『ドリトル先生と不思議な自衛官』




               第八幕 学んで気付いたこと

 先生はコラムを書かせてもらってからも自衛隊特に海上自衛隊について学んでいますがその中で、です。
 学園の図書館で読んで読んでいてそうして今も一緒にいる動物の皆に言いました。
「皆にカレーや肉ジャガのお話をした」
「うん、聞かせてもらったよ」
「コーヒーのこともね」
「色々と学問になったよ」
「そちらのことも」
「そうだね、脚気のこともお話したね」
 この病気のこともというのです。
「このことはとてもね」
「大事だよね」
「海軍の歴史を語るにあたって」
「とてもね」
「それで白いご飯からね」
 主食はというのです。
「麦ご飯になったからね」
「そうだよね」
「脚気はビタミンB1不足からなる」
「そうした病気でね」
「どうして西洋では脚気がないか」
「そして士官の人達に脚気がいないか」
「そのことを考えていってね」
 そうしてというのです。
「それでだよ」
「パンを食べていると脚気にならない」
「それでパンは麦だから」
「麦ご飯を食べよう」
「そうなって解決したね」
「江戸時代から脚気はあってね」 
 この病気はというのです。
「江戸や大坂でなったから」
「江戸腫れとか大坂腫れとかね」
「そう言われてたんだよね」
「田舎ではならなくて」
「田舎に戻れば治るから」
「原因はずっとわからなかったけれど」
 江戸時代も明治時代もというのです。
「それでだよ」
「問題を解決したね」
「やがて原因がわかって」
「そして日本人は脚気を克服したね」
「そうなのよね」
「このことも大きいよ、それとね」
 先生はさらにお話します。
「卵だけれど」
「卵?」
「卵がどうしたの?」
「その辺りに幾らでも売ってるけれど」
「僕達もよく食べてるけれど」
「昔は卵は高価だったね」 
 先生が今言うのはこのことでした。
「そうだったね」
「ああ、そうだったね」
「昔はね」
「二次大戦まではね」
「高価でね」
「そうそう食べられなかったね」
「卵焼きや目玉焼きもそうで」 
 高価なものでというのです。
「鹿屋で特攻隊の人達に卵丼を出したけれど」
「あのお婆さんがね」
「散華する人達の最後のお食事にって」
「そう思って出したんだったね」
「卵丼を」
「それは高価なものでもあったからだね」 
 その理由があったというのです。
「せめて最後の最後にはね」
「ご馳走を食べて」
「そして散華して欲しい」
「最後の思い出に」
「その優しさだったんだね、そしてね」
 さらに言う先生でした。
「戦争前は高くて」
「そうは食べられなかったんだ」
「そうだったんだね」
「それはね」
「私達気付かなかったわね」
「そうだったね」
「自由軒のカレーもね」
 先生達と馴染みの織田作之助さんが生前大好きで今も難波にお店があるこちらのカレーはというのです。
「卵が入っているね」
「生卵がね」
「カレーの真ん中に」
「そこにおソースかけるのよね」
「そしてルーとご飯が混ざってあるカレーに掻き混ぜて食べる」
「そうするね」
「あのカレーもね」 
 先生はお話しました。
「実はね」
「高価だったんだ」
「その頃は」
「ご馳走だったの」
「卵が入っているから」
「そうだよ、織田作さんは生前毎日の様に食べていたけれどね」 
 このカレーが大好物だからです。
「卵が高価だったからだね」
「それでだね」
「ご馳走だったから」
「そのことは頭に入れておくことだね」
「しっかりと」
「それも歴史でね、そして」
 先生はさらにお話しました。
「海軍でもだよ」
「卵は贅沢だったんだ」
「そうした食べものだったんだ」
「何でもない風に思っても」
「僕達はそう思っていても」
「養鶏場も今より少なかったし」  
 戦前はというのです。
「それに冷蔵庫もなかったね」
「あっ、食べものを保存する」
「卵も」
「卵も保存しないとね」
「冷蔵庫の中でね」
「冷蔵庫それに冷凍庫が出来てからだよ」
 まさにそれからというのです。
「色々な者が食べられる様になったよ」
「そうだよね」
「食べものを冷蔵、冷凍出来る様になって」
