『恋姫伝説 MARK OF THE FLOWERS』




                          第九十五話  陸遜、ふと見つけるのこと

 司馬尉の妹達のことはだ。孫権達も話していた。
 まずはだ。黄蓋が言う。彼女達は今洛陽に建てられた孫家の屋敷に集まりだ。そのうえで難しい顔になって話をしているのである。
「わしも初耳じゃ」
「私も」
「私もよ」
 二張もだった。孫家の長老達も知らないというのだ。
「司馬家のことは聞いておったが」
「それでも。妹が二人もいるなんて」
「聞いていなかったわ」
「そうなのね。貴女達もなのね」
 孫権は己の席に座ったままだ。腕を組んで言うのだった。
「知らなかったのね」
「わし等程長生きしておれば何かしら聞くが」
「ましてや司馬家程知られた家なら」
「姉妹のこと位は」
「しかし何も聞いておらんかった」
 そうだとだ。黄蓋はまた話す。
「こんなおかしなことはない」
「妙にも程度がありますね」
 太史慈もここで言った。
「司馬家自体に疑念が湧きます」
「あの家は」
 孫権がまた言う。
「代々高官を出している名門だけれど」
「はい、それも朝廷のです」
「三公を光武帝が即位された時からです」
 その時からだというのだ。
「それこそ四代どころではありません」
「袁家をも超える名門ですから」
 二張もそうだとだ。孫権に話す。
「漢王朝の功臣の家である曹家をもです」
「超えているでしょう」
「孫家とは比較にならないわよね」
 孫尚香は自分達の家のことを話に出した。
「それこそね」
「ええ、その通りよ」
 そのことは孫権も認めた。そのうえでの話だった。
「あの家は別格よ」
「しかも清流にありますね」
 周泰が指摘するのはこのことだった。
「宦官に対して」
「それよ。代々清潔な家として知られているわ」
 孫権はこのことも話した。
「そこが曹家とは違うわ」
「宦官の家とは」
「そこが全く違いますね」
「確かに」
「しかもです」
 呂蒙もここで言った。
「司馬尉殿は嫡流ですから」
「側室の娘である袁紹とはね」
「全く違うわね」
 孫権だけでなく孫尚香もこのことを話す。
「当然揚州の豪族に過ぎない私達ともね」
「家柄が違う」
「忌々しいことに」
「しかも。あの娘自身が」
 今度は司馬尉自身のことが話される。
「切れ者だから」
「大将軍の腹心にもなった」
「そこまでの人物だと」
「本当に何もかもを持っている娘よ」
 孫権が見てもだった。そうしたことを話してだった。
 孫権はこんなことも言った。
「私達孫家はそうでもないけれど」
「うむ。曹家や袁家はのう」
 黄蓋が話すのはその両家のことだった。
「かなりの劣等感を持っておるな」
「そうですね。それが問題です」
 諸葛勤もだ。両家が司馬家をどう思っているかはわかっていた。
 それでだ。彼女はこう話すのだった。
「傍から見れば危険なまでにです」
「司馬家に対して敵対心を持っているわね」
「それがよからぬことにつながらなければいいのですが」
「私もそう思うわ」
 こう思うのは孫権も同じだった。
「無闇に憎むとね」
「目を曇らせる」
「そうなってしまいますね」
「ええ。姉様も気付いておられるだろうし」
「何かあれば止めに入りますか」
「そうしますか」
「無闇な争いは起きないに限るわ」
 冷静な目でだ。孫権は見ていた。
 そしてそのうえでだ。こう家臣達に述べた。
「では。私達もね」
「はい、見ていきましょう」
「これからのことを」
「難儀な話じゃ」 
 黄蓋も話す。
「戦が終わっても厄介なことが続くわ」
「世の中ってそういうもの?」
 孫尚香は首を捻ってこんなことを言った。
「ひょっとして」
「ええ、そうよ」
 その通りだとだ。姉は妹に話した。
「世の中は問題が尽きないものよ」
