『ドリトル先生の落語』




                第十一幕  落語とイギリス

 春琴さんが先生の研究室に来ました、そのうえで先生と落語のお話をしましたが先生がその中で昨晩河豚鍋と日本酒を楽しんだと聞いてです。
 春琴さんは笑顔になってです、先生に言いました。
「鉄砲ええですよね」
「春琴さんも好きなんだ」
「はい、海の幸大好きですけれど」
「河豚もだね」
「めっちゃ好きでして」
 それでというのです、見れば今の春琴さんはカジュアルな白い上着と黒いミニスカートと灰そっくでとても可愛い感じです。
「食べられるとなりますと」
「嬉しいんだね」
「はい、私ほんま海の幸好きでして」
 春琴さんはさらに言いました。
「鰻も海老も蛸も烏賊もです」
「好きなんだね」
「鯖も好きで」
 このお魚もというのです。
「まあ何でも食べます」
「海の幸ならなんだ」
「お料理もお鍋にお刺身に天麩羅に」
 そうしたものにというのです。
「焼いても煮ても」
「好きなんだね」
「お寿司も好きです」
「本当に好きなんだね」
「お寿司やとバッテラええですね」
 このお寿司がというのです。
「ほんま。一番好きなお料理は」
「何かな」
「鰻丼とたこ焼きです」
 この二つだというのです。
「お好み焼きでも海老玉とか烏賊玉とかがです」
「好きなんだね」
「大好物です」
 そうだというのです。
「私は」
「本当に日本それも大阪のお料理に馴染んでるね」
「もう大阪の食べもんは何でもです」
「好きなんだね」
「串カツなんかも」
 このお料理もというのです。
「海老や烏賊も食べますし」
「ああ、串カツのネタのだね」
「はい、それでそうしたものをネタにして」
 そのうえでというのです。
「創作落語もです」
「やっているんだね」
「古典落語の食べもんの話もしてますが」
 それと共にというのです。
「創作の方で、です」
「ネタにしているんだね」
「はい、それも日本語のもんに加えて」
「英語でなんだ」
「そうしてます」
 そちらの言語でもというのです。
「それでユーチューブで、です」
「やっているんだね」
「勿論他の色々なネタもしてますが」
 それと共にというのです。
「食べもんもです」
「ネタにしているんだね」
「はい、これをイギリスの人等にも観てもらってますが」
「評判はどうかな」
「これがよくて」
 それでというのです。
「私も嬉しいです」
「それは何よりだね」
「英語で大阪の紹介もしてまして」
「イギリス向けになんだ」
「はい、大阪の名所に人達にお店に」
「食べものもだね」
「そうしてます」
 先生にその活動のお話もしました。
「それで動画の時私はいつも着物なんです」
「落語家さんだからだね」
「そうですさかい」
 だからだというのです。
「そうしてます」
「いい活動だね」
「イギリスの落語も大阪の紹介も評判がよおて」
「そのこともいいことだね」
「視聴者数もええです、英語ですとわかる人が多くて」
「世界的にだね」
「そうですさかい」
 先生に笑顔でお話します。
「観てくれる人も多いです」
「そのこともいいことだね」
「はい、それで特にです」
「イギリスの人達からだね」
「評判がよくて」
「観てくれる人が多いんだね」
「コメントも多いです」 
 そちらもというのだ。
「それで収益にもなってまして」
「生計にもなっているんだね」
「有り難いことに。ただ私お金はあまり使わへんので」
「そうなんだ」
「住之江とか行かへんです」
「ボートだね」
「ギャンブルせえへんので」
 だからだというのです。
「趣味は食べ歩きに散歩とお風呂、それに野球観戦で」
「野球は阪神かな」
「はい、それで英語で阪神の紹介もしてます」
 この野球チームもというのです。
「そちらも」
「そうなんだね」
「阪神の歴史世界に向けて紹介しましたら」
「反響大きかったね」
「こんなおもろいチームあるんかって」 
 その様にというのです。
「言われてます、何か落語家であって」
「ユーチューバーにもなんだ」
「なっててグラビアもです」
「ああ、聞いてるよ」
 先生はにこりと笑って答えました。
「春琴さんがグラビアのお仕事をされていることもね」
「そうでしたか」
「人気があるみたいだね」
「この前須磨に行きまして」
 神戸のこちらにというのです。
「ビーチで撮影しました」
「水着になったんだ」
