『ドリトル先生と桜島』




                第五幕  鹿児島の言い伝え

 地質調査の間にです、先生はあるお墓の前に来ました。動物の皆はそのお墓を見て首を傾げさせました。
「このお墓は誰のお墓かな」
「先生あえて来た感じだけれど」
「一体誰のお墓かしら」
「これは言い伝えだけれどね」 
 こう前置きしてです、先生は皆にお話しました。
「豊臣秀頼さんのお墓だよ」
「大坂の陣で亡くなった?」
「江戸時代のあの戦いで」
「豊臣秀吉さんのお子さんだった」
「あの人のなの」
「定説では大坂の陣で自害しているけれど」
 それでもというのです。
「一説にはだよ」
「ここまで逃れてなんだ」
「それでここで亡くなったんだ」
「そうなんだ」
「そうも言われていてね」
 それでというのです。
「このお墓がね」
「ううん、まさかね」
「秀頼さんがここで亡くなったのならね」
「凄いね」
「それで鹿児島には秀頼さんかなって人がね」
 まさにその人がというのです。
「いたっていうね」
「言い伝えがあるんだ」
「そうしたお話って結構あるけれどね」
「死んだ人は実はって」
「世界中でね」
「あるけれどね」
「そうだね、それで秀頼さんもね」
 この人もというのです。
「そうしたお話があって」
「この鹿児島に逃れて」
「それで天寿を全うしたんだ」
「本当かな」
「本当かどうかはわからないよ」
 先生はこのことも断りました。
「実はね」
「このお墓も本物か」
「偽物かも知れないんだね」
「実はここに秀頼さんは眠っていない」
「そうかも知れないんだね」
「僕は調べていてね」
 大坂の陣はというのです。
「秀頼さんは大坂の陣で亡くなったと思っているよ」
「先生はそうなんだ」
「お亡くなりになったって」
「大坂の陣の最期で自害したって」
「うん、ただ息子さんはね」
 秀頼さんのというのです。
「生き残っていたとね」
「ああ、息子さんおられたね」
「秀頼さんには」
「それで後で処刑されたっていうけれど」
「その人はなんだ」
「秀吉さんの正室さんのねねさんだけれど」
 秀頼さんのお父さんのお話になりました。
「あの人の実家は木下家っていうけれど」
「先生以前そのお家のお話したね」
「確か岸和田藩だったね」
「あの藩の藩主さんで」
「江戸時代ずっとあったんだね」
「そのお家に一子相伝で伝わってるお話があって」 
 それでというのです。
「秀頼さんは実は落ち延びたってね」
「そんなお話あるんだ」
「じゃあやっぱり秀頼さんは落ち延びたのかな」
「この鹿児島まで」
「そうだったのかな」
「けれど発掘作業で秀頼さんが自害した場所で骨も見付かっているし」
 だからだというのです。
「自害したとね」
「先生は思ってるんだ」
「大坂の陣で」
「あの人は」
「そうだよ、ただそうしたお話があって」
 木下家にというのです。
「木下家の分家の人でね」
「まさかと思うけれど」
「その人がなんだ」
「実は秀頼さんのお子さんだった」
「そうだったんだ」
「処刑された人は僕が思うにね」
 先生はご自身のお考えを言いました。
「大坂の陣の相手だった家康さんに人質に出されていた」
「その人?」
「その人がなんだ」
「処刑されたんだ」
「秀頼さんのお子さんの身代わりとして」
「その人は豊臣家の重臣のお子さんで」
 それでというのです。
「秀頼さんのお子さんの代わりにね」
「殺されて」
「それでなんだ」
「秀頼さんのお子さんは生きていたんだ」
「その実は」
「その人を連れて逃げたという人の行方もわからないし」 
 こうしたこともあってというのです。
「何かとね」
「謎が多いんだね」
「秀頼さんとそのお子さんについては」
「そうしたお話があって」
