『ドリトル先生の落語』




                第七幕  大阪に馴染みきって

 先生はこの時大阪にいました、そこで一緒にいる動物の皆に言いました。
「いやあ、やっぱり大阪はいいね」
「全くだね」
「大阪はいいよね」
「賑やかで楽しくて」
「凄くいい街だね」
「世界中を巡って来て」
 先生はこれまでの旅を思い出して言いました。
「色々な場所を巡ってきたけれどね」
「大阪は別格だよね」
「美味しいものに溢れていて」
「賑やかで楽しくて」
「飾りっけがなくて親しみやすくて」
「最高の街だよ」
「全くだよ」
 笑顔で言うのでした。
「本当にいいよ、野球も素敵なチームがあるしね」
「そうそう、阪神タイガース」
「実際は西宮のチームだけれど」
「大阪っていうと阪神」
「そうなっているからね」
「岡田彰信さんは大阪の人なんだ」
 現役時代は強打のセカンドで今は監督さんのこの人はというのです。
「玉造の方のね」
「そういえばそうだったね」
「あの人大阪で生まれ育ってね」
「完全に大阪の人だったわ」
「関西は慣れたのは大学の時位だったね」
「そうだったよ、それでね」
 そのうえでというのです。
「今も阪神の人なんだ」
「そうだね」
「前にも監督しておられて」
「またなってくれて」
「勝って勝って勝ちまくって」
「優勝に邁進しているね」
「そうなっているよ、だからね」
 それでというのです。
「これからも頑張って欲しいね」
「岡田監督にも阪神にも」
「今年もね」
「それで大阪にはそんな素敵なチームもあって」
「そうした意味でもいい街だね」
「そうだよ、そしてお笑いもあってね」
 先生は丁度なんばグランド花月の前を歩いています、看板にはこれまでの大阪の伝説のお笑いの人達が描かれています。
「いいね」
「そのお笑いだよね」
「お笑いの街でもあるからね」
「泣いている人も笑う」
「そうなれる街だね」
「そう、泣いている人を笑わせられる」
 先生は笑顔で言いました。
「それが本物のお笑いだよ」
「全くよ」
「お笑いはそうあるべきだよ」
「何といってもね」
「それが本物のお笑いで」
「大阪のお笑いはずっとそうであって欲しいよ」
「だから最近のテレビは残念だよ」
 先生は本当に残念そうに言いました。
「僕はね」
「面白くないからね」
「バラエティ番組のそれは」
「ただ放送枠を埋めるだけで」
「出てる人もメジャーになりたいだけで」
「ネタ言っても目が笑ってないから」
「それじゃあ駄目だよ」 
 全くというのです。
「だからユーチューブの方にだよ」
「皆いくね」
「そっちを観ていくね」
「そうなってるね本当に」
「テレビを消して」
「だって面白くないと観ないからね」
 そもそもというのです。
「ユーチューブでは必死だよ」
「お笑いを勉強して」
「そして全力で笑わせる」
「その気概があるね」
「インターネットでは」
「そういうことだよ、それで春琴さんもね」
 この人もというのです。
「やっぱりね」
「ユーチューブでも活動していて」
「そっちでも頑張ってるね」
「そちらでも落語して」
「そのうえで」
「そうだよ、お笑いは笑わせる」
 その気持ちがという先生でした。
「そう思ってやって自分もね」
「面白いと思う」
「そう思うことだね」
「お笑いで大事なのは」
「そうなんだ、頭の回転と知識が」
 その両方がというのです。
「求められるね」
「高度なものだね」
「その実は」
「簡単にはね」
「出来ないね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「お笑いはね、じゃあ今からね」
「うん、お笑い観ようね」
「新喜劇をね」
「そうしましょう」
「テレビは駄目でも舞台は違うからね」 
 こちらはというのです。
「ああした放送枠埋めるだけじゃなくて」
「面白くないと駄目」
「笑ってもらわないと」
「そう思ってやってるから」
