『ドリトル先生とめでたい幽霊』




                第九幕  織田作さんの忍者

 先生はこの日は動物の皆に加えてトミーとも一緒に大阪に行きました、この日はまずは玉造に来ました。
 その商店街に入ってです、動物の皆は言いました。
「ここも賑やかだね」
「玉造の商店街も」
「いい雰囲気だね、活気があって」
「大阪ならではだね」
「そうだね、この活気と賑やかさがね」
 先生も笑顔で応えます。
「大阪だね」
「本当にそうだね」
「今回色々な大阪の場所を巡ってるけれど」
「活気があって賑やかでこそ大阪だね」
「そこに人情もある」
「それが大阪だよね」
「全くだよ、他の街にはないよ」
 大阪のこの活気と賑やかさがというのです。
「日本でもね」
「そうだよね」
「じゃあこのままね」
「この玉造の商店街も巡って」
「そしてだね」
「まずは幸村さんのどころに行こうね」
 こう言ってでした。
 先生は賑やかな玉造の商店街からです。
 皆真田幸村さんの銅像のところに案内しました、そしてです。
 そこで、でした。先生は言いました。
「織田作さんが書いたこの人に縁のある人はね」
「ううんと、誰かな」
「この人に縁がある人って」
「ひいては大阪にも縁がある人みたいだけれど」
「一体誰かな」
「猿飛佐助さんだよ」
 この人だとです、先生は皆に笑顔でお話しました。
「あの人だよ」
「真田十勇士のあの人なんだ」
「十勇士の中でも一番人気のある」
「あの人なんだ」
「うん、あの人を主人公にした作品も書いているんだ」
 そうだったというのです。
「題名はまさに猿飛佐助でね」
「うわ、そのままだね」
「ちょっと他の純文学の人と違う感じがする人だけれど」
「忍者のお話も書いていたんだね」
「そういえば先生前にそうしたお話もしていたかな」
「娯楽ものも書いていたんだね」
「昔から忍者ものは娯楽だね」
 先生も笑顔で言います。
「そうだね」
「うん、確かにね」
「その通りだね」
「言われてみると」
「そうだよね」
「そう、だからね」
 そえでというのです。
「織田作さんは娯楽小説も書いていて」
「それでなんだ」
「織田作さんは猿飛佐助を書いていたんだね」
「そうした作品も」
「成程ね」
「うん、そしてね」
 それでというのです。
「この作品じゃ他の十勇士の人も出たり仙人も出てね」
「そうしてですか」
 トミーは幸村さんの像を見つつ先生に尋ねました。
「娯楽作品になっているんですね」
「仙人がこれまた面白くて漢字だけれどツァラトゥストアっていうんだ」
「あのニーチェの」
「うん、それで佐助さんは術で空も飛ぶよ」
「本当に昔の忍者ですね」
「痛快だけれど途中術が使えなくもなるし」
「それで彷徨うんですね」
 トミーは織田作さんの作風から言いました。
「そうなるんですね」
「そうだよ、けれどね」
「最後はですね」
「術を取り戻して」 
 そうしてというのです。
「また空を飛べる様になるんだ」
「そして十勇士にですか」
「その前から入っていて一時出奔していて」
 そしてというのです。
「石川五右衛門と対決したり恋人と再会したりで」
「色々ですね」
「そこで関ヶ原が近いと聞いて」
「そうしてですか」
「空を飛んでね」
 そのうえでというのです。
「幸村さんのところに戻るんだ」
「何かそこからも楽しみですね」
「そうだね」
「ですがそれは」
「本当に織田作さんは若くして亡くなっているから」 
 そのせいで、というのです。
「残念だけれどね」
「そういうことですね」
「そうなんだ」
「というかね」
 ホワイティはとても残念なお顔で言いました。
「織田作さんってそのことが問題だよね」
「若くして亡くなったからね」
「三十四歳でね」 
 チープサイドの家族も残念なお顔です。
