『ドリトル先生のオーケストラ』




                第十幕  現代音楽とクラシック

 先生にです、日笠さんが研究室に来てお話しました。
「是非今度のコンサートにです」
「行かれたいですか」
「先生も行かれますよね」
「はい、チケットを用意してもらっています」
 先生は微笑んで答えました。
「お客さんとしてです」
「行かれますか」
「相談させてもらっていましたが
 それでもというのです。
「スタッフではなくです」
「お客さんとしてですね」
「席を用意されていまして」
 そしてというのです。
「そちらで、です」
「聴かせてもらいますか」
「そうです、曲ですが」
 演奏されるそれはといいますと。
「クラシックだけでなく」
「他にもですね」
「イギリス民謡にカンツォーネに」 
 それにというのです。
「アニメやゲームの曲もです」
「演奏されますね」
「はい、お子さん達もです」
 彼等もというのです。
「演奏しまして。こちらは二曲程で」
「おもちゃのチャチャチャに赤とんぼですか」
「そういった曲でして」
「残りは大学のオーケストラですね」
「短い曲が多いです、ただ」
「ただ?」
「ローエングリン第一幕前奏曲はです」
 この曲はというのです。
「長いですね」
「あの曲もありますか」
「はい、あとアニメとゲームからは一曲ずつで」
 それ位でというのです。
「カンツォーネもそうでイギリス民謡はです」
「どうなりますか」
「四国から一曲ずつです」
 そうなっているというのです。
「イングランド、ウエールズ、スコットランド、アイルランドからです」
「それぞれ一曲ずつですか」
「そうなっています」
「多くのジャンルの曲を演奏していますね」
「そうです、一曲ずつです」
 そうした感じでというのです。
「演奏します」
「それも面白いですね」
「音楽に優劣と垣根はなく」
 先生は日笠さんと向かい合ってお話します。
「オーケストラがアニメやゲームの曲を演奏してもです」
「構わないですか」
「そうした考えで、です」
 まさにというのです。
「今回のコンサートは練習されていまして」
「演奏する曲も選ばれて」
「そしてです」 
 そのうえでというのです。
「演奏されます」
「そうですか」
「アニメやゲームの曲を低俗と言う人がいますね」
「ロックやラップもですね」
 日笠さんも応えます。
「そうですね」
「クラシック等を最高として」
「それは違いますね」
「ジャンルを問わずです」
 そうであってというのです。
「素晴らしい曲は素晴らしいですね」
「そうですね」
「そしてです」
 先生はお話を続けます。
「アニメやゲームの曲もです」
「素晴らしいですね」
「はい」
「だから今回のコンサートではですね」
「演奏されます」
 そうだというのです。
「この度は」
「音楽に優劣なしですね」
「はい、実はです」
 先生は日笠さんにお話しました。
「ビートロズも最初は」
「そうでしたね」 
 ビートルズと聞いてです、日笠さんもすぐに応えました。
「低俗と言われましたね」
「異形の様に」
「そうでしたね」
「ロックがです」
「そう言われて」
「かなり批判されました」
 日笠さんにこのことをお話します。
「実は」
「そうでしたね」
「ですが私は最初からです」
「ビートルズがお好きでしたか」
「ビートルズもですね」 
 先生は微笑んで答えました。
「クラシックも民謡も好きでして」
「ビートルズもですか」
「そしてロックも」
 このジャンルの音楽もというのです。
「好きでして」
「ビートルズも評価されていますか」
「今も」
 そうだというのです。
「最初聞いて素晴らしいと思いました」
「あのマッシュルームカットの時に」
「懐かしいですね」
 その髪形を聞いて思わず笑う先生でした。
「あのヘアスタイルとファッションもです」
「異形の様にですか」
「言われました」 
 当時はというのです。
「今思いますと何でもないですが」
「そうしたスタイルですね」
「ですが当時は」
 どうだったかというのです。
「その様にです」
「批判されていましたね」
「まさに異形の者の様に」
 その様にというのです。
「思われていまして」
「言われていましたね」
「ですがやはりです」
「音楽に優劣はなくて」
