『ドリトル先生のダイヤモンド婚式』




               第二幕  結婚について考えて

 先生はこの日も大学のご自身の研究室で学問に励んでいました、今は本を読んでそうして学問を楽しんでいます。
「うん、やっぱりどんな出会いでも幸せな夫婦ならね」
「それが一番だよね」
「何といっても」
「そうだよね」
「そう思うよ、今川氏真さんのことを調べているけれど」 
 先生は皆に今読んでいる本の主題の人のことをお話しました。
「この人はずっと夫婦仲がよかったんだ」
「ええと、今川氏真さんって」
「桶狭間で死んだ今川義元さんの息子さん?」
「何か駄目だったって言うね」
「そう言われてるわね」
「お家を滅ぼしたって」
「いや、お家自体はずっと続いたんだ」
 先生は皆にお話しました。
「明治時代までね」
「へえ、そうだったんだ」
「あの時に潰れたんじゃないんだ」
「滅んでいないのね」
「戦国大名としては終わったけれど」 
 それでもというのです。
「一旦北条家に身を寄せて徳川家康さんのところに行って」
「それでなんだ」
「ずっと残ったんだ」
「明治時代まで」
「江戸時代の間はずっと吉良家と同じ高家として残っていてね」
 そうしてというのです。
「嫡流は明治時代まで残っていたよ」
「それは驚いたね」
「あの時に滅んだと思っていたら」
「ずっと残っていたんだ」
「それで調べると結構いい政治もしていてちゃんと戦っていたんだ」
 戦国大名としてのこともお話しました。
「そもそも桶狭間で負けた後に武田家と徳川家に挟み撃ちだったしね」
「考えてみたら辛いね」
「どっちも強いしね」
「その両方の家に同時に攻められたら」
「どんな家でも辛いわね」
「それで九年もったんだからね」
 武田家と徳川家という二つの強い家に挟まれて攻められてというのです。
「悪くないと思うよ」
「実は駄目じゃなかったんだ」
「駄目なイメージ強いけれど」
「その実はなのね」
「そうだよ、戦国大名として悪くなくて」
 それにというのです。
「剣術も蹴鞠も抜群で和歌もかなり詠んでいたんだ」
「文武両道だったんだ」
「それは凄いね」
「意外と出来る人だったんだ」
「そうだったんだ」
「しかも気さくに人に秘伝の馬のお薬のことを教えたりしてね」
 そうしたこともしていたというのです。
「信頼出来る人はちゃんと見抜いて用いていたし」
「しかも夫婦仲も悪くなかった」
「凄い人だったんだ」
「色々言われているけれど」
「そうだよ、それで徳川家康さんは幼い頃今川家の人質だったけれど」
 この人のお話もしました。
「よく人質としていじめられていたってあるね」
「そうそう、あの人のお話だとね」
「それで子供の頃苦労したってあるね」
「今川義元さんに虐げられていて」
「氏真さんにいじめられていたって」
「そんなこともなくてね」
 実際はというのです。
「義元さんは自分のお師匠さんに家康さんを預けて教育してもらってるし」
「言うなら弟弟子だね」
「家康さんをそうしたんだ」
「かなりのものだね」
「氏真さんとも幼い頃からよく一緒に遊んでいて」
 そうしていてというのです。
「氏真さんもいじめていなかったよ、だから家康さんも頼ったんだ」
「途中戦もしたけれど」
「家康さんと絆があったんだ」
「幼い頃からの」
「だから家康さんという人も知っていてね」
 それでというのです。
「頼ったんだよ」
「人を見る目あったんだね、やっぱり」
「家康さんは信頼出来るとわかっていて」
「それで敵だったけれど頼ったんだ」
「そして実際に迎えられてね」
 家康さんにそうしてもらってというのです。
「後は穏やかに暮らしてね」
「お家も残っていたんだ」
「そうだったんだ」
「そうした人だったんだ」
「それで夫婦仲もね」
 こちらもというのです。
「あの頃では珍しく今で言う金婚式を超えるまでだよ」
「うわ、凄いね」
「人間五十年って言われてる時代にそれは」
「余計に凄いね」
「ずっと一緒だったなんて」
「長生きもしたからね、奥さんも」
 一緒にというのです。
「七十を過ぎても健在で大坂の陣の直前に亡くなっているよ」
「桶狭間から五十年以上だね」
「凄いね、それは」
「かなりのものだね」
「奥さんは早川殿といって北条家の人でね」
 相模のこのお家のというのです。
「武田家も含めて三つの家の盟約の時に結婚して」
