『ドリトル先生とめでたい幽霊』




                第五幕  また擦れ違って

 先生はこの日も大阪にフィールドワークに来ていました、一緒にいるのは動物の皆に王子です。王子の後ろにはいつも通り執事さんがいます。
 先生は今は皆を住吉大社に案内しています、皆その神社の中を歩いていますが。
 そのかなりの角度のアーチ形の木造の橋を渡りつつです、皆は言いました。
「ここも前に来たけれど」
「凄い橋だよね」
「凄い角度でね」
「短い橋だけれど」
「この急角度が凄いね」
「ここは太鼓橋っていうけれどね」
 先生はにこにことして言いました。
「この形がね」
「特徴だよね」
「この橋のね」
「それでこうしてだね」
「この橋を渡ることもだね」
「住吉大社に来たら忘れたらいけないね」
「やっぱりね」 
 住吉大社に来たらというのです。
「必ずね」
「この橋を渡って」
「そしてだね」
「楽しむことだね」
「そうだね」
「そう、そしてね」  
 先生は皆にさらにお話しました。
「橋の下を見てもいいね」
「そうそう、お池があって」
「亀さんが一杯いるんだよね」
「ここはね」
「それもいいよね」
 見れば実際にお池があってです。
 そこに多くの亀達がいます、皆日向ぼっこをしたり泳いだりして実にくつろいで楽しく過ごしています。
 その亀達も見てです、皆は言うのでした。
「神社ならではね」
「いい感じだよね」
「まさに日本の神様の場所よね」
「そう感じさせるわ」
「そうだね、大阪といえば」
 まさにというのです。
「神社は石切神社と晴明神社にね」
「この住吉大社だよね」
「三つの神社が有名だね」
「この前生圀魂神社に行ったけれど」
「この神社もだね」
「大阪を代表する神社だよ」
 そうだというのです。
「そして今ここに来た理由は」
「ただ観に来たんじゃないよね」
 王子が聞いてきました、皆まだ橋の上にいます。
「織田作さんと縁があるね」
「そうだよ、この住吉区にも織田作さんのお家があったんだ」
「そうだったんだ」
「戦争中は空襲を避けて富田林市にいたこともあったけれど」
「この住吉にもなんだ」
「住んでいたことがあったんだ」
 こう王子にお話しました。
「だから今からね」
「あの国にですね」
「行こうね」
「それじゃあね」 
 こうお話してでした。
 先生は皆に次は織田作さんのお家に行くと言いました、そしてです。
 実際にそこに行きますと。
 別に何も変わったところはありません、只の住宅街で古いお家はありません。皆それはどうしてかすぐにわかりました。
「終戦直後のお家だとね」
「やっぱりもうないね」
「残ってないね」
「そうだよ」
「そうだよ、ここは自宅跡だよ」
 そうだというのです。
「かつて織田作さんが住んでいたお家があった」
「そうした場所だね」
「ここはあくまで」
「自宅跡であって」
「かつての自宅はないんだね」
「そうなんだ、じゃあまた難波に行こうね」
 こう言ってでした。
 皆で一緒にでした、また難波の方に行きました。そして。
 あるお店に入りました、そこは正弁丹吾亭というお店でそこで皆でおでんを食べます。ですが先生はそのおでんについて笑顔でお話しました。
「これが関東煮だよ」
「へえ、そうなんだ」
「これがだね」
「普通のおでんだけれど」
「これが関東煮なんだ」
「そうなのね」
「そうだよ、本当に関西と関東ではね」
 地域によってというのです。
「おでんも違うんだ」
「そうなんだね」
「そういえば関西のおでんはお味噌を使ってるって言ったね」
「かつては」
「そうだったね」
「そうだよ、そしてね」
 それでというのです。
「このお店ではね」
「関東煮だね」
「そのおでんを食べてるんだね」
「僕達は」
「関東煮を」
「そうだよ、美味しいよね」
 先生は笑顔で言いました。
「こちらも」
「というか今おでんって主はこっちかな」
 こう言ったのはダブダブでした。
「いや、やっぱり関西はちょっと違う?」
「だしが違うわよ」
 ガブガブが言ってきました。
「それがね」
「関西だと昆布入れるね」
 こう言ったのはホワイティでした。
「関西のものは」
「関西はおうどんのだしでも昆布入れるし」
