『恋姫伝説 MARK OF THE FLOWERS』




                           第六十四話  公孫賛、誰からも忘れられていたのこと

 袁紹と孫策はこれまでの勲功によりそれぞれ幽州、交州の牧になった。
 孫策はそれでよかった。しかし袁紹はだ。
「客が来ていますの?」
「はい、そうです」
「今ここに」
 こうだ。顔良と文醜が話す。
「来ていますが」
「どうされますか?」
「誰なのでして?」
 二人の言葉にだ。いぶかしみながら返す袁紹だった。
「華琳からの使者ではありませんわね」
「はい、本当によく知らない人です」
「どっかで見た気もしますけれど」
「何処かで?」
 袁紹は文醜のその言葉に反応を見せた。
「といいますと私も何処かで会った可能性もある方ですわね」
「麗羽様、とりあえずはです」
「御会いされてはどうでしょうか」
 彼女の左右に控えている田豊と沮授が進言してきた。
「どなたかわかりませんが」
「今は斗詩達もいますし」
 部屋には護衛役である審配もいた。彼女の目が光った。
「警備は万全です」
「何かあってもです」
「安全だというのですね」
 袁紹は軍師二人の言葉を聞いて述べた。
「そうですわね」
「はい、ですから」
「ここは会うべきです」
「わかりましたわ。それでは」
 こうしてだった。袁紹は彼女達を傍に置いたうえでその人物と話をした。それは。
「あら、貴女は」
「おい袁紹、幾ら何でも酷いぞ!」
 公孫賛であった。彼女は右手を拳にしてそれを振りかざして袁紹に抗議してきた。
「どうしてだ、幽州を私から奪った!」
「誰でして?」
 しかしであった。袁紹は怪訝な顔で彼女にこう告げた。
「貴女は」
「えっ、まさか御前も」
 公孫賛はここでわかった。袁紹が自分をどう見ているのかをだ。
「私のことを覚えていないのか?」
「だから誰でして?」
 本気で怪訝な顔で言う袁紹だった。
「覚えがありませんわよ」
「そうですよね。何か何処かで御会いしたとは思うのですけれど」
「誰だったっけ」
 顔良と文醜も階段の下でそれぞれ言う。階段の上の袁紹の左右には田豊と沮授がいる。そして部屋の扉には審配が控えている。
「ええと、何処で御会いしました?」
「ちょっと行ってくれないかな」 
「おい、顔良と文醜までそう言うのか」
「あれっ、私達の名前を知ってるのね」
「いやあ、あたい達も有名になったもんだぜ」
 二人はこう言うだけであった。
「ううん、それは嬉しいけれど」
「あんたはそれで誰なんだ?」
「だから公孫賛だ!」
 自分の名前を必死に訴える。
「白馬長史だ。知らないのか!?」
「白馬長史?」
「誰だったでしょうか」
 今度は田豊と沮授が怪訝な顔で言った。
「そんな人は知りませんけれど」
「そうよね。公孫賛という人も」
 軍師二人も知らなかった。尚この二人が袁紹陣営の頭脳である。
「それに幽州の牧は長い間空席でしたし」
「それで麗羽様が入られたし」
「そうですわ。幽州はそれが問題でしたのよ」
 そのあらたに幽州の牧となった人間の言葉だ。
「それで私が任じられたのでしてよ」
「牧は前からいたぞ!」
 公孫賛も必死だ。
「私だ、この公孫賛だ!」
「だから誰なのですか?」
「貴女の名前なのはわかりますけれど」
 相変わらずの調子の軍師二人である。彼女達も怪訝な顔になっている。
「幽州は以前烏丸討伐の時にも入りましたけれど」
「劉備さんがいましたね」
「そうそう、劉備さん達がね」
「いい奴等だよな」
 顔良と文醜は軍師二人に顔を向けて応えた。
「あの人徐州の牧になったのよね」
「凄い出世だよな」
「ですが劉備さんには相応しい地位ですわね」
 袁紹も言う。劉備については彼女も笑みを浮かべて話す。
「牧も」
「そうですね。優れた人物は必ず世に出ます」
「ですから牧になられたのも当然です」
 田豊と沮授も主の言葉に賛同して述べる。
「あの方には優れた臣が揃っていますし」
「若しかすると牧以上の方になられるかも」
 それ以上の人物だというのである。劉備については彼女達もよく知っている。そのうえ実に好意的で高い評価も与えていた。
「末が楽しみですね」
「まことに」
「だから桃香は知っていて何故私を知らない!?」
 公孫賛はいい加減苛立ってきていた。
「私がだ。幽州のだな」
「あの、だから幽州には」
 審配も彼女に言ってきた。
「牧は本当に誰も」
「いたんだ!何故誰もそれを知らない!」