「それからなんだ」
「ずっと一緒だったんだ」
「奥さんが亡くなるまで」
「この盟約は桶狭間の数年前だからね」 
 その頃のことでというのです。
「奥さんは西暦で言うと一六一三年に亡くなっているから」
「ううん、長いね」
「六十年にはいかないけれど」
「ダイアモンド婚式には」
「けれど近かったんだ」
「五十年は普通に超えていて」
「本当にこの頃では稀だよ」 
 それだけ夫婦で一緒にいられたことはというのです。
「そうした意味でも凄い人だよ」
「文武両道で気さくで人を見る目もあって」
「しかも奥さんとずっと仲がよかった」
「今じゃかなりの人だね」
「戦国大名としては敵が強過ぎただけで」
「信玄さんが攻めてきてね」 
 武田家のこの人がというのです。
「この人戦国最強とさえ言われているから」
「越後の上杉謙信さんとどっちが強いか」
「織田信長さんですら戦いたくなかったそうだし」
「家臣の人達も軍勢も強かったし」
「本当に戦国最強だったかもね」
「そこに徳川家康さんが離反してね」
 それまでは家臣だったのにというのです。
「この人も強かったしね」
「伊達に後で天下人になってないね」
「家康さんも戦上手だったね」
「やっぱり家臣の人達も軍勢も強かったし」
「当時の三河武士は武辺で知られていたからね」
 強かったというのです、武辺とはそうした意味の言葉です。
「その二つの家に左右から攻められたら」
「流石に負けるよね」
「しかも義元さん桶狭間で討たれてがたがただったし」
「そんな状況だとね」
「それで戦国大名として九年もったことはね」
 このことはというのです。
「素直にね」
「凄いんだね」
「その実は」
「そうなのね」
「駄目な人だったらここまでもたないし」
 九年もというのです。
「他の色々な逸話、検証して真実と思われるものを調べていくと」
「駄目な人じゃない」
「むしろ凄い人だね」
「そうだね」
「そう思うよ」
 こう言うのでした。
「夫婦仲もね」
「政略結婚だよね」
 トートーはその結婚について指摘しました。
「はじまりは」
「けれどそれでも夫婦仲がよくて」
 ジップも言います。
「五十年以上続いたって凄いね」
「しかも北条家も戦国大名として滅んでたわね」
 ガブガブは奥さんの実家のお話をしました。
「豊臣秀吉さんに攻められて」
「それからも一緒にいてだから」
「そこもいいわね」
 チープサイドの家族はこうお話しました。
「好感持てるわね」
「奥さんのお家が駄目になっても一緒にいることも」
「ううん、家康さんをいじめていたイメージが強いけれど」
「実はそんな人もなかったんだね」
 オシツオサレツも二つの頭で思いました。
「むしろ仲がよくて」
「家康さんも迎える位の人だったんだね」
「そう思うと俗に言われてることって鵜呑みに出来ないわね」 
 ポリネシアはこう思いました。
「真実とは違うから」
「そうしたことってよくあるね」
 ホワイティはポリネシアの言葉に続きました。
「歴史でも今でも」
「俗に言われていることと現実は違う場合がある」
 チーチーも言いました。
「このことは覚えておかないとね」
「いや、氏真さんだけじゃないね」
 老馬もこのことについて言及します。
「何でもそうだね」
「自分でちゃんと調べて考えて見極める」
 ダブダブは目が覚めた様な感じになっています。
「そうしないと駄目だね」
「そうだよ、シェークスピアの作品なんてね」 
 先生は例えとしてこの人の名前を出しました。
「凄いよね」
「ああ、何かとね」
「劇的でインパクトも強くて」
「読んだらそれが事実に思えるよね」
「歴史上の人のお話だって」
「そうだよね、シェークスピアはもう魔法だよ」
 そう言っていい位だというのです。
「読めば創作でかなり脚色されているのに」
「その筈なのにね」
「それが真実って思える」
「そんな凄さがあるよね」
「あの人の戯曲は」
「面白くて読むと頭から離れない」
 そうなっているというのです。
「そして真実とさえ思える」
「そうしたものだからね」
「脚色されてたり事実でなかったりしても」
「それが真実になって」
「そのうえで考えてしますね」
「それだけの力があるけれど」
 シェークスピアの作品にはというのです。
「注意しないとね」
「歴史を学ぶうえで間違えるね」
「そうなるね」
「ついついシェークスピアの作品が真実に思えて」
「そうなるね」
