『ドリトル先生と桜島』




      第十幕  桜島を中心に

 先生は鹿児島県の地質調査を再開しました、そうしているとです。
 先生はあらためてです、皆にお話しました。
「やっぱり桜島から円形にね」
「桜島が近いとだね」
「火山灰が多くなっていて」
「それで遠くなると少なくなる」
「地質も変わってるんだね」
「そうなっているね、前もお話したけれど」
 こう動物の皆にお話します。
「やっぱりね」
「そうなんだね」
「そうなってるんだね」
「火山灰の量は」
「そして地質は」
「そして数年前と比べてね」
 先生はこちらのお話もしました。
「全体の火山灰の濃度が高まってるね」
「そうなってるんだ」
「それだけ火山灰が降って」
「蓄積されていってるんだね」
「そうなってるんだ」
「そうなんだ、火山灰が降ったら」
 その時はというのです。
「お掃除してるけれどね」
「あっ、そうだね」
「そういえばそうしてるわね」
 チープサイドの家族がお話します。
「鹿児島の人達って」
「火山灰が降ったらね」
「お家の周りとかのお掃除してるよ」
 ホワイティも言います。
「お庭もね」
「火山灰を入れる為のゴミ袋もあるし」 
 トートーはそちらのお話をしました。
「もうちゃんと用意が出来てるね」
「それだけ火山灰が多いってことね」
 ポリネシアは神妙なお顔で言いました。
「鹿児島県は」
「それで地質も変わっていってるんだね」 
 ジップはしみじみとした口調でお話しました。
「年々」
「お掃除しても火山灰は蓄積されていっているのね」 
 ダブダブはこう考えました。
「お掃除されていない部分もあるし」
「それで年々変わっていってるんだ」
 チーチーは考えるお顔になっています。
「鹿児島県の地質は」
「多分最初は普通の地質だったんだね」
 ガブガブはこう考えました。
「鹿児島県も」
「けれど火山が噴火する様になったから」
「地質が変わったんだね」
 オシツオサレツも言いました。
「年々火山灰が蓄積されて」
「そうなっていって」
「それで今もなんだ」
 老馬も言いました。
「地質が変わっていっているんだ」
「そうなんだ、距離に加えてね」 
 桜島からとです、先生は言いました。
「歳月もね」
「あってだね」
「年々火山灰が蓄積されていって」
「地質が年々変わっていく」
「そうなっていっているんだ」
「そうなんだ、そのことも調査するとね」
 そうすると、というのです。
「わかるよ、火山灰はね」
「もう逃れられないね」
「鹿児島県は」
「それによって地質が変わることも」
「どうしても」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「そうしたことも調査しているんだよ」
「成程ね」
「ただ距離だけじゃなくて」
「年代も調査しているのね」
「今の先生は」
「そうなんだ、しかし本当に噴火が多いね」 
 桜島はというのです。
「ここに来てあらためて思ったよ」
「そうだよね」
「毎日みたいに噴火してるね」
「見ていても」
「煙も噴いていて」
「ここにいたら」 
 本当にと言う先生でした。
「実感するよ、ただね」
「ただ?」
「ただっていうと?」
「何かあるかな」
「火山灰について」
「調査対象として見ると」
 地質学という学問からというのです。
「面白いね」
「そうなんだ」
「桜島は」
「そして鹿児島県は」
「そうしたものなんだ」
「うん、年々地質が変わって」 
 火山灰の量によってというのです。
「それで距離によってもね」
「変わるから」
「そのこともわかるから」
「それでなんだ」
「調べてわかるから」
「面白いんだね」
「うん、地質学にはその変遷も入っているから」
 その学問の中にというのです。
「学びがいがあるよ」
「火山灰のせいでお掃除しなくてはいけなくて」
「それで土地も痩せて」
「農業にも影響が出てるけれど」
「それでもだね」
「うん、地質学から見るとね」 
 そうすると、というのです。
「鹿児島県は面白いよ」
「そうした場所だね」
「先生地質学も学んでいるからね」
「その先生からしてみると」
「面白い場所だね」
「そうだよ、それじゃあお昼までね」 
 先生は皆に笑顔でお話しました。
「調査していこうね」
「そうしていこうね」
「是非ね」
「楽しみながらね」
