『ドリトル先生と牛女』




                第七幕  牧場で

 先生はこの時動物の皆と一緒にお仕事で兵庫県のある牧場に来ていました、そこで牛達を診察しましたが。
 その診察の後で先生は皆に言いました。
「いや、この牧場の牛達は立派だね」
「確かに体調が悪い牛もいるけれど」
「丁寧に育ててもらって」
「いい感じなのね」
「うん、凄くね」
 こう皆にお話します。
「肉牛も乳牛もね」
「粗末に育てられていないんだね」
「そういえば厩舎も奇麗だったしね」
「清潔でね」
「ご飯もよかったし」
「牛さん達体格立派でね」
「毛並みもよかったわ」
「何故日本の牛肉や牛乳が美味しいのか」
 それはというのです。
「丁寧に育てられているからだよ」
「だからだよね」
「それで美味しいんだね」
「和牛って有名だしね」
「霜降りでね」
「牛乳もいいしね」
 先生は牛乳のお話をさらにしました。
「そして乳製品もね」
「どれもいいよね」
「日本の場合は」
「どれも美味しくてね」
「それはどうしてか」
「牧場に来ればわかるね」
「うん、ただね」
 こうも言った先生でした。
「手間をかけているだけにね」
「和牛って高いね」
「アメリカやオーストラリアのお肉と比べて」
「どうしてもね」
「そうなるね」
「そこは仕方ないね」
 どうしてもというのです。
「本当に」
「そうだよね」
「手間がかかっている分ね」
「牧草だけでなくビールもあげて」
「それで身体擦って霜降りにしてるから」
「そこまで手間をかけているから」
 それだけにというのです。
「高いのもね」
「当然だね」
「そこは仕方ないね」
「そうよね」
「そうだよ、あとね」
 先生は皆にさらにお話しました、今は牧場の中の休憩用のログハウスの中で牧場の人達が出してくれた牛乳を皆で飲みながらお話しています。
「日本は各地に牧場があるけれど」
「大体山地だね」
「高原に多い?」
「北海道にもあるけれど」
「その傾向があるかな」
「牛は涼しい気候の方がいいからね」
 そうした生きものだからだというのです。
「だからね」
「日本の牧場は高原に多いのね」
「あと北海道に」
「そうなんだね」
「そうなんだ、それで飛騨とかにも牧場があるんだ」
 岐阜県の北にというのです。
「そうだったりするんだ」
「飛騨って完全に山地だね」
「日本アルプスだね」
「そうだったね」
「そうだよ、あそこにも一度行きたいと思っているよ」
 先生としてはです。
「飛騨だけじゃなくて岐阜県全体にね」
「岐阜県っていうとね」
「関西にいると馴染み薄いね」
「どうしてもね」
「東海だから」
「けれど東海も面白い地域でね」
 それでというのです。
「僕は行ってみたいんだ」
「それで岐阜県にもだね」
「行きたいのね」
「先生にとしても」
「そうなんだ、名古屋にもね」
 この街にもというのです。
「そう思っているよ」
「名古屋だね」
「あそこも凄い街らしいね」
「いつも賑わっていて」
「世界的に有名な工業地帯の中心地でもあるし」
「中京工業地帯だね、名古屋は工業も盛んだしね」 
 このこともあってというのです。
「見ていきたいよ。食べものも美味しいし」
「そうそう、名古屋ってそっちも有名よね」
「食べものについても」
「きし麺とか味噌カツとか味噌煮込みうどんとか」
「名古屋コーチンもあるし」
「海老フライもういろうもあるね」
 皆はその名古屋の食べものを挙げていきます。
「モーニングもあるし」
「パスタも有名だね」
「物凄い食文化ね」
「大阪もいいけれど」
「そちらも注目しているよ」
 先生としてはです。
 そして牛乳を飲んで言いました。
「あまりにも美味しくて幾らでも飲めるね」
「牛乳もイギリスのものと味が違うね」
「そうよね」
 チープサイドの家族も飲んでから言います。
「飲んでいるとわかるわね」