「麗羽様、どうされますか?」
「ここは」
 軍師二人はラチが明かないと判断してだ。袁紹に問うた。
「この方は」
「どうされますか?」
「見たところ無能ではありませんわね」
 袁紹は公孫賛の素質は見抜いた。
「それに品性も卑しくはありませんわね」
「ではここは」
「用いられますか」
「そうですわね。悪くありませんわね」
 こう判断してだ。そのうえで公孫賛にあらためて声をかけた。
「そこの貴女。名前は確か」
「だから公孫賛だ!」
 抗議めいた口調で袁紹に言い返す。
「いい加減覚えてくれ!」
「それでどうしますの?私の配下になるのなら歓迎しますけれど」
「だからどうしてそんな話になるんだ。だから私は幽州の牧だ」
「ではお嫌ですの?」
「そうした問題ではない!私はだ」
「あの、我が陣営に加わるつもりはないみたいです」
「そのつもりはないようですが」
 ここでまた主に言う田豊と沮授だった。
「どうされますか、それでは」
「一体」
「仕方ありませんわね。それではですわ」
 袁紹も眉を顰めさせていささか残念な顔になってだ。こう田豊達に対して述べた。
「そちらの何とかさんに路銀と食事を。そうしてから見送りなさい」
「わかりました」
「じゃああんた、一緒に食おうな」
「だからどうして皆私のことを知らないのだ!?」
 公孫賛は顔良と文醜のエスコートを受けながらまだ言う。
「ましてや袁紹!御前何度私に会った!」
「初対面ですわよ」
 本気で言う袁紹だった。
「いえ、本当に」
「そうですよね。本当に誰なんでしょうか」
 最後に審配が言う。かくして公孫賛は袁紹陣営の誰からも忘れられ覚えてもらえないまま。止むを得なく袁紹の領地を後にした。そうして次に向かったのは。
 曹操に対してだ。一連の自分自身に起こったことを話していた。
「だからあいつは酷いんだ!勝手に幽州の牧になったうえに私のことを全く覚えていないんだ!曹操、このことについてどう思う!」
「あの娘らしいわね」
 曹操は玉座に座りながら左手を拳にしてそれで頭を支えながら述べた。
「麗羽はね。時々普通にそうしたことがあるから」
「困りものです」
「全くです」
 曹操の左右に控える曹仁と曹洪が応える。ここでは荀ケと荀攸が階下に控えている。
「あの方らしいですが」
「本当に相変わらずですね」
「そうね。気持ちはわかるわ」
「そうだろう、曹操ならそう言ってくれると思っていた!」
 曹操の言葉を受けてだ。公孫賛は満面の笑顔になった。
 そうしてそのうえでだ。さらに言うのであった。
「いや、本当にだ。幽州の牧は私、この公孫賛なのだ!」
「話は聞いたし気持ちはわかったわ」
 ところがだった。曹操はここでこんなことを言い出した。そのうえで公孫賛を見てだ。怪訝な顔になって、彼女もその顔になってこう言うのであった。
「貴女は。誰なの?」
「な、何っ!?」
「見ない顔だけれど。誰なの!?」
「ちょ、ちょっと待て。曹操までそう言うのか!?」
「だから誰なのよ、貴女」
 荀ケも真剣に怪訝な顔で彼女に問うた。
「全然知らないわよ」
「そうだ。誰なのだ?」
「見たところ武人らしいが」
 曹洪と曹仁も同じことを言う。
「それに幽州に長い間牧はいなかった」
「そのことが朝廷にとって悩みの種の一つだったわ」
「だから麗羽殿の牧就任は」
「朝廷にとっても渡りに舟だったのだけれど」
「そうよね、その通りだわ」
 曹操は従妹達の言葉に応えて頷いた。
「それで劉備が徐州に入ったしね」
「喜ばしいことが続きますね」
「全くです」
 荀ケとその姪も言う。
「こちらの武人が誰かは知らないけれど」
「私もです」
「けれど。見たところそれ程悪い人物ではないようです」
「資質はそこそこといったところでしょうか」
 二人は今度は公孫賛を見ながら話した。
「それでどうされますか?」
「この人物は」
「そうね。何だかんだで人材は一人でも多く必要だし」
 曹操も袁紹と似たようなことを言う。
「貴女、よかったら私の陣営に来る?」
「私の名前を言ってみてくれ」
 公孫賛は曹操の誘いにこう返した。
「答えてくれたら考えさせてもらうが」
「だから誰なの?」
 これが曹操の返答だった。
「名前言ったかしら」
「言ってないですよね」
「そうですよね」
「幽州の牧なんてUMAを出す始末だし」
「一言も」 
「な、言った筈だ!」
 曹操だけでなく他の面々もそれぞれ顔を見合わせながら話す。
 だが本人には確かに記憶があった。それで言い返す。