 皆も笑顔で応えます、そうしてでした。
 先生はお昼まで学問に励んででした。
 お昼はお店で食べます、お店はお鍋でしたが。
 牛肉のお店でした、しゃぶしゃぶにです。
 ヒレかつ、コロッケ、ステーキに煮込み、ローストビーフといったものです。先生は皆と一緒に食べつつ言いました。
「こうして食べるとね」
「美味しいよね」
「牛肉って」
「そういえば鹿児島牛もあったね」
「この鹿児島県には」
「そうだったね」
「そうだよ、日本の和牛は有名だね」 
 こう言うのでした。
「世界的に」
「もうブランドだよね」
「九州だと佐賀牛や宮崎牛が有名だね」
「宮崎牛は一度大変なことになったけれど」
「それでもね」
「復興の為に頑張ってるよ」
 そうしているというのです。
「あちらもね」
「そうだね」
「これまで神戸牛や近江牛を食べてきたけれど」
「鹿児島牛も食べようね」
「今からね」
「僕はすき焼きも好きだけれど」
 先生はしゃぶしゃぶを観つつ笑顔で言いました。
「このしゃぶしゃぶもだよ」
「好きだよね」
「先生しゃぶしゃぶも好きでね」
「食べるよね」
「うん、あっさりしていて」
 そうしてというのです。
「どんどん食べられるからね」
「お鍋の中のお湯にさっと通してね」
「それで食べるんだよね」
「他の肉料理よりもあっさりしていて」
「素敵な味よね」
「食べやすくてしかもね」
 それに加えてというのです。
「ご飯にもお酒にもだよ」
「合うね」
「そういえば先生今回は赤ワインだね」
「そちらを飲んでいるわね」
「ここに来てから焼酎をよく飲んでるけれどね」
 名物のこちらをというのです。
「今はだよ」
「赤ワインなのね」
「牛肉だから」
「それでかな」
「そうなんだ、お肉を見ていたら」 
 牛肉をというのです。
「これを飲みたくなったからね」
「それでだね」
「今は赤ワインね」
「それを飲むんだね」
「鹿児島産じゃないけれど」
 その赤ワインはというのです。
「けれどね」
「それでもだよね」
「赤ワインも美味しいね」
「お肉に合うよね」
「そうだよね」
「そう、お肉だとね」
 まさにとです、先生も言います。
「赤ワインが兎に角合うから」
「それでだね」
「先生もこの組み合わせで楽しむね」
「それもよくね」
「そうなんだ、こうして飲んでね」
 そうしてというのです。
「楽しむよ」
「しゃぶしゃぶにステーキに」
「ローストビーフにカツ」
「それにコロッケに煮込みもね」
「そしてデザートもあるから」 
 こちらもというのです。
「楽しめるよ」
「そうだね、じゃあね」
「今から皆で楽しもうね」
「鹿児島牛のコースを」
「そうしようね」
 笑顔で言ってでした。
 先生は皆と一緒に鹿児島牛のコースを楽しむのですが。
「この霜降りがね」
「そうしてくれてるのがいいよね」
「和牛ってね」
「他の国にないよね」
「そう、柔らかくてね」
 先生はステーキを食べつつ言いました。
「しかも肉汁がね」
「よく出てね」
「余計に美味しいんだよね」
「和牛ってね」
「そうなんだよね」
「このお肉を生み出すまでにね」
 それこそというのです。
「沢山の人達が努力をしてきたんだ」
「如何にしていいお肉になるか」
「考えてやってみて」
「それでだね」
「生み出されたものだね」
「そうなんだ、だからね」  
 そうした事情があるからだというのです。
「そうしたことも思いながら」
「それでだね」
「皆で食べるんだね」
「そうするんだね」
「今も」
「そうだよ、だから間違ってもね」
 先生はしゃぶしゃぶをタレに着けてそうしてから食べます、タレもあっさりとした味付けになっています。
「粗末にしたらいけないけれど」
「ああ、さっき宮崎牛のお話が出たけれど」
「あの時は酷かったね」
「本当にね」
「お話を聞くとね」
「当時の政府は防疫を放棄してね」
 牛へのそれをというのです。
「牛が病気になるってお話が出た時に」
「その時の農林水産大臣がね」
「大切な時に外遊に出てね」
「何も手を打たなくて」
「それで大変なことになって」
「それで手遅れになって」
 そうなってというのです。
「多くの牛を殺処分しなくてはいけなくなって」
「宮崎の人達が泣いたね」
「特に他ならぬ肉牛を育てていた人達が」
「手塩にかけて育ててきたのに」
「そうせざるを得なくなって」
