『ドリトル先生の野球』




               第六幕  雨の時も

 この日は雨でした、休日でしたが生憎の雨で先生はお部屋の窓から外を見ながらこんなことを言いました。
「秋の長雨だね」
「よく言うよね」
 王子が先生に応えます、丁度三時なので皆でティータイムを楽しんでいます。ミルクティーにスコーン、バウンドケーキにフルーツに生クリームのサンドイッチという今回はオーソドックスなイギリスのティ―セットです。
 そのセットを食べつつです、王子は先生に言いました。
「日本では」
「そうだね」
「実際秋はよく降るしね」
「六月とね」
「六月は梅雨というしね」
「その季節も雨が多いよ」
「日本は全体的に雨が多い国かな」
 王子はミルクティーを飲みつつ言いました。
「全体的に」
「そう言えるね、ただね」
「ただ?」
「イギリスよりは」
 先生の祖国よりとはというのです。
「少ないから」
「ああ、イギリスはね」
「特に多いよね」
「霧も深いしね」
「霧の都ロンドンとも言うね」
「そうだよね」
「雨と霧は」
 この二つはというのです。
「イギリスの象徴だよ」
「本当にそうだね」
「そのイギリスと比べたら」  
 流石にというのです。
「少ないかな」
「そうかもね」
「まあイギリスについては」
 トミーも言ってきました、勿論この人もティ―セットを楽しんでいます。このことは動物の皆も同じです。
「雨は付きものですね」
「ステッキじゃなくて傘を持つ位だからね」
「そうですよね」
「あの雨も懐かしいね」
「今では」
「やれやれと思う時もあったけれど」
 イギリスの雨の多さはというのです。
「それでもね」
「今はですね」
「懐かしいね」
「イギリスを離れると」
「そう思えるよ、霧も」 
 こちらもというのです。
「懐かしいよ」
「あの深い霧も」
「とんでもなく深い霧だけれどね」
「スモッグはなくなりましたしね」
「今はね」
 実際にというのです。
「そうなったし」
「純粋な霧で」
「あの霧は」
 今ではというのです。
「いい霧だよね」
「そうだよね」
「手を伸ばしても」
 その手をというのです。
「指が見えなくなる位でね」
「凄いですよね」
「あんな霧はそうそうないよ」
「車に乗ってる時は危ないですが」
「サラも言ってるね」
 尚先生は車の運転は出来ないです、オートバイも乗れないのでいつも老馬に乗って移動しているのです。
「そうね」
「ロンドンに行かれた時は」
「本当に凄い霧だよ」
 ロンドンの霧はというのです。
「あんな凄い霧はね」
「実際に他にないですね」
「全くだね」
「若しスポーツの試合中に出たら」
 王子が言ってきました。
「ナイター扱いだね」
「そうだよね、その時は」
 王子は笑顔で言いました。
「照明で照らしてね」
「試合しないとね」
「駄目だよね」
「本当にね」
「その時はね」
「お昼でもそうだから」
「本当にロンドンの霧は凄いよ」
 こうしたお話をしました、そしてです。
 そうしたお話の中で動物の皆も言いました。
「日本も霧は出るけれど」
「大体朝でね」
「冬に出ることが多いわね」
「それで午前中だけで」
「お昼とかはないわね」
「夜は気にならないしね」
「朝霧って言葉もあるしね」 
 先生は皆にミルクティーを飲みつつ答えました。
「夜霧もあるけれど」
「大体朝ってことよね」
「気温も関係するし」
「お日様の光も」
「それでだよね」
「それに日本は北海道でもロンドンより緯度が南にあるんだ」
 寒いという北海道でもです。
「パリよりもね」
「だからその分暖かいんだよね」
「日本は欧州に比べて」
「実際にイギリスって日本より寒いし」
「特にスコットランドはね」
「寒いよね」
「だからキルトを着る時は」
 先生はスコットランドの民族衣装のお話もしました、タートンチェックのスカートでとても印象的なものです。
