曹操の顔は顰められたままだった。
「恐ろしいことにね」
「華琳様から見てもですか」
「ええ。どうやらあの女」
 蒼白になった顔の唇を強く噛み締めてだ。曹操は言った。
「考えていたよりも遥かに恐ろしい女の様ね」
「私もです」
 楽進もだ。こう言った。
「あの様なことをするとは」
「考えていなかったわね」
「想像もしませんでした」
「私もよ。おそらく誰もがそうよ」
「そうですか。誰もがですか」
「あの娘が都から帰ったら」
 どうするか。曹操はもうそのことを考えていた。
「問い詰めるわ。劉備や麗羽達と一緒にね」
 そうすることを決めたのである。
 楽進は曹操に司馬尉のことを報告してからだ。彼女の前を退いた。
 そのうえで曹操の屋敷から出て茶店に入った。そこにだ。
 李典と于禁が来てだ。晴れない顔で声をかけてきた。
「ああ、そこにおったか」
「少し探したの」
「そうか」
 楽進は強張った顔で二人に返した。
「華琳様のところに行っていた」
「あのことでやな」
「そうよね」
「そうだ。信じられない話だ」
 茶を片手にだ。また二人に述べた。
「京観を築くか」
「普通そんなんせんで」
「はじめて聞いたの」  
 二人もだ。こう言うのだった。
「皆殺しにしてその首で門築くなんてな」
「やり過ぎなの」
「しかし司馬尉殿はそれを平然とされた」
 楽進はこのことを指摘する。
「やはりこれは」
「あの人普通ちゃうで」
「人を殺すことを楽しんでるの」
「おそらくな」
 楽進は于禁のその言葉に頷いた。三人は卓を囲んで茶を飲みはじめている。それ自体はいつもと変わらないが表情が違っていた。
 それでだ。その顔で話をするのだった。
「その様な方か」
「なあ、これめっちゃやばいで」
 李典も言う。
「あの人三公やしな」
「それだけの力があるな」
「また何かあればなの」
 于禁にもいつもの少女の屈託のなさがない。
「またああいうことするの」
「するな、間違いなく」
 楽進もそう見ていたのだった。
「これからも」
「ほな。放っておけんで」
「何とかしないといけないの」
「そうだ。さもないとより多くの血が流れる」
 司馬尉についての話が続く。
「止めなければならないが」
「ほんまやな。あそこまでとんでもない人やったとはな」
「沙和も考えなかったの」
「あんなん誰も考えんて」
「確かに。恐ろしいにも程があるの」
 こう話してだった。三人は暗い顔で話してだ。
 茶を飲む。だがその茶も。
「この茶は」
「味せんな」
「全然なの」 
 今はだ。茶の味を感じなかった。
「この店の茶は美味い筈だが」
「それでも何杯でも飲めるのにな」
「今は全然なの」
 そうなのだった。今はだ。
「こんなにまずい茶やったか?」
「何か今日は特別酷いの」
「気持ちのせいだな」
 そのせいだとだ。楽進は述べた。
「今の私達はな」
「そやな。うち等のせいや」
「それ以外に有り得ないの」
 こうした話をしてだった。三人は司馬尉の恐ろしさを実感していた。
 袁紹の屋敷でもそれは同じだった。
 張?がだ。その顔を強張らせて高覧に問い返して。
「京観!?あんなものを」
「そうよ。水華達が伝えてきたわ」
「築いたというのね」
「信じられない話だけれどね」
「あんなものを築いても何の意味もないわよ」
 張?もこう言うことだった。
「捕らえた山賊はどうしようもない奴以外は」
「そうよね。精々棒で打ってから」
「兵にするなり村に戻すなり」
「牢に入れたりね」
 彼女達にしてもこうした処罰だけだった。
「それだけで済むことなのに」
「それでも司馬尉は」
「皆殺しにしたのね」
「そしてあれよ」
 京観を築いたというのだ。
「私も信じられないわ」
「私達は多くの異民族を征伐してきたけれど」
 張?は自分達のことから話した。
「それでも。匈奴達は組み入れるだけで」
「そんなことは一度もしなかったわ」
「麗羽様も私達もそうしたことは嫌いだったから」
「想像もしなかったわよ」
「それでも司馬尉は」
 張?もだった。司馬尉については。
「それをあえてしたのね」