「そしてシェークスピアは極端にしても」
 それでもというのです。
「氏真さんもそうだよ、ついつい信長さんや家康さんが凄くてね」
「引き立て役とか悪役になっていて」
「過小評価されて」
「貶められてるんだね」
「真実とは違って」
「そうなっているよ、このことに注意して真実を見たら」
 そうすればというのです。
「夫婦生活についてもね」
「立派な人なんだね」
「色々なことを含めて」
「そうなんだね」
「そうだよ、しかし五十年そして六十年となると」 
 先生は本を読みつつ遠い目になって語りました。
「長いよね」
「そうだよね」
「日本で十六年は一昔っていうけれど」
「五十年でその三倍以上だしね」
「長いよね」
「そうだよ、その五十年六十年一緒にいられることは」
 夫婦生活で、というのです。
「凄いよ」
「全くだね」
「そのことは凄いよね」
「本当にね」
「長いものだよ」
「だから祝われるべきでね」
 それでというのです。
「祝われるんだよ」
「そうだよね」
「結婚式も祝うべきものだけれど」
「金婚式もそうだね」
「そしてダイアモンド婚式も」
「そうしたものだよ」
 先生は皆に言いました。
「是非共ね」
「現実離婚って多いし」
「人間は必ず死ぬものだし」
「どちらかの人が亡くなることもね」
「そのこともあるから
「だからね」
「そう、そう思うと」
 本当にというのです。
「五十年六十年一緒にいられたら」
「どれだけ素晴らしいか」
「考えれば考える程だよね」
「だから祝わないと」
「是非共」
「そう思うよ」
 こう言いつつです、先生は本を読んでいきました。そうしてそのうえで学問を楽しんでそうしてでした。
 大学の食堂の一つでお昼ご飯を食べます、そのお昼ご飯はナポリタンとサラダですが。
 皆はナポリタンを食べる先生にこう言いました。
「先生日本に来てからスパゲティをよく食べるけれど」
「ナポリタンもよく食べるね」
「日本のスパゲティをね」
「そうして楽しんでいるね」
「いや、スパゲティのソースは美味しいものが多いけれど」 
 それでもとです、先生はオレンジ色のそのスパゲティを食べつつ応えます。
「ナポリタンもいいよね」
「そうだよね」
「中にソーセージやピーマンやマッシュルームも入っていて」
「そのことも美味しいよね」
「しかもこの食堂のスパゲティって本格的で」
「オリーブオイル使って大蒜も入っていて」
「余計に美味しいね」
「しかも量も多いしね」 
 先生はこちらのお話もしました。
「尚更いいよ」
「そうだよね」
「それでだよね」
「先生余計に食べるんだよね」
「ナポリタンをね」
「日本人は少食な人が多くて」
 先生はこのことは残念そうに言いました。
「どうしてもね」
「お店で出るもの少ないよね」
「ボリュームがないよね」
「イギリスと比べても」
「どうしても」
「そうだけれどね」
 それでもというのです。
「この学園の食堂は違うけれどね」
「そうだよね」
「ボリュームあるよね」
「そのこともいいよね」
「そう、だからね」 
 食べながら笑顔でお話します。
「僕はとても嬉しいよ」
「この食堂で食べることが」
「ナポリタンにしても」
「そうだね」
「心からね、じゃあ皆でお昼を楽しんだら」
 それからもというのです。
「また学問を楽しもうね」
「そうしましょう」
「やっぱり先生は学問だよね」
「学問を楽しんでこそ先生だよ」
「日々学問を楽しんでこそね」
 皆も笑顔で応えます。
「そして僕達はその先生を見る」
「そのうえで周りのことをする」
「それが僕達のお仕事だからね」
「周りのことは任せてね」
「全部ね」
「いつも悪いね、皆がいてくれたら」
 ここでついついこう言ってしまった先生でした。
「結婚しなくてもいいからな」
「そこでそう言わないことだよ」
「全く、すぐにそう言うんだから」
「結婚は無理だとか縁がないとか」
「それでしなくてもいいとか」
「そう言うんだから」
「いや、皆がいてトミーがいて王子がいて」
 それでというのです。
「お友達も一杯いてサラだってよく来てくれるから」
「いいんだね」
「それで満足なんだね」
「しかもお家があって」
「お仕事もあって」
「学問も出来るから」
「だからね」 
 満ち足りたお顔でのお言葉です。
「本当にね」
「今で満足」
「何の不満もない」
「そうだっていうんだね」
