『ドリトル先生と不思議な蛸』




                第三幕  鳥羽に着いて

 先生達は鳥羽駅に着きました、列車が停まるとすぐに車両から出てそのうえで駅に降り立ちますと。
「うわ、潮の匂いがするよ」
「潮風がするね」
「青空も奇麗だし」
「海だね」
「海の街に来たね」
「そうだよ、ここがね」
 まさにというのです。
「鳥羽だよ」
「さっきまで山ばかりだったのに」
「奈良県からそうで」
「三重県もそうだったけれど」
「それがね」
「鳥羽に入ってだね」
「そう、この通りね」
 先生も笑顔でお話します。
「鳥羽に着くとだよ」
「海の街になるんだ」
「ここにも山があるけれど」
「ここは海の街だね」
「そうなのね」
「そう、あとこの辺りは海岸が小さな島や複雑な形で入り組んでいてね」
 それでというのです。
「リアス式海岸になっているんだ」
「ああ、ノルウェーみたいな」
「あれこれ入り組んでいてね」
「ギザギザになってる」
「そうした場所なの」
「そうなんだ、だから昔は海賊の根拠地にもなっていたんだよ」 
 この辺りはというのです。
「九鬼家とかのね」
「あれっ、織田信長さんの家臣の」
「あの水軍の?」
「あの人達元は海賊だったんだ」
「そうだったの」
「うん、元はそうで織田信長さんに仕えて」
 そうなってというのです。
「家臣になったんだ」
「そうだったのね」
「成程ね」
「海賊にも歴史があるんだ」
「それでこの鳥羽にも」
「そうだよ、それとね」
 先生はさらに言いました。
「これからのことだけれど」
「すぐに海に向かわないよね」
「まだ荷物持ってるし」
「まずは荷物を置いて」
「それからだよね」
「そう、ホテルに置いて」
 宿泊先のそちらにというのです。
「調査は明日からだから」
「そうなの」
「じゃあ今日はどうするか」
「一体ね」
「どうしようか」
「それが問題だけれど」
「ホテルに荷物を置いたら水族館に行こう」 
 これが先生の提案でした。
「鳥羽のね」
「そうするのね」
「鳥羽の水族館に行って」
「それでそこの生きもの達を観て回る」
「そうするんだ」
「そう、そしてね」
 それでというのです。
「学ぼうね」
「海の生きもの達を」
「そうするんだ」
「じゃあ今からホテルに言って」
「そのうえで」
「鳥羽の水族館に行こうね」 
 こう言ってでした。
 先生は皆と一緒にまずは宿泊先のホテルに入りました、そこに荷物を置いてからそのうえで皆と一緒にでした。
 水族館に行きました、そしてその中にいる色々な生きもの達を観ました、その生きもの達はといいますと。
 スナメリもいますしラッコもいますしウミガメもいます、他にはカブトガニもいてです。
「あのアザラシもいるね」
「ずんぐりしたね」
「バイカルアザラシね」
「あのアザラシもちゃんといるね」
「バイカルアザラシは特別なアザラシだよ」
 先生は皆に笑顔でお話しました。
「普通のアザラシは海にいるね」
「北極や南極のね」
「そちらにいるよね」
「川や湖にはいないよ」
「そうだよ」
「そう、けれどね」
 それがというのです。
「バイカルアザラシはロシアのバイカル湖にいるんだ」
「シベリアの方のね」
「あの大きな湖にいるのよね」
「湖にいるアザラシなんてね」
「本当に珍しいよ」
「そのアザラシもいて」
 そしてというのです。
「他の生きもの達もいるからね」
「スナメリだってそうだしね」
「あの生きものも凄く珍しいし」
「だからちゃんと水族館で飼育して」
「調査や研究もして」
「残る様にしているね」
「そう、ラッコも珍しいし」
 今先生達はそのラッコ達の前にいます、水槽のお水の中を素早く泳いでいます。その動きはかなりのものです。
「こうした生きものがずっと残る為にもね」
「水族館は必要ね」