「花麗、貴女どう思う?」
 高覧は張?の真名を出して問うた。
「司馬尉のことは」
「貴女と同じよ」
 こう返す張?だった。
「花美とね」
「そうなのね」
「あの娘、このまま放っておくと」
「恐ろしいことになるわね」
「麗羽様にお話して」
「そうして決めないといけないわね」
 彼女達もだ。司馬尉には明らかにこれまで以上の警戒を抱いた。それでだった。
 あらためてだ。張?は言った。
「取り除くこともね」
「考えないといけないというのね」
「あの娘は危険よ」
 それ故にだというのだ。
「だからね」
「そうね。上手くいくかどうかはわからないけれど」
「考えてはいくべきね」
 暗殺のことも考慮に入れはじめていた。司馬尉の危険さを察した故にだ。
 司馬尉が戻る前にだ。既にであった。
 都は大変な騒ぎになっていた。彼女のしたこと故にだ。
 それでだ。劉備もだった。
 唖然とした顔でだ。司馬尉について話すのだった。
「ううん、京観なんて」
「そんなの本当にやる人いるなんて」
「考えもしなかった」
 馬岱と魏延が話す。
「けれどそれをやったのよね」
「あの女はな」
「恐ろしい女じゃ」
 厳顔も言った。
「あそこまでするとな」
「そもそもよ」
 馬岱も顔を曇らせて話す。
「山賊退治にそんなことまでするなんて」
「聞いたこともない」
 それは魏延も同じだった。
「そもそも夷を制するにしてもだ」
「普通は組み込む」
 厳顔はこれまでのことを踏まえて話した。
「実際に袁紹殿や孫策殿はそうしておられるしな」
「そうそう、私達もよね」 
 劉備もこのことはわかった。
「益州も治めるようになったし」
「はい、南蛮等の異民族をです」
 ここで徐庶が出て来て話した。
「今組み入れていますので」
「そうにゃ」
 その組み入れられている猛獲は実に明るい。
「美衣達もこの国が大好きにゃ」
「だから一緒ににゃ」
「ここにいるにゃ」
「それも楽しくにゃ」
 トラにミケ、シャムも同じだった。
「ここで皆と楽しく遊んでにゃ」
「美味しいものとおっぱいがあればにゃ」
「それで満足だにゃ」
 彼女達は確かにそれで満足していた。そしてだ。
 タムタムとチャムチャムもこう話す。
「タムタム達モ」
「そうよね。向こうの世界から来たけれど」
「コウシテ受ケ入レテモラッテイル」
「それもやっぱり?」
「根は同じなんだろうな」
 ロックが彼等のその言葉に応えて頷く。
「そうした異民族に対するのと」
「意識していなかったけれど」 
 そうだったとだ。また話す劉備だった。
「そうなの」
「そうですね。ただ今回のことは」
 どうなのかと。徐庶が話す。
「全く違います」
「何の意味もないのに殺した」
「そうなるな」
 馬岱と魏延は既にこのことを見抜いていた。
「山賊っていうのを口実にして」
「そうとしか思えないな」
「はい、私もそう思います」
 軍師の徐庶もだ。そう見ていた。
「ですから司馬尉さんはです」
「危険じゃ。あ奴は血を好んでおる」
 厳顔の目が鋭くなっていた。
「何とかせねばいかんな」
「何とか?」
「例えばじゃ」
 劉備の問いにだ。厳顔はいささか以上に剣呑な言葉で答えた。
「消すのじゃ」
「消すってまさか」
「このことを咎めて処刑じゃ」
 そうしてはどうかというのだ。
「無意味な殺戮としてじゃ。いけるのではないのか」
「いえ、それは幾ら何でも」
 どうかとだ。徐庶が厳顔に言ってきた。
「無理があります」
「できぬか、それは」
「確かに山賊は賊ですから」
 ここに厳顔の主張が難しいという根拠があった。
「その処罰はです」
「当然だというのじゃな」
「確かに京観はやり過ぎです」
 このことは徐庶も認めた。その通りだとだ。
「しかしそれでもです」
「それと咎としてじゃな」
「処刑するのは無理です」
「左様か。強引か」
「そう思います」
「しかし降格とかはできないか?」
 ロックがこう尋ねた。
「更迭っていうのか?このことからな」
「それもです」
「難しいか」
「とにかく。功を挙げたのは事実です」
「だからか」