「長持ちする様になって」
「それでだね」
「食べられるものが増えたね」
「テレビ、洗濯機、冷蔵庫は世の中を一変させたよ」
 この三つの電化製品はというのです。
「そう、冷蔵庫もね」
「卵も保存してくれる様になった」
「それで他の食材もよね」
「保存してくれる様になった」
「それで色々なものが食べられる様になったんだ」
「オムレツそれにオムライスも」
 この食べものもというのです。
「大和では兵隊さん達は中々ね」
「そうしたものは食べられなかったんだ」
「オムレツやオムライスは」
「卵が高価だったから」
「卵も少なくて保存技術が未熟だったから」
「それでだよ」
 まさにその為にというのです。
「士官の人達は兎も角」
「兵隊さん達はそうはいかなかった」
「下士官の人達も」
「そういえば士官の人達は食費自分達が出していたね」
「兵隊さん達と違って」
「そのこともあったわ」
「そう、士官の人達は食べていたんだ」 
 自分で食費を出すうえに立場のある人達はというのです。
「普段もね、それで稀にね」
「兵隊さん達もだね」
「オムライスを食べていたんだ」
「オムレツも」
「そうだったんだ」
「その時は艦長さんが放送で」
 艦内のそれでというのです。
「兵隊さん達に食べ方かかれって言ったんだ」
「ううん、凄いね」
「そこまでするものだったんだ」
「どちらも何でもないものだけれど」
「今は」
「オムライス食べ方かかれって」
 先生は具体的に言いました。
「言ってね」
「それでだね」
「皆で食べて」
「そうして楽しんでたんだ」
「卵を使ったお料理を」
「そしてアイスクリームもね」
 このお菓子もというのです。
「今では何でもないね」
「スーパーで百円ちょっとで売ってるよ」 
 食いしん坊のダブダブが言ってきました。
「色々な種類がね」
「もうコーナーになっていて」
 ホワイティも言います。
「何時でも変えて食べられるよ」
「ソフトクリームやかき氷もあるね」 
 ジップはこうしたものを挙げました。
「そちらのコーナーには」
「どちらも美味しいね」
 チーチーはジップの言葉に笑顔で続きました。
「本当に」
「冷えたお菓子は独特の美味しさがあるよ」
 老馬は神妙に言いました。
「本当にね」
「先生もアイス好きだしね」
「結構食べてるね」 
 オシツオサレツは先生にお話しました。
「他のお菓子もだけれど」
「そうしてるね」
「本当に何処でも手軽な値段で売られていて」
 そしてとです、トートーは言いました。
「いいお菓子だね」
「夏はお外で、冬はお部屋の中で食べたくなるわね」
 ガブガブはそれぞれの季節での食べる場所のお羽をしました。
「ああしおかしは」
「食べ過ぎは身体によくないけれど」
 それでもとです、ポリネシアは言いました。
「美味しいお菓子ね」
「そのアイスもね」  
 先生は皆にお話しました。
「わかるね」
「アイスクリームという名前通りね」
「冷やすからね」
「それも冷凍庫で」
「冷蔵庫でも冷凍コーナーで」
「そうした場所で保存するし」
 それにというのです。
「卵を使うね」
「そうそう」
「そして牛乳もね」
「使うよね」
「そうして作るね」
「だから高価だったんだ」
 アイスクリームもというのです。
「明治に入ってきてからご馳走で」
「今になってだね」
「冷蔵庫が出て来て」
「冷凍技術が発達して」
「それで普通に食べられる様になったんだ」
「アイスクリームも」
「日本では高度成長期にね」 
 昭和三十年代のその頃からというのです。
「経済的に物凄い勢いて発展して」
「電化製品も普及したね」
「テレビも洗濯機も」
「冷蔵庫も」
「そうだったね」
「氷も簡単に作られる様になって」
 そうもなってというのです。
「それでね」
「ああ、さっきかき氷のお話出たけれど」
「そちらもよね」
「それまではあまり食べられなかったんだ」
「今みたいに」
「氷室という言葉があるね」
 皆にこの言葉の紹介もしました。
「氷のお部屋、つまりね」
「氷を保存していく」
「そうした場所だね」
「それが氷室だね」
「冬のうちの氷を造っておいてね」
 そうしてというのです。
