『ドリトル先生とタキタロウ』




        第十一幕  タキタロウは何か

 先生は大鳥池のお水の酸素濃度を調べて一緒にいる動物の皆に対してこれかという笑顔でお話しました。
「うん、充分だね」
「充分?」
「充分っていうと」
「何かあったの?」
「大鳥池の酸素濃度を観たらね」
 今調査したそれをというのです。
「深い水域でもお魚が暮らせるよ」
「それじゃあだね」
「タキタロウがいても不思議じゃないんだね」
「この大鳥池には」
「そうなのね」
「そうだよ」 
 実際にというのです。
「このことを見てもね」
「科学的に検証しても」
「タキタロウはいるのね」
「魚群探知機でも反応があるし」
「酸素濃度を見ても」
「生態系を調べても」
「あらゆる面から見ても」
「そうだよ、全部見てもね」
 まさにというのです。
「タキタロウはいるよ」
「そもそも剥製もあって」
「目撃例もあって」
「食べた人もいるし」
「それじゃあね」
「ただ二メートルというのはやっぱりね」
 それだけ大きいというのはというのです。
「見間違いだね」
「そこまで大きくないね」
「何か小魚の群れを追ってたっていうけれど」
「山中から見たって言うけれど」
「そこまでではないのね」
「うん、やっぱり七十センチか八十センチ位の大きさで」
 それでというのです。
「一メートルもないね」
「先生の説としては」
「そんな大きさなんだ」
「タキタロウについては」
「二メートルも三メートルもないね」
「そうだよ、そこまで大きくなくて」
 先生はさらにお話しました。
「具体的にどんなお魚か」
「それはなんだ」
「わからないんだ」
「先生としては」
「いや、ある程だけれどね」 
 先生は皆にお話しました。
「僕の説は固まってきたよ」
「そうなんだ」
「じゃあどんな生きものかしら」
「どの種類のお魚なの?」
「一体」
「うん、まずは諸説を出すね」 
 今は湖のほとりにいます、それで湖とその周りにある森青と緑のコントラストの中でお話をします。
「アメマス系のニッコウイワナ、オショロコマに近いアメマスというね」
「まず二つだね」
「イワナとマスだね」
「先生前に言ってたけれど」
「その二つが有力なんだ」
「そして他にはソウギョ説もあったね」
 こちらのお話もするのでした。
「僕は違うと思うと言ったけれど」
「この辺りにソウギョいたかな」
「淀川や利根川にはいるけれど」
「元々中国のお魚で急流は苦手で」
「狭い場所もだね」
「それでいるのかな」
 そのソウギョがというのです。
「そう考えるとね」
「ソウギョ説はないね」
「ちょっとね」
「この説はね」
「ないんだね」
「僕が思うにね、あとはね」 
 先生はさらにお話しました。
「イトウ、イワナ、ヒメマスがあるよ」
「どれも大型のだね」
「そうしたものだね」
「それがあるのね」
「そうなんだね」
「これは頷けるけれど」
 それでもと言う先生でした。
「あの剥製を見るとイトウはね」
「ちょっとないんだ」
「そうなんだね」
「先生はそう思うのね」
「外見特に頭の形が違うよ」
 そこがというのです。
「どうもね、ソウギョもそうだけれどね」
「そうそう、ソウギョって穏やかな感じで」
「イトウもよね」
「けれど剥製のタキタロウって険しい感じだよ」
「お口が特にね」
「そうだね、それを見るとね」
 どうしてもというのです。
「ソウギョもないしイトウもね」
「ないんだね」
「そちらも」
「そうなのね」
「マス淡水生のそれかはね」
 これはというのです。
「まず海水性はないね」
「サケとマスのその辺りの区分難しいんだよね」
「実は」
「そこは議論があって」
「中々言えないんだね」
「うん、けれどね」
 それでもというのです。
「海水性のマスとはね」
「思えないよね」
「この湖海から遠いし」
「マスもいるにしてもね」
「あんな大きなお魚が遡るか」
「ちょっと考えられないのね」
「僕としてはね、だからね」
 それでというのです。
「海水性のマスはないよ」
「そうだね」
「じゃあマスだとしたら淡水生ね」
「そこにずっといる」
「そうしたお魚だね」
「この大鳥池に」
