『ドリトル先生の落語』




               第五幕  イギリス人で女性で

 先生は自分が買った落語の専門書を読み終わって自宅で動物の皆に意を決した笑顔でお話しました。
「次の次の論文は落語にするよ」
「それに決めたんだね」
「そうなのね」
「決まりかけていたけれど」
「それで決めたんだね」
「そうだよ、やっぱり奥が深くて面白くてね」
 皆に笑顔でお話します。
「笑える文化だから」
「それでだね」
「落語にするんだね」
「そう決めたんだね」
「先生としては」
「そうだよ、そしてね」
 そのうえでというのです。
「これから落語の本を読んでいくよ」
「論文を書く為に」
「そうしていくんだね」
「落語の本をどんどん読んで」
「それで書くんだね」
「そうするよ、ただ僕が学ぶ落語はね」 
 先生はそちらのお話もしました。
「やっぱり上方落語だね」
「そちらだね」
「そちらの落語にするんだね」
「東京の方じゃなくて」
「そちらになのね」
「そうなんだ、僕は日本人としては関西人になるね」
 皆にこうも言いました。
「そうだね」
「関西に住んでるからね」
「神戸にね」
「それじゃあそうなるね」
「先生は関西人よ」
「僕達だってね」
「そう、関西人だしどうもあちらの落語はね」
 東京の方のというのです。
「悪くはないけれど」
「第一は関西」
「こっちのものね」
「そうなるんだね」
「そうなるからね」
 だからだというのです。
「もうね」
「上方の落語を学んで」
「そして論文にする」
「そうするのね」
「そうするよ」
 実際にという返事でした。
「次の次の論文ではね」
「それじゃあ頑張ってね」
「先生の学問なら応援するわ」
「何しろ先生は生粋の学者さんだからね」
「学問なら何でも楽しくやっていく」
「そうした人だからね」
「ではね」 
 先生も笑顔で応えてでした。
 自宅でも落語を聞きます、するとです。
 一緒に聞いていたトミーが晩ご飯の時にハンバーグとトマトとモツァレラチーズそれに胡瓜とセロリのサラダにお漬けものと茸のお味噌汁に白いご飯を食べながら先生に言いました。
「最近先生お笑いのお話をされますが」
「うん、それで落語の論文も書くことにしたよ」
「それでなんですが」
 お箸を使いつつ言うのでした。
「実は大阪でイギリス人の落語家さんがおられるそうですよ」
「へえ、そうなんだ」
「しかも若い女の人だそうです」
「イギリス人で若い女性の落語家さんだね」
「珍しいですね」
「最近女性の落語家さんもおられるけど」
 それがと言う先生でした。
「けれどね」
「それがですね」
「外国の人となるとね」
「かなり珍しいですね」
「日本語は難しいからね」  
 先生はお箸でハンバーグを食べつつ答えました。
「やっぱり」
「何といってもですよね」
「うん、このことは否定出来ないよ」
「そうですよね」
「日本人は外国語を学ぶことに苦労するけれど」
「それは日本語に親しみ過ぎているからですね」
「文法も文字もね」
 こういったものがというのです。
「何もかもがね」
「他の言語と違いますね」
「文字が三種類もあるとか」
 そうしたというのです。
「言語はね」
「他にはないですよね」
「しかも文法があまりにも独特で」
 このこともあってというのです。
「この言葉を使っていると」
「他の言語と違い過ぎて」
「学ぶにあたってね」
「苦労しますね」
「あまりにも難しい言語を使っていると」 
 そうしていると、というのです。
「他の言語をね」
「学びにくくなりますね」
「そうなるから」
 だからだというのです。
「日本人は他の言語を学ぶことに苦労しているんだ」
「例えば英語ですと」 
 トミーは言いました。
「欧州の言語はラテン語が元で」
「そうだね」
「ラテン語を覚えますと」
「そうだよ、英語も学びやすくてね」
「他の欧州の言語もですよね」
「特にイタリア語やスペイン語、フランス語はね」
 こうした言語はというのです。
「わかるよ」
「ラテン語を覚えますと」
「全部ラテン系の言語だからね」
「それだけに」
「そこにポルトガル語も入るね」 
 この言語もというのです。
「ラテン語を覚えたらこうした言語は全部大体わかるよ」
