『ドリトル先生とラーメン』




                第二幕  王子も好き

 先生がご自身の研究室で日本での中華料理についての論文を書いていますと王子がお部屋に来ました、そのうえで論文のことを聞いて言いました。
「日本の中華料理って日本料理だよね」
「そのうちの一分野だね」
「洋食と同じでね」
 それでというのです。
「もうね」
「そうなっているね」
「僕はそう思うけれど」
 それでもというのです。
「日本の人達はね」
「中国のお料理って言うね」
「そうなんだよね」
「いやあ、そう言ってもね」
 それでもと言う王子でした。
「アレンジが凄くて」
「日本料理だね」
「そうなっているよ」
「どのお料理もね」
「中国に天津丼なんてないからね」
 このお料理はというのです。
「そもそもね」
「そうだよ、あのお料理はね」
「ないんだよね」
「天津とあるけれど」 
 それでもです。
「その実はね」
「なくてね」
「完全にね」 
 先生は言いました。
「日本料理だよ」
「そうだね」
「他の中華料理もね」
 日本のというのです。
「レバニラ炒めとかね」
「あれもちょっと中国にあるか」
「ないしね」
 これがというのです。
「どうも」
「あのお料理も」
「餃子だって中国では水餃子や蒸し餃子が主で」
「焼き餃子は殆どないし」
 王子はさらに言いました。
「ラーメンなんてね」
「そうだよ、中国のは拉麺でね」
「日本のラーメンとはね」
「また違うんだよね」
「うん、中国の数多い麺の一つで」
 それでというのです。
「ラーメンのルーツとしても」
「ラーメンじゃないんだよね」
「またね、けれどね」 
 王子は笑ってこうも言いました。
「美味しいよね、中華料理」
「レバニラ炒めも焼き餃子もで」
「特にラーメンがね」
「王子も好きなんだ」
「好きだよ、いや」
「いや?」
「今僕もって言ったね」
 王子へ先生のお言葉のそのことを指摘しました。
「そうだね」
「うん、僕もラーメン好きだよ」
「そうなんだね」
「色々なラーメンがあるけれど」
 日本にはです。
「どのラーメンもね」
「好きなんだ」
「醤油ラーメンも塩ラーメンもで」
 それでというのです。
「味噌ラーメンもだよ」
「じゃあね」 
 王子は先生のお話を受けて言いました。
「豚骨ラーメンはどうかな」
「好きだよ」
 返事は一つでした。
「あちらのラーメンもね」
「そうなんだね」
「博多のね」
「そうそう、麺が細くてね」
 王子は笑顔で応えました。
「白いね」
「あの豚骨スープのね」
「あのラーメンも美味しいよね」
「博多に行ったら」
 それならというのです。
「何と言ってもね」
「あのラーメンだよね」
「あのラーメンを食べて」 
 そうしてというのです。
「はじまると言ってもね」
「過言じゃないね」
「そう思うよ」
 先生も言うのでした。
「僕もね」
「僕もだよ、九州いいよね」
「あそこは豚骨でね」
「本当にいいね、そして関西でもね」 
 先生達が今住んでいる、というのです。
「美味しいラーメンが多いね」
「大阪は食べものが有名だから外せないけれど」
「京都や和歌山もだよ」
 こうした府県もというのです。
「言われているし奈良だってね」
「先生が前に三山について調べた」
「そう、あそこの天理ラーメンもね」 
 こちらもというのです。
「いいんだよ」
「そうだね」
「そして神戸でもね」 
 こちらでもというのです。
「美味しいラーメンがね」
「多いね」
「そうだよ、そして日本全国にね」
「それぞれの名物ラーメンがあって」
「美味しくね」
「食べられるね」
「そうだよ」
 こう言うのでした。
「有り難いことにね」
「本当にそうだね」
「僕は北海道にも行ったけれど」
 それでもというのでした。
「あちらもね」
「そうそう、ラーメン有名だね」
「そうだね、それでだけれど」
 先生はこうも言いました。
「中華街に行って」