「どちらも飲むとね」
「これもあれかしら」
 ガブガブはこう言いました。
「牧草とお水の関係かしら」
「牛さん達が食べて飲むものがどうか」 
 トートーも言います。
「それ次第で牛乳の味も違うのね」
「日本とイギリスでは土も違うからね」
 ポリネシアはこのことを指摘しました。
「本当にね」
「同じ生きものでも育てられ方と飲んで食べるもので違う」
「僕達もそうだしね」
 オシツオサレツは二つのあ田案で言いました。
「それで牛さんも違っていて」
「牛乳もだね」
「紅茶も味が違うし」
 老馬は先生が大好きなこの飲みもののお話もしました。
「あれはお水が大きいね」
「何から何まで違うね」
 ホワイティの口調はしみじみとしたものでした。
「イギリスと日本だと」
「同じものの筈なのに」
 チーチーの口調もしみじみとしたものでした。
「味が違うなんてね」
「考えてみれば凄いことだよ」
 ジップも言いました。
「牛乳一つ取ってもね」
「こんなに美味しいなら」
 ダブダブは誰よりも美味しそうに飲みながら言いました。
「幾らでも飲めるよ」
「そうだね、日本人が普通に牛乳を飲む様になったのは明治からだけれど」
 先生は日本の歴史のお話もしました。
「こんなに美味しい牛乳を生み出せるんだよね」
「日本の酪農家の人達の努力の賜物だね」
「そして食品会社の人達も」
「皆頑張ってね」
「この味ね」
「うん、ただね」
 ここでこうも言う先生でした。
「ある料理漫画で紙パックで高温で瞬時に殺菌することがどうとか言ってたれど」
「またあの漫画だね」
「本当にあの漫画は問題しかないわね」
「読んだら駄目になりそうな漫画だね」
「鵜呑みにしたら駄目ね」
「うん、皆がすぐに沢山の牛乳を飲む」
 先生はこの現実を指摘しました。
「その為にはね」
「高温ですぐに殺菌して」
「紙パックに入れてお店に出す」
「それがいいんだね」
「ビンもあるけれど」
 こちらもというのです。
「やっぱりね」
「高温で殺菌してるわね」
「そうだね」
「そうしているわね」
「皆が清潔な牛乳を沢山飲むには」 
 その為にはというのです。
「必要不可欠なことだよ、確かに栄養はある程度本来のものより落ちるけれど」
「それでもだね」
「皆が清潔な牛乳を沢山飲もうと思ったら」
「紙パックと高温で瞬時に殺菌する」
「その技術が必要なんだね」
「あの漫画はハウス栽培でも問題を起こしていたし原発でもだったし」
 先生は皆に眉を曇らせてお話しました。
「お店ですぐに抗議するしね」
「登場人物達がね」
「調理の仕方が悪いとか化学調味料使うなとか」
「完全に営業妨害よね」
「そんなことも普通にするし」
「酷い漫画だね」
「あの漫画の言うことは殆どが間違いか現実を見ていないから」
 だからだというのです。
「鵜呑みにしたらとんでもないことになるよ」
「そう思うと読んだら駄目だね」
「迂闊には」
「鵜呑みにしたら間違えるね」
「そうなるね」
「お店で口に合わないから他のお客さんの迷惑を考えずに怒鳴り散らしたら」
 そんなことをすればというのです。
「今だと普通にネットの動画に出るよ」
「それで拡散されるね」
「もう一気に」
「某新聞記者の取材としてね」
「それで問題になるわね」
「そうなるよ」
 実際にというのです。
「新聞記者という特権を悪用しているからね」
「問題にならない方がおかしいよ」
「あの漫画程おかしい漫画はないね」
「よくあんな漫画が存在しているよ」
「だから僕はあの漫画の言うことは検証してね」
 学者さんとしてそうしました。
「おかしいことはおかしいとね」
「今も言ってるね」
「あんなおかしい作品はないって」
「それで牛乳のこともだね」
「おかしいわね」
「うん、本当にあんな漫画を読んだら」
 それこそというのです。
「それで鵜呑みにしたら危険だよ」