「そのうえでだよ」
 氷室のお話もさらにするのでした。
「夏でも涼しいというか寒い場所に保管して」
「夏とかにね」
「食べていたんだ」
「かき氷も」
「そうだったんだ」
「お酒をロックで飲むことも」
 このこともというのです。
「昔はね」
「今みたいにだね」
「ごく普通には行えなかったね」
「冷蔵庫で作った氷を出してコップに入れる」
「そして飲むなんて」
「なかったよ、今は食べもののお店でお水を飲んでも」
 その時もというのです。
「氷なんて、って感じだね」
「普通に入ってるわよ」
「特に夏は」
「それで冷えたお水を飲む」
「そうするね」
「それが出来る様になって」
 そうしてというのです。
「かき氷を食べられる様になったのも」
「戦後だね」
「氷が普通に出来る様になったから」
「冷蔵庫や冷凍庫で」
「それからだね」
「そうなんだ、それで海軍ではね」
 こちらではというのです。
「ラムネや羊羹を造ることが出来て」
「アイスクリームも食べられた」
「けれど高価なものだった」
「そうだったのね」
「卵は貴重だから工夫して」
 調理の人達がというのです。
「作っていたしね」
「卵抜きのアイスクリームって」
「大変だね」
「何かと」
「僕もそう思うよ」
 先生も同感でした。
「牛乳だってそうだったしお砂糖だって」
「今より高価だったんだね」
「お砂糖も」
「そうしたものも」
「うん、今と昔ではね」
 同じ国でもというのです。
「違う部分はあってね」
「かなりの場合もある」
「海自さんは海軍の伝統を受け継いでいても」
「それでもだね」
「違う部分は多いんだ」
「海軍から広まったカレーも」
 この食べものもというのだ。
「昔はルーもなかったよ」
「あっ、そうだったんだ」
「カレールーなかったんだ」
「カレーを作るなら絶対に必要だけれど」
「欠かせないけれど」
「じゃあ昔は一から作ってたんだ」
「沢山のスパイスを使って」
 皆は唸る様にしてお話しました。
「成程ね」
「そこまで考えてなかったけれど」
「そうしたものだったんだ」
「カレーも」
「作るのに手間がかかるからね」
 まさにルーから作っていたからだというのです。
「それで毎週はね」
「食べていなかったんだ」
「毎週金曜日に食べるとか」
「そういうのじゃなかったの」
「そうだったんだよ」
 このこともお話するのでした。
「結構特別なお料理だったんだ」
「カレーも」
「毎週食べられるものでなくて」
「作るのに手間がかかって」
「やっぱり高価だったの」
「そうなんだ、今と昔でじゃ技術それに」
 さらに言いました。
「考え方もね」
「違ってるんだね」
「そちらも」
「いや、何かと学問になるね」
「食べもののことを比べても」
「そうしたことも学んでこそ」
 まさにというのです。
「本当に学問だとね」
「先生は考えてるね」
「そうだね」
「しっかりと」
「そうだよ、時代によって技術が違うことは」
 このことはというのだ。
「頭にいれておいて食事の事情もね」
「変わるね」
「時代によって」
「技術によって」
「今お話した通りにね、例えばね」 
 皆に笑顔でこうも言いました。
「自由軒のカレーの後でアイスクリームを食べる」
「それはだね」
「昔だと結構な贅沢だね」
「本当に」
「そうなるよ、じゃあ今日のお昼はカレーにしようか」
 皆ににこりと笑って言いました。
「そうしようか、そして晩ご飯はトミーにお話して」
「オムライス」
「それにしよう」
「デザートはアイスクリーム」
「そうしよう」
「そしてブランデーをロックで飲もう」
 お酒はこちらだというのです。
「ウイスキーでもいいけれどね」
「お酒はそっちだね」
「ブランデーかウイスキー」
「そういえばどっちも昔は高価だったね」
「日本では」
「ジョニーの赤や黒なんてね」
 こうしたウイスキー達はというのです。
「本当にね」
「こちらも高価で」
「そうは飲めなかった」
「そうだったんだ」
「今は普通に売ってるけれどね」
「スーパーでも」
「それで先生も飲んでるけれど」
 皆で言います。
「昔は高くて」
「皆が飲めるものじゃなかった」
