『ドリトル先生とめでたい幽霊』




               第七幕  橋から橋へ

 先生は今は動物の皆を一緒に鶴橋に来ていました。
 鶴橋駅の下の賑やかな商店街を歩いていますが皆はたくさんのお店が並ぶその中を行き来して言いました。
「色々なお店があるね」
「そうだよね」
「種類も数も多くて」
「それで行き交う人もかなりで」
「おまけに道が入り組んでいて」
「迷路みたいだよ」
「そう、ここは大阪の商店街でも特に道が複雑なんだ」
 先生もこうお話します。
「色々なお店もあってね」
「何か昔ながらの感じ?」
「日本のね」
「昭和の空気が残っていて」
「そんな風でもあるね」
「そうだね、昭和の頃の空気がね」
 まさにそれがというのです。
「残っている場所だね」
「そうだよね」
「見たところね」
「趣があって」
「いるだけで懐かしさを感じる様な」
「そうした場所だね、そして食べものも」
 こちらもというのです。
「鶴橋は独特だよ」
「キムチやチヂミあるね」
「あと約肉もね」
「ホルモンもあるね」
「大阪は色々な名所があるけれど」
 それでもというのです。
「この鶴橋もその一つでね」
「この商店街がまさにそうで」
「ここも大阪なのね」
「そうなんだね」
「そうだよ、大阪を学ぶなら」
 それならというのです。
「ここも来ておかないとね」
「けれどここはね」
「織田作さんとは関係あるかしらね」
 チープサイドの家族はここでこう思いました。
「どうなのかしら」
「同じ大阪だけれどね」
「口縄坂と近いけれど」
 このことは老馬が指摘しました。
「作品に出たかな」
「それで織田作さんここに来たのかな」
 トートーは首を傾げさせました。
「どうなのかな」
「大阪は空襲で一旦焼け野原になって」
 そしてとです、ホワイティも言いました。
「街並みが変わったんだよね」
「その前からだったよね」
「台風も多くてその度に建物を建て替えているしね」 
 オシツオサレツは二つの頭で言います。
「常に変わっていってるね」
「そうした街だね」
「それじゃあ鶴橋もだよね」 
 チーチーは自分達の周りのお店や人々を見回しています。
「やっぱり変わったね」
「こんな感じだったのかしら」 
 ポリネシアは思いました。
「織田作さんの頃は」
「多分違うわね」 
 ガブガブはポリネシアに言いました。
「ここも空襲や台風に遭ったでしょうし」
「そうそう、空襲の後で凄い台風来たんだったよ」
 ジップはこのことを思い出しました。
「伊勢湾台風と室戸台風が」
「どっちの台風も凄くて」
 ダブダブもこの台風達のことは知っていました。
「物凄い損害だったんだよね」
「今の鶴橋は終戦直後に形成されたんだ」
 先生は皆にお話しました。
「やっぱり空襲を受けてね」
「そうだったんだ」
「この辺りも空襲を受けて」
「それで終戦直後にだね」
「こうした風になったのね」
「駅があってその前に人とお店が集まってね」
 そうしてというのです。
「こうなったんだ」
「駅の下に出来たのね」
「鶴橋の駅の下に」
「そうだったんだ」
「そうだよ、織田作さんもここに来たことがあるかも知れないけれど」
 それでもというのです。
「空襲を受ける前か人が集まってる頃でね」
「こうした時には来ていないんだ」
「織田作さんにしても」
「そうなんだ」
「織田作さんの実家に近くてもね」
 それでもというのです。
「織田作さんはこの鶴橋は知らないね」
「そうなんだね」
「かなり面白い場所なのに」
「織田作さんとはなんだ」
「そうだよ、けれど面白い場所だよね」
 このことは事実だというのです。
「本当に」
「僕もそう思うよ」
「私もよ」
「大阪には面白い場所が一杯あるけれど」
「ここも面白いね」
「人が多くて賑やかで」
「それで迷路みたいでね」
 動物の皆も言います。
「迷いそうだけれど」
「それも楽しいかな」
「少なくとも駅にはすぐに着けるし」
「それだとね」
「そうだね、鶴橋だけでなく大阪は色々な場所が迷路みたいで」 