「本当にそうですね」
「だからイタリア人がスペインとか中南米に行ってもね」
 スペイン語を話す国々にというのです。
「結構普通にね」
「話せますね」
「そしてフランスに行ってもね」
「同じですよね」
「そうなんだよ、あと中国語は漢字だけれど」
 文字はそうでもというのです。
「文法は同じだからね」
「学びやすいですよね」
「中国人から見ても欧州の言語はそうで」
「欧州の人達から見ても」
「中国語は学びやすいよ、けれどね」
 それがというのです。
「他の国の人が日本語を学ぶとなると」
「悪魔の言語って言う人いるけれど」
 老馬は真顔で言いました。
「まさにそうだからね」
「先生も覚えてお話するのに苦労したしね」
 ジップも言いました。
「他の言語よりも」
「色々な言語を話せて書けても」
 先生はと言うトートーでした。
「それでもだからね」
「僕達の言葉もわかって喋られるのに」
 それはと言うガブガブでした。
「日本語には苦労したね」
「何でこんな文法になったのかしら」
 ダブダブは首を傾げさせました。
「不思議よね」
「文字は三種類だしね」
「平仮名、片仮名、漢字で」
 チープサイドの家族は日本語の文字のお話をしました。
「アルファベットが出る時もあるし」
「多過ぎるよね」
「言語は呪文とか暗号だと言う人がいるけれど」
 ホワイティはこう言いました。
「日本語は実際にそうだよね」
「もう言語の難しさを追い求めたんじゃないかしら」
 ポリネシアは結構本気で思いました。
「その域よね」
「英語の方がずっと簡単だよ」
 チーチーは断言しました。
「お話することも書くこともね」
「先生が苦労したのも当然だね」
「全くだね」
 オシツオサレツは二つの頭で思って言いました。
「こんなに難しいから」
「僕達だって今も実感してるよ」
「その日本語を覚えて喋るだけでも大変なんだよ」
 先生は一緒に食べている皆にお話しました。
「それで落語となるとね」
「その日本語を駆使する」
「それも縦横無尽に」
「そうして人を笑わせる」
「そんなお仕事だからね」
「日本人でも難しいのに」
 それがというのです。
「日本語に生まれた時から親しんでいない人だとね」
「物凄く難しいね」
「一体どんな人かしら」
「興味持つよね」
「どうしても」
「僕達としてはね」
 先生はまさにと答えました。
「そうなるね」
「全くだね」
「いや、普通にね」
「僕達としたら」
「イギリス生まれとしては」
「イギリス人が落語をしているとなると」
 まさにというのです。
「そうなるね」
「そういえば」 
 王子はサラダを食べながら言いました。
「あの新聞記者が主人公の料理漫画でも」
「ああ、アメリカ人の落語家さんが出ていたね」
「時々」
「あの漫画は何もかもがおかしいからね」
「気にしなくていいですか」
「言ってること、肝心の食べもののことでもおかしなことばかりで」
 それでとです、先生はトミーに答えました。
「それにね」
「さらにですね」
「政治的主張が多くて」
「その主張もおかしいですね」
「そしてキャラクターもね」
 作品に出ている、というのです。
「おかしい人ばかりだし」
「本当に何もかもがおかしいので」
「もう読むとね」 
 それこそというのです。
「鵜呑みにしたらこっちもね」
「おかしくなりますね」
「そうなるから」
「読まない方がよくて」
「気にすることもね」
 そうすることすらというのです。
「よくないよ」
「そういうことですね」
「あんな人に悪影響を与える作品はないから」
 こうも言う先生でした。
「読まない方がいいよ、お店のお料理が口に合わないからお店の中で騒ぐのが普通なんて」
「マナーがなっていないですね」
「お店で化学調味料を使っていても」
 お料理にです。
「喚き散らしたらね」
「立派な営業妨害ですね」
「こんなのをユーチューブの動画であげたら」
「炎上ですね」
「馬鹿な人がお店で悪戯して動画にあげて」
「それで大騒動になっていますね」
「こうした行為とどう違うのか」
 それこそというのです。
「一体」
「ほぼ同じですね」
「新聞記者はヤクザ屋さんか」
「それか馬鹿な子供か」
「そんなレベルだよ」
「そういえばあの作品そんなキャラクターばかりですね」