「神戸のだね」
「ちょっと食べたくなったよ」
 こんなことも言うのでした。
「あちらでね」
「いいね、あとね」
「あと。何かな」
「いや、お店のラーメンもいいけれど」
 王子は笑顔でお話しました。
「インスタントのね」
「そうそう、あちらのラーメンもだよね」
「美味しいよね」
「僕も大好きだよ」
 またこう言う先生でした。
「本当にね」
「そうだよね」
「しかし王子は王族なのに」
 アフリカのとある国のです。
「食べるんだね」
「食べるよ、そうしたところはね」
「こだわらないんだ」
「僕のお家はね」
「そうなんだね」
「日本の皇室は違うみたいだけれど」
「あそこは何かと厳しいからね」
 日本の皇室はというのです。
「昔から」
「毎日その日その日のメニューが決まっていて」
「それ以外のものはね」
「食べられないね」
「他のことも厳しいけれど」
「お食事もだね」
「砕けたものなんて」
 それこそというのです。
「全くだよ」
「食べられないお家だね」
「イギリス王家よりもね」
 先生は母国のお話もしました。
「その辺りはね」
「厳しいね」
「皇室と王室は同じ様でね」
「また違うね」
「何かとね」
「日本の天皇陛下って皇帝だからね」
 王子は言いました。
「他の国の言語で訳したらそのままだからね」
「皇帝になるね」
「そうした存在だからね」
「王の上に立てる唯一の存在がだよ」 
 まさにそれがというのです。
「他ならにあね」
「皇帝だよね」
「そうだしね」
 それにといいうのです。
「また違うよ」
「何もかもがね」
「しかもだよ」
 先生はお話を続けました。
「日本の皇室は歴史があるからね」
「二千年はあるよね」
「皇紀だと二六〇〇年以上ね」
「そこまであるとね」
「やっぱりね」
「何かと違うね」
「だから何かと伝統があって」
 日本の皇室にはです。
「それでだよ」
「格式もあるね」
「だからね」
「インスタントラーメンとかはだね」
「食べられないだろうね」
 こう王子にお話しました。
「やっぱり」
「そうだよね」
「そしてイギリス王家もね」
「そうしたものは食べられないね」
「イギリスにもああした食品はあるけれど」
 それでもというのです。
「インスタント食品は」
「それでもだね」
「そうだよ、イギリス王家も伝統があって」
 それでというのです。
「厳しいところもあるから」
「日本の皇室程じゃなくても」
「それでもね」
「インスタントラーメンはだね」
「多分だけれどね」
 先生の予想ですが、というのです。
「食べられていないよ」
「そうだね」
「他の王家もだろうし」
「僕が食べていることがなんだ」
「意外と言えばね」
「意外なんだね」
「うん、しかも好きなんだね」
 王子に尋ねました。
「そうなんだね」
「うん、ただね」 
 ここで残念そうに言う王子でした。
「前はあったカレーラーメンがね」
「ああ、インスタントのだね」
「それがなくなって」
 それでというのです。
「残念だよ」
「ああ、前はあったね」
「そうだったわね、カレーラーメン」 
 チープサイドの家族も言います。
「インスタントでね」
「そうだったね」
「カレーうどんやカレーヌードルはあるけれどね」   
 こう言ったのは老馬でした。
「カップの」
「けれど袋のカップラーメンは」
 これはとです、ホワイティは言いました。
「前はあったけれどね」
「あれカレーうどんとまた違うんだよね」
 ダブダブはこう言いました。
「袋麺でもね」
「何かそこがね」
「ちょっと違うんだよね」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「カレーラーメンってね」
「独特の味があるんだよ」
「本当に前はあったのに」
 ガブガブは先生を見て思って言いました。
「今はないわね」
「先生も結構好きだったらわね、カレーラーメン」
 ポリネシアは先生を見て言います。
