『ドリトル先生と山椒魚』




               第六幕  長生きする生きもの

 トミーはお家に帰った先生に尋ねました。
「オオサンショウウオのことはどうですか?」
「論文は順調でね」
「動物園の方もですか」
「そちらはこれから次第だね」
 先生はスーツから作務衣に着替えています、その服装で座布団の上に座ってくつろぎながらトミーに答えます。
「本当に」
「そうですか」
「奥さんがどんな娘か」
「つがいになるからですね」
「いい娘とは聞いてるけれど」
 それでもというのです。
「実際にどうかはね」
「会ってからですね」
「わかることだから」
 それでというのです。
「これから次第だよ」
「そうですか」
「そのことはね。ただ心配はしていないよ」
「悪い娘じゃないんですね」
「オオサンショウウオはのどかな気質だからね」
 生きものとしての性格はというのです。
「平和でずっとそこにいる様な」
「大人しい生きものですね」
「だからね」
 それでというのです。
「僕としてはね」
「心配していないんですね」
「これから次第でもね」
 それでもというのです。
「そうはなっていないよ」
「じゃあ安心していますね」
「やるべきことは動物園の人達が全てしてくれているし」
 雌のオオサンショウウオを迎えて夫婦にすることはというのです。
「そのことでもだよ」
「心配はいらないですか」
「動物園の人達はよくしてくれているよ」
 オオサンショウウオのこともというのです。
「そつがないよ」
「あの動物園はその琴でも有名ですね」
「いいお仕事をすることでもね」
「それぞれの生きもののことをよくわかって」
「そしてね」
 先生はトミーが出してくれた麦茶を飲みつつ答えました。
「公平かつ的確にね」
「飼育をしていますね」
「ご飯はちゃんとあげて」
「お掃除もしてますし」
「清潔な環境も保って診察もね」
 定期的なそちらもというのです。
「忘れていないから」
「いい動物園ですね」
「そう思うよ、日本の動物園は」 
「全体的にいいですね」
「それで八条動物園もだよ」
 学園の敷地内にあるこの動物園もというのです。
「広くて様々な生きものがいるだけでなくて」
「飼育環境もいいですね」
「だからね」
「オオサンショウウオもですね」
「ちゃんと飼育してくれていて」
「奥さんを迎える準備もですね」
「整えてくれているよ」
 そうなっているというのです。
「だからね」
「先生が言われることはですね」
「特にないよ」
 そうだというのです。
「これといってね」
「じゃあそちらのことも」
「大丈夫だよ」
「それはいいですね」
「うん、ただね」
「ただ?」
「どうもオオサンショウウオを迎える時にね」 
 まさにその時にというのです。
「動物園に入れるか水族館に入れるかで議論があったそうだよ」
「あっ、それあるね」
「お水の生きものだとね」
「どうしてもあるよね」
「そうだよね」
 動物の皆もそれはと言います。
「陸や空の生きものは動物園だけれど」
「それでお魚や蛸や烏賊は水族館だけれど」
「お水にいる哺乳類や両生類はどちらにもいるね」
「イルカやアシカやペンギンとかも」
「そうだね、そこの区分が難しいんだ」
 どうしてもとです、先生は皆にお話しました。
「どうもね」
「そうだよね」
「お水の生きものは」
「ここの動物園と水族館でも」
「そうなっているね」
「ラッコやイルカは水族館にいるね」
 先生は皆にお話しました。
「けれど亀やアシカは両方にいるね」
「アザラシは水族館で」
「鰐は動物園だしね」
「それでペンギンは両方にいるね」
「アシカだって」
「それでオオサンショウウオについてもなんだ」
 今回先生が論文を書いて動物園に協力している生きものもというのです。
「どうしてもね」
「議論があったんだ」
「動物園で飼育するか水族館でそうするか」
「どっちにするかだね」
「それで議論になったんだ」
「飼育する時に」
「そう聞いているよ」
 実際にというのです。
「これがね」
「そうなんだね」
「その辺りの区分確かに難しいね」
「本当にね」
「お水の生きものは」
「そうなんだ、マシテオオサンショウウオは天然記念物だから」
 そうした生きものだからだというのです。
「尚更だったんだよ」
「数が少ないとね」
 ジップはしみじみと言いました。
「絶滅も心配されるし」
「尚更大事にしないといけないからね」  