 トミーは思い出した様に言いました。
「野蛮で短気で無教養な」
「そんな人ばかりだね」
「ああした人達が正しいなんて」
「こんなおかしな世界はないね」
「そうですよね」
「日本の漫画は素晴らしい作品が星の数程あるけれど」
 それでもという先生でした。
「その中にはね」
「そんなおかしな作品もある」
「そうだよ、漫画の中でも下の下の下以下の」
「最低と言っても足りないですね」
「そんな酷い作品だよ」
 まさにというのです。
「あの作品はね」
「だから読むべきじゃない」
「そして語ることもあまりね」
「お勧め出来ないですね」
「そうだよ、それでこの作品のお話はこれで終わりにして」
 それでという先生でした。
「あらためて言うけれど」
「イギリス人の落語家さんとは」
「凄いよ、しかしその人が本気で笑わせようとしているなら」
 それならという先生でした。
「応援したいね」
「そうですね、同じイギリス生まれとして」
「そうだね、そういえば英語の落語ってどうかな」
 先生はふと思って言いました。
「面白いかな」
「いいかもね」
「落語って面白いしね」
「実際にね」
「そうだからね」
「やるべきだよね」
「本当に」
「成功するかどうかわからないけれど」 
 それでもという先生でした。
「やってみるといいね」
「何でもチャレンジ」
「やってみることだよね」
「失敗してもそれが何かにつながるから」
「だからね」
「やらないで後悔するよりやって後悔する」
 先生委は笑って言いました。
「そうだね」
「当たって砕けろだね」
「まさに」
「そこから得られるものもあるし」
「無駄にならないしね」
「チャレンジは無駄にならないよ」
 全くというのです。
「全力でやると特にね」
「そうだね」
「じゃあ英語の落語もいいね」
「日本語以外でしても」
「無駄でないね」
「失敗しても」
「うん、ただ正座はね」 
 先生はこちらのことは苦笑いになって言いました。
「どうもね」
「僕達苦手ですしね」
 それでとです、トミーは白いご飯を食べながら先生に応えました。
「正座は」
「うん、どうしてもあれはね」
「苦労しますよね」
「慣れないとね」
「どうしても」
「イギリス人は絶対に苦労するよ」
 正座にはというのです。
「あの座り方は実は中国にはじまるけれど」
「今中国でもないですよね」
「普通に椅子に座っているね」
「そうですよね」
「そうなっているから」
 だからだというのです。
「正座をしている国は今では」
「日本だけでしょうか」
「他の国では見られないと思うよ」
 今ではというのです。
「よくあんな足が痺れる座り方があるものだってね」
「思いますよね」
「本当に体罰にもなる筈だよ」
「足が痺れるので」
「いじめや虐待にもね」
 こうした酷い行いにもというのです。
「使えるしね」
「そう言うと危険な座り方でもありますね」
「そうだね、しかしそれをよしとする先生がいることも」
 このこともというのです。
「日本の学校の問題点だよ」
「全く以てその通りですね」
「いい鉄は釘にはならなくて」
「いい人は先生にならない」
「それが日本の現状だからね」
「学校の」
「特に公立はね」
 こちらの学校はというのです。
「よくないことだよ」
「全くですね」
「こんな状況は一刻も早く改善すべきだよ」
「体罰を行う先生は」
「正座についても悪い印象を持たれるしね」
 この座り方についてもというのです。
「本来は日本のマナーのね」
「礼儀正しい座り方ですね」
「そうなんだよ」 
 本来はというのです。
「僕達が苦手でもね」
「そうした座り方で」
「いいものなんだ」
「それを体罰に用いることは」
「前にも言ったけれどね」
「よくないですね」
「ましてや生徒にさせて自分はしないとなると」
 それはというのです。
「全く以て言語道断だよ」
「先生としてやってはいけないことですね」
「生徒の人達に丸坊主を強制するなら」
「自分もしないとですね」
「駄目だしね」
「自分の指導に問題があったということですしね」
「丸坊主にするだけのね」
 そこまでのというのです。
「仮にも先生ならね」
「クラスの担任でも部活の顧問でも」
「どちらでもね」