 ポリネシアも言います。
「そこが違うわね」
「関西じゃだしによく昆布使うよ」
 ジップもこのことをよくわかっています。
「というか関西のだしだとね」
「もう昆布なんだよね」 
「そうよね」  
 チープサイドの家族もお話します。
「関西のだしは」
「そうだよね」
「逆に昆布がないと」  
 チーチーは言いました。
「関西のだしじゃないね」
「いりことか鰹節を使っても」
「昆布がないとね」
 それこそとです、オシツオサレツも言います。
「関西じゃね」
「違うんだよね」
「あと関東煮っていっても」
 ここで老馬は言いました。
「このお醤油うす口醤油だよね」
「そう、だから関東といっても」
 それでもとです、先生も食べつつ言います。
「関東のおでんじゃないんだよね」
「そうだよね」
「うす口醤油使ってる時点でね」
「関西はやっぱりこっちだしね」
「お醤油っていったら」
「そして何でも関東のおでんははんぺんが入っているけれど」
 先生も関東にはあまりというか殆ど行ったことがないので詳しくは言えません、それでこう言うのです。
「これには入っていないね」
「そうだよね」
「はんぺん入ってないよね」
「蛸は入っていても」
「それでもね」
「そしてね」
 ここで、でした。先生は。 
 鯨のころを出してそして言いました。
「これもないよ」
「ああ、鯨だね」
「関西のおでんには入ってるよね」
「鯨がね」
「鯨のころがね」
「中に入っているのはこれがね」
 その鯨のころがというのです。
「一番ね」
「大きいよね」
「そうだよね」
「本当にね」
「関東にはないっていうし」
「大阪はよく鯨を食べていてね」 
 それでというのです。
「おでんにも入れるんだ」
「そしてはりはり鍋もあるね」
「今は豚肉での代用が多いけれど」
「やっぱりあのお鍋は鯨だよね」
「そうだね」
「まあ日本は捕鯨再開に踏み切ったから」
 このことがあってというのです。
「それでね」
「これからは結構食べられるね」
「日本でも鯨を」
「今までは制限されていたけれど」
「それがなくなったね」
「捕鯨も鯨を食べることも文化だよ」 
 先生はそれは当然だと言いました。
「本当にね」
「そうだよね」
「それもまたね」
「鯨を食べることについても」
「そちらのことも」
「そうだよ、だから捕鯨反対というのは環境保護ならいいけれど」
 それでもというのです。
「若しそれで鯨が増え過ぎてかえって海の生態系が乱れるなら」
「それならだね」
「捕鯨もいいね」
「そして鯨を食べることもね」
「またいいわね」
「そう思うよ、それとね」
 先生はさらにお話しました。
「そもそも今捕鯨反対を言っている国は昔はどうか」
「ああ、捕鯨してたね」
 王子が言ってきました、蛸を食べています。そして先生が今食べている鯨のころについても注目しています。
「そうだよね」
「そうだね」
「うん、白鯨でもそうだね」
「メルヴィルのね」
「あれは日本近海まで来てね」
「捕鯨をしていたね」
「そこでモヴィーディッグに遭遇したね」 
 その白鯨にです。
「そうだったね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「しかもその時鯨を大幅に減らしたから」
「環境に影響を与えたね」
「そうしていたよ」
「日本では鯨を捕まえても食べるだけでなく」
「そう、それも全部食べてね」
 鯨のあらゆる部分をというのです。
「骨も皮も利用するね」
「無駄なくね」
「けれど白鯨でどうして捕鯨をしていたか」
「あれは鯨油を取っていたんだ」
「そうだったね」
「そう、捕鯨はね」
 まさにというのです。
「そうした国々のものはね」
「ただ油を取るだけで」
「それはそれでいいけれど」
 それでもというのです。
「それだけだったから」
「日本の捕鯨とは違うね」
「本当に日本人は捕鯨で鯨を隅から隅まで使うから」 
 だからだというのです。
「いいと思うよ」
「そうだね」
「実際に捕鯨を一番反対しているのはオーストラリアだね」
「あそこが一番凄いね」
「鯨を取らないから」
 だからだというのです。
「オーストラリア近海は鯨が増え過ぎてね」