 それでというのです。
「楽しいね」
「そうだよね」
「難波もそうだしね」
「地下鉄だってそうで」
「あと上本町もね」
「梅田もそうで」
「京橋だってそうよね」
「大阪城の周りもね。もっとも大阪城はね」
 先生はこのお城のお話もしました。
「豊臣秀吉さんがそうした造りにしていたんだ」
「あっ、敵が来ても迷って」
「それで簡単に攻めさせない」
「その為に」
「そうだったんだ、今の大阪城は秀吉さんの築いたものでないけれど」
 それでもというのです。
「場所は大体同じだしね」
「天守閣の場所は違うそうだけれど」
「場所は大体同じね」
「幕府が築いた大坂城も」
「そうだからね、それに大阪は沢山の川が流れているから」
 このこともあってというのです。
「そのこともあってね」
「迷路みたいだね」
「川も沢山流れていて」
「それでお堀や水路もあって」
「橋も沢山あって」
「東京も迷路みたいだというけれど」
 日本の首都であるこの街もというのです。
「けれどね」
「大阪もだよね」
「迷路みたいな場所が沢山あって」
「この鶴橋もそうで」
「そして大阪自体も」
「そうなっているね、そもそも日本の街はお城じゃないね」 
 このことも言う先生でした。
「村も特に囲いをしていないし」
「そうそう、日本だとね」
「街を壁や堀で囲んでないから」
「他の国とは違って」
「お城があってその周りに街がある」
「そうなんだよね」
「欧州や中国やアラビアでは城塞都市だよ」 
 そうなっているというのです。
「街自体がお城でね」
「街を城壁や堀で囲んで」
「それで守りや政治の区分にしていて」
「それが特徴だよね」
「日本ではそれが違っていて」
 それでというのです。
「城下町だよ」
「昔の京都は違ったのよね」
「奈良とかも」
「平安京や平城京は」
「けれど大抵の街はそうだね」
「うん、惣構えといって町をお城に入れた場合もあるけれど」
 それでもというのです。
「基本はね」
「城下町だね」
「日本の場合は」
「そうだね」
「それで大阪もそうなのね」
「城塞都市だと壁の中だから道や区画は細かくなるけれど」
 整然とまとめられるというのです。
「城下町だと違うんだ」
「お城から拡がって」
「そうして発展していくから」
「街波も道もね」
「迷う様になるね」
「迷うなら」
 そうした街並みならというのです。
「敵も攻めにくいね」
「あっ、確かに」
「道が複雑で街並みもそうだったら」
「その分攻めにくいね」
「そうだと」
「だからだよ」
 そうしたことがあるからだというのです。
「城下町はそうで日本の街はね」
「その城下町の名残で」
「迷路みたいなんだ」
「そうなのね」
「日本の街で道や区画が整然としているのは京都位だね」
 この街は別だというのです。
「しっかりと整っているのは」
「ああした碁盤の目みたいな街はね」
「確かに日本じゃ珍しいね」
「大阪も入り組んでいるし」
「神戸もだし」
「他の街もだね」
「それが日本の街なんだ、そのことがどうかという人もいるかも知れないけれど」
 入り組んだ迷路みたいなそれがです。
「僕はいいと思うよ」
「これもまた日本だね」
「街が何かと入り組んでいることも」
「このことも」
「そうだよ、だから大阪のこの感じもね」
 鶴橋にしてもというのです。
「いいね」
「そうだね」
「じゃあこの入り組んだ感じを楽しみながら」
「フィールドワークをしていこうね」
「この鶴橋でも」
「そうしていこうね」
 笑顔dでお話をしてそうしてでした。
 先生は皆と一緒に鶴橋の商店街を巡りました、駅の下のそこを。そしてお昼にはそこで昼食を摂りましたが。
 ホルモンとキムチ、チヂミにナムル、そして冷麺でした。皆はその赤いものが多いお料理を見て言いました。
「これも大阪だよね」
「こうしたものが食べられるのも」
「この辛さが食欲をそそるんだよね」
「ホルモンも美味しいよね」
「そうなのよね」
「うん、お野菜も多いしね」
 先生はお箸を手に言いました、皆ここでいただきますをしてです。