「先生ならそうですね」
「それを無視していてもわかっていなくても」 
 どちらでもというのです。
「そこで自分も丸坊主にしない先生はね」
「言語道断で」
「こんな先生のところにいていいことは何一つないよ」
「人にものを教える資格もないですか」
「ある筈がないよ」
 絶対にという言葉でした。
「もうね」
「やっぱりそうですね」
「昔の教育と今の教育は違うから」
 だからだというのです。
「そもそも暴力を振るうことは」
「如何なる理由があってもしてはいけない」
「誰にもね」
「人にも生きものにも」
「等しくね」
「そのことがわかっていない先生は」
「本当に辞めさせていってね」
 そうしてというのです。
「代わりにまともな人にだよ」
「先生になってもらうべきですね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「本当にね」
「生徒の人達の為にも」
「ここでは正座のこともね」
 このことについてもというのです。
「悪い印象を持たれるから」
「すべきでないですね」
「そうだよ。しかし本当にその人には」 
 あらためて思う先生でした。
「興味があるね」
「イギリス人の落語家さんには」
「うん、本当にね」
 トミーにも言います。
「お会いしたいね」
「そうですか」
「そしてね」
 さらにというのでした。
「どうして落語をしているか」
「そして落語もですね」
「是非ね」
「お聞きしたいですね」
「そう思うよ」
「そうですね、機会があれば」
「是非ね、それでその人がどんな人か」
 先生はさらに言います。
「少し調べてみようか」
「そうされますか」
「うん、それじゃあ調べてみるね」
 自分のスマートフォンを出してです。
 そのうえで実際にでした、イギリス人の若い女性の落語家さんで検索してみる八条学園を経営している八条グループ所属の八条芸能という芸能事務所にその人がいました。
「ジェーン=オリビア落語家のお名前は春雨亭春琴さんだね」
「へえ、落語家のお名前はそうなんだ」
「春雨亭春琴さんね」
「奇麗なお前だね」
「春が二つも入ってるし」
「奇麗な感じの人だね」
 その波がかったブロンドの髪の毛を長く伸ばしてツンテールにして青い目と小さな赤い唇と細い眉の若くて楚々とした感じの二十代後半位の白人の女性の画像を見て言いました、ちゃんと着物も着ています。
「どうも」
「そうだね」
「如何にもイギリス人って感じ?」
「お洒落な感じもして」
「もてそうな人ね」
「そうだね、プロフィールにはロンドン生まれってあって」
 そちらも観て皆にお話します。
「背は一六〇センチだね」
「ふうん、そうなんだ」
「ロンドンの人なんだ」
「イギリスの首都の」
「そちらなんだ」
「そう、そしてね」 
 それでというのです。
「留学して八条大学に入って」
「あら、大学そこなんだ」
「じゃあ先生と縁があるね」
「先生も八条大学だし」
「医学部の教授さんだしね」
「そうなるね、しかし」
 さらに言う先生でした。
「本当に面白いね」
「イギリス人の女性が落語って」
「日本に留学してはあっても」
「落語をすることはね」
「それはいいことと思っても」
 戦死絵は皆にそれでもとお話しました。
「まさか本当にしている人がいるとはね」
「プロでね」
「大学の落語研究会ではあっても」
「それでもね」
「実際にあるなんてね」
「面白いよね」
「世の中広いよ、じゃあ今度はこの人の落語を聞こうか」
 こう言ってでした。
 先生はユーチューブの動画にあるその人の落語を聞いてみました、ちゃんと落語家の着物を着て座布団の上で正座をしてです。
 お辞儀をして丁寧に行うそれはといいますと。
「これは中々」
「上手だね」
「関西弁が流暢で」
「間の取り方もわかってて」
「いや、どうなのかって思ったら」
「いいね」
「おうどんの落語だけれど」
 お話していたのはそれでした。
「食べ方の仕草もね」
「いいよね」
「ちゃんとそれになっていて」
「風味やコシのお話もしていて」
「おつゆのお話なんてね」
「大坂のおうどんのお話だってね」
「とてもいいよ、これはね」
 まさにという先生でした。
「見事だよ」
「全く以てね」