「生態系が乱れているんだよね」
「鮫も増えてね」
「あの辺り只でさえ鮫が多いのにね」
「それで大変なことになっているんだ」
「そうなんだね」
「だからね」
 このことから考えてもとです、先生はころを食べつつ言います、そうしながら日本酒をくいっと飲みます。
「日本の捕鯨はね」
「先生は賛成だね」
「むしろ今までがね」
「おかしいんだね」
「そうだよ」
 こう言うのでした。
「僕が思うに」
「環境保護じゃないね」
「カルトめいた」
 そうしたというのです。
「活動になっているよ」
「だから問題なんだね」
「うん、そうしたこともあるし」
「日本の捕鯨はだね」
「いいと思うよ」
「確かに美味しいですね」
 執事さんもそのころを食べて笑顔で言います。
「鯨は」
「そうですよね」
「素敵な食べものです」
「全く以てですね」
「そう思います」
 こう言うのでした。
「本当に」
「鯨が美味しく食べられてしかも環境保護になるなら」
 王子もそのころを注文して言いました。
「問題なしだね」
「そうだね」
「僕もそう思うよ」
「それで織田作さんもだよ」
 ここで先生はこの人のお話をしました。
「この関東煮をね」
「このお店でだね」
「食べていたんだ」
「そうだね」
「こうしてね」
「そう思うと感慨があるよね」
「本当にね」
 先生は王子に笑顔で応えました。
「僕もそう思うよ、それで後はね」
「次はだね」
「をぐら屋というお店に行って」 
 次はそちらのお店に行ってというのです。
「山椒昆布を食べるよ」
「そこでまた昆布だね」
「昆布も大阪の食べものだからね」
 それでというのです。
「次はね」
「昆布をだね」
「食べようね」 
 こう言ってでした。
 皆はこのお店では関東煮を楽しんで、でした。
 そして次はそのをぐら屋に行きました、そうしてです。 
 その山椒昆布を食べますがここで皆言いました。
「本当に大阪って昆布よく食べるね」
「だしにもね」
「大阪のだしっていうと昆布っていう位に」
「本当によく使うよね」
「そうだよね」
「関東じゃ食べないっていうけれど」
「実は昆布にも秀吉さんが関わっているんだ」
 先生は皆と一緒に山椒昆布を食べつつお話しました。
「実はね」
「へえ、そうなんだ」
「大阪っていうとあの人だけれど」
「昆布についてもなの」
「あの人が関係しているんだ」
「大坂城を築く時にね」
 その時にというのです。
「石垣に使う石を運ぶ時の下敷きにしていたんだ」
「昆布をそうしていたんだ」
「下に敷くと動かしやすいからよね」
「それでだね」
「そう、それでそうしていてね」
 そしてというのです。
「昆布を沢山使っていて試しに食べてみたら」
「美味しかった」
「そうなんだね」
「それで大阪で昆布を食べるようになったのね」
「こんなに大々的に」
「そう言われているよ」 
 そうだというのです。
「大阪ではね」
「成程ね」
「ここでも秀吉さんだね」
「あの人本当に大阪に関わってるね」
「何かと」
「今の大阪の基礎を築いた人だしね」
 先生は皆にこうもお話しました。
「だからね」
「それでだね」
「昆布にも関わっていて」
「昆布を食べるきっかけを作ったんだ」
「大坂城の築城に使って」
「そうなんだ、そして大阪城は」
 今度はこの城のお話をしました。
「織田作さんが生きてる頃に今の天守閣が出来たんだよ」
「確か昭和六年位に建てられたんだったね」
 王子が言ってきました。
「そうだったね」
「そう、初代は大坂の陣で焼けてね」
「秀吉さんの頃の天守閣は」
「それで二代目もね」
「江戸時代のものも」
「落雷を受けてね」
 それでというのです。
「焼けたんだ」
「それでずっとなかったんだね」
「江戸時代の間はね、そしてね」
「明治大正もなくて」
「昭和の頃になってね」
 この頃にというのです。
「建てられたんだ」
「今の三代目の天守閣だね」
「そうだよ、この天守閣は空襲でも生き残っているから」
「幸運だね」
「空襲で周りが瓦礫の山になったけれど」
 それでもというのです。
「天守閣だけはね」
「残ったんだね」
「そうだったんだよ」
「そうした天守閣だね」
「だから今の天守閣は大事にしたいよね」
「そうだね」