「冷えるよね」
「というかキルトってね」
 この服について王子はこんなことを言いました。
「下着穿かないんだよね」
「本格的に着る場合はね」
「だったら余計にね」
「冷えるね」
「そうだよね」
「僕はその本格的な場合を話したんだ」
 穿かない場合をというのです。
「寒いスコットランドだから」
「余計に冷えるね」
「その冷え方が」
 どうにもというのです。
「日本のそれよりもね」
「厳しいよね」
「本当にね」
 こうしたお話をします、そしてです、
 先生は皆に対してこんなことも言いました。
「日本は欧州よりも過ごしやすい気候だね」
「冬も欧州に比べて寒くないし」
「北海道でもね」
「夏はきついけれどね」
「南洋とかよりましだし」
「そう、四季のそれぞれの美しさもあって」
 このことにもついてもお話する先生でした。
「それでね」
「全体的にね」
「過ごしやすい国だよね」
「日本という国は」
「本当にそうだね」
「欧州の人口密度が低いのはね」
 日本と比べてそうである理由はというのです。
「その厳しい気候のせいだしね」
「農作物も育ちにくいし」
「寒い時期が長いし」
「その寒さも厳しいし」
「しかも土地やお水もよくないし」
「それじゃあね」
「フランスの豊作の時より日本の凶作の時の方が収穫はよかったらしいよ」
 先生は農業のお話もしました。
「どうもね」
「フランスって欧州屈指の農業国なのに」
「そのフランスの豊作の時でもなんだ」
「日本の凶作の時の方がいいとか」
「何か凄いね」
「全くだね、日本は気候がよくて」
 そしてというのです。
「土地はいいしお水もだからね」
「凄い収穫になるのね」
「欧州と比べて」
「そうなんだね」
「お米だしね」 
 作物のお話もするのでした。
「麦よりずっと収穫高もいいし」
「そうそう、日本はお米だね」
「何といっても」
「麦も食べてるけれど」
「お米の国だね」
「そのこともあるからね」 
 主食がお米であることもというのです。
「だからだよ」
「日本は農業の面で欧州よりずっと豊かで」
「人口も多い」
「そうなんだね」
「人口が一億超えているからね」 
 それだけの人がいるというのです。
「欧州ではそんな国はロシアだけだね」
「あの国はとんでもなく広いから」
「その広さがあるからね」
「人口は多いよ」
「けれど欧州の中で特に寒いから」
「農業はね」
 肝心のそちらはとです、動物の皆も言います。
「あまりよくないよね」
「主食麦だしね」
「あとジャガイモもあるけれど」
「全体で見れば日本より厳しい状況だね」
「本当に日本の人口が多いことも」
 このこともというのです。
「気候がいいことも大きいよ」
「そうだよね」
「雨は確かに多いけれど」
「その雨も恵みの雨だし」
「いいんだよね」
「そうなんだ、ただ雨だと」
 先生はスコーンを食べつつこんなことも言いました。
「スポーツは困るね」
「外でやるスポーツはね」
 どうしてもとです、王子は先生にバウンドケーキを食べつつ応えました。中に入っているレーズンも美味しいです。
「そうなるね」
「そうなんだよね」
「練習もね」
「うん、ただね」
「ただ?」
「今は室内練習場も充実しているから」
 だからだというのです。
「雨でもちゃんとした練習はね」
「出来るんだね」
「特に八条学園は設備が充実しているから」
「雨でもだね」
「しっかりした練習が出来るよ」
「それはいいことだね」
「昔は雨が降ると」
 その時はといいますと。
「試合も練習もね」
「お休みだね」
「そうなったんだ」
「室内練習場もなくて」
「野球も出来なかったよ」
「他のスポーツも」
「サッカーもラグビーもね」
 外でやるスポーツはというのです。
「全くね」
「そうだったね」
「まあね、昔はね」