「はい、カメラマンの人の中にはおもろい趣味の人いまして」
「どんな風かな」
「水着や下着だけやなくて」
 そうしたものに加えてというのです。
「コスプレもです」
「グラビアでして欲しいってなんだ」
「言われてほんまです」
「コスプレもしたんだ」
「不思議の国のアリスとか」
「ああ、イギリスだからだね」
「浴衣とか。チャイナドレスとかバニーガールもやったんです」
 笑ってお話するのでした。
「落語家なんですけど」
「そうした服も着たんだね」
「それもユーチューブーでお話したら評判になりまして」
 それでというのです。
「動画もです」
「人気だったんだね」
「そうでした」
 こうお話するのでした。
「これが」
「人気が出てなんだ」
「嬉しいです、まあお肌見せるのは恥ずかしいですが」
 それでもと言う春琴さんでした。
「人気が出てそれが生活の糧になって芸能界ならです」
「それもお仕事だからいいんだね」
「はい、グラビアは声優さんもしますし」
「最近の日本はそうだね」
「今もやってます」
 こう先生に言うのでした。
「私も」
「ではそちらもね」
「頑張っていきます」
 先生に笑顔でお話するのでした。
「落語も。あとイギリスを扱った落語もです」
「創作しているんだ」
「生まれたロンドンとか。落語は怪談もしますけど」
「イギリスはそちらのお話多いからね」
「英語でそっちもです」
「しているんだね」
「はい」
 そうだというのです。
「私も」
「そうなんだね」
「もう全力で」 
 それでというのです。
「落語をです」
「やっているんだね」
「大阪の紹介もグラビアも」
「全部だね」
「やってます、それでこの前の寄席で握手会もしたんですが」
「アイドルの人達みたいに」
「そっちも評判よくて」
 それでというのです。
「嬉しいです、人気がないと」
「やっぱりね」
「芸能界あきませんから」
 これが現実だからだというのです。
「何よりです、それでそれを励みにして」
「それでだね」
「そうしてです」
 それにというのです。
「落語の実力をです」
「磨いていくんだね」
「私は落語家ですから」
 笑顔ですかそこに真剣なお顔で言ったのでした。
「落語がよおてこそです」
「意味があるんだね」
「そうですさかい」
 だからだというのです。
「これからもやっていきます」
「頑張ってやっていってね」
「そうしていきます」
 こうお話してでした。
 春琴さんはティータイムも一緒に楽しみました、ですが。
 ここでミルクティーを飲んでスコーンとケーキ、フルーツを食べてそのうえで先生にこうも言いました。
「いや、ティーセットええですね」
「春琴さんもお好きだね」
「はい」
 実際にというのです。
「こちらも」
「それは何よりだよ」
「イギリスにいた時もよく楽しみまして」
「日本でもかな」
「そうしてます、これがありますと」
 ティーセットがというのです。
「嬉しいです」
「ではね」
「今日はこっちも楽しませてもらいます」
「それではね」
「はい、それでなんですが」
 春琴さんは先生に紅茶を飲みつつこうも言いました。
「先生を想ってくれる人がいましたら」
「僕にかな」
「その人大事にして下さいね」
「それはお友達かな」
「いや、この前の寄席で一緒にいた奇麗な人が」
「日笠さんはお友達だよ」
 先生はにこりとして答えました。
「僕はもてないからね」
「あの、それは」
 流石にとです、春琴さんは少し驚いたお顔で応えました。
「流石に」
「流石に?何かな」
「いえ、ええです」
 先生が気付いていないのを見て言うのを止めました。
「ほんまに」
「そうですか」
「はい、ただ私としては」
「春琴さんとしては?」
「まあこれから頑張って下さい」
 こう言うだけでした、そしてです。
 春琴さんはティータイムの後で先生とお別れしました、そして先生は学問に入りましたがここで、でした。
 皆は呆れてです、こう言いました。
「春琴さんも気付いてるね」
「まあ誰だって気付くよね」
「先生以外は」
「そうよね」
 こう言うのでした、ですが先生は首を傾げさせるばかりでした。
「皆で言うけれど何なのかね」
「先生、落語で恋愛話あるよね」
 老馬が言ってきました。
「そうだよね」
「落語って色々あるからね」
 お話のジャンルがとです、トートーも言いました。
「だからあるね」
「先生これまで恋愛小説とかも学んできたね」