 王子も先生の言葉に頷きました。
「そうしたお話を聞くとね」
「これまでの天守閣はなくなってきていて」
「空襲でも生き残ってきたから」
「今の天守閣はね」
 三代目のそれはというのです。
「これからもね」
「ずっとね」
「残って欲しいよ」
「全くだね」
 王子も頷くことでした、そうしたお話をしながらです。
 先生達は山椒昆布も食べました、その後で。
 先生は皆をある本屋に案内しました、そこは。
「天牛書店?」
「この本屋もかしら」
「織田作さんに縁があるんだ」
「そうなの」
「そうだよ、この本屋さんもね」
 まさにというのです。
「織田作さん由縁で織田作さんが生きていた時とは場所が違うけれど」
「作品にも出ていたの」
「そうだったんだ」
「この本屋さんも」
「というか織田作さん自身がね」 
 先生は皆にお話しました。
「よく来ていたんだ」
「ああ、作家さんだとね」
「本を読まないと駄目だからね」
「それでだね」
「そうなんだ、この本屋さんによく来てね」
 そうしてというのです。
「本を探していたんだ」
「ここにあった時じゃないけれど」
「そうだったんだ」
「成程ね」
「そうでなくてもこの辺りをね」
「よく歩いたんだね」
「そうだよ、大坂のね。それでね」
 先生は皆にさらに言いました。
「これから道頓堀にも行こうか」
「あっ、あそこに行くんだ」
「道頓堀に」
「もう大阪の中の大阪」
「そう言っていい場所に」
「織田作さんはあちらにもよく行っていてね」
 そうしてというのです。
「文楽を楽しみもしていたよ」
「美味しいものも食べて」
「そして文楽も楽しんでいた」
「そうだったんだ」
「そうだよ、文楽好きでもあってね」
 こう動物の皆にお話しました。
「それでなんだ」
「よく文楽も観ていたんだ」
「浄瑠璃とかだね」
「日本の伝統文化だね」
「それをだったんだ」
「浄瑠璃の題目は歌舞伎とも重なっていてね」
 そうしてというのです。
「自然と歌舞伎にも親しくなるよ」
「大阪でも歌舞伎やるしね」
「それもよくね」
「東京や京都と一緒で」
「そうするね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「大阪では歌舞伎も有名だね」
「上方歌舞伎っていうしね」
「京都と一緒にね」
「今も有名だし」
「それで文楽とも重なっていて」
「織田作さんはそちらの造詣も深かったんだ」
「そして作品の登場人物も浄瑠璃をしていたんだ」 
 作品にも影響があったというのです。
「夫婦善哉でね」
「ああ、あの作品でもなんだ」
「この辺りがまさに舞台だったけれど」
「それでなんだ」
「主人公浄瑠璃もしているんだ」
「そちらもまた」
「そうだったんだ、もう浄瑠璃はやっている人も少なくて」
 それでというのです。
「伝統芸能になっているけれどね」
「それでもだね」
「当時はまだやっている人も多くて」
「主人公達もだね」
「やっていたんだね」
「そうだったんだ、それで当時は道頓堀も今と違って」
 当時のこの場所のお話もするのでした。
「文楽だけでなく寄席とかお笑いの場所もね」
「あったんだ」
「今は食べもののお店が多いね」
「食堂に居酒屋にお好み焼き屋さんにね」
「中華料理もあって」
「そして河豚に蟹」
「食べものの場所だけれど」
 それでもと言う皆でした。
「昔は違ったんだ」
「食べることよりもだったんだ」
「お笑いの場所だったのね」
「今は吉本や松竹の舞台があるね」
 お笑いが得意な事務所のというのです。
「けれど昔はね」
「そうした場所じゃなくて」
「道頓堀に多かったんだ」
「大阪はお笑いの街だけれど」
「そうだったんだね」
「そうだったんだ」
 当時の大阪はというのです。
「まあ織田作さんは食べることも好きだったし」
「どう見てもそうだね」
「本当に食べもののお店出るからね」
「それも料理まで」
「そういうの見たらね」
「そうだね、けれどそれと共にね」
 食べることが好きでというのです。
「文楽も好きで」
「当時の道頓堀にはそうした舞台もあった」
「じゃあそういうことも観る為に」
「今からだね」
 道頓堀に行ってというのです、こうお話してでした。