 実際にとです、ガブガブが言いました。
「仕方ないわね」
「むしろ雨だとお休みで」
 それでとです、ジップも言います。
「いい時だったね」
「そうした考えもあったんだね」
 チーチーの言葉はしみじみとしたものでした。
「かつては」
「そうした時代だったってことかな」
 ダブダブは少し考えるお顔で言いました。
「つまりは」
「いい時代と言えばいい時代だね」
「特に練習が好きでない人にとっては」
 チープサイドの家族もお話します。
「休めて」
「いい時だったんだね」
「恵みの雨と確かに言うけれど」
 ホワイティはお外の雨を見ながら言いました。
「実際にそうだったんだね」
「スポーツにおいても」
 トートーも雨を見ています、静かですが確かに降っています。
「そうだったんだね」
「まあね」
 今度は老馬が言いました。
「そこはそれぞれだね」
「練習したい人は嫌だったかも知れないけれど」
「晴れの日ばかりじゃないし」
 オシツオサレツも二つの頭で言います。
「人もそれぞれで」
「恵みの雨といえばそうなるね」
「雨も降らないと」
 そもそもと言うポリネシアでした。
「駄目だしね」
「皆の言う通りだよ、身体には休養も必要だし」
 いつも動かしている訳にはいかないというのです。
「だから昔は雨が降ったら」
「身体を休める」
「そうしていたんだね」
「そうなんだね」
「野球でもね、ただ雨の日を休みとしたら」
 その場合はといいますと。
「不定期だしね」
「休める時が」
「それはそれで」
「そうなっていたんだ」
「だから今はね」
 どうかといいますと。
「雨だと室内練習場で練習して」
「それで休みの日はもう決めていて」
「その日にちゃんと休む」
「そうなっているんだね」
「そうだよ、そしてね」 
 先生は皆にさらにお話しました。
「効果的な練習が出来ているんだ」
「それも文明の進歩ですね」 
 トミーは先生に笑顔で言いました。
「そうですね」
「うん、そうだよ」
 その通りだとです、先生はトミーに笑顔で答えました。
「スポーツもね」
「文明の進歩が影響していますね」
「勿論野球でもね」
「そうですよね」
「昔に比べてバットやグローブも」
 そうした野球の道具もというのです。
「よくなっているしね」
「何か」
 ここで言ったのは王子でした。
「昔の、十九世紀位のグローブは」
「殆ど手袋だね」
「今と全然違うね」
「うん、実際にね」
「かなり違ったんだね」
「昔の、本当に黎明期の野球は」
 先生はその頃の野球のお話もしました。
「今と比べるとね」
「全く違うね」
「そうだったんだ、ユニフォームも」
 こちらもというのです。
「今よりぶかぶかな感じだったしね」
「今は身体にぴったりした感じだね」
「そうだしね」
「その方が動きやすいしね」
「そうもなったんだ、ただね」
 先生はサンドイッチを食べながら話題を変えました、今度の話題は一体どういったものかといいますと。
「昔の野球の話をさらにすると」
「どうしたのかな」
「ピッチャーの人は普通に連投しているね」
「あっ、先発の人が」
「完投が普通でね」
「凄く投げてるね」
「中日にいた権藤さんなんかは」 
 この人はどうかといいますと。
「権藤権藤雨権藤ってね」
「そう言われる位投げていたんだ」
「もう先発は殆どね」
「権藤さんっていう位だったんだ」
「稲尾さんや杉浦さんもそうで」
 この人達もというのです。
「本当にエースが連投していたね」
「それが昔の野球だったんだね」
「これは戦前からでね」
 第二次世界大戦前からだというのです。
「当時は普通だったんだ」
「そこも今と違うね」
「昔は医学が今よりずっと遅れていて」
 先生はお医者さんとしてお話しました。
「身体が弱いと子供の頃にすぐに死んでいたね」
「そうそう、日本でもね」
「しゃぼん玉の歌は実は小さな子供を歌ったもので」