「いや、上方の落語だよ」
「正座もちゃんとしてて」
「身振りも落語家さんでね」
「よく勉強しているよ、特に関西弁がね」
 それがというのです。
「日本の大阪の人達とね」
「変わらないね」
「大阪の人がお話してる感じよ」
「どう聞いてもね」
「本当にね」
「僕よりも上手じゃないかな」 
 こうまで言う先生でした。
「関西弁は」
「先生喋るの標準語だしね」
「普段関西弁喋ってないからね」
「そうだしね」
「言葉の訛りは関西弁になってるけれど」
 それでもというのです。
「喋るのは標準語だね」
「そうだよね」
「先生は」
「だから関西弁を喋るとなると」
「難しいかもね」
「そうだね、しかし英語も訛りがあるけれど」
 それでもと言う先生でした。
「日本語の方言の種類もそれぞれの個性もね」
「凄いよね」
「関西弁だけじゃないしね」
「広島弁もあるし」
「高知弁も」
「東北の訛も凄くて」
「福岡もそうで特にね」
 さらにお話する先生でした。
「昔の鹿児島弁はね」
「そうそう、凄いんだよね」
「西郷隆盛さんや大久保利通さんが使っていた言葉は」
「あえて他の藩の人が聞いてもわからない様にした」
「あの方言はね」
「そう、凄くてね」 
 それでというのです。
「もうね」
「何が何かわからなくて」
「日本語に思えない位よね」
「もう何から何まで癖が強くて」
「実際に聞いてもわからないよ」
「それが昔の鹿児島弁でね」
 それでというのです。
「凄いよ」
「全くだね」
「あの方言は凄いね」
「日本語の個性の強さがわかるね」
「実に」
「全くだよ、あの方言はね」 
 本当にというのです。
「別格だよ、あと津軽のね」
「ああ、青森だね」
「あそこの方言も凄いんだよね」
「鹿児島弁も凄くて」
「あちらも」
「そうだよ、西郷隆盛さんの方言も凄かったけれど」
 昔の鹿児島弁もというのです。
「それで太宰治さんもね」
「ああ、あの人もね」
「小説家さんの」
「あの人は津軽生まれだから」
「あそこの言葉喋ってたね」
「そうだよ、それでわかりにくかったんだよ」
 その喋っている言葉がというのです。
「本当にね」
「それでだね」
「色々思うところがあったんだね」
「あの人は」
「そうなんだ、しかしそんな訛もね」
 先生はあらためて思いました。
「この人はね」
「上手でね」
「流暢に喋っていて」
「問題ないね」
「いい落語だね」
「バラエティのお笑いなんてね」
 それこそというのです。
「全くだよ」
「相手にならないね」
「適当に作った番組の適当なお笑いとは」
「何もかもが違うね」
「根本から」
「あんな手抜きで有名になりたいだけのとはね」
 まことにというのです。
「違うよ、まさに笑わせる」
「その心があるよね」
「この人のお笑いには」
「落語で笑わせる」
「それがあるね」
「だから観客の人達も笑ってるね」
 寄席に来たというのです。
「そうだね」
「そうそう、ここぞっていう場面でね」
「笑ってたね」
「そうだったね」
「最後も拍手だったし」
「こうしたのがお笑いだってね」
 先生はしみじみとして言いました。
「思うよ」
「テレビは違うね」
「やる人の目も笑ってないしね」
「そもそもね」
「そうだしね」
「目が笑ってなかったら」
 お笑いをする時にというのです。
「そもそもおかしいからね」
「そうそう」
「そうその時点でね」
「どうかってなるからね」
「面白いこと言ったら自分も笑うよね」
「やっても」
「それがお顔だけ笑っていてね」 
 そしてというのです。
「目は笑っていないって」
「それで自分でわかってない?」
 こう指摘したのはチーチーでした。
「面白くないこと言ってるって」
「自覚がね」
 これがと言ったのはポリネシアでした。
「あるってことね」
「自分が言って面白くないとわかってて」 
 ダブダブは断言しました。
「人が聞いて面白いと思う筈ないわ」
「そうだよね」
「本当にそうよね」
 チープサイドの家族はダブダブの言葉に頷きました。
「そんなのを聞いてもね」
「誰が笑うのか」
「若し笑うとすれば」
 そうした人はとです、ホワイティは言いました。
「思いつかないよ」
「それでそんなお笑いばかりの番組なんて」
 それこそと言うジップでした。