「出て来る登場人物皆凄く短気だしね」
「それで知性も教養もないし」
「出て来る人皆そうってのも凄いよね」
「何でもないことで怒るし」
「だから僕は鵜呑みにしないし」
 科学的に検証した結果です。
「否定しているよ」
「そうだよね」
「本当にあの漫画は危険ね」
「日本には色々な漫画があるけれど」
「あの漫画については」
「そうした漫画だよ」
 こう言ってまた牛乳を飲む先生でした、そして皆と牛乳のことや牛のことをお話してそうしてでした。
 その後で、です。お家に帰ってから晩ご飯を食べますが。
 先生はトミーが作ったチーズフォンデュを見て言いました。
「これも日本で食べる様になったね」
「イギリスでは食べなかったですね」
「そうだったね」
「知ってはいましたけれど」
 トミーにしてもです。
「ですが」
「食べることはね」
「なかったです」
「そうだったね」
「日本では色々なものを食べるので」
 だからだというのです。
「それで、ですね」
「このチーズフォンデュも食べるね」
「僕達も」
「スイスのお料理だね」
 先生はチーズフォンデュがどの国のお料理かもお話しました。
「これは」
「そうでしたね」
「スイスも面白い料理があるね」
「そうですよね」
「そしてこのチーズフォンデュからね」 
 先生はさらに言いました。
「チョコレートフォンデュも生まれたよ」
「あれは物凄く美味しいですね」
「うん、僕も大好きだよ」
「日本ではビュッフェにありますね」
「あれでお菓子や果物を食べてね」
 そうしてというのです。
「飲む紅茶やワインは最高だよ」
「ワインは赤ワインですね」
「うん、あれは今のイギリスではあるかな」
「どうですかね」
「わからないね、というかね」
 こうも言う先生でした。
「イギリスの食文化ってつくづくね」
「寂しいですか」
「よくまずいって言われるけれど」
「世界的にですからね」
「イギリス人自身否定しないしね」
 お国のお料理がまずいことをです。
「昔から」
「そうですよね」
「それでチーズフォンデュもないし」
「チョコレートフォンデュもどうか」
「だからね、しかしこれはね」
 そのチーズフォンデュにパンやベーコン、ソーセージ、茸等を串に刺して入れていって食べてでした。
 赤ワインも飲んで先生は言いました。
「ワインに凄く合うね」
「チーズだからね」
「やっぱりそうよね」
「パンやソーセージもワインに合うし」
「尚更だね」
「これは魔性の食べものだよ」
 先生は動物の皆にこうも言いました。
「本当にね」
「そうだよね」
「チーズとそれを付ける色々な食べもの」
「この組み合わせだけでもいいのに」
「ワインにも最高に合うから」
「食べる方も止まらないけれど」
 それだけでなくというのです。
「ワインもね」
「そうだよね」
「もう先生随分と飲んでるし」
「食べる方もかなりだけれど」
「飲んでる方もね」
「うん、これは困ったかな」
 言いつつさらに飲んで食べています。
「止まらないよ」
「これは先生明日二日酔いかな」
「そうなるかもね」
「いつもより飲んでるし」
「それじゃあね」
「そうなるかもね」
 先生も否定しませんでした。
「これは」
「そうだよね」
「じゃあ明日は酔い覚ましのお薬飲んでから学校かな」
「そうなるかしらね」
「いや、僕はいつも朝早く起きるから」
 それでと言う先生でした。
「お風呂に入ってね」
「そこですっきりするんだ」
「熱いお風呂に入って」
「それでだね」
「熱いお風呂に入って冷たいシャワーを浴びる」
 お風呂だけでなくです。
「それを繰り返すとね」
「お酒は抜けるね」
「二日酔いは嘘の様に消える」
「そうなるわね」
「だからね」
 それでというのです。
「今回もそうするよ」
「若し二日酔いになったら」
「その時はなのね」
「それですっきりして学校に行く」