「風風吹くなってね」
「風は風邪でね」
 そうした意味でというのです。
「子供は風邪をひいたらね」
「すぐに死んだね」
「それで身体の強い人だけが残って」
「スポーツ選手は身体が強くないとなれないし」
「しかも昔の人達は移動手段、車もなかったし」
 それでというのです。
「いつも歩いていたし身体を使う機会も多かったし」
「今の人達よりずっと丈夫だったね」
「だからね」
 それでというのです。
「今よりずっと強い身体だったから」
「連投もだね」
「出来たんだ、ただね」
「ただ?」
「結果として権藤さんの選手生命は短かったよ」
 連投ばかりしたこの人はというのです。
「稲尾さんも杉浦さんも現役時代はあまり長くなかったし」
「ずっと投げていたらね」
「肩に無理が来るね」
「そうなるよ、実はこの人達は昭和十年代の生まれなんだ」
 この頃に生まれた人達だというのです。
「そしてこの人達を使っていた監督さんは大正生まれだったんだ」
「ええと、その頃の監督さんは」
「中日は濃人渉さん、稲尾さんの西鉄は三原修さん、杉浦さんの南海は鶴岡一人さんだよ」
「三原さんや鶴岡さんだったんだ」
「名監督だね、どの人も」
「その人達は大正生まれで」
 その頃に生まれた人達だったというのです。
「大正時代と昭和十年代じゃまた医学は違うから」
「昭和十年代の方が進歩していたね」
「子供、乳幼児の死亡率も改善していたし」
 昭和十年代は大正と比べてそうだったというのです。
「文明も進歩していたしね」
「その分身体も動かさなくて」
「身体の強さが違ったんだ」
「じゃあ濃人さん達は大正の身体の感覚で昭和十年代の人を使っていたんだ」
「その人達の現役時代は普通だったしね」
 ピッチャーの連投がというのです。
「戦前は。それで潰れなかったし」
「大丈夫だと思っていたんだ」
「けれどね」
「昭和十年代の人は違って」
「権藤さんも稲尾さんも杉浦さんも現役生活は短くなったんだ」
「大正時代の人程連投には耐えられなかったんだ」
「そして昭和四十年代になると」
 この頃の野球ではといいますと。
「徐々にストッパーみたいな人が出てね」
「完投がなくなって」
「連投もね」
 こちらもというのです。
「なくなってね」
「今みたいになったんだね」
「選手が戦後生まれになってね」
「ああ、医学がさらに進歩して」
「それで乳幼児の死亡率は減って」
「身体の強さも」
「それもね」
 こちらもというのです。
「変わってね」
「これはどの国もだね」
「そう、とんでもなく強い人だけが生きるんじゃなくて」
「普通の人も生きられる様になって」
 身体の強さがとです、王子も言いました。
「人口は増えたけれど」
「身体の強さはね」
 どうしてもというのです。
「弱くなったよ」
「それは事実だね、人間自体が」
「身体が弱くなっているんだ」
「というか昔の医学や文明だと」
「今よりずっと身体が強くないとだね」
「生きられなかったんだ」
 そうした時代だったというのです。
「本当にね」
「子供はすぐに亡くなって」
「そしていつも身体を動かさないとね」
「何も出来なくて」
「しかも病気になっても」
 その時もというのです。
「多くの病気で治療方法が見付かっていなくてね」
「すぐに死んだね」
「ペストもそうだったね」
 先生は欧州で最も恐れられていた病気の名前も出しました。
「あの病気もそうだし色々な伝染病もね」
「治療方法も対策もだね」
「見付かっていなくてね」
 それでというのです。
「感染するとね」
「すぐに死んだね」
「盲腸でも命を落としたし」
「今じゃ何でもないけれどね」
「癌になったら」
「もう死ぬしかなかったね」
「そんな風だったからね」
 だからだというのです。
「今よりもね」
「ずっと人が死にやすい状況だったんだ」
「そんな時代だったから」