「あの時の政府はとんでもない失敗を色々して」 
 そしてというのです。
「経済も国防も滅茶苦茶になってね」
「震災でも酷かったね」
「あの時の対応もね」
「最低としか言い様がなくて」
「それで宮崎牛だってね」
「そうだよ、そんな酷い無策で最悪の結果になって」
 先生は残念そうに言いました。
「帰って来た大臣が言った言葉はね」
「人間性疑うものだったね」
「あの時殺しておけばよかったとか」
「命を何と思ってるのかな」
「そして畜産の人達の悲しみを」
「その苦しみをね」
「そういうことが一切わからないわかろうともしない人だったんだよ」
 先生は断言しました。
「その時の大臣はね」
「そうだね」
「人間ですらないね」
「最早ね」
「あそこまでなると」
「テロが起こって」
 そうしてというのです。
「そのテロが政府、つまり国家権力に反対するからいい」
「そう言う人と同じだね」
「もうね」
「レベル的には」
「最早」
「そう思うよ。テロで犠牲になった人達は無関係に殺されて」
 そうしてというのです。
「残された遺族の人達もどれだけ悲しいか」
「テロはそうした行為だよね」
「権力に反対云々じゃないよ」
「それはね」
「最早ね」
「そうしたことを考えないでね」
 それでというのです。
「考えようともしないで」
「権力に反対するならテロもいい」
「罪のない人達が犠牲になって殺されてもいい」
「遺族の人達がどれだけ悲しんでも苦しんでもいい」
「そんなことはどうでもいい」
「考えないし考えるつもりもない」
「それで人間と言えるのか」
 最早と言う先生でした。
「果たして」
「是非遺族の人達の前に突き出したいね、そんなこと言う人」
「どうなるか見ものだね」
「それで自分が巻き添えになったらどうか」
「その時もね」
「そうした人こそ自分が危なくなったら助かろうとするよ」
 他の人の命や気持ちは考えなくてもというのです。
「それも自分だけが必死にね」
「絶対にそうだね」
「そんな他の人のこと考えない人って」
「もうね」
「そうに決まってるね」
「あの大臣も同じタイプだよ」
 まさにというのです。
「自分だけだよ」
「だから平気で外遊出来て」
「それでそんなこと言えたんだね」
「殺しておけばよかったとか」
「そういう風に」
「そうだよ、鹿屋で運動家のお話をしたけれど」
 先生はしゃぶしゃぶのお野菜を食べつつ言います、見ればステーキやローストビーフ等は全部食べ終えています。
「あの大臣もテロを肯定する人もね」
「運動家と同じね」
「とどのつまりは」
「自分だけの人」
「自分の主張や安全だけが大事で」
「他はどうなってもいい人ね」
「そうだよ、そうした人達を政権に選んでね」
 そうしてしまってというのです。
「宮崎は大変なことになって」
「その他もこともだね」
「大変なことになったね」
「国防も経済も」
「震災の時は特に」
「マスコミの報道を鵜呑みにしてね、けれどね」
 先生はそれでもとお話しました。
「日本のマスコミについてもこれまで言っているね」
「物凄く質が悪いね」
「その運動家みたいな人達と仲良しで」
「ヨイショしている人達が多いね」
「雑誌も新聞もテレビもね」
 マスコミの媒体ではというのです。
「特にテレビはね」
「そうだよね」
「無茶苦茶酷いよね」
「まともなキャスターやコメンテーターなんて」
「果たしてどれだけいるか」
「しかもね」
 さらにお話する先生でした。
「テレビは直接視て聴くからね」
「文章と違ってね」
「文章は読んで文章を頭の中で具現化するね」
「そうして考えるけれど」
「音や声までね」
「けれどテレビはね」
 この媒体はというのです。
「目に映像が直接入って耳に音声が入るからね」
「もう頭に直接来るね」
「映像も音声も」
「文章みたいに仲介せずに」
「雑誌や新聞と違って」
「だからそこで言われることはね」
 まさにというのです。
「影響力が大きいんだ」
「そうだね」
「テレビの影響力って大きいね」
「映画も映像と音声が出るけれど」
「さらにね」
「映画は映画館で観るけれど」 
 それでもというのです。
「テレビはどのお家にもあってね」
「何時でも観られる」
「そうだね」
「そうしたものだから」
「影響力絶大だね」
「だからだよ」 
 それでとです、先生はさらにお話しました。