「動物園もそうだし」
「もっと言えば博物館もそうで」
「ずっと残るべきね」
「そう思うよ、それを檻とかに入れるのは虐待とね」
 その様にというのです。
「言って水族館や動物園に反対する人もいるけれど」
「極論だよね」
「そんな人滅多にいないけれど」
「そんな極論言う人って」
「流石に」
「けれど最近、特に日本だと誰かが手を挙げたらね」
 そうすればというのです。
「それがどんな無茶苦茶な主張で一人しかいなくても」
「それが通るよね」
「お菓子が食べにくいから小さくしろとか」
「あと除夜の鐘が五月蠅いから止めろとかね」
「もう何でも言うよね」
「クレーム付ける人って」
「身近だとスーパーの自分の好きな商品がないとか」
 先生はそうした礼も挙げました。
「トイレの手を拭く紙がないとか勝って食べたアイスがパサパサしてるとかでね」
「クレーム付けるのよね」
「もう無茶苦茶だよね」
「お客様は神様って言うけれど」
「傲慢な神様だね」
「こんな主張をする人の意見が通るから」
 どれだけ少なくてもです。
「おかしいんだ、それで水族館や動物園がなくなったら」
「かえって駄目だよね」
「学問にもよくないし」
「沢山の生きものが残る為にも」
「絶対に避けないとね」
「だからおかしな人の意見は聞かないことだよ」
 そもそもです。
「明らかにそうなのはね」
「そうだよね」
「水族館をなくせとか」
「除夜の鐘のことも」
「一人がそう言って通ってたらね」
「世の中どうしようもなくなるわ」
「そうなるからね」 
 実際にというのです。
「そもそも民主的でないし」
「一人のおかしな意見が通るとかね」
「それで他の人達が迷惑したりとか」
「あと世の中がおかしくなったら」
「それも民主的じゃないよ」
「こうしたことを言う人はよく自分は多数派だ、多くはそう思っていると言うけれど」
 先生はラッコ達を見つつ言いました。
「それは思い込みが大抵だからね」
「実際はそう思ってないよね」
「暴論なんて沢山の人は言わないよ」
「多くいる様に見せていても」
「それは工作だね」
「デモでも実際の数はもっと少ないね」
 沢山いると主張してもです。
「そもそも自分達が多数派とか根拠なく言う人なんて」
「そのこともおかしいから」
「もうそんな人のお話を聞いたらいけないね」
「絶対におかしなことになるから」
「水族館でも」
「世の中クレームの為のクレームをする人もいるから」 
 そうしたおかしな人もいるというのです。
「もうあれやこれやってね」
「何に対しても言うのね」
「それを生きがいにしている」
「そんな困った人がいるのね」
「それで社会を正しくしているとか指摘出来る自分は偉くて賢いと思っているけれど」
 それでクレームをつけているというのです。
「実は違うよ」
「迷惑なだけで」
「もう独善よね」
「完全にエゴが暴走していて」
「とんでもない人になってるわ」
「これは暴走した正義だよ」
 先生は指摘しました。
「正義も暴走したらね」
「正義じゃないよね」
「もうその時点で」
「むしろその逆ね」
「邪悪と言っていいよ」
「そう、そんな人達こそね」
 まさにというのです。
「邪悪だよ、だからそんな人達の暴論は退けて」
「水族館や動物園は守っていかないとね」
「植物園も」
「他のこともそんな意見は退ける」
「他の人達がおかしなことを言うなって言ってね」
「そう、一つの暴走した正義は百の正論で論破して」
 そしてというのです。
「その動きを抑えるべきだよ」
「そうしておかしなことにならない様にする」
「そういうことだね」
「先生の言うことは正しいよ」
「まさにその通りだよ」
「そう思うよ、僕達も」
「本当にね」
 動物の皆もそうだと頷きます、そしてです。