「人の身体も頑丈で」
「それでね」
「野球選手もだね」
「今から考えられない位に身体が頑丈で」
 先生は昭和三十年代までの野球選手のことを思いつつお話します。
「先発で完投でね」
「連投もだね」
「出来たんだ」
「そうなんだね」
「稲尾さんは鉄腕と言われたけれど」 
 それでもというのです。
「今の人が駄目なんじゃなくてね」
「当時は当時だね」
「そうだよ、文明自体が違うから」
 当時と今はです。
「今が駄目とか昔は凄かったとか言ってもね」
「意味ないんだね」
「そうだよ、今は今の野球があるからね」
「エースが連投で完投しなくてもいいんだね」
「戦前や昭和三十年代みたいにね」
「そうした野球じゃないんだね」
「そうだよ、ただ稲尾さんや杉浦さんは」
 先生はあらためてこの人達についてお話しました。
「連投抜きにしても凄い人達だよ」
「ピッチャーとしての能力が高かったんだね」
「そもそものそれが」
「連投で完投出来るだけじゃなくて」
「そうだったんだね」
「そうだよ、稲尾さんはスライダーとシュートが凄くて」
 この人はそうだったというのです。
「どちらも魔球みたいだったんだよ、スライダーは高速スライダーで」
「普通のスライダーより速いんだよね」
「キレも鋭くて」
「今も投げる人いるよね」
「恰好いい名前の変化球よね」
「それで有名だったけれど実は真の武器はシュートで」 
 それでというのです。
「抜群のコントロールと球威もあってね」
「中々打たせなかったんだ」
「その高速スライダーとシュートで」
「そうだったんだね」
「杉浦さんもコントロールがよくて」 
 今度はこの人のお話をするのでした。
「とんでもない曲がり方をするカーブと少し沈むシュートでね」
「勝っていったんだね」
「その二つの変化球を武器に」
「そうだったんだね」
「お二人共今現役だったら」
 どうかといいますと。
「メジャーでも大活躍したし全日本でもね」
「エースね」
「それも押しも押されぬ」
「そうした人だったのね」
「絶対にそうなっていたよ」 
 先生ははっきりと言いました。
「あの人達は」
「確か稲尾さんはスリークォ―ターでね」
「杉浦さんはアンダースローよね」
「お二人共右投手でね」
「そちらの人だったわね」
「そうだよ、日本の漫画だと昔はピッチャーは左腕の人が多かったけれど」
 それでもというのです。
「右投手でも凄い人は大勢いるんだ」
「サウスポーだと金田正一さんや鈴木啓示さん、工藤公康さんですね」
 トミーがこの人達の名前を挙げました。
「それに江夏豊さんも」
「そう、その人達はね」
「サウスポーでしたね」
「それで右ピッチャーはその人達にね」
「米田哲也さんや山田久志さんですね」
「その人達だよ、ただ右投手も左投手もね」
 どちらの人達もとです、先生はトミーにお話しました。
「必要だよ」
「そうですよね」
「今の阪神だってそうだね」
「どちらの人も凄い人が揃っていますね」
「先発にも中継ぎにもね」
「だから余計に阪神投手陣は凄いんですね」
「阪神は不思議なことに何時でも利き腕から見ても」
 ピッチャーのそこから見てもというのです。
「いい人が揃っているんだ」
「先発、中継ぎ、抑えから見ても」
「もっと言えば若手、ベテランでもね」
「いい選手が揃っていて」
「充実しているんだ」
「それが阪神ですね」
「逆に打線はそうじゃないことが多いけれどね」 
 残念ながらという口調でのお言葉でした。
「今の連覇に入るまで貧打線と言ってよかったしね」
「本当に打線には苦労していましたね」
「これはよくない伝統だったね」
 投手陣とは違ってというのです。
「野球はその一年だけにしても阪神は投手陣はいつもいいのに」
「打線は、というのは」
「困ったことだったよ」
「本当にそうでしたね」
「けれどまた言うけれど投手陣は」