「注意しないといけないしね」
「そうだよね」
「それで大変なことになったね」
「あの時の日本は」
「マスコミ特にテレビの言うことを鵜呑みにして」
「その結果ね」
 残念そうなお顔は変わりません。
「今お話している通りの状況になったよ」
「酷い政権を選んで」
「実際に酷いことになったね」
「本当に」
「そうなったわね」
「民主政治はちゃんとね」 
 それこそというのです。
「投票する人を見ないといけないよ」
「投票に行ってね」
「そうしてだね」
「投票しないと駄目だね」
「考えてしないと」
「まず投票しないのは論外だよ」
 それはというのです。
「誰がなっても同じとか言ってね」
「そう言う人いるよね」
「無責任にね」
「そう言ってね」
「投票行かないんだよね」
「これは本当に論外でね」
 それでというのです。
「まずは選挙に行く」
「そして投票する」
「それが第一歩だね」
「民主政治の」
「そしてちゃんとした人、どうかという人がいなくても」
 それでもというのです。
「次善か最悪でない人をね」
「選ぶべきね」
「あの政権は最悪だったね」
「文字通りに」
「マスコミ特にテレビの言うことはしっかり検証してね」 
 言う通りかどうかです。
「投票しないとね、マスコミが公平とか言っていることが全てとか事実とかね」
「思わないことだね」
「偏向していたり」
「言いたくないことを隠している」
「嘘を吐いているかも知れないわね」
「ナチスやソ連のマスコミはどうかな」 
 こうした全体主義国家の下ではというのです。
「言うまでもないね」
「ナチスやソ連の都合のいいことしか言わないね」
「実際にそうしていたし」
「それでマスコミを動かして」
「国民の人達を操っていたね」
「日本のマスコミも同じだよ」
 ナチスやソ連のそれと、というのです。
「終戦直後マルクス主義が一気に入って」
「マルクス主義の影響を物凄く受けたんだよね」
「知識人の人達が」
「そしてマスコミも」
「治安維持法で捕まっていた様な人達もだよ」 
 その全体主義国家であったソ連の考えに同調してソ連の為に動いていた様な人が取り締まられていたのです。
「この法律にも色々言われているけれど」
「ソ連を支持する人達に対しての法律だったね」
「あのスターリンが独裁体制を敷いていた」
「あのソ連の」
「ソ連はナチスと同じタイプの国家だったからね」
 それこそというのです。
「共産主義と社会主義の区分は難しいけれど」
「ソ連は共産主義でナチスは社会主義」
「どっちもそれがとんでもない形で行き着いていえ」
「全体主義国家になっていたわね」
「どちらも」
「そのソ連を支持する人達も力を得てね」
 そうしてというのです。
「日本は終戦直後から一気にだよ」
「知識人の人達がマルクス主義に染まって」
「この考えに都合が悪いとだね」
「隠されたり嘘が吐かれた事実があった」
「マスコミでも」
「そうだよ、それで北朝鮮みたいな国を好きな人も多くてね」
 マスコミの人達にはというのです。
「本当に注意しないとね」
「駄目なんだね」
「日本のマスコミには」
「その報道には」
「そうだよ、だから鵜呑みにしたらね」 
 その言っていることをです。
「駄目だよ、それなのにね」
「その時はだね」
「マスコミ特にテレビの言うことを鵜呑みにして」
「それで投票して」
「最悪の事態に陥ったのね」
「宮崎でもね」
 この県でもというのです。
「今お話している通りね」
「宮崎牛が壊滅して」
「それで沢山の畜産の人達が泣いて」
「最低の対応取った大臣の発言だね」
「殺しておけばよかったって」
「いや、冷酷で無神経で思いやりがなくてね」
 先生はとても嫌そうに言いました。
「無責任で命の大事さをわかっていない」
「そんな人じゃないと言えないね」
「今僕達が言っている運動家だね」
「自分のことしか考えない」
「他の人や命や物事はどうでもいいっていう」
「世の中こんな人もいるんだよ」
 まさにというのです。
「アニメ会社が放火されて沢山の人が犠牲になった事件もあったね」
「ああ、あの事件だね」
「酷い理由で放火したよね」
「放火した犯人まだ治療受けてるけれど」
「こんな害になる人もいないわ」
「この放火はアニメ会社の作風が招いた自業自得とかね」
 その様にというのです。
「言ったアニメ監督がいるけれどね」