「うん、それで木下家の分家の人は一万石の大名になって」
 またその人のお話をしました。
「江戸時代の間ずっとね」
「残っていたんだ」
「そうだったんだね」
「その人も天寿を全うして」
「そのうえで」
「幕府も気付いていただろうけれど」 
 その人が秀頼さんのお子さんとです。
「処刑したということにして無益な殺生もね」
「ああ、江戸幕府ってそうしたこと嫌ったしね」
「死罪の判決出ても多くの場合そうしなかったしね」
「幕府って罪を軽くする風にしてたし」
「判決を」
「そうしていたし」
「だから気付いていても」 
 それでもというのです。
「死んだからいいということにして」
「見て見ぬ振りをして」
「その人をそのままにしたんだ」
「幕府も」
「そもそも家康さんも豊臣家を滅ぼすよりも」
 それよりいもというのです。
「大坂から出て行ってもらえばよかったし」
「あそこからなんだ」
「それでよかったんだ」
「家康さんとしては」
「そうだよ、大坂が手に入れば」
 それでというのです。
「幕府の統治は盤石になるからね」
「大坂は天下の台所で」
「日本の西の方の要だし」
「あそこが手に入ったらね」
「幕府にとっても大きいから」
「だからね」
 それでというのです。
「あそこさえ手に入ればもう幕府の統治が盤石なるからね」
「別に豊臣家を滅ぼさなくてよかったんだ」
「これといって」
「そうだったんだ」
「その大坂から出たら豊臣家はね」
 もうというのです。
「力もないし」
「放っておいてもよかったんだ」
「もうそれで」
「それでよかったから」
「戦も最後の最後の手段だったしね」 
 そうだったというのです。
「戦もしなかったよ、あとこれはヒントになるかな」
「ヒント?」
「ヒントっていうと?」
「何かあるの、先生」
「豊臣家にはお子さんの秀頼さんしかいなかったよ」
 ここで先生はこのことを言いました。
「たった一人だけだったんだよ」
「あっ、当時お子さんはすぐに亡くなったよ」
「そうだったよ」
 オシツオサレツは二つの頭で言いました。
「戦前までね」
「ずっと世界中そうだったよ」
「子供の時は身体が弱いから」
 こう言ったのはダブダブでした。
「どんな生きものも急に、なのよね」
「それは人間でもそうでね」
 チーチーも言います。
「日本でも戦前まで子供が死ぬこと多かったね」
「はしかになったりしたら」
 それこそとです、ポリネシアは言いました。
「すぐにだったわね」
「本当に子供は何時どうなるかわからなかったよ」
「ええ、しゃぼん玉の歌があるけれど」
 チープサイドの家族はこの童謡のお話をしました。
「生まれてすぐに消える」
「風吹くなっていうけれどあれは風邪なんだよね」
「そして豊臣家はお子さんの秀頼さん一人」
 ジップはこのお家のお話をしました。
「だったら何時どうなってもおかしくないよ」
「正直何時潰れるかわからないお家だったんだね」
 ガブガブははっとなって言いました。
「まさにね」
「そんなお家どうとでもなるっていうか」
 トートーも考えろお顔です。
「皆不安だよね」
「そうしたお家だから皆離れて」
 老馬は思いました。
「家康さんについたのかもね」
「そう、豊臣家はもう天下を治めるお家ではなくなっていたんだ」 
 先生は言い切りました。
「秀頼さんだけになってね」
「他に誰もいなくてね」
「何時どうなるかわならない人だけだと」
「秀頼さんがお亡くなりになったら断絶だよ」
「それであっさり終わるのに」
「力も何もないね」
「成人してもね」 
 秀頼さんがです。
「やっぱり一人でもうね」
「秀吉さんの頃と違って」
「もう豊臣家に力はない」
「大坂から出てもらったらそれでいい」
「それで大坂が幕府のものになれば」
「それでよかったんだ」