「だからね」
「残された作品もね」
「多作だったっていうけれど若くしてだったから」
 ポリネシアもしょげています。
「どうしてもね」
「長生きした人より作品は少なくて」
 老馬も頭を落としています。
「そして続編があって欲しいってお話もそのままで」
「未完の作品もあったんだよね」
「そうだよね」
 オシツオサレツはこのことをお話しました。
「書いている途中で取材で東京に行って」
「そこで亡くなっているからね」
「何で結核になったのか」 
 ジップはこのこと自体を残念に思っています。
「悔やんでも悔やみきれないよ」
「学生時代になってずっと苦しんでね」
 トートーは悲しい声を出しました。
「それで若くしてなんて」
「結核が助かる病気になって栄養をしっかり摂ればかかりにくいけれど」
 無念のお顔で、でした。ガブガブは言いました。
「残念なことよ」
「その猿飛佐助も続編がありそうなら」
 チーチーは心から思いました。
「長生きして書いて欲しかったよ」
「心から思うね」
 ダブガブも今はいつもの陽気さがありません。
「長生きして欲しかったよ」
「僕も同じ考えだよ」
 先生も悲しいお顔です。
「本当にね」
「長生きして欲しかったね」
「織田作さんも」
「そうだよね」
「うん、あと今日は真田丸の跡地にも行って」
 そしてというのです。
「それで目洗い神社にも行こう」
「目洗い神社?」
「そこも織田作さんに縁があるんだ」
「そうなの」
「うん、真田丸も幸村さんに関係があるね」
 このことからお話するのでした。
「そうだね」
「幸村さんが築いたからね」
「大坂城の弱点を補う為にね」
「それで築いた場所だったね」
「その跡地にも行くよ」
 佐助さんの主である幸村さん由縁の場所だからというのです。
「そしてそこにもね」
「行くんだね」
「目洗い神社にも」
「そうするんだね」
「そうだよ、行こうね」 
 こう言ってでした。
 先生は皆を今度は真田丸の跡地に案内しました、そこは何もありませんでしたがそれでもトミーがそこで先生に言いました。
「ここで、ですね」
「大坂冬の陣で幸村さんが籠ってね」
「大軍を誘き寄せて退けたんですね」
「そうなんだ、杉下忠さんの漫画でもね」
「描かれているんですか」
「この人も猿飛佐助を描いてね」
 そしてというのです。
「その作品で幸村さんと十勇士も描いているから」
「それで、ですか」
「真田丸も描いていたよ」
「そうなんですね」
「そしてね」 
 先生はさらにお話しました。
「ここで幸村さんも十勇士の人達も活躍したよ」
「佐助さんもですね」
「うん、ただ十勇士の人達は実は」
「実在していたか」
「十人のうち六人程は名前はそのまま出ていたけれど」
 それでもというのです。
「佐助さん達四人位はモデルの人はいたけれど」
「名前はそのままじゃなかったですか」
「そうなんだ、モデルの人がいたという意味では実在していたけれど」
「名前はそのままじゃなかったんですね」
「そうだったんだ」
 これがというのです。
「佐助さんにしてもね」
「そうですか」
「だからね」
 それでというのです。
「僕は十勇士は実在していたと考えているよ」
「十人全員がですね」
「事実と創作では名前が違うだけでね」
「十勇士はいて」
「幸村さんと一緒に戦ったんだ、ただ」
「ただ?」
「幸村さんにしてもね」 
 この人にしてもというのです。
「諱は実は信繁さんだね」
「幸村さんじゃないですね」
「僕達は幸村さんと呼んでるけれど」
「それは主に創作の世界ですね」
「そうなんだ」
 これがというのです。
「実はね」
「じゃあもう幸村さん自身も」
「創作もね」
「入っていて」
「十勇士の人達と一緒でね」
「実際はですか」
「また違っていたね、けれど皆この大阪にいて」 