 ダブダブも言います。
「その辺りも問題になるね」
「どちらで飼育した方がいいか」
 ホワイティの口調もしみじみとしたものです。
「そこが問題だね」
「本当にね」
 老馬はホワイティの言葉に頷きました。
「動物園か水族館か」
「何かハムレットだね」
「こうした時もね」 
 オシツオサレツはこう思いました。
「どちらにするか」
「それが問題だっていうのはそれだね」
「何ていうかね」
 チーチーも考えつつ言います。
「そうした生きものはかえって考えるね」
「ペンギンさん達は本当にどっちもいてね」
 ガブガブは彼等のお話をしました。
「人気があるけれどね」
「オオサンショウウオさんになると」
 トートーは言いました。
「天然記念物ってところも大きいね」
「この大学の敷地でも一匹しかいないし」
 ポリネシアは数自体のお話をしました。
「それでどうかだよね」
「それで動物園になったんだね」
「オオサンショウウオさんを飼育するのは」
 チープサイドの家族もお話します。
「色々議論があったのでしょうね」
「想像に難くないね」
「うん、かなりの議論になってね」
 先生は実際にと答えました。
「その結果だよ」
「動物園になったのね」
「あそこで飼育されることになったんだ」
「そうだね」
「遂に」
「そうだよ、そしてね」
 それでというのです。
「実は水族館も協力しているんだ」
「飼育先は動物園になっても」
「それでもなのね」
「オオサンショウウオさんの飼育については」
「水族館も協力しているんだ」
「何しろ天然記念物だからね」
 稀少な種類の生きものだからだというのです。
「それでだよ」
「だからだね」
「水族館も協力しているのね」
「あちらも」
「大学の生物学も」  
 こちらもというのです。
「あと獣医さんは農学部だね」
「そうそう」
「日本だとね」
「じゃあ農学部も協力してるのね」
「オオサンショウウオさんの飼育には」
「そうなんだ」
 こう言うのでした。
「これは飼育している他の稀少な生きもの達もだよ」
「コアラとかパンダとか」
「スナメリにしろだね」
「この学園稀少な生きものもかなりいるね」
「そうした生きものも」
「そうだよ、そしてね」
 それでと言うのです。
「その生きもの達はね」
「皆だよね」
「学園全体で飼育して」
「協力し合って」
「それでなのね」
「保護もしているんだ、ヒヤンやハイだってそうだし」
 先生が動物園に連れてきたこの生きもの達もです。
「ツシマヤマネコもアマミノクロウサギもヤンバルクイナも」
「あとイリオモテヤマネコさんも」
「そちらもだね」
「全部だね」
「学園全体で大事にしてるのね」
「ニホンオオカミもいるけれど」
 この生きものもというのです、先生が出会った。
「皆だよ」
「ううん、多いね」
「この学園で保護されている稀少種は」
「そうした種類は全部学園の関係する人達がだね」
「皆で保護しているのね」
「そうだよ、ちなみにこの学園にはチョウセントラもいるけれど」
 虎のお話もしました。
「どうもあの半島ではね」
「野生のものは絶滅したらしいですね」
 トミーが言ってきました。
「どうやら」
「南の方ではいなくてね」
「北でもですね」
「どうもね」
「いないですか」
「もう飼育されている個体だけみたいだね」
 チョウセントラはというのです。
「野生のものはね」
「いなくなりましたか」
「アムールトラはまだいるらしいけれど」
 こちらの虎はというのです。
「野生のものもね」
「あちらはですね」
「虎や豹は分布が広くてね」
「熱帯にいますが」
「それと共に温帯にもいてね」
 そうしてというのです。
「冷帯にもだけれど」
「だからシベリアの方にもいますね」
「そうだけれど」
 それでもというのです。
「チョウセントラはね」
「野生のものは」
「もう絶滅して」
 そしてというのです。
「いないみたいだね」
「残念なことですね」
「虎は人を襲うから」
 その為にというのです。
「狩られてね」
「危険ですから」
「そうしたけれど」
「それが野生のものを絶滅させましたね」
「それにチョウセントラは基本山にいたけれど」
 その生息環境のお話もします。
「あちらは山の木は伐採して」
「そのままでしたね」
「植林をしなくて」
「禿山が多かったですね」
「だから日本も統治した時は」
 二十世紀初期から終戦までの頃のことです。