「そうだよ、それと新種の古代魚説もあるよ」
 こちらもというのです。
「これがね」
「まだ未発見の」
「古代魚なんだ」
「大型の」
「そんな説もあるんだ」
「うん、ただこちらはね」 
 先生はどうかというお顔になって首を傾げさせつつお話しました。
「どうもね」
「ないよね」
「流石に」
「ちょっと荒唐無稽?」
「そんな説だね」
「未確認動物にはよくあるね」
 こうも言う先生でした。
「諸説出てその中にね」
「荒唐無稽な説も出るね」
「宇宙生物とかもあるしね」
「オーストラリアに出た謎の死体もそんな説あったし」
「タキタロウにもあるんだ」
「そうなんだ」
 先生は皆にお話しました。
「古代魚だってね」
「シーラカンスみたいな」
「日本には確かにカブトガニがいるけれど」
「瀬戸内海に」
「虫だとムカシトンボもいるし」
「あるにはあるね」
「ニホンオオカミも実は原始的な種類だしね」
 イヌ科の中でというのです。
「日本にもそうした生きものがいるけれど」
「タキタロウも?」
「まだ見付かっていない古代魚?」
「そうだっていうんだ」
「そんな説もあるの」
「そうなんだ、けれどね」
 それがというのです。
「僕はこれは流石にね」
「可能性は低い」
「そう言うのね」
「先生としては」
「そうだよ、これはないよ」
 こう言うのでした。
「可能性は殆どないよ」
「じゃあイワナかマスか」
「さっき出たアメマス系のニッコウイワナ?」
「オショロコマに近いアメマス?」
「どっちか?」
「そうだね、ただね」
 ここで先生は皆にお話しました。
「アメマスもニッコウイワナも生物学的にはイワナ属だよ」
「あっ、近いんだ」
「そうなの」
「そうなんだ」
「イワナもマスも」
「どっちかを亜種に区分することも出来るしね」
 それもというのです。
「そもそもオショロコマはイワナ属広義で言うイワナだしね」
「あれっ、じゃあね」
「タキタロウってイワナ?」
「そっちになるの?」
「そうなるの?」
「検証してみたら」
 皆先生のお話に考えました、そして。
 ここで、です。オシツオサレツが言いました。
「剥製もそうだよね」
「あれイワナじゃない?」
 二つの頭でお話します。
「大型のね」
「それに見えるよね」
「イワナここでよく見るけれど」
「タキタロウの剥製そっくりね」
 チープサイドの家族もお話します。
「そうだよね」
「外見が」
「鱗や鰭もそうね」
 ポリネシアはそうした場所を見て指摘しました。
「あの剥製イワナそっくりだったわ」
「全体的なシルエットもじゃない?」
 チーチーはこのことを指摘しました。
「あの剥製イワナそのままだよ」
「鰭は尾びれも背びれも前ひれもで」
 ホワイティは全ての鰭のお話をしました。
「イワナそのままだよ」
「似ているとかそっくりじゃないわ」
 ガブガブも言いました。
「そのままよ」
「マスとイワナが近い種類なら」
 トートーは首を傾げさせながら言いました。
「どっちとも言えるけれど」
「イワナじゃない?タキタロウって」
 老馬も言いました。
「やっぱり」
「特にお顔そのままだよ」
 ジップはこのことを指摘しました。
「まさにね」
「そう見たらね」
 どうかとです、ダブダブも言いました。
「タキタロウはイワナじゃないかな」
「僕もそうじゃないかって思っているんだ」
 先生もというのです。
「タキタロウは大型のね」
「じゃあイワナ属タキタロウ?」
「そうなるの?」
「学術的に言うと」
「正式名称は別のものになってもね」
 学問的なそれはというのです。
「かなりね」
「その線が濃厚なんだね」
「可能性高いのね」
「タキタロウはイワナなのね」
「大型の」
「大型のイワナじゃないかな」
 先生はあらためて言いました。
「タキタロウは」
「色々言われていたけれど」
「タキタロウはイワナね」
「そうなんだね」
「うん、このことを他の人達にもお話してみるよ」
 一緒にいるスタッフの人達にもというのです。
「これはね」
「そうしたらいいよ」
「他の人もそれぞれ説があるけれど」
「それぞれの説を聞くのも学問だね」
「だったらね」
「聞かせてもらうよ」
 是非にというのです。
「ここはね」
「うん、それじゃあね」