「利き腕から見ても充実していますね」
「左右どちらのエースも存在していて」
 先発投手陣にというのです。
「確かに勝ってくれるしね」
「そうですよね」
「中継ぎ陣なんか」
「もう個性派揃いで」
「万全だからね」
「利き腕の面から見てもですね」
「阪神投手陣はいいんだよね」
「そうしたチームですね」
「昔からね」
「そうですね」
「ただね」
 ここでトートーが言ってきました。
「野球ってポジションによって利き腕が決まってるよね」
「セカンドとかショートは右利きだね」
「それにサードもね」
 オシツオサレツが指摘します。
「投げる方はね」
「それは決まってるね」
「バッターとしては関係ないけれど」
 ジップはこちらのお話をしました。
「それで投げる方はね」
「右投げの人じゃないとってあるね」
 老馬もそこを指摘しました。
「野球の場合は」
「これはソフトもだけれど」
「あちらは野球とそういうところ同じだし」
 チープサイドの家族もお話します。
「ポジションに利き腕が関係する」
「野球の特徴の一つだね」
「ファーストや外野手は左利きでもいいね」
 このことはポリネシアが指摘しました。
「別に」
「そうそう、けれどセカンド、ショート、サードは違って」
 ホワイティはポリネシアに横から言いました。
「右投げじゃないと駄目だね」
「何か投げる時にその方がいいらしいね」
 このことはチーチーは言いました。
「ファーストの方に」
「実際にグラウンドとポジション見ればわかるわね」
 そのことはとです、ガブガブは言いました。
「左利きだとちょっとファーストの方に身体向けないといけないから」
「そのちょっとが大事なんだね」
 ダブダブはガブガブの指摘に頷きました。
「アウトかセーフかの境目だね」
「そうだよ、そしてキャッチャーもね」
 先生は皆にこのポジションのお話もしました。
「右利きだね」
「そうだよね」
「左投げのキャッチャーっていないよね」
「何かアメリカには昔いたらしいけれど」
「それでもね」
「バッターも右の人が多いね」
 それでというのです。
「左投げだと盗塁刺す時にね」
「あっ、二塁に投げる時にね」
「左利きだと右バッターが邪魔になるから」
「それでだね」
「キャッチャーは右投げなんだね」
「そうだよ、ただね」
 ここでこうも言う先生でした。
「今は左バッターの人も結構多いしね」
「右バッターの人が多いけれどね」
「今はそうだよね」
「イチロ―選手も左だったしね」
「右投げでもね」
「そうした人がバッターの時は送球も工夫が必要なんだ」
 キャッチャーの人はというのです。
「どうしてもね」
「そうだよね」
「野球も工夫だし」
「それじゃあね」
「そこはちゃんと工夫して」
「それでやってるんだね」
「そうなんだ、まあとにかくね」
 先生はさらにお話します。
「野球は利き腕がかなり関係するスポーツだね」
「そのことは間違いないね」
「やっぱりね」
「しっかりとね」
「それはあるね」
「そして彼は」
 八条大学のあのキャッチャーの人のお話もするのでした。
「右投げ右打ちだね」
「キャッチャーの人では標準だね」
「右投げは絶対にしても」
「そこで右打ちっていうのは」
「同じだね」
「そうだよね」
「うん、ただ彼は右ピッチャーも左ピッチャーもね」
 相手がどちらでもというのです。
「問題なく打っているね」
「相手ピッチャーの利き腕に関係なく」
「コンスタントに打ってるんだ」
「どちらのピッチャーも問題なく」
「そうなんだね」
「これはピッチャーにも言えるけれど」
 それでもというのです。
「相手の利きによって得意不得意がある人がいるよ」
「右バッターで右ピッチャーに弱いとかですね」
「そう、左ピッチャーに強いとかね」
 先生はトミーに答えました。
「そうした人がいるよ」