「面白いよね」
「そのお笑いを観ようね」 
 こう言ってでした。
 皆で新喜劇を観て心から楽しみました、そしてお家に帰ってから皆でお話しました。
「最高だったね」
「いやあ、笑い転げて大変だったよ」
「皆でね」
 チープサイドの家族がお話します。
「次から次に笑えて」
「腹筋が痛くなりそうよ」
「お決まりのお笑いっていうけれど」
 それでもと言うトートーでした。
「ツボを押さえていてよかったね」
「そのツボを全力でやるから」
 ポリネシアはそれでと言いました。
「面白いのよね」
「それも身体張ってるから」
 ダブダブはこのことを指摘しました。
「余計にいいのよね」
「全てをお笑いに賭ける」
「お笑いはそうでないと駄目だね」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「しかも目が笑う」
「自分自身が面白いと思うことをやる」
「どんな人も笑ってもらう」
 チーチーは言いました。
「その気概を忘れないことだね」
「新喜劇にはそれがあるから」 
 ホワイティは思いました。
「面白いんだね」
「お笑いも戦いかな」
 こう思ったのはガブガブでした。
「ある意味ね」
「そうかも知れないね」
 老馬はガブガブの言葉に頷きました。
「その実は」
「そう思うとやる方も大変だよ」 
 ジップはこう思いました。
「軽いものじゃないね」
「そうだよ、お笑いは戦うお仕事でもあるとね」
 先生も皆に言います。
「僕も思う時があるよ」
「そうだよね」
「決して軽いものじゃないね」
「それをやる人も」
「常に全力でしないとね」
「駄目だよ、だからテレビのお笑いは駄目になっていて」
 そしてというのです。
「舞台やユーチューブの方にだよ」
「本物のお笑いがある」
「そうなっているのね」
「今の日本は」
「そうした状況なんだ」
「そうだよ、いい状況かっていうと」
 それはというのです。
「やっぱりね」
「そうは言えないね」
「どうにも」
「こんなことだとね」
「テレビはどんどん誰も観なくなるね」
「他の番組も酷いしね」
 バラエティ以外もというのです。
「もうテレビに出るはステータスかっていうと」
「そうでもなくなって」
「余計に駄目ね」
「そう言えるね」
「現状は」
「そうだよ」
 本当にというのです。
「そこまでテレビは面白くなくなっていてね」
「観る人がいなくなっている」
「そうなっているとね」
「もうテレビに出ても」
「ステータスにはならないわ」
「そうなっているからね」 
 先生はぼやきつつ言いました。
「テレビに出なくてもね」
「けれどですよね」
 お茶を出してきたトミーが言ってきました。
「まだテレビがいいっていう人いますね」
「いるよ」
 先生も否定しません。
「芸人さんの中にはね」
「そうですよね」
「ギャラもあるけれど」
 それでもというのです。
「やっぱりまだね」
「ステータスと思っていて」
「それでなんだ」
「そうした人がいますね」
「そうなんだ、けれどね」
「そうした人はですね」
「笑わせようじゃなくて」
 そうではなくてというのです。
「お笑いで地位やお金を得る」
「そう考えていますね」
「だからテレビに出られて」
 そしてというのです。
「有名になって」
「芸能界で地位を手に入れて」
「お金が欲しい人はね」
「テレビに出たがるんですね」
「そうした傾向があるかもね」
「そうなんですね」
「それで大阪だとね」 
 お笑いの街ならというのです。
「北新地かな」
「あそこですか」
「あそこで豪遊したいとか」
「考えているんですね」
「まあテレビ局は東京に集中しているから」
 先生は考えつつ言いました。
「銀座とかね」
「そうしたところで豪遊したいですね」
「そんなことしかね」
「考えていないですか」
「そうかもね、まあ学校の名前を芸名に入れた」
 先生はこれまでで最もどうかというお顔でトミーにお話しました。