「はい、功を挙げて更迭というのも」
 それも難しいというのだった。
「今回のことはあくまでやり過ぎ。それで済ませてしまうことも」
「できるからかよ」
「正直手がありません」
 徐庶も項垂れて言うことだった。
「私もあの方は危険だと思っていますが」
「ではこのことはわし等ではどうすることもできんな」
 厳顔は唇を噛み締めて述べた。
「見ているだけしかな」
「残念ですが」
「暗殺などするのものう」
 厳顔はこのことについては自分で言った。
「よくはない」
「そうね。そんなことしても」
「何にもならないな」
 このことは馬岱と魏延も同じだった。二人も暗殺は好きではないのだ。
「御世辞にもいいやり方じゃないからね」
「止めておくべきだな」
「左様じゃ。それはせぬに限る」
 厳顔は暗殺については完全に否定だった。
「しかしあの女は何とかせねばいかんが」
「そうです。ですが」
 さらに問題があるとだ。徐庶は述べた。
「今回の功で、です」
「まだ何かあるのか」
「はい。あの方の妹さん達のことです」
 こうロックに返して話すのだった。
「あの方々もです」
「そうじゃ。あの者達も功を挙げたことになる」
 厳顔もこのことに気付いた。
「ではじゃ」
「高官に任じられます」
「そうじゃな。姉に続いてな」
「司馬家の権勢も強くなります」
「かえってじゃな。困ったことじゃな」
「はい、司馬家は只でさえ名門ですし」
 その権勢は尋常なものではないというのだ。
「それで妹さん達も高官になられると」
「あの二人もよね」
「殺戮を楽しんでいたな」
 馬岱と魏延は今度はこのことを話した。
「じゃあやっぱり」
「あの二人までとなると」
「司馬尉さんだけでも問題ですから」
 だからだというのだ。
「それに加えて妹さん達までとなると」
「ううん、どうしたものかしら」
 劉備も困った顔になり腕を組んで言う。
「困ったわね」
「それにな。一つ気付いたんだけれどな」
 またロックがここで話した。
「今あの司馬尉は三公だよな」
「うん、そうよ」
 その通りだと答える劉備だった。
「司空よ」
「それより上を目指すんじゃないのか?」
 野心があるのではないかというのだ。
「袁紹さんや曹操さんとかな」
「それに、よね」
「摂政の座か」
 馬岱と魏延はロックの話を聞きながら自然にだった。
 劉備と彼女が座る椅子を見てだ。そうして話した。
「桃香様を蹴落として」
「そうして自身が」
「あれで野心があったら絶対にそうするな」
 また話すロックだった。
「充分考えられるだろ」
「そうですね。若し司馬尉さんに野心があれば」
 問題だと。徐庶も話す。
「他の三公の座や左右の宰相の座」
「それに摂政」
「その座もまた」
「やはり何とかせねばならん」
 問題のある存在だと述べた厳顔だった。
「司馬家には目をつけておくか」
「そうね。あの家はね」
「信用できないからな」
 こんな話をしてだった。劉備達も司馬尉、そして司馬家に対してだった。
 警戒の念を抱いていた。都のどの者も彼女達に眉を顰めさせていた。
 その渦中の司馬尉達が都に戻った。するとすぐにだ。
 帝から労いの言葉をかけられ褒美を与えられた。そして妹達もだった。
 徐庶達の予想通り高官に任じられた。司馬家は位を極めたと言ってもよかった。
 しかしだった。それでもだ。
 孫策はその司馬尉が帝に拝謁し言葉をかけられ褒美も与えられるのを見届け宮中を退いてからだ。己の屋敷でこう周瑜に話した。
「見事なものね」
「司馬尉のことね」
「ええ。帝の御前だというのに」
 こうだ。杯を手にして己の席に座りながら話すのだった。
「何も動じてはいなかったわ」
「そうね。本当にね」
 周瑜もその場にいた。だからこそ言えることだった。
「さも当然という風にね」
「帝は京観のことは何も仰らなかったけれど」
 それでもだというのだ。
「御存知でない筈がないから」
「けれどそれでもね」
「その帝の御前で」
 司馬尉はだ。平然としていたというのだ。
「それもあそこまでね」
「肝も相当座っているようね」
