『ドリトル先生とラーメン』




                第九幕  アンケートの途中結果

 先生は研究室で自分が行っているアンケートの募集結果を見ました、パソコンでそうしたのですが。
 それを見てです、先生は一緒にいる動物の皆に言いました。
「いや、予想通りね」
「薄口醤油の鶏ガララーメン?」
「それが一番人気?」
「やっぱりそうなんだ」
「関西のね」
 まさに自分達が今暮らしている地域のというのです。
「それがだよ」
「一番人気なんだね」
「アンケートは」
「途中だけれど」
「やっぱり日本の関西にあるとね」
 学校がというのです。
「そこでアンケートを取ると」
「そうなるね」
「元々そこにいる人が一番多くなるし」
「それでね」
「オックスフォードでアンケートを取っても」
 イギリスにある世界的に有名な大学でもというのです。
「イギリス、イングランドのね」
「好みだね」
「そうした結果が出るね」
「どうしても」
「そうなるよ」
 こう皆にお話するのでした。
「そこはね」
「そうだよね」
「アンケートをするにしても」
「その場所が問題だね」
「それ次第で結果が出るね」
「僕は学園でアンケートを取っているから」
 その為にというのです。
「そうなるよ」
「やっぱりそうだね」
「それじゃあだね」
「アンケートに結果が出ても」
「そのまま受け入れるね」
「学園で行っているけれど」
 日本の関西にある学校でというのです。
「正確で公平なアンケートだしね」
「一人一票」
「それを守っているからね」
「そのまま続けているね」
「むしろ神戸の学校で行っていることも」
 このこと自体もというのです。
「学問の対象だよ」
「何処でアンケートを取るか」
「そこで出る地域性もだね」
「その対象なのね」
「そうだよ、だからね」
 その為にというのです。
「このまま最後までだよ」
「続けるね」
「そして終わって結果が出たら発表する」
「そうするのね」
「予定通りね」
 まさにというのです。
「そうさせてもらうよ」
「そうだね、それじゃあね」
「アンケートの途中結果の確認も終わったし」
「また学問に戻るね」
「そうするのね」
「そうするよ、しかし」
 その途中結果のコメントを見てです、先生は言いました。
「最初のイメージや今の印章を見ると」
「どうなの?」
「どんな感じなの?」
「そっちはどうなってるの?」
「うん、外国の人は日本の料理の中でも」
 そのコメントを見て言うのでした。
「これまた一風変わった」
「そうしたお料理だってなんだ」
「他の国から来た人達は思うんだ」
「そうなの」
「カレーと同じで」
 このお料理と、というのです。
「そこはね」
「和食とはまた違う」
「そうした日本料理で」
「これまた変わったものだってだね」
「思われたんだね」
「本当に日本人は中華料理と思っても」
 ラーメンをというのです。
「他の国の人達から見るとね」
「違うよね」
「ラーメンは日本料理」
「中国のお料理じゃなくて」
「そうであってね」
 それでというのです。
「そこの違いはね」
「ちゃんとだよね」
「認識してるんだね」
「先生にしても」
「日本人は和食を日本料理と思って」
 それでというのです。
「明治からの洋食や中華料理はね」
「日本料理って思わないよね」
「どちらのお料理も」
「どうも」
「そうだよ、例えばナポリタンなんて」
 このスパゲティはというのです。
「日本にはあるけれど」
「他の国にはないからね」
「ナポリってあるけれどナポリにも」
「ハヤシライスもで」
「特にカレーライスなんてね」
「インド料理と思っても」 
 カレーライスをというのです。
「インド人が見てもね」
「日本料理だからね」
「インドにはない」
「そうしたものでね」
「何それだよ」
 まさにというのです。
「インド料理ですって日本人がインド人に言っても」
「そうなんだよね」
「インドのカリーがイギリスに入って」
「そこから日本に入ったけれど」
「日本料理になったわ」
「そうだからね、ましてカレーラーメンなんて」
 カレースープのラーメンはというのです。
「何処にもないから」
「日本以外の国にはね」
「本当にないからね」
「あんなお料理は」
「若しカレーラーメンをどの国のお料理かってお話したら」
 その時はといいますと。