「そうするんだ」
「そう考えているよ、しかしね」
 飲みつつ言う先生でした。
「本当に食べることもワインも止まらないよ」
「僕もそう思います」
 トミーも赤ワインを飲みながら言います。
「赤ワインに最高に合います」
「そうだよね」
「パスタやピザや肉料理も合いますが」
 赤ワインにです。
「これはまた別格ですね」
「全くだね」
「それとですね」
 さらに言う先生でした。
「日本人は本当に柔軟ですね」
「そうだね」
「はい、食べるものについても」
「美味しいと思ったら何でも取り入れますね」
「他のこともそうでね」
「お料理もですね」
「そうだね、それでこのチーズフォンデュもね」
 先生はパンを串に刺してお鍋の中に入れつつ言います。
「食べているんだ」
「そうですね」
「最初は珍しい美味しい料理って紹介されてね」
「定着しましたね」
「僕達が食べている様にね」
「そうですよね」
「それが日本人の凄いところだよ、こうした人達だから」
 それ故にというのです。
「お料理もね」
「多彩で」
「そしてね」
 そのうえでというのです。
「そこにアレンジも加えるんだ」
「そこから凄いものも出来ますね」
「鉄道なんて我が国がはじまりなのに」
 それでもというのです。
「今ではイギリスを遥かに凌駕しているよ」
「それ学園の鉄道博物館でもわかるね」
「明治維新に取り入れて」
「そこからどんどん線路が出来て」
「日本中を走る様になって」
「色々な鉄道会社も出来たしね」
「車両の数も種類も多いし」
 このこともあってというのです、先生は小津物の皆にお話しました。
「もうね」
「今やだね」
「イギリスを遥かに超えて」
「世界屈指の鉄道大国だね」
「そうなったしね」
 そしてというのです。
「他の色々な分野でね」
「日本は凄いね」
「工業の様々な分野でも」
「農業でも漁業てもだし」
「ハイテク分野でもね」
「本当に凄いよ」
 また言う先生でした。
「他の国の優れたものをすぐに取り入れて」
「さらに凄いものを造り上げる」
「それが日本人だね」
「それが凄いよ」
 とてもというのです。
「本当に」
「そうだよね」
「このチーズフォンデュからチョコレートフォンデュを普通に普及させたし」
「そう思うとね」
「日本人は侮れないよ」
「物凄くね」
「そう思うよ」
 言いながらまたワインを飲む先生でした、そして次の日先生はお風呂に入ってから学校に行きました。そこでお茶を飲みながら論文を書いていますと。
 そこにお静さんが来てこう言ってきました。
「牛女さんはどうなの?」
「あの人の歯のことだね」
「順調って聞いたけれど」
「うん、問題ないよ」
 先生もお静さんに答えました。
「完治するよ」
「それは何よりね」
「けれど遅かったらね」
「抜くしかなくなるのね」
「そうなるとよくないからね」
「歯はあるに限るわね」
「さし歯はあっても」
 それでもというのです。
「やっぱりね」
「元の歯が一番ね」
「だからね」
 それでというのです。
「あの人も抜かなくてよかったよ」
「そういうことね」
「確かにライムジュースの飲み過ぎで虫歯になったけれど」
 それでもというのです。
「毎日磨いていただけあってね」
「それなりに状況はよかったのね」
「そうだったんだ」
「やっぱり普段から磨いているといいのね」
「というか普段こそがね」
 まさにというのです。
「歯いや健康には大事なんだ」
「普段から歯磨きをして」
「そして身体にいいものを食べてね」
「そうしないと駄目なのね」
「牛女さんはライムジュースの飲み過ぎで虫歯になったけれど」 
 歯に悪いそれをです。
「これはイギリス海軍で飲まれていたんだ」
「美味しいからじゃないわね」
 お静さんはこれまでのお話の流れから言いました。
「そうでしょ」
「ライムはビタミンがあるからね」