「そうだよ、僕はこれ以上は求めないよ」
 そうだというのです。
「本当にね」
「無欲なのはいいけれどね」
「先生の美徳の一つだよ」
「そのことば僕達も思うよ」
「いいことだよ」
「けれどね」
「結婚のこともね」
 このこともというのです。
「くれぐれもね」
「よく考えてね」
「積極的になっていいよ」
「幸せももっと求めていいよ」
「そうしてね」
「今以上にね」
「貪欲にかな、僕は貪欲は」 
 どうしてもというのです。
「好きじゃないし性分じゃないから」
「そうした人じゃないのは知ってるよ」
「だからそれは本当に先生の性分でね」
「美徳だよ」
「いいことだよ」
「いいことでもね、それでもね」
 こう言うのでした。
「結婚はね」
「家庭を持つことはいいことだよ」
「先生はもっと幸せになってもいいし」
「氏真さんもそうだったし」
「もっとね」
「最近特に言われるしね、じゃあね」
 それならとです、先生も応えました。
「本気で考えるよ」
「先のことになるかも知れないけれど」
「それでもね」
「前向きになってね」
「そうしてね」
「そうしていくよ」
 先生は約束しました、そしてです。
 お昼を食べたその後で、でした。研究室に戻ってそのうえで学問を再開しました。先生は学問に励んで。
 結婚のことも考えだしました、その日実際にお家では考えていました。それで晩ご飯の後で、でした。
 ピーナッツと柿の種を食べて梅酒をロックで飲みつつトミーに言いました。
「いいかな」
「どうしました?」
「うん、僕も結婚すべきだね」
「皆が言う通りに」 
 トミーはにこりとして答えました。
「そうですよ」
「やっぱりそうだね」
「先生はもてますよ」
「もてないと思っているけれどね」
「ですからその性格ですから」
 だからだというのです。
「もてますよ」
「そうなんだね」
「人相を見てもわかります」
 こちらでもというのです。
「このことは」
「僕のだね」
「はい、先生はとても穏やかな表情ですし」
 それにというのです。
「目の光も優しいですから」
「だからなんだね」
「顔相を見る人が前言ってましたよ」 
 そうした人に会ったというのです。
「先生は凄くいい相だって」
「僕の顔相はだね」
「その人テレビのコメンテーターや司会者はとても悪い相が多いと言ってました」
「日本のテレビは酷いからね」
 先生は飲みながらそれはと応えました。
「本当に」
「ですから」
「そうした人達はだね」
「驚く位です」
 そこまでというのです。
「悪い相の人が多いそうですが」
「それはわかるね」
「あと野党の女性議員の人達も」
「全く勉強していないであげつらうばかりだね」 
 この人達はというのです。
「テレビのそうした人達も同じでね」
「そうした人達は凄く卑しい」
「そうした相なんだね」
「その心が出て」 
 そうしてというのです。
「凄く悪いそうですが」
「僕はなんだ」
「凄くいいそうです」
「顔相はなんだ」
「これだけいい相はです」
 それこそというのです。
「いないとさえです」
「言っていたんだね」
「そうです、人間生まれた時のお顔と」
「あっ、生きてきてね」
「はい、出来ていきますね」
「それが人相、顔相だね」
「そうですよね」
 お酒を飲みながらお話する先生に応えました。
「本当に」
「人間は四十になったら自分の顔に自信を持て」
「リンカーンの言葉ですね」
「これは生き方が出るからね」
「四十位になれば」
「ヤクザ屋さんが皆どうして人相が悪いのか」 
 それがどうしてかも言うのでした。
「それはやっぱりね」
「悪いことばかりしているからですね」
「悪いことばかり考えてね」
「だからヤクザ屋さんは人相が悪いですね」
「皆ね」
「それと同じですね」
「テレビに出ている人達もね」
 コメンテーターや司会者の人達もというのです。
「やっぱりね」
「生き方が出ていますね」
「だからね」
「顔相が悪いですね」
「だからリンカーンの言葉は正しいよ」
「四十歳位になりますと」
「生き方が出て来るよ、元プロ野球選手でね」
 先生は今度はそちらの人のお話をしました。
「そのヤクザ屋さんみたいな外見で覚醒剤で捕まった人がいるね」
「入れ墨まで入れている」
「あの人も最初はね」
 先生はご自身のスマートフォンを出しました、そしてそのスマートフォンでその人の画像を出してトミーにお話しました。
「こうだったんだよ、高校時代は」