「そうしようね」
「後でね」
「そうするよ」
 こう言って実際にでした。
 先生はスタッフの人達と旅館の中で調査の報告を検証をし合うその中でタキタロウのお話をしました、まずは先生がイワナ説を出しますと。
「ああ、イワナですか」
「それは前から有力な説ですね」
「それもかなり」
「可能性は高いですね」
「僕もそう思います」
「剥製も見て検証もしてみてです」
 そうしてとです、先生はお話しました。
「僕はイワナ説を出します」
「僕もそうだと思います」
「私もです」
「僕もです」
 何人かの人達が先生に答えました。
「東北はイワナが多いですし」
「この湖にもいますし」
「タキタロウは大型のイワナの亜種としてもです」
「問題ありません」
「矛盾しないですね」
「むしろ自然です」
「マスじゃないですか?」
 こう人もいました。
「淡水生の大型の」
「そうですね、イワナとマスは近いですが」 
 その説に賛成する人もいました。
「どっちかといいますと」
「マスですね」
「あの外見は」
「そうなりますよね」
「はい、イワナというよりは」
「マスですね」
「そうですね」
「いや、イワナでしょう」
 イワナ説の人から反論がありました。
「あの剥製を見ると」
「イワナですか」
「そう言われますか」
「そうなのですか」
「そのことは」
「はい、そして」
 それでというのです。
「そちらに分類すべきでは」
「生物学的に」
「タキタロウはイワナだと」
「そう分類すべきですか」
「イワナ属に」
「そうでは」
「いないという人すらいますが」 
 その実はというのです。
「これはないですね」
「はい、実在しますね」
「タキタロウは」
「このことは間違いないです」
「目撃例も僅かですがあり」
「また食べた人もいてです」
「剥製もありますので」
 皆実在しないという説は否定します、見ればスタッフの人達はどの人もタキタロウは実在すると主張しています。
「魚群探知機でも反応がありました」
「今回何度もしましたが」
「ドリトル先生もされて」
「僕達もしましたが」
「常に反応がありました」 
 魚群探知機にというのです。
「水深三十メートルから五十メートル辺りで」
「大型の生物の反応がありました」
「それも幾つも」
「酸素濃度を見ても存在出来ます」
「タキタロウはいます」
 大鳥池にというのです。
「それは間違いないです」
「実在しないなぞ言えません」
「決してですね」
「全くです」
「しかし具体的にどういった生物か」
 このことを今お話するのでした。
「それがわかりませんね」
「イワナかマスか」
「そして詳しい生態もわかっていません」
「実在を断言出来ても」
「それでもです」
「僕もです」
 先生もお話しました。
「残念ですが生態まではです」
「わかりませんね」
「イワナ説を言われても」
「それでも」
「水面には殆ど出ませんし、ただ」
 先生は皆にお話しました。
「肉食ですね」
「イワナやマスと同じく」
「そうなのですね」
「そのことは間違いないのですね」
「はい、鯉の様に雑食ではなく」 
 このお魚と違ってというのです。
「そうですね、湖の生きものにも聞きましたが」
「先生はあらゆる生きものとお話出来ましたね」
「生きものの言葉をご存知なので」
「そうでしたね」
「それをアルファベットで表してもいますが」 
 そうして学会に発表もしています。
「あらゆる生きものの言語がわかりますし」
「喋れますね」
「そうですね」
「だからですね」
「彼等とお話をして」
 そうしてというのです。
「タキタロウのことを聞きましたが」
「肉食ですか」
「そうですか」
「そのことは間違いないですか」
「そして水深三十メートルから五十メートルのところにいて」
 生息場所のお話もします。
「個体数は少ないです」
「そうですか」
「やはり少ないですか」
「そうなのですね」
「鳥達に聞くとごく稀に水面に出て」
 そうだというのです。
「他の湖やお池、川にはです」
「いないですか」
「あくまで大鳥池だけですか」
「ここにしかいないですか」
「わかっている限りでは」
 そうだというのです。
「これが」
「そうですか」