 このことはジップが指摘しました。
「そうだよね」
「源氏物語とか伊勢物語とか」
「和歌でも多いね」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「日本でもね」
「古典とかね」
「この前武者小路実篤さんの論文書いていたけれど」
 ポリネシアはやれやれといったお顔で言いました。
「素敵な恋愛を書いているとも言ってたね」
「恋愛わかってるじゃない、先生」
 ガブガブが見てもです。
「それもよくね」
「サラさんも言ってるけれど」
 チーチーは妹さんのお名前を出しました。
「先生はもっと自分を見てね」
「客観的に見たら」
 それならと言うホワイティでした。
「わかると思うよ」
「他のことは客観的に見られても」
「こうしたことは出来ないんだよね」
 チープサイドの家族も呆れ顔です。
「本当にね」
「何一つとして」
「人には得手不得手があるけれど」
 ダブダブもやれやれといった感じです。
「先生はスポーツとこうしたことはからっきしね」
「スポーツは確かに不得意だけれど」
 それでもという先生でした。
「こうしたことって何かな」
「それがわかっていないのが」
「先生が今言われる理由なんだけれどね」
「もうね」
「先生も頑張って欲しいよ」
「気付いて欲しいわ」
「ううん、やっぱりわからないよ」
 皆の言うことがと言う先生でした。
「本当にね」
「まあそのうちかな」
「いつもこの結論に至るけれど」
「先生のこのことは」
「振り向いたらいいだけだし」
「それだけだしね」
「そうなんだ、じゃあ今からね」
 こう言った先生でした。
「またね」
「論文だね」
「それ書くのね」
「そうするのね」
「そうさせてもらうよ」
 こう言うのでした。
「これからもね」
「そっちは別にね」
「僕も何も言わないし」
「正直に応援させてもらうから」
「頑張ってね」
「そうさせてもらうよ」 
 こう言ってでした。
 先生は落語を学んでいきました、そして論文を書いていきますがそれが終わってそのうえでなのでした。
 そうしてです、こうも言いました。
「さて、お風呂もね」
「入るね」
「そうするんだね」
「お家に帰ったら」
「そうもするんだね」
「そうするよ、そしてね」 
 それでというのです。
「漫画も読むよ」
「ああ、漫画だね」
「先生そちらも好きだしね」
「漫画も文化」
「そう言ってね」
「正直言ってテレビを観て悪影響を受けることが多いけれど」
 それでもというのです。
「漫画を読んでもね」
「別に悪影響を受けないね」
「受けてもテレビより遥かにね」
「そうならないね」
「漫画については」
「そうだよ、テレビの害毒は凄まじいけれど」
 それでもというのです。
「漫画はとてもだよ」
「何か昔色々言われたらしいけれど」
「テレビに比べれば遥かにましで」
「文化であって」
「読んでいいね」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「どんどんね」
「読んでいていいね」
「本当に」
「漫画については」
「どんどん触れていっていいね」
「いいよ、しかしね」
 それでもというのでした。
「漫画はね、漫画を読むなっていうのは間違いだよ」
「そうだね」
「漫画も小説も読んで」
「それで学ぶ」
「そうしたらいいね」
「うん、漫画を読んで感動を受けて」
 そしてというのです。
「人生の指針になった人もいるよ」
「そう考えたらね」
「漫画はいいね」
「つくづくね」
「素晴らしいものだね」
「うん、下手な思想書よりもね」
 漫画はというのです。
「素晴らしいよ、日本の知識人は何かと酷い人が多いけれど」
「思想家の人達もなんだよね」
「先生そのことも言ってるね」
「それでそうした人達が書いた本もね」
「碌なものじゃないね」
「だからだよ」
 その為にというのです。
「漫画はね」
「そんな人の書いた本よりいい」
「是非読むべきだね」
「先生にしても」
「そうだよ、まあ中にはね」
 その漫画の中でもというのです。
「酷い漫画もね」
「あるね」
「その思想家の人みたいなのが」
「漫画でもあるわね」
「ライトノベルでもね」
 こちらでもというのです。
「中にはあるけれど」
「往々にしてね」
「漫画やライトノベルは違うね」
「そうだね」
「そちらは」