「そうなのね」
「ジョニー赤や黒は」
「そうだよ、昔の日本は今と違うよ」
 全くとです、先生はお話しました。
「戦前と今じゃね」
「高度成長からだね」
「ガラって変わるのね」
「今みたいになったんだ」
「そうなのね」
「そうなんだ、だから大和でもね」
 この戦艦の中でもというのです。
「そうした状況でね」
「成程ね」
「なかなか勉強になるよ」
「そうした状況だったなんてね」
「本当にね」 
 皆も唸る様にして言いました、そしてです。
 それからも学んでいったのですが先生は次の日の午前中学問に励む中でふとこんなことを言いました。
「堀与さんのことだけれど」
「舞鶴で僕達のお世話をしてくれたね」
「あの人だね」
「一等海佐の」
「あの人だね」
「あの人誰かに似ていると思ったら」
 それならというのです。
「東郷さんに似ているよ」
「あれっ、そうかな」
「似てるかしら」
「あまりそうは見えないけれど」
「気のせいじゃないの?」
「ほら、見てみて」 
 先生は自分の言葉に首を傾げさせた皆にある本の写真を見せました、そこには若い一人の海軍士官が映っていました。
「これは若い頃の東郷さんだよ」
「あら、美男子ね」
「軍服も似合っていて」
「今で言うとイケメンになるね」
「きりっとしているよ」
「ほら、そっくりだね」
 まさにというのでした。
「堀与さんと」
「確かにね」
「かなり似ているね」
「そっくりと言っていい位に」
「そこまでね」
「そうだね、しかもね」 
 先生は皆にさらにお話しました。
「堀与さんっていうのは東郷さんのお母さんのお家の姓だよ」
「あっ、そうだったんだ」
「東郷さんのお母さんのご実家だったんだ」
「それは知らなかったよ」
「まさかのまさかだよ」
「堀与さんがそのお家の人かどうか知らないけれど」
 それでもというのです。
「実良というお名前も東郷さんのかつてのものだったしね」
「うわ、共通点多いね」
「あの人も鹿児島出身だったし」
「昔の鹿児島弁がとも言ってたしね」
「そうだったわね」
「国際法にも強いし。まさか」
 先生は皆にそうしたお顔になってお話しました。
「あの人は東郷さんじゃないかな」
「いや、東郷さんお亡くなりになってるよね」
「かなり長生きされたそうだけれどね」
「それでもね」
「日露戦争の人だし」
「お墓もあるよ、けれどね」
 それでもというのです。
「お顔はそっくりで共通点多いし」
「東郷さんじゃないか」
「先生はそう思うのね」
「まさかと思いながらも」
「そうなんだね」
「うん、本当にね」
 実際にというのです。
「まさかだけれど」
「どういうことかな」
「ここにきて凄い謎が出て来たね」
「海軍と海上自衛隊のことを学んでいて」
「そして舞鶴から帰って」
「東郷さんは舞鶴にいたこともあるしね」
 その舞鶴のお話もします。
「そうして考えていくとね」
「ううん、ご本人かも知れない」
「そうなんだね」
「堀与さんは東郷さんかも」
「そう思えてきたよ」 
 先生は言うのでした。
「本当にまさかのまさかだけれどね」
「それでもだよね」
「いや、どうなのかな実際」
「本当に掘与さんは東郷さんかしら」
「凄い謎だね」
 皆も驚きを隠せません、そしてでした。
 先生は皆にです、こうも言いました。
「輪廻転生さかな」
「ああ、生まれ変わりだね」
「日本ではその考え強いね」
「インドからの考えでね」
「日本にはその考えが強いね」
「仏教が有名だし」
 そうしてというのです。
「天理教でもだね」
「そうそう、あるよね」
「死んでまた生まれ変わる」
「キリスト教にはその考えはないけれど」
「日本では強いね」
「キリスト教徒でもパットン将軍は信じていたよ」
 第二次世界大戦で活躍したアメリカ軍のこの将軍さんはというのです。
「ご自身をハンニバルやピュルス大王の生まれ変わりだってね」
「へえ、そうだったんだ」
「あの人はキリスト教徒なのに」
「そうした考えだったんだ」
「キリスト教徒にしては珍しい考えね」
「そしてね」
 それでというのです。
「日本では火の鳥という漫画があるね」
「手塚治虫さんの代表作の一つだね」