「一つの話が終わってもなのね」
「そうよ。次から次にね」
「そうなの」
「そしてそれを一つずつ終わらせていくのがじゃ」
 そうだとだ。黄蓋は孫尚香に話す。
「政というものじゃ」
「そうなのね。じゃあ今回のこれも」
「そうよ。終わらせるわよ」
「ええ、わかったわ」
「さて。話が終わったところでじゃ」
 黄蓋はそう見て早速だった。酒を出してだ。
 一同にだ。笑顔で話すのだった。
「じゃあ今から飲むぞ」
「御昼ですけれどいいんですか?」
「あの、お酒って」
 呂蒙と周泰がここで話す。
「今からですか」
「皆で」
「そうじゃ。楽しくやるぞ」
 見ればだ。もう杯を出している黄蓋だった。
 そしてそのうえでだ。飲みはじめるとだ。
 くすりと笑ってだ。孫権が言った。
「じゃあ私もね」
「うむ、蓮華殿も飲まれるか」
「そうさせてもらうわ。それじゃあね」
「飲むとしようぞ」
 こう話してだった。他の面々もだ。
「じゃあ飲むか」
「今から」 
 こうしてだった。孫家の面々も飲むのだった。とりあえず司馬家のことは忘れてだ。
 しかしだ。その司馬家のことは誰もが首を傾げさせていた。それは孫家だけでなくだ。袁術も同じでだ。やはり洛陽の彼女の屋敷でだ。こう話すのだった。
「ええい、全く忌々しい話じゃ」
「司馬家のことですよね」
「そうじゃ。何じゃその司馬師と司馬昭というのは」
 こう張勲にも話す。
「全く以て訳がわからん」
「はい、本当に」
「七乃も知らんかったのか」
「ええ、私もびっくりしてます」
 いつもの余裕の顔はだ。張勲からは消えていた。
 そのうえでだ。彼女は己の主に言うのである。
「あんな方がおられるなんて」
「しかも二人じゃ」
「ええ。それもどうやら」
「どうやら?」
「あのお二人も切れ者と思っていいみたいです」
「司馬家だからか」
「はい、司馬尉さんも切れ者ですよね」
 こう言われるとだ。袁術もだ。
 難しい顔でだ。こう述べるのだった。
「忌々しいがその通りじゃ」
「そうですよね。ですから」
「妹連中も切れ者だとするとじゃ」
「厄介ですね」
「厄介なことこの上ないわ」
 地団駄を踏む様にして言う袁術だった。
「我が袁家にとっても曹家にとってもじゃ」
「ええ。あとこれは」
「これは?何じゃ?」
「あくまで私の直感ですけれど」
 こう前置きしてからだ。張勲は話すのだった。
「司馬尉さん、危険です」
「あの女危険か」
「はい、そう思います」
 顔を曇らせだ。剣呑なものを感じながらだ。張勲は袁術に話す。
「少なくとも何故董卓さん、いえ白装束の者達やオロチとの戦いの時に」
「全く出て来なかったのう」
「一体何処に隠れていたのでしょうか」
「それじゃ。その間のことはわからんか」
「そのこともです」
 全くだ。わからないというのだ。
「何処に隠れておられたのか」
「確か先の大将軍が張譲めに猫に変えられそうになった時に」
「そうです。司馬尉さんのところにも兵が向けられましたが」
「それは避けられたのじゃな」
「宦官の兵達が屋敷に入られた時にはもう」
「おらんかったか」
「おかしなお話ですよね」
「うむ、それもまた妙じゃ」
 袁術は腕を組みだ。難しい顔で張勲に述べた。
「妙な話ばかりじゃ」
「そうですね。そうした話ばかりですよね」
「何もかもじゃ」
「司馬尉さんのお話は」
「一体何者なのじゃ」
 袁術はまた話す。
「あの司馬尉は」
「確かに名門の嫡流で切れ者ですけれど」
「謎しかないのう」
「こんなことは有り得ないです」
「わらわが一番気になることじゃが」
 袁術はここで張勲にこのことを話した。
「何故宦官達から身を避けられたのじゃ?」
「それですよね。わからないことは」
「うむ。まさか事前に危機を察して」
「そうとしか考えられませんよね」
「全く以てその通りじゃ」