「冬の陣の後で伊達政宗さん達が秀頼さんは切腹にすべきかとお話をしていたら」
 仙台藩の大名だったその人がというのです。
「家康さんが止めてるしね」
「若し殺すつもりなら」
「もうそこで切腹させていた」
「そうしていたね」
「大坂を出た後どの国に入るかもお話していたしね」
 秀頼さんがというのです。
「だからね」
「それじゃあだね」
「家康さんは大坂が欲しいだけで」
「豊臣家を滅ぼすまでは考えていなかったんだ」
「そこは頼朝さんとは違ってね」
 鎌倉幕府を開いたこの人と、というのです。
「頼朝さんは敵どころか自分にとって好ましくないと思ったら」
「誰でも殺したね」
「義経さんや平家の人達だけじゃなくて」
「家臣の人達でもね」
「粛清していたね」
「それは鎌倉幕府の執権北条家にも受け継がれてね」
 頼朝さんのそうしたところはというのです。
「北条家に邪魔な御家人の家は滅ぼしていったね」
「次々とね」
「そうしていったね」
「頼朝さんの続きみたいに」
「そうしていたよ」
「けれど家康さんはあそこまで冷酷じゃなかったから」
 頼朝さんや北条家の様にです。
「というか大久保彦左衛門さんが言ってたけれど情のある人でね」
「それ江戸幕府にも受け継がれて」
「結構以上に優しいよね」
「そんな人で」
「秀頼さんもなんだ」
「必要以上に血を求めなかったからね」 
 家康さんはというのです。
「豊臣家もそれでよしと思っていたんだ」
「大坂から出てもらう」
「まさにそれだけでよし」
「そうした考えだったんだね」
「僕が調べた限りではね、それでずっとあの手この手で大坂を手に入れようとしていたけれど」
 戦ではなくというのです。
「最悪の場合の戦の用意もしつつね」
「そこ家康さんだね」
「慎重だね」
「どうなっても対応出来る」
「そうしておくことはね」
「江戸城から大坂の近くの姫路までお城を築いていってね」
 そうもしてというのです。
「幕府の守りを固めると共にね、名古屋城とかね」
「それじゃあ伊賀上野城とか彦根城もかな」
「江戸から大坂の途中にある」
「一連のお城もかな」
「そうだよ、西から江戸に至る道を守って」
 そうしてというのです。
「同時にね」
「大坂で戦になったら」
「そうしたお城を拠点にしていく」
「その為に築いていったんだ」
「そうした備えをすると共に」
 尚且つというのです。
「このこと、大坂を手に入れることは秀吉さんが亡くなってすぐにだよ」
「やってたんだ」
「早いね」
「秀吉さんが亡くなってすぐにって」
「大坂城の西の丸に天守閣を築いたり徳川家の軍勢を三万も入れたりね」
 そうしたことをしてというのです。
「秀頼さんのお母さんと結婚しようとしたり」
「ああ、淀殿さんと」
「あの人となんだ」
「結婚するつもりだったんだ」
「そうなれば大坂を手に入れられるからね」 
 大坂の主となっている秀頼さんのお母さんと結婚すればというのです。
「かなり露骨にね」
「大坂を手に入れたくて」
「それで豊臣家自体はだね」
「滅ぼすまではだったんだ」
「考えてなかったよ、けれど戦になって」
 大坂の陣にというのです。
「それでね」
「秀頼さんは死んだ」
「それは定説で」
「実際はどうだったか」
「この鹿児島に逃れて亡くなったってとも言われてるんだ」
「そうなんだ、ただ僕は大坂の陣で自害したと思ってるけれど」
 それでもと言うのでした。
「木下家の一子相伝のお話はね」
「気になるね」
「一子相伝って相当だよ」
「相当のものだよ」
「嘘じゃないんじゃないかな」
「落城の時に木下家の人達が秀頼さんを助け出して」 
 その一子相伝のお話ではというのです。
「逃がしてね」
「鹿児島まで」
「それで鹿児島を守っている薩摩藩が匿った」
「そう言われてるんだ」