「うわ、素朴ですね」
 トミーはその頃のその人を見て驚きました。
「別人ですね」
「それで西武に入団した時はね」
「好青年ですね」
「それがだよ」 
 画像をどんどん紹介していきます。
「この通りね」
「おかしくなっていっていますね」
「途中から物凄く人相が悪くなっているね」
「外見も」
「そしてだよ」
「今はああですね」
「これこそね」 
 まさにというのです。
「生き方がね」
「出ていますね」
「それでだよ」
「ヤクザ屋さんみたいになっていますね」
「そうだよ、これこそね」
「悪い意味でのサンプルですね」
「もう見るに堪えないよね」 
 先生はトミーにお顔を曇らせて言いました。
「醜くて」
「引退してからは」
「この人は西武時代はスターだったんだよ」
「それも子供達のですね」
「アイドル選手だったんだよ」
「当時の画像見れば頷けますね」
「それがだよ」
 子供達のスターそしてアイドル選手がです。
「こうなったんだよ、だから西武のチームメイトの人が皆監督やコーチになってね」
「活躍していますね」
「それぞれの知識や指導力、理論を活かしてね」
 そのうえでというのです。
「そうしているけれど」
「この人はですね」
「全くだよ、テレビで誰の役にも立たないことを言って」
 そうしてというのです。
「番長とか言われていい気になってね」
「ああなっているんですね」
「その酷い生き方が出て」
「今の人相ですね」
「そして外見だよ、人間こうなったらね」
 先生は眉を曇らせて言いました。
「おしまいだよ」
「そうですね」
「そして僕の顔相はなんだ」
「はい、凄くいいそうですよ」
「そうなんだね」
「先生は国教会の人ですが」 
 宗教のお話も入れてお話します。
「まるで仏様の様だと」
「仏教のだね」
「そう言っていましたよ」
「僕は悟りを開いているんだ」
「そこまでだと」
「ううん、そう言われると恥ずかしいね」
 先生は柿とピーナッツを一緒に食べながら苦笑いになりました。
「どうもね」
「そうですか?」
「僕はそんなにね」
 それこそというのです。
「立派じゃないよ」
「そこでそう言う謙虚さもですよ」
「いいんだ」
「そう思います、訳もなく尊大な人もいますね」
「尊大になるのに訳はいらないからね」
「そうなんですね」
「自分で勝手に自分は偉いと思えばね」
 そう思えばというのです。
「それでだよ」
「尊大になるんですね」
「そうだよ、勝手に自惚れたりしてね」
 そのうえでというのです。
「尊大になるんだよ」
「そうですか」
「今話した元プロ野球選手や野党の女性議員の人やテレビのコメンテーターや司会者の人達も」
「そういえば尊大な人多いですね」
「日本では学校の先生もだからね」 
 この職業の人達もというのです。
「先生様とか言われていつも生徒の上に立っていてね」
「見下ろしてですね」
「そうなっているから」
 だからだというのです。
「凄くね」
「尊大になるんですね」
「そんな人が多いよ、そしてね」
 そのうえでというのです。
「そんな人は自分は偉いから何をしてもいい」
「そうも思うんですね」
「そうだよ、けれど結局人間はね」
「皆同じですね」
「一人一人の能力なんてね」
 それこそというのです。
「神様から見ればね」
「微々たるものですね」
「大谷翔平さんが幾ら怪物みたいでも」
 人から見ればそこまで凄くてもというのです。
「神様から見るとね」
「同じですね」
「まして訳もなく尊大な人なんて」
 それこそというのです。
「その実はね」
「何でもないですね」
「そうだよ、というか自分をこの世で一番偉いと思ったら」
「あっ、もうその時点で努力しないですね」
「そうした人は最高だと思えば」
 それでというのです。
「努力しないからね」
「それで自分が最高なので」
「努力しなくてね」
 そうしてというのです。
「そのままずっとね」
「成長しないですね」
「そして他の人はどんどん努力して」
「追い抜かされますね」
「だから日本の学校の先生はレベルがよくないんだ」
「自分は偉いと思ってそこで終わって」
「努力しないからね、それは知識や指導力もで」 
 先生はさらにお話しました。
「人格もね」
「酷いんですね」
「イギリスにも問題のある先生はいるけれど」
 それでもというのです。
「日本は比較にならないね」
「酷い先生が多いですね」