「ではどうして危機を察することができるのでしょうか」
 またどうしてかとだ。話す張勲だった。
「それもおかしなことですよね」
「怪しいことばかりじゃ」
「では。どうされますか?」
「見張るしかなかろう」
 それしかないとだ。袁術も言った。
「さしあたってな」
「はい、そうですね」
「ではな。そうしよう」
 こうした話をしてだった。袁術もだ。
 司馬尉に対して警戒を持っていた、それもかなりのものだ。
 そしてこの話が終わってだ。袁術は張勲にこう言った。
「さて、話は終わったし」
「それでなのですね」
「うむ。蜂蜜水じゃ」
 それが欲しいとだ。満面の笑みで言うのである。
「それを持って来るのじゃ」
「はい、それでは」
 彼女の話はこれで終わった。だが、だった。
 司馬尉への疑念は募る一方だった。このことについてだ。
 荀ケがだ。その細い眉を顰めさせてだ。楓に話していた。
「似てると思うのよ」
「刹那に?」
「そう、いたわよね洛陽での戦いの時に」
「逃げられたけれどね」
「そう。あいつにね」
 こう楓に話すのである。
「外見は違うけれど雰囲気が」
「そっくりなんだね」
「悪霊?あいつは」
「そうじゃないけれど近いね」
 楓は荀ケの問いにこう答えた。
「この世と冥界をつなげてね」
「そこから死者を送り込むことが目的だったわね」
「そう。言うならば魔王だよ」
「魔王なのね」
「この世を滅ぼそうとするね」
「魔王としても悪質な部類ね」
 ここで荀ェも言った。彼女も共にいるのだ。楓だけでなく他の四霊の面々もいる。彼等は書庫の整理の合間にその中で話をしているのだ。
 書が揃えられた棚に囲まれ背にしながら。彼等は話していく。
 その中で荀ェは言うのだ。
「これはオロチにも言えることだけれど」
「それと朧じゃな」
 翁の目が光る。彼はここでも亀に乗っている。
「あの者もな」
「あいつは何者なの?」
 荀ケが真剣な目で翁に問う。
「刃を空に飛ばして戦っていたけれど」
「刀馬の話ではだ」
 示現が話す。
「やはりこの世を害せんとする者らしい」
「それがあいつなのね」
「その様だ」
「まあ。一見して普通じゃないっていうのはわかるけれど」
「かつては忍だった」
 示現はこのことも話した。
「半蔵殿と因縁があったそうだ」
「半蔵と?」
「左様。何でもかつては伊賀者だったそうだ」
「その通り」
 ここでだった。影の中からだ。
 その半蔵が出て来てだ。彼等に話すのだ。
「あの者はかつては伊賀の忍だった」
「それであれなのね」
 荀ケは半蔵のその話を察して言葉を返した。
「どうせ謀反とか考えて。忍を抜けてなのね」
「左様、幕府の転覆を企てた」
「あんた達の世界で言う漢王朝よね」
「そうしたところだ。それを企てた為」
「あんたが成敗しようとしたのね」
「だが逃げられた」
 それはだ。果たせなかったというのだ。
「残念なことにだ」
「話はわかったわ。けれどあいつは」
「妖術をも身に着けた」
「それがあの刃」
「そういうことになる。あの力はあってはならない力」
「アンブロジアとかそういった連中の力ね」
 荀ケはその鋭い頭脳を活かしてだ。こう察してみせた。
「それよね」
「そうだと思う。あの者は秩序を嫌うようになった」
「混沌ね」
「破壊と殺戮」
 そしてさらにだった。
「そして混沌だ」
「それをこの世界でやろうとしているってことね」
 荀ェもここでその洞察を見せた。
「迷惑な話よね」
「それだけこの世界が特異ということだ」
 書の棚に背をもたれかけさせ腕を組んでいる嘉神が言った。
「そうした存在を集めてしまうのだ」
「あんた達の世界に揃っていた連中が」
「そうだ。そして話を戻すが」
「その司馬尉よね」
「あの者は油断ならん」
 嘉神もだ。こう言うのだった。
「間違いなくよからぬことを企てている」