 そしてというのです。
「必死に戦ってね」
「今も大阪の人達の心にいますね」
「そうだよ、長野の人だけれど」
 出身はそうでもというのです。
「大坂で活躍してね」
「大阪の人達の中に今も生きていますね」
「だから織田作さんも書いたんだろうね」
「大阪の人達の中にある人なので」
「佐助さんもね、そして目洗い神社でもね」
 そこでもというのです。
「織田作さんだけでなくね」
「大阪の人達にですね」
「縁がある人がね」
「出ますか」
「そうだよ、では次はそこに行こうね」 
 目洗い神社にとです、こうお話してでした。
 先生は皆と一緒に今度はその神社に行きました、すると先生はその神社緑も豊かなその場所で言うのでした。
「ここは坂田三吉さんに縁があるんだ」
「ああ、あの将棋の」
「将棋の人だね」
「生まれてずっと大阪にいた」
「あの人だね」
「そうだよ、この人は一時目が悪くてね」
 それでというのです。
「この神社にお参りしてね」
「目が治ったんだね」
「そうなんだね」
「それでその坂田さんもだね」
「織田作さんの作品に縁があるんだ」
「この人も織田作さんは書いていたんだ」 
 坂田三吉さんもというのです。
「聴雨って作品でね」
「ううん、大阪の将棋の人だから」
「それで織田作さんも書いたんだね」
「本当にそこは織田作さんだね」
「織田作さんならではだね」
「そうだね、織田作さんはね」 
 この人はというのです。
「まさに生粋の大阪人でね」
「それでだよね」
「大阪の人も書いていたから」
「坂田三吉さんも書いていて」
「それでなんだ」
「そうだよ、書いているんだ」
 そうだというのです。
「そこにも織田作さんの大阪への愛情が出ているね」
「大阪の人達へのね」
「何ていうか心の底からの大阪人で」
「大阪が大好きだったから」
「大阪を書いていったんだね」
「だから坂田三吉さんもでね」 
 それでというのです。
「書かれていてその将棋もだよ」
「書いていたんだ」
「坂田三吉さんの将棋を」
「そうだったんだ」
「そうだよ、ただね」
 こうも言う先生でした。
「その作品は坂田三吉さんが負けたんだ」
「そうした勝負だったんだ」
「それでその勝負を書いたんだ」
「それはまた意外ね」
「勝つ場面だって思っていたら」
「そう、けれどね」 
 それでもというのです。
「その時の手が伝説の手だったんだ」
「一体どんな手だったんですか?」
 トミーはそのことを尋ねました、今皆で神社の中を歩いてその中を見て回っていますがその中でのことです。
「それで」
「九四の歩だったんだ」
「九四ですか」
「つまり香車の道だね」
「普通は最初は飛車や角行の道ですね」 
 トミーは将棋の知識から言いました。
「そうですよね」
「けれどそれをね」
「坂田三吉さんはですか」
「香車の道からだったんだ」
「それは凄いですね」
「そう、そしてね」 
 その手を打ってというのです。
「負けたんだ」
「そしてその勝負をですか」
「書いたんだ、その勝負を書いたのがね」
「織田作さんなんですね」
「そうなんだ」
 こう言うのでした。
「華々しい場面を書くんじゃないんだ」
「大阪や大阪の人達を書いていたんですね」
「そうだったんだ」
「それで敢えてですか」
「負けた勝負をね」
 まさにそうした勝負をというのです。
「書いて坂田三吉という人をね」
「その人自身をですね」
「書いているんだ」
 そうだというのです。
「本当にね」
「そうですか」
「それが魅力だよ、大阪から離れることはないけれど」
「大阪なくして織田作さんは語れなくて」
「織田作さんは大阪以外の場所は殆ど書かなかったけれど」
 それでもというのです。
「大阪を考えたらね」
「織田作さん程大阪を書いて大阪を愛した人はいないですね」