「まず植林からしたよ」
「そこまで木がなかったですね」
「さもないと土砂崩れも起きるから」
 山に木がないとです。
「雨が降っても木が雨水を吸ってくれて」
「その流れを止めてくれますね」
「そうしてくれるけれど」
 それでもというのです。
「それがないとね」
「土砂崩れが起きますね」
「災害のもとだし木があるとね」
「色々なことに使えますね」
「だから日本もまずは植林からだよ」
「統治を行いましたね」
「そうしたよ、けれど」
 それでもというのです。
「ずっと禿山だらけで」
「虎が暮らせる環境ではなかったですね」
「他の生きもの達もね」
 野生のです。
「そこで虎の数も減っていて」
「そこで狩られもして」
「余計に少なくなって」
「野生のものはですね」
「日本の統治が終わっても狩られたりしたし環境は尚更ね」
 半島の自然のというのです。
「悪化して」
「絶滅しましたか」
「そうみたいだよ、だから飼育されている虎はね」
 そのチョウセントラ達はというのです。
「大事にしないとね」
「駄目ですね」
「そうだよ」
「南はいなくて」
「北はもっといないかもね」
 こちらはというのです。
「おそらくだけれど」
「あちらは鎖国していて」
「情報が出て来ないけれど」
 それでもというのです。
「あそこはもう政治があまりにも酷くて」
「無茶苦茶ですしね」
「それで食べものもね」
 これもというのです。
「ないね」
「そのことは知れ渡っていますね」
「情報が出て来なくても」
 北からというのです。
「どうもね」
「世界的に有名ですね」
「国民の人達の殆どがいつも餓えているよ」
「それこそ何でも食べる」
「そんな環境だと」
 それこそというのです。
「野生の生きものも全部食べて」
「そして虎も」
「そうなってると思うから」
「北の方もですか」
「いないだろうね」
 野生のチョウセントラはというのです。
「あくまで僕の憶測だけれど」
「そうですか」
「だから動物園にいる皆はね」
「大事にすることですね」
「そして数を増やして」
 先生はさらに言いました。
「少しずつでも自然に帰すことが出来たらね」
「いいですね」
「そう思うよ」
 こうトミーに言いました。
「僕としてはね」
「そうなんですね」
「あとチョウセントラは阪神の虎だよ」
 先生はこのお話もしました。
「実はね」
「あっ、そうなんだ」
「あの虎チョウセントラだったんだ」
「僕達虎としか思ってなかったけれど」
「チョウセントラだったんだ」
「そうだったのね」
「当時あちらは日本だったからね」 
 日本の領土だったからだというのです。
「あの頃の阪神のフロントの偉い人が強い存在をチームのシンボルにしようと考えていてそこでだったんだ」
「虎って強いからね」
「文句なしに」
「しかも恰好いい」
「スポーツチームのシンボルには最適だよ」
「だからね」
 その為にというのです。
「虎にしたけれど」
「当時あちらは日本で」
「丁度チョウセントラがいたから」
「それでだね」
「阪神のシンボルは虎になって」
「チョウセントラがそれなんだ」
「そうだよ、こrげあ阪神タイガースの由来なんだ」
 このチームのというのです。
「あのチームはその時から虎なんだよ」
「そしてその虎はチョウセントラ」
「成程ね」
「阪神の歴史の曙だね」
「まさに」
「あんな絵になるチームはないけれど」
 例え何があってもです。
「そのシンボルの虎も覚えておこうね」
「そしてその虎がこの動物園にもいる」
「成程ね」
「そのこと面白いね」
「とてもね」
「全くだよ、しかし本当に稀少な生きものは」
 何と言ってもというのです。
「大切にしないとね」
「全くだね」
「学園全体でも」
「そうしていこうってね」
 その様にというのです。
「最初にこの学園を創設した初代理事長差も言われたそうだよ」
「その頃の八条家の総帥さんだよね」
「明治維新で名を挙げた」
「元々公卿の家の人で」
「それで起業して」
「渋沢栄一さんと並ぶ日本財界の巨人になった人だね」
「その人はただ八条グループの前身八条財閥だけでなくてね」
 この財閥を起こしただけでなくというのです。
「教育、学問にも熱心でね」
「この学園を創設されて」
「そこに動物園等ももうけて」
「その時にだね」
「そう言われたんだね」
「そうなんだ、稀少な生きものはね」
 是非にというのです。
「学園全体でだよ」