「ええ。しかもね」
 孫策の言うことはさらにだった。
「妹達もね」
「同じ様に平然としていて」
「褒美を受け高官に任じられても」
 そうなっていたというのだ。
 そしてだ。孫策は今度はこのことも話した。
「それと。気になるのは」
「司馬尉がより上位の将軍にも任じられたことね」
「そう、それよ」
「二人の妹達も含めてね」
「兵をこれまで以上に動かせるようになったわ」
「司馬尉はこれまでも将軍に任じられていたけれど」
 だから山賊退治の兵を率いることができたのだ。将軍とは即ち兵権を持っている役職だからだ。
「昇進と。妹達のことも含めて」
「軍にまで大きな権限を持つようになったわね」
「どうしたものかしら」
 孫策も司馬尉について考えていた。
 腕を組みだ。そのうえで周瑜に問うた。
「いい考えはある?」
「確実はものはね」
「ないのね」
「失脚させようにも」
「これといった手がないわね」
「失点がない、それどころか」
「功ばかりがあるから」
 咎を理由にそうさせられないというのだ。
「風紀を粛清し民に施しを与え」
「田畑を耕し町を整える政をね」
「次々と行っているから」
 それは孫策達も行っているが司馬尉もだった。彼女は確かに政においても卓越していた。
「理由をでっちあげる」
「できると思うかしら」
「無理ね」 
 孫策はその可能性は最初からないと見ていた。
「奇麗なやり方じゃないけれどやるにしても」
「司馬尉は冤罪を出されてもね」
「その都度それを論破するでしょうね」
「間違いなくそうするわ」
「そしてできるわ」
 するとできる、この二つが一致していた。
「だからこそね」
「それもできないわ」
 孫策も話すのだった。
「それに暗殺もね」
「警護があまりにも凄いわね」
「屋敷もあの娘の周りも」
 それこそなのだった。
「常に多くの兵達がいてね」
「毒味も凄いと聞いたわ」
「毒味は何人もいて」
 料理や酒に毒を入れて暗殺する、どの時代でもどの国でもあることだ。
「しかも料理人達も」
「それもなの」
「代々司馬家に仕えていて外に出ることはない」
「彼等を引き込むこともできないのね」
「ええ。全くね」
「とにかく何の手もないのね」
 このことを認識してだ。孫策はお手上げといった感じになった。
「司馬尉に対しては」
「こちらは何もできないわ」
「全くよね」
「ええ。それでいてね」
「司馬尉自身はよね」
「こちらに色々とできるわ」
 そうだというのだ。
「守りは完璧で攻めることはできる」
「こちらが圧倒的に不利ね」
「攻防だけではね。ただね」
「司馬家は司馬家だけだけれど」
「私達は一つじゃないわ」
 彼女達の利点はそこだった。
「孫家、袁家、曹家」
「そして劉家ね」
「それに多くの家臣達と」
「あちらの世界から来てくれた仲間達ね」
「これだけの人材がいるわ」
 それがだ。司馬家に対する最大の武器だというのだ。
「それをどうするかよ」
「使いこなしてそのうえで」
「司馬家に対するのね」
「そうするべきよ」
 周瑜は確かな声で孫策に話した。
「数はこちらの方が圧倒しているから」
「後は足並みを揃えることね」
「多分。あちらは」
 どうしてくるかというのだ。司馬尉達は。
「私達を仲違いさせようとしたり」
「若しくは何人か消そうとするか」
「敵だとしたらそうしてくるわ」
「そうね。敵だとね」 
 あくまで仮定としてだが断定して話す二人だった。
 そしてだ。孫策はさらに話した。
「思えば。母様もだったわね」
「ええ、孫堅様は」
「暗殺されたわ。石弓でね」
「あのことだけれど」
 周瑜はその孫堅が石弓で殺されたことについてだ。彼女の娘である孫策に対して眉を曇らせて話した。
「やはりおかしいわ」
「山越は石弓を使わないわね」
「今もね。どの山越兵を見ても」
 彼等が組み入れただ。その彼等はどうかというのだ。
「石弓は使っていないわ」
「けれど母様はその山越を攻めている時にね」
「貴女も狙われたしね」
「おかしいにも程があるわね」
 孫策は腕を組み述べた。