「大阪の人達もね、そうした人なんだ」
 こうお話してでした。
 先生は神社を出ましたがそこで、でした。
 犬の狆を連れたおばさんを見ましたがここで先生は笑って言いました。
「そうそう、ニコ狆先生って作品もあったよ」
「ニコ狆先生?」
「煙草のニコチン?」
「それと犬の狆?」
「それを合わせたの」
「そうなんだ、これも忍者の漫画でね」
 それでというのです。
「前にもお話したかな、煙草のその煙で姿を消す」
「そうした忍者の作品で」
「そうした作品もあるんだ」
「織田作さんには」
「これは織田作さんが生きていた頃が舞台でね」
 時代はそれでというのです。
「戦争中のものがなくて煙草を手に入れるのに苦労するとかも書いているんだ」
「まさにその頃だね」
「織田作さんが生きていた頃ね」
「その頃の作品だね」
「そして忍術の先生の顔が犬の狆そっくりで」
「それでなんだ」
「煙草のニコチンと合わせて」
「ニコ狆先生なんだ」
「そうなのね」
「そうなっていてね」
 そうしてというのです。
「その題名で」
「その時の忍者を書いていたんだ」
「何かその作品も面白そうね」
「猿飛佐助もだけれど」
「家にあるから読んでみるといいよ」
 先生は皆に勧めました。
「是非ね」
「うん、それじゃあね」
「お家に帰ったら読んでみるね」
「猿飛佐助もニコ狆先生も」
「そうするね」
「この作品も面白い作品で」
 それでというのです。
「娯楽だね」
「その娯楽っていうのがいいね」
「庶民的でね」
「純文学っていうとどうしても気取ってるけれど」
「そんな感じがするけれど」
「娯楽だとね」
「庶民って感じがするね、本当に織田作さんは大阪の市井の人でね」
 その庶民と言われる人達だったというのです。
「大衆の娯楽の中にいて」
「大阪のものを食べて」
「大阪の街で暮らしていて」
「大阪の人だったから」
「そうだよ、純粋な純文学かっていうと」
 このことはというのです。
「やっぱり違うね」
「文壇っていうけれど」
「普通の文壇じゃないんだ」
「そこにいた人じゃないんだ」
「だからアウトローみたいにも言われていたんだ」 
 当時はというのです。
「太宰治や坂口安吾と同じでね」
「無頼派でしたね」
 トミーが言ってきました。
「確か」
「そうだよ」
「やっぱりそうですか」
「普通の純文学とはね」
「違っていたんですね」
「既存の文学に反発もしていたよ」
 織田作さん達はそうだったというのです。
「文壇にもね」
「そうでもあったんですか」
「終戦直後にそうしたんだ」
 その時にというのです。
「太宰治が志賀直哉を批判したことは知られているけれど」
「今お話の出た」
「日本の文学では有名な人だね」
「はい、太宰は」
 まさにとです、トミーは答えました。
「芥川龍之介と並ぶ」
「そこまでの人だね」
「僕も知っています」
「最近日本文学は海外でも知られているけれど」
「太宰もその中にいますね」
「うん、太宰は終戦直後の文壇を見てね」
 そうしてというのです。
「戦争が終わって急に言うことが変わったことに思って」
「志賀直哉を批判したんですか」
「それで如是我聞で書いたんだ」
「志賀直哉への批判をですか」
「そうなんだ、そして坂口安吾もそうしてね」
 この人もというのです。
「織田作さんもだったんだ」
「志賀直哉を批判していたんですか」
「うん、作風も全く違ったしね」
 そちらもというのです。
「織田作さんは普通の純文学とは違ったし」
「太宰治もですか」
「いや、太宰は当時からね」
「普通のですか」
「結構当時の純文学の中にあったよ」
「そうでしたか」
「あの人は終生芥川龍之介を深く敬愛していたからね」
 先程名前が出たこの人をというのです。
「だからね」
「それで、ですか」