「公孫賛だ!白馬長史のだ!」
「だから知らないわよ、そんな人」
 荀ケがまた怪訝な顔で言う。
「最近噂になっているあの人?袴で胴当てを身に着けた口髭の男」
「あの男一体何者かしら」
「時々見るけれど」
 曹洪と曹仁もその人物のことは知っていた。彼のことはだ。
「一説によるとその名前は藤堂だとか」
「娘さんがいるらしいわね」
「そうよね。その人のことかしら」
「何故そんな怪しい人間のことが知られていて私のことは知られていないのだ!」
 ここでもいい加減嘆きが入った。
「曹操、御前とも何度も会っているんだぞ!」
「だから覚えてないわよ」
 彼女も本気で返す。
「誰なのよ、本当に」
「こんな有様だったんだ」
 場所は変わる。公孫賛は残念といった顔で酒場にいた。そうしてそのうえで夏侯淵に対して話していた。横では夏侯淵のその姉が歌っている。
 その歌を聴きながらだ。公孫賛は彼女に訴えていた。
「酷いと思わないか。誰も私のことを覚えていないんだ」
「わかるぞ、その気持ち」
 夏侯淵は彼女のその言葉にしみじみとした口調で返す。
「全くな。酷いものだ」
「夏侯淵殿、わかってくれるか」
「わかる。私もそういうところがあるからな」
 それでわかるというのである。
「全くな。実にな」
「済まない、しかし貴殿は私の名前を覚えていてくれるか」
「忘れる筈がない。私も色々と苦労してきた」
「そうだったのか」
「幼い頃から姉者と」
 実際に姉をちらりと見ての言葉だった。
「麗羽様もおられたのだぞ」
「二人もか」
「そうだ。何かをする度に私はとばっちりを受けていた」
「私はいつも忘れられていた」
「同じだ。だからわかる」
「そうだったのか」
「しかも貴殿はあれだったな」
 夏侯淵はここで公孫賛に対してこんなことを話した。
「学園の日々ではまだよかったな」
「しかし夏や交差になるとだ」
「扱いが悪くなっていっているな」
「張角の方が扱いがいいのだぞ」
 公孫賛にとってはそれも嫌なことであった。それも実にだ。
「どうなのだ、これは」
「そうだったな。貴殿の苦労は続くな」
「困ったことだ。それにだ」
「これからのことか」
「どうすべきだろうな」
 飲みながら真剣に夏侯淵に相談する。
「これからだが」
「一度朝廷に行ってみたらどうだろうか」
 夏侯淵はこう提案した。
「貴殿の資質なら朝廷でも用いられるだろう」
「朝廷か」
「そうだ。大将軍も何かと大変だ」
 宦官達との対立故である。政治だけではないのだ。
「だからだ。そうしてみてはどうか」
「そうだな」
 公孫賛も夏侯淵のその言葉に頷いた。
「そうするとするか」
「それがいい。それではな」
「うむ、そうしよう」
 こうしてだった。公孫賛の次の行く先が決まったのだった。そして決まったその時にだ。それまで歌っているだけだった夏侯惇が彼女に言ってきた。
「そこの御主」
「私か?」
「そうだ、御主だ」
 名前は言わないのだった。
「御主も歌うか?どうだ?」
「歌か。歌は好きだが」
「私と共に歌うか。どうだ?」
「悪くないな、それではな」
「凛には負けていられないからな」
 何気に密かな対抗心も見せる夏侯惇だった。
「だからだ。共にな」
「うむ、そうさせてもらおう」
「歌はいいものだ」
 夏侯淵もここでは微笑む。
「気持ちが晴れる」
「そうだな。それでは一曲な」
「一曲と言うな」
 夏侯惇がまた公孫賛に告げた。
「何曲でも歌おうではないか」
「そうだな。それではそうさせてもらうか」
 公孫賛も頷いてだ。そうしてであった。
 二人で歌いその憂いを和らげた。そのうえで都に向かった。しかしであった。
 いきなりだ。何進の屋敷に入ろうとしたところでだ。彼女が見たこともない美女にこう言われたのだった。
「待て、貴殿は駄目だ」
「何っ、どうしてだ?」
「貴殿、何者だ」
 こうだ。その女に鋭い目で言われたのである。
「素性がはっきりしない者を大将軍のお屋敷に入れる訳にはいかぬ」
「私は公孫賛だ」
 こう己の名を名乗って返した。
「それでわかる筈だ」
「知らぬな」
 だが女は鋭い目でまた返す。
「そうした名はな」
「馬鹿な、何故知らないのだ」
「知らぬものは知らぬ」
 また言う女だった。
「とにかくだ。素性のわからぬ者を入れる訳にはいかぬ」
「どうしてもというのか」
「そうだ、どうしてもだ」
「くっ、御主何者だ!」
 たまりかねてだ。女の名を問うた。
「見たところ文官だが」