「そうですよね」
「よく左バッターの人は左ピッチャーの人に弱いというね」
「利きが同じだとですね」
「どうしても見えにくいからね」
「ピッチャーだと逆になりますね」
「そう、右ピッチャーの人が左バッターに弱いとかね」
 そうしたことがというのです。
「あるね」
「そうですよね」
「ところがこれは一概に言えなくて」 
 先生がここでお話することはといいますと。
「工藤公康さんは左ピッチャーだけれど左バッターに弱かったんだ」
「そうだったんですね」
「近鉄にいたクラーク選手は右バッターだったけれどね」
「左ピッチャーに弱かったんですね」
「右ピッチャーと左ピッチャーで打率が全く違ったんだ」
「そこまでだったんですね」
 トミーもお話を聞いてそうだったのかというお顔になっています。
「また極端ですね」
「逆に王貞治さんやイチローさんは左バッターだったけれどね」
「左ピッチャーを苦にしなかったんですね」
「そうだったんだ」
 この人達はそうだったというのです。
「右ピッチャーでも左バッターに強い人もいるしね」
「利きは関係あっても」
「それとはまたね」
「違うところがあるんですね」
「そうなんだ、横浜にいた古木選手は左バッターで左ピッチャーをかなり苦手としていたし」
「そうしたオーソドックスなケースもあって」
「そうじゃないケースもあるんだ」
 左ピッチャーなのに左バッターに弱かったり右バッターなのに左ピッチャーに弱かったりするというのです。
「クロスファイアーっていって対角線で強いピッチャーの人もいるし」
「右だと左、左だと右ですね」
「そうした人もいるから」
「本当にそれぞれですね」
「けれど彼はね」
「左右関係ないですか」
「どちらも打率はね」
 それはというのです。
「別にね」
「安定しているんですね」
「得点圏打率でもそうでね」
「そうしたことに関係なくですか」
「打っているよ、長打率もね」
 こちらもというのです。
「変わらないし」
「安定感が凄い人ですか」
「うん、抜群だね」 
 その安定感たるやというのです。
「勝負強いとか左ピッチャーに強いとかいう特徴はないけれど」
「安定感があって」
「三振もかなり少ないね、特に」
「特に?」
「ダブルプレーを打つことが少ないね」 
 これもあるというのです。
「殆どないよ」
「それはいいことですね」
「ダブルプレーはね」
「自分もアウトになって」
「ランナーの人もアウトになるからね」
 それでというのです。
「もうね」
「かなり落ちますよね」
「それだけでね、とはいっても犠打はね」
「送りバントですね」
「それを言われる人でもないしね」
 こちらはないというのです。
「長打率があるから」
「安定感もあるので」
「打順は四番であることが殆どだし」
 クリーンアップの中核です。
「だからね」
「送りバントはなくて」
「それよりもね」 
 むしろというのです。
「ヒッティングだけれど」
「そのヒッティングでもですね」
「ダブルプレーがね」
 それを打つ時はというのです。
「殆どないから」
「そのことはいいことですね」
「あれはアウト二つに」
 それに加えてというのです。
「チームの士気にも関わるから」
「よくないですね」
「打ってしまうとね」
 どうしてもというのです。
「だからね」
「それで、ですね」
「彼はね」
「バッターとしてもですね」
「いい選手だよ」
「そうですね」
「だからね」
 それ故にというのです。
「プロ野球選手になれば」
「活躍してくれますね」
「必ずね、だからね」
 それでというのです。
「プロ野球選手になって欲しいね」
「そして理想はですね」
「阪神だよ」
 このチームにというのです。
「入団して欲しいね」
「投手陣をさらによくしてくれてしかも打ってくれる」
「そんな人だから」
 だからだというのです。
「本当にね」