「誰が石弓を使ったのかしら」
「大殿、そして貴女に悪意を持つ何者か」
「山越以外の」
 山越でないことは最早間違いなかった。
「その何者かだけれど」
「果たして誰なのかね」
「思い当たるふしは」
 孫策は杯を卓の上に置きそのうえでだ。腕を組み話した。
「私達が従えさせている豪族達」
「今中央に組み入れている彼等ね」
「その中には反発している者も多いし」
「可能性はあるわね」
「他にもこっちが気付いていないだけでそう考えている面々はいるでしょうね」
「そうね。そうした相手も多いわ」
 国の要職ともなれば怨まれるのも当然だった。政には利権もまた関わってくる。その利権の関係で怨まれるのもだというのだ。
 それを踏まえてだ。また言う孫策だった。
「ううん、それを探し出すのもね」
「一筋縄じゃいかないわね」
「そうね」
 こう周瑜に応えて言ったのだった。
「果たして誰なのかね」
「探していくわ」
「御願いできるかしら」
「私にとっても」
 彼女自身にとってもどうかとだ。
 周瑜はその顔を険しくさせてだ。そのうえで話す。
「仇だから」
「お母様のね」
「大殿がおられたからこそ」
 それでだというのだ。
「今の私があるから」
「そうね。貴女を見出したのは」
「孫堅様よ」
 その彼女だというのだ。
「だからこそね」
「尚更その仇をね」
「見つけ出し。そして」
 そのうえでだというのだ。
「この手で」
「いえ、それは」
「それは?」
「私もよ」
 そのだ。孫策もだというのだ。
 青い炎を燃え上がらせてだ。そのうえでの言葉だった。
「それに蓮華も小蓮もね」
「そうだったわね。貴女だけじゃなかったわね」
「私達姉妹全員の仇よ」
 その刺客を送った者はだ。そうだというのだ。
「実行した刺客が誰か」
「それも気になるけれどね」
「黒幕よ。大事なのは」
「それが誰かよね」
「ええ。けれど」
「けれど?」
「流石に関係ないわね」
 こう前置きしてからだ。述べる孫策だった。
「お母様の刺客と司馬家は」
「どうかしら」
 孫策は直感で、周瑜は洞察でそれぞれ話していた。
「それもね。有り得るわ」
「そうだというのね」
「孫家は揚州に勢力を築いていったけれど」
「その孫家に対して」
「司馬家が快く思っていないとしたら」
 それならばだ。どうかというのだ。
「それもね」
「あるわね」
「まさかとは思うわ」
 その可能性は低いとだ。周瑜も言う。
 だがそれでもだとだ。仮定を話していくのだった。
「けれど。あの家については昔から」
「多くの政敵がね」
「不穏な死を遂げているから」
 このことがあった。
「若しも。本当に孫家が」
「あの家の障害になると見なされていたら」
「お母様も」
「そうなっていてもね」 
 不思議ではないというのはだ。二人も考えていく。
 しかしだ。今はだった。
「確かな証拠はね」
「そう。証拠はないわ」
「けれど。状況としては」
「完全に否定できないわね」
 孫策の目に剣呑な光が宿る。そしてだった。
 あらためてだ。周瑜にこんなことを言った。
「賭けだけれどね」
「また危険なことをするのね」
「司馬尉は私を嫌っているわね」
「それは確かね」
 間違いないとだ。周瑜も言った。
「もっと言えば曹操も袁紹もね」
「袁術も含めてね。かつて大将軍の下にいた時から」
 その時からだというのだ。
「私達はあの娘には嫌われていたわね」
「政敵。それも直接的な」
「だからこそね」
「司馬尉は司空で終わるつもりはないわ」
「三公の一人では」
 司馬尉の野心をだ。二人はある程度見抜いていた。
「そうね。宰相、若しくは」
「摂政まで目指すわね」
「劉備の椅子までね」
「狙っているわ。だからこそね」
「私達に隙があれば」
「仕掛けてくるわ」
 話す周瑜の目も光る。
「だからこそというのね」
「ええ、かなり危険な賭けだけれど」
 それでもだというのだ。孫策は言うのだった。
「やってみる価値はあるわ」
「全てを確める為に」
「若し。石弓が来たら」
「その場合はね」
「間違いないと思っていいわね」
「ええ、その時はね」