「うん、作風や文章は太宰独自でも」
「芥川の作風に影響を受けていますか」
「その感じがあるとも言われているよ」
「そうだったんですか」
「それでね」
 その為にというのです。
「太宰はオーソドックスな純文学の中にね」
「あったんですね」
「けれど坂口安吾や織田作さんは違って」
「純文学とはですね」
「少し違った娯楽的な作品もね」
 そうした作品もというのです。
「あるんだ」
「そうですか」
「それが織田作さんでね」
「純文学の中にあっても」
「結構毛色が違うんだ」
「そういうことですね」
「それに当時の作家さんは殆ど東京に住んでいたけれど」
 先生はお家のお話もします。
「織田作さんは大阪だったからね」
「そのことも大きいですね」
「谷崎潤一郎も関西に住んでいたけれど」
「あの人もですか」
「けれど谷崎は元々東京生まれで」  
 織田作さんとそこが違ってというのです。
「関西にいてもお家を転々としていたから」
「大阪だけじゃなかったですか」
「京都や神戸に住んでいた時もあるんだ」
「そうでしたか」
「そしてね」 
 それでというのです。
「あの人はまた別だよ」
「そうですか」
「谷崎も純粋な純文学じゃないけれどね」
「耽美派でしたね」
「そう言われる世界を書いていてね」
 それが谷崎潤一郎の作風だというのです。
「国会でも問題になったことがあるよ」
「作品がですか」
「芸術か猥褻かとね」
「それは凄いですね」
「この人はそうした作品で織田作さん達もね」
「批判していないですか」
「批判の対象は志賀直哉や川端康成だったんだ」 
 この人達だったというのです。
「谷崎はあまり受けていなかったみたいだよ」
「何か志賀直哉が批判されていますね」
「うん、当時文壇の長老だったからね」
 そうした立場だったからだというのです。
「それで作風も違っていて」
「終戦直後言っていることも変わって」
「太宰が言うにはね」
「そうしてですか」
「織田作さんもね」
「志賀直哉を批判していましたか」
「うん、ただ志賀直哉の方はね」
 批判されている人はというのです。
「余裕があったよ」
「そうですか」
「太宰達の方が必死だったんだ」
「そこは違ったんですね」
「そうだよ、ただ織田作さんは終戦直後に亡くなって」
 これまでお話している通りにというのです。
「太宰は自殺しているね」
「そうでしたね」
「坂口安吾も昭和三十年に亡くなって」
「無頼派の人達はいなくなったんですか」
「いや、石川惇や檀一雄がいたよ」
「その人達が残っていましたか」
「それで戦後長い間頑張っていたんだ」
 この人達がというのです。
「無頼派の人達はね」
「残ってはいたんですね」
「長い間ね、田中英光という人もいたけれど」
「その人も」
「太宰が自殺して暫くしてね」
「確かその人自殺でしたね」 
 トミーもこのことは知っていました。
「そうでしたね」
「そうだよ、太宰のお墓の前でね」
「そうして亡くなっていますね」
「それで二人が残って」
 そうしてというのです。
「戦後長い間頑張っていたんだ」
「それが無頼派の歴史ですか」
「終戦直後の間だけと思われているけれど」
「無頼派の人達の活躍は」
「その人達は残っていたんだ」
「そのことも覚えておくことですね」
「うん、そしてね」
 先生はさらにお話しました。
「織田作さんに話を戻すけれど」
「あの人ですね」
「忍者も書いていたことはね」
 このことはというのです。
「覚えておいてね」
「猿飛佐助にですね」
「そのニコ狆先生もね」
「そのニコ狆先生っていう名前が」
 トミーは思わずくすりと笑って言いました。
「面白いですね」
「ユーモアがあるね」
「煙草の煙で姿を消すことも」
「このこともね」
 まさにというのです。
「面白いね」