「色々な時代を描いてるよね」
「先生も好きで読んでるね」
「面白いって言ってるわね」
「その火の鳥では輪廻転生が重要なテーマで」
 そうであってというのです。
「色々な生きものに生まれ変わる場合もあるんだ」
「人間だけじゃなくて」
「じゃあ僕達にも生まれ変わるんだね」
「魂は同じで」
「そうなのね」
「そうなんだ、そして東郷さんも」
 この人もというのです。
「確かにもう故人だけれど」
「それでもだね」
「生まれ変わってるかも知れない」
「そしてそれは堀与さんかも知れない」
「先生が思うに」
「そう思うよ、実際にあると思うよ」
 先生はさらに言いました。
「生まれ変わりはね」
「日本そうしたお話多いからね」
「娘さんがお亡くなりになってその後で生まれた弟さんが亡くなったお姉さんと同じ場所に黒子があるとか」
「そうしたことあるしね」
「それじゃあね」
「そう、東郷さんが生まれ変わっていても不思議じゃないよ」
 先生は穏やかですが確かなお顔で答えました。
「本当にね」
「そうだよね」
「何か凄いことになってきたね」
「全く以てね」
「これは」
「ご本人に確認する?」
 ここでこう言ったのはダブダブでした。
「東郷さんの生まれ変わりですかってね」
「いや、覚えてないでしょ」
 ガブガブはダブダブにすぐにこう言いました。
「流石に」
「生まれ変わったら前世の記憶なくなってるのよね」 
 ポリネシアも言います。
「確かね」
「そうそう、魂は同じでも人生は違うから」
 ホワイティはこのことを聞いていて知っていました。
「前世の記憶はないんだよね」
「自分の前世が何かなんてね」
 それこそと言うトートーでした。
「わかったら凄いって言われてるね」
「ごく稀に前世の記憶がある人がいるけれど」
「滅多にあることじゃないわね」
 チープサイドの家族もお話します。
「そんなことはね」
「そうだよね」
「僕達にも先生にも前世ってあるね、仏教だと」
 ジップは自分達のお話をしました。
「そうなるけれどね」
「誰も自分の前世を知らないよ」
 チーチーは皆を見回して言いました。
「ここにいる誰もがね」
「パットンさんはハンニバルやピュルス大王の生まれ変わりと言っていたけれど」 
 それでもとです、老馬は言いました。
「果たして本当はどうか」
「わかる筈がないから」
「パットン将軍でもね」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「そして先生でも僕達でも」
「わかったらかなり凄いことだよ」
「そう、前世のことがわかるのは神様仏様だよ」
 先生もまさにと答えました。
「それこそね」
「そうだよね」
「僕達じゃわからないよね」
「そんなことはね」
「そうそうね」
「わかっている人がいることは事実でも」
 そうであってもというのです。
「前世の記憶がある人がね、けれどね」
「そんなことは稀で」
「本当にそうはないね」
「それこそ」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「だからね」
「堀与さんご本人に聞いてもだね」
「まずわからないことだね」
「そのことは」
「うん、けれど生まれ変わりである可能性はね」
 堀与さんが東郷さんのそうした人であることはというのです。
「あるね、そしてね」
「その可能性は高いね」
「どうも」
「共通点が多いから」
「あまりにもね」
「そうだね」
 こう言うのでした。そしてです。
 先生はこの日のお昼はビーフシチューとパンそれにサラダを食べましたが皆にビーフシチューを食べてまたお話しました。
「いや、ビーフシチューもね」
「いいよね」
「本当にね」
「美味しいよね」
「何かと」
「そうだね、凄く美味しくて」
 それでというのです。
「僕もだよ」
「好きだよね」
「本当に」
「ビーフシヂュー自体が好きで」
「この食堂のものもね」
「けれどこのビーフシチューがね」
 笑ってお話するのでした。
「肉じゃがになるなんてね」
「凄いよね」
「ぱっと見ただけじゃ信じられないよ」
「だって全然違う食べものだから」