 先生達はラッコからダイオウグソクムシを観てです、その後で。
 カブトガニを観ました、するとチープサイドの家族が言いました。
「瀬戸内海にいるんだよね」
「日本のね」
「遥か昔からいる」
「貴重な生きものね」
「何か不思議な形ね」
 ダブダブもカブトガニを観て言います。
「フライパンみたいな」
「あっ、似てるわね」
 ポリネシアはダブダブの言葉に頷きました。
「言われてみれば」
「そうだね、丸くて尻尾が細長くて」
 トートーはカブトガニのその形をまじまじと観ています。
「まさにそうだね」
「瀬戸内海も凄い海だよね」 
「そうそう、迷路みたいだっていうね」
 オシツオレレツはカブトガニを二つの頭で観ています、そのうえでの言葉です。
「その瀬戸内海にいるんだ」
「あの海に」
「瀬戸内海だけにしかいないんだ」
 ガブガブはしみじみとした口調でした。
「世界で」
「それってシーラカンスと同じだね」 
 ホワイティはこのお魚を思い出しました。
「その場所にしかいない大昔からいる生きものっていうと」
「恐竜の頃からいるんだったね」 
 チーチーは興味深そうです。
「カブトガニもシーラカンスも」
「カブトガニは恐竜以前からじゃなかったかな」
 ジップはこう言いました。
「確か」
「けれど大昔からいることは事実で」
 老馬もカブトガニを観ています。
「こうして観られることは貴重だね」
「そうだよ、カブトガニが観られる水族館だから」
 それでと先生も言います。
「この水族館は素晴らしいよ」
「バイカルアザラシ、スナメリ、ラッコがいて」
「それでカブトガニもいる」
「だからね」
「ウミガメも沢山いたね」 
 彼等のお話もします。
「ヌートリアも」
「そうだね」
「本当に色々いるね」
「色々な生きものがいて」
「そして学べてずっといられる様にしているのね」
「そうだよ、ただ最近この水族館は」
 先生は笑ってこうも言いました。
「あの生きものが一番有名だね」
「ダイオウグソクムシだね」
「あの深海生物ね」
「八条学園の水族館にもいるけれど」
「本当に何も食べない」
「凄い生きものだね」
「僕達は三食しっかり食べないと駄目だけれど」
 それでもと言う先生でした。
「あの生きものはね」
「違うからね」
「何年も食べていないとかね」
「どうして生きられたのかな」
「この水族館のダイオウグソクムシ死んだけれど」
「餓死じゃなかったっていうし」
「何年も食べなかったのに」
 それでもというのです。
「そうじゃないって」
「どうして生きていたの?」
「何年もなんて」
「こんなこと有り得ないのに」
「何でそうなったのかしら」
「僕もわからないよ、学園の彼ともお話したけれどね」
 そのダイオウグソクムシ自身とです。
「それでもね」
「わからなかったよね」
「どうしてそうなのか」
「何で何年も食べないのか」
「それで平気なのか」
「本当にね、そしてそのダイオウグソクムシがね」 
 まさにというのです。
「今はこの水族館で一番有名だね」
「何か代名詞になってない?」
「この水族館の」
「よく言われるし」
「ラッコやスナメリよりも」
「ゴマフアザラシよりも」
「形も面白いしグッズにしやすいし」
 このこともあってというのです。
「有名になってるね」
「そうよね」
「何といっても」
「この水族館の看板はっていうと」
「ダイオウグソクムシね」
「カブトガニよりもね」 
 今皆で観ているこの生きものよりもというのです。
「そうなっているね」
「最早ね」
「カブトガニも不思議だけれど」
「ダイオウグソクムシもかなりだよ」
「やっぱり看板になるかな」
「何年も食べないとなると」
 こうしたお話をしながら次は世界中の亀を集めたコーナーに行きました、すると本当に実に色々な種類の亀達がいます。
 そしてウミガメも観ましたが。