 どうするかというのだ。
「司馬尉は完全にね」
「私達が滅ぼす相手になるわね」
「そういうことね。ただ」
「ただ?」
「賭けは賭けだけれど」
 それでもだとだ。周瑜は孫策に釘を刺したのである。
「それでも死なないようにね」
「そうね。それはね」
 孫策もだ。そのことはわかっていた。確かな顔になりそのうえで周瑜の言葉に頷く。
「私もまだ死ぬ訳にはいかないし」
「貴女にはまだやるべきことはあるわ。それにね」
「それに?」
「貴女に何かあれば悲しむ者がいるわ」
 熱い目で孫策を見ての言葉だった。
「だから。御願いね」
「わかってるわよ。私は絶対に死なないから」
 ここでは優しい微笑みになって話す孫策だった。
「安心してね」
「絶対にね」
 そんな話も為されていた。そしてであった。
 司馬尉達はまた闇の中でだ。こんな話をしていた。
 司馬尉は妹達にだ。こう話していた。
「随分と騒いでくれるわね」
「はい、たかが京観で」
「随分と言うものです」
 妹達もこう姉に返す。
「あんなものはほんの遊戯だというのに」
「些細なことでしかないですが」
「しかしそれでもですね」
「あれだけ騒いでくれるとは」
「予想していたけれどこそばゆいわね」
 その騒ぎも決して悪いものではないとだ。司馬尉は楽しげな笑みを浮かべて話した。
「悪くはないわ」
「左様ですか。それにですね」
「これからは」
「そうよ。京観どころではなく」
 それ以上のことをだというのだ。
「するのだからね」
「そうですね。私達の王朝を築けば」
「その時は」
「京観なんて好きなだけ築けるわ」
 その騒ぎの元もだというのだ。殺戮の象徴を。
「そうね。ただ京観を築いても面白くないから」
「今度は何を」
「何をされますか?」
「毒はどうかしら」
 毒をだというのだ。
「誰かに仕込んで。苦しみ抜いて死ぬのを見るのは」
「それですね」
「今度はそれをされるというのですね」
「考えているわ」
 実際にそうだというのだった。
「何かとね。では」
「はい、それでは」
「今は」
「兵を集めておいて」
 司馬尉は話を変えてだ。こう妹達に告げた。
「人でなくてもいいわ」
「では于吉殿からあの石の兵達を」
「そして白装束の者達を」
「そういうのでもいいわ。それに」
「それにですね」
「さらに」
「北よ」
 司馬尉の顔がさらに酷薄なものになった。
「北のあの者達もね」
「匈奴ですね」
「そして他の胡達も」
「集めるわ」
 そうするというのだ。人ならざる者達や異民族の者達、少なくとも朝廷の高官にある者ならば決して集めないような兵達をというのだ。
「そうするわ」
「はい、わかりました」
「それでは」
「これまであちらの世界のからの人間が」
 どうしていたのか。司馬尉はこのことも話した。
「匈奴やそうした連中に工作をしていたけれど」
「しかしその都度袁紹に潰されていましたね」
「山越にしろ孫策に」
「ええ。ただあれは遊びだったわ」
 それに過ぎなかったというのだ。これまでのことは。
「叛乱を起こさせあわよくばだったけれど」
「袁紹が思いの他優れていましたし」
「孫策も自身の母親と同じだけのものが」
「あるわね。そして南蛮も劉備に従ったし」
 それならばだというのだ。
「今漢王朝の周りにいる異民族は殆んど従っているわ」
 そうなってしまったというのだ。
「けれどね」
「異民族はまだいる」
「そうですね」
「その彼等を使いましょう」
 こう妹達に話したのだった。
 そしてだ。さらにだった。
 司馬尉は今度はだ。この場所の話をした。
「それで定軍山だけれど」
「そういえばあの山についても」
「劉備達は」
「気付いているわ」
 そうだとだ。妹達にこのことも話したのだった。
「だからそれをね」
「逆手に取ってですね」
「そのうえで」
「ええ、そうするわ」
 まさにそうだというのだ。
「それであの者達のうちの誰かを消せれば」
「御の字ですね」
「そうなれば」
「劉備やそういった者達をどうにかできなくても」 
 それでもだというのだ。人は彼女達だけではないのだ。