 先生は皆を道頓堀に案内しました、そこはまさに皆が知っている道頓堀で紅白の縦縞の服を着たおじさんにです。
 蟹もいます、それででした。
 皆はその中を歩きつつ先生に言いました。
「今見るとね」
「本当に食べものの街で」
「観光の人も多くて」
「世界中から人が集まっているけれど」
「織田作さんもここにいたんだよ」
 この人もとです、先生は笑顔でお話しました。
「そうだったんだよ」
「そうだよね」
「ここに織田作さんがいてね」
「そしてだね」
「文楽を楽しんでいたんだね」
「そうなんだ、作品の登場人物達もおそらくね」
 彼等もというのです。
「大阪の他の場所を歩いて」
「これまで行ったところとかね」
「口縄坂とか夫婦善哉とか」
「自由軒とか」
「それでだよね」
「ああした場所も巡って」
「そしてだね」
 皆は先生の言葉を受けて言いました。
「この道頓堀もね」
「歩いていたんだね」
「今は観光地でもあって」
「阪神が優勝したら飛び込んだりするけれど」
「グリコもあって」
「けれどなんだ」
「そう、織田作さんの場所でもあるんだ」
 その一面もあるというのです。
「そのことは大阪の人達だけでなくね」
「ここに来た人達もだよね」
「知って欲しいよね」
「織田作之助さんという人がかつていて」
「その人が書いた場所で」
「歩いた場所だって」
「そのことをね、大阪全体をね」
 先生は温かいそれでいて遠くを見る目でお話しました。
「知って欲しいよ」
「全くだね」
「忘れられるには惜しい人だよね」
「ずっと読まれていって」
「記憶に残って欲しい人だね」
「心から思うよ」 
 その目で言う先生でした。
「本当にね」
「道頓堀の新たな一面を知ったわ」
 ポリネシアは先生にここでこう言いました。
「本当にね」
「そうだね、織田作さんの世界でもあったんだね」
 老馬も言いました。
「道頓堀は」
「そして文楽やお笑いの場所でもあった」
 ダブダブも今は食べもの以外のことに目と考えを向けています。
「そうだったんだね」
「時代と共に色々な場所も変わるけれど」
 ジップも考えるお顔になっています。
「道頓堀もね」
「かつてはそうした場所だったのね」
 ガブガブはその道頓堀を見回しつつ言いました。
「成程ね」
「食い倒れのおじさんや蟹やグリコだけじゃなくて」
「歴史もあってなのね」
 チープサイドの家族も言います。
「文楽やお笑いもあって」
「そして今に至るんだ」
「今はそこに阪神タイガースもあるけれど」
 こう言ったのはチーチーでした。
「阪神もない時代だね」
「まあ昔はこんな建物ないしね」
「今みたいなのはね」
 オシツオサレツも言いました。
「ネオンもないし」
「また違うよ」
「その頃の道頓堀も知りたいよ」
 トートーは織田作さんの頃の道頓堀について思いました。
「是非ね」
「うん、これから道頓堀の資料館にも行こうね」 
 こう言ってです、先生は皆と一緒に道頓堀にあるこの場所の資料館にも足を運びました。するとです。
 昔の木造時代の道頓堀の写真もあってです。皆その写真を見て言いました。
「こんなのだったんだ」
「昔の道頓堀は」
「同じ場所とは思えないわ」
「同じ場所なのは何となくわかるけれど」
「それでもね」
「コンクリートの建物が増えるのは戦後だからね」
 先生も言ってきました。
「だから織田作さんの時代はね」
「こうしてだね」
「木造の建物が多くて」
「それでなのね」
「文楽とかのお店もあったのね」
「そうだよ、そして大阪自体もね」
 道頓堀だけでなくというのです。
「木の都じゃないけれど」
「木造建築だね」
「その建物が多かったんだね」
「そうなのね」
「そうだったんだ、そしてここを通って」
 道頓堀をというのです。
「法善寺横丁まで行って」
「夫婦善哉だね」
「あちらに行って」
「それで食べていたんだ」
「そうだったんだ、おそらく奥さんともね」
 この人ともというのです。
「一緒にここを通ってね」
「夫婦善哉に行って」
「そしてだね」
「あの善哉を食べていたのね」
「そうだったと思うよ、本当にここに来たら」
 その時はというのです。
「多くの人に頭の片隅にでもね」
「織田作さんを思い出して欲しい」