「ではですね」
「タキタロウは大鳥池の固有種ですね」
「そう判断出来ますね」
「そうかと。勿論他の湖沼河川の現地調査も必要ですが」 
 それでもというのです。
「事実目撃例はないですね」
「はい、全く」
「あれだけの大型魚は」
「東北はおろか日本全土でないです」
「北海道でも沖縄でも」
「二メートル三メートルは流石になくとも」 
 見間違いにしてもというのです。
「七十センチ位の淡水魚になりますと」
「鯉や鮒ですね」
「鮒ではかなりの大きさです」
「どちらも一メートルになろうとも」
「これはかなりの大きさです」
「そうです、ですからタキタロウも七十センチか八十センチと考えられますが」
 それでもというのです。
「そこまで大型の魚はです」
「見付かっていないですね」
「東北では」
「そして日本全体で」
「鯉や鮒の他はです」
 大型の淡水魚はです。
「ビワコオオナマズがいますが」
「そのビワコオオナマズも一メートルです」
「このお魚が日本最大の淡水魚です」
「そう考えますと」
「タキタロウは七十センチか八十センチで」
「他の場所にはいないですね」
「わかっている限りではですが」
 先生は皆にお話しました。
「そうだとです」
「思われていますか」
「タキタロウは大鳥池固有の種で」
「イワナ属ですね」
「その大型の亜種であり」
「肉食ですね」
「そうだと考えています、そして個体数はです」
 先生はこちらのお話もしました。
「かなりです」
「少ないですね」
「まさにこの湖だけ棲息していて」
「他の場所には棲息しておらず」
「そしてですね」
「この大鳥池でも個体数は少ない」
「そうした種類です、若し実在が学術的に確かなものとなり」
 そうしてというのです。
「認められると天然記念物にもです」
「すべきですね」
「あまりに稀少な生物なので」
「その為にですね」
「そう思います、保護が必要です」
 先生は断言しました。
「この湖にしかおらず個体数が少なく」
「大型のイワナ属として」
「完全な淡水生の」
「そうした意味でも稀少ですね」
「だからですね」
「そうです、保護が必要なので」
 それ故にというのです。
「天然記念物に指定して」
「そうしてですね」
「そのうえで、ですね」
「保護すべきですね」
「そこまでのものです、ニホンオオカミも稀少ですが」
 先生が再発見したこの生きものもというのです。
「それ以上にです」
「タキタロウは稀少ですね」
「実在が学術的に確かなものとなり」
「公に認められたなら」
「ニホンオオカミもそうなっていますが」 
 天然記念物にというのです。
「ですが」
「タキタロウもですね」
「そうして保護をして」
「そのうえで、ですね」
「残していくべきです、この湖にしか棲息していないのですから」
 わかっている限りではです。
「僕は思います」
「天然記念物に指定して」
「特別に保護をして」
「護っていくべきですね」
「そう思います」
 先生はスタッフの人達に確かなお顔でお話しました。
「僕は」
「そうですか、ではです」
「その様にしましょう」
「そうなる為にもです」
「さらなる調査が必要ですね」
「僕達の調査は間もなく終わりますが」 
 それでもというのです。
「後はです」
「然るべき人達に申し継ぎをして」
「そうしてですね」
「そのうえで、ですね」
「調査を続けてもらいましょう」
 こうお話するのでした、そしてです。
 先生はスタッフの人達それに動物の皆と残り少ない日数全てを調査に使いました、それが終わってです。
 皆で打ち上げになってです、乾杯してです。
 飲んで食べてです、先生は今も一緒にいる動物の皆にお話しました。
「明日はね」
「もうここを発って」
「そうしてだね」
「神戸に戻るんだね」
「そうするのよね」
「そうするよ、振り返るとあっという間だったけれどね」
 大鳥池の調査はというのです、タキタロウのことも含めて。
「楽しかったね」
「湖だけじゃなくて周りの調査も出来て」
「仙台で美味しいものを食べてね」
「平泉にも行けたし」
「わんこそばもきりたんぽも食べられたし」
「よかったね、また機会があれば東北に来て」
 この場所にというのです。
