『ドリトル先生と奈良の三山』




                 第九幕  土も取って

 先生達は橿原神宮に来ました、それで神宮の中を見回ってです。動物の皆は先生にこんなことを言いました。
「ううん、ここもね」
「随分と立派な場所ね」
「春日大社も立派だったけれど」
「ここもね」
「うん、さっき大三輪神社も行ったけれど」
 実はこの日はいつもより早く起きて桜井市にあるそちらにもお参りしていました。
「ここもね」
「凄いよね」
「広くて建物も立派で」
「まさに神様達のおわす場所」
「そんな感じね」
「そうだね、こうして見ていたら」
 先生は橿原神宮のそのお社を見て言いました。
「信仰している宗教は違っていてもね」
「それでもだよね」
「何か自然とね」
「神様を感じられて」
「神聖な気持ちになるわね」
「うん、それとね」
 こうも言った先生でした。
「これはお寺もだけれど神社も木造だね」
「あっ、そうね」
「欧州の教会は石造りだけれど」
「神社は木造ね」
「お寺だってそうだし」
「木にも神様が宿っている」
 先生は皆ににこりと笑って言いました。
「これもまたね」
「日本の考えね」
「神道の考えね」
「そうだよ、日本は木にも恵まれている国でね」
 先生達が今いる奈良では周りを見回せばそれこそ木に満ちた山ばかりです、それが実に奇麗なものです。
「それでね」
「木にもだね」
「神様が宿っていて」
「神社の建物にも使われている」
「神聖なものとして」
「そうなんだ、熊野とかも」
 和歌山のそちらもです。
「熊野権現がおられてね」
「木が神聖なものなの」
「そうされているの」
「そうだよ、木の持つ神聖さが」
 まさにそれがというのです。
「日本の神社にはあるんだ」
「そうなのね」
「それで神聖な感じがするのね」
「静かで落ち着いていて」
「心が清らかになる」
「そんな神聖さがあるのね」
「うん、何かこうも思ったよ」
 こうも言った先生でした、大三輪神社のことも思い出しながら。
「木造の、神聖な中にいるから」
「それで?」
「それでなの」
「森林浴をしているのかもってね」
 神社の中にいると、というのです。
「そうも思ったよ」
「ああ、木だからね」
「そうした考えにもなるかも」
 動物の皆も先生のお話にそれもという感じで頷きました。
「いいかもね」
「そうした考えもね」
「出来るよね」
「実際に僕達も感じるし」
「木の感覚をね」
「神社の中にも木が多いしね」
「そのこともあってね」
 見れば確かにです、橿原神宮にも木があります。そして動物の皆も大三輪神社について思い出しました。
「あそこなんかもう山自体だったし」
「神社の後ろが山だからね」
「もう木が沢山あって」
「森の中にいる感じがしたわね」
「そうだったね」
「そう、神社と自然は対立するものではなくて」
 日本の神社のそれはというのです。
「同じだからね」
「日本の神様の多くが自然神だから」
「だからなのね」
「自然を司る神様達だから」
「それでなのね」
「そのこともあってね」
 それでというのです。
「森林浴をしているみたいに感じたんだろうね」
「神社の中にいて」
「それで」
「そうかもね、いや森林浴も楽しんでいるって思うと」
 本当にと言う先生でした。
「余計にいいね」
「そうだね、気持ちいいね」
「日本の神社ってそうした意味でも」
「心が落ち着いて」
「それで奇麗になる感じがするわ」
 動物の皆も笑顔で言います、そしてです。
 皆で橿原神宮を回ってです、三山の土や植物の質を調べて採集もしました。そうしたことを一段落しさせてです。
 お店に入ってティータイムを楽しんでいるとです、皆が紅茶を飲みながら言いました。
「日本のお水はいいけれど」
「奈良もいいわね」
「そうね、奇麗で澄んでいて」
「かなり質のいいお水よね」