「いや、どれだけの人が犠牲になったか」
「そのことわかってるのかな」
「それ遺族の人達が聞いたらどう思うかわかってる?」
「ファンの人達もね」
「元々そのアニメ会社の作品のお仕事をしたことがあって」
 それでというのです。
「人間性の問題で作品の途中からね」
「ああ、降ろされたんだね」
「監督さんを」
「そうなったんだね」
「そうなった人でね」
 そうした過去があったというのです。
「その恨みかね」
「そんなこと言ったんだね」
「人間ですらない発言を」
「今お話している大臣みたいな」
「そんな発言をしたんだ」
「それでそれまでも人間性が問題視されていたけれど」
 そのアニメ監督はというのです。
「完全にね」
「駄目だってわかったんだね」
「その最低過ぎる発言で」
「そうなったんだね」
「その後で事件を揶揄する様なことも言ったしね」
 さらにというのです。
「今アニメのお仕事してないよ」
「というかもう出来ないよね」
「お仕事が出来る出来ない以前よ」
「人間として最低過ぎるから」
「どうしようもないわ」
「僕もそう思うよ」 
 皆と一緒にしゃぶしゃぶに入れたおうどんを食べつつ頷く先生でした。
「幾ら何でもね」
「最低過ぎてね」
「大臣と同じで」
「人間ですらないわね」
「そこまで酷いと」
「その時の選挙ではこの監督みたいな人がかなり多い政党に投票してしまって」
 当時の日本の人達はというのです。
「その結果ね」
「そうなった」
「震災でも宮崎でも」
「国防も経済も酷いことになって」
「全てが大変なことになったのね」
「それで次の選挙でその政権は倒れたよ」
 そうなったというのです。
「最低なことばかりして全く反省しなかったからね」
「それで日本人もわかったのね」
「もうこんな政権は駄目だ」
「代えないといけない」
「自分達の選択は間違いだったって」
「そうなったよ、しかしね」
 それでもというのです。
「震災の対応の酷さの名残とね」
「宮崎のことは戻らないね」
「最低の政権を選んだ結果は」
「それは」
「そうだよ、民主政治はちゃんと人を見て投票する」
 このことがというのです。
「絶対にね」
「マスコミの言うことを鵜呑みにしない」
「ちゃんと人や政党を見て投票をする」
「せめて最低は選ばない」
「それが大事ね」
「うん、まあイギリスでもね」
 先生は産まれたお国のことも思いました。
「あの変な元首相はね」
「EU離脱の原因にもなった」
「あの人だね」
「元々素行に問題があったね」
「マスコミにいた時から」
「とぼけた振りをしていてね」
 その実はというのです。
「物凄くね」
「悪い人だよね」
「それも卑しい類の」
「そんな人だね」
「そんな話が最初からあって」 
 そしてというのです。
「政界の道化師とか言われていたね」
「ピエロだね」
「わざとピエロを演じている」
「そんな人だね」
「ピエロは一見面白いよ」
 そうした人だというのです。
「けれどその素顔はどうか」
「笑ってるメイクをしてるけれど」
「その実はね」
「わからないね」
「リア王の道化師もおどけていてね」
 そうした仕草でというのです。
「リア王に的確なことを言うね」
「辛辣にね」
「あの作品の特徴だね」
「その一つね」
「ピエロが悪役の作品も多いね」
 先生はおうどんを食べる時も赤ワインを飲んで言いました。
「そうだね」
「ホラー映画とかファンタジー小説でもね」
「漫画でもね」
「悪役の定番の一つよね」
「ピエロっていえば」
「だからピエロの素顔を見るべきだよ」
 メイクの下のそれをというのです。
「笑っていない、むしろね」
「悪い顔をしている」
「そんな時あるよね」
「実際にね」
「本当に人や組織はよく見ないと」 
 さもないと、というのです。
「政治以外でも騙されるよ」
「そうだね」
「そうなるね」
「日本もイギリスもだし」
「他の国でもよね」
「うん、僕も気をつけないとね」
 自分のことも思う先生でした。
「本当にね」
「僕達に任せて、先生」
「先生には僕達がいるよ」
 オシツオサレツがここで二つの頭で言ってきました。
「何時でも何処でもね」
「絶対に傍にいるからね」
「先生は私達がいないとね」
 ダブダブも言います。
「本当に世の中のことはからっきしだから」
「先生の為に僕達がいるんだよ」