「謀反?そしてよね」
「おそらくこの世界を破壊しようとしている」
 そうだとだ。荀ェに話すのである。
「そして魔性の国を築こうと考えているだろう」
「魔性のね」
「常世やオロチの世界だ」
 そっくりそのままの。そうした世界だというのだ。
「そうした意味であの女と刹那やオロチの思惑は一致しているのだ」
「それじゃあ」
 楓はその嘉神に問うた。
「于吉や左慈もまた」
「そうだろう。魔性の者だ」
 まさしくだ。そうした存在だというのだ。
「我等から見てだ」
「わし等はそうした者達を封じておるが」
「そうだ。刹那、そして常世をだ」
「その為にこの世界にも呼ばれた」
 嘉神と示現も話す。
「そしてその我等を呼んだのは」
「あの者達だ」
「ええ、それもよくわかるわ」
 荀ェはここで苦い顔になって話した。
「あの妖怪達よね」
「妖怪ね。確かにね」
 荀ケもこのことには同意だった。仲の悪い従姉妹の話とはいえ。
「あの二人は完全にそうね」
「けれどその妖怪達が」
「私達の世界を救ってくれるのね」
 こう話していく従姉妹達だった。
「その為に動いてくれる」
「有り難いことね」
「僕達にしてもです」
 楓は真摯な顔で彼女達に話す。
「この世界を救うことにやぶさかではありませんから」
「ええ。頼りにしてるわ」
「私達にしてもね」
 それはだとだ。荀ケ達も応えて言う。
「正直あんな連中が山みたいに来てるし」
「これからも宜しくね」
「それでだが」
 ここでだ。嘉神が二人に問うた。
「あの者達。司馬家のことだが」
「ここにその書があるかって?」
「あの家について書かれていることが」
「そうだ。そうした書はあるか」
「そんなの真っ先に探したわ」
 荀ケは顔を顰めさせ首を横に振ってだ。こう嘉神に答えた。
「けれどね。そうした書はね」
「なかったか」
「その素性がわかるようなのはね」
 それはなかったというのだ。既に多くの者、荀ケもだ。司馬家に対してその素性は表で知られていることは偽りだと察しているのだ。
 それでだ。彼女も言うのだった。
「全くないわ」
「そうか。ないか」
「あれは絶対に碌な出自じゃないから」
 名門というのは。まやかしだというのだ。
「司馬家はね」
「その辺り曹家や袁家とは違うのう」
「ええ、そうよ」
「全くね」
 従姉妹達はそれぞれの主の家については断言できた。
「あんな怪しい家とは一緒にしないで欲しいわ」
「曹家も袁家もはっきりしている家だから」
「そうですよね。それと比べて司馬家は」
「光武帝が立たれてから三公だけれど」
「本当に急に出て来たのよ」
 そうだとだ。二人は楓に対して話す。
「もうね。それこそ闇の中からみたいな」
「そんな感じで出て来たのよ」
「それで代々なんですね」
「そういうことよ」
「そういえば今思うと」
 ここで彼女達は気付いた。
「代々高潔で優れた人間を輩出してきたけれど」
「何かっていうと政敵が不穏な死を遂げているのよね」
「ええ、もう本当に都合よくね」
「今気付いたけれど」
「では余計に怪しいのう」
 翁も二人の話を聞いてこう述べた。
「あの家は」
「宦官達とは対立してきたから清流って思われてきたけれど」
「実際は」
「宦官達はだ」
 嘉神がその宦官達について話す。
「所詮考えていることは己のことだけだ」
「私利私欲ね」
「他のことは考えていないっていうのね」
「所詮は小悪党だ」
 嘉神から見ればだ。宦官達はまさにそれだった。
「この国に巣食うな」
「言うなら寄生虫よね」
「そうした奴等よね」
「所詮はたかが知れている」
 そうだというのだ。
「だが。あの家はだ」
「この国自体を壊そうとしていて」
「民も生贄に捧げようとしているのね」
「正直遥かに悪質よね」
「それを考えたら」
「そういうことだ。危険だ」
 まさにそうだとだ。嘉神は指摘するのだった。