「だから紅茶を飲んでも」
 チーチーが言いました、ミルクティーを飲みつつ。
「美味しいね」
「紅茶ってお水と葉が大事だから」
 ジップは紅茶の中のお水の匂いを楽しんでいます。
「お水がいいと凄くいいんだよね」
「葉もいいし」
 ここで言ったのはポリネシアでした。
「これでお水がいいから完璧よね」
「水田が多いよね、奈良も」
 ホワイティはこれまで奈良県を回ってこのことを実感しました、時に三山の辺りはすぐに水田を見られるので。
「あ水がいいとお米も美味しいしね」
「いや、こうして紅茶も美味しい」
「いいことだね」
 オシツオサレツも紅茶を楽しんでいます。
「奈良にいるとね」
「こうしたことも楽しめるんだ」
「千年以上の間このお水でお米を作っていて」
 トートーもお米のことを考えました。
「お茶も飲んでたんだね」
「奈良って小さい川が多いけれど」
 ダブダブもこれまで見た奈良の景色を思い出しています、奈良の盆地の中に流れている多くのそうした川達を。
「どの川のお水も澄んでるからね」
「そうそう、川のお水が奇麗で」
「水田のお水も奇麗でね」
 チープサイドの家族も先生の手元でお話します。
「水道のお水もね」
「美味しいね」
「イギリスのお水と比べたら」
 老馬はイギリスのお水を思い出しました。
「奈良もお水は全く違うね」
「というかね」
 最後に言ったのはガブガブでした。
「こんなお水が沢山あるだけでもかなりいいことだよ」
「木が多くてね」
「しかもお水もいい」
「ここが都になった筈ね」
「日本のはじまりの場所になったのも」
「そう、奈良は物凄く条件がいい場所なんだ」
 先生もこうお話します、先生は今はティーセットの中にある苺ケーキを食べています。中段にそれがあって上段はエクレア、下段は苺や無花果といった奈良県で採れたとても新鮮な甘いお野菜や果物達です。
「盆地でお水も奇麗で木も豊かで」
「だからこそ人が定住して」
「皇室も九州から入られたのね」
「そうなのね」
「そうだよ、まあ皇室のお話はね」 
 それはといいますと。
「史実だろうけれど流石に十代までの帝がそれぞれ百歳前後まで生きておられたのは」
「流石にね」
「ないよね」
「紀元前だからね、そのお話って」
「聖書の時代だし」
 欧州では完全にその時代です、旧約の方の。
「伝説だよね」
「それはないよね」
「僕もそう思うけれど皇室が奈良に入られたのは」
 このこと自体はというのです。
「史実だろうけれど」
「じゃあ神武帝はやっぱり実在されていたの」
「百歳位まで生きておられたかは別にして」
「そうなのね」
「僕はそうだと思うよ」
 先生としてはです。
「ただ。それでも流石にね」
「十代続けて百歳前後まで生きておられたのは」
「ないわね」
「幾ら何でも」
「そう思うよ、ただ奈良に都があったのは事実で」
 飛鳥時代、奈良時代にです。
「それは当然のことだよ」
「こんなにいい場所だから」
「それで人が集まって」
「日本の最初の中心、はじまりの場所になった」
「そうなのね」
「そうだよ、この通りお水もいいし」
 先生も紅茶を飲みました、それは神戸で飲むミルクティーとはまた別の美味しさがありました。
「何かとね」
「住むにいい条件が揃ってて」
「それで奈良は日本のはじまりになった」
「そういうことね」
「そうだよ、神戸もいい場所だけれど」
 それでもというのです。
「この奈良もいいね」
「そうだね」
「ずっといたくなるっていうか」
「気候もいいし」
「とても過ごしやすいわ」
「全くだよ、しかし三山はね」
 今の論文の対象にも言及した先生でした。
「やっぱりね」
「幾ら調べても」
「それでもね」
「何ていうか」
「謎よね」
「あそこは」
「うん、謎だらけっていうか」
 何かというと、というのでした。
「調べればね」
「調べる程だよね」