「この時に真田幸村さんも一緒だったとも言われてるね」 
 一説ではというのです。
「あの人もね」
「そのお話聞いたことあるよ」
「幸村さんも逃れたってね」
「大坂の陣で死なないで」
「そのうえで」
「当時ここまで逃れたらね」
 鹿児島までというのです。
「わからないからね」
「幕府も」
「鹿児島は日本の端だし」
「それでなんだ」
「しかも薩摩藩は秘密主義でね」
 そうした藩でというのです。
「外から入る人をかなり警戒したしね、言葉だってね」
「言葉?」
「言葉がどうしたの?」
「今の鹿児島弁も癖が強いね」
 先生は皆にお話しました。
「そうだね」
「ああ、それだね」
「確かに強いね、鹿児島弁の訛」
「結構以上にね」
「わかりにくい時あるわ」
「昔の鹿児島弁は遥かに強くてね」
 その訛りがというのです。
「だからわかりにくかったんだ」
「ああ、それじゃあだね」
「何てお話してるかわからないね」
「鹿児島の人達の間で話しても」
「そうだね」
「そうした工夫もして」
 それでというのです。
「秘密が漏れない様にしていたんだ」
「言葉もそうしていたんだ」
「じゃあ昔の鹿児島弁ってあえてそうしたんだね」
「わかりにくい様に」
「作っていったんだ」
「そうした方言だったしね」
 昔の鹿児島弁はというのです。
「少しでも外から来た人がおかしいと」
「睨まれたんだ」
「そうなったんだ」
「幕府の隠密と思われたら」 
 その時はというのです。
「時代劇そのままにね」
「斬られていた」
「そうなっていたんだ」
「本当に」
「そこまで秘密主義だったんだ、兎に角薩摩藩のことはね」 
 どうしてもというのです。
「わかりにくくて」
「そこに入ってしまえば」
「もうだったんだね」
「わからなかったんだね」
「そうだったんだ」
 実際にというのです。
「それで秀頼さんもね」
「ここまで逃れた」
「そうした言い伝えがあったの」
「実際に」
「うん、ただ秀頼さんの息子さんは助かっていても」
 それでもというのです。
「秀頼さん自身はね」
「先生としてはだね」
「大坂の陣で自害した」
「そう思ってるんだね」
「そうだと思ってるよ」
 こう皆にお話するのでした、秀頼さんのものだというお墓の前で。そしてまた別の場所に向かいましたが。
 お昼でした、それでこの時はラーメンを食べますが。
「美味しいね」
「そうだね」
「鹿児島のラーメンも」
「評判だけれど」
「確かな味だよ」
「そうだね、このラーメンはね」
 先生は皆と一緒にラーメンを食べつつお話をします。
「鹿児島の名物でね」
「それだけの味はあるね」
「スープが濃厚な味で」
「それでいて食べやすくて」
「いい感じだよ」
「豚骨スープでね」
 スープはこちらです。
「いいね」
「九州のラーメンってこれよね」
「豚骨スープだよね」
「熊本もそうだし」
「特に博多が有名だね」
「長崎ちゃんぽんだってそうだしね」
「それが特徴だよ」 
 九州のラーメンのとです、先生も答えます。
「関西だとトリガラが多いけれどね」
「九州はこっちが主で」
「白いスープも多いね」
「豚骨だから」
「そうなっているわね」
「そうだよ、そしてね」
 先生はさらにお話しました。
「鹿児島は昔から豚肉を食べているよ」
「確か江戸時代でもそうだよね」
「豚肉食べていて」
「お肉を食べる文化があったのよね」
「そうなんだ、沖縄もそうだけれど」
 以前に行ったそちらもというのです。
「鹿児島もね」
「豚食べるね」
「名物だしね」
「それでね」
「そうなんだ、日本は地域の食文化の違いが結構あってね」 
 それでというのです。
「鹿児島ではだよ」
「昔から豚肉を食べていた」
「そうだね」
「そうだったね」
「そうだよ、じゃあお昼はね」