「誰も観ないよ」
「放送時間埋めるだけでそんな番組作っても」 
 ガブガブも首を傾げさせます。
「どうにもならないよ」
「テレビから人が離れるのは当然だね」
 トートーは断言しました。
「ましてネット観るとお笑いも一杯あるしね」
「笑わせる為に作ってるとね」 
 老馬はそれならと言いました。
「そこが違うんだよ」
「根本からね」
「全く違って来るよ」 
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「もうね」
「全く違うね」
「そうなんだ、そんな番組をどんどん作っても」
 そして放送してもという先生でした。
「観ないよ、作る側もね」
「本当に放送枠埋めるだけ」
「ただそれだけだね」
「ゴールデンタイムでも」
「それをやっても」
「観ないよ、そうした時間ってご飯食べながら観るね」 
 そうすることもです、先生はお話しました。
「そうだね」
「そうそう」
「ゴールデンタイムってね」
「食後の一家団欒とかくつろぐ時間とか」
「そうした時間に観るよね」
「だから一番視聴率もあるけれど」
 それでもというのです。
「そんな時間にね」
「適当に作って」
「それで目が笑ってないギャラガ安いとか大手の事務所所属とかいうだけのタレントさんばかり出てね」
「それで自分でも面白くないとわかってることを言う」
「そんなのだとね」
「観る筈もないよ」 
 誰もというのです。
「もうね」
「そうだよね」
「そんな番組と比べて」
「この落語家さんはどれだけいいか」
「本当にね」
「テレビは考えないとね」 
 先生はテレビ局はと言いました。
「さもないとこれからもだよ」
「面白くなくなるね」
「今以上に」
「それでどうでもいい様なタレントさんばかりで」
「どんどん皆観なくなるね」
「実際そうなってるしね」
「若い人達だけじゃなくてね」
 俗にテレビを観ない世界だけでなくというのです。
「さらにね」
「お年寄りもみたいですね」
 トミーが言ってきました。
「これが」
「そうだよ、さらにね」
「そうなっていったんですね」
「そうだよ、本当にね」
「皆がですね」
「どんどんね」
 まさにというのです。
「観なくなっているんだよ」
「そんな状況ですね」
「悪循環になってるからね」
「面白くないから皆観なくて」
「それで視聴率が落ちてね」
「スポンサーも離れて」
「お金がなくなって」
 そうなってというのです。
「それでまたね」
「作るお金がなくて」
「やる気がなくなってね」
「そこで工夫しようとはですね」
「最初からそんな気があったら」
 それならというのです。
「おう少しましだよ」
「面白い番組をですね」
「工夫してね」
「作っていますね」
「それがないから」
「お金がなくなるとやる気もなくなる」
「そうなってね」
 それでというのです。
「尚更ね」
「それで、ですね」
「さらにやる気のない番組をだよ」
「作って」
「出てもらうタレントさんもね」
「さらにどうでもいい人になって」
「内容もね」
 番組のそれもというのです。
「お金もやる気もない」
「つまらないものになって」
「お笑いもね」
「目が笑っていない様な」
「そんなものになるんだよ」
「そうなんですね」
「テレビに出たいだけの人なんて」 
 それこそというのです。
「一体何がいいのか」
「そうなんだよね」
「お笑いをやりたんじゃないとね」
「最初から」
「それも全力で」
「そのうえで笑わせる」
「そんな人達じゃないと」
 さもないと、とです。皆も言いました。
「面白い筈がないよ」
「それこそね」
「昔はテレビに出ているお笑いの人達にもあったね」
「昔の映像観ればわかるわ」
「もう何があっても笑わせる」
「どんな人でもそうさせるってね」
「そんな気迫があったよ、いや大手の事務所に入ってね」
 そしてと言う先生でした。
「そこからたまたま名前が売れて」
「テレビに出る」
「目的は売れたい」
「芸能界で偉くなりたい」
「それだけね」
「笑わせようじゃないからね」
 そのスタンスがというのです。
「面白い筈がないよ」
「全くだね」
「つくづく思うことだよね」
「本当に笑わせようと思わないと」
「それも全力かつ本気で」