 食べはじめます、そうして言うのでした。
「いいよね」
「この冷麺のコシもいいしね」
「物凄いコシだよね」
「他の麺では及ばない位に」
「あとチヂミのこの美味しさ」
「キムチにナムルの辛さもよくて」
「そしてホルモンも」
 これもというのです。
「美味しいよ」
「どんどん食事が進むわ」
「ご飯とも合うしね」
「そしてお酒とも」
「そうそう、このお酒もいいよ」
 先生は今白いお酒を飲んでいます、白く濁ったものです。
「マッコリもね」
「それお米のお酒だよね」
「見たら濁酒に似てるね」
「あのお酒そっくりね」
「うん、実際に濁酒だよ」
 先生もこう言います。
「このお酒はね。凄く甘いしね」
「やっぱりそうなんだ」
「何かと思ったら」
「濁酒なのね」
「あのお酒だね」
「こちらはこちらで美味しいよ」
 先生は飲みながら笑顔でお話しました。
「それもかなりね」
「そうみたいだね」
「先生にこにことして飲んでるし」
「美味しそうに食べてるし」
「ホルモンやキムチとも合う」
「そうしたお酒なんだね」
「そうだよ、それとね」
 さらにお話する先生でした。
「今僕達が食べているお料理は韓国料理だね」
「そうそう、全部ね」
「キムチなんかその代表だね」
「マッコリにしてもそうで」
「ホルモンにしても」
「ルーツはあちらだよ、あちらの人達が戦前や朝鮮戦争を逃れてこちらに来たりしてね」
 そうしてというのです。
「鶴橋に沢山の人達がいて」
「それでだよね」
「鶴橋ではこうしたものが食べられる」
「そうなんだね」
「その通りだよ」
 まさにというのです。
「ここではね」
「こうしたものもまた大阪の食べものだね」
「韓国から入った」
「そうだね」
「うん、ここの食べものは結構韓国の味に近いけれど」
 それでもというのです。
「やっぱりね」
「日本にあってね」
「作る人も代々日本に住んでるし」
「それでだね」
「日本人に馴染んでる味だね」
「そうだよね」
「食材自体も日本のものが多いし」
 それだけにというのです。
「そうなっているよ」
「そうだね」
「確かに日本人にも美味しいね」
「そうした味だね」
「韓国の味かっていうと」
「少し違うね」
「僕はそう思うね、しかしこのホルモンは」
 先生はそれを食べつつ言いました。
「いいね、ご飯のおかずにもなって」
「それでだよね」
「お酒にも合う」
「そうなんだね」
「うん、マッコリにもね。それと」
 そのマッコリを飲みつつ言います。
「今は飲んでいないけれどビールや日本酒にもね」
「合うよね」
「そうだよね」
「先生ホルモンも結構食べるけれど」
「ビールのおつまみにしたり」
「日本酒の時もあるね」
「内臓を食べることはいいことだよ」  
 マッコリも飲んで言います。
「栄養価が高いからね」
「だからだよね」
「食べても美味しいし」
「だからね」
「よく食べるべきだね」
「そうだね」
「そうだよ、イギリスでも食べるけれど」
 生きものの内臓をというのです。
「日本は内臓を扱ったお料理もいいね」
「ホルモンもそうだよね」
「そのうちの一つよね」
「韓国から採り入れた」
「そうしたものだね」
「そうだよ、そして最後にね」
 さらに言う先生でした。
「冷麺を食べるんだ」
「ああ、最後はだよね」
「焼き肉とか食べるとね」
「最後はそれが一番よね」
「冷麺を食べる」
「そうするんだね」
「そう、それでね」
 そのうえでというのです。
「最後にするけれど」
「さっきもお話したけれどコシがいいのよね」
「この凄いコシが」
「だからね」
「最後はそれだね」
「そう、そしてね」
 それでというのです。
「僕もだよ」
「そうだよね」
「それじゃあね」
「今はキムチやチヂミやホルモンを楽しんで」
「その後でね」
「冷麺にしよう」
 こうお話してでした。
 先生達は鶴橋の食べものを楽しみました、そしてそ最後の冷麺も食べてその後でどうしたかといいますと。