「無論あの宦官達も放ってはおけなかったが」
「だかそれ以上にだ」
 示現もここで話す。
「あの家、そして刹那やアンブロジア達はだ」
「滅ぼさないと国が滅ぼされる」
「そんな相手よね」
 こうした話をしてだった。彼等は書庫の中でこれからのことを考えていた。
 そこにだ。陸遜が来たのだった。
 その彼女を見てだ。荀ケが声をかけた。
「あっ、書よね」
「はい。何かいい書はありますか?」
「そういう書ばかり置いてるけれど」
 荀ケにしても己が管理している書庫には自信がある。それでこう返すのだった。
「けれど具体的にはどういった書がいいかよね」
「できれば歴史書を」
 それがいいというのだ。
「読みたいのです」
「ええと。それならね」
 それを聞いてだ。荀ケは。
 彼女のすぐ隣の書庫を指し示してだ。それで陸遜に話した。
「ここよ」
「その棚ですか」
「ここから五つ縦にね」
「それが全部ですね」
「それこそ三皇五帝の頃からのがあるから」
「じゃあ西周の頃のを」
「西周!?」
 西周と聞いてだ。荀ケは眉を顰めさせた。
 そのうえでだ。こう陸遜に話すのである。
「あの頃のことって殆んど残っていないけれど」
「そうですよね。記録が戦乱の中で燃やされて」
「それで殆んど残ってないけれど」
「それでもありますか?」
「あるにはあるわ」
 ないことはないというのだ。
「けれど殆んどないから」
「それでも。御願いします」
「わかったわ。それじゃあね」
 こうしてだった。陸遜は荀ケに案内されてその西周時代の書を借りたのだった。そのうえでだった。
 彼女は書庫から去った。そして楓達も。
「じゃあ休憩は終わりにする?」
「そろそろそうするか」
「ええ、そうね」
 荀ケが楓と翁の言葉に応えて言う。
「それじゃあまた再会ね」
「それにしても書の数が多いな」
 示現は早速整理にかかりながら述べた。
「宮廷の書庫だけはあるか」
「そうでしょ。私も読みがいがあるわ」
「とてもね」
 従姉妹達は息のあった調子で話す。
「それじゃあ早速ね」
「これで終わらせましょう」
 こうしてだ。彼達は書の整理を進めるのだった。司馬家への疑念を深めながらだ。そのうえで彼等の仕事をしていくのだった。
 広場でだ。ローレンスが巨大な牛を前にしていた。その彼を見ながらだ。
 紀霊がだ。蔡文姫に尋ねていた。
「都でなのね」
「はい、そうでした」
 こうだ。文姫はその時のことを思い出し暗い顔で話すのである。
「私が眠っている間に屋敷に忍び込み」
「そのうえでなのね」
「気付けば。縛られ目隠しをされていて」
「匈奴に売られていたなんてね」
「袁紹様がおられなければ」
 そのだ。彼女を救った袁紹がいなかったらというのだ。
「大変なことになっていました」
「そうよね。匈奴の単于の慰みものになっていたわ」
「本当に危ういところでした」
「それで誰なの?」
 紀霊は文姫に尋ねた。
「あんたを誘拐して匈奴に売ったのは」
「それがわからないのです」
 こう答える文姫だった。
「今に至るまで」
「宦官の奴等じゃないの?」
 紀霊はローレンスが突進する牛をかわし剣を刺すのを見ながら話す。
「あんたの家って宦官連中と仲悪かったし」
「はい、父は学者でしたが」
 政治にも関わっていたのだ。言うなら政治顧問だったのだ。
「そのせいでしょうか」
「そうじゃないの?」
 こう考えて言う紀霊だった。
「ましてやあんたもね」
「私も?」
「凄い学識だから」
「いえ、私はそんな」
「謙遜しなくていいのよ」
 そのことはだ。笑っていいとするのだった。
「実際のことだから」
「はあ」
「それでね」
 さらに話す紀霊だった。
「あんたも正直宦官嫌いだったでしょ」
「あまり。ああした方々は」
「帝を惑わすし私利私欲ばかり追い求めて民から搾り取って」