「その力を合わせて」
「そうしてよね」
「飼育して保護する」
「研究も行って」
「そう言われて今もね」
 この時代もというのです。
「それを続けているんだ」
「成程ね」
「そうなんだね」
「それでそうしているのね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「ずっとね」
「いいことだね」
「飼育員の人達も頑張ってるけれど」
「一つの生きものの保護って凄く大事だし」
「時としてとんでもなく大変だから」
「学園全体でそれにあたる」
「それはいいことだね」
 先生は皆に言いました。
「学園全体で責任を以て行うことはね」
「全くだね」
「そうしてヒヤンさんやニホンオオカミさん達も保護してるし」
「コアラさんやパンダさんもだし」
「凄くいいことだよ」
「どんな生きものも命があるから」
 だからだというのです。
「それを忘れたらいけないよ」
「全くだね」
「だから守っていくね」
「この学園全体で」
「保護している生きもの達を」
「そうしているよ、そういえばね」
 ここで先生はこうも言いました。
「オオサンショウウオは日本の川にいるけれど」
「奇麗な川にね」
「標高の高い清流に」
「それは僕達も知ってるよ」
「先生と一緒に勉強したわ」
「昔は獺もいたね」
 この生きもののお話もするのでした。
「愛媛県に行った時にお話したね」
「そうそう、日本に移住してきたね」
「あの獺さん達ね」
「どんどん日本に広まっていってるわね」
「また日本に獺がいる様になったけれど」
 何か、でした。
 先生は言いたげでした、皆もそのことに気付いて先生に尋ねました。
「あれっ、何かあるの先生」
「そんな感じだけれど」
「よかったら教えて」
「そうしてくれるかしら」
「日本で獺は一旦絶滅したと言われているね」
 先生は皆に微笑んでお話しました。
「そうだね」
「残念なことにね」
「乱獲と開発のせいでね」
「数が減って棲み処もなくなって」
「そうなったんだよね」
「それが最近発見されているんだ」
 日本に元からいた獺達がというのです。
「これがね」
「えっ、そうなんだ」
「確かニホンカワウソさんだよね」
「あの獺さんがまだいたんだ」
「絶滅したんじゃって言われていたのに」
「そうみたいだよ、若しいるのなら」
 今もというのです。
「是非だよ」
「保護したり環境を守って」
「そうしてだよね」
「数を増やしていって」
「大事にしていくべきよ」
「そうだね、僕は彼等がいてくれたら」
 ニホンカワウソ達がというのです。
「とても嬉しいよ、そして本当にね」
「保護して数を増やして」
「かつての様に一杯いる様にする」
「そうすべきだね」
「本当に」
「そうしないとね」
 笑顔で言うのでした、そしてです。
 お風呂に入って晩ご飯にご飯と豚肉を細かく切って大蒜の芽と炒めたものに生麩のお吸いものにトマトを切ったものにゴーヤのおひたしを食べてでした。
 冷奴で梅酒をロックで飲みつつ先生はこんなことを言いました。
「日本でもまだ発見されていない生きものがいるからね」
「まだなんだ」
「そうなんだ」
「探検され尽していると思ったら」
「新種の生きものが発見されているんだ」
「そうだよ、山でも海でもね」 
 どちらでもというのです。
「そもそもタキタロウだってそうだね」
「そうだね」
「いることは間違いないけれど」
「はっきりいるとは断定されていないね」
「まだね」
「そうだね、まだ完全にはわかっていないんだ」
 日本でもというのです。
「その生態系はね」
「だから新種の生きものが発見されるんだね」
「今も」
「まだ完全にわかっていないんだ」
「日本でも」
「人間の知識なんて常にそうだしね」
 トミーが鰹節と細かく刻んだお葱それにおろし生姜を上に乗せてくれた冷奴にお醤油をかけてです。
 先生は食べながら皆にこうも言いました、お豆腐をとても美味しいと思いつつ。
「何でも知っている様でね」
「実は違っていて」
「然程知らない」
「そんなものだよね」
「人間の知識なんて」
「そうだよ、だから日本でもね」 
 よく日本人が狭いと言うこの国でもというのです。
「まだまだね」
「完全にわかっていなくて」
「新種の生きものが発見されるんだ」
「そうなっているんだね」
「そして絶滅したと思っても」
 それでもというのです。
「まだいたりするしね」