「それでなのね」
「飲んでいたんだ」
 イギリス海軍でそうしていたというのです。
「ビタミン補給、壊血病の予防でね」
「壊血病ね」
「お静さんも知ってるよね」
「知ってはいるけれど見たことはないわ」
 そうだというのです。
「私はね」
「日本には縁がなかったからね」
「ビタミン不足でなる病気ね」
「欧州特に船乗りでは多くてね」
「長い航海でよね」
「それでよくなって」 
 そうしてというのです。
「命を落とした人も多いんだ」
「そうだったわね」
「だからね」
「その壊血病の予防の為に飲んでいたのね」
「そうだったんだ」
「そうよね」
「ライムを絞ってね」
 その実をです。
「お汁をラム酒に入れて飲んでいたんだ」
「それをビタミン補給にしていたのね」
「歯に悪くてもね」
「壊血病になるよりましただったのね」
「若しなったら」
 壊血病、それにです。
「命に関わるからね」
「大変な病気だったのね」
「本当に大航海時代から命を落とした人は多いよ」
 欧州ではというのです。
「深刻な問題だったんだ」
「だからイギリス海軍でも飲んでいたのね」
「そうなんだ、クック船長が最初にそうしたんだ」
「冒険家の」
「そう、ザワークラフトを船に沢山積んで」 
 そうしてというのです。
「果物も積み込んでね」
「そうして航海をしてなの」
「壊血病を防いでいたんだ」
「そうだったのね」
「クック船長はそうした意味でも名船長だったんだ」
 先生は笑顔でこうも言いました。
「ただ船や艦隊を動かすことに長けていただけじゃなくて」
「そうしたことも考えられて」
「防げたからね」
「凄い人だったのね」
「本当の意味でね」
「とにかくかつては壊血病が問題で」
「それでね」
 その為にというのです。
「ライムのお汁を飲んでいたんだ」
「歯に悪くても」
「そうだったんだ」
 実際にというのです。
「壊血病が怖かったからね」
「本当に怖かったのね」
「実際にね、ただね」
「ただ?」
「牛女さんはライムジュースの味が好きでね」
「それで飲んでいたのね」
「お水みたいに飲んでいたみたいだから」
 そこまで飲んでいたというのです。
「幾ら歯磨きをしてね」
「虫歯になったのね」
「うん、幾ら身体によくて美味しくても」
 それでもというのです。
「過ぎるとね」
「よくないわね」
「何でもそうでね」
 それでというのです。
「ライムジュースもだよ」
「そういうことね」
「だから普段こそがね」
「大事なのね」
「そうなんだ」
「よくわかったわ、ただね」
 ここでお静さんはこうも言いました。
「先生今ザワークラフトお話に出したわね」
「ああ、それだね」
「あれはキャベツの千切りを酢漬けにしたわね」
「それで発酵させたものだよ」
「あれもビタミンがあるのね」
「要するにお漬けものでね」
「そうなのね、だからなのね」
 お静さんも納得しました。
「ビタミン補給にいいのね」
「美味しいしね」
「そうなのね」
「ドイツでもよく食べるよ」
「実際ドイツ語だしね」
「僕も好きだしね」
「ソーセージにも合うしね」
 お静さんはこうも言いました。
「だからよね」
「いい食べものだよ」
「そうよね、私最近になって食べたけれど」
 それでもというのです。
「戦後からね」
「第二次世界大戦の後だね」
「それから食べはじめたけれど」
「美味しいね」
「好物の一つよ、あと普通のキャベツの酢漬けもね」
 これもというのです。
「好きよ」
「あれもいいね」
「お野菜とお酢の組み合わせはいいわ」
「サラダもだしね」
「そうよね」
「ドレッシングのね」 
 その中に入っているお酢がというのです。
「いいね」
「本当にそうね」
「そんなお話をしてると」
「ザワークラフトを食べたくなったかな」
「サラダもね」
 こちらもというのです。
「そうなったわ」
「お静さんはお野菜も好きなんだね」