「まさにね」
「日本料理よ」
「他にどう言えばいいのか」
「そもそも」
「そう、ラーメンの上にカツレツを乗せたものもあるね」
 そうした麺類もというのです。
「そうだね」
「そうそうまるね」
「ファミリーレストランとかで」
「パーコー麺っていうね」
「そうした麺もあるね」
「洋食と中華料理を合わせて」
 そうしてというのです。
「それを他の国のお料理と言っても」
「無理があるよ」
「日本人以外から見ても」
「どう見ても」
「だからね」
 それでというのでした。
「今回のアンケートでもね」
「それが出てるね」
「ラーメンは日本料理だって」
「日本以外の国の人達は言ってるね」
「そうだよ、あと国によっては」
 こうも言う先生でした。
「味が薄い、辛くないってね」
「ああ、香辛料を沢山使う国だとね」
「韓国とかね」
「そうした国から見たら」
「韓国は麺類も辛いね」
 このことも言うのでした。
「そうだね」
「あの国のお料理は何でも辛いね」
「大蒜と唐辛子で味付けして」
「所謂キムチの味よね」
「煮るか焼くかで」
「そうした国の人達から見たら」
 そうすると、というのです。
「日本のラーメンはね」
「味が薄いんだね」
「言われてみればそうね」
「韓国料理と比べたら」
「日本のラーメンは味が薄いわ」
「そうだね」
 まさにと言う先生でした。
「本当にね」
「ええ、ただね」
 ここで言ったのはガブガブでした。
「ラーメンって塩分高いのよ」
「そうなんだよね」
 ホワイティはガブガブのそのお話に頷きました。
「脂質も高くてね」
「味が薄いかっていうと」
 少し首を傾げさせてです、ジップは言いました。
「やっぱり違うね」
「塩分が高いから」
「その分味は濃いわ」
 こうお話したのはチープサイドの家族です。
「どうしてもね」
「実際に食べるとそうだしね」
「これはあれじゃないの?」 
 ダブダブは言いました。
「香辛料特に唐辛子のせいじゃないかな」
「韓国料理とかって唐辛子沢山使うからね」
 トートーはダブダブに応えました。
「その味が強いとそう思うね」
「そういえば担々麺とか味が薄いと思わないね」
 チーチーはこの麺のことを思い出しました。
「唐辛子が入っているから」
「ラーメンといえば基本胡椒だけれど」
 香辛料といえばです、ポリネシアは言いました。
「唐辛子とはまた違うわね」
「何か唐辛子を言うと」
「あの香辛料は特別辛いからね」 
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「使うとどうしてもね」
「その味、辛さが強くなるからね」
「そう考えると日本のラーメンの味が薄いか」
 それはと言う老馬でした。
「また違うかな」
「僕もそう思うよ」
 先生もというのです。
「唐辛子の味はね」
「またね」
「香辛料の中でも刺激が強くて」
「それを沢山使うと独特の辛さになるから」
「それとラーメンの味が薄いかっていうと」
「またね」
「違うと思うよ、韓国のラーメンは韓国のラーメンで」
 それでというのです。
「日本のラーメンとはね」
「別だよね」
「それは」
「そう思っていいね」
「実際インスタントラーメンでもね」
 こちらでもというのです。
「韓国のラーメンは独特だね」
「独特の殻さでね」
「唐辛子と大蒜のキムチ味で」
「また違うよね」
「韓国のラーメンだね」
「そう思うよ、また別だよ」
 先生は言いました。
「あちらのラーメンもいいけれどね」
「独特の辛さでね」
「食べて美味しいわよね」
「インスタントラーメンにしてもね」
「そう思うよ、本当に日本のラーメンが味が薄いか」
 それはといいますと。
「その人の主観でも」
「僕達からすればね」
「決してね」
「味は薄くないよ」
「むしろ濃い位だよ」
「そう、本当にラーメンは塩分が高くて」
 その分多くのお塩を使っているというのです。
「その味がね」
「出ているよね」
「脂質も高いしね」
「胡椒とか香辛料も使うし」
「おうどんやお蕎麦と比べたら」
 日本の他の麺類と、というのです。
「味が濃いよ、ただ焼きそばと比べると」
「流石にね」
「味は薄いかもね」
「焼きそばの濃さは別格だからね」
「あの味はね」
「それは仕方ないよ」
 どうしてもというのです。
「焼きそばはまたね」
「そうだよね」