「何かウミガメってね」
「観ていると幸運が得られる様な」
「そんな気分になれるわね」
「不思議とね」
「そうなるね」
「そうだね、亀自体がそうだけれど」
 先生も言います。
「ウミガメはそうした生きものだね」
「じゃあ先生にもだね」
「幸運が訪れるね」
「この鳥羽でも」
「そうなるわね」
「そうなったらいいね、亀はよく日本の神社やお寺のお池にいるけれど」 
 このこともお話するのでした。
「あのこともね」
「いいことだよね」
「如何にも日本のお寺や神社って感じがして」
「神聖な感じもするわ」
「観ていると幸運も授かったと思えて」
「そうだね、今回の調査は海でのことだし」
 それにというのです。
「しかも危険な蛸だから」
「それでだね」
「慎重にしないと駄目ね」
「だから幸運もあるとね」
「本当に有り難いよ」
「そうだよ、だから今はしっかりと観て」
 そのウミガメ達をです。
「幸運を授かるよ」
「そうしていこうね」
「そしてそのうえでね」
「明日から調査だね」
「それをはじめるね」
「そうしようね」
 先生は笑顔で言います、そうして水族館の中を隅から隅まで巡りましたがそれが終わってからでした。
 ホテルに戻りました、ホテルに戻った時は夜で。
 帰るとお風呂に入ってから晩ご飯でした、そのメニューはといいますと。
「いきなりこれだね」
「伊勢海老のお造りね」
「鳥羽の魚介類の天麩羅に酢のもの」
「栄螺の姿焼きもあるし」
「お野菜のお料理もあって」
「しかも後で伊勢海老の頭でお味噌汁を作ってくれるし」
「これは凄いご馳走だね」
 先生も笑顔で言います。
「お酒もあるしね」
「お昼はウイスキー飲んだけれど」
「今度は日本酒だね」
「お造りとかを日本酒で食べて」
「それで満喫ね」
「その後でまたお風呂だね」
 にこにことしたまま言う先生でした。
「そうしようね」
「そっちも楽しもうね」
「食べた後でね」
「もう一度入ってすっきりしましょう」
「皆でね」
「そうしようね、日本の旅行の楽しみは」 
 それはといいますと。
「やっぱりね」
「ご馳走にね」
「それにお風呂もだから」
「どっちも楽しまないとね」
「旅行って気がしないわ」
「イギリスの旅行はどっちも、だったね」
 先生はこのことは少し寂しく言いました。
「どうしても」
「そうそう」
「そちらはね」
「イギリスにいるとね」
「お風呂に造詣は深くないし」
「食べものはもっと、だから」
「景色や学問は楽しめても」
 それでもと皆も言います。
「それでもね」
「お風呂とかお料理とかは楽しめないわ」
「そうしたことは」
「それが残念だね」
「けれど日本だと」
「その二つも楽しめるから」
「僕も病み付きになっているんだ」
 日本の旅行にというのです。
「心からね」
「それで今もだね」
「お風呂も楽しんで」
「それでお料理も」
「そうするのよね」
「こうしてね、じゃあ皆で食べて」
 そうしてとです、先生は皆に言いました。
「楽しもうね」
「そうしよう」
「鉄道の旅はしたし」
「その後は水族館に行ったし」
「お風呂にお料理」
「次はそれだね」
「その通りだよ」
 笑顔での返事でした。
「今の様にね」
「最高だよね」
「これこそ日本の旅行だね」
「学問の調査で来ていても」
「旅行であることには変わらないからね」
「だからね」 
 それでというのです。
「これからはね」
「うん、それじゃあね」
「今から楽しもうね」
「食べて飲んで」
「そしてまたお風呂に入って」
「是非ね」
 先生は皆と一緒に食べはじめました、その中で伊勢海老も食べましたが。
 食べてです、先生はすぐに言いました。
「いや、本当にね」
「凄く美味しいよね」
「これが伊勢海老なんだね」
「食感も味もいいよ」
「こんな海老あるんだ」