「そうなのよ先生」  
 チープサイドの家族も先生に言います。
「だからね」
「いざって時は任せてね」
「先生が苦手なことは僕達もわかってるよ」
 ホワイティも言いました。
「スポーツと世の中のことだから」
「スポーツはこの場合は関係ないけれど」 
 それでもと言うトートーでした。
「世の中のことはね」
「家事も私達とトミーがしてるし」
 ポリネシアも言います。
「王子だっていてくれているから」
「若し先生に何かありそうなら」
 チーチーは強い声で言いました。
「僕達がいるからね」
「先生は絶対に大丈夫だよ」 
 ガブガブは断言しました。
「何かあってもね」
「そう、先生に悪いことをする人がいたら」
 ジップの声も強いものです。
「僕達が全力で守るしね」
「騙されない様にもするよ」 
 老馬もいます。
「先生がね」
「皆がいてくれるとね」
 先生も皆の声を受けて言います。
「僕も有り難いよ」
「うん、任せてね」
「本当にね」
「僕達がいるから」
「世の中のことはね」
「家事だってね」
「そうさせてもらうね」
 先生は笑顔で応えました。
「本当にね」
「うん、先生は選挙では間違えないけれど」
「宗教も見分けられて」
「詐欺師かどうかもわかるけれど」
「結構騙されやすいところもあるから」
「人柄がいいから」
「そんな人が来ても」
 皆で先生に言います。
「いざとなったら」
「僕達がいるから」
「いつも一緒だから」
「何があっても先生を護るよ」
「悪いね、そんな皆がいてくれるから」
 それでと言う先生でした。
「僕もやっていけるし」
「それでだね」
「これからもだね」
「僕達と一緒だね」
「一緒に暮らしてくれるのね」
「いやいや、僕が暮らして欲しいよ」 
 先生の方こそというのです。
「むしろね」
「そうなのね」
「先生の方がなんだ」
「僕達と一緒に暮らして欲しい」
「そう思ってくれてるんだ」
「そうだよ、本当にね」
 実際にというのです。
「僕は家事は全く駄目で世事のこともからっきしだし寂しがりだからね」
「僕達が家族でいて」
「一緒に暮らしていないとなんだ」
「駄目なのね」
「そうした人間だから」
 それでというのです。
「むしろ僕の方からだよ」
「そうなんだ」
「それじゃあね」
「そう言ってくれるなら」
「私達も是非よ」
「一緒にいて欲しいよ」
 皆の方もというのです。
「だからね」
「宜しく頼むね」
「これからもね」
「ずっと家族でいようね」
「是非共ね」
「そすいていきましょう」
 皆で笑顔で言います、そしてです。
 後はデザートとなりましたがそのデザートは。
「あっ、マンゴーだね」
「フルーツがきたね」
「いや、立派なマンゴーだね」
「美味しそうね」
「鹿児島は南国だからね」 
 それでとです、先生も言います。
「こうした果物もなんだ」
「作ってるんだ」
「そうしてこう食べられるんだ」
「そうなのね」
「そう、だからね」 
 それでというのです。
「今からね」
「皆でだね」
「食べるんだね」
「マンゴーも」
「ハウス栽培でね」
 この農法でというのです。
「作ってるんだ」
「成程ね」
「ハウス栽培って凄いよね」
「日本でもマンゴーが作られるんだから」
「そして食べられるから」
「素晴らしい技術の一つだよ」
 まさにとです、先生も認めることでした。
「お陰で季節が違ってもね」
「その季節に食べられないもの食べられるし」
「そうしたことも出来るからね」
「やっぱりいいよね」
「ハウス栽培は」
「確かに旬でないと味も栄養価も落ちて」  
 そしてというのです。
「場所によっても変わるけれどね」
「それぞれのお野菜や果物が食べられる」
「季節に関わらず」
「そのことは素晴らしいことだね」
「そう言えるものね」
「いや、本当にハウス栽培で思うのは」
 このことはとです、皆と一緒に鹿児島産のマンゴーを食べつつ言います。
「どんな季節でも色々なものが食べられて」
「味を楽しめて」
「そして栄養も摂れる」
「いいことだよね」
「そのことは事実だから」
「何かの漫画でね」
 こうも言う先生でした。
「ハウス栽培の作物は栄養価が極端に落ちる」
「数値を出して言ってたけれど」
「季節やその土地のことを考える」
「作物の数値って常に変わるからね」
「生きものの身体と同じだからね」
「そのことも考えてね」