「焼きそばはそうしたお料理で」
「お酒にも格別に合うしね」
「そうだね、あと焼きそばをどの国のお料理と言うか」
 それはといいますと。
「流石の日本人もね」
「日本料理って言うよね」
「洋食や中華料理を他の国のお料理と言っても」
「そんな日本人でもね」
「焼きそばについては」
「あとたこ焼きとかお好み焼きもね」
 焼きそばと同じく粉ものと言われるこうしたものもというのです。
「そうなるね」
「そうだよね」
「流石に日本料理と言うしかないわ」
「他の国にはないから」
「原型になったお料理すら」
「蛸を食べる国は少ないよ」 
 先生はたこ焼きのお話をしました。
「烏賊だってね」
「いか焼きもね」
「関西は粉もののいか焼きと丸ごと焼くの二種類あるけれど」
「烏賊だってね」
「食べる国少ないし」
「ああして食べることなんて」
 そもそもといいうのです。
「他の国にはないから」
「イギリスなんて特にね」
「蛸も烏賊も食べないから」
「先生だって食べたことなかったしね」
「イギリスにいる間は」
「それで他の国のお料理と言われると」
 それはというのです。
「絶対にないよ」
「そうだよね」
「たこ焼きもいか焼きも」
「どっちもね」
「どう考えても」
「何か日本人はお醤油やお魚のだしを使っていないと」
 さもないと、というのです。
「自国のお料理じゃないって思うのかもね」
「そうかもね」
「あとお味噌だね」
「そういうものを使っていないと」
「日本のお料理って認識しないのかもね」
「そうかも知れないね、けれど日本人がそう思っても」
 それでもというのです。
「ラーメンもカレーも日本料理で」
「洋食も中華料理もね」
「そうだよね」
「焼き餃子を見せられて普通の餃子と言う中国人は少ないしね」
 このお料理もというのです。
「中国のお料理ともね」
「考えないよね」
「中国の人達も」
「そうだよね」
「そうだよ」
 本当にというのです。
「そしてラーメンもだよ、アンケートを見ても」
「出てるね」
「面白いとか変わった日本料理とか言ってるね」
「他の国の人達は」
「そして日本人だと」
 他ならぬこの国の人達はといいますと。
「もう第一印象がない位だよ」
「ものごころつく前から傍にある」
「そして食べている」
「そんな食べものだね」
「そんなコメントが多いね」
 日本人の場合はというのです。
「子供、それもものごころつく前の」
「そんな頃から食べていて」
「それでだよね」
「第一印象もない」
「そこまでの食べものね」
「第一印象はものごころがついてね」
 そうした年齢になってというのです。
「はじめてね」
「持つものだよね」
「それ以前からあると」
「どうしてもね」
「皆パンについて第一印象はあるかな」
 先生は欧州イギリスも含めて主食であるこの食べもののお話をしました。
「オートミールにしても」
「ないよ」
「ミルクだってそうだけれど」
「紅茶もね」
「ものごころつく前からお口にしてるし」
「それだとね」
「日本人にとってラーメンはそうしたものでね」
 それでというのです。
「第一印象を答えられない人がね」
「日本人には多いんだね」
「あまりにも身近にある食べもので」
「ものごころつく前から食べているから」
「それでなのね」
「そんなコメントが多いよ」
 こう皆にお話します。
「これがね」
「成程ね」
「そんな風なんだね」
「日本人についてのラーメンのコメントは」
「第一印象がないんだ」
「ごく自然によく食べている」
 そうしたというのです。
「麺類みたいだね」
「おうどんやお蕎麦と同じだね」
「それじゃあね」
「本当にそうね」
「そうだね、そして一番好きなラーメンは」
 それぞれの人のというのです。
「日本人だと生まれ育った場所のだよ」
「そのラーメンが人気で」
「よく食べられているのね」
「そうなんだね」
「そうなっているよ」 
 こうしたお話をするのでした、そしてです。
 先生は今学んでいることについて論文、ドイツの地理のそれを書いていってです。皆にこんなことを言いました。
「ドイツではパスタもよく食べるね」
「ドイツ料理以外にね」
「イタリア料理全体が人気で」
「よく食べるわね」
「あの国はイタリア観光が好きな人も多くて」
 それでというのです。
「お料理もね」
「イタリア料理人気でね」