「そうしたことは止めなければなりません」
 文姫の美麗な顔に厳しいものが宿った。そのうえでの言葉だった。
「ですから先の帝にもです」
「何度も提案していたわよね」
「はい、宦官を排除しその力を抑えることを」
 そのことをだというのだ。
「提案させてもらいましたが」
「それで睨まれてじゃないかしら」
「では宦官達が」
「そう。そうじゃないの?」
 こう言うのである。
「あの連中なら普通にやるでしょ」
「確かに。謀を得手としていますから」
「正直滅茶苦茶怪しいでしょ」
 こうまで言うのである。
「張譲の行方はわからないけれど」
「あの者が首謀者でしょうか」
「限りなく黒に近いと思うわ」
 紀霊はこう推察していく。
「あの連中ならよ」
「そうですね。ただ」
「ただ?」
「そうしたことははっきり調べていかないと」
「言えないことだっていうのね」
「私自身もです」
 そのだ。文姫もだというのだ。当人もだ。
「確かに宦官達は怪しいです」
「そうでしょ。あからさまじゃない」
「しかし。よく調べて」
「そうして言わないといけないのね」
「そう思います」
 文姫は真面目な態度で紀霊に話す。
「しかも宦官達、十常侍はです」
「全員追放されたか行方がわからないわね」
「特に首謀者の張譲がです」
「そうそう、あいつ」
 十常侍の中心のだ。彼女はだというのだ。
「あいつ本当に何処に行ったのよ」
「後宮で急に姿を消したらしいですが」
「私達が来たので行方をくらましたのかしら」
「その可能性は高いですね」
「あいつは何としても行方を探って」
 そうしてだというのだ。
「見つけ出してあんたのこと吐かせないとね」
「はい、絶対に」
「とにかく。宦官達は厄介よ」
 話が宦官のことに移った。
「企んでばかりだし」
「そうですね。ですから今も」
「後宮も改革を進めているのね」
「それで私も」
「ああ、あんたの策で進んでるんだったわね」
「麗羽様が容れて下さいました」
「あの方がなのね」
 文姫は元々袁紹の家臣だ。だからなのだ。
「それでなのね」
「はい、そうです」
「宮廷も改革されて帝もね」
「今の帝はとても素晴しい方です」
「英邁な方だと御聞きしているけれど」
「まだご幼少ですが」
 それでもだというのだ。今の帝は。
「非常に素晴しい方です」
「ううん、帝がそうした方で国政は劉備さんが中心になって進めてくれて」
 そうしてだというのだ。
「国政はかなりよくなってきているわね」
「はい、非常に」
「国はよくなっているわ」
 また言う紀霊だった。
「後はあの怪しい連中を取り除けばね」
「この国も安泰になります」
「ええ。何だかんだであともう少しね」
「この国が本当によくなるのは」
「頑張ろう、それじゃあ」
「そうですね。あとですが」
「あと。どうしたの?」
 ここで話が変わった。文姫はローレンスを見てだ。こう言うのだ。
「ローレンスさんですけれど」
「ああ、あの人ね」
「何か動きが凄いですね」
 こうだ。ローレンスを見て話をするのだ。
「赤いマントっていうんですね」
「あの手に持ってるのよね」
「あれをひらひらさせて牛を挑発させて」
 それでだ。さらにだというのだ。
「間一髪でかわされて剣を刺して」
「あれねえ。凄いわよね」
「あんなことできるんですね」
「あっちの世界じゃ闘牛士っていうらしいわね」
「闘牛士ですか」
「そう、マタドール」
 あちらの世界の呼び名にもなる。
「それにね」
「そういえばあの人あちらの世界では」
「それだったから」
「だから今こうしてですか」
「そう。その闘牛をね」
 しているというのだ。
「それにしても。あれはねえ」
「華麗なものですね」
「そうそう、それよ」
 その言葉だというのだ。
「そうした闘いよね」
「ああした闘いもあるのですね」