「猫又の食べものは人と変わらないから」
 それでというのです。
「お野菜も食べるわ」
「そうなんだね」
「けれど一番の好物はお魚よ」
 何といってもというのです。
「お刺身よ」
「それが好きなんだね」
「ええ、お刺身を食べられるなら」
 それならというのです。
「最高に幸せよ」
「そこまでなんだね」
「本当にね、けれどサラダとかも好きだから」
「食べるんだね」
「ええ、今夜はサラダがいいわね」
「じゃあ食べてね」
「勿論お魚もね」
 笑顔で言うお静さんでした、そのお話の後でお静さんは研究室を後にしました。そしてまた論文を書きはじめた先生にです。
 動物の皆は先生にこう言いました。
「日本人は壊血病のことあまり知らないね」
「名前を知ってる位で」
「実際にはどんな病気か」
「実感として知らないね」
「それがわかるよ」
「日本で問題になっていた病気は脚気でね」
 この病気でというのです。
「壊血病じゃないよ」
「どっちもビタミン不足でなるけれど」
「それでもなのね」
「壊血病はあまり知らない」
「そうなんだね」
「実際の経験としてはね」 
 歴史にあったそれではというのです。
「そうだよ」
「大航海時代はなかったし」
「冬でもお漬けものとか蜜柑食べてたし」
「それでだね」
「壊血病は知らなかったのね」
「うん、その病気はね」
 実際にというのです。
「それよりもね」
「脚気なのね」
「日本の場合は」
「あの病気なんだ」
「壊血病はビタミンC不足でなって」
 そうしてというのです。
「脚気はビタミンB1不足でなるよ」
「同じビタミンでもね」
「種類が違うね」
「それでなる病気も違う」
「そういうことだね」
「そうだよ、あと昔は結構鳥目の人が多かったのは」
 夜あまり見えない人のこともお話します。
「ビタミンA不足だったからだよ」
「そこでもビタミンだね」
「目のことも」
「そうなのね」
「うん、それで日本ではヤツメウナギの干物がお薬だったんだ」
 鳥目のそれだったというのです。
「かつてはね」
「ヤツメウナギねえ」
「あの変わった生きものね」
「実はお魚じゃない」
「そうした生きものだったね」
「そう、あの生きものの干物を食べてね」
 そうしてというのです。
「鳥目を防いでいたんだ」
「昔の日本はそうだったんだね」
「今よりも栄養状態が悪くて」
「脚気が問題になっていて」
「鳥目の人も多かったんだね」
「それで特に脚気がね」 
 この病気がというのです。
「問題だったんだ」
「江戸腫れとか大坂腫れとか呼ばれてて」
「軍隊でも問題だった」
「先生前にお話してくれたね」
「うん、白いご飯ばかり食べていると」
 おかずを食べないで、です。
「脚気になるんだ」
「麦のご飯とか玄米だとならないんだよね」
「あとパンを食べていたら」
「それでならないわね」
「けれど昔は脚気の原因がわからなくて」 
 そのせいでというのです。
「多かったんだ」
「沢山の人が死んだんだよね」
 トートーは暗いお顔で言いました。
「昔の日本では」
「壊血病と同じだね」
 ホワイティも言います。
「それじゃあ」
「というかね」
「日本で脚気はかなり深刻な問題だったのよね」 
 チープサイドの家族も言います。
「戦争にも影響していたから」
「日清戦争でも日露戦争でも」
「戦死者も多かったけれど脚気で亡くなった人も多くて」 
 老馬はその戦争のお話をしました。
「問題だったんだよね」
「ロシア軍は壊血病だったわね」
 ダブダブは日本の相手のお話をしました。
「もやし食べられるの知らなくてね」
「それで日本軍は脚気だった」
「白いご飯ばかり食べて」
 オシツオサレツは二つの頭で言います。
「特に陸軍さんが問題で」
「どんどん倒れていたんだったね」
「そう思うと脚気は怖いわ」
 ポリネシアは真っ青になっている感じです。