「私か。私の名はだ」
「何だというのだ」
「司馬慰だ」
 こう名乗ったのであった。
「司馬慰仲達だ。覚えておくのだな」
「司馬慰だと?あの宮中で近頃名を知られてきている」
「名を知られているかどうかは知らぬ」
 それはだというのであった。
「だが。司馬慰は私だ」
「そうか。御主がか」
「とにかくだ。貴殿が入ることはだ」
「駄目だというのか」
「そういうことだ」
 こう告げてであった。司馬慰は公孫賛を屋敷には入れなかった。そうしたことがあった。
 そしてであった。彼女は何進の屋敷から己の屋敷に戻った。そこで影達と会っていた。
「姉上、何かあったのですか」
「大将軍のところで」
「ええ、少しね」
 こうだ。影達に話すのだった。
「公孫賛が来ていたわ」
「あの幽州のぼくちくだった」
「あの女がですか」
「大将軍の屋敷に入ろうとしていたわ」
 このことを話した。
「けれど。名前を知らないということにしてね」
「追い出しましたか」
「そうされたのですね」
「今。大将軍の傍に武人を置くことは避けないとならないわ」
 それでだというのであった。
「だからね。排除したわ」
「よい御考えかと」
「それで」
 影達も司馬慰のその言葉に頷く。
「張譲殿もそろそろ動かれますし」
「ですから」
「そうよ。だから今はね」
 公孫賛はだ。彼女の傍にいてはならないというのである。
「去ってもらったわ」
「では我々もですね」
「今は」
「ええ。病になるわ」
 不穏な笑みを浮かべてだ。司馬慰は言った。
「そうなるわよ」
「わかりました。それでは」
「私達も」
 影達も司馬慰のその言葉に応えた。
「そうしましょう」
「そうしてですね」
「今は隠れ。そして」
「ことの成り行きを見守りましょう」
 こんな話をしてだ。彼女達は闇の中に消えた。そうしてであった。
 司馬慰は病を得て姿を現さなくなった。それが宮中にさらに不穏な空気を増させていた。
 公孫賛はだ。司馬慰に追い出されだ。仕方なく洛陽を出てだ。
 何処かに向かおうとしていた。だが、だった。
「困ったな。どうしようか」
 都に行ってもどうにもならなかった。それで、であった。
 正直行く先に困ってしまっていた。白馬に乗って何処かに行こうとするがだ。
 何処に行こうか決めかねてだ。困惑していたのだ。
 それでも前に出ようとする。しかしここで、であった。
「待つのだ、そこの者!」
「むっ!?」
 声がした方に顔を向ける。するとそこには。
 洛陽の城壁の上にだ。仮面を着けた白衣の女が立っていたのだった。公孫賛はその彼女の姿を見てだ。顔を顰めさせながらこう言った。
「御前、趙雲だな」
「違う!」
 それは否定する美女だった。
「私はだ」
「何だというんだ、それで」
「愛と正義の戦士華蝶仮面!」
 それだというのである。
「それが私の名だ!」
「ああ、わかった」
 一応それは聞く公孫賛だった。呆れながらだ。
「そういうことか」
「そうだ。そして御主」
「公孫賛だが。知っているな」
「安心しろ、知っている」
 こう返すその美女だった。城壁の上でだ。両手を腰にやってそのうえで立ってその姿で公孫賛に対して告げているのである。槍はその背にある。
「それはだ」
「そうか。それは何よりだ」
 名前を知ってもらっていると聞いてほっとする公孫賛だった。しかしだ。
 ここでだ。美女はわざとこう言った。
「公孫白だな」
「御前、わざと間違えているだろう」
「気のせいだ」
 こう返すのだった。
「それはない」
「本当か?」
「そうだ。そして御主行き先に困っているな」
 話は本題に入った。
「そうだな」
「そうだ。一体どうしたものか」
「言っておくが袁紹殿や曹操殿だけではないぞ」
 美女の言葉は釘を刺すものになっていた。
「孫策殿や袁術殿もだ」
「まさか私のことを知らないのか」
「その通りだ。全く知らない」
 そう話すのであった。
「御主のことはな」
「だからどうして誰も私のことを知らないのだ」
 それがだ。公孫賛にはたまらなく嫌だった。顔にその苦悩が出ている。
「私はこれでもいつも頑張っているのだぞ」
「それは仕方ないとしてだ」
「おい、仕方ないのか」
「そうだ。だが御主に行く先が一つだけある」
「董卓殿か?」
 もう一人の群雄の名前がここで出た。
「あの御仁のことはよく知らないのだが」
「違う、御主はあちらでも知られていない」
 ここでも駄目出しであった。
「全くだ」
「全くなのか」