「ニホンオオカミさんもそうで」
「それで獺さん達もだね」
「まだいるかも知れない」
「そうなのね」
「そうだよ、あと未確認動物も」 
 こう呼ばれる生きもの達もというのです。
「沢山いるかもね」
「そもそも日本って山国だからね」
 チーチーは腕を組んで言いました。
「人が入らない自然の場所が幾らでもあるね」
「多くの都道府県で街をちょっと出たら山だしね」
 ホワイティはチーチーの言葉に続きました。
「そこに沢山の生きもの達がいるし」
「もう山々が連なってる場所なんかね」
「どんな生きものがいるかわからないわ」
 チープサイドの家族も言います。
「それこそね」
「昆虫とか小さな生きものだと特にね」
「海だってちょっと深いところに入ったら」
 どうかとです、ガブガブは言いました。
「まだ未発見の生きものがいても不思議じゃないわね」
「元々数が少ない生きものだっているしね」
 ジップはガブガブの言葉に頷きました。
「本当に山や深海なんてわからないよ」
「というか日本欧州の各国と比べたら国土広いから」 
 ダブダブはこの現実を指摘しました。
「世界的にも領土広い方だしね」
「それでそこの七割を占める山と周りを囲んでいる海なんて」
 トートーは冷静に言いました。
「まだまだわかっていなくて当然だよ」
「しかも日本って街や村に人がうんと集まるから」
「山の中にあまり人はいないし」
 オシツオサレツも言います。
「海も深いところまではね」
「そうそう行けないから」
「まだまだ調査するところはあるね」
 老馬も言います。
「生物学としても」
「まだ全くわかっていない」
 ポリネシアは言いました。
「むしろこう思うべきかしらね」
「そうだよ、まだ何もわかっていないってね」
 先生は梅酒を飲んで皆に答えました。
「思うべきだよ」
「本当にそうだね」
「まだまだこれからだよ」
「日本の生きものの調査は」
「そう思って」
「それでやっていくべきだね」
「発見されても殆どわかっていない生きものもいるしね」
 そうした生きものもというのです。
「オオサンショウウオだって結構そうだし海だとリュウグウノツカイなんてね」
「そのお魚のこと全然わかってないよね」
「先生もそのお魚とお話したことないよね」
「だから全くわかっていない」
「ほとんど何も」
「こうした生きものもいるのに」
 それなのにというのです。
「何でもわかっているかというと」
「とても言えないよね」
「本当に」
「そんな大それたことはね」
「とてもね」
「それが現実だよ」
 先生はこう言うのでした、そしてです。
 ふとです、先生は冷奴を食べ終えたその時にトミーが出したカップ焼きそばを見てまたにこりとなりました、もうちゃんと作られています。
「これもいいよね」
「先生あまりインスタント召し上がられないですが」
「冷凍食品もね、けれどね」
「お嫌いではないですが」
「結構好きだよ」
 こうトミーに答えました。
「そうしたものもね」
「そうなんですね」
「インスタントラーメンもね」
「お好きですか」
「これは偉大な発明だよ」
 梅酒をまた飲んで、でした。
 冷奴の次に焼きそばを一口食べてまた言いました。
「本当にね」
「保存食でもありますしね」
「いざという時あったら困らないね」
「それで一食にもなりますし」
「だからね」
 それでというのです。
「インスタントラーメン、カップのものもね」
「偉大ですか」
「これで沢山の人が救われているしね」
「いざという時に食べるものがあって」
「それでね」
 まさにその為にというのです。
「だから偉大な発明だと言うんだ」
「先生もですね」
「そうだよ、食べてもね」
「美味しいですね」
「こうしたインスタント食品や冷凍食品に」
 先生は焼きそばを一口食べてです、そうしてから梅酒を飲んでまた言いました。紙パックの二リットルのそれをどんどん飲んでいます。
「お店のパンとかがあるね」
「そうしたものはですね」
「馬鹿に出来ないよ、昔何それを買ってはいけないとか」
「そうしたことをですか」
「色々な商品に言っていて」
 それでというのです。
「そこにそうしたパンとかも槍玉に挙げていたけれど」
「それはですね」
「非科学的でね」
 そうであってというのです。
「間違っているよ」
「食べ過ぎるとよくないですが」
「栄養が偏るしね」
「それでもですね」
「そうした本に挙げられている商品はどれもね」