「袋のね」
「それがなくなったのはね」
 チーチーは王子を見ました。
「王子としては残念なんだね」
「何でか定着しないみたいだね」 
 ジップも言いました。
「インスタントのカレーラーメンって」
「カレーうどんやカレーヌードルとはまた違うから」
 トートーも言うのでした。
「捨て難いんだよね」
「そう、そのカレーラーメンがなくなったのは」
 それはと言う王子でした。
「僕としてはね」
「残念だね」
「そうだね」
「王子はあのラーメンが好きだったから」
「それでなのね」
「うん、他のラーメンがあっても」
 それでもというのです。
「袋のカレーラーメンがないことはね」
「じゃあ復活して欲しいね」
「先生としても」
「そうよね」
「本当に」
「そうだよ、何とかね」
 心から思って言う先生でした。
「また出て来て欲しいね」
「そうだよね」
「先生もそう思ってるだろうしね」
「カレーラーメン復活して欲しいね」
「あちらも」
「そう思うよ、僕もね」
 先生も言ってきました。
「カレーラーメンも美味しいよ」
「そうだよね」
「あのラーメンだって美味しいわよね」
「インスタントのあちらも」
「袋麺で」
「定着しないのが不思議だよ」 
 先生も思うことでした。
「全く以てね」
「そうだよね」
「あのラーメンにはファンもいるし」
「是非共ね」
「深津して欲しいね」
「何処かの企業が出してくれないかな」
 こうも思う先生でした。
「本当にね」
「そうだよね」
「また出してくれないかな」
「何処かの企業が」
「そうしてくれたら」
「そう思うよ、インスタントラーメンは偉大な発明で」
 それでと言う先生でした。
「カレーラーメンもね」
「その中にあるね」
「紛れもなく」
「そうだよね」
「そうだよ、あるから」
 だからだというのです。
「僕としてもだよ」
「全くだよ、塩ラーメンとか醤油ラーメンもいいよ」
「インスタントのね」
「そして豚骨や味噌もいいけれど」
「カレーもだね」
「そうだからね」
 それ故にというのです。
「またね」
「復活して欲しいね」
「そう思うから」
 だからだというのです。
「望みを持ち続けるよ」
「そして望が適ったら」
「感謝するよ」
 そうするというのです。
「神様と出してくれた企業さんにね」
「そうさせてもらうね」
「絶対にね」
「そうだね、ただないことは残念でも」
 それでもと言う王子でした。
「ラーメンは他にもあるし」
「何かとね」
「そちらを食べて」
 そうしてというのです。
「そのうえでね」
「楽しむね」
「僕もね」
「それは僕もだよ、今夜はインスタントの塩ラーメンを食べてね」
「おかずかな」
「いや、おつまみだよ」
 そちらで食べるというのです。
「お酒を飲む時にね」
「ああ、その時もいいよね」
「インスタントラーメンはね」
「何かとね」
「重宝するね」
「僕もね」
 王子もというのです。
「チューハイとか飲む時にね」
「インスタントラーメンをおつまみにするね」
「そうした時があるよ」
「そうだね」
「ポテトチップスとか柿の種もいいけれど」 
 お酒のおつまみにはです。
「インスタントラーメンもね」
「いいね」
「そう思うよ」
「僕もだよ、そして生麺もね」 
 こちらもというのです。
「それはそれでね」
「いいよね」
「そうだよね」
「ラーメンは最高だよ」
 王子は断言しました。
「あんないいものはね」
「そうはないね」
「心から思うよ。そうそう」
 王子はここで先生に笑顔でこんなことを言いました。
「さっき中華街のラーメンのお話をしたね」
「食べに行きたいってね」
「それじゃあね」
 それならとういうのです、
「日笠さんと一緒に行ったらどうかな」
「日笠さん?」
「そう、あの人とね」
「日笠さんってラーメン好きなのかな」 
 先生は王子に言われて少し考えました。
「どうなのかな」
「嫌いな人は少ないだろうし前ね」 
 王子は笑顔でお話しました。