「そうだ。だからあちらにも行かない方がいい」
「ではあそこか」
 董卓も駄目となるとだ。公孫賛にもわかったのだった。
「桃香のところか。徐州の牧になったのだったな」
「その通りだ。そこに行くといい」
「ううむ、そうか」
「そうだ。それでどうだ?」
「わかった。桃香ならばな」
 公孫賛はようやく笑顔になって述べた。
「仲良くやれるしな」
「その通りだ。では今から徐州に行くといい」
「わかった。では今から行くとしよう」
「それではだ。さらば!」
 美女は公孫賛に告げ終わるとだ。早速城壁の上から姿を消したのだった。
 そして公孫賛はすぐに白馬を徐州に向かわせた。彼女も劉備の下に加わることになったのである。
 馬超は洛陽を後にしようとしていた。丁度馬に乗ったところだ。
 だが、だ。彼女は周囲を見回してだ。その太い眉を顰めさせている。
 そしてそのうえでだ。こんなことを言うのであった。
「星の奴何処に行ったんだ?」
 同行している趙雲のことを気にかけての言葉だった。
「全く。急にいなくなるな」
「呼んだか?」
 しかしであった。その趙雲が出て来た。己の馬に乗ってだ。
 そしてそのうえでだ。馬超に対して言うのだった。
「済まないな、少し寄るところがあった」
「何だよ、厠か?」
「まあそんなところだ」
 微笑んでこう馬超に返す。
「だがもう済ませた」
「そうか。じゃあ行くか」
「そうするとしよう。しかし翠よ」
「んっ、何だよ」
「御主今厠と言ったが」
 趙雲が言うのはこのことだった。
「御主の方は大丈夫なのか?」
「厠かよ」
「そうだ。また漏らすようなことはしないな」
「ば、馬鹿言うなよ」
 馬超は趙雲の今の言葉に顔を真っ赤にさせて反論する。
「そんなのもう済ませたよ、とっくにな」
「そうか。ならいいのだがな」
「そっちこそメンマは持ってるよな」
「安心せよ。それはある」
 趙雲は妖しさを漂わせた妖艶な笑みでだ。馬超に返して述べた。
「ここにな」
「ああ、もうあるんだな」
「そうだ。これは外せぬ」
 趙雲にとってはだ。まさにそうしたものだった。
「あれがなくては私は生きてはいけぬのだ」
「メンマってそこまで凄いんだな」
「御主も食べればわかる」
「あたしもメンマは好きだけれどな」
「そうだな。しかし御主の分はない」
 それはだというのである。
「悪いがな」
「ああ、そこまでは言わないからな」
「そうか。では出発しよう」
 あらためて馬超に告げる。そうしてであった。
 二人は馬を進ませだした。そしてその夜は。
 野宿だった。二人はそれぞれ横になる。ところが。
 趙雲が寝転がる馬超のところに来てだ。そっと囁くのであった。
「寒くないか」
「んっ、これ位平気だけれどな」
「いやいや、寒いだろう」
 妖しげな笑みでだ。馬超の耳元で囁く。
「だからだ。ここはだ」
「ここはって何だよ」
「添い寝をしてやろう」
 こうだ。馬超に囁くのである。
「どうだ。それで」
「ま、まさかそれは」
「そうだ。真名で呼び合う名前だ」
 そのことを理由にしてだ。寝ている馬超に己の身体を添わせてだ。さらに言うのであった。
「どうだ?今晩は」
「お、おい。それってまさか」
「そのまさかだ。だからだ」
「あたしはまだそういうこと経験ないんだよ」
「安心しろ。それは私もだ」
「ならどうしてそんなこと言うんだ」
「いいではないか。どうだ、今夜は二人で」
 自分の胸をだ。馬超の右手に当てさせる。さりげないが露骨なアプローチである。
「楽しまないか?」
「それ本気で言ってるのかよ」
「いや、冗談だ」
 ここでこう言う趙雲だった。
「安心しろ、それはな」
「冗談なのかよ」
「本気にしたか?」
 妖しい笑みで馬超に問うた。
「私の誘いは」
「当たり前だろ。目が本気だったぞ」
「確かに私は女でもいける」 
 それもだというのである。
「御主も悪くはないがだ」
「やっぱり本気なんじゃないのか?」
「半分はそうだった」
「やっぱりそうかよ」
「だがそれでもだ。御主が嫌だというのならな」
「しないってのかよ」
「そうだ。それはいい」
 また言う趙雲だった。
「御互いに気が向いたその時にだ。するとしよう」
「あたしはその趣味はないんだけれどな」
「しかし女同士というのもいいものだぞ」
 妖しい笑みをさらに深くさせて述べる。
「御互いに感じる場所がわかっているのだからな」
「だから御前経験ないんだろ」
「そうだがな。それでもな」
「ったくよ、どういう趣味なんだよ」