 鶴橋の商店街を出て大通りの商店街を歩きました、ここには駅の下だけでなくそちらにもお店があります。
 その商店街を歩いてです、皆は言いました。
「ここも賑やかだけれど」
「凄いものがあるわね」
「お店が多くてね」
「人も多くて」
「織田作さんも若しここにいたら」
「そうも思うね」
「そうだね、若くして亡くならなかったら」
 そうだったらというのです。
「ここにも来ていたかもね」
「そうだよね」
「それで作品にも書いていたかもね」
「若しそうだったら」
「その時は」
「面白かっただろうね、そう思うと」
 先生は悲しい目になって言いました。
「早世が惜しまれるよ」
「僅か三十四歳」
「本当に若いわ」
「長生きしてくれたら」
「先生じゃなくても思うよ」
「僕達にしても」
「若くして亡くなって欲しくなかったよ」
 先生はさらに言いました。
「もっと大阪と大阪の人達を書いて欲しかったよ」
「織田作さんの実家にも近いしね、ここ」
「歩いて行けなくもない?」
「少なくともバスだとすぐだよ」
「地下鉄でもすぐに行き来出来るし」
「そう思うと」
「残念だね」 
 また言う先生でした。
「本当に」
「そうだよね」
「本当にね」
「織田作さんは長生きそて欲しかったよ」
「鶴橋以外にも」
 さらにというのです。
「西成や生野、京橋、鶴見や淀川の向こうに梅田にってね」
「大阪も色々な場所あるし」
「その色々な場所書いて欲しかったね」
「ずっと大阪にいて」
「そうしてね」
「というか織田作さんは大阪から離れないね」
 こう言ったのはダブダブでした。
「そのイメージないよ」
「京都の学校に行って東京にもいたことあっても」
 チーチーも言います。
「織田作さんはやっぱり大阪だね」
「もう頭の髪の毛の先から足の爪の先まで大阪だね」
 ホワイティも言います。
「あの人は」
「そんなイメージだね」
 ジップも言いました。
「どう見ても」
「大阪に生まれ育ってるだけじゃなくて」
「本当に大阪を愛しているから」
 チープサイドの家族もお話します。
「だからね」
「織田作さんは大阪なしでは考えられないね」
「確か司馬遼太郎さんも大阪の人で」
 トートーはこの偉大な歴史小説家の名前を出しました。
「大阪に生まれ育って終生大阪におられたけれど」
「あの人も大阪の趣そのものでもね」
 老馬は言いました。
「織田作さんまで強くないんだよね」
「大阪の人の文化人やタレントさんやスポーツ選手は多くて」
「大阪にいる人も多いけれど」
 それでもと言うオシツオサレツでした。
「織田作さんはその中でも特にだね」
「大阪を感じるから」
「あの人が大阪を離れることはないわね」
 ポリネシアも言いました。
「例え長生きしていても」
「絶対に終生大阪だったわ」
 ガブガブは断言しました。
「あの人は」
「そう、あの人は大阪から離れることはなかったよ」
 事実そうだとです、先生は言いました。
「僕も確信しているよ」
「長生きしていても」
「ずっと大阪にいて」
「そして大阪を書いていた」
「そこにいる人達も」
「そうだったね」
「間違いなくね、だから井原西鶴さんと一脈通じるとも言われていたんだ」
 元禄の頃のこの人と、というのです。
「あの人はね」
「大阪にいた人だから」
「作品にも同じものが出ていた」
「大阪とそこにいる人の息吹が」
「そうだったんだね」
「そうだよ、だから東京で客死したけれど」
 それでもというのです。
「大阪に帰ってあらためてお葬式をしてもらったし」
「そしてお墓も大阪にある」
「その上本町に」
「そうだね」
「そうだよ、じゃあ今日はもう一度あそこに行こう」
 先生は皆に笑顔でお話しました。
「織田作さんのお墓にね」
「電車ですぐだしね」
「少し歩くけれど」
「織田作さんのお墓上本町にあるしね」
「じゃああのお寺に行って」
「お墓参りしましょう」
 皆も賛成してでした。
 地下鉄で上本町まで行ってそこから歩いて織田作さんのお墓があるお寺まで行きました、そこで皆で手を合わせて。
 そうしてです、先生は織田作さんのお墓の前で皆に言いました。