「素晴らしい音楽にジャンルは関係ありません」 
 そうだというのです。
「今回のコンサートでは六甲おろしも演奏されます」
「あの曲もですね」
「名曲ですね」
「まさに」
 日笠さんは一言で答えました。
「あの曲はです」
「まさに名曲です」
「そうですね」
「野球の曲もですね」
「名曲があります、私を野球につれてっても」
 この曲もというのです。
「名曲です」
「アメリカで必ず演奏される曲ですね」
「七回に」
「確かにいい曲ですね」
 日笠さんは微笑んで答えました。
「まさに音楽に優劣なしですね」
「偏見があってはです」 
 音楽においてです。
「そこで素晴らしい曲を聴き逃してしまい」
「その分損をしますね」
「はい」
 まさにというのです。
「そうなってしまいます」
「自分にとってよくないですね」
「音楽に優劣があると聞いて特定のジャンルの音楽を馬鹿にしますと」
「そうなりますね」
「ですから」
「音楽でも偏見はよくないですね」
「そうです、そういえばです」
 ここで先生はこんなことを言いました。
「日本の偏見の強い人達ですが」
「何かありますか」
「矢鱈政治のことを言いますが」 
 それでもというのです。
「あらゆることに無知で無学ですね」
「音楽のこともですね」
「まるで全く聴かないかの様で」 
 そうであってというのです。
「芸術、文学、スポーツにもです」
「興味がないというのです」
「経済、福祉、行政、貿易、金融も政治を語るというのに無学で」
 そうであってというのです。
「再起は歴史や軍事も齧った程度どころか」
「無知無学ですか」
「兎角何も知らない」
「知らないから偏見が強いのですね」
「兎角政治で主張する以外にです」
 そうした行為以外にはというのです。
「全くです」
「知らないですか」
「当然知識や教養もなく」 
 そうであってというのです。
「偏見があるだけです」
「全く何もないですか」
「そう思います」
「そうなのですね」
「ですから」
 それでというのです。
「私はこの人達は駄目だとです」
「お考えですか」
「あれではおかしな人達に騙され利用されて」
「それで終わりですね」
「あの人達はです」
 まさにというのです。
「何にもなれません、努力もしません」
「だからですね」
「利用されてです」
「終わりですか」
「はい、ですから」 
 それでというのです。
「私は学ぶ様にしていまして」
「他の方にもお話していますね」
「彼等は国士を気取っていますが」
「只の偏見の塊で」
「その偏見故にいいものにも近寄りません」
「悪いままですね」
「それも恐ろしく低いレベルで」
「確かにそうした人達がいますね」
 日笠さんも暗いお顔で答えます。
「流石に殆どいないですが」
「若し多いですと」
「その時はですね」
「日本が大変なことになります」
「そうですね」
「ですから」
 それでというのです。
「彼等がこれ以上増えない様にです」
「していかないといけないですね」
「彼等は救えないです」
 先生は断言しました。
「あそこまで酷いですと」
「もうですね」
「残念ですが世の中誰がどういった哲学や信仰をお話しましてもです」
「救えない人がいますね」
「あまりにも低俗過ぎて」
「知識も教養もですね」
「全くないので」
 だからだというのです。
「そして近寄ることもしない、むしろ」
「そうしたものを馬鹿にしますね」
「ですから救えないです」
 そうした人達だというのです。
「全く」
「だから先生もですか」
「人や生きものは誰でも救われるべきですが」
「それでもですね」
「彼等は救えません」
 そうだというのです。
「絶対に」
「低俗過ぎるので」
「最早人や生きものではなくその最底辺の底を抜けた」
「人でも生きものでもない」
「仏教で言う餓鬼になります」 
 そうだというのです。
「まさに」
「そうなのですね」
「ですから」
 それでというのです。
「彼等は救えません、ですが」
「他の方々はですね」
「はい」
 まさにというのだ。
「救われるべきでいいものを知るべきで」
「それで、ですね」
「この度のコンサートもです」
「そちらもですね」
「学ばれるべきです」
 まさにというのです。
「知られるべきです」
「そうですか」
「はい、ですから」
 それでというのです。