「あの娘達の重臣達の誰かでも」
「そうですね。例えば関羽や」
「夏侯姉妹ですね」
「そうした連中を消せればですね」
「いいですね」
「あの山に入った者は」
 どうするか。それがだった。
「もてなしてあげましょう」
「ではその用意もですね」
「しておきましょう」
「そうしましょう。私達の王朝の時は近付いているわ」
 この世のものとは違う。異形の王朝がだというのだ。
「晋がね」
「私達のその国」
「破壊と混沌の国が」
「妖狐の血が欲するその国がね」
 司馬尉の目に何かが宿った。それは。 
 人の目にある光ではなかった。赤い禍々しい光だった。その光を宿らせてだ。
 彼女はだ。こんなことも言った。
「面白いわね。私達の祖先が九尾の狐の血を飲んだおかげでね」
「私達は今こうして」
「闇の中にいられるのですから」
「光にあるものは限られているわ」
 司馬尉はこうも話した。
「けれど。闇の中にあるものは」
「無限です」
「そこにはあらゆるものがあります」
「そう。だからこそ闇の意志に従い」
 そうしてだというのだ。
「この世を塗り替えるわよ」
「闇に」
「破壊と混沌に」
 そうした話をしたうえでだ。三人は闇から戻った。その彼女達にだ。
 表の世界での従者達がだ。こう言ってきたのだった。
「儒者の方々がです」
「御主人様達に御会いしたいとのことです」
「そう。儒者が」
「左様です」
「是非にと」 
 合いたいと言っているというのだ。
「それでなのですが」
「どうされますか」
「会うわ」
 司馬尉の返答は一言だった。
「あちらが会いたいというのならね」
「左様ですか。それでは」
「すぐにこちらに御呼びします」
「そうしますので」
「お茶を用意しておいて」
 茶もだ。出せというのだった。
「それもね。わかったかしら」
「そしてそのお茶は」
「何にされますか?」
「黒茶がいいわね」
 それがいいというのだ。所謂茶を淹れるとそこで紅茶の様に黒くなる茶だ。
 その茶をだというのだ。
「それを御願いするわ」
「はい、では菓子もですね」
「それも」
「お菓子は」
 何かというとだった。
「黒茶には月餅だから」
「わかりました。では月餅もです」
「出しますので」
 こうしてだった。表の従者達は主の言葉に一礼してだ。彼女の前から去った。それからだった。
 影からだ。彼等が出て来た。そのうえでだった。
 司馬尉の前に出て控えだ。こう尋ねてきたのだ。
「では黒茶と月餅にですね」
「含ませておきますか」
「そうされますか」
「いえ、今はいいわ」
 司馬尉はそれはいいとした。
 そしてだ。『それ』についても言及したのだった。
「毒、若しくは操る薬ね」
「操る薬を考えていたのですが」
「それは今は」
「ええ、使わないわ」
 余裕に満ちた笑みと共に述べる。
「それはね」
「左様ですか」
「今は使われない」
「そうなのですね」
「使わなくても充分よ」
 また言う司馬尉だった。
「私の術も使わないわ」
「術もですか」
「それも」
「どうせ来るのは二流の儒者ばかり」
 それならばだというのだ。薬も術も使う必要はないというのだ。
「そんな相手。話術で充分よ」
「わかりました。それでは」
「我々は今は」
「控えておきます」
「そうしなさい。ただ時が来れば」
 その時はというのだ。そのことは確かに話した。
「わかっているわね」
「はい、その時は」
「やらせて頂きます」
「そうさせてもらいますので」
「その時も楽しみにしているわ」
 残虐な楽しみを見出している笑みで。それを浮かべながらの言葉だった。
「是非ね」
「そうですね。その時が楽しみですね」
「我等の時が来る時」
「その時が」
 こうした話をしてだった。司馬尉は己の口一つで儒者達の前に赴くのだった。絶対の自信と共に。


第九十八話   完


                         2011・7・20







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