「大阪出身でアニメでお巡りさんの声をした」
「ああ、あの人ですね」
「あの人までになったら」
「どうにもならないですね」
「もうあそこまで酷いとね」
 それこそというのです。
「お笑いでも何でもないよ」
「そうなりますか」
「あの人は元だよ」 
 現役でなくて、というのです。
「最早ね」
「お笑い芸人じゃないですか」
「だって面白いことを言うどころか」
 そうでなくてというのです。
「流言飛語を言い回ってる」
「そんな人ですね」
「何か北新地でね」 
 先程お話に出たあの場所でというのです。
「物凄く尊大に言ってるそうだし」
「お店の中で」
「そうみたいだよ」
「そんなに偉そうなんですか」
「理屈ばかりでお店の人にも頭ごなしに言って」
 そうしてとです、先生はトミーが出してくれたお茶を飲みながらそのうえでお話をしていくのでした。
「酷いらしいよ」
「お笑いはやっぱり」
「輿が低くないとね」
「その尊大さが出て」
「よくないね」
「そうですよね」
「横山やすしさんだってね」
 この人もというのです。
「確かに破天荒で」
「物凄かったよね」
「逸話聞いていたら」
「お酒に暴れてで」
「無頼だったね」
「そんな人だったけれど」
 皆にお話します。
「目は温かくてお笑いはね」
「忘れなかったんだね」
「その人と違って」
「そうだったんだね」
「そうだよ、けれどその人はね」 
 先生が元と言ったその人はというのです。
「面白い面白くない以前だよ」
「流言飛語ばかり言って」
「お笑いを忘れた」
「そんな人なのね」
「あれじゃあ運動家だよ」
 そう言っていいというのです。
「本当にね」
「日本で一番酷い人達だね」
「沖縄の基地の前にいて」
「平日のお昼でもデモをしている」
「どうして生活しているかわからない人達ね」
「あの人はギャラを貰ってるけれど」
 そうして生計を立てているというのです。
「けれどね」
「それでもだよね」
「その主張がそのまま運動家で」
「行動もだね」
「そうなっているね」
「やすしさんとあの人の人相を比較すればわかるよ」
 そうすればというのです。
「全く違うね」
「正直やすしさんの人相悪くないね」
「目が温かいこともあるけれど」
「それに対してあの人はね」
「何か嫌そうだね」
「お笑いであんな人相だとね」
 それこそというのです。
「問題外だよ」
「そういえばテレビに出ているお笑いの人も」
「目が笑っていない人はそうだね」
「人相よくないね」
「よく見たら」
「ああなるんだよ」
 本当にというのです。
「人相はね」
「そうだよね」
「人間ああなると駄目ね」
「お笑い以前に」
「そうなると」
「そうだよ、ふんぞり返って偉そうにお説教して」
 その人の様にというのです。
「何が面白いのか」
「そうだね」
「しかも流言飛語まで言って」
「それでどうしてお笑いか」
「成り立たないね」
「あの人は感染症の患者さんが増えてオリンピックが中止になるって喜んでいたこともあったけれど」
 尚オリンピックは開催されました、無事に。
「自分の出来事はネタにしてもね」
「そんなことを喜ぶとかね」
「お笑いにならないし」
「そもそも人間として最低の行為で」
「絶対に駄目だね」
「うん、ネットで物凄く批判されていて」
 そしてというのです。
「嫌われてるけれどね」
「それも当然だね」
「そうなることも」
「面白い面白くない以前で」
「人として最低だから」
「ああした人が出ていることもね」
 このこともというのです。
「今の日本のテレビの問題かな」
「そうだよね」
「クレーム殺到しそうだけれどね」
「そんな風だと」
「もうね」
「幾ら大御所になっていても」
 そう言われる立場にというのです。
「ああなるとね」
「どうにもならないね」
「まさに反面教師ね」
「お笑い以前に人間として」
「そうなっているね」
「そうだよ、偉そうにしていて流言飛語を言い回って」