 是非と言う先生でした。
「ラーメンを食べようね」
「うん、是非ね」
「そうしようね」
「鹿児島のラーメンをね」
 豚のガブガブはトリガラでしたが他の皆と一緒にです。
 先生はその鹿児島のラーメンを楽しみました、ラーメンもとても美味しくて皆満足出来ました、そしてです。
 皆で食べ終えた後はまた地質調査でしたがその中で、です。
 先生はお空に海上自衛隊の哨戒機を見て言いました。
「後日海上自衛隊の基地に帝国海軍の史跡研修にも行くけれど」
「どうしたの先生」
「後日よね、それ」
「今日じゃないわよね」
「うん、けれど思い出したんだ」
 その思い出したことはといいますと。
「東郷平八郎さんも鹿児島だったね」
「そうそう、あの人もね」
「鹿児島出身でね」
「海軍のトップだった山本権兵衛さんもね」
「海軍大臣だった西郷従道さんも」
「鹿児島は海軍と縁が深いんだよね」 
 今お話するのはこのことでした。
「実は」
「そうだよね」
「歴史を見たら」
「海軍の基地もあったしね」
「航空隊の」
「陸軍にもおられたけれどね」
 鹿児島出身の人はというのです。
「大山さんや黒木さんがね」
「けれど陸軍っていうとね」
「山口、長州藩だね」
「どうしてもそのイメージあるよね」
「あちらは」
「陸軍の父と言われる山縣有朋さんが長州の人でね」 
 その長州藩の領袖と呼ぶべき人でした。
「桂太郎さんもそうだったしね」
「あと寺内さんもだったね」
「乃木さんや児玉さんも」
「そうした陸軍の人達がね」
「長州の人達だったからね」
 それでというのです。
「陸軍というとね」
「やっぱり長州藩だね」
「山口県だね」
「そして海軍は薩摩藩」
「この鹿児島県ね」
「そうだね、東郷さんがいなかったら」
 先生はさらに思って言いました。
「黄海海戦でも日本海海戦でもね」
「果たして勝てたか」
「陸では旅順と奉天で乃木さんが獅子奮迅の働きをして」
「海では東郷さんが鮮やかに勝って」
「日本はあの戦争に勝てたね」
「あるライトノベルの作家さんは勝ったことになっているなんて言ったけれど」
 眉を曇らせての言葉でした。
「間違いだよ」
「確かに勝ったよね」
「勝っているところでアメリカの仲介を頼んでそこで終わらせた」
「それって勝ちだよ」
「紛れもなくね」
「東郷さんも乃木さんも必死に戦って」
 そうしてというのです。
「かつね」
「誰もが必死に戦って」
「そして勝ったね」
「高橋是清さんは必死に戦費を調達して」
「そのうえでアメリカに仲介も頼んでいた」
「あらゆる努力を払ってだよ」
 そうしてというのです。
「勝った勝利だよ」
「勝ったことになっているじゃないね」
「決して」
「あの戦争は」
「どうもこの作家さんは天才肌の登場人物ばかり出すから」
 このことから見てというのです。
「努力というものがね」
「嫌いなのかな」
「天才ばかり出すって」
「それって」
「また努力している描写がね」 
 この人の作品ではというのです。
「見事な位ないんだよ」
「勝つ為に必死にやるとか」
「必死に勉強したり練習したりとか」
「そういうのがないんだ」
「天才が出てその才能を遺憾なく発揮してね」 
 そうしてというのです。
「凡人達を薙ぎ倒していく」
「何かそれってね」
「無敵主人公?」
「色々ネットで言われてるけれど」
「それじゃないかな」
「無敵主人公自体はいいとしても」
 それでもというのです。
「努力を否定したり他の登場人物を貶めることはね」
「よくないね」
「そんなことは駄目だよね」
「特定の登場人物の贔屓にもなるし」
「そういうことはね」
「その作家さんは神戸も地震も当時の政権じゃなくて今の与党のせいで対応が遅れたと言っていたしね」 