 そんなことを話して夜を過ごす二人であった。そしてだ。
 公孫賛はだ。徐州に着いた。そうして劉備と会うのであった。
「あっ、白々ちゃん」
「白蓮だ」
 まずはいつものやり取りからだった。
「それで桃香、いいか?」
「何がなの?」
「暫くこちらで世話になりたいのだが」
 こう話すのだった。
「頼めるか」
「あっ、徐州で働いてくれるの?」
「そうだ」
 その通りだというのである。
「御前の配下としてな」
「配下って。そんなの徐州にはいないわよ」
「いない?どういうことだそれは」
「だって。白々ちゃんはお友達じゃない」
 真名は間違えているがそれでもだ。
「だから。配下なんて」
「違うというのか」
「そうよ。だからお友達だから」
「この徐州にいていいのか」
「うん、また仲良くやりましょう」
「桃香・・・・・・」
 公孫賛はだ。劉備のその言葉に心を打たれた。そうしてだった。
 そのうえでだ。彼女はこう言った。
「済まない、本当に」
「気にすることなんてないから」
「そう言ってくれるか」
「また一緒にね。楽しくやろうね」
 公孫賛も劉備の下に来た。彼女の下にまた一人人材が集まった。
 しかしであった。彼女の存在はこの徐州においてもであった。
「誰だありゃ」
「うむ、知らぬな」
 二階堂と大門が公孫賛を見かけてこう話す。
「見たことない奴だな」
「そうだな。一体誰なのだ?」
「ええと、確かですね」
 真吾が二人に話す。
「何とかいう人ですよ」
「何とかでわかるかよ」
「そうだ、わかるものではない」
「けれど本当に誰か知らないんですよ」
 何かとメモをする彼でもなのだった。
「名前何ていいましたかね」
「劉備さんのお友達らしいけれど」
 香澄もだ。首を傾げさせている。
「何という方かは」
「知らないんだよな」
「前に会った気がするな」
「そういえばそうだな」
 二階堂と大門は今度はこんなことを話した。
「何処だった?それで」
「思い出せん」
「そうですよね。かなり影の薄い人で」
「どうしても思い出せないわ」
 真吾と香澄もであった。とにかく彼女の存在はここでも同じだった。
 しかしだ。孔明と鳳統はだ。笑顔で劉備に話していた。
「公孫賛さんは武も文もされます」
「派手さはありませんが堅実です」
 こう劉備に話す。二人は今は執務用の机に座っている劉備に対して話している。劉備はその手に筆を持って木簡に書いている。
 そうしながらだ。二人の話を聞くのだった。
「立派な方です」
「安定感は抜群です」
「けれどどうしてなのかしら」
 首を傾げさせてだ。こう話す劉備だった。
「白々ちゃんって皆目立たないっていうけれど」
「ですから白蓮さんですよ」
「真名は」
 軍師二人も突っ込むことだった。
「間違えられると」
「幾ら何でも」
「けれど。何となくわかります」
「公孫賛さんのことは」
 軍師二人は劉備に述べてから公孫賛についてまた話した。
「あの人は。何でも問題なくこなされます」
「安定してです」
「ですがそれがあまりに安定していますので」
「結果として目立たないんです」
「何でも安定してこなすからなの?」
 劉備は二人の話にきょとんとした顔になって返す。
「それでなの」
「はい、それでです」
「そのせいでかえってなんです」
 これが軍師二人の見たところだった。
「あの方を目立たなくさせています」
「そうしているんです」
「多分。桃香さんと一緒にいらした時もそうだったかと」
「何でもそつなく安定してこなされるので」
「あっ、そういえば」
 二人の話でだ。劉備も思い出した。
「白々ちゃんって塾でも成績はよかったけれど」
「どんなものでもまんべんなくですね」
「けれどトップクラスにはなれませんでしたね」
「ええ、そうだったわ」
 このことを思い出してだ。孔明と鳳統に話した。
「そういえばね」
「それがかえって目立たないんです」
「そうなってしまうんです」
「その辺り難しいのね」
 劉備は眉を顰めさせて述べた。
「とても」
「あとは運命の星です」
「それも関係あります」
「運命?」
「目立てる人と目立てない人がいます」
「そうした人もいます」
 孔明と鳳統はまた話す。
「目立てる人は何をやっても目立てますけれど」
「目立てない人は本当に何をしても」
「じゃあ白々ちゃんは」
 ここでまた真名を間違える劉備だった。
「そういう運命の下にあるのかしら」
「絶対にそうだと思います」
「確かめてはいませんけれど」