「本当によくパスタ食べるね」
「ピザだってね」
「そうだね」
「そのドイツの人達のラーメンのアンケート見たら」
 そうすると、というのです。
「パスタとはまた違った美味しさがあるってね」
「言ってるんだね」
「そうなんだね」
「ラーメンについて」
「そうなっているよ、ただドイツの人達も」
 この人達もというのです。
「ラーメンは日本料理だとね」
「言うよね」
「ちゃんとね」
「そう思ってるわね」
「そうなっているよ、ドイツにはないけれど」 
 ラーメンはというのです。
「面白いそして美味しいともね」
「言ってるんだね」
「アンケートのコメントで」
「そうなんだね」
「そうなっているよ、このこともね」 
 実にというのです。
「わかるよ」
「ドイツ人とラーメンだね」
「意外な組み合わせだけれど」
「日本だとある」
「そうなるわね」
「イタリアの人達のアンケートを見ても」 
 そうしてもというのです。
「パスタからお話している人がね」
「いるんだ」
「そうなんだ」
「やっぱりイタリア人だとね」
「まずパスタよね」
「麺類だとね」
 それを食べるならというのです。
「もうね」
「そうなるよね」
「本当にね」
「それじゃあね」
「そうなって当然だね」
「そうだよ、それでパスタと比べても」
 そうしてもというのです。
「美味しいってね」
「言ってるんだね」
「そうなんだね」
「日本のラーメンは」
「そう言っているんだ」
「うん、それとね」 
 先生はさらにお話しました。
「アメリカ人だとね」
「ああ、あの国だね」
「移民の国で色々な人種の人達がいる」
「あの国だね」
「あの国は色々な国から色々な人が来てね」
 皆の言う通りにというのです。
「お料理も多いね」
「そうなんだよね」
「それもアメリカなんだよね」
「本当に色々な国から移民の人達が来てるから」
「お料理も多いね」
「それでパスタも麺類もあってね」
 そうした国だからだというのです。
「それでね」
「ラーメンもだね」
「いざ日本で食べると」
「どうなのか」
「これは中華料理じゃないってね」
 その様にというのです。
「思う人が多いみたいだね」
「そうなんだね」
「見ただけで」
「もう」
「うん、味もね」
 こちらもというのです。
「そうだってね」
「やっぱり日本の味なんだね」
「ラーメンって」
「そうなのね」
「そう言ってる人が多いね」 
 アンケートのコメントでというのです。
「食べたことのない人はね」
「ああ、今日本料理って世界的に知られているね」
「お寿司を代表として」
「天麩羅だってお刺身だって」
「すき焼きだってね」
「そうなっているから」
 だからだというのです。
「有名になっているからね」
「それでだね」
「ラーメンもなのね」
「日本料理の一つとして世界に知られてきている」
「そうなってるのね」
「そうみたいでね」 
 それでというのです。
「既に食べたことある人もね」
「いるんだね」
「八条学園に来るまでに」
「既に」
「そうした人も多いけれど」 
 それでもというのです。
「日本のラーメンを食べて」
「あっ、わかるよ」
「これが本場のラーメンなのかってね」
「そう言ったんだね」
「お料理はそれぞれの国でアレンジされるからね」
 そうなるからだというので。
「好みに合わせて」
「そうなるよね」
「どの国でもね」
「どんなお料理も」
「それでラーメンもね」
 こうした事情があってというのです。
「そうなるから」
「だからだね」
「日本に来て日本のラーメンを食べて」
「思うことがあった」
「そうだったんだ」
「そう書いている人が多いよ、やっぱり日本の味だとか」 
 そのコメントのお話をするのでした。
「本物だとか最初はお口に合わなかったとかね」
「言ってるんだね」
「成程ね」
「そんな風だったんだ」
「コメントは」
「うん、色々わかるよ」
 先生は微笑んで言いました。
「こうしたこともね」
「まさに学問だね」
「色々な意見、考えもわかる」
「食べものからも」
「そう思うよ、森羅万象が学問の対象で」
 そうであってというのです。
「学べるんだ」
「ラーメンからしても」
「そうであって」
「先生も学んでるのね」
「今こうして」
「そうだよ、だからいいアンケートを取っているとね」
 その様にというのです。
「僕も思っているよ」