「飲み過ぎたり食べ過ぎたりしないと大丈夫ですね」
「それで使用してもね」
 そうした商品もというのです。
「よかったんだ」
「そうなんですね」
「その本を出している人達と掲載していた雑誌が資本主義そして企業が嫌いで」
 そうした考えでというのです。
「そんなことを言ってたんだ」
「そうした事情があったんですか」
「だからね」
 それでというのです。
「こうした本は鵜呑みしたらね」
「危険ですね」
「とてもね、あくまで程度で」
 その問題であってというのです。
「インスタント食品や冷凍食品もだよ」
「あっていいんですね」
「功績はかなり大きいよ」
「だから先生もですね」
「否定しないでね」
 それでというのです。
「出してもらったらね」
「召し上がられるんですね」
「こうしてね」
 焼きそば、普通のものの二倍で片方はソースもう一方は激辛になっているそれを食べつつそうしてトミーにお話します。
「僕もね」
「そういえば先生がよく批判している料理漫画そうした食べもの出ないよ」
「それも全くね」
「あのお店の中で暴れる新聞記者が主人公の漫画」
「お父さんは陶芸家で」
「電子レンジも批判していたし」
「あの漫画はそのかってはいけないとか言う人達と同じだよ」
 先生は皆に答えました。
「とても非科学的で反文明的でね」
「極端な自然志向で」
「それでおかしな健康主義で」
「そんな考えだから」
「そうしたものを否定するんだね」
「日本の一部にはそうした反文明的で非科学的な人達がいて」
 そうしてというのです。
「何かと騒いでいるんだよ」
「困ったことだね」
「イギリスにもそんな人いるけれど」
「日本にもいるんだね」
「そんな困った人達は」
「そして他のことでもあれこれ騒いでいるけれど」
 それでもというのです。
「食べるものも文明でありね」
「科学だよね」
「そうしたものであって」
「インスタント食品もあっていい」
「冷凍食品もなのね」
「そうだよ、そしてね」
 先生はまた梅酒を飲みます、梅酒は自分で入れてお話をします。
「時々食べる位ならいいんだよ」
「そうだよね」
「こうして食べればいいね」
「先生みたいに」
「そうだよね」
「インスタント食品や冷凍食品ばかり食べる食生活は駄目でも」
 それでもというのです。
「時々ならだよ」
「そうだね」
「それじゃあね」
「今は楽しんで食べましょう」
「そうしていこう」
「こうしてね、しかし本当に美味しいね」
 先生は焼きそばについてこうも言いました。
「カップ焼きそばも」
「日本はインスタントラーメンも凄いけれど」
「物凄い発展を遂げているけれど」
「カップ焼きそばも美味しいんだね」
「そちらも」
「そうなんだよね、インスタントラーメンの食べ比べなんてしたら」
 それこそというのです。
「きりがない位だよ」
「多過ぎてね」
「ご当地のものもあるし」
「その県と周りにしかない様なインスタントラーメンも」
「そうしたものもあるから」
「かなり多彩だね」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「本当にきりがない位だよ」
「数が多過ぎるからね」
「スーパーに行っても普通に何十種類もあるし」
「インスタントラーメンのコーナーもあるし」
「それだとね」
「それもまた面白いだろうけれど」
 それでもというのです。
「きりがないというのはね」
「本当だね」
「日本人ってこうしたところでも凝るから」
「インスタトラーメンの種類も多くて」
「味もいいんだよね」
「そうだよ、しかも新しい調理方法まで出ているよ」
 梅酒をさらに飲んで言いました。
「袋の焼きそばとソーセージを一緒に調理するんだ」
「そうしてなんだ」
「それで美味しくなるのね」
「焼きそばとソーセージ」
「その組み合わせでも」
「そうらしいよ、学生で実際にやってみた人がいてね」
 袋の焼きそばとソーセージを一緒に調理してみたというのです。
「これがね」
「美味しかったんだ」
「そうだったんだ」
「そうして食べても」
「そうだったんだね」
「だからね」
 それでというのです。
「今度僕も食べてみたいね」
「だったら作りますね」
 トミーが言ってきました。
「早速、ただ」
「ただ?何かな」
「イギリスは今も食べるものは階級によって違いますね」
「ああ、貴族と平民ではね」
「飲むものも」
「お店も違うしね」