「阪神入団をですね」
「僕としては願うよ」
「後は阪神とその人次第ですね」
「そうなるよ、それでも」 
 ここでこうも言った先生でした。
「僕達はまだ彼とお話していないね」
「練習は観てもね」
 王子が応えました。
「それでもね」
「そうだよね」
「そのことがだね」
「僕としてはね」
 どうにもという口調で言う先生でした。
「一度ね」
「お話してみたいですね」
「うん、人柄も悪くないそうだけれど」
「そうですか」
「真面目で努力家で温厚でね」
「そうした人ですか」
「意地悪でも傲慢でもないみたいだよ」
 そうした困った要素はないというのです、トミーにお話しました。
「礼儀正しくて後輩には優しくてね」
「いい人なんですね」
「そうみたいだね」
「それはいいですね」
「ただ、煙草は吸わないけれど」
 それでもというのです。
「お酒が好きということはね」
「そのことはですか」
「酒乱ではないそうだけれど」
「そこが問題ですね」
「お酒はやっぱりね」 
 こちらはというのです。
「飲み過ぎるとね」
「身体によくないですね」
「特にスポーツ選手にはね」
「それでそのことがですね」
「少し心配かな、けれどね」
 それでもと言う先生でした。
「人間完璧な人なんてね」
「いないね」
 王子が応えました。
「それこそ」
「そうだね」
「だからだね」
「お酒が好きでも」
 それでもというのです。
「それ位はね」
「仕方ないんだね」
「そうなるよ」
「そうだね、じゃあ」
「お酒のことは」 
 そのことはというのです。
「そうしたところもある」
「そう考えて」
「そしてね」
 そのうえでというのです。
「観ていけばいいし彼自身もね」
「やっていくことだね」
「そうなるよ、食べものの好き嫌いは」
「それは、だね」
「別にないみたいだし、ただかなり食べるそうだね」
「スポーツ選手だしね」
「うん、僕達より遥かにね」
 それこそというのです。
「力士さんみたいに食べるそうだよ」
「やっぱり身体を動かすと」
「それだけね」
 まさにというのです。
「食べるよ」
「そうだよね」
「もうそのことはね」
「仕方ないね」
「しかも若いから」
 このこともあってというのです。
「食べるよ」
「そうだね」
「そしてここで何でも食べると」
「バランスよく」
「本当にいいんだ」
「そうだよ、それとね」
 先生はさらにお話しました。
「煙草を吸わないこととは何といってもね」
「いいことだね」
「そうだよ、あれは本当にね」
「身体に悪くて」
「スポーツ選手には特にね」
「よくないからだね」
「吸わないことがね」
 まさにというのです。
「第一だよ」
「それであの人もだね」
「うん、吸わないから」
 それでというのです。
「僕はいいと思うよ」
「先生煙草には特に言うね」
「麻薬は論外にしてもね」
 こちらは言うまでもないというのです。
「煙草はとにかく身体特に肺に悪いから」
「スポーツ選手は激しい運動をするからね」
「その肺を特に使うからね」
「体力にも関係するしね」
「吸わないことがね」
 何といってもというのです。
「いいことだよ」
「そういうことだね」
「まあ昔は吸う人もいたけれど」
「今はだね」
「かなり減ったね」
「いいことだね」
「だから僕はスポーツをする人には特にね」
 こう王子にお話します。
「吸わないことをね」
「勧めているんだね」
「僕自身も吸わないしね」
「だから先生その意味でも健康なんだね」
「そうだと思うよ」 
 笑顔で応える先生でした、そうしてです。
 先生は皆とさらに野球のお話をしていきます、それは医学からそして野球についての確かな知識に基づいた非常に理知的なものでした。








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