「そうだよ、お笑いはそうでねないとね」
 こうしたことをお話してでした。
 先生はその落語家さんが落語でお話していたおうどんが食べたくなりました、それで皆に尋ねました。
「僕はおうどん食べたくなったけれど皆どうかな」
「じゃあ明日の晩ご飯はそれにしましょう」 
 トミーはご飯を食べつつ笑顔で応えました。
「実は僕もです」
「おうどんをだね」
「食事してますが」
 今丁度です。
「食べたいと思いましたし」
「落語を聞いてだね」
「そうです」
「そうだね、それじゃあね」
「皆さんで、ですね」
「一緒にね」
 それこそというのです。
「楽しくね」
「明日の夜は食べましょう」
「それではね」
 笑顔で応えてでした、そしてです。
 先生は晩ご飯を食べつつトミーと明日の晩ご飯はおうどんにすることにしました。ですがここでなのでした。
 皆は先生にです、こう言いました。
「さっき先生スマートフォン観たけれど」
「お食事中だからね」
「先生普段そうしたことしないけれど」
「お食事に専念するから」
「ながらはしないけれどね」
「紳士だから」
「うん、本当はよくないよ」  
 先生も自覚していました、そのうえでおかずを食べつつ言います。尚もうお酒のことを考えだしています。
「だから反省しているよ」
「やっぱりしない方がいいよね」
「食べながらスマートフォンを観たり本を読むことは」
「どれかに専念しないとね」
「そうでないとね」
「そうだよ、だからこれからは」
 先生は笑顔で言いました。
「お酒に専念するよ」
「それで何飲むのかな」
「今夜は」
「晩ご飯は和洋折衷だったけれど」
「今晩は何かな」
「バーボンだよ」
 こちらのお酒だとです、先生は笑顔で答えました。
「そちらにするよ」
「ああ、そっちなんだ」
「バーボンなんだ」
「今日はそのお酒だね」
「それもいいね」
「ロックで飲んで」
 そしてというのです。
「おつまみは柿ピーだよ」
「先生柿ピーもお好きですよね」
 トミーも笑って言ってきました。
「日本に来られてから」
「いや、柿ピーは偉大だよ」
 先生は笑顔で応えて言いました。
「本当にね」
「美味しいですね」
「最高にね、お酒のおつまみにね」 
 これにというのです。
「最適だよ」
「そうですよね」
「あとね」
 先生は食べ終わってです、トミーがバーボンと柿ピーを待ちつつ言いました。
「ポテトチップスもね」
「ああ、あのスナック菓子だね」
「あれもいいよね」
「日本の偉大なお菓子よ」
「おつまみに合うし」
「普段食べてもいいし」
「あれも素晴らしいよ」 
 こう言うのでした。
「本当にね」
「全くだね」
「そして今日はだね」
「柿ピーを食べるね」
「そうするね」
「そうするよ、そしてね」 
 そのうえでというのです。
「バーボンを楽しむよ」
「バーボンはアメリカのお酒だけれどね」
「ウイスキーから生まれた」
「そこに日本のおつまみ」
「その組み合わせも日本だね」
「そう、日本は色々な国の食べものと飲みものを組み合わせて」
 そしてというのです。
「飲んで食べるね」
「それが普通だからね」
「いい国よ」
「そんな発想を柔軟に出来る」
「素晴らしい国よね」
「そうだよ」 
 まさにというのです。
「僕にとってはね」
「最高の国で」
「これからだね」
「楽しむね」
「そうするよ、あとお酒もね」
 こちらもというのです。
「言うまでもなく落語でもね」
「ネタにしてるんだね」
「お酒も」
「そうなんだね」
「そうしたお話も多いんだ」 
 お酒をネタにしたものもというのです。
「落語にはね」
「そうなんだね」
「本当に何でもネタにするね」
「落語というのは」
「そこもいいね」
「僕もそう思うよ」
 先生もというのです。
「本当にね、じゃあ今はね」
「バーボンだね」
「そちらをロックで飲んで」
「おつまみは柿ピー」
「それを楽しむね」
「そうしていくよ」 
 飲みながら言います、そしてでした。
 先生は実際にバーボンと柿ピーを楽しみました、そのうえで皆と一緒に落語のお話をしていくのでした。








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