「色々学びたいね」
「東北も色々あるからね」
「仙台や平泉だけでなくて」
「この大鳥池だけじゃない」
「そうだからね」
「そう、だからね」 
 それでというのです。
「また来たいね」
「今度は会津とか?」
 ポリネシアはこの場所をお話に出しました。
「白虎隊、幕末の」
「他には秋田の男鹿半島はどうかな」
 チーチーはこちらをと言いました。
「なまはげの」
「津軽どう?」
 ジップはこの地域を思いました。
「太宰治さんのね」
「青森なら大湊や八戸もいいよ」
 ホワイティは津軽と聞いてこうした場所を思いました。
「海上自衛隊の基地があるから」
「いや、盛岡に行ってね」
 食いしん坊のダブダブはこう言いました。
「わんこそばを専門的に食べよう」
「遠野はどうかな」
「河童のお話もしたしね」
 チープサイドの家族はこの地を思い浮かべました。
「だったらね」
「あそこもいいよね」
「妖怪なら雪女や座敷童がいるでしょ」
 ガブガブは他の妖怪を思いました。
「東北ならね、そういうの調べたら?」
「さくらんぼも食べたし林檎を調べる?」
 こう言ったのはトートーでした。
「津軽にもあるしね」
「仙台で伊達政宗さん念入りに調べてもいいよね」
「元々いた米沢とかも行き来してね」
 オシツオサレツはこの人のことを思って言いました。
「いいよね、それも」
「政宗さんもね」
「坂上田村麻呂さんとか八幡太郎さんのお話もあるし」
 老馬は平安時代の人をお話に出しました。
「この人達も調べたら面白いよ」
「そう、東北もまた学問の宝箱なんだ」
 先生は皆のお話を受けて笑顔で応えました、今は東北のお野菜と山菜それに淡水魚それにインスタントラーメンを入れたお味噌で味付けをしたお鍋を食べて焼酎を飲んでいます。
「歴史でも文学でも民俗学でもね」
「かなりあるよね」
「本当に」
「東北もね」
「そうだね」
「そうだよ、特に文学では」
 こちらのお話をするのでした。
「宮沢賢治さんもいるしね」
「あっ、銀河鉄道の夜の」
「セロ弾きのゴーシュや風の又三郎の」
「あの人だね」
「日本の国民的童話作家で詩人だね」
 宮沢賢治という人はというのです。
「そうだね」
「僕達も知ってるしね」
「日本じゃ凄く有名だよね」
「知らない人はいない位だね」
「その宮沢賢治さんがね」
 この人のお話をさらにするのでした。
「岩手県花巻市の出身なんだ」
「本当に東北の人だね」
「確かずっと東北にいたんだよね」
「ここで先生をしたり農業指導をして」
「それで童話や詩を書いていたんだね」
「そうだよ、生徒の人達と劇をして」
 そうもしてというのです。
「その後でパーティーもしたりしてね」
「色々やっていたんだね」
「忙しい人だったんだね」
「作家さんとして活動していただけじゃなかったんだ」
「そうだよ、天麩羅そばとサイダーが好物で」
 この二つがというのです。
「人の為に頑張って人に素晴らしいものを作品でも伝えてくれたけれど若くしてね」
「そうそう、若くしてだったね」
「宮沢賢治さんもね」
「亡くなってるわよね」
「そうだね」
「そうだよ、以前織田作さんと会ったね」 
 先生は皆にこの人のお話もしました。
「皆覚えてるね」
「忘れる筈がないよ」
「あの時は大阪のあちこち巡ったし」
「その中で織田作さんの幽霊と出会ってね」
「直接お話も聞いたわ」
「あの人も若くして結核で亡くなったけれど」
 終戦直後三十四歳で亡くなったことをお話するのでした。
「宮沢賢治さんもね」
「ああ、結核だったんだ」
「あの病気に罹ってしまったのね」
「若くして」
「それでなのね」
「三十七歳の若さでね」
 戦線は皆に悲しいお顔でお話しました。
「亡くなってしまったんだ」
「残念だね」
「物凄く沢山の名作を残してくれたのに」
「童話も詩も」
「そうしてくれたのに」
「そうだったけれどね」
 それがというのです。
「実は生前は作品は殆ど知られていなかったんだ」
「あれっ、そうだったんだ」
「今じゃ日本の誰もが知ってるのに」
「夏目漱石さんや森鴎外さんと同じ位有名なのに」
「芥川龍之介さんや太宰治さんにも匹敵するでしょ」
「そこまで有名な人なのに」