 先生は今自分達が暮らしている街であった大震災のことについてもお話しました。
「他にも日本の悪口を一冊丸々書いていたよ」
「何か凄いみたいだね」
「最早小説になってないんじゃ」
「日露戦争を勝ったことになっているとか」
「震災をそう書くとか」
「流石にその一冊は批判が多くてね」
 それでというのです。
「以後かなり評価が落ちたみたいだね」
「当然だね」
「そんな作品だとね」
「とうもね」
「そう、本当にね」
 それこそというのです。
「僕も読んで日本のライトノベルや漫画でも最悪のね」
「作品だとだね」
「先生も思ったんだね」
「そうした風に」
「思ってその人の作品はね」 
 それこそというのです。
「読まなくなったよ」
「それがいいね」
「聞いてるだけであんまりだし」
「努力していない天才だけが活躍するのもね」
「どうかだよね」
「どんな人も努力しないと何も出来ないよ」
 先生はきっぱりと言いました。
「万能の天才と言われるレオナルド=ダ=ヴィンチさんもね」
「そうそう、あの人一日合わせて一時間しか寝なくていい」
「そうした極端なショートスリーパーでね」
「起きてる間はずっと何かしていた」
「そんな人だったね」
「人の倍以上いつも何かしていた人だから」
 だからだというのです。
「ああしてね」
「万能の天才になれたね」
「そうだったね」
「あの人は」
「音楽の天才モーツァルトさんはね」
 次はこの人のお話をしました。
「作曲していないと苦しい」
「そう言ってね」
「それでいつも作曲をしていた」
「そうだったね」
「発明のエジソンさんも不眠不休でね」
 そうしてというのです。
「九十九パーセントの努力をしていたからね」
「今調べると結構酷いお話もあるね」
「ニュートンさんもだけれど」
「人間としてどうか」
「そうしたお話がね」
「そうだけれどね」 
 それでもというのです。
「あの人もね」
「いつも九十九パーセントの努力をしていた」
「そしてそこから一パーセントの閃きがあって」
「それでだね」
「成るよね」
「エジソンさん実際はそう言ったんだったね」
「そう、一パーセントの閃きがないと」
 これがというのです。
「駄目と言ったけれど」
「それでもだよね」
「九十九パーセントの努力」
「これは前提条件だったから」
「それも絶対の」
「そうした考えだったから」
「エジソンさんも努力していたよ」
 そうだったというのです。
「間違いなくね」
「そうだよね」
「幾ら天才でもね」
「勉強とか訓練なくして出来るか」
「その分野の天才でも」
「それはないね」
「努力しない人はどうか」
 先生は逆の立場の人のお話もしました。
「日本の国会の野党の人達やテレビのコメンテーターの人達見ればいいよ」
「自称学者さんとかジャーナリストの」
「ああした人達だね」
「全く勉強しないで言ってる」
「努力のどの字もない」
「ああした人達を見るとね」
 まさにというのです。
「わかるよ」
「そうだね」
「あれが努力しない人達だね」
「何にもなってないわ」
「まさに」
「当然東郷さんも努力していたよ」
 この人もというのです。
「凄くね」
「そうだよね」
「海軍士官として」
「そうしていたわね」
「国際法も勉強して」
 そうもしてというのです。
「海軍のこと軍隊のことを全部ね」
「必死に勉強して」
「それでよね」
「ああなったね」
「そうだったんだ、当然西郷さんや大久保さんもそうで」 
 この人達もというのです。
「鹿児島出身の総理大臣のね」
「黒田清隆さんや松方正義さんも」
「あの人達もだね」
「努力してこそだね」
「あれだけのことを出来たね」
「黒田さんが北海道開拓でどれだけ頑張ったか」
 この人がというのです。
「一体ね」
「凄かったんだよね」