「はい、確かに」
 トミーも笑顔で頷きました。
「漫画でありそうですが」
「それを戦争中に書いて発表しているよ」
「配給のことも」
「そうだよ、その世相もお話に書く」
「それも面白いですね」
「織田作さんはそうしたことも書いていたから」 
 それでというのです。
「世相では終戦直後の社会も書いているよ」
「そうなんですね」
「うん、ちなみにニコ狆先生の結末も面白いから」
 だからだというのです。
「それを読んでもね」
「いいですか」
「そうだよ、だからね」
「読んでですか」
「損はないよ」
「ならそうしてみます」
 トミーも頷きました。
「是非共」
「それじゃあね、さて今日は何を食べようかな」
 ここで先生はあらためて言いました。
「一体」
「今回も色々食べてるけれどね」
「大阪の名物を」
「それじゃあ今度は何を食べるか」
「少し考えるね」
「そうだね、皆は何がいいかな」
 先生は皆に尋ねました。
「それで」
「そう言われるとね」 
 ガブガブは首を傾げさせました。
「困るわね」
「これまで結構食べてきたし」
 老馬も言います。
「そう言われるとね」
「ちょっと考えるね」
 トートーもそうでした。
「どうも」
「自由軒のカレーもいずも屋の鰻丼も食べてるね」
「関東煮も山椒昆布も」
 チープサイドの家族は具体的に食べたものを挙げていきます。
「串カツもお好み焼きもたこ焼きも」
「きつねうどんもそうだね」
「中華料理も食べたし」
 ダブダブも言います。
「ごぼ天や沖縄料理だってね」
「ホルモンも食べたよ」
 ホワイティも言います。
「どれも美味しかったね」
「それで今回は何を食べるか」
「そう言われるとね」
 オシツオサレツの二つの頭はどちらも傾げられています。
「考えるね」
「次は何かって」
「ううん、何がいいかな」
 チーチーも考えます。
「一体」
「さて、後はね」 
 ジップが続きました。
「何があるかな」
「ここは難波に行って蓬莱の豚まんはどうでしょうか」
 ここでトミーが提案しました。
「あと金龍ラーメンを食べてデザートは北極の」
「アイスキャンデーかな」
「どうでしょうか」
「それがいいね、三つ共大阪名物だし」
「それじゃあ」
「うん、難波に行こう」
「それじゃあね」
 こうしてでした。
 先生は皆と一緒に難波まで行って蓬莱の豚まんそれに焼売や餃子を買って食べてそうしてからでした。
 金龍ラーメンに入ってからでした、最後に。
 北極のアイスキャンデーを食べました、そのうえで皆は言いました。
「いや、どうしようかって思ったら」
「食べるものあるね」
「そうだね」
「それが大阪なんだね」
「まさに食い倒れの街だね」
「そうだね、それに道頓堀に行けば」
 そこにもと言う先生でした。
「蟹道楽もあるよ」
「そうそう、今は夏でね」
「ちょっと季節じゃないけれど」
「あのお店もあったね」
「そうだね」
「それにがんこ寿司もあったよ」
 先生はこちらも思い出しました。
「そう考えると」
「うん、食べるところあるね」
「じゃあ次来た時はそこに行く?」
「蟹道楽かがんこ寿司に」
「そうする?」
「そうしようね、それに大阪は河豚もあるし」
 このお魚のお料理もというのです。
「ハリハリ鍋もあるよ」
「鯨だってある」
「これだけ食べてもまだまだある」
「それが大阪だね」
「大阪の凄いところだね」
「そうだね、じゃあこのまま難波を歩いて」 
 そうしてというのです。
「フィールドワークをしよう、そしてね」
「そして?」
「そしてっていうと」
「まだあるの?」
「なんばグランド花月にも入ろう」  
 こちらにもというのです。
「前に吉本興業のお話もしたしね」
「あのお笑いも大阪だしね」
「河内弁って言うけれど間違いなく大阪の顔の一つだから」