「質も量もね」 
 悪い意味でというのです。
「世界でも屈指の酷さじゃないかな、だからいい鉄は釘にならないで」
「いい人は学校の先生にならないですね」
「そうかもね、それで尊大になるにはね」
「訳はいらないですね」
「根拠もね」
「そうしたものですね、そのことがわかっていて」 
 トミーは先生に応えて言いました。
「しかも人のこともわかっていて」
「神様の前では誰も微々たるものだと」
「だからですね、謙虚なんですね」
「だって僕は運動神経ないんだよ」 
 先生は笑ってこのことをお話しました、自分のそれを。
「全くね」
「スポーツは出来なくて」
「走って最下位以外になったことはなくて身体測定でもね」
 こちらでもというのです。
「いつも学年で一番下で球技も陸上もね」
「出来ないですか」
「泳げるけれど遅くて」 
 それはというのです。
「こちらも最下位以外はね」
「なっていないですか」
「握力も低いし懸垂も出来ないよ」
「一回もですか」
「それで身体も固いんだ」
「本当に運動は苦手ですか」
「スポーツはどれも苦手だよ、歩くことはかなり歩けても」
 それでもというのです。
「本当にね」
「スポーツはですね」
「全く何も出来ないんだよ、そんな僕が凄いかな」
「そう思われていますか」
「おトイレも行くしご飯をこぼすこともあるしね」
 こうした失敗もするというのです。
「それでどうして偉いか」
「偉くないですか」
「全くね」 
 そうだというのです。
「僕はそう思っているからね」
「偉いと思わないで」
「謙虚と言われるなら」
 それならというのです。
「そうかもね」
「仏様みたいに」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
 実際にというのです。
「本当にね」
「そうですか」
「そしてその顔相がそこまでいいからなんだ」
「確かな人はその人の人相を見ますからね」
「お顔でもなんだ」
「もてますよ」
 そうだというのです。
「本当に」
「ずっと顔はよくないと思っていたけれどね」
「はい、ただ」
「ただ?」
「人間自分のよくないことを知る、自覚することもいいんですね」
 トミーは先生を見て思いました。
「それで謙虚になれるなら」
「まあ誰だってコンプレックスはあるね」
「そうですね」
「コンプレックスは克服すればいいし」
 その様に努力すればというのです。
「自分も高められるし。それにね」
「それにですか」
「それが実際に心のストッパーになるなら」
 尊大にならない要素になるならというのです。
「いいかもね」
「コンプレックスも考え様ですね」
「そうだね」
「そういえばね」 
 ここでダブダブが言いました、皆当然今も先生と一緒にいます。
「あのカエサルさんもコンプレックスあったね」
「あの人は髪の毛だったわね」 
 ポリネシアが応えました。
「薄かったのよね」
「それでそのことを気にしていて」
 老馬も言います。
「コンプレックスだったね」
「それが仇名にもなっていて」
 ガブガブはこうも言いました。
「女性が好きだったことも言われていたわね」
「それを部下の兵隊さん達に言われてね」
 トートーはこのお話をしました。
「嫌なお顔したそうね」
「兵隊さん達も悪いジョークを言ったね」
 ホワイティはこの人達のことを思いました。
「どうも」
「それでもカエサルさん怒らなかったそうだね」
 ジップはその時のカエサルさんのお話をしました。
「コンプレックスで気にしていたことでも」
「そのことは凄いね」
 チーチーは素直に褒めました。
「器が大きいね」
「凄く気にしていたらしいからね」
「あの人髪の毛のことを」
 チープサイドの家族もお話をします。
「それを言われても嫌な顔をしても怒らない」
「そのことは立派だよ」
「敵とは徹底的に戦うけれど降伏したら許したそうだし」
「寛大な人だったんだね」 
 オシツオサレツはしみじみと言いました。
「残酷でもなかったそうだし」
「やっぱり英雄だね」
「僕もそう思うよ、コンプレックスはあっても」
 それでもというのです。
「それが尊大にならないストッパーになって克服しようと努力するならね」
「それもまたよし」
「先生みたいに謙虚になれるなら」
「いいことだね」
「そういうことだろうね」
「そうした先生なら」
 まさにとです、皆も言いました。