「不自然過ぎて」
「自然の山と考えるには」
「おかしな山達よね」
「どうしてもね、あれは何か」
 本当にというのです。
「古墳としかね」
「思えないよね」
「どうにも」
「あの三山は」
「どうしてもね」
「全くだよ、やっぱり古墳だろうね」
 これが先生のお考えでした。
「あの山達は」
「傍目から見たらね」
「しかもそれが二等辺三角形になってて」
「そのことも不思議で」
「どうもね」
「調べれば調べる程ね」
「おかしな山達でね」
「人の手によって造られた山達ね」
「それもかなりの考えがあって」
「当時としては」
 さらにお話した先生でした。
「かなりの技術を使ってるよ」
「ああ、造られたと考えるとね」
「その時を考えたらね」
「ああした大きな古墳を造るとなると」
「かなりの技術ね」
「そうだよね」
「うん、人手も必要だし」
 それもというのです。
「そうしたことを考えるとね」
「相当な技術を使って」
「人手もそうして」
「そしてね」
「かなりの技術を使っていて」
「そうして造られている」
「かなりの考えで」
 皆も言うのでした。
「そうしたものね」
「それで造られていて」
「そこに何かの考えがあった」
「そうなのね」
「それは推察出来るけれど」 
 それでもとです、先生の言葉の中にある疑問は消えていませんでした。
「どうしてあの場所に二等辺三角形に配置したか」
「そうなると」
「余計にわからないわね」
「どうして二等辺三角形?」
「そう配置したの?」
「ピラミッドみたいに計算されていたの?」
「偶然と考えると」
「偶然ではないだろうね」
 先生はその可能性はすぐにないと考えました。
「自然に出来たにしても二等辺三角形になるか」
「偶然だとね」
「それもないよね」
「偶然ってのはこの世で一番わからないことだけれど」
「そう、偶然じゃないと考えた方がね」
 その方がというのです。
「自然だね」
「そうだよね」
「どう考えても」
 動物の皆は先生とティーセットを囲んでそのティーセットとミルクティーを楽しみつつ言いました。
「やっぱり三山は人工のもので」
「あの山達は」
「二等辺三角形に配置されていて」
「そこには何かの考えがある」
「そこまでは考えられるけれど」
「どうしてそうしたのか」
「誰のお墓かわからないしね」
 三山がそれぞれです。
「そのことも謎だし」
「帝か皇室のどなたか」
「そうでもないとあそこまでの技術と人手は使われない」
「このことも予想がつくわね」
「ある程度にしても」
「そうだけれどね」
 本当にというのです、先生も。
「誰のお墓で三山をそう配置した理由は」
「考えば考えるだけわからなくなってきて」
「頭がこんがらがってきたわ」
「もう何が何だか」
「さっぱりになってきたわ」
「この辺りは論文に書いても」
 そうしてもというのです。
「多分推察に過ぎないとね」
「書くしかないね」
「結局のところは」
「それしかないわね」
「うん、何しろそれについて書かれている資料はないし」
 このことが一番の問題です、何しろ学問は資料から研究及び検証を行い答えを出していくものだからです。
「本当に考えてね」
「考察しかない」
「それしかないわね」
「残念だけれど」
「先生にしても」
「そうなんだ、答えは出ないよ」
 はっきりしたものはです。
「あくまで推察だよ」
「それでしかないのね」
「三山の謎については」
「謎を提示して終わり」
「それだけなの」
「うん、何かね」
 深く考えるお顔でご自身の紅茶が入っているティーカップを見てそうして皆にお話した先生でした。
「古代エジプトみたいだよ」
「あちらのことを調べているみたい」
「そうだっていうのね」
「あまりにも謎が多くて」
「そのせいで」
「ここはあれだね」
 先生がここで考えたことはといいますと。
「新たな資料を探す」