「面白くないと読まれないからね」
 漫画やライトノベルはというのです。
「いいんだよ」
「そうだね」
「テレビと違って」
「掲載されているから読む」
「そういうのじゃないね」
「そうだよ、テレビのバラエティ番組みたいにね」 
 それこそというのです。
「枠を埋めるだけの手抜きで」
「出演する人達も適当で」
「碌でもない人達の様な」
「そんな風だとね」
「誰も読まないからね、実際運動家みたいなこと書いたら」
 それならというのです。
「そんな漫画やライトノベルはね」
「批判されるよね」
「先生前もそんなこと言ってたね」
「そんな漫画あるって」
「それでライトノベルも」
「電波という言葉があるけれど」
 日本にはというのです。
「もうね」
「そうした漫画やライトノベルは電波だね」
「まさに」
「そうなるね」
「そして電波なんてね」
「皆好んで読まないね」
「そうなるよ、実際とんでもない作品発表して」
 そしてというのです。
「インターネット上で批判されることもね」
「ありますね」
「うん、けれどね」
「そうした漫画やライトノベルがあってもですね」
「多くのものはね」
 漫画やライトノベルはというのです。
「違うから。たまたま作者さんがおかしくて」
「そうした作品になっていて」
「そんな思想家さんみたいな漫画家さんや原作者さん作家さんはね」
「そうはいないですね」
「本当におかし過ぎるから」
 先生はどうかというお顔で言いました。
「日本の思想家、それにね」
「学校の先生やマスコミ関係の人達はですね」
「特にテレビ関連はね」
「そういうことですね」
「日本の知識人の質の悪さが」
 まさにそれがというのです。
「出てしまっていると言ったら」
「そうなりますね」
「新聞やテレビは掲載しているだけ放送しているだけで目や耳にされていたけれど」 
 これまではというのです。
「漫画やライトノベルは面白くない、おかしいとね」
「読まれないですね」
「そうなるからね」
「健全な淘汰が行われるんですね」
「そう、競争もあってね」
「それぞれですね」
「そして面白い作品を描こう書こうって努力するから」
 だからだというのです。
「面白いしね」
「健全ですね」
「何かおかしな漫画とかは」 
 今言っているというのです。
「そうした業界のコネもあったり所謂老害と言われるね」
「そうした人達ですね」
「中には元々運動家とかで」
 それでというのです。
「出版社もマスコミだから」
「そこにつてがあったりして」
「お仕事していたり昔の学生運動が全盛期の」 
 その頃のというのです。
「名残でね」
「今もですね」
「そうしたお仕事をしていたりね」
「そんな人達ですか」
「昔は恐ろしいことに学生運動が正義とされていたから」 
 かつてはというのです。
「そのままね」
「今もそうした主張ですか」
「そんな人もいるんだ」
「それでおかしな作品出しているんですね」
「そうでもあるよ、しかしね」
 それでもと言う先生でした。
「もうそんな作品はね」
「批判されていて」
「健全な作品とは認識されていないから」
「漫画やライトノベルはいい作品が多くて」
「読むといいよ、戦後日本の思想家さん達は酷いけれど」
 それでもというのです。
「漫画家さんやライトノベルの作家さんはね」
「優れた人が多いですね」
「だから漫画もね」
 こちらの媒体もというのです。
「僕は読んでいるよ」
「ライトノベルもそうで」
「楽しんで人生の教訓もね」
 これもというのです。
「得ているよ、吉本隆明なんか読んでも」
「何も得られないですね」
「あんな人の文章は読んでも時間の無駄だよ」
「何も得られないですか」
「僕がこう言うのは自分でも珍しいと思うけれど」 
 それでもというのです。
「事実ね」
「あの人の文章はですか」
「全く何の意味もないね」
「読んでも時間の無駄ですか」
「戦後日本最大の思想家と言われていたけれど」
 そんな人でもというのです。
「テロを行って人を攫って殺してお金と女の人が大好きなカルト教団の教祖を最も浄土に近いと言ったんだよ」
「仏教の浄土にですか」
「その前にその学生運動でね」
 その時にというのです。
「ある東大教授が殴られ蹴られ研究室が滅茶苦茶に荒らされて」
「完全な暴力ですね」
「お金と時間をかけて集めた本まで荒らされて物凄く落胆しながら一冊一冊拾って集めていたけれど」