「まるで舞みたいよ」
 まさにだ。そうした闘いだというのだ。
「そんな感じよね」
「蝶の様に舞い」
「蜂の様に刺すね」
「そんな感じよね」
「はい、そう思います」
 文姫もこう紀霊に応える。
「見ていて惚れ惚れとします」
「あちらの世界じゃああしたものもあるのね」
「何か楽しい世界ですね」
「そうよね。楽しいわ」
 実際に見ていてそうだというのだ。
「見がいがあるわね」
「それでなんですけれど」
 ここで文姫は尋ねた。
「あの牛はどうなるのでしょうか」
「ローレンスさんが闘っているその牛よね」
「今ああして剣が次々に刺さっていますけれど」
 ローレンスはかわす度にだ。剣を刺しているのだ。それを見てだった。
 文姫は紀霊に尋ねたのだ。倒れた牛はどうなるかと。
「それで倒してからは」
「食べると思うわ」
「食べるんですか」
「だって。倒して終わりじゃないでしょ」
 だからだというのだ。
「それじゃあやっぱりね」
「倒した牛は食べる」
「そうなるでしょ」
「そうですね。肉を捨てるということは」
「こんな勿体無い話ないでしょ」
「はい、ありません」
 まさにその通りだと。文姫も言う。
「それはしてはなりません」
「だからよ。食べると思うわ」
「そういうことですね」
「じゃあ。この後は」
 それもだ。楽しみだというのだ。
 そのうえでだ。紀霊が文姫に尋ねる。
「何食べる?」
「牛の料理をですね」
「そうよ。あんたは何を食べたいの?」
「あの。ローレンスさんがお好きだという」
 その料理はというと。これだった。
「ビーフシチューを」
「ああ、あれね」
「あれ美味しいですよね」
「ええ、とても」
 まさにだと。紀霊も応える。
「湯みたいでね」
「トマトとかで味付けをしてるし」
「御肉も柔らかくて」
「とても美味しいですね」
「はい、ですから」
「あれが食べたいのね」
「内臓も美味しいですし」
 彼女達は内臓も食べるのだった。
「あれも」
「そうそう。内臓もね」
「内臓はキムさん達がホルモンとして焼かれていますね」
「いいわよね、あれも」
「他にはステーキも」
 これもあった。
「牛も何でも食べられますよね」
「豚は捨てるところがないけれど」
 中国ではそう言われているのだ。豚はそうした肉なのだ。
「牛もそうよね」
「もっと言えば鶏もね」
「とにかく。どんな肉もね」
「捨てることなく食べられますね」
「毒があるやつ以外はね」
 そうだというのだ。食べられるというのだ。
「だからそれでね」
「ええ、食べましょう」
「はい、そうしましょう」
 こうした話をしながらだ。二人はローレンスが牛を倒すのを見守るのだった。そしてその後で。実際に様々な牛料理を楽しんだ。
 その夜陸遜は呂蒙とだ。こんな話をしていた。
 書庫から借りたその書を読みながらだ。その内容について話すのだった。
「周が一人の女に滅ぼされたとありますよね」
「あの女にですよね」
「はい、そうです」
 こうだ。呂蒙に話すのである。
「あの何をしても笑わない女によってです」
「王が惑わされ」
「幽王でしたね」
 それがその王の名前だった。
「王はその妃を笑わせる為にです」
「狼煙で諸侯を集めることを続け」
 その集る姿を見てだ。女が笑うからそうしたのだ。
「そしてそれによってでしたね」
「はい、そうでしたね」
 呂蒙もその話は知っていた。それで応えるのだった。
「それで笑わせていましたが」
「それで遂には諸侯から信頼を失い」
 そしてなのだった。遂には。
「現実に敵が攻めて来て狼煙をあげても」
「誰も信じませんでした」
「そしてそれにより」
「滅ぼされました」
 そうなったのだ。これで周は一旦滅んだのだ。
「ああなりましたが」
「思えばです」
 陸遜はここでこんなことも言った。
「夏も殷も同じでしたよね」