「オマール海老もいいけれど」
「伊勢海老も美味しいね」
 皆もこう言います。
「いや、これはね」
「食べだしたら止まらないよ」
「お魚のお刺身もいいけれど」
「伊勢海老もいいね」
「そうだね、しかもね」 
 先生はお刺身を食べながら言いました。
「お刺身を食べたらその後は」
「そうそう、お味噌汁」
「頭からダシを取った」
「今度はそれだね」
「それが待っているね」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「お味噌汁が出るころにはお酒もかなり回ってるし」
「ああ、それでだね」
「酔い醒ましも兼ねて」
「お味噌汁も飲みましょう」
「そうしましょう」
「皆でね、最後のデザートは西瓜だから」
 そちらのお話もしました。
「その西瓜もね」
「食べましょう」
「いやあ、初日からいい感じだね」
「水族館に行ってお風呂に入ったし」
「食べて飲んで」
「最高のはじまりね」
 皆も笑顔で言います、そうしてです。
 先生は動物の皆と鳥羽を来たその日から満喫しました、そのうえで鳥羽の海にいる赤くない蛸の調査に入るのでした。
 翌朝先生は今は靴と靴下を脱いでズボンの裾を膝の辺りまでめくり上げて海に入っています、そのうえで浅瀬を調べています。
 そうしながら周りにいる皆に言いました。
「ここにはいないね」
「ここも蛸いるんだよね」
「さっきマダコ見たけれど」
「赤かったからね」
「赤くない蛸はいないわね」
「その蛸は」
「うん、ここにはいないみたいだね」 
 先生は皆にこうも言いました。
「どうやら」
「そうだね」
「どういった色の蛸か知らないけれど」
「赤くない蛸はいないよ」
「赤い蛸はいたけれど」
「他の蛸はね」
「そうだね、この辺りにいないなら」
 それならというのです。
「ここは大丈夫だよ」
「危ない蛸っていうし」
「その蛸がいないならだね」
「この辺りは安心ね」
「これといって気にすることないんだ」
「ガンガゼやイモガイもいないし」
 こうした生きものの名前も出しました。
「大丈夫だね」
「ああ、ガンガゼって海胆だよね」
「海胆の中でも針が特に鋭くて」
「手とか出したらそっちに針を伸ばしてくるし」
「物凄く危ないんだよね」
「毒を持っているし」
「そうだよ、海胆はあまり迂闊に触れないけれど」 
 トゲが一杯あってです。
「ガンガゼは特に危ないからね」
「迂闊に触ったらね」
「とんでもないことになるよね」
「しかもその針がボロボロ落ちて取れにくいし」
「刺されたら大変だね」
「そう、そしてイモガイはね」
 今度はこの貝のお話でした。
「毒針があって刺してくるからね」
「危ないんだよね」
「こっちも迂闊に持ったら駄目ね」
「しかも猛毒だから」
「命に関わるから」
「気をつけないと駄目だよ」
 絶対にというのです。
「奇麗な貝殻の種類もいるから余計にね」
「迂闊に持ったらね」
「本当に危ないわね」
「貝といっても色々だし」
「気をつけないとね」
「そのイモガイもいないし」
 それにというのです。
「ウツボとかもいないしね」
「ウツボは毒ないんだったね」
「食べる時たまにあったりするって聞いたけれど」
「それでもね」
「噛まれる分には大丈夫だったね」
「そう、噛まれる分には大丈夫だけれど」
 毒のことについてはです。
「それでもね」
「物凄く危ないんだよね」
「ウツボの歯は鋭いから」
「指なんか簡単に食い千切られるから」
「いたら気をつけないとね」
「そうなんだ、だからね」
 そうしたことがあるからだというのです。
「ウツボもいないからね」
「そのことも安心していいね」
「この浅瀬は安全だね」
「岩場が多くて色々なお魚がいるけれど」
「それでもね」
「ここは安全だよ」
 先生は皆に笑顔で答えました。