「それをですか」
「吉本隆明は何を落ち込んでいるんだとか言ったんだ」
 そうだったというのです。
「自分は図書館に並んで本を借りているんだとか言ってね」
「それおかしくない?」
「お金と時間かけて手に入れた本と借りた本は違うよ」
「自分のものと借りものじゃね」
「自分が大事にしているもの暴力で滅茶苦茶にされたんだよ」
「それが辛くない筈ないじゃない」
「図書館で借りた本は結局自分のものじゃないしね」
 皆もおかしいと言いました、先生のお話を聞いて。
「それわからない?」
「思想家さんが」
「それも戦後日本最大の思想家でしょ」
「そう言われていたのに」
「わからないのかしら」
「それがわかっていないからだよ」
 先生は言いました。
「言ったんだよ」
「そういうことだね」
「つまり戦後日本最大の思想家ってその程度なんだ」
「そんなこともわからなくて言われてたんだ」
「そうなのね」
「僕は吉本隆明を全く評価していないよ」
 先生は断言しました。
「まさに読むだけ時間の無駄のね」
「何の意味もない」
「そんな人だっていうのね」
「吉本隆明って人は」
「こんな極めてレベルの低い人がそう言われるんだから」
 戦後日本最大の思想家と、というのです。
「推して知るべしだね」
「全くだね」
「いや、戦後日本の思想家さんって凄いね」
「そんな人が持て囃されるって」
「持て囃す人のレベルも知れてるね」
「それこそね」
「うん、そんな人達が知識人に多かったことがね」
 先生は眉を曇らせてお話しました。
「問題だね」
「全くだね」
「そうした人達が学校の先生やマスコミ関係者だと」
「どうかってなるわ」
「何かテレビがおかしいのも」
「そこからもわかるかしら」
「元々知的レベルがどうしようもなくてね」
 そしてというのです。
「情報を独占してお金と権力を持って」
「ああ、特権化だね」
「そうなったんだね」
「情報って実際お金と権力になるから」
「それでよね」
「そうもなってね」 
 そしてというのです。
「やりたい放題になって」
「どんどんおかしくなって」
「それで番組の作り方もそうなって」
「面白くも何もなくなって」
「今の状況なのね」
「そうだよ、今のテレビのお笑いが面白くないのは」
 それはといいますと。
「こうした色々な理由があるだろうね」
「成程ね」
「ただ面白くないだけじゃないんだ」
「そこには色々な原因があるんだ」
「知識人のレベルの低さやマスコミの腐敗」
「そういうものがあってなんだ」
「そうだよ、吉本隆明もテレビはよく観たそうだよ」
 先生が全く評価しないこの人もというのです。
「どうやらね」
「それで余計に駄目になったのかな」
「元々レベルが低くて」
「さらにかな」
「そうなのかしら」
「そうかもね、いや本当にテレビは」
 先生は心から思って言いました。
「アニメと特撮、スポーツだけでいいかな」
「全くだね」
「何かスポーツ中継も言われることあるけれどね」
「大阪出身のおかしなボクサーの一家か持ち上げたりね」
「そうもしたりね」
「あの一家は問題外だよ」
 先生はこの人達についても言及しました。
「皆の言う通りあるテレビ局が持ち上げていたけれど」
「チンピラそのものだよね」
「柄が悪くて知性も品性もない」
「教養も人格も感じられない」
「当然スポーツマンシップなんて欠片もない」
「まさに反面教師のサンプルよね」
「あんな人達を持ち上げられること自体が」
 そもそもというのでした。
「日本のテレビがどれだけおかしいか」
「その証拠だね」
「あんな最低な人達を持ち上げるなんてね」
「一家全員が柄の悪いならず者で」
「明らかにまともな人生送ってないから」
「他にも岸和田出身の自称番長の野球選手を持ち上げたりね」
 先生はこれまた知性も人格も見られない人のお話をしました。
「そんなのだからね」
「ううん、テレビって本当に酷いね」
「そんな人達まで持ち上げるなんて」
「本当に子どもの教育に悪いわ」
「観て頭が悪くなるね」
「それが日本のテレビなんだよ」
 先生は皆に言いました、そしてその後で実際に漫画を読みますが一緒に読んでいる王子が言いました。
「先生が持っている漫画はどれも面白くて」
「ためになるね」
「とてもね」
 こう先生に答えました。
「色々学べるよ」
「それが日本の漫画なんだよ」
「いや、最高に笑えるよ」