「今回のコンサートはジャンルに関わらず」
「曲が演奏されますね」
「そうなります」
「そうですか、では」
「楽しみにしておいて下さい」
 笑顔で言ってでした。
 先生は日笠さんが提案した一緒にコンサートに行くことに約束しました、すると日笠さんは満面の笑顔で帰りました。
 それが終わってからです、皆は先生に言いました。
「まずはよしだね」
「そうだね」
「日笠さんと一緒に行けて」
「合格だよ」
 こう言うのでした。
「先生の考え方がまた伝わったしね」
「そのこともいいよ」
「偏見はあってはならない」
「ジャンルに問わず名曲は聴くべき」
「その考えがね」
「うん、本当にそうした考えだと最悪の場合はね」
 先生は皆にお話しました。
「私も言ったけれど」
「餓鬼になるわね」
 まさにとです、ポリネシアが応えました。
「ああした連中に」
「餓鬼になったら終わりよ」 
 ダブダブは強い声と表情で続きました。
「まさにね」
「そうだね、餓鬼の浅ましさときたら」
「とんでもないものよ」
 チープサイドの家族も言います。
「本当にどうしようもない」
「救えないレベルだね」
「誰だって餓鬼にまで堕ちたら救われないよ」
 トートーの声も厳しいものです。
「仏教で言うあの連中になったら」
「もうあれだね」  
 ガブガブの声も何時になく厳しいです。
「誰でも餓鬼にまで堕ちたら駄目だね」
「偏見の塊だといいものに近寄らなくてどんどん堕ちて」
 それでと言うチーチーです。
「餓鬼になるんだね」
「そして餓鬼になったらもう救われない」
 まさにと言うホワイティでした。
「どんな立派な人がどんな素晴らしい信仰や哲学を語っても」
「むしろ馬鹿にしてね」
「否定するね」
 オシツオサレツも言います。
「聞くどころか」
「そうしてくるね」
「それで救われる筈ないね」 
 まさにと言う老馬でした。
「絶対に」
「そんなのだと神様も見放すね」
 ジップはこう思いました。
「あまりにも酷くて」
「少なくとも私には救えないし」
 先生も言います。
「そのつもりもね」
「ないね」
「持てないよね」
「そんな人達に対しては」
「偏見の塊で何も学ばない」
「いい者に近付くどころか馬鹿にするだけの人達は」
「うん、彼等は彼等だけで集まって」
 そうなってというのです。
「馴れ合って自分達で知って高まっていっているつもりだよ」
「つもりだね」
「実際は違う」
「そうだね」
「そう、それでね」 
 そうであってというのです。
「本当にだよ」
「レベルが低いままで」
「どうにもならないね」
「普通の人達に近寄らない」
「馬鹿にして」
「そして騙されるんだ」
 そうなるというのです。
「そうした人達はとても騙されやすいからね」
「餓鬼っていうといつも餓えて渇いていて」
「食べる、飲むしか頭になくて」
「他のことは考えれない」
「その餓鬼もだね」
「そう、餓鬼はそういうことしか頭になくて」
 仏教のこの存在はというのです。
「何も学ばない、何も知ろうとしない努力もしないから」
「餓鬼は騙されやすいね」
「他に頭がなくて」
「簡単に騙されるね」
「騙そうとする人達に」
「そうだよ、騙されて利用されて」
 そうなってというのです。
「終わりだろ」
「何もかも取られるか捨てられる」
「利用価値がなくなったら」
「そうなるね」
「そして取られても捨てられてもね」
 そうなろうともというのです。
「そうされたこともわからないで」
「それでだね」
「また騙され利用されるね」
「それで終わりだね」
「そうなるね」
「そうだよ、同じことを繰り返すんだ」
 餓鬼にまで堕ちると、というのです。
「自分が破滅しても気付かないでね」
「それでまた破滅する」
「騙され利用され続けて」
「そのうえで」
「こうなったら本当に駄目だよ」
 先生は皆に眉を曇らせてお話しました。
「普通の人は周りにいなくなってね」
「それでだね」
「誰も助けないしね」
「どんな人が何を言っても聞かないし」
「助けようとした人も匙を投げるわね」
「そうなるよ」
 まさにというのです。
「もうね」
「どうしようもなくて」
「そうなるよね」
「そして彼等だけで集まる」
「そうなるね」
「そうだよ、だから人は偏見を持たないで」
 そうであってというのです。