「そして自然も豊かだね」
「色々なお魚や貝がいてね」
「それにイソギンチャクやヒトデもいて」
「凄くいい場所だと思うわ」
「観ていると」
「僕も思うよ、ここはいい場所だよ」
 この浅瀬はというのです。
「本当にね」
「こうした海もいいわね」
 ポリネシアは言いました。
「泳いだり釣りをしたりクルージングを楽しんでもいいけれど」
「そうそう、こうした自然豊かな浅瀬を見てもいいね」
 チーチーはポリネシアの言葉に頷きました。
「そうだね」
「色々な生きものがいて」
 それでとです、ホワイティは目を細めさせています。動物の皆はそれぞれ岩場の海から出ている部分を動き回って海を見ています。
「賑やかだね」
「どの生きものもカラフルでね」
「宝石みたいよ」 
 チープサイドの家族は泳いでいるお魚や貝達を見ています。
「珊瑚はないけれど」
「それでも宝石みたいだよ」
「イソギンチャクとかヒトデとかいたら」
 ダブダブは彼等を見ています。
「絵になるわね」
「そうそう、子供が描く絵だね」
 老馬はダブダブに応えました。
「まさにね」
「海老がいたよ」 
 トートーはこの生きものを岩と岩の間に見付けました。
「本当に色々な生きものがいるね」
「こちらには蟹がいたよ」
 ジップも見付けました。
「横にサササ、と動いてるよ」
「何かここだけで水族館だね」
「そこにいる気分になるよ」
 オシツオサレツもその世界を見ています。
「実際に水族館にいる生きものも多いし」
「絵になるね」
「ヒトデとかイソギンチャクとかは食べられないみたいだけれど」
 食いしん坊のガブガブはここでも食べることからでした。
「見ているだけでいいね」
「そう、だからね」
 それでと言う先生でした。
「僕も楽しく調べていたよ」
「それでレポートにも書くのね」
「この浅瀬のことを」
「赤くない蛸も他の危険な生きものもいなくて」
「それで自然豊か」
「そう書くのね」
「そう書くよ、ただヒトデは魚介類を食べるから」
 それでというのです。
「見ていて楽しいばかりじゃないけれどね」
「増え過ぎると大変なのよね」
「養殖しているものを食べられたりするから」
「そうなんだよね」
「だから増え過ぎたら駆除する必要もあるわね」
「この時注意が必要だよ」
 ヒトデを駆除する時はというのです。
「乾燥させたり焼かないとね」
「駄目だよね」
「ヒトデは切っても死なないから」
「二つに切ったら切られた部分が元に戻るからね」
「それで一つが二つになるからね」
「駆除するには切ったら駄目だね」
「それは駆除になるどころか」
 数を減らして魚介類が食べられない様にするどころかというのです。
「かえってだよ」
「数が増えてね」
「その分魚介類が食べられるね」
「そうなってしまうね」
「ましてこれがオニヒトデだとね」
 先生は今度はこのヒトデのお話をしました。
「余計に悪いよ」
「オニヒトデって確かね」
「身体が海胆みたいに全身トゲで覆われているんだよね」
「それでそのトゲに毒まであって」
「珊瑚を食べるから」
「増えたらとんでもないことになるね」
「天敵は法螺貝でね」
 先生はこのことも皆に言いました。
「それで人間が駆除する時はね」
「他のヒトデと同じだね」
「絶対に切ったら駄目で」
「乾燥させるか焼く」
「どっちかでないと」
「一番確実な方法は乾燥させてから焼くことだよ」
 この方法だというのです。
「二段構えになるね」
「ああ、そこまでしたらね」
「もう灰にしかならないから」
「如何にヒトデの生命力が凄くてもね」
「流石に死ぬね」
「そうなるわね」
「だからオニヒトデもね」
 このヒトデもというのです。
「そうすべきだよ」
「駆除する時は」
「まずは毒に注意して捕まえて」
「それで丘の上で乾燥させて」