 トートーはあるギャグ漫画を読みつつ言います、見れば動物の皆は彼と同じギャグ漫画を読んでいます。
「この漫画ね」
「マカロニとかほうれん荘とか変なタイトルだけれど」
「作者さんも鳥のお名前でね」 
 オシツオサレツも読んでいます。
「変わってるけれど」
「物凄く面白いね」
「いや、パワーが凄いね」
 ホワイティはその漫画のそれを指摘しました。
「桁外れだよ」
「次から次に凄いギャグが出て」
「読んでいて飽きないわ」
 チープサイドの家族は感嘆するばかりでした。
「こんなギャグ漫画があるなんて」
「思いもしなかったよ」
「昭和五十年代の漫画だっていうけれど」
 ジップは作品が発表された年代のお話をしました。
「こんな面白い漫画があったんだね」
「こんな作品よく描けたわね」
 ダブダブも感嘆するばかりです。
「私達も笑えて仕方ないわ」
「絵も奇麗だしね」
 チーチーはこのことに思うのでした。
「読みやすいよ」
「いやあ、物凄いネタの数だわ」
 ポリネシアはこのことに驚いています。
「全く以てね」
「パロディとかも上手にしているね」
 老馬はこのことを指摘しました。
「このこともいいね」
「先生よくこんな作品見付けてきたよ」
 ガブガブはその先生を賞賛しました。
「素晴らしいよ」
「その作品は日本のギャグ漫画の中でかなり有名な作品なんだ」
 先生は皆に笑顔でお話しました。
「僕と王子は今はロボ子っていう漫画を読んでいるけれどね」
「トミーはまことちゃんって漫画だね」
 王子も言います。
「その漫画も凄いんだよね」
「うん、お笑いは漫画にもあって」
 そしてと言う先生でした。
「そのレベルがね」
「昔から凄いんだね」
「そうなんだ、こんな漫画を描ける人達がいるんだ」
「そうなんだね」
「本気でね」
 それこそというのです。
「描いているからね」
「こんなに面白いんだね」
「そうだよ」
 先生は王子に答えました。
「今も昔もね」
「中には下品なネタもあるね」
「そうしたのを扱う漫画家さんもいるね」
「うん、けれどね」
「そうしたギャグも面白いね」
「そうだね」
「面白がらせる、笑わせる」
 その気持ちがというのです。
「あるからね」
「面白いんだね」
「そうなんだ」
 ギャグ漫画はというのです。
「それがないとね」
「面白くないね」
「結果としてね」
 そうだというのです。
「だから日本のギャグ漫画で質のいいものはね」
「面白いんだね」
「そうだよ、中にはもうインパクトが凄くて」 
 先生は笑顔でお話しました。
「一度読んだら忘れられない」
「そんな作品もあるんだ」
「あまりにもインパクトがあって」
 それでというのです。
「インターネットの掲示板でアスキーアートにもだよ」
「なっているんだ」
「そんな作品もあるんだよ」
「アスキーアートになるとね」
 どうかとです、王子は言いました。
「やっぱり違うね」
「ステータスの一つだね」
「実在の人でもね」
「そうだね、無名でインパクトがないとね」
 それならというのです。
「アスキーアートにもならないね」
「そうだよね」
「それでそうなるなら」
 アスキーアートにというのです。
「どれだけインパクトがあるか」
「その証拠だね」
「そうだよ、実際にね」 
 まさにというのです。
「その漫画を読んでも」
「インパクトが凄くて」
「僕もね」
 先生にしてもというのです。
「一度読むと」
「忘れられないんだ」
「頭から離れないよ」
 そうなっているというのです。
「本当にね」
「そうなったら勝ちだね」
 まさにとです、王子は言いました。
「漫画家さんの」
「そうだよ、テレビのお笑いなんて頭に入らないね」
「そうだよね」
「面白くなくてね」
 まさにその為にというのです。
「観てもね」
「頭に入らなくて」
「一瞬で忘れるよ」
「そんなものだね」
「けれどそうした漫画は」
 こちらはというのです。
「本当にね」
「勝ってるね」
「そうだよ、努力もね」
 これもというのです。
「出てね」
「それでだね」
「面白いんだ、才能があって」
「その才能を努力で磨いているから」
「いいんだ」
「ギャグ漫画はだね」
「あと面白いものは面白いってね」
 その様にというのです。
「評価して何でもつまらないとかね」
「そう言うのはだね」
「これは違いがわかるとかじゃなくて」
 そうでなくてというのです。