「詩人の草野心平さん達が紹介してね」
 そうしてというのです。
「世に広く知られてなんだ」
「それでなんだ」
「日本の国民的作家になったんだ」
「そうだったのね」
「そうだよ、そして僕も読んでいるけれど」
 先生もというのです。
「素晴らしいよ」
「そうだよね」
「先生あの人の作品好きだよね」
「それでよく読んでね」
「論文も書いたね」
「文章はわかりやすくて読みやすくて」 
 そうしてというのです。
「とても優しいよ」
「そして作品の中身もだよね」
「非常に魅力的で」
「素晴らしいものだね」
「そうだね」
「日本の人達に広く愛されているのは当然だよ」
 まさにというのです。
「本当にね」
「そこまでの作品だね」
「そうだね」
「文章も素敵で作品自体もいいから」
「読まれているんだね」
「子供が読んでも大人が読んでも素晴らしいよ」
 宮沢賢治の作品はというのです。
「本当にね」
「そうなんだね」
「それじゃあだね」
「先生はこれからも読んでいくね」
「そうしていくわね」
「勿論だよ」
 先生のお返事は一もニもないものでした。
「そうしていくよ。ちなみにあの人は菜食主義者だったんだ」
「あっ、それわかるよ」
「とても優しい人だからね」
「命の大切さをわかっている人だから」
「それでだね」
「そうだよ、ただ今の一部のヴィーガンの人達みたいに強制はしなかったよ」
 それはなかったというのです。
「あの人達は自分はいいと思っていてもね」
「それでもだよね」
「人にそれを押し付けるからね」
「よくないわよね」
「それは」
「よくないよ」
 先生は実際にと答えました。
「幾ら自分が素晴らしいと思っていてもね」
「皆そうとは限らないから」
「誰もがいいとは思わないから」
「それでよね」
「強制はよくないね」
「そうだよ、強制をする位なら」
 それならというのです。
「何もしない方がいいよ」
「どう素晴らしいかはお話しても」
「自分もそうだから他人も絶対にっていうのはね」
「本当によくないね」
「それは」
「そうだよ、よくないからね」
 だからだというのです。
「そこはちゃんと守らないとね」
「全くだね」
「菜食主義でもね」
「それは守らないとね」
「駄目だよ、そして宮沢賢治さんはね」
 あらためてこの人のお話をするのでした。
「そうした無理強いはね」
「しなかったんだね」
「菜食主義の素晴らしさをお話しても」
「それでも」
「結構独特な人でもあったそうだけれど」 
 それでもというのです。
「無理強いはね」
「しなくて」
「そうしたことはしなくて」
「菜食主義についてもそうで」
「ちゃんとしてたのね」
「そうだよ、信仰についてもね」
 こちらでもというのです。
「それでお父さんと揉めたこともあったけれど」
「無理強いはしなかったのね」
「こうしたことはよくあっても」
「それでも」
「そうなんだ、ちなみに日蓮宗だったよ」
 その宗派はというのです。
「この人は」
「ああ、鎌倉時代の人だね」
「過激なことを言っていて」
「それで幕府も攻撃して」
「一回死罪になりかけたんだね」
「そうだよ、その日蓮宗を信仰していて作品にも影響が見られるけれど」
 それでもというのです。
「無理強いはね」
「しなくて」
「それでなんだ」
「そうした意味でもいいんだね」
「あの人の作品は」
「強制は本当にないね」 
 宮沢賢治の作品はというのです。
「どの作品を読んでも。優しさはあるけれどね」
「物凄く優しい人で」
「いい人なのが出ていて」
「そうした意味でも読みやすい」
「宮沢賢治の作品はそうしたよさもあるんだ」
「そうだよ、だからこそね」
 また残念そうにお話する先生でした。
「若くして亡くなったことが残念だよ」
「そうなるんだね」
「宮沢賢治さんは」
「本当に若くして亡くなって」
「結核で」
「結核によってどれだけの人が亡くなったか」
 このことも残念そうに言うのでした。
「思えばね」
「本当にペニシリンが出るまでは助からなくて」
「沢山の人が命を落としたわね」
「この日本でも」
「そうだったね」
「そうだったからね、今だったらね」
 結核が治る時代ならというのです。
「あの人も織田作さんもだよ」