 そしてというのです。
「大勢の人が困っていることから自分がそうなって欲しいことが起こると喜ぶとかね」
「もうおしまいだね」
「人間として」
「そう言ってよくて」
「一度自分を見詰めなおすべきね」
「お笑いは常に自分の芸もね」
 それをというのです。
「振り返って本当に面白いか」
「それをだね」
「確かめてやっていかないと」
「さもないとだね」
「よくならないね」
「この人が自分を振り返っているか」
 今お話している人がというのです。
「果たしてね」
「そんな筈ないね」
「もうね」
「どう考えても」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「自分のお笑いが笑えるかそうでないか」
「常に振り返って」
「全力でやって」
「自分も笑えないと」
「面白くないね」
「そうだね」
「ましてや人の不幸を喜ぶなんてね」
 そうしたことはというのです。
「お笑いではないよ」
「だからあの人は駄目なんだね」
「インターネットでもずっと叩かれているんだね」
「そうなのね」
「そうだよ、アニメでお巡りさんの声をあててたけれど」
 それでもという先生でした。
「今じゃお巡りさんが泣いてるよ」
「こんな人が自分の声をあててたって」
「そう思ってだよね」
「泣いてるよね」
「もうね」
「そうだよ、例え創作上の登場人物でもね」
 それでもというのです。
「泣かせる様なことはしたら駄目だよ」
「全くだね」
「そんな風になったら駄目だね」
「もうね」
「何があっても」
「うん、そうしたこともね」 
 まさにと言う先生でした。
「大事だよ」
「先生の言う通りだね」
「お笑いもまた厳しい道だね」
「そしてその中で色々守らないといけないことがあって」
「意識しなければならないこともあるわね」
「そうだよ」
 皆に心から言うのでした。
「僕もそう思うよ」
「そういえばです」
 またトミーが言ってきました。
「先生がこの前お会いしたロンドン出身の女性の落語家さんの」
「春琴さんだね」
「あの人今人気が出ているそうですよ」
 先生に笑顔でお話します。
「何でも」
「そうなんだね」
「はい、ただ落語よりも」
 そちらよりもというのです。
「グラビアの方で」
「ああ、奇麗な人だからね」
 先生もそれはと頷きます。
「若くて奇麗な人だとね」
「それで芸能界にいますと」
「グラビアのお仕事もね」
 落語家であってもというのです。
「やっぱりね」
「ありますね」
「そうだよ」
 こうお話するのでした。
「それは避けられないね」
「そうですね」
「これもお仕事でギャラが出て」
 そうなってというのです。
「しかも人気にもね」
「つながりますね」
「そうだよ、それで春琴さんもだね」
「何か水着になりまして」
 そうしてというのです。
「写真集もです」
「出るんだね」
「そうみたいですよ」
「それはいいことだね」
 先生は笑顔で言いました。
「やっぱり注目されることはね」
「いいことですね」
「芸能界ではね、そのうえでね」
「落語もですね」
「頑張ってくれたらね」
 そうしてくれたらというのです。
「最高だよ」
「落語の勉強と動画配信も頑張っておられるそうで」
「それは何よりだね」
「全くですね」
「これからも頑張って欲しいよ」
 先生は笑顔で言ってでした。
 王子も来て皆で晩ご飯を食べます、この日は蛸のお刺身と鱧のお吸いものそれにお野菜の和えものといったメニューですが。
 先生はお吸いものの中の鱧を食べつつこんなことを言いました。
「東京の方では鱧は食べないんだよね」
「あっ、そうなんだ」
 一緒に食べている王子もそれはとなりました。
「あっちじゃそうなんだ」
「うん、あと昆布もね」 
 こちらもというのです。
「だしに取らないんだ」
「何処でも鱧を食べるって思っていたよ、僕は」
「東京でもだね」
「うん、食べるってね」
 その様にというのです。