「それは何よりだね」
「本当にね」
「先生にとってもね」
「全くだよ、それでね」
 先生はさらに言いました。
「おうどんとお蕎麦についても聞いたよ」
「ラーメンだけじゃなくて」
「そちらの麺類についてもなの」
「日本に昔からある麺類についても」
「日本は関東と関西で文化が違うね」
 このことを、でした。先生は皆にお話しました。これまで通り穏やかですが神妙なものを交えて言いました。
「食べ方も」
「ああ、そうだった」
「西はおうどん東はお蕎麦で」
「食べ方だって違うよね」
「これがね」
「西ではおうどんをおかずにするけれど」
 先生はまずこちらのお話をしました。
「ラーメンもね」
「そうそう、ラーメン定食」
「うどん定食もあるわ」
「お好み焼きや焼きそばもおかずにするし」
「特に関西だと」
「それが東ではね」 
 こちらではというのです。
「ないね、お蕎麦の食べ方もね」
「噛まずに飲み込むからね」
 こう言ったのはホワイティでした。
「東京の方だと」
「江戸っ子の食べ方だね」
 ジップも言います。
「あれが」
「おつゆが辛くてそうして食べるんだったね」
 こう言ったのはトートーでした。
「あちらじゃ」
「通は噛まずに喉越しを味わう」
「東京はそうなのよね」 
 チープサイドの家族もお話します。
「最初聞いて驚いたわ」
「消化によくないともね」
「こっちじゃ噛むからね」
「そうだからね」
 オシツオサレツは言いました。
「西の方じゃね」
「おつゆの関係で」
「それでおかずにもしないんだったね」
 チーチーも言いました。
「東の方だと」
「主食かおやつみたいなもので」 
 それでと言うポリネシアでした。
「軽く食べたりするのよね」
「ちょっと寄って腹ごしらえ」
 ガブガブは軽い調子で言いました。
「そんなものよね」
「こっちじゃご飯と一緒に食べることがあっても」
 それでもと言うダブダブでした。
「あっちじゃないからね」
「そうだよ、そのこともね」 
 先生は皆に言いました。
「おうどんやお蕎麦でね」
「わかるよね」
「確かに」
「東と西で違うって」
「日本の食文化は」
「そうなんだ、あっちじゃラーメンとご飯を一緒に食べることも」
 それもというのです。
「ないしね」
「というかこれ他の国にもね」
「ないよね」
「中国の人達だってね」
「麺類おかずにしないね」
「そうね」
「そう、お米は主食で」
 それでというのです。
「麺類、麦だってね」
「主食でね」
「主食をおかずにするって」
「中国にもないわ」
「他の国にもそうは」
「パスタを食べてもスープのポジションで」
 こちらも麦で作るけれどというのです。
「主食のパンとはね」
「分けられてるね」
「はっきりと」
「欧州でも」
「それでリゾットは」
 こちらのお料理はといいますと。
「欧州ではお米はお野菜だからね」
「主食じゃないからね」
「やっぱりスープ扱いなのよね」
「これが」
「そうなるから」
 だからだというのです。
「違うんだ、主食つまり炭水化物をおかずにするのは」
「日本の西の食文化で」
「他はあまりない」
「そうしたものだね」
「そうだよ、東京でおうどんを食べても」
 お蕎麦でなくです。
「まさにそれがね」
「主食だよね」
「そこでご飯を食べない」
「そうなるね」
「おうどんを食べてお握りもというのも」
 こうした食べ方もというのです。
「やっぱりね」
「ないよね」
「東の方だと」
「どうしても」
「そうだよ、僕は関西の食文化に入ったから」
 先生はというのです。
「もうね」
「それでだよね」
「別にそうして食べても」
「おかしいと思わないわね」
「むしろそうして食べることが」
 炭水化物をおかずにご飯を食べることがというのです。
「普通に美味しとね」
「思ってるよね」
「おうどんもそうで」
「お好み焼きや焼きそばもで」
「ラーメンだってね」
「そうだよ、たぬきそばの後親子丼を食べても」
 一緒にというのです。
「いいしね」
「そうだよね」
「たぬきそばもいいし」
「親子丼だってね」
「そうだね、揚げが乗った」 
 そうしたというのです。
「あのお蕎麦もいいよね」
「美味しいよ」
「関西じゃあれがたぬきそばなのよね」
「揚げを入れたのが」
「それがね」
「関西ではきつねそば、たぬきうどんはないよ」