「食堂でラーメン食べてるの見たよ」
「そうなんだ」
「だからね」
「日笠さんをなんだ」
「お誘いしたらどうかな」 
 こう言うのでした。
「それならね」
「そうだね」
 先生も頷きました。
「お誘いしてみるよ」
「そうしたらいいよ」
「そうだね」
 先生が応えるとでした、今度は動物の皆も言いました。
「そうしよう、先生」
「お二人で行って来てね」
「丁度いい機会よ」
「行って来てね」
「あれっ、皆もそう言うんだ」 
 先生は皆の反応に少し驚きました。
「そうなんだ」
「そりゃ言うよ」
 王子は苦笑いで応えました。
「やっぱりね」
「やっぱりっていうと」
「だって先生全くだから」
 それ故にというのです。
「言うよ」
「全く?僕が」
「そうだよ、先生はね」
「ううん、何が全くなのかわからないよ」
「そのうちわかってくれたらいいよ、ただね」
 王子はさらに言いました。
「先生中華街にはね」
「日笠さんとだね」
「一緒に行って」
 そうしてというのです。
「ラーメン食べてきてね」
「それじゃあね」
「うん、あとね」 
 王子はさらに言いました。
「実は僕日本の中華街制覇しているんだ」
「神戸と横浜と長崎だね」
「三つ全部ね」
 先生に笑顔でお話しました。
「そうなんだ」
「そして全ての中華街で食べたんだね」
「そうだよ、ラーメンだってね」
「それはいいね」
「ただ長崎ではね」
 こちらの中華街ではといいますと。
「正確に言うとラーメンじゃないね」
「長崎ちゃんぽんだね」
「そう、あれを食べたよ」
 このお料理をというのです。
「そうだったよ」
「長崎ちゃんぽんだね」
「あれも美味しいね」
「長崎の人達が誇るだけあってね」
「豚骨スープにね」 
 スープはこちらでというのです。
「具が沢山乗せてあって」
「ちゃんぽんだけにね」
「それにね」 
 それに加えてというのです。
「太い麺がね」
「いいね」
「博多ラーメンとはまた違った美味しさがあるよ」
「同じ九州でも違うね」
 先生は笑顔で言いました。
「そうだね」
「そうそう、同じ九州でもね」
 まさにとです、先生も応えます。
「また違うよ」
「もっと言えば同じ豚骨スープでも」
「そうだね、麺も違うしね」
「博多の麺は細いんだよね」 
 こちらのラーメンのそれはというのです。
「これが」
「そうだね」
「それでお店の人にお話すれば固さ調整出来るね」
 麺のそれをです。
「あちらは」
「そうだよ」
 先生もその通りだと答えます。
「博多ではね」
「このことも特徴だね」
「うん、それで替え玉もだよ」
「出来るよね」
「屋台のお店とかでね」
「そうだね、あとね」
 王子はさらにお話しました。
「熊本や鹿児島もね」
「九州で有名なラーメンだね」
「そうだよね」
「僕は鹿児島に行ったことがあるからね」 
 先生は地質調査に行ったその時のことをお話しました。
「そこでね」
「鹿児島のラーメン食べたんだね」
「やっぱり豚骨だったけれど」
「博多のものとはだね」
「また違っていてね」
 それでというのです。
「美味しかったよ」
「そうだったんだね」
「九州全部のラーメンを食べたいともね」
「先生思ってるんだ」
「そしてもっと言えば」
 笑顔で言う先生でした。
「日本全土のね」
「ラーメンを食べたいんだ」
「色々美味しいものをね」
「そうなんだ、先生も変わったね」
「昔はこんな美味しいものにこだわらなかったね」
「そうだったね」
「いや、イギリスにいるとね」
 それならというのです。
「どうしてもね」
「食べものについてはね」
「こだわらなくなるからね」
 そうなるからだというのです。
「僕もあの頃はね」
「そうそう、あの頃の先生なんてね」
 ジップが言ってきました。
「今とは全く違ったよ」
「食べものに無頓着っていうか」
「食べられるといいって感じだったわね」
 チープサイドの家族も言います。
「一応メニューでも好きなものあっても」