「何でもないよ」
「批評でもだね」
「ただ作品を悪く言うなんてね」
「誰でも出来ますね」
「そう、けれどね」 
 それでもというのです。
「口を開けば作品をけなす、落とす」
「そんな人の言葉聞きたくないですね」
「こんな人は自分は何もしないから」
「碌な人にもですね」
「ならないよ」
 そうだというのです。
「まず確実にね」
「そんなものですね」
「面白くないと言われても」
「やってる人の方がかな」
「いいに決まってるよ」
 先生は断言しました。
「漫画だってそうだよ」
「ひいては落語もかな」
「少なくとも笑わせようと思って」
 そしてというのです。
「全力でやってるならね」
「そうした人の方がだね」
「断然ね」
 まさにというのです。
「悪く言うだけの人とはね」
「全く違うね」
「住んでいる世界がね」
「そこまで違うんだ」
「偉そうに何でも落として言う人はそれで満足して」
 それでというのです。
「そこから一歩もね」
「出ないんだね」
「そして全く成長もしないよ」
「努力しないからだね」
「こんな人は相手にしないで」 
 そしてというのです。
「ただひたすらね」
「自分は努力することだね」
「そうしていけば」
「お笑いもよくなるね」
「そうだよ、春琴さんみたいにね」
「そういうことだね」
「全力でやれば」
 お笑い、それをというのです。
「パワーも出てね」
「いいんだね」
「そうだよ、何でも全力ですることだよ」 
 大事なことはというのです。
「そのインパクトのある漫画もね」
「全力でやっているんだね」
「それなら画力に問題があっても」 
 漫画に必要なそれがというのです。
「押し切る感じでね」
「いけるんだ」
「そしてアスキーアートにもだよ」
 これにもというのです。
「なるんだ」
「そういうことだね」
「そうなんだ、しかしね」
「しかし?」
「いや、皆が読んでいる漫画は」
 動物の皆が読んでいるその作品はというのです。
「僕が持っているギャグ漫画の中で特にね」
「面白いんだ」
「不滅の名作と言ってもね」
「いいんだ」
「そこまでの作品だよ」 
 こう言うのでした。
「本当にね」
「実際に面白いよ」
「この作品はね」
「もうあんまりにも面白くて」
「笑い過ぎて苦しい位よ」
「腹筋痛くなるかも」
「そうだね、もう最初から成語まで全力で駆け抜ける様な」
 そうしたというのです。
「とてつもない作品だよ」
「何度でも読めるわ」
「そして笑えるよ」
「色々なネタもあって」
「飽きることがないよ」
「そうなんだよね、漫画は侮れないよ」 
 先生は心から思って言いました。
「お笑いについてもね」
「はい、僕も思います」
 トミーも自分が読んでいる作品に目を向けつつ先生に応えました。
「テレビのお笑いは面白くなくてもね」
「漫画のお笑いは確かです」
「その作品もね」
「元々ホラー漫画描いてる人ですよね」
「そうだよ、その作品を描いている人はね」
 先生もそうだと答えます。
「実はね」
「そうですよね」
「けれどね」
「ギャグ漫画もですね」
「描けてね」
 それでというのです。
「その中身がね」
「こんなに凄いんですね」
「その漫画も一世を風靡したんだ」
「皆が読んでいるマカロニとかほうれん荘とかいう漫画と同じで」
「そうなんだ、手の仕草だってね」
 漫画の中に出ているそれもというのです。
「真似する人がね」
「出たんですね」
「それもかなりね」
 連載当時そうだったというのです。
「これがね」
「そうだったんですね」
「その漫画は下品なネタもあるけれど」
「やっぱり面白いですね」
「そのことは否定出来ないね」
「はい」
 トミーもそうだと答えます。
「本当に」
「そうだからね」
 それでというのです。
「奥はその作品も好きだよ」
「そうなんですね」
「笑えるからね、落ち込んだ時はこうした漫画を読むこともね」
「いいんですね」
「笑えたら」
 それならというのです。
「それだけでね」
「違いますね」
「全くね」
 こう言うのでした。
「落ち込んだ時でもね」
「笑えてですね」
「気分を楽しく出来たら」
「それが本物のお笑いですね」
「そうだよ、それがお笑いだよ」
 笑顔で言いました、そして今は漫画を読むのでした。








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