「僕は大阪に来られたことでもね」
「日本に来てよかった」
「そう思ってるよね」
「大阪に来られて」
「そして大阪を知ることも出来た」
「そのことがね」
「そう、それがね」 
 まさにというのです。
「嬉しいよ」
「そうだよね」
「こんな面白い街そうそうないしね」
「世界の何処にも」
「賑やかで人情があって」
「そして食べものも美味しくて」
「面白い場所が一杯あるからね」
 動物の皆も言います。
「日本に来てね」
「大阪を知れてよかったね」
「この街にも来て」
「本当に」
「よかったよ、イギリスにいたままだと」 
 それならというのです。
「知ることは出来なかったよ」
「そうだよね」
「イギリスにいたままだと」
「それは無理だから」
「まず日本に来られた」
「だからだね」
「よかったよ、それで大阪に来られたことからも」
 そうしてというのです。
「日本に来てもね」
「よかったね」
「そうだよね」
「日本に来られて大阪を知れて」
「大阪を知れたから日本に来てよかった」
「その二つの気持ちがあるね」
「一緒にね、そして大阪に来たからこそ」
 そし知ったからこそというのです。
「織田作さんもだよ」
「知ることが出来た」
「そういうことね」
「大阪に生きて愛したことの人を」
「そうだね」
「そうだよ、嬉しいよ」
 本当にと言う先生でした。
「僕もね、それじゃあね」
「うん、お墓参りもしたし」
「それじゃあね」
「他にもフィールドワークをして」
「それで神戸に帰ろうね」
「そうしようね」
 先生は皆に笑顔で言ってでした。
 お墓参りの後で神戸に戻りました、そしてお家に帰って皆に言いました。
「大阪にいた文化人やタレントさんのお話が出たけれど」
「あとスポーツ選手もだよね」
「そうしたお話もしたね」
「鶴橋で」
「司馬遼太郎さんもそうで開高建さんもでね」
 こうした人達もというのです。
「藤山寛美さんや横山やすしさんもだよ」
「皆大阪にいた」
「大阪で生まれ育って暮らしていて」
「大阪で活動していたんだね」
「そうだよ、上方文化って言われているけれど」
 その中でというのです。
「皆いたんだ、藤田まことさんは東京生まれだけれど」
「ああ、俳優さんの」
「あの人も大阪だったんだ」
「大阪で暮らしていたんだ」
「それでところてんもね」
 この食べものもというのです。
「黒蜜だけだと思っていたんだ」
「関西だとそうなんだよね」
「ところてんって黒蜜なんだよね」
「ところが他の地域だと三杯酢で」
「関西独特だね」
「あれは元々葛切りの代わりだったんだ」
 関西のところてんはというのです。
「それで黒蜜だったんだ」
「それで藤田まことさんもだったんだ」
「ところてんは黒蜜」
「そうだったのね」
「それである時三杯酢のところてんを食べてね」
 そうしてというのです。
「腐ってるって驚いたんだ」
「ところてんは黒蜜って思ってて」
「それで三杯酢だったから」
「酸っぱくて腐ってると思ったんだね」
「そういうことよね」
「そうだよ、そして織田作さんにしても」
 この人もというのです。
「間違いなくだよ」
「ところてんは黒蜜だった」
「大阪の人だから」
「それでだね」
「間違いないね」
「そうだよ、もうそのことはね」
 まさにというのです。
「確実だよ」
「大阪の人だったらね」
「ところてんは黒蜜」
「藤田まことさんもそうだったし」
「他の人も」
「同じだよ、それと納豆は」
 この食べものはといいますと。
「関西ではずっと甘納豆だけだったよ」
「あの糸を引いた納豆じゃなくて」
「甘納豆だけで」
「お菓子と思っていたんだね」
「ずっと納豆はね」
 さらにお話する先生でした。
「関西じゃ嫌われていたね」
「今じゃ結構普通に食べてるね」
「僕達もそうだし」
「最初お話を聞いて知っていて」
「見た時これがって思って」
「確かに匂いは凄いけれど」
「食べてみると美味しいね」
 これがというのです。
「そうだね」
「うん、そうだよね」