 そのうえでというのです。
「言わないといけないけれど」
「その漫画はそうしたことをしなかったね」
「あのグルメ漫画だよね」
「先生がよく批判している」
「あの漫画だね」
「あの漫画の原作者さんも運動家みたいな考えの人で」
 それでというのです。
「主張もね」
「ああ、運動家だよね」
「あの人の考えとか主張ってね」
「よく見たらね」
「そっちの人だね」
「日本のああした主張の人達の特徴の一つとしてね」
 それはといいますと。
「反文明的で非科学的だからね」
「そうだよね」
「あの漫画の登場人物って皆野蛮だしね」
「有り得ない位短気で無教養な」
「粗暴な人ばかりでね」
「だからあの漫画で言っていることはね」 
 それはといいますと。
「日本のマスコミや運動家のそれと同じで」
「鵜呑みにしたらいけないね」
「そうしたら危険だね」
「特に」
「そうだよ、あの漫画の言うことはもう全部ね」
 そう言っていい位にというのです。
「しっかり検証してね」
「間違いがどうか確かめる」
「そうしないと駄目だね」
「あの漫画については」
「ハウス栽培もそうね」
「そうなんだ、ハウス栽培はいい技術でね」
 そう言っていいものでというのです。
「そこから作られた作物もね」
「食べるべきだね」
「実際に美味しいから」
「栄養もあるから」
「そうだよ、あの漫画の原作者のことはね」
 この人のことはというのです。
「要注意だしね」
「運動家と同じだとね」
「そんな人の作品だって頭に入れて読まないと」
「とんでもない悪影響受けるね」
「そうなるわね」
「だからね」
 それでというのです。
「僕はあの漫画についてはいつも言うよ」
「要注意」
「そうした作品だって」
「その様にだね」
 まさにというのです。
「変な知識は害になるから」
「そうした知識を垂れ流す漫画だね」
「だから鵜呑みにしない」
「それが大事だから」
「それでなんだね」
「僕は言うよ、出来るだけ正しい知識を手に入れて」
 そうしてというのです。
「役に立てるべきだからね」
「ちゃんと学ぶ」
「そうしないと駄目だね」
「だからあの漫画は注意して」
「警戒すべきだね」
「そうだよ、くれぐれもね」
 こう言ってでした。
 先生は皆と一緒にマンゴーを食べました、そして食べ終えてから笑顔でこんなことを言ったのでした。
「いや、美味しかったね」
「凄くね」
「ハウス栽培のマンゴーね」
「最高だったわ」
「この通りだよ、ハウス栽培はね」
 まさにというのです。
「何があってもだよ」
「侮れないね」
「非常に素晴らしいよ」
「この農法で作った作物も」
「僕は文明人でありたいから」
 そう考えているからだというのです。
「あの漫画は反面教師にし続けるよ」
「先生と正反対だからね、あの漫画」
「文明とか科学とかないから」
「お店で化学調味料使うなとか暴れたり」
「マスコミや警察や著名人の権力使ったり」
「物凄く短気で無教養な人しか出なくて」
「野蛮だからね」
 皆も言います。
「そんな漫画だから」
「先生と正反対だよ」
「だから先生も反面教師にするね」
「あの漫画は」
「そして原作者もね」
 その作品を生み出した張本人もというのです。
「お店のお料理が気に入らないと怒鳴り散らす様な人だし」
「うわ、漫画のままだね」
「自分が原作の」
「本当に野蛮極まるよ」
「そんな人なの」
「僕は絶対にそんなことしたくないから」
 何があってもというのです。
「気をつけてね」
「反面教師にして」
「身を慎んで」
「それで文明人であり続けるね」
「紳士であり続けるのね」
「そして学んでいきたいよ」
 こう言うのでした。
「本当にね」
「それでこそ先生だね」
「まさに」
「そんな先生だから僕達も大好きだし」
「いつも一緒にいるよ」
「そうなんだね、じゃあこれからも文明を意識してね」
 そうしてと言う先生でした。
「科学を尊重してこの原作者さんは無神論でもあるけれど」
「信仰も持つ」
「そして怒らない」
「教養も備えていく」
「そうしていくね」
「うん、何があってもね」
 笑顔で言う先生でした、そうしてです。
 皆とまた地質を調査していきました、そちらも楽しむのでした。








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