「もういつも畑に出て開拓民の人と一緒に頑張って」
「本当に不眠不休で働いて」
「そうしていたね」
「そして松方さんもね」
 この人もというのです。
「コツコツと頑張っていたんだ」
「よく目立たないと言われるけれど」
「地道に努力して」
「お仕事に励んで」
「学問も武芸もだったね」
「そう、あの人は物凄く強くてね」
 松方さんはというのです。
「弓術は免許皆伝、示現流の達人で」
「しかも馬術にも秀でていて」
「実は物凄く強くて」
「槍術免許皆伝の山縣さんにも負けない」
「そこまでの人だったね」
「そんな努力の人だったから」
 それ故にというのです。
「皆慕って伊藤さんもね」
「その初代総理のね」
「伊藤博文さんだね」
「あの人も」
「総理大臣を任せたんだ」
 そうしたというのです。
「努力家で真面目でね」
「それで能力があった」
「努力した結果」
「総理大臣になれるだけに」
「そうだよ、努力してきたからね」
 先生は言いました。
「松方さんもそうなったよ、努力を否定してね」
「才能だけ賛美していたら」
「もう何にもならない」
「そうだね」
「世の中は」
「そうだよ、そんな人の作品なんて」
 それこそというのです。
「いいかというと」
「そんな筈ないね」
「だから日露戦争をそう言って」
「震災についても」
「それで日本の悪口ばかり書いてるんだ」
「努力をしない人が何になれるか」
 先生は悲しい目でお話しました。
「もう答えはね」
「出ているね」
「それこそ」
「もうね」
「薩摩藩の人達は武芸に励むことで有名だったけれど」 
 それだけではなかったというのです。
「武士の人達は大抵そうだったけれどね」
「学問にも励んだ」
「そうだね」
「あの人達は」
「そうだったんだ」
 まさにというのです。
「僕もお手本にしてね」
「努力してるよね」
「学問に」
「毎日ね」
「そうしているね」
「そのつもりだよ、僕は楽しんでいるけれど」
 学問をというのです。
「それと共にね」
「そうだよね」
「ちゃんとね」
「そうしていてね」
「やっていってるね」
「学者は学問をして」
 そうしてというのです。
「そこから得るものを得ていく」
「そうだよね」
「それが学者さんだね」
「調べて論文を書いて」
「また考えもしていく」
「そうであってこそね」
 先生は皆に言いました。
「やっぱりね」
「努力しないとね」
「それが楽しんでいてもね」
「努力だね」
「そう思うよ、あと努力は辛いものじゃないよ」
 決してというのです。
「モーツァルトさんはまた特別かもだけれど」
「あの人はね」
「作曲していないと苦しいって」
「流石にね」
「また違うね」
「それはもう呼吸や食事の様な」
 モーツァルトさんにとって作曲はというのです。
「そんなものだったからね」
「そうなっているからこそ天才?」
 ガブガブは言いました。
「まさに」
「そう思っていいかもね」
 トートーはガブガブの言葉に頷きました。
「本当の天才は」
「その何かをしていないと苦しくて」
 老馬も言いました。
「やり続けるって」
「好きこそものの上手と言うけれど」
 ポリネシアはこの言葉を出しました。
「もうそれをしていないと苦しいなんて」
「それこそだね」  
 ジップは言いました。
「好き以上だよ」
「生活習慣だね」
「その域ね」 
 チープサイドの家族はお話しました。
「モーツァルトさんにとっての作曲は」
「そこまでだったね」
「起きて息をして飲んで食べる」
 チーチーは思いました。
「そして作曲がモーツァルトさんにとってはその中にあったんだね」
「もうお仕事とか好きとかじゃなくてそこまでなら」
 ダブダブも思いました。
「そこまでなるわね」
「元々才能があってね」
「毎日そうした感じでやってたらね」