「ご飯に凄く合うんだよね」
「身体にもいいし」
「いい食べものよね」
「それでも関西ではね」
 勿論大阪でもです。
「最近までだったんだ」
「なくて」
「それでだね」
「皆食べなかったのね」
「そうだったんだね」
「嫌いな人も多かったよ」
 関西ではというのです。
「昭和まで食べる人は少数派だったしね」
「三十数年位まで」
「それまでだったんだ」
「結構最近までだね」
「昭和だと」
「昭和の終わりでも食べる人は少なくて」
 それでというのです。
「関西じゃ変人扱いされていたんだ」
「それは凄いね」
「確かに癖の強い食べものだけれど」
「それでもその扱いはね」
「ちょっとないね」
「大阪でもお豆腐はよく食べるけれど」
 お豆腐も大豆を使ったものなのでこう言いました。
「けれどね」
「納豆はだったんだ」
「ずっとなくて」
「食べていると変人扱いされた」
「そうだったんだ」
「織田作さんは知らなかったかも知れないね」
 そもそもというのです。
「食べたことがないどころか」
「東京にいたことがあったから」
「東京で見たかも知れないけれど」
「少なくともそれまではだね」
「納豆を知らなかったんだ」
「そうかもね、そして食べていたとは」
 織田作さんが納豆をです。
「僕は思えないね」
「ううん、納豆を食べたことがない」
「三十数年前まで関西はそうで」
「織田作さんもなんだ」
「そうだったんだ」
「それが大阪の食文化だったしね、納豆は兎角ね」
 納豆のお話をさらにするのでした。
「長い間関西では忌避されて嫌われていたよ」
「入っていなくて」
「それで尚更だったんだ」
「食べたら変人扱いされるまで特別で」
「嫌われていたんだ」
「食べものじゃないとまで言う人もいたし」
 それにというのです。
「腐ってるともね」
「糸引いているしね」
「匂いも凄いし」
「そう言われても仕方ないね」
「それは確かにそうだね」
「けれど違うからね」
 そこはというのです。
「実は」
「あれは発酵させていて」
「言うならヨーグルトと同じで」
「腐ってはいないのよね」
「納豆にしても」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「そこはちゃんと覚えておかないとね」
「そうだよね」
「納豆は腐っていない」
「あくまで発酵させているだけ」
「それで食べものだよ」
「紛れもなくね」
「最近では定着しているけれどね」
 大阪ではというのです。
「慣れると美味しいし身体にもいい」
「それじゃあ食べないとね」
「損よね」
「納豆にしても」
「そういうことでね」
「あの、先生」
 ここでトミーが台所から来て先生に言ってきました。
「実は今日の晩ご飯納豆も出します」
「そうなんだ」
「はい、そしてデザートは」
 こちらはといいますと。
「ところてんですが」
「黒蜜だね」
「そちらです」
「やっぱりそうだね」
「そうしました」
 こう先生に言いました。
「チーズササミカツとトマトの盛り合わせにです」
「納豆とだね」
「ところてんです」
「いいね、僕もところてんはね」
 先生は笑顔で言いました。
「何といっても」
「黒蜜ですね」
「三杯酢も悪くないけれど」
 それでもというのです。
「何といってもね」
「黒蜜ですね」
「関西にずっといたら」
「そうなりますね」
「あの甘さがいいよね」
「しかもあっさりしているので」
「尚更いいよ」
 トミーに笑顔で言います。
「だからね」
「黒蜜派ですね」
「そして納豆も」
 こちらもというのです。
「好きだしね」
「今の関西ですね」
「そうだね、じゃあこれから」
「晩ご飯ですね」
「そうしようね」
「それでは」
 トミーは笑顔で応えました、こうしてです。
 先生はこの日は納豆とところてんも楽しみました、元々は大阪になかった食べもありますがどれも美味しく食べたのでした。








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