「思っていたけれど」
「それがなんだ」
「あっちじゃだね」
「鱧は食べないんだ」
「それで昆布もだしに取らないんだね」
「そうだよ」
「こんなに美味しいのに」
 お吸いものも飲みつつです、王子は心から思いました。
「そうなんだね」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「そうしたことを覚えておくこともね」
「大事だね」
「日本の食文化を学ぶにあたってね」
「大事だね」
「それで日本のお料理は江戸時代にかなり形成されたんだ」
 この時代にというのです。
「今の和食の原型はね」
「江戸時代になんだ」
「かなり形成されたんだ」
「そうなんだね」
「そして落語も江戸時代に形成されたから」
 そうなったからというのです。
「落語にも江戸時代の食事が出るんだ」
「そうなるんだね」
「東京の方で目黒の秋刀魚のお話があるけれど」
「江戸時代に秋刀魚を食べていて」
「そこからだよ」
「成程ね」
「東西の食文化の違いはね」
 それはというのです。
「しっかりとね」
「落語にも出ているんだね」
「そうだよ」
「何かです」
 トミーは蛸のお刺身を食べながら先生に言ってきました。
「あちらのお話が武士の人がよく出ますね」
「江戸の落語ではだね」
「はい、それがこっちだと」
「あまり出ないね」
「そんな気がします」
「それは当然だよ」
 先生はトミーにも答えました。
「江戸、昔の東京は人口の半分がお侍だったからね」
「武士の人達ですね」
「そうだったからね」
 そうした人口配分だったからだというのです。
「落語にもだよ」
「武士の人達がよく出て来るんですね」
「そうなんだ」
「成程、そういうことですか」
「逆に大坂はお侍さんが少なくて」
 そうした街でというのです。
「五十万いても数百人位しかね」
「武士の人達がいなかったんですか」
「東西の奉行所と」
「あれっ、奉行所は」 
 トミーはそちらもと言いました。
「確か」
「ああ、江戸は南北でね」
 先生はすぐにそちらのお話もしました。
「大坂と京都は東西だったんだ」
「そうだったんですか」
「それでその東西の奉行所と」
 そしてというのです。
「大坂城代と周りの人達が大坂にいて」
「そうしてですか」
「それにそれぞれの藩で詰めている人位で」
「合わせて数百人ですか」
「それ位だったんだ」
「五十万のうちの数百人ですか」
「圧倒的に少なくてね」 
 大坂のお侍の人達はというのです。
「それでなんだ」
「落語でもですか」
「上方落語ではお侍の人達はあまり出ないんだ」
「そういうことですか」
「何しろ大坂じゃ一生お侍さんを見たことがない人がいたんだ」
「そこまで町人の人が多かったんですね」
「ほら、織田作さんの作品も」
 今は幽霊になって大阪の街で楽しく暮らしているこの人もというのです。
「町人の人達ばかり出るね」
「ああ、そうだね」
「当時の大阪のね」
「庶民と言っていい人達ばかりで」
「お侍さんみたいな人達は出ないね」
「そうよね」
「同じ大阪でも司馬遼太郎さんは歴史を書いているから」
 それでとです、動物の皆に先生は今度はお野菜の和え物を食べつつお話します。そこには細かく刻んだ昆布も入っています。
「お侍さんも出るけれどね」
「まあ歴史ものだとね」
「やっぱりそうなるね」
「あの人が書いていたのは歴史ものだから」
「どうしてもそうなるね」
「けれどね」
 それでもというのです。
「大坂はそうした街でね」
「お侍さんが凄く少なくて」
「落語にも出ない」
「そうなんだね」
「そうなんだ、そして食文化も違うんだよ」 
 改めてこちらのお話もしました。
「大坂と江戸はね」
「何かね」
 その食文化の違いについてです、ダブダブは言いました。
「おうどんのおつゆが違うのよね」
「あっちのおつゆ辛いんだよね」 
 食いしん坊のガブガブが応えました。
「真っ黒でね」