 この二つはというのです。
「多くの地域できつねそばといえばね」
「揚げが入ってる」
「関西のたぬきそばなんだよね」
「これが」
「多くの地域では天かすを入れるとね」
 そうすればというのです。
「たぬきうどん、たぬきそばになるよね」
「そうなんだよね」
「京都じゃ刻んだ揚げの上にあんかけ乗せたのがそれで」
「地域によって違いがあるけれど」
「大阪では天かすを入れるとね」
 おうどんやお蕎麦にというのです。
「そうしたらね」
「はいからうどん」
「そしてはいから蕎麦」
「そうなるのよね」
「これがね」
「それがあるから」
 はいからうどんそれにはいから蕎麦がというのです。
「だからね」
「それでだよね」
「大阪にはきつねそばはなくて」
「たぬきうどんもないんだよね」
「これが」
「そうだよ、そのこともね」
 先生は笑顔で言いました。
「わかったよ」
「日本に来てね」
「何かロンドンのたぬきそばって天かす入ってるそうだけれど」
「関東だね」
「そっちね」
「そうなるね、その違いもね」
 これもというのです。
「面白いね」
「全くだね」
「同じ国のお料理なのに地域によって違う」
「他の国でもあるけれど」
「日本でもだね」
「日本は西の方から朝廷が成り立って」
 今度は歴史のお話をしました。
「東はその後だったね」
「そうそう、蝦夷って言われる人達がいて」
「その人達の勢力があって」
「朝廷はそちらに勢力を拡大していって」
「日本が成り立ったね」
「そうした歴史があって」
 それでというのです。
「日本の西と東はね」
「長い間別なところがあったね」
「政治においても」
「何処かね」
「それで鎌倉幕府が出来て」
 日本最初の武家政権がというのです。
「東を拠点にしていたね」
「そうそう、鎌倉ね」
「鎌倉に本拠地を置いて」
「そこから政治をしていっていたわ」
「そして室町幕府も」
 この政権もというのです。
「京都にあって東はね」
「鎌倉公方を置いて」
「それでそっちも政権みたいになっていたね」
「言うなら東西で同時に治めていた」
「そうした風だったね」
「それで何かと違っていて」
 東西でというのです。
「文化もでね」
「それが江戸時代も続いてたし」
「江戸、今の東京に幕府が置かれても」
「西の方は西の方で」
「地域色が強かったから」
「江戸幕府も分権体制だったね」 
 この政権もというのです。
「幕府だけじゃなくて」
「三百以上の藩があって」
「それぞれが国みたいで」
「独自性が強くて」
「文化もだったね」
「それで江戸と大坂も全く違っていて」
 その文化がというのです。
「それでね」
「そのうえでだよね」
「食文化も分かれて」
「独自性が出来たね」
「そうなんだ、おうどんやお蕎麦でもわかったよ」 
 こうしたことがというのです。
「そしてひいてはね」
「ラーメンでもだよね」
「関西のラーメンは薄口醤油で」
「関東はお醤油」
「濃いね」
「そうなっているね、そしておかずにしない」
 東の方ではというのです。
「そこも違うからね」
「全くだね」
「東の方だとね」
「西と違って」
「ひいては先生とも」
「インスタントラーメンだって」
 こちらのラーメンもというのです。
「ご飯のおかずにするね」
「ごく普通にね」
「そのまま食べる時もあるけれど」
「お酒のおつまみにすることも」
「けれどおかずにもするよ」
「そうするから」
 それでというのです。
「その違いも学べてるよ」
「今回のアンケートだと」
「ラーメンはどうして食べているか」
「そのことを」
「ラーメンをおかずにすることに驚いている人もね」
 まさにそのことをというのです。
「いるよ」
「日本の西以外の人だと」
「同じ日本人でも」
「そうなるのね」
「そうなんだ、それと豚骨スープは」
 今度はこのスープのお話をしました。
「厳格なムスリムの人だと」
「避けるね」
「実はムスリムの人ってアッラーに謝罪して食べる人もいるけれど」
「豚肉にしても」
「その辺りは柔軟性があるけれどね」
「けれど厳格に守ると」
 イスラムの戒律をです。
「やっぱりね」
「よくないからね」
「イスラム教では豚肉禁じているから」
「それなら豚骨だってね」
「食べられないよ」
「そうだからね」  
 そうした戒律だからだというのです。
「豚骨ラーメン、特に博多のね」