「そういうことね」
「先生としては」
「そうも思うよ、織田作さんは確かにいたんだ」
 かつてはというのです。
「この場所にもね」
「今は世界中から観光客の人が日本に来て」
「大阪にも来てくれて」
「それでこの道頓堀にも来てくれてるけれど」
「それでもね」
「それだけでなくてね」
「大阪の歴史も知ってね」
 そしてというのです。
「文学のこともで」
「織田作さんのこともね」
「少しでも多くの人に知って欲しいわね」
「是非共」
「本当にね」
「そう思うよ」
 心から思う先生でした、そうして。
 道頓堀にあるたこ焼きのお店でそのたこ焼きを買って食べるとでした、王子は唸ってこう言いました。
「やっぱり最高だよ」
「たこ焼きはだね」
「大阪に来たら」
「たこ焼きを食べないとだね」
「こうも思うよ」
「王子は随分たこ焼きが気に入ったね」
「日本に来てね」
 そうしてというのです。
「それでね」
「たこ焼きを食べて」
「もうそれがかなり美味しくてね」
 それでというのです。
「それでね」
「好きになったんだ」
「神戸の明石焼きもいいけれど」
 それでもというのです。
「たこ焼きもね」
「いいね」
「そう思うよ、ただね」
「ただ?」
「先生も好きだよね」
 王子は先生にこう尋ねました、勿論先生も動物の皆もたこ焼きを食べています。そして執事さんもです。
「たこ焼きは」
「かなりね」
 こう答える先生でした、それも笑顔で。
「好きだよ」
「そうだよね、けれどイギリスでは」
「そもそも蛸自体がね」
「ないからね」
「食べものとしてはね」
「だからたこ焼きなんてね」
「全くだよ」
 それこそというのです。
「ないよ」
「そうだよね」
「蛸や烏賊は悪魔みたいな」
「気持ち悪い存在でね」
「ミズダコが人を襲うと聞いても」
 この蛸がというのです。
「納得するよ、けれどね」
「日本だとね」
「ミズダコが人を襲うなんてね」
 このことがというのです。
「誰か知ってるかな」
「日本だと蛸は食べものだよ」
 王子は笑って答えました。
「こうしてたこ焼きで食べてね」
「そしてだね」
「お刺身に酢蛸にね」
「他にも色々なお料理で食べるね」
「もう食べものでしかなくて」
 日本人にとって蛸はです。
「図鑑でも蛸については」
「どう調理したら美味しいかを書いているね」
「そのミズダコもね」
 人を襲うというこの蛸もです。
「今僕達が食べているたこ焼きにはあまり使わなくても」
「大体マダコかな」
「そんなものでね」
 それでというのです。
「ミズダコは他のお料理に使うね」
「そうだね」
「兎に角ミズダコが人を襲うなんて」
「日本人は知らないね」
「知っていても」
「簡単に捕まえるから」
 蛸をとです、先生は笑ってお話しました。
「海に蛸壺を入れると」
「簡単に捕まるんだよね」
「そして実際に捕まえて」
「後は食べるね」
「だからミズダコも」
「食べものでしかない」
「だから日本人は巨大な蛸、烏賊もだけれど」
 こうした生きもののというのです。
「映画とかを目にしてもね」
「怖がらないね、実際に」
「たこ焼き何十人分とかね」 
「実際に言うからね」
「烏賊だってね」
 こちらもというのです。
「同じでね、それで大阪なんて」
「たこ焼きだね」
「それで食べるよ」
「そして食べたら」
「これが美味しいんだよね」
「実にね」
 まさにというのです、そしてです。
 そうしたお話をしてでした、先生は。
 たこ焼きも食べて次はいか焼きもでした、生地のそちらを道頓堀で食べて満喫してそうしてからでした。
 神戸への帰路に着きました、すると。
 今度は王子がです、先生に言いました。
「帽子にマントの男の人がいたよ」
「そうなんだ」
「さっき擦れ違ったよ」
 そうだったというのです。
「それで着流しだったよ」
「その人は」
 先生はその人のお話を聞いて王子に言いました。
「生圀魂神社の織田作さんの銅像だね」
「そのままだね」
「うん、戦前のファッションでね」
「そのファッションでだね」
「織田作さんは実際に大阪を歩いていたけれど」
「昭和の前期だよね」
「大体十年から二十一年だね」 
 この頃だというのです。