「いや、墨汁みたいとは聞いていたけれど」
 ホワイティも言います。
「本当に黒かったね」
「薄口醤油じゃなくて」
「あちらのお醤油でね」
 チープサイドの家族はそちらのお話をしました。
「黒くてね」
「味も辛いのよね」
「それで昆布も使っていないなら」
 それならと言う老馬でした。
「おつゆの味が違うのも当然だよ」
「そうよね、あんなおつゆでいいのかって」
 かなり本気で、でした。ポリネシアは言いました。
「思ったわね」
「おうどんがああだと」
 しみじみと言うジップでした。
「他も違うのかもって自然に思えるけれど」
「実際に違うんだよね」
 チーチーも言いました。
「これが」
「おうどんの麺の具合も違っていて」
 トートーはさらに言いました。
「かけうどんだとお葱も入っていなかったりするし」
「油揚げもあまり使わないね」
「こっちはきつねうどんの本場だけれど」
 オシツオサレツはそちらのお話をしました。
「むしろおうどんじゃなくてね」
「おそばって感じだね」
「そうだよ、あっちはお蕎麦だよ」
 実際にとです、先生は皆に答えました。
「江戸つまり東京だとね」
「やっぱりそうだね」
「それもお蕎麦は噛まない」
「喉越しを味わって」
「量も少ないね」
「主食じゃなくて軽食だからね」
 お蕎麦はというのです。
「量も少なくてね、あと噛まないのも」
「おつゆが辛い」
「そのせいね」
「だからだね」
「それと職人さん達は食べてすぐにまた働いたから」
 そうした風だったからだというのです。
「噛まずにすぐにね」
「飲み込む」
「それでお腹に入れる」
「そうしていたんだ」
「あとお風呂の入り方もかな」
 こちらのこともお話する先生でした。
「熱いお湯にさっと入るのもね」
「あちらだよね」
「江戸、東京だね」
「よく言われるね」
「それもかな」
 こう言うのでした。
「すぐにというね」
「成程ね」
「同じ日本でも随分違うね」
「食文化にしても」
「人口配分にしてよ」
「そうだよ、いやこうしたことを学ぶと」
 それならと言う先生でした。
「面白いよ」
「全くだね」
「日本の地域ごとの文化の違いも」
「そうしたことを学ぶこともね」
「楽しいね」
「そうだよ、だからね」
 それ故にというのです。
「落語一つ取ってもね」
「学問だね」
「日本を学べる」
「お笑いであって」
「そうでもあるんだね」
「そうだよ、だから僕も論文に書いているんだ」
 そうしているというのです。
「実際にね」
「そうだよね」
「もうそちらを書きはじめていたね」
「先生も」
「そうだね」
「それも楽しくてね」
 それでというのです。
「今回もうきうきとしてね」
「書いているんだね」
「先生は」
「落語の論文を」
「そうだよ、とても奥が深いよ」
 落語はというのです。
「日本の底知れぬ魅力の一つだね」
「先生どんどん日本人になっていってるね」 
 王子は白いご飯をお箸を上手に使って食べている先生に笑顔で言いました。
「そうだね」
「自覚しているよ」
「頭の中で使っている言語も」
「もう殆ど日本語だよ」
「そうだね」
「ただ切り替えられるよ」
 それは可能だというのです。
「英語にもね」
「そうなんだね」
「フランス語もスペイン語もドイツ語もね」
「それで中国語もだね」
「アラビア語だってね、けれどね」
「今はメインで思考に使っている言語は日本語だね」
「平仮名と片仮名と漢字をね」
「日本語の文法で使って」
「考えているんだ、そうすると落語もだよ」
 この文化もというのです。
「わかりやすいし和歌だってね」
「わかりやすいんだ」
「和歌も独特だね」
「先生前和歌も謡ったね」 
 王子はここでこのことを思い出しました。
「そうだったね」
「その和歌もだね」
「日本語で考えるとね」
 そうすればというのです。
「わかりやすいんだ」
「そうなんだね」
「和歌も独特だからね」
「詩としてね」
「短い中に」