「そんなにだったね」
「少なくとも今とは全く違ったよ」 
 トートーははっきりと言いました。
「あの頃の先生はね」
「行った先の名物食べ歩くなんてね」 
 それこそと言うチーチーでした。
「しなかったね」
「食べるお料理の種類は凄く増えたわ」
 ガブガブはまさに家政婦さんのお言葉でした。
「日本に来てからね」
「もう毎日美味しいって言ってるね」 
 ホワイティはこのことを指摘しました。
「食べることも楽しみになって」
「イギリスにいた頃はティータイム位だったかな」
 老馬は思いました。
「先生が飲んだり食べたりする時で美味しいと言ったのは」
「朝は兎も角お昼と夜はね」
「ただ食べるだけだったね」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「もうね」
「そうだったね」
「悪いことは言わなかったけれど」 
 それでもと言うポリネシアでした。
「今みたいにいつも美味しいとは言わなかったよ」
「本当に日本に来てから変わったよ」
 ダブダブも言います。
「先生の食生活はね」
「僕もそう思うよ、ラーメンだってね」
 先生は皆にも応えました。
「知ってね」
「よく食べる様になったしね」
「今みたいに」
「そうなったしね」
「随分変わったね」
「そもそもイギリスにラーメンはあるか」
 このお料理はというのです。
「ちょっとね」
「あるとは言えないね」
「残念ながら」
「そうだよね」
「うん、あってもこんな手軽にはだよ」 
 日本の様にというのです。
「食べられないね」
「そうだよね」
「どうにもね」
「日本料理店にあっても」
「こんなに食べられないよ」
「そうだからね」
 それでというのです。
「僕はラーメンのことでもね」
「嬉しいよね」
「先生は美味しいものをいつも食べられて」
「そうなってね」
「そう思うよ、それとね」
 先生はさらにお話しました。
「ラーメン以外の食べものもね」
「日本は美味しいよね」
「そうした食べものばかりだよね」
「本当にね」
「だから毎日ね」
 それこそというのです。
「美味しいっていうんだよ」
「美味しいものばかりだから」
「日本には」
「それでだね」
「美味しいって感じられたら」
 それならというのです。
「それで幸せだよ」
「そうだよね」
「もうその時点でね」
「人間どう出来たら幸せか」
「満足出来たらだしね」
「例えばね」
 考えるお顔になってです、先生は言いました。
「ご馳走を食べても文句ばかりで満足していないなら」
「ああ、もうね」
「それで幸せじゃないね」
「そうだね」
「ましてね」
 さらに言う先生でした。
「他の人達にもてなしてもらって料理人さんが一生懸命作ってくれたものにね」
「文句ばかりならね」
「それならだよね」
「どうにもならないね」
「僕はそんな人がいたらね」
 それならというのです。
「もう食べない方がいいってね」
「思うよね」
「先生は誰にも悪いことを言わないけれど」
「それでもね」
「人のおもてなしや努力を無下にするなら」
 それならというのです。
「もうね」
「食べない方がいいね」
「それなら」
「まあサプリメントとかでいいよね」
「お口にするのは」
「何があっても人の好意や努力をいつも傷付けたり無視するなら」
 それならというのです。
「見ている方も凄く不愉快だしね」
「ご自身がどう思っていても」
「周りはもっとだよね」
「不愉快よね」
「そうだよ、お店のお料理が口に合わないからってお店の中で怒鳴り散らす位にだよ」
 そうした行為と同じ位にというのです。
「酷いよ」
「そうだよね」
「そうした行為はね」
「問題外だよね」
「だからね」
 それでというのです。
「そんな人は今はサプリメントがあるから」
「それで栄養を摂取してね」
「食べなくていいね」
「飲まなくてもいいね」
「そうだね」
「残念だけれどそう思うよ」 