「そうするんだね」
「これから」
「うん、そうしよう」 
 是非にというのでした。
「ここは」
「うん、それじゃあね」
「今回はそうしよう」
「グランド花月にも行こう」
「それなら晩ご飯の時間までここにいますね」
 トミーはこのことを聞いてきました。
「そうですね」
「そうだね」 
 先生もトミーのお話に頷きました。
「確かに」
「では晩ご飯もです」
「こちらでだね」
「食べますか」
「そうだね」
 先生はトミーの言葉に笑顔で頷きました。
「そうしよう」
「それじゃあ」
「じゃあ蟹道楽かがんこ寿司か」
「どちらにしますか?」
「がんこ寿司にしよう」
 先生は笑顔で言いました。
「そちらに入ってね」
「大阪のお寿司を楽しみますか」
「そうしようね、ちなみにね」
 先生は笑顔でさらにお話しました。
「なんばパークスには行ったけれど」
「あちらですか」
「なんばパークスは大阪球場の跡地に出来たけれどね」
「そうでしたね」
「その大阪球場にね」
 そこにというのです。
「がんこ寿司の看板もあったんだ」
「そうだったんですね」
「うん、野球場には看板もあるね」
「あれがいい宣伝になりますね」
「連日沢山の人が入るからね」
 野球場にというのです。
「だからね」
「それで、ですね」
「いい宣伝になるからね」
「大阪球場にはですか」
「がんこ寿司の看板もあったんだよ」
「そうなんですね」
「うん、じゃあ難波をフィールドワークして」
 先生はまた言いました。
「そしてね」
「なんばグランド花月にも入って」
「それからだよ」
「次はですね」
「うん、がんこ寿司でね」
「そこで晩ご飯ですね」
「そうしようね」
 笑顔で言ってでした。
 先生は難波のフィールドワークにお笑いを楽しみました、それからがんこ寿司で晩ご飯を食べましたがその見事な海の幸達を見てです。
 動物の皆は笑顔になって先生にこう言いました。
「何時見てもね」
「大阪の海の幸はいいね」
「新鮮でしかも種類が豊富で」
「美味しそうだね」
「これだけ海の幸が豊かなのもね」
「大阪だね」
「全くだよ、大阪はお寿司もいいんだ」
 こちらもというのです。
「この通り海の幸がいいからね」
「すぐ目の前に瀬戸内海があるから」
「海に面しているから」
「それでだね」
「海の幸も豊かなんだね」
「昔から沢山食べられたんだ」
 豊富な海の幸がというのです。
「だから食の都にもなれたんだ」
「成程ね」
「よくお寿司は東京だっていうけれど」
「それでだね」
「大阪は海の幸もいい」
「そうなんだね」
「そうなんだ、じゃあね」
 先生は皆にあらためて言いました。
「食べようね」
「そうしようね」
「お酒もあるし」
「楽しもうね」
「晩ご飯もね」
 皆も笑顔で応えてでした。
 楽しい晩ご飯に入りました、そして飲んで食べながら皆は先生に対してお笑いのことについても言いました。
「いや、大阪はお笑いもっていうけれど」
「何か昔のお笑いを観ているとね」
「そっちの方がいい?」
「そんな気がするね」
「舞台も漫才もね」
「落語もね」
「ううん、それは言われることが多いね」
 先生も言います。
「今日本のテレビは面白くないって言われるけれど」
「実際何かね」
「テレビ観ても面白くないよ」
「どうもね」
「バラエティもね」
「報道番組は嘘ばかりだしね」
「うん、そしてお笑い自体もだね」
 先生はお寿司を食べながら言いました。
「実際にだね」
「面白くないよね」
「昔のお笑いを観る時があったけれど」
「昔のものと比べるとね」
「今はね」
「懐古でなくてね」
 昔はよかった、そうでなくてというのです。
「今の日本のお笑いはね」
「面白くないわ」
「笑わせるって気持ちがない?」
「そんな気持ちがなくて」
「お笑いに真剣さも足りないかな」