 それでもだ。おおよそわかるというのだった。それは普段の彼女を見ればわかることだった。とにかく何をしても目立たないのである。
 ただしだ。二人は劉備にこんなことも話した。
「ただ。桃香様はそれでも」
「ずっと公孫賛さんのことは覚えておられているんですね」
「だって。友達だから」
 にこりと笑って答える劉備だった。
「だから。忘れることなんてないわ」
「そうですか」
「御友達だからなんですね」
「ええ、だからね」
 こう二人に話す。
「忘れる筈がないわ」
「わかりました」
「そういうことなんですね」
 軍師二人も微笑んだ。二人は劉備のこともだ。あらためてわかったのである。
 劉備の治世は順調にはじまり軌道に乗ってきていた。それは他の州から見てもだ。実に見事なものだった。
 孫策がだ。こう孫権に話していた。
「徐州のことだけれどね」
「劉備殿が牧になられましたね」
「ええ。かなりの善政を敷いてるみたいね」
 微笑んでこう孫権に話すのだった。
「それで徐州はかなりよくなっているそうだけれど」
「その様ですね。あの方の下には人材もいますし」
「そうね。どうやらあの娘は文も武も秀でてはいないけれど」
 少なくともだ。傑出しているというところまではいかない。
「けれどあの娘にはそれ以上のものがあるのね」
「人を惹き付けるものね」
「そう、それがあるのよ」
 それがだというのだ。
「それがあるからね。ああした人材がね」
「集まりますか」
「南蛮からも来ているそうね」
 猛獲達のことである。
「そこからもね」
「南蛮からもですか」
「ええ、そこからもね」
「それはまた」
 それにはだ。孫権も驚きを隠せない。
「かなりのものですね」
「そうね。揚州でもそこまではね」
「はい、山越の人材は」
「下級士官ではいるけれどね」
「いません」
「それも自分から仕官してくるのはないわ」
 この辺りに異民族統治の難しさが出ていた。孫策にしても袁紹にしてもである。その統治にはそれなり以上の苦労を抱えてしまっているのである。
「それがあるっていうのはね」
「劉備殿の人徳故ですか」
「ええ。若しかしたらあの娘は」
 孫策は腕を組んでだ。考える顔になって妹に述べた。
「私なんかよりもずっと凄い娘かもね」
「姉上、幾ら何でもそれは」
「だって。私にはそこまで人を惹き付けるものはないから」
 こうだ。軽い苦笑いを浮かべて妹に話す。
「それを考えたらね」
「武や文の問題ではありませんか」
「私が武で貴女が文でね」
 孫家はおおよそそうした割り当てになっている。もっとも二人共それなり以上に武も文もできる。だが孫策は基本的に武の人間なのも事実である。
「それで小蓮はこれからね」
「そうですね。ただ小蓮の素質は」
「凄いわね」
「はい、私達以上です」
 姉達だからこそだ。その素質はよくわかっていた。
「まさに天才です」
「武も文もね」
「あの娘はやがて天下に比類なき英傑になります」
「そうね。けれど人を惹き付ける力はね」
「身に着けようとしてもですね」
「そういうものだからね。それを考えたら本当に劉備は凄いわ」
 また劉備について話す孫策だった。
「あの娘、多分今以上の存在になるわ」
「徐州の牧、左将軍では留まりませんか」
「ええ、この天下を救う様な」
 そこまでの人物だというのである。
「なるわね」
「では姉上、これからはどうされるおつもりですか?」
「どうするかって?」
「はい、劉備殿が天下を左右する存在になられれば」
 その時はだとだ。姉に問うのだった。
「どうされますか、その時は」
「そうね。その時はね」
「その時は」
「天命に従うわ」
 微笑んでだ。妹にこう話した。
「そうさせてもらうわ」
「天命にですか」
「天命には逆らえないから」
 だからだというのである。
「だからね。そうするわ」
「わかりました」
 孫権もだ。微笑んで応えた。
「では私もまたそれに従います」
「私にかしら」
「姉上に、そして天命に」
 双方にだというのだった。
「従います」
「その二つになのね」
「はい、双方にです」
 また言う孫権だった。顔は微笑んだままだ。
「私も天命には逆らえませんので」
「それだけにはね。人間は誰であっても逆らえるものではないわね」
「はい、まさに」
「ただ。冥琳だけれど」
 ここで孫策の言葉が微妙に変わった。
「近頃顔色がいいわね」
「そういえば確かに」
「前よりも元気になったわ」
 彼女のことをだ。こう話すのだった。