 先生はこちらのお話もしました。
「貴族と平民では」
「それなりの地位のある人はバーで」
「そうでないとパブでね」
「分かれていますね」
「けれど日本だとね」
「誰でもどんなお店にも入られます」
「ノーネクタイのお店はあっても」
 それでもというのです。
「逆に言えばネクタイを締めているとね」
「どんな人でも入られます」
「あくまで身だしなみの話でね」
「階級とかのお話ではないですね」
「お金があったら」 
 それならというのです。
「誰でもどんなお店でもね」
「入られますね、それで誰がどんなものを食べても」
「誰も何も言わないよ」
「立場ある人がインスタント食品を食べても」
「むしろ立場があっても忙しいなら」
 そうした人はというのです。
「普通にだよ」
「インスタント食品や冷凍食品をですね」
「食べるよ、むしろそうしたものばかり食べて」
「栄養バランスが悪くなりますね」
「日本の政治家や経営者のよくない傾向かな」
 忙しくて手っ取り早いものばかりを食べることはというのです。
「これは」
「むしろそうした人こそですね」
「栄養バランスを考えてね」
「しっかり食べないといけないですね」
「そうだよ」
 こう言うのでした。
「忙しいならね」
「そして立場があるなら」
「頑張ってお仕事をしないといけないから」
 それ故にというのです。
「そうだよ」
「そうですよね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「そうしたものばかり食べることはね」
「よくないですね」
「そうだよ、誰が何を食べてもいいことはいいことでも」
「栄養バランスは考える」
「そうすべきだよ、あと日本の立場がある人は基本質素だね」
 先生は激辛の焼きそばのその辛さを味わってでした、そうしてから梅酒を飲んで両方を楽しんでから言いました。
「おおむね」
「そういえばそうだね」
「お食事はかえって栄養バランスが心配になるレベルで」
「贅沢三昧なんてね」
「ないよね」
「そうだね、ないね」
 実際にと皆に言います。
「皇室になると」
「凄いよね」
「驚く位質素で」
「何処かの国の独裁者と大違いだね」
「日本では皆質素だよ」
「ああいうのを清貧と言うんだね、立場があるからこそ身を慎む」
 そうするというのです。
「いいことだよ、むしろ日本では立場ある人が贅沢に耽ると」
「よく思われない」
「そうした国だね」
「普通の人が遊んでもいいけれど」
「立場ある人も多少ならいいけれど」
「贅沢に耽るとね」
「それは品がないとも思われるんだ」
 立場ある人が贅沢に耽ると、です。
「江戸時代のお殿様だってそうだったし」
「というか江戸時代の藩って殆どお金なかったしね」
「幕府だってね」
「幕府の歴史って二百六十四年あって百五十年は赤字の話ばかりだったし」
「贅沢なんてね」
「維新の人達もね」
 この時代の人達もというのです。
「伊藤博文さんなんてね」
「ああ、あの人ね」
「もう衣食住適当過ぎて」
「周りが驚く位だったし」
「山縣さんはお家には凝っても」
 それでもというのです。
「あくまでだよ」
「生活は質素だったんだね」
「贅沢なんて好きなだけ出来る立場でも」
「そうした暮らしだったんだ」
「お食事なんかね」
 それこそというのです。
「あまりにも質素だってね」
「言われる位だったんだ」
「好きなものを食べられても」
「それでも」
「その伝統が今もあってしかも忙しいせいか」 
 それでというのです。
「日本の立場ある人はね」
「インスタントとか冷凍食品が多くて」
「かえって栄養バランスが心配になる」
「そうなのね」
「そうなんだ、幾ら忙しくてもバランスよく食べて欲しいね」
 先生は心から思いました。
「贅沢に溺れないことはいいことでも」
「そうだよね」
「ちゃんと食べて欲しいね」
「何とかね」
「そうして欲しいね」
「うん、けれどインスタントも程々ならいいよ」
 今も焼きそばを食べつつ言います。
「それもまたね」
「そういうことだね」
「じゃあ今はインスタントの焼きそばを食べて」
「そのうえでだね」
「梅酒を楽しむよ」
 言いつつそちらも楽しみます、先生はインスタントの焼きそばも食べて梅酒も飲んで楽しむのでした。








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