 オシツオサレツも二つの頭で考えます。
「そこまでになるね」
「あれだけの天才にね」
「天才は何故天才か」
 先生は言いました。
「才能だけじゃないんだよ」
「むしろ才能は人より少しで」
「そこから努力で発揮される」
「何もしないで天才ではいられない」
「そうだね」
「その通りだよ、努力をしている様には見えなくて」
 作品を見る限りというのです。
「皇帝やエリート警察官僚や美形兄弟になってね」
「凡人を薙ぎ倒す」
「敵はおおむね無能で」
「そんな風の作品だと」
「しかもその主人公達の性格に問題が多過ぎるから」
 このこともあってというのです。
「本当によね」
「面白くないんだね」
「というか不快なんだね」
「読んでいて」
「先生としても」
「そうだったよ、だからもう二度とね」 
 それこそというのです。
「その人の作品は読まない様にしているよ」
「その方がいいね」
「面白くないどころか不快なら」
「しかも読んでも得られないみたいだし」
「そうした作品だとね」
「もうね」
「だからそうしているよ。努力なくして何もなしで」
 そしてというのです。
「才能はほんの添えものだよ」
「それが全てじゃない」
「まさにその通りだね」
「人間は努力」
「努力が一番大事だね」
「全く以てね、じゃあ僕達はね」 
 先生はここで、でした。
 笑顔になってです、皆にお話しました。
「地質調査を続けていこうね」
「そうしよう」
「考えてみたらこれも地道だよね」
「地道な調査だね」
「こつこつとしていく」
「そうしたもので」
「努力しないとだよ」 
 そうでないと、というのです。
「出来ないよ」
「本当にそうだね」
「こうした調査も」
「努力あってこそ」
「まさにね」
「そうだよ」
 先生は皆に笑顔のまま言いました。
「これはね」
「うん、じゃあね」
「先生は努力を続けて」
「僕達はその先生を支える」
「その努力をしていくよ」
「一緒にしていこうね」 
 その努力をというのです。
「いいね」
「うん、そうしよう」
「明るく楽しく」
「努力していこうね」
「努力は決して辛いものじゃない」
「楽しんで行うものだからね」
 先生もこう言います。
「モーツァルトさんがそうだしね」
「作曲をしていないと苦しい」
「つまり作曲が楽しい」
「それをすること自体がよね」
「そう、努力はね」
 モーツァルトさんがそうであった様にです。
「楽しいことを進んでするものだから」
「辛いものじゃない」
「スポーツでも学問でも」
「そうだね」
「例えば仏教の修行だってね」
 今度はこちらの努力のお話をします。
「仏様の教えを学んでそれに近付く」
「その為のものだよね」
「自分が知りたいものを学ぶ」
「それじゃあ辛い筈がないね」
「楽しいものだわ」
「そうだからね」
 それでというのです。
「座禅だってね」
「実は心地よいしね」
「足が痺れると言われてるけれど」
「実際はそんなことがないし」
「無我を目指すこともね」
「やってみて悪いものじゃないから」
「辛いと思うことはないんだよ」
 こちらの修行もというのです。
「だからね」
「努力は楽しく」
「楽しくしていくものよね」
「決して辛いものじゃない」
「だから怖れることもなく」
「やっていったらいいよ、そして」
 そのうえでというのです。
「自分を高めていくことだよ」
「そうだよね」
「じゃあ僕達もね」
「先生と一緒に努力していくよ」
「楽しくね」
 皆も言いました、そうしてです。
 皆で地質調査を続けていきます、そうしながら先生は学問について努力もしていくのでした。鹿児島においても。








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