「若くて亡くならずに」
「ずっと作品を書いて」
「もっと多くの作品を残したかも知れない」
「そうなんだね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「あの人はね」
「ううん、そう思うとね」
「惜しいね」
「宮沢賢治さんについても」
「結核が治っていたら」
「全くだよ。今は昔よりずっと栄養状態がよくてね」
 それで身体が結核菌にも強くてというのです。感染症はどうしても身体の強さが影響してしまうのです。
「しかもね」
「それでだよね」
「ペニシリンもあって」
「結核にならなかったかも知れないし」
「なっても助かっていたね」
「そうなっていたよ、そうしたら」
 宮沢賢治さんが長生きしてくれていたらというのです。
「きっとだよ」
「もっと沢山の名作を残していたね」
「必ず」
「多くの童話や詩を」
「そうしていたわね」
「全くだよ、そして先生や農業指導者としてもね」
 そちらでもというのです。
「沢山の人の力になっていたよ」
「何ていうかね」
「そんな素晴らしい人こそ長生きして欲しいけれど」
「人の一生ってそうはいかないね」
「残念なことに」
「人の一生程わからないことはないからね」
 先生は焼酎を飲みつつ遠い目でお話します、皆宮沢賢治さんのお話をしていてもお鍋を食べています。そして先生はお酒も楽しんでいます。
「どれだけ生きられるかは」
「全くだね」
「これは神様の配剤だよ」
「長生き出来るか若くして亡くなるか」
「そのことは」
「そうだよ、本当にね」
 このことも遠い目でお話しました。
「だからね」
「宮沢賢治さんにしても」
「若くしてだね」
「亡くなってしまったんだね」
「長生きして欲しくても」
「人がそう思っても」
 それでもというのです。
「神様はどう思うか」
「それが人生だね」
「人生はどうなるかわからない」
「そうだね」
「神様の決めることだから」
「運命は変えられてもね」
 本人の動き次第で、です。
「どう変わるかもね」
「わからないよね」
「人間ではね」
「どんな一生を送るか」
「生きるか死ぬか」
「それはね、本当にね」
 どうしてもというのです。
「わからないからね」
「そうだよね」
「どうしてもね」
「宮沢賢治さんが若くして亡くなったことも」
「神様の配剤なら」
「もう仕方ないかもね」
「人間があれこれ言ってもね」
 先生は皆にお話しました。
「結局は」
「沢山のいい人が長生きして」
「時には若くして亡くなる」
「若くして亡くなることは残念でも」
「けれどね」
「それでもだよ、仕方ないのかもね」
 お酒を飲むこともお鍋を食べることも止めて言います、見れば先生のお鍋の中にはインスタントラーメンがあります。
「結局はね」
「人間の一生のことは」
「この世で最もわからなくて」
「神様の配剤かも知れない」
「それならだね」
「どうしようもないかもね、だからあの人が短い一生の中で残してくれた作品を」
 三十七年の人生の中で、です。
「読んでね」
「楽しませてもらって」
「そして学ぶべきなんだね」
「そうすべきだね」
「そうかもね、ただ短い一生の中でもね」
 それでもというのです。
「数多くの作品を残してくれて」
「名作もだね」
「多いんだね」
「その残してくれた多くの作品の中には」
「そうなんだね」
「そうだよ、本当に名作が多くて」
 その童話や詩はというのです。
「読んでも読んでも足りない位だよ」
「そう思うと素晴らしいね」
「宮沢賢治さんという人は」
「とても素晴らしい人ね」
「岩手県東北を代表する人の一人だよ」 
 宮沢賢治はというのです。
「本当にね」
「そうだよね」
「その宮沢賢治さんのお話を読むね」
「先生もね」
「これからも」
「そうしていくよ」
 こうも言ってでした。
 先生はお酒も飲みました、そうして言うのでした。
「本当にまたね」
「うん、東北にだね」
「来たいね」
「そうしたいね」
「是非ね」 
 こう言うのでした、帰路に着く前の日に。








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