「努力しないと駄目だよ、あと偉いと思うこともね」
「自分がね」
「そう思っても駄目だね」
「高慢や傲慢に至るのも」
「それもだね」
「何かをして自信を持つことはいいことだよ」
 このことはというのです。
「けれどね」
「それでもだね」
「何もしないで勝手にそう思う」
「これは最悪だね」
「それこそ」
「そんな人もいるからね」 
 世の中にはというのです。
「家柄とか生まれとか」
「そういうことでね」
「中には長男だからとかいうことだけでね」
「それでそう思い込む人がいるわね」
「勘違いして」
「そのうえで」
「そうなるとね」 
 それこそというのです。
「同じでね」
「餓鬼になるね」
「最悪そうなるね」
「そして破滅するわね」
「そうなるね」
「やはり何も学ばずいいものに近寄らなくて」
 そうであってというのです。
「何も成長しないどころか」
「どんどん悪くなる」
「そうなるね」
「そして最後は餓鬼になって」
「どうしようもなくなる」
「末路は悲惨だろうね」
「そうだよ、破滅してもだよ」
 それでもというのです。
「気付かないで何度にもなるとね」
「そうなるよね」
「結末って絶対にあるから」
「それで餓鬼の末路なんて」
「悲惨な筈がないよ」
「無残とも言っていいだろうね」
「酷いものでね」
「終わりを迎えるね」
「そうだよ、絶対になりたくないね」
 先生は皆に言いました。
「結末を迎えるにしても」
「それはね」
「なりたくないわね」
「最悪の結末は」
「酷いものは」
「餓鬼になると誰にも相手にされなくなってね」
 そうなってというのです。
「手には何も持っていなくてね」
「餓えて渇いて」
「そして苦しんで」
「そしての垂れ死にするんだよ」
 そうなるというのです。
「寂しくね」
「本当に最悪の結末ね」
「これ以上はないまでに」
「しかも死んでよかったって言われるね」
「どうしようもない奴って言われて」
「害がなくなったとね」
 その様にというのです。
「言われてね」
「死ぬ」
「死ぬにしてもそんな死に方は嫌だよ」
「だから餓鬼になりたくないわ」
「僕達だって思うよ」
「そうだね、だから気を付けないといけないんだ」
 先生は皆に言いました。
「ちゃんとした心でいる様にね」
「努力して学んで」
「己を高める」
「そして堕ちない」
「底を抜かないことね」
「餓鬼にはならない」
「私も餓鬼は救えないし」
 それにと言う先生でした。
「救うつもりもないよ」
「あまりにも酷いから」
「性根が腐りきっているから」
「それでだね」
「救いたくもないね」
「先生でもね」
「出来る限り多くの命は救われるべきだよ」 
 先生はこのお考えもお話しました。
「絶対にね」
「そうだよね」
「誰だって救われるべきだよね」
「命があるのなら」
「それならね」
「実際先生大勢の命を救ってきたよ」 
 皆はこのことをよく知っています、ずっと先生と一緒にいて先生の行動をつぶさに見てきたからです。
「人も生きものも」
「お医者さんとしてだけでなく」
「冒険の中でもね」
「本当にどれだけの命を救ってきたか」
「そして幸せにしてきたか」
「全ては神様のお導きだよ」 
 先生はそのことを驕らず言いました。
「私はお導きに動かされただけだよ」
「先生はそう言うけれどね」
「実際多くの命を救ってきたから言うよ」
「本当に沢山の命を救ってきてね」
「幸せにしてくれたよ」
「けれどその先生でもだね」
 多くの命、人や生きものを救ってきた先生でもというのです。
「餓鬼は救えないね」
「どんな宗教や哲学でも」
「餓えと渇きつまり自分のことしか頭になくて」
「感謝もしないし努力もしない」
「ただひたすら浅ましいから」
「先生も救えないね」
 皆で言います。
「手を差し伸べてもね」
「性根が変わらないならね」
「どうしようもないね」
「本当に」
「仏教では布施餓鬼というものがあってね」 
 先生は餓鬼が存在しているその宗教のお話をしました。
「餓鬼にお布施をするんだ」
「ご飯とか食べものをよね」
「禅宗のお坊さんがお寺でするね」
「お粥のお米を数粒ずつするんだよね」
「毎食ね」
「そうして餓鬼の餓えや渇きを癒すけれど」 
 それでもというのです。
「極めて浅ましく卑しく底意地の悪い下品で無教養で感謝の気持ちがない偏見しかない様な誰かにお布施をして癒すなんて」