「あのラーメンは駄目だね」
「どうしても」
「それは」
「うん、そしてね」
 先生はさらにお話しました。
「ヴィーガンの人も極端だと」
「ああ、豚骨じゃなくても」
「鶏ガラでもね」
「そしてチャーシューも入ってるし」
「ラーメンを食べられないよ」
 そうなるというのです。
「これがね」
「そうだよね」
「ヴィーガンの人ってね」
「必然的にそうなるよね」
「あの人達の考えだと」
「それで食べないのはいいよ」  
 その人がそうならというのです。
「けれどそれを他の人に言うと」
「それもヒステリックに」
「もう食べるなって騒いでね」
「暴力まで振るうと」
「本末転倒よね」
「命を奪うな、大事にというのはいい考えでも」
 それでもというのです。
「他の人達に強制して暴力を振るうなら」
「本末転倒だよ」
「そうなったら」
「最早ね」
「その通りだよ、どんな素晴らしいと思っている考えでも」 
 自分自身がというのです。
「人に強制してあまつさえ暴力を振るう様になったら」
「おしまいだよ」
「その時点で」
「最早ね」
「そうなるよ」
 本当にというのです。
「だからヴィーガンの人達には」
「そんな人達がいるけれど」
「止めて欲しいね」
「あくまで自分は自分」
「他の人は他の人だから」
「食肉工場に行って」
 そうしてというのです。
「お仕事の邪魔したら」
「犯罪だからね」
「営業妨害だから」
「問題外だね」
「素晴らしい考えの為なら犯罪もしていいか」
 先生は真面目に言いました。
「それはね」
「ならないからね」
「絶対に」
「犯罪なんかしたらね」
「問題外だよ」
「そう、そんな人はね」
 本当にというのです。
「警察に通報しないとね」
「駄目だね」
「即刻ね」
「人の考えを認めて紳士でいる」
 先生は穏やかな口調で言いました。
「そうであってこそね」
「あるべき姿だよね」
「文明人としての」
「そうだよね」
「そう、例えばラーメン屋さんに行ってね」
 そうしてというのです。
「鶏や豚の骨をスープのだしにするなとか」
「チャーシュー食べるなとかね」
「そんなこと言ったらね」
「立派な営業妨害だよ」
「そう、精進のラーメンも面白いと思うけれど」
 それでもというのです。
「そんなことをすることはね」
「間違いだね」
「一部のヴィーガンの人達がしてることって」
「そんなことだよね」
「普通におかしいよ、それにね」
 先生はさらに言いました。
「野菜や果物、茸だってね」
「命あるよ」
「ちゃんとね」
「そのことは同じだよ」
「植物にだって命はあるわ」
「だから生きているとね」
 生きているなら何かを食べる、先生はこの現実から言いました。
「絶対に誰かの命を頂いて」
「生きているね」
「誰だって」
「このことは変わらないね」
「ダイオウグソクムシ君だってね」
 水族館八条学園のそちらにもいるあの何ヶ月も食べないで生きている不思議なことこの上ない生きものものというのです。
「やっぱりね」
「生きているからね」
「何か食べるね」
「そうよね」
「そうでない筈がないから」
 だからだというのです。
「もうね」
「誰だってだよね」
「生きているなら命をいただいているね」
「絶対に」
「だから一部のヴィーガンの人達も」
 命を奪うなと怒る人達もというのです。
「命をいただいているよ」
「そうだよね」
「最初からね」
「そうなっているね」
「そうなるよ、そして極端な菜食主義も」
 その食事の傾向もというのです。
「かえって栄養バランスに問題が出て」
「それでだね」
「身体によくないね」
「蛋白質とかカルシウムとか足りなくなって」
「それでね」
「牛乳とか卵位は口にするならいいけれど」
 それでもというのです。
「そうしたものも駄目となるとね」
「お豆はあっても」
「やっぱりね」
「何かと問題が出るね」
「そうだよ、少なくとも僕は何でも食べて」
 そうしてと言う先生でした。
「そのうえでね」
「人に自分の考えを強制しないね」
「暴力も振るわない」
「いつも穏やかよね」
「そうしているつもりだよ」
 皆に微笑んでお話します、そうして皆に囲まれながら学問と日常の楽しい日々を過ごしていくのでした。








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