 先生は悲しいお顔で言いました。
「本当にね」
「全くだね」
「世の中そんな人もいるんだろうね」
「何をしてもらっても食べさせてもらっても文句ばかり」
「感謝しない人が」
「感謝の心がないとね」
 それならというのです。
「それだけでね」
「人は駄目だね」
「もうね」
「それだけで」
「そうだよ」
 本当にというのです。
「そんな人になってもいけないしね」
「付き合ってもね」
「そうしてもよくないね」
「そうした人とは」
「そうだよ、生き方も人格も疑うよ」
 そうした人はというのです。
「本当にね」
「全くだね」
「ラーメンでも何でもだよね」
「そんな人はおもてなししたくないし」
「ご馳走したくもないね」
「何か食べる資格もないね」
「そう思うよ」
 心から言う先生でした。
「そんな人はね」
「世の中そんな人もいるよね」
 王子も言いました。
「何か文句を言うことがいいって考えている人がね」
「いるね」
「うん、批判精神とかいうのかな」
 王子はここでこの言葉を出しました。
「何かに対して間違っていることがわかって言える」
「それが出来る自分は凄いとかね」
「偉いとかね」
「思い込んでいる人がいるね」
「そうだよね」
「歴史でも政治でも文化でもでね」 
 批判対象はというのです。
「間違いを言える、それも堂々と」
「それが出来る自分は頭がよくて凄くてね」
「偉いってね」
 その様にというのです。
「思う人がね」
「世の中いるね」
「うん、他にもね」
 先生は王子に言いました。
「何て書いてあるかわからない難しい文章があるね」
「あるね、日本語にも」
「やたら造語やカタカナの文字を使ってね」
「妙な言い回しでね」
「そんな文章を書いて」 
 そうしてというのです。
「何を言いたいのかね」
「わからない文章を書く人だね」
「それでその文章を読んで」
 そうしてというのです。
「もう無理にでも理解っていうかね」
「理解したつもりかな」
「そうなってね」 
 それでというのです。
「この文章を理解出来た自分凄いってね」
「難しい文章を」
「頭いいって思って」
「ああ、自分を誤解して」
「その文章を書いた人も凄いってね」
「思い込むんだね」
「こんなこともあるよ、けれどこれもね」
 こうしたこともというのです。
「実はね」
「違うんだね」
「それは錯覚だよ」
 先生は断言しました。
「心のね」
「実は頭がいいとか凄いとかないんだね」
「難しい文章を理解したつもりになってもね」
「そして物事に批判したと思っても」
「そうだよ、文句は何とでも言えるし」
 批判のことをこう言うのでした。
「言い掛かりなんて言おうと思えばね」
「その時はだね」
「そう、何とでもね」
「だから偉くないね」
「そして難しい文章なんてね」 
 そうしたものはといいますと。
「実は中身はね」
「ないんだね」
「真理はいつも明解だよ」
 そうしたものだというのです。
「わかりやすくてね」
「だから難しいとだね」
「もうね」
「実は中身がないんだね」
「そうなんだ」 
 本当にというのです。
「これがね」
「そうしたものだね」
「そしてね」
 そのうえでというのです。
「そんなものを読んでもね」
「意味はないんだね」
「そうなんだ、だからそんな文章を理解出来ても」
「ただの錯覚で」
「頭がよくとも凄くとも偉くともね」
「ないんだね」
「そして書いた人もね」
 その文章もというのです。
「全くね」
「偉くないんだね」
「凄くもね、そして食べても」
 お料理をというのです。
「素直に味を言えずにね」
「文句ばかり言う人は」
「その実味がね」
「わかっていないんだね」
「確かにまずいお料理はあるよ」
 それはというのです。
「確かにね。けれどね」
「それでもだね」
「美味しいものはね」
「ありのまま美味しく」
「美味しいって言えばいいんだよ」
「そうだね」
「誰がまずいとか文句ばかり言う人と一緒に食べたいか」