「そのうえで焼く」
「そうしたら完璧だね」
「そうだよ」 
 先生は皆にお話しました、そして。
 ふと近くにクラゲを見て微笑んで言いました。
「ここはクラゲもいるね」
「あっ、ミズクラゲ」
「ふわふわと泳いでるね」
「クラゲは何処の海でもいるわね」
「鳥羽の海でもね」
「全てのクラゲに刺胞があるから迂闊に触れないけれど」
 実際に先生も見ているだけです。
「見ていて何処か癒されるね」
「ふわふわしていてね」
「それだけでそうなるわね」
「クラゲはね」
「そうだね、電気クラゲでもないし」
 このクラゲのお話もしました。
「いいよ」
「電気クラゲは危ないからね」
「もう刺されたら大変だから」
「それでだね」
「注意が必要だけれど」
「こうしたクラゲはね」
 特にというのです。
「警戒とまではいかないよ」
「注意位だね」
「見ているだけでいいわね」
「刺胞も長くないし」
「これといってね」
「そうだよ、この辺りは電気クラゲもいないね」 
 その危険なクラゲ達もというのです。
「大丈夫だよ」
「特にカツオノエボシね」
「カツオノエボシがいたらね」
「あのクラゲは特に毒が強いから」
「気をつけないと」
「僕はあのクラゲも見たことがあるけれど」
 そのカツオノエボシもです。
「やっぱり迂闊に近付いたら」
「大変ね」
「その時は」
「だから気を付ける」
「絶対に近寄らないことね」
「クラゲは動き自体は遅いから」
 今皆で見ているミズクラゲもです、ただ海の中をゆらゆらと漂っているだけに見えます。そうした感じです。
「自分から近寄らないと」
「見付けたら」
「その時はだね」
「すぐに離れて近寄らない」
「それでいいね」
「そうだよ、それで済むから」
 カツオノエボシでもです。
「自分では近寄らない」
「それでいいね」
「クラゲについては」
「見付けたら近寄らない」
「それだけでいいね」
「そう、何処でも危険な場所には近寄らない」
 そして危険な生きものにはです。
「それが一番だよ」
「そうだよね」
「君子危うきに近寄らずって言うけれど」
「まさにその通りだね」
「最初から近寄らない」
「それが一番だね」
「そう、毒のある生きものも怖い生きものも」
 どれでもというのです。
「見付けたらね、そしていそうな場所には好奇心じゃなくてね」
「気を付けてだね」
「警戒してだね」
「そこに入って」
「よく見ることだね」
「そうだよ、入る必要がある時だけ入って」 
 そうした生きものがいる場所にです。
「そして気を付けてね」
「そうした生きものにも気を付けて」
「そのうえでだね」
「慎重にやっていくことね」
「そうしないと駄目だよ」
 絶対にというのです。
「何かあってからじゃ遅いしね」
「そうだね」
「そうなったらね」
「だから先生も今気を付けてるね」
「赤くない蛸にもだったし」
「慎重にしていたね」
「わかっていたら」
 それならというのです。
「慎重になるよ、ただここで軽率な行動を取る人もいるね」
「そうそう、危険な場所ってわかっていて」
「興味本位で入って」
「それで遊ぶんでね」
「そんな生きものにも触って」
「それで、ね」
「そんなことはしたらね」 
 それこそというのです。
「よくないことだよ」
「愚行って言うけれどね」
「まさにそれだよね」
「そうした場所には興味本位で入らない」
「それが一番だね」
「その通りだよ、悪霊や怨霊が出るところにも軽い気持ちで入るべきじゃないけれど」
 先生はこうしたお話も否定しません、先生の祖国であるイギリスにしても今住んでいる日本にしてもそうしたお話は多いからです、特にイギリスは幽霊のお話が世界一多いとさえ言われている位なのですから。
「危険な生きものがいる場所にもね」
「行くならね」
「もう覚悟を決めて」