「それしかないの」
「遺跡なり文献なり」
「そうしたものを」
「それからなの」
「それを探すのは考古学だね」
 こちらの学問になるというのです。
「じゃあそっちもね」
「やっていくのね」
「これからは」
「先生も」
「そうなるよ。日本の考古学は」
 どうかといいますと。
「言うまでもなく奈良にね」
「かなりの重点があるのね」
「そうなのね」
「この場所に」
「そう、古墳も特に多いから」
 だからだというのです。
「九州の吉野ケ里遺跡や関東にも注目すべき場所も多いけれど」
「それでも奈良ね」
「何といっても」
「ここになるのね」
「そうだよ、そちらからも」
 考古学からもです。
「調べていくね」
「三山のことを」
「これからも」
「そうしていくよ、さもないと」
 考古学からも研究していかないと、というのです。歴史学や神話つまり宗教学からだけでなくというのです。
「わからないみたいだからね」
「そうするんだね」
「地質学や植物学からも検証してるし」
「考古学からも見ていく」
「色々な学問からそうしていくんだね」
「うん、目は一つじゃなくて」
 そしてというのです。
「見るポイントも一つじゃないね」
「そうだね、確かに」
「学問は一つじゃないしね」
「それぞれの学問から見て」
「総合的に考えていくものだね」
「そうするといいよ、ただ」
 ここでこうも言った先生でした。
「オカルトからも考えていこうかな」
「そっちからも?」
「先生オカルトも研究してるしね」
「学問の一環として」
「そうしてるしね」
「オカルトと一口に言って馬鹿にする人がいるけれど」
 そうした人はよくいます、ですが先生はそうしたことは絶対にしません。何でも馬鹿にせず公平に見て考える人だからです。
「こちらから考えることもいいよ」
「科学も魔術も錬金術も元は同じ」
「先生よく言うしね」
「民間療法には確かな根拠がある」
「まだ発見されていない生物もいるって言ってるしね」
「そうだよ、アフリカにもね」
 先生が皇子の母国のことをお話しました。
「水ライオンや岩ライオンがいるというね」
「所謂UMAだね」
「本当にいるかどうかわからないけれど」
「まずいるかどうか確かめる」
「それからだね」
「そう、オカルトは間違っているか」
 それ自体がというのです。
「全てを断定したら駄目だからね」
「一つ一つを検証して」
「それが事実かどうか確かめる」
「それが大事なんだね」
「そうだよ、何でもプラズマが原因と言ったり」
 こうしたことをする大学の教授も日本にはいます。
「あと自分の知識だけで漫画やアニメの道具や兵器を否定する」
「そういうのは駄目だね」
「しっかりと検証してだね」
「そうして一つ一つ確かめていく」
「それが大事だね」
「そう、本当にオカルトもね」
 またこのことについてお話する先生でした。
「調べていくことなんだ」
「それも公平に」
「自分の知識だけじゃなくて」
「しっかりと検証する」
「それが大事なのね」
「そうだよ、宇宙人もね」
 この人達のこともお話するのでした。
「無闇に否定しないでね」
「しっかりと考えて検証して」
「それで存在を突き詰めていく」
「それが大事なのね」
「あとUFOも」
「そう、幽霊も妖怪もだよ」
 こうした存在もというのです。
「ちゃんとあらゆる学問から考えていかないとね」
「オカルトだって無闇に否定せずに」
「だから三山のこともだね」
「オカルトからも考えていくの?」
「そうもしていくの」
「そうも考えているよ、ただ二等辺三角形の配置は」
 またこのことについて思う先生でした。
「やっぱり何かあるね」
「三山が人工的に造られているなら」
「だからこそなのね」
「どうして二等辺三角形に配置されているのか」
「そこも考えていくの」
「日本のオカルト雑誌でそんな話もあったかな」