「絶対にだよ」
「いい人が先生を好きになっているから」
「結婚出来るよ」
「だからもういい加減周りを見てね」
「気付いてね」
「周りをだね、誰かいるのかな」
 先生は飲みながら首を傾げさせました。
「実際にね」
「それもすぐ傍にいるかもね」
「先生も驚く位にね」
「そうかもね」
「女の人だね」 
 先生は皆にこのことを確認しました。
「そうだね」
「うん、そうだよ」
「同性婚認めてる国もあるけれどね」
「日本は伝統的に同性愛普通だけれどね」
「この場合は女の人よ」
「そうだよ」
「僕は同性愛は否定しないけれど」 
 それでもというのです。
「個人的に趣味じゃないからね」
「お付き合いするなら女性だよね」
「結婚するにしても」
「男の人は考えてないね」
「そうよね」
「全くね」
 実際にというのです。
「僕としては」
「それなら尚更いいよ」
「先生にいい人おられるわよ」
「絶対にね」
「先生のすぐ傍に」
「そうなるから」
 それでとです、皆で先生に言います。
「落ち着いてね」
「そして自分がもてないとか思い込まないで」
「気のせいとも思わないで」
「それで周り見てね」
「そうしたら気付く筈だよ」
「それでね」
「一度そうしてみるね」 
 実際にというのです。
「僕も」
「お願いしますね」
 トミーも言いました。
「幸せにも際限はないですね」
「うん、人類の進歩と同じでね」
「何処までも、ですね」
「文明は今が充分凄いと思いながらだね」
「進歩し続けていますね」
「そうしたものだね」
「そして幸せもですね」
「お空と同じだよ」
 こうお話するのでした。
「何処までもね」
「上がありますね」
「不幸には際限があるけれどね」
「どん底ですね」
「地獄だってそうだね」
「そうですね、キリスト教の地獄は神曲ですが」 
 そちらのものだというのです、ダンテの作品の。
「一番下には三つの顔を持つ魔王がいて」
「そこからはないね」
「そうですよね」
「仏教でもね」
 先程お話に出たこの宗教でもというのです。
「無間地獄があるね」
「阿鼻叫喚地獄ともいいますね」
「この地獄の下はね」
「ないですね」
「そして不幸もだよ」
 これもというのです。
「どん底があってね」
「そこから下はないですね」
「奈落があっても」
 それでもというのです。
「奈落にも底があるね」
「奈落の底って言いますね」
「だからね」
「不幸とか地獄とかには底がありますね」
「けれど幸せにはね」
「お空と同じで」
「何処までもあるから」
 だからだというのです。
「いいんだよ」
「今以上の幸せを求めても」
「人の迷惑にならないなら」
 それならというのです。
「いいんだ」
「じゃあ先生も」
「ずっとこれで満足と思ってね」
「結婚まではですね」
「考えてなかったよ、幸せはその時点で満足してもいいしね」
「そこはその人それぞれですね」
「それで僕はそちらでね」
 それでというのです。
「ずっとそう思っていたけれど」
「はい、これからは」
「考えを変えてね」
「結婚もですか」
「少しでも前向きに」
「考えていきますか」
「そうしてみようか」
 考えながらの言葉でした。
「本当にね」
「そうして下さいね」
「うん、やっぱり僕も結婚するといいんだね」
「はい、というかです」
「というか?」
「先生より遥かに酷い人間性の人が結婚していますよ」
 トミーはこのことも言いました。
「ふわりの前の飼い主の人達にしても」
「あの人達だね」
「今はああなっていますが」
 禁治産者になって酒浸りになっているというのです。
「何もなくなって、ですが」
「それでもだね」
「ああした人達でも結婚出来ましたし」
「僕だってだね」
「結婚出来ますししてもよくて」
 トミーはさらに言いました。
「すべきです」
「そうなんだね」
「ですから」
「結婚のことはだね」
「前向きにです」
「考えることですね」
「そうされて下さい」
 こう言うのでした。
「宜しいですね」
「それでは」
「はい、お願いします」
 こう言ってそうしてでした。
 先生に結婚のことをさらにお話しました、そのうえで。
 先生に勧められて一緒にお酒を飲みました、先生はそのトミーに笑顔で結婚のことをさらに言うのでした。








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