「どう見てもね」
「けれど調味料が違うだけで」
 それでというのです。
「食材はね」
「そうそう、一緒だからね」
「お肉とジャガイモと人参に玉葱で」
「全く一緒だからね」
「そしてね」
 ビーフシチューを食べつつさらに言うのでした。
「カレーもね」
「同じだね」
「それもね」
「同じ食材だよね」
「調味料が違うだけで」
「本当にそれだけで」
「面白いよ、あとイギリスの食べものは」
 この国のお料理はといいますと。
「兎角評判が悪いけれどね」
「美味しくないってね」
「それも世界的に」
「あれこれ言われてるけれど」
「日本に影響を与えていることはね」 
 この国のお料理にというのです。
「面白いし嬉しいね」
「全くだね」
「ビーフシチューにしてもカレーにしても」
「そうであることはね」
「本当に面白くてね」
「嬉しいね」
「イギリス料理も馬鹿に出来ないってね」
 こうも言う先生でした。
「思えたりするね」
「そうだね」
「兎角世界的に言われてるけれど」
「日本料理に影響を与えていると思ったら」
「嬉しいね」
「うん、ビーフシチューもそうだけれどカレーだね」
 このお料理だというのです。
「もうカレーといえば日本ではね」
「誰もが食べるからね」
「それもよく」
「国民食と言っていいからね」
「そこまでのものだね」
「そのカレーがインドのカリーからはじまって」
 そうしてというのです。
「イギリスに入ってね」
「海軍のシチューになって」
「それが日本に入ってカレーライスになった」
「日本ノカレーの元はイギリスだって」
「面白いことだよ」
「全くだよ、カレーなくして今の日本人はないかもね」
 先生は笑ってこんなことも言いました。
「本当にね」
「そうそう、もうね」
「そこまで言っていいかもね」
「皆よく食べてから」
「日本人はね」
「何はなくともカレーがあったら」
 それならというのです。
「やっていけたりするしね」
「そうそう」
「レトルトのカレーだってあるし」
「カレーは偉大だよ」
「そう言っていい食べものだよ」
「本当にそうだね」
 こうしたお話もしながらお昼を食べます、そしてお昼休みは研究室に戻りましたが王子が来ました。そして先生のお話を聞いて言いました。
「その人が東郷さんの生まれ変わりだね」
「そうかもって思うんだけれどね」
「確かにそっくりだね」
 王子は堀与さんのことを思い出しつつ答えました。
「今先生が見せてくれた東郷さんの若い頃と堀与さんはね」
「そうだね」
「ほら、東郷さんってお髭があるよね」
「立派なね」
「そのお髭がね」
 何といってもというのです。
「東郷さんのトレードマークでね」
「そこで東郷さんだって思うね」
「お髭ってインパクトあるからね」
「そうだね、乃木大将だってね」
 東郷さんと同じく日露戦争で活躍したこの人もというのです。
「お髭があってね」
「それがトレードマークになってるね」
「そうだしね」
「お髭があるとね」
「どうしてもその人のトレードマークになるね」
「今だってそうだね、だから」
 王子は先生に言いました。
「僕だってね」
「東郷さんはお髭で判別していたね」
「東郷さんだってね」
「僕もだよ、けれどね」
 それでもというのです。
「日本って江戸時代はお髭を剃っていたんだ」
「そういえば江戸時代の絵では皆お髭ないね」
「最初の頃に幕府が髭を剃ろうって言ってね」
 そうしてというのです。
「皆生やしてなかったんだ」
「そうだったんだ」
「最早戦国の世ではないって言って」
 江戸時代の最初の頃にというのです。
「それでだよ」
「剃っていたんだ」
「髷も刀も小さくして」
 そうもしてというのです。
「武張った感じをなくしたんだ」
「戦国時代のそれをなんだ」
「そうなんだ」
「それで皆お髭なかったんだ」
「武士の人達もそうでね」
「農民や町人の人達もだね」
「皆髷にしてね」
 そうしてというのです。
「そのうえでだよ」
「お髭を剃っていたんだね」
「お髭は明治からだけれど」
 生やす様になったのはです。
「明治の最初の頃は生やしていない人もね」
「多かったんだ」
「そして東郷さんもね」