「凄いよね」
「普通は出来ないわよ」
「餓鬼がどうしたものか知っていてするなんて」
「ちょっとね」
「博愛精神というけれど」 
 それでもというのです。
「私にはね」
「とても無理だっていうんだね」
「先生でも」
「餓鬼がどういった心でなるか」
「そのことを考えたら」
「絶対に無理だよ」
 先生は言いました。
「そんなことはね」
「そうなんだね」
「僕達もそうだね」
「餓鬼がそんなものってわかったよ」
「お布施なんてとても出来ないよ」
「優しくあろうとしても」
「そんな相手にはね」
「とても無理だね、だから凄いと思うよ」
 先生は心から思いました。
「餓鬼にお布施が出来るなら」
「全くだね」
「そんな性根なのにお布施で助けられるなんて」
「相当凄い人だよ」
「そんなことが出来たら」
「もっとね」
「世の中優しくしようとしても」
 それでもというのです。
「そんな風で悪いことばかりしている餓鬼を助けられるか」
「むしろ悪を助けるかもね」
「甘やかしたら駄目ともいうけれど」
「餓鬼を甘やかして何になるか」
「そうも思うね」
「そうだね、だから餓鬼にならない為にも」
 彼等を反面教師にしてというのです。
「学んで自分を律していかないとね」
「偏見なくね」
「そうしていかないとね」
「駄目だよね」
 皆も確かにと頷きます、そうしてです。  
 あらためて八条大学のオーケストラの演奏の動画をインターネットで観てそうしてお話するのでした。
「やっぱりいいよね」
「そうだよね」
「色々な国の人がいるけれど」
「日本人だけじゃなくてね」
「うちの大学世界中から人が来ているから」
「凄いわね」
「若し人種的偏見が強いとだよ」
 先生は皆に眉を顰めさせて言いました。
「ここにいる人達に演奏するなって言うよ」
「日本人以外はね」
「何か日本人でも白人至上主義の人の人いるけれどね」
「自分は何なのかな」
「アジア系、アラフ系、アフリカ系の人を差別する」
「最低だよね」
「そんな人にはこのオーケストラはわからないよ」
 全くというのです。
「そしてどんな音楽もね」
「その人達が軽蔑しているアフリカ系の人の音楽なんてどれだけいいか」
「アメリカに行けばわかるよ」
「そうしてスポーツでもね」
「よくわかるよ」
「彼等は科学の初歩の初歩も知らないんだ」
 先生は強い声で指摘しました。
「人種や民族の違いなんてないよ」
「全くね」
「本当にないよね」
「知能指数も運動神経も」
「本人の努力次第でどうにもなるわ」
「そんなこともわかっていないんだ」
 そうした科学の初歩の初歩もです。
「ましてアジア系で白人至上主義でね」
「何なのかな」
「完全におかしいよね」
「日本人の多くはアジア系なのに」
「何を考えているのかしら」
「愚かの極みだよ」
 先生は断言しました。
「私はそれは絶対に間違っていると言うよ」
「科学的に立証されているからね」
「人間は結局同じだって」
「そのことを知らないなんてね」
「本当に愚かの極みだね」
「そうだよ、肌の違いを言えば」 
 そこから優劣をです。
「何もならないよ」
「アフリカ系の凄い歌劇の歌手だって大勢いるよ」
 チーチーは怒って言いました。
「僕もアフリカ出身だしね」
「まさか日本人なのに大谷さん否定するのかな」
「大谷さんもアジア系だよ」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「まさか自分は名誉白人て言うのかな」
「日本人だけは」
「何が名誉白人よ」
 ダブダブはオシツオサレツの言葉に怒って言いました。
「そう言われて思って恥ずかしくないの?」
「確か知能指数って国別でやったらアジア各国が高いんだよね」 
 ホワイティはこのことをお話しました。
「けれどそれもどうにもなるよ、本人さんの努力で」
「そう言う人って努力も知らないのね」 
 ポリネシアも怒って言います。
「どっちが劣ってるのよ」
「というかナチスだよね」
 ガブガブはこう言いました。
「その考えってね」
「じゃあそのうちああしたことするね」
 老馬はガブガブに続きました。
「最低だね、つくづく」
「というかそうした人って卑しいね」
 心からです、トート―は軽蔑しました。