 先生はそうした本も読んでいます。
「あの三山についてね」
「実際に書いてあったのね」
「三山のあの配置のことも」
「じゃあその雑誌ももう一回読んで」
「それで調べてみる?」
「そうもしてみるのね」
「考えているよ、とにかくね」
 また言った先生でした。
「あの三山は不思議な山達だよ」
「和歌では普通に恋愛として詠われてるけれど」
「歴史とか地理とかで考えていくと」
「不思議なことが見えてくる」
「自然の山達に思えなくて」
「配置も何かありそうなのね」
「うん、白鹿さんにもお願いされて余計に考えてるけれど」
 そうしていってというのです。
「いや、考えれば考えるだけだね」
「不思議な山達ね」
「古墳だとしたらどなたの古墳か」
「それぞれの古墳がね」
「そしてその配置もね」
「気になるし」
「本当に不思議な山達だよ」
 実際にというのです。
「考えれば考えるだけ、宗教ここでは神道からね」
「考えていくのね」
「そちらの学問から」
「そうしていくね」
「そうしていくよ、しかし神道にそうしたエジプトみたいな数学を応用した配置とか他にあったかな」
 先生はここで首を傾げさせました。
「どうもね」
「先生にしてもなのね」
「心当たりがない」
「そうなのね」
「古墳、ピラミッドもそうだけれどああしたものを造るには数学の知識も必要だけれど」
 それでもというのです。
「二等辺三角形にする配置、そしてその配置の意味は」
「ううん、何か神道的じゃない?」
「僕達から見ても」
「ちょっと」
「そんな感じはしないかな」
「そうだね、僕の知識不足かも知れないけれど」
 こうも考えた先生でした。
「けれどね」
「それでもだね」
「このことも一から考えなおして」
「検証してみるのね」
「そうしようかな」
 実際にと考える先生でした、先生にとって三山はとても不思議なものに見えて仕方なくなっていました。
 それで次の日です、奈良市で開かれていた考古学の学会に出席する時に学会が開かれる場所に行く時にです。
 そこに白鹿が来てです、こう先生に尋ねてきました。
「謎は、ですね」
「うん、これがね」
 先生は白鹿に正直に答えました。
「調べればね」
「調べる程ですか」
「謎が深まっているというかね」
「そうした感じになっていますか」
「そうなんだ」
 実際にというのです。
「これがね」
「やはりそうですか」
 白鹿は先生のお言葉を聞いても別に取り乱さず冷静に応えました。
「三山については」
「後で地質学、植物学からも検証した論文も書くけれど」
「それでもですね」
「わからないことはね」
「どうしてもありますか」
「むしろわからないことばかりで」
 それでというのです。
「論文を書いてもね」
「答えは出ないですね」
「そうなるよ」
 もうこうなることはどうしようもないというのです。
「僕は古墳説を出すけれど」
「古墳でもですね」
「誰の古墳かわからないし」
 それにというのです。
「しかも三山の配置が二等辺三角形だけれど」
「そのこともわからない」
「どうしてその配置なのかね」
「偶然というには」
 白鹿もその可能性を考えました、ですがその可能性は白鹿の中でもすぐに消えてしまうものでありました。
「出来過ぎていますね」
「盆地の中にあの高さと形の山が一つあるのも不自然だしね」
「それが三つで」
「しかも二等辺三角形の配置となると」
「偶然ではないですね」
「そうだよね」
「はい、本当に」
 白鹿もこう先生に返しました。
「そう思います」
「そうだね、とにかくね」
「このことはですね」
「どうも僕にしても」
「わからないことですね」
「そうなんだ」
「そうですが、ですが先にお話させてもらった通りに」
 白鹿は落ち着いた調子のまま先生に応えました。
「論文を書いて頂ければ」
「それでいいんだね」
「はい、先生の書かれた論文が後々に」