「後で生やしたんだね」
「そうだよ、若い頃からずっとではね」
 お髭を生やしていたことはというのです。
「なかったんだ」
「そうだったんだね」
「明治帝だって」 
 言わずと知れた明治の頃の日本の国家元首であられたこの方もというのです。
「即位された頃はね」
「お髭がなかったんだね」
「それを生やす様にされたんだ」
「後になって」
「あの方も生やしておられていたけれどね」
 お髭をというのです。
「そうだったんだ」
「成程ね、ただね」
 ここで王子は先生にこんなことを言いました。
「明治帝のお写真は少ないね」
「ああ、そうだね」 
 先生も確かにと答えました。
「言われてみればね」
「そうだよね」
「実はあの方お写真を撮られることがお嫌いだったんだ」
「あれかな、写真を撮られると魂を抜かれる」
「昔はそう言われていたね」
「それでなんだ」
「あの方はお嫌いだったんだ」 
 お写真を撮られることがというのです。
「これがね」
「やっぱりそうだったんだね」
「そしてね」
 それにというのです。
「西郷隆盛さんもね」
「あの人の写真も少ないね」
「そうだね」
「同じ理由だね」
「うん、けれどね」
「お写真あるにはあるね」
「そう、けれどね」
 ここで先生は王子に真剣なお顔でお話しました。
「東京の上野の西郷さんの銅像や肖像画のね」
「あのお顔は似ていないそうだね」
「実際に西郷さんのお写真を見るとね」
「似ていないんだ」
「うん、若い頃の志士の人達が集まった集合写真に西郷さんもいるけれど」 
 それでもというのです。
「僕が見てもね」
「似ていないんだね」
「そうなんだ」
 実際にというのです。
「これがね」
「そうなんだね」
「明治帝もあのお写真のイメージが強いけれど」
 またこの方のお話をするのでした。
「けれどね」
「それでもだね」
「お歳を召された時ではないかっていうお写真があるけれど」
「お歳を召されていて」
「お髭も長くなっていてね」
 そうしてというのです。
「太ってもおられていたよ」
「そうなんだね」
「やっぱりね」
「お歳は召されるね」
「どうしても写真や肖像画のイメージはね」
「歴史上の人は強いね」
「けれど若い時もあれば」
 それと共にというのです。
「お歳を召された時もあって」
「似ていないこともだね」
「あるからね」
「そこは面白いね」
「中国の明の太祖さんなんてね」
「朱元璋さんだね」
「肖像画二種類あるからね」
 このことをお話するのでした。
「あの人は」
「確か本来のお顔を描いたものと」
「そう、整えて描いたもののね」
「二種類があるね」
「それでその肖像画を見たら」
「どちらかをだね」
「見た方のイメージでね」 
 それでというのです。
「太祖さんのお顔を思うね」
「そうだね」
「だから太祖さんは整った方を中国全土に送ったんだ」
「本来のお顔の方じゃなくて」
「そうしたんだよ、そのことからもわかる通り」
「肖像画や写真はその人の外見へのイメージを決定するね」
「どれだけお年寄りになっても」
 そうなってもというのです。
「若い頃の肖像画や写真だけを見るとね」
「赤い頃のイメージで連想するね」
「そして逆にね」
「お年寄りの時の肖像画や写真を見たら」
「そちらで連想するよ」
「だから僕も東郷さんイコール白いお髭だったんだね」
「もっと言えば軍服を着ているね」  
 先生は王子にこうも言いました。
「そうだね」
「うん、肖像画や写真でもそうだったからね」
「軍人さんだからね」
「そう思っていたけれど」
「やっぱりプライベートだとね」 
 その時はというのです。
「私服だよ」
「そうだね」
「そして若い頃は」
「お髭を生やしていなかったね」
「そしてその時の外見が」
 まさにそれがというのです。
「堀与さんそっくりなんだ」
「というと」
「まさかと思うね」
「僕もね」
「真相はどうか」
「わかればいいね」 
 王子もこう言います、先生達は今一つの謎に気付いてそれを前にするのでした。








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