「汚物みたいなものだよ」
「自分は立派な様でとことん卑しく汚いなんて」
 ジップも思いました。
「滑稽だね」
「そうした奴って人のお話聞かないでね」
「忠告しても小馬鹿にするのよね」
 チープサイドの家族も嫌そうに言います。
「そしてあらためない」
「同じこと繰り返すわね」
「そうしたことを言う人の文章や顔を見るといいよ」
 先生は眉を曇らせたまま言いました。
「皆もわかるね」
「卑しいね」
「凄く悪いお顔していてね」
「とても汚い文章よ」
「見ていて汚れる位の」
「そう、平気で人のお家の前で抗議だって騒いで破滅させて平気な輩がね」 
 そうした輩がというのです。
「これまた平気でアフリカ系やアラブ系の人への偏見を言う」
「屑と言っても足りないよ」
「屑と言うにも値しないわ」
「それでそんな輩に拍手する」
「そんな人達もいるのね」
「全く、滑稽で汚らわしくて愚かだよ」
 先生は心から思いました。
「恥知らずでね」
「恥を知らない」
「そして恥を恥と思わない」
「まさに餓鬼だね」
「恥を恥と思わなくなったらね」
 それこそというのです。
「最も恐ろしい腐敗がはじまるよ」
「何をしても悪いと思わなくなって」
「どんなことでもするからね」
「とんでもなく腐るね」
「破滅するね」
「そうなるよ」
 まさにというのです。
「こうした音楽も聴けないよ」
「いいものにも近付けない」
「ただひたすら腐っていく」
「そうなる一方ね」
「ただひたすら」
「だから私は布施餓鬼なんてとても出来ないよ」
 先生としてはです。
「仏教徒になろうとも」
「全くだね」
「先生はそんなことしないけれど」
「虐げる人もいるよね」
「餓鬼がそんな連中だって思うなら」
「それこそね」
「世の中ものの見方が全肯定か全否定かの人がいるよ」
 二択だというのです。
「嫌いだとね」
「全否定だね」
「そうなるね」
「そしてそんな人って餓鬼は全否定するから」
「そうなるから」
「虐げるね」
「絶対にね」
 先生はその通りだと答えました。
「全否定して布施を行うどころかね」
「徹底的に虐げて」
「攻撃するわね」
「とことんまで追い詰めて」
「何処までも否定するね」
「こうした人は嫌うと止まらなくて」
 そうであってというのです。
「否定し尽くすよ」
「その相手の何もかもを」
「全力で否定して攻撃する」
「いいところなんてないって考えて」
「とことん虐げるね」
「そしてそうした人が餓鬼を虐げてもね」
 そうしてもというのです。
「私は一切止めないよ」
「僕達もだよ」
「そんな酷い連中攻撃されて当然だよ」
「ナチスの何処がいいのか」
「ナチスって人種だけじゃないから」
「障害者の人とかも排除したのよ」
「あれだよ、こうした輩は人種的偏見にね」 
 まさにナチスの様にというのです。
「社会的に困っている人達への配慮もだよ」
「ないね」
「全くだね」
「切り捨てて当然だって言うね」
「それが国の為って言って」
「実はそれは国の為じゃなくてね」
 そうでなくというのです。
「彼等が障害者や困っている人達を嫌いだからだよ」
「社会的弱者の人達をね」
「自分達はどうか知らないけれど」
「嫌いでね」
「排除したいんだね」
「そうだよ、本当にナチスのままでね」
 その考えはというのです。
「強い者優れた者が残ればいい」
「そしてその強い者優れた者は自分」
「要するに自分がよければいい」
「物凄いエゴイストだね」
「そう考えられるね」
「強い優れたなんてないんだよ」
 先生はまた指摘しました。
「肌の色や人種、宗教でも決まらなくて」
「障害者でもね」
「社会的に困っている人でも」
「そうではないわね」
「絶対に」
「挙句顔が悪いとかも言って」
 そうもしてというのです。
「攻撃しだすよ」
「じゃあ自分はどうか」
「自分はそんな立派な顔か」
「そして強くて優れているか」
「そんな筈ないね」
「そうだよ、まともな人がこんなこと言う筈ないから」
 それでというのです。
「周りのまともな人達からは相手にされていなくてね」
「軽蔑されているね」
「馬鹿なこと言ってるって思われて」
「そして相手にされていないね」
「そうだね」
「そして同じ様な質の悪い連中としかね」
 それこそというのです。
「付き合えないよ」
「類は友を呼ぶ」