 先生は問う様にして言いました。
「そして作りたいか」
「思わないね」
「いつもそうだとね」
「誰が一緒に食べるか」
「誰が作るか」
「そうなるね」
「そうなってね」
 それでとです、動物の皆にお話しました。
「嫌われるよ、そうした意味でもよくないし」
「幸せでもないね」
「そう言う時って心も嫌になってるし」
「それじゃあね」
「そうだよ、いいことなんてね」 
 それこそというのです。
「ないよ」
「誰にとってもね」
「そうだね」
「それなら美味しいと素直に思って」
「感謝した方がいいね」
「うん、それとこの批判精神とか難しい文章を理解出来たら偉いとかいう考えは」
 先生はこの考え自体のお話もしました。
「戦後日本知識人の特徴の一つだね」
「ああ、あの人達だね」
 王子はお顔を曇らせて応えました。
「日本で一番酷い人が多い」
「学校の先生やマスコミ関係者の人達だけれどね」
「ああした人達はだね」
「何でもかんでも批判して」
「そのつもりになって」
「実は誹謗中傷や罵倒、文句になっていてね」 
 そうした代物にというのです。
「変な文章を理解したつもりになって」
「その実はだね」
「何も得ていなかったんだ」
「そうだね」
「だから駄目なんだよ」
 戦後日本の知識人はというのです。
「どうしようもない位に質が悪いんだ」
「実際碌でもない人多いしね」
「この人は本当に学者さんなのかってね」
 先生は首を傾げさせつつ言いました。
「知性もない、しかも品性もない」
「そんな文章を書く人もいるね」
「常識さえないね」
「兎に角そんな人が多いよね」
「国立大学の教授さんでもだよ」
 俗に頭がいいと言われている人達です。
「そうした人いるからね」
「多くない?それも」
「うん、東大の教授さんでもね」
「酷い人いたりするからね」
「戦後日本はあらゆる面で凄く発展したけれど」
 このことは事実でもというのです。
「知識人の質はね」
「落ちたんだね」
「あっという間に最低にまでね」
 そう言っていいまでにというのです。
「落ちたよ」
「残念なことだね」
「そしてその状況がね」
「今もだね」
「続いているんだ」
「よくなっていないんだね」
「ヘドロばかりの場所を誰もお掃除しないならね」
 ここでこう例えた先生でした。
「どうなるか」
「さらに汚くなるね」
「そしてそこにいるのはね」
「腐ったものばかりだね」
「そうなってね」
 そしてというのです。
「そのうえでね」
「よくなるどころか」
「悪くなるばかりだから」
「日本の知識人の世界は悪いままなんだね」
「そうだよ、腐り果ててしまって」
 そうした状態になってというのです。
「今もね」
「酷いんだ」
「そのままなんだ」
「そうなんだね」
「自浄能力もないから」
「酷いままなんだ」
「これが左か右かじゃなくて」
 思想の問題でなくです。
「元々の在り方がね」
「腐っているんだ」
「スタンスじゃなくて」
「それじゃあどうしようもないね」
「もうね」
「だから僕は距離を置いているよ」 
 日本の知識人の世界からというのです。
「ああはなりたくないからね」
「それがいいね」
「そんな人達と付き合ったらいけないよ」
「先生みたいな人には合わないよ」
「絶対にね」
「だから気をつけてね」 
 先生ご自身もというのです。
「大学でもね」
「お仕事していくね」
「そして論文を書いていくね」
「学問をしていくね」
「そうしていくよ。学者の本分は学問だよ」
 あくまでというのです。
「碌でもないことを言ったりやったりすることじゃないから」
「学問だね」
「それをしていくのね先生は」
「これからも」
「是非ね」
 皆に笑顔で言います、そうして論文を書いてでした。夜はインスタントラーメンでチューハイを楽しんだのでした。








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