「あの病気もね」
「壊血病も怖いけれど脚気も怖い」
 チーチーはしみじみとして言いました。
「そういうことだね」
「このことは覚えておかないといけないね」
 ジップも言います。
「脚気のこともね」
「白いご飯ばかりだと駄目なんだね」
 最後にガブガブが言いました。
「おかずやパンも食べないと」
「そうなんだ、白いご飯だけだとよくないから」
 先生も言います。
「栄養的にね」
「だからだね」
「そこは何とかしないとね」
「まずは脚気にならない」
「そのことからだしね」
「今は栄養のことだってわかっているけれど」
 それでもというのです。
「昔は細菌、伝染病と言う人もいたんだ」
「原因がわからなくて」
「それでよね」
「そう言われていたんだね」
「脚気は伝染病って」
「作家の森鴎外、本名森林太郎がね」
 先生は明治から大正にかけて活躍した文豪の名前も出しました。
「問題だったんだ」
「日本の有名な作家さんだよね」
「沢山の名作を残した」
「ドイツ留学もしていて」
「エリートだったんだよね」
「そう、エリート中のエリートだったんだ」
 この人はというのです。
「当時はね」
「今の東大医学部を卒業して」
「ドイツでも優秀で有名で」
「凄い人だったね」
「それで陸軍のお医者さんのトップにもなったけれど」 
 それでもというのです。
「細菌の権威でもあって細菌にこだわって」
「脚気は伝染病って信じ込んでいたんだ」
「そうだったんだ」
「それで脚気についてもなんだ」
「栄養が原因とはね」 
 それはというのです。
「思っていなくて」
「それで陸軍では脚気が多かったんだ」
「そうだったんだ」
「あの人が陸軍にいたから」
「それでなんだ」
「逆に海軍ではね」
 こちらの軍ではといいますと。
「違っていたんだ」
「そうだったのね」
「海軍では」
「あちらでは」
「そうだよ、海軍は同じ船の中で水兵さんはなっても士官の人はならなかったから」
 その脚気にです。
「何故かって思ってね」
「同じ船にいたら伝染病だと誰でもなるよね」
「そうなるね」
「閉じられた空間だから」
「どうしてもね」
「そこからおかしいって思って」 
 そうしてというのです。
「水兵さん達はご飯、士官の人達はパンを食べていたから」
「そこから考えて」
「脚気への対策をしていったんだ」
「そうだったんだ」
「それで水兵さんの食事を麦ご飯にしたら」
 そうしたらというのです。
「もうね」
「それでなのなの」
「脚気になった人がいなくなった」
「それでわかったんだ」
「なった人はいたけれど」
 麦ご飯を食べた水兵さんにもです。
「ちゃんと食べていなかったからね」
「答えは出てるね」
「もうそれでね」
「それで海軍は麦ご飯を食べる様になって」
「脚気はなくなってたんだ」
「そうなんだ、脚気はね」
 本当にというのです。
「日本で深刻な問題だったんだ」
「壊血病はそうでなくても」
「問題は脚気だった」
「あの病気がどうか」
「ずっと問題だったんだね」
「森鴎外という人がね」 
 先生は困ったお顔で言いました、論文を書きながらもどうしてもそうしたお顔になってそれで皆にお話するのでした。
「どうにもならなかったんだ」
「あの人だね」
「小説家として凄い業績を残したけれど」
「翻訳家としても有名で」
「文豪でもあったけれど」
「それでもなんだ」
「本業のお医者さんとしてはね」
 どうにもというのです。
「言うなら官僚で官僚としてもね」
「よくなかったよね」
「脚気を防げなかったから」
「それじゃあ」
「物凄く出世欲と名誉欲も強かったそうだし」 
 人としてです。
「ドイツ留学で最新医学を学んだと自負していてね」
「権威主義だったんだね」
「それも頑固だったのね」
「そうだったんだね」
「そうした人でね」 
 それでというのです。
「お医者さんとしてはね」