「そしてそのうえでね」
「迂闊なことをしたら」
「若し猛毒を持っている生きものに噛まれたりしたら」
 その時はというのです。
「命に関わるからね」
「そうそう、遊びで触って」
「若しそんなことしたら」
「それで命を落としたりしたら」
「笑い話にもならないよ」
「実際にそうして死んだ人もいるからね」
 事実としてというのです。
「絶対に駄目だよ」
「そうした行為こそ愚行だよね」
「文字通りに」
「その時は」
「そう思うから」
 だからだというのです。
「慎重に、そして軽率なことはね」
「しない」
「危険な場所だと」
「本当にその音が大事だよね」
「何といっても」
「そうだよ、海でも川でも湖でもで」
 それでというのです。
「他の場所でもね」
「先生はそうしたことわかっているからね」
「だからいいのよ」
「軽率さが全くなくて」
「いつも慎重だから」
「そうなんだね、それでもう少し調査をするけれど」
 この浅瀬のです。
「お昼には終わってね」
「それでだよね」
「今朝の日の出から調査しているけれど」
「お昼には終わって」
「それでよね」
「お昼は鰯を食べよう」
 このお魚をというのです。
「鳥羽には鰯料理専門のお店があるからね」
「そうだったね」
「鰯がまた美味しいんだよね」
「身体にもいいし」
「その鰯専門のお店に入って」
「そしてだね」
「お昼は楽しむのね」
「そうしようね」
 こう言ってでした、先生は皆と一緒に浅瀬で生きもの達の調査をしてそのうえでなのでした。お昼はです。
 その鰯料理のお店に行って鰯料理を食べるとでした。
「あっ、これはね」
「かなり美味しいね」
「鰯の味もいいけれど」
「味付けも焼き加減も」
「それに切り具合も」
「いいね、鰯はよく安いからね」
 だからだとです、先生は鰯の天麩羅を食べながら言いました。
「軽く見られるけれど」
「実は美味しくてね」
「それで身体にもいいから」
「こんないいお魚そうそうないよね」
「沢山食べらるし」
「そうだよ、だからね」
 お酒も飲んで言います。
「尚更ね」
「いいよね」
「このお店のお料理も美味しいし」
「どの鰯料理も」
「満喫出来るわ」
「色々な料理があるし」
「いいものだよ」
 皆も楽しみながら食べています、そのうえで。 
 ふとです、皆は先生にこうも言いました。
「しかしね」
「しかし?」
「しかしっていうと?」
「何かあるの?」
「一体」
「うん、日本に来て鰯もかなり食べる様になったよ」
 このことも言うのでした。
「思えばね」
「他のお魚もだね」
「イギリスで食べないお魚もだね」
「秋刀魚とか鮪とかエイとかハマチとか」
「魚介類全体で言うとかなりだよ」
「先生本当にかなりお魚食べる様になったわ」
「お魚じゃないけれど海胆も食べる様になったしね」
 こういったものもというのです。
「凄く変わったよ」
「鰯にしてもこうして色々なお料理で食べてるし」
「イギリスにいた時のことを思うと」
「一変したわ」
「食生活にしても」 
 他のことと同じくというのです。
「そうなっていてね」
「どんどん健康になって」
「そして学問も楽しんでいるし」
「先生日本に来てよかったね」
「僕達もそう思うけれど」
「うん、こうして美味しい鰯料理も食べられるし」
 今現在それが出来ていてというのです。
「凄くいいよ」
「そうだよね」
「この鰯美味しいね」
「お料理の味付けもいいし」
「それじゃあね」
「一緒に食べていこうね」
 皆で笑顔でお話してでした。
 先生はお昼は鰯を楽しみました、そうして午後は別の場所を調査しました。そうして蛸だけでなくその地域の生態系の調査もしました。








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