「同類が集まるって言うけれど」
「屑同士で何も努力しないで」
「悪いことばかり言って言うだけね」
「そうだよ」
 まことにというのです。
「本当にね」
「そんな連中増えて欲しくないね」
「つくづくね」
「どの国でも」
「若しそんな連中が増えたなら」
 そうなると、というのです。
「そんな国は大変なことになるよ」
「最悪滅びるね」
「そうなるね」
「そこまで性根が腐った愚か者が増えたら」
「そうなるね」
「そして傾いた後にね」 
 国がというのです。
「心ある人に糾弾されるんだ」
「そしてその中に全否定する人がいたら」
「物凄く攻撃して来るね」
「それこそ平気で破滅させる」
「そこまでしてくるね」
「そうするよ」
 絶対にというのです。
「その時に後悔しても遅いよ」
「思いやりや優しさのない馬鹿な人が攻撃されてもね」
「誰も助けないしね」
「むしろざま見ろって思うね」
「自業自得だって」
「そうだよ、ただ本当に馬鹿な人は後悔も反省もしないよ」
 そうだというのです。
「自分が悪いじゃなくてね」
「他人が悪い」
「そう思うわね」
「だから余計に攻撃されるね」
「糾弾される時に」
「そうなるよ」
 まさにというのです。
「本当にね」
「それがヲチだね」
「ハッピーエンドだね」
「悪が裁かれた」
「正真正銘のだよ」
「そう、彼等は自分を正義の国士と思っていてもね」 
 彼等自身はというのです。
「全く違うよ」
「悪者だね」
「それも卑しくて汚くて愚かな」
「大物と思っていても小物で」
「何でもないね」
「若しまともな親御さんだったら」
 そうした連中の親御さんがというのです。
「泣くよ」
「自分達の子供はこんなに馬鹿なのかってね」
「自分達はこんな馬鹿を育ててしまったのか」
「そう思ってね」
「泣くね」
「劣った人種や民族はいなくても」
 それでもというのです。
「愚劣な輩はいるよ」
「そしてそれが餓鬼になるね」
「底を抜いて」
「そこまで堕ちるね」
「そうだよ、餓鬼には音楽はわからないよ」
 決してというのです。
「偏見の為にね」
「いいものがわからない」
「そして近付かない」
「そうでもあるから」
「だからだね」
「そうだよ、全く以て愚かなことだよ」
 心から思う先生でした、そうして今回の動画の曲についてもお話しました。
「昔のアニメの曲だけれどね」
「ロボットのアニメだね」
「鉄腕だね」
「百万馬力の」
「名作だよね」
「曲もいいんだよね」 
 これもというのです。
「名作にはね」
「名曲あり」
「そうだよね」
「この曲がまさにそうよね」
「名曲だよね」
「うん、アニメの曲の演奏には著作権の問題があって」
 それでというのです。
「演奏するには許可が必要だけれど」
「著作権者のね」
「それがあるね」
「そうだよね」
「どうしても」
「そう、けれどね」
 それでもというのです。
「認めてもらったらね」
「演奏も出来るし」
「そして演奏するとね」
「名曲だと感動するね」
「ゲームや特撮の曲もね」
「そうしたジャンルの曲を馬鹿にするなら」
 それならというのです。
「つくづく残念だよ」
「全くだね」
「それだけで不幸だね」
「残念なことだよ」
「こんな名曲も楽しめないなら」
「そう思うよ、私もね」
 先生もというのです。
「残念だと思うよ」
「先生の言う通りだね」
「今回は偏見についても考えることがあるけれど」
「音楽に偏見が入るとね」
「本当に酷いものになるわね」
「他のことと同じで」
「芸術に偏見が入ればどうなるか」
 先生はまた曇ったお顔でお話しました。
「歴史にある通りだし今もね」
「あるよね」
「変な人が権力を握ったら」
「レッテル貼って攻撃して」
「芸術を歪めるね」
「劇場に独裁者の肖像画なんてあったら」
 先生は言いました。
「どれだけ醜悪か」
「音楽ホールでもね」
「それだけで行きたくなくなるよ」
「そこで音楽を聴きたくなくなるわ」
「まさにそれだけで」
「そうなるわ」
「だから偏見は駄目だよ」
 音楽においてもと言う先生でした、今回は皆にそうしたことをお話することはとても大事なことだと思いながらそうしたのでした。








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