「何か全力で笑わせるってなくて」
 そうした気持ちがというのです。
「迫力もなくて」
「ネタも弱いね」
「昔と比べると」
「そうだね、お笑いの街でもあるなら」
 それならとです、先生は考えるお顔で言いました。
「やっぱりね」
「頑張って欲しいよね」
「もっとね」
「今のままだと駄目だよ」
「テレビに出たいとかじゃなくて」
「テレビも面白くないしね」
「むしろユーチューブに出ている人の方がだね」
 タレントさんでもというのです。
「面白いね」
「そうそう」
「テレビは本当に面白くないよ」
「今の日本のテレビ番組は」
「それよりもユーチューブの方が面白くて」
「見どころがあるよ」
「お笑いにしてもね」
 先生は鯖を食べています、この鯖もまた大阪ではよく食べるのです。
「そうだね」
「うん、どうもね」
「だから今日の舞台もね」
「もうちょっと頑張って欲しい」
「そう思ったね」
「僕も思ったよ、ただ舞台はまだいいよ」
 今日のそれはというのです。
「本当に酷いのはテレビだよ」
「そっちだよね」
「もう観る価値がないよね」
「どうにも」
「そうだよね」
「そうだよ」
 先生も同じ意見でした。
「日本のマスメディアは酷いけれど」
「テレビが特にでね」
「もうあんまりだから」
「それでだよね」
「観るとね」
 それこそというのです。
「かえって悪影響を受けるよ」
「全くだね」
「だからお笑い観るなら舞台の方がいい」
「テレビのものは観ない方がいいね」
「僕もそう思うよ」
 先生はお箸を動かしつつ皆に答えました。
「お笑いはね」
「何ていうかね」
「お笑いの街って言うからにはね」
「もっと面白くあって欲しいね」
「というかテレビのお笑いって目が笑ってないから」
「問題なんだよね」
「そこがね」
 どうにもと言うのでした、先生も。
「まず自分の目がね」
「笑っていないとね」
「それって自分が面白いって思っていることだから」
「自分が面白いと思ってなくてどうして面白いの?」
「そんなお笑い見ても笑えないよ」
「漫才でも落語でもね」
「一発芸やるにしても」
 お笑いを見せるにしてもというのです。
「さもないとね」
「どうにもならないよ」
「そこがなってないよね」
「最近のお笑いは」
「そこが残念だよ」
 先生は本当に残念そうに答えました。
「大阪のお笑いはもっと頑張って欲しいね」
「成り上がるんじゃないんだよね」
「芸能界の中でね」
「人を笑わせる」
「笑ってもらうことだよ」
「その気持ちがないとね」
「観ている人も笑えないよ」
 そうだというのです。
「本当にね」
「全くだよ」
「新喜劇を見てもそう思ったよ」
「新喜劇や舞台の漫才自体は面白くても」
「やっぱり昔の方が面白いしね」
「昔のお笑いも勉強して」
 そうしてというのです。
「そして今に活かす」
「大事なことは笑わせる」
「笑ってもらうだよ」
「まず自分が面白いと思う」
「そうじゃないとね」
「そう、ましてお客さんに喧嘩売るみたいに画面に向かって中指立ててね」
 先生はお顔を曇らせて言いました。
「政治活動ばかりする様だと」
「面白い筈がないね」
「誰が笑うのかな」
「そんな人のお笑いなんてね」
「誰も見ないよね」
「それは論外だよ、お笑いは難しいよ」
 先生はこうも言いました。
「どんなに悲しんだり落ち込んでる人にも笑ってもらわないとね」
「全くだね」
「そうしたものでないといけないよ」
「そこをわかって欲しいね」
「全く以てね」
 がんこ寿司でこうしたお話もしました、そしてです。
 先生は観んあと神戸に戻りました、この日はお風呂に入って歯を磨いてそのうえで寝ました。








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