「いいことね」
「はい、冥琳は我が国の柱ですし」
 こう言って微笑む孫権であった。
「やはり。元気でなければ」
「その通りね。それじゃあ私達もね」
「姉上、そうです」
 ここでだ。孫権は真面目な顔になった。そのうえで姉に言うのだった。
「ですからお酒はです」
「控えろっていうの?」
「そうです。祭と共に昨日も朝まで」
「いいじゃない、お酒は」
 苦笑いになってだ。妹に返すのだった。
「百薬の長じゃない」
「そう言っていた者は実際は酒浸りになっていましたが」
「王莽ね」
「はい、あの者です」 
 前漢末期の人物だ。国を簒奪し皇帝になったとして稀代の悪人とされている。
「あの者と同じです、それでは」
「何か最悪な例えね」
「ですがお酒はです」
「気をつけろっていうのね」
「はい、あまり飲み過ぎぬように」
「やれやれね。最近この国も口煩い者が増えたわね」
 また苦笑いになって言う孫策だった。
「最初から二人いたけれど」
「菊と桜ですか」
「そうよ。お母様の頃から仕えているあの二人ね」
 揚州においては黄蓋と並ぶ長老である。ただし性格は彼女と違いかなり真面目で口煩い。その口煩さには孫策も勝てない程だ。
「あの二人は最初からいるけれど」
「彼女達の言うことは正論です」
「それはその通りよ」
「ですから聞かなければ」
「それでも厳しいからね」
 それがだ。孫策にとっては辟易すべきものであるのだ。
「どうにもならないわね」
「そして私もというのですね」
「そうよ。まあとにかくね」
「とにかく?」
「徐州の民にとってはいいことね」
 話をそこに戻した。
「徐州はね。ちょっとね」
「あの地に進出してもよかったのですが」
「袁紹や曹操と境を接することになるからね」
 それがだ。困ったことであると。孫策は顔に出していた。
「あの二人はややこしいからね」
「だからこそ御二人も徐州にはでしたね」
「進出しなかったのよね」
「我等三人にとってはあの地は」
「進出しにくかったのよ」
 そうした事情があったのである。
「御互いに意識してしまうからね」
「そうですね。まことに」
「うちは只でさえ山越に袁術と接しているしね」
 ここでは異民族と袁術は同列だった。
「どちらも揉めるタイプではないけれど」
「烏丸や匈奴に比べれば」
「それでも。安心はできないからね」
「袁術殿もややこしい人物ですから」
「目立ちたがりで気に入った相手をいじめたがるしね」
 袁術のその性格をだ。見事に見抜いていた。
「第六感で動くからね、いつも」
「時折、いえいつも突拍子もない行動に出られます故」
「それが問題なのよ」
「そうした方が隣に控えていますので」
「そこで曹操や袁紹と接するのは」 
 余計に厄介な話を持ってしまう。だから徐州には進出しないのだった。
 そうしてだった。孫策は今度はその曹操や袁紹の立場になって考えて述べた。
「袁紹は異民族の問題が多いしね」
「そこで我々や曹操殿と接しては」
「異民族の問題がおろそかになるから」
「それで避けたい」
「曹操は曹操でね」
「あの方の治められる州はまだ荒廃が見られています」
 漢王朝の衰退で賊が多く起こっていてだ。それで牧に任じられ治めることを任せられたのがその曹操だというのである。それではであった。
「そこで徐州に進出されては」
「予州とかの統治どころじゃなくなるから」
「何処も。勢力の拡大は限界ですか」
「少なくとも徐州に進出できる余裕はなかったわ」
「それで劉備殿が入られた」
「本当にいいことよ」
 孫策はにこりと笑って述べた。
「誰にとってもね」
「その通りですね。本当に」
「ええ。それでね」
「それで?」
 ここで孫策の話がまた変わった。今度の話は。
「藍里だけれどね」
「あの娘ですか」
「あの孔明は妹だからね。再会させてあげようかしら」
「それはいいことですね」
 姉のその提案にだ。孫権も笑顔になって述べた。
「あの娘も喜びます」
「そうよね。じゃあ使者ということでね」
「再会させますか」
「そうしましょう。じゃあね」
「はい、それでは」
 諸葛勤をだ。徐州に向かわせることが決まったのだった。孔明にとってはだ。まことに思わぬ、そして嬉しい再会が来ようとしていた。


第六十四話   完


                      2011・2・18







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