「五七五七七の中に」
「全てを入れて」
 自分が詠いたいものをというのです。
「詠うけれど」
「それがね」
「日本語で考えると」
「詠いやすいね」
「うん、そうすればね」
 源氏物語で考えると、というのです。
「僕も出来たよ」
「いや、何かね」
「日本語が独特過ぎて」
「落語も和歌もわかりにくいけれど」
「日本語で考えると」
「わかるんだね」
「日本人でもわからないって人もいるけれどね」
 それでもと言う先生でした、皆にお話します。
「けれどね」
「先生としてはだね」
「そうしたこともだね」
「日本語で考えるとわかる」
「そうなのね」
「うん、その国の文学や文化はその国の言語で考えると」
 そうすればというのです。
「わかったりするよ」
「その国の言語を知る」
「そのことも大事なのね」
「その国を知るには」
「頭ごなしに駄目だ劣っているとか決め付けることはね」
 そうしたことはというのです。
「絶対にだよ」
「よくないね」
「それは」
「本当に」
「やっては駄目なことね」
「そうしたらまともな学問も出来ないからね」
 だからだというのです。
「こうしたことはね」
「したら駄目で」
「絶対にしない」
「そう務めることだね」
「しかし日本語って独特過ぎて」
 トミーは少し苦笑いになって言いました。
「僕は最初戸惑いました」
「僕は然程ね」
「そんなにですね」
「そうした言語だって聞いていたから」
「そのまま学べましたね」
「うん、学ぶとどんどん頭に入って」
 そうなってというのです。
「覚えられたよ」
「それで使える様になりましたね」
「そうだよ、いや言語を学ぶことが好きでね」
 先生はあらゆる学問の中で言語学が特に好きなものの一つです、だから動物の皆からもそれぞれの言葉を教えてもらって使えるのです。
「よかったよ」
「お好きならですね」
「どんどん学んでね」
 そうなってというのです。
「それでね」
「使えますね」
「そうなんだ」
「それはいいですね」
「僕もそう思ってるよ、それで後でまた論文を書くけれど」
 それでもと言う先生でした。
「今日はお酒はね」
「いいですか」
「論文が一段落してね」
「それからですか」
「飲ませてもらうよ」
「そうですか」
「それまではね」
 トミーに微笑んでお話します。
「遠慮させてもらうよ」
「わかりました、じゃあ今は出さないです」
「そうしてくれると嬉しいよ」
「それで何を飲まれますか?」
「日本酒にするよ」
 そちらだというのです。
「もうお風呂も入ったしね」
「晩ご飯を食べてですね」
「論文が一段落したらね」
 そうしたらというのです。
「それでね」
「お酒ですね」
「そうさせてもらうよ」
「実はするめがありまして」
 トミーはおつまみのお話をしました。
「如何でしょうか」
「あっ、いいね」
 先生はそのおつまみに笑顔になりました。
「それじゃあね」
「おつまみはするめですね」
「あれはとてもいいよね」
「おつまみに最適ですね」
「日本酒にもね」
「そうですよね」
「烏賊を食べるなんて」
 それこそというのです。
「イギリスではね」
「なかったですからね」
「まず烏賊を食べること自体がね」
「そもそもなかったですし」
「干物にするなんて」
 その烏賊をというのです。
「とてもね」
「考えられなかったです」
「そうだね、けれどね」
「それでもですね」
「ここは日本でね」
「烏賊も普通に食べられます」
「だからね」 
 トミーに温和な笑顔で言いました。
「寝る前にね」
「日本酒とするめで、ですね」
「楽しむよ」
「それじゃあ用意しておきますね」
「お願いするね」
 笑顔でこうお話してでした。
 先生は食後に論文を書いてそれからでした。
 お酒も楽しみました、そうしてからこの日もよく寝ました。








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