「織田作さんは昭和二十二年一月十日にお亡くなりになってるから」
「二十一年までだね」
「その頃までは日本は着物の人も多くて」
 それでというのです。
「洋服も入っていてね」
「帽子もあったね」
「着流しに帽子とか」
「マントを羽織ることも」
「あったよ、そうした和洋折衷のファッションがね」
 それがというのです。
「日本はね」
「あってだね」
「大阪にもね」
 この街にもというのです。
「いたんだ」
「そして織田作さんもなんだ」
「そうしたファッションでね」
「銅像にも活かされているんだ」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「実際に着ていて」
「銅像に再現されているんだ」
「今じゃああした素敵なファッションも時代遅れでね」
「着ている人はいないね」
「そうなっているけれど」
 それでもというのです。
「どうして今いるのかな」
「実際にそのファッションだったよ」
 王子は先生に答えました。
「擦れ違っただけだけれどはっきり見たよ」
「あれっ、それじゃあ」
「僕達がハイハイタウンで見た人?」
「擦れ違ったけれど」
「その人かな」
「まさか」
「そうかも知れないね、しかしね」
 王子は首を傾げさせていいました。
「僕もそんなファッションしてみようかな」
「織田作さんみたいにだね」
「和洋折衷のね」 
 そうしたというのです。
「着物にマントと帽子とか」
「王子もなんだ」
「どうかな」
「面白いね、僕はいつもスーツだけれどね」
 外出の時はです、本当に先生はいつもスーツです。ただしお部屋の中で作務衣を着たり旅館で浴衣を着たりもします。
「王子がそうしたいなら」
「いいんだ」
「日本では裸にならない限り」
 そうでもないと、というのです。
「批判されないよ」
「どんなファッションでもだね」
「もっと言えば誰かを侮辱する様なものでなかったら」
 裸以外にです。
「だったらね」
「いいから」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「王子もだよ」
「和洋折衷のファッションでも」
「いいよ」
「それはいいね、じゃあね」
「そうしたファッションをだね」
「考えてみるよ」
 真剣にというのです。
「僕も」
「それではね」
「うん、全く日本はファッションも魅力的だよ」
 王子は真剣なお顔で言いました。
「他の色々なこともで」
「それでだね」
「ファッションもだよ」
「それも今のファッションもで」
「そしてね」 
「昔のファッションもだね」
「奈良時代、平安時代もよくて武士の鎧もね」 
 これもというのです。
「素晴らしくて江戸時代の服も」
「いいんだね」
「傾奇者の服もよくて」
「明治や大正のファッションも」
「和洋折衷が」 
 まさにそれがというのです。
「最高過ぎるよ」
「じゃあ大正の頃の女の子のあれはどうかな」
「振袖袴に靴だね」
「パラソルもあるね」
「あれは反則だよ」 
 それこそというのです。
「本当にね」
「王子にとってはだね」
「うん、あんな魅力的なファッションないよ」
「そこまで気に入っているんだね」
「今もあんなファッションだったら」
 それこそというのです。
「よかったのにね」
「今は流石にそうしたファッションの人はいないね」
「うん、それでね」
 こうも言う王子でした。
「だから余計にさっきの人がね」
「印象的だったんだね」
「まさかと思うけれど」
「まさか?」
「織田作さん本人かな」
 こうも言うのでした。
「さっきの人は」
「服装が銅像のままだったからだね」
「今そうも思ったよ」
「それだと幽霊だからね」
「そうだね、けれど幽霊も」
「存在するからね」
 先生も幽霊は否定しません、何しろお国のイギリスは兎角幽霊のお話が多いからです。
「だからね」
「その可能性もあるかな」
「そう思うよ、僕は」
 こうしたことを言ってです。
 先生は皆と一緒にフィールドワークをしてでした。
 また神戸に戻って論文を書きました、先生の学問は続くのでした。








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