「経緯は違えど女によって惑わされ」
「はい、滅んでいます」
 これが中国の歴史だった。
「そうなっていますよね」
「周もまたですね」
「ですよね。三つの王朝が女によって滅んでいます」
「奇妙な一致です」
「それでふと気付いたのですけれど」
 ここで陸遜はまた言った。
「その周を滅ぼした笑わない王妃ですけれど」
「何かあったのですか?」
「その容姿について書かれていました」
 そのだ。陸遜が借りた書にだ。書かれていたというのだ。
 その容姿について呂蒙と話す。さらにだった。
 呂蒙にもう二冊の書を出す。それは。
「これは夏の書と殷の書です」
「それぞれですね」
「はい、それぞれの国を滅ぼした女のことが書かれている書です」
「その書を持っておられたのですか」
「そうなんです。それで」
「それで?」
「書かれていることですけれど」
 それはだ。どうかというのだ。
「その容姿なんですけれど」
「それが一体」
「同じなんです」
「同じ!?」
「はい、同じです」
 そうだというのだ。その三人の女の容姿、書に書かれているものがだ。全て同じだというのだ。考えてみれば奇妙なことにだ。
「全部同じなんです」
「おかしな話ですね、それは」
「そう思われますよね」
「普通そんなことはありません」
 呂蒙もこのことを言うのだった。
「有り得ないことですよね」
「そしてその容姿が」
 その三人の女の容姿がだ。どうかというと。
「司馬尉さんと同じなんですけれど」
「司馬尉さんと!?」
「はい、同じです」
 そうだというのだ。
「そしてさらに言うと」
「さらに?」
「殷代にはあの王后の妹が二人出ていますが」
「ああ、あの」
「そうです。あの二人です」
 呂蒙の言葉に応える。二人が共に知っている名前だった。
「あの二人の容姿も」
「それもまたですか」
「司馬師さん、司馬昭さんの容姿と同じなんです」
「まさか。それでは」
「あっ、同一人物ではないと思います」
 それはないとだ。陸遜は予想して述べた。
「流石にそうしたことはです」
「仙人でもない限りはですね」
「あの方々には仙骨やそういった特徴は見られませんから」
「それはないですか」
「ですが。おかしな話ですよね」
「はい、本当に」
 呂蒙もだ。驚きを隠せない顔で返す。
「こんなことがあるんですか」
「本当に奇妙なことにです」
「しかし。不吉ですね」
 呂蒙はあらためてこう言った。
「国を滅ぼした女と。司馬尉さんの容姿が同じとは」
「あの女達は狐だったとも言われていますね」
「九尾のあのですね」
「そうです。あの魔物です」
 中国では九尾の狐は最悪の魔物の一つと呼ばれているのだ。その存在のことを脳裏に浮かべてだ。二人はさらに話すのだった。
「あの狐ですが」
「その魔物が化けた姿と同じ」
「ううん、何か余計にですね」
「はい、不吉なものを感じますね」
「全くですよね」
 二人は書からこのことを知ったのだった。しかしこの時はそれまでだった。そしてこのことを孔明達に話してだ。今はそれで終わりだった。


第九十五話   完


                      2011・7・14



書も無事に壊れたし。
美姫 「戦もどうにか収束したわね」
これで平穏がと思いきや、行き成り現れた司馬家。
美姫 「明らかに怪しいけれど、調べても全然分からないなんてね」
逆にそれが余計に怪しいんだけれどな。
美姫 「でも遂にそれらしきものを陸遜が見つけたわね」
これまた事実ならとんでもない事かけれどな。
美姫 「一段落かと思いきや、きな臭い事にまたなってきたわね」
だな。一体、どうなるんだろうか。
美姫 「次回も待ってますね」
ではでは。



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