「よくなかったんだね」
「本来はそちらなのに」
「そうだったんだね」
「うん、調べていて暗くなったよ」
 お医者さんとしての森鴎外のことをです。
「小説家だからそちらから調べるね」
「文学からだね」
「沢山の名作を残しているから」
「それでだね」
「凄い人だと思ったら」
 それがというのです。
「その実はね」
「どうにもよくない人だね」
「権威主義で名誉欲と出世欲が強くて」
「それで頑固で」
「女性問題も起こしたって説もあるしね」
 こちらのこともあったというのです。
「舞姫は実はって、話もあるし」
「そうなんだ」
「あの人の代表作の一つだけれど」
「あの人がモデルだったんだ」
「そうした話もあるしね。人として医師としてのあの人は好きになれないよ」
 森鴎外ではなく森林太郎としてはというのです。
「どうもね。ニュートンも酷かったけれどね」
「ああ、あの人もね」
「嫌いな相手の功績を抹消したりね」
「酷かったよね」
「功績と人間性は別でね」
 そうしてというのです。
「そして人間は誰もがいい部分と悪い部分があるからね」
「森鴎外はその悪い部分が出て」
「脚気で間違ったことをした」
「そうなのね」
「だから最近批判されているよ」
 そうなっているというのです。
「勿論脚気のことでね」
「それは真実はわかるとね」
「やっぱり批判されるよね」
「当然としてね」
「そうなるね」
「うん、それは当然のことだから」
 先生はこのことを肯定しました。
「批判されるべきことは批判される」
「それは当然だね」
「むしろ批判されないとね」
「その方が問題だね」
「だからね」
 それでというのです。
「それは当然だよ」
「森鴎外にしてもだね」
「そしてニュートンも批判されているけれど」
「それは当然のことね」
「批判されていることは」
「そうだよ、しかし脚気はね」
 この病気のことをあらためてお話しました。
「油断できない病気だよ」
「どうしてもね」
「命に関わることもあるし」
「それでだね」
「余計にだね」
「ちゃんとしたものを食べないとね」
 白いご飯だけでなくというのです。
「よくないよ」
「昔は日本ではお米食べてれば死なないって言われてたんっだよね」
「それは玄米のことだけれど」
「白米もそう思われて」
「それでそればかり食べられていたね」
「だから問題だったんだ、日本でだけある病気だったし」
 かつてはです。
「何でなるのかってね」
「色々言われていて」
「原因が調べられていたけれど」
「中々わからないで」
「それでだね」
「そう、原因が栄養のことだってやっとわかって」
 それでというのです。
「麦ご飯とかを食べる様になったんだ」
「そうなんだね」
「軍隊でも」
「そうなったのね」
「陸軍でも何とか麦ご飯にしたしね」
 こちらでもというのです。
「かなり遅れたけれど」
「森鴎外がいたけれど」
「それでもだね」
「そうしたんだね」
「陸軍のトップ、山縣有朋さん達にしたら麦ごはんで脚気にならないならベストだからね」 
 それでというのです。
「そうなったんだ」
「そうなんだね」
「まあそれは当然だね」
「幾ら森鴎外が文句言ってもね」
「それで脚気にならないならいいわよね」
「それでそうなって」
 それでというのです。
「日本では脚気が克服されたんだ」
「病気にも歴史ありだね」
「色々あるよね」
「脚気を見てもわかるね」
「壊血病もだしね」
「そうだよ、その論文もね」
 これもというのです。
「今度書くよ、脚気のことをね」
「そちらも頑張ってね」
「是非ね」
「そうしてね」
「うん、そうしていくよ」
 先生は皆に笑顔で言いました、そうして今の論文を書いていくのでした。








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