「三山の謎が解けるきっかけになる」
「そうなるかも知れないので」
「学問はまず疑問を感じる」
「そこからですね」
「そう、どうなのか正しいのかとね」
 そう思ってというのです。
「調べて検証してね」
「突き詰めていくことですね」
「正しいかどうかね」
「ですから疑問や説を出して頂きたいのです」
「その僕の疑問や説にだね」
「後の人達が考えてくれますので」
「そして何時かね」
「答えを出してくれるでしょうから」
 だからというのです、白鹿は遥かな未来まで見据えてそのうえで考えて先生にお話しているのです。
「是非」
「わかったよ、じゃあね」
「はい、それとですが」
「それと?」
「奈良の食べものも文化も楽しんで頂いていますね」
 今も動物の皆と一緒にいる先生にこのこともお話しました。
「そうですね」
「うん、とてもね」
「それは何よりです」
「お素麺も頂いたし奈良の牛も西瓜もね」
「他のものもですね」
「楽しませてもらってるよ」
「それは何よりです。まだ奈良におられますね」
 白鹿は先生にさらに尋ねました。
「そうですね」
「その予定だよ」
「ではおられる間です」
「奈良の幸をだね」
「楽しまれて下さい、そして今日まだお時間があれば」
 白鹿は先生にさらに提案しました。
「天理に行かれてはどうでしょうか」
「あちらにだね」
「はい、奈良市と近いですし」
 このこともあってというのです。
「ですから」
「あちらにもだね」
「行かれてはどうでしょうか、この奈良には多くの神仏がおられますが」
「天理にもだね」
「神様がおられます」
「天理教だったね」
 天理市の神様はどういった神様か、先生も知っていて応えます。
「そうだったね」
「はい、天理王命という神がおられます」
「うん、実は僕もね」
「天理にもですね」
「行きたいと思っていたし」
「では学会の後で」
「行って来るよ」
 こう答えてです、先生は本当に学会の後で天理市に行くことにしました。このことを決めてからでした。
 先生は皆にも言いました。
「では今から天理市に行くよ」
「今度はそこになんだね」
 まずはジップが応えました。
「行くんだね」
「何か本当に神様が多い場所だね」
 ガブガブの口調はしみじみとしたものでした。
「神道に仏教に」
「天理教も奈良にあるのね」
 ポリネシアの口調もしみじみとしたものです。
「本当に奈良は神様と仏様の場所ね」
「何か比較的新しい宗教みたいだけれど」 
 チーチーは先生から前々から聞いていた天理教のことを思いました。
「面白い宗教みたいだね」
「先生が言うにはね」
「そうよね」
 チープサイドの家族は先生に応えました。
「天理教もね」
「いい宗教だって」
「そういえば大三輪神社の近くにかなり大きな教会があったよ」
 ホワイティはこのことを思い出しました。
「天理教の」
「というか奈良には天理教の教会も多いね」
 老馬は奈良県を見回っていてこのことにも気付いていました。
「神社やお寺以外にも」
「大阪や京都、それに神戸にも結構あるね」
 トートーは奈良以外にこれまで巡った場所で見たものを思うのでした。
「日本全体で結構あるね」
「その天理教の中心だね」
「これから行く天理市は」
 オシツオサレツは二つの頭でお話をします。
「一体どんな場所か」
「この目で見たいね」
「じゃあ今から行きましょう」
 最後にダブダブが先生と他の皆に言いました。
「その天理市にね」
「うん、写真で見る限りだと」
 先生はその奈良市のことを皆にさらにお話しました。
「かなり独特な場所だよ」
「そうなのね」
「奈良県の他の場所とまた違う」
「そうした場所なのね」
「そうなんだ、ただ一つ気になることは」
 それはといいますと。
「今回は色々回ってるね」
「うん、奈良県のね」
「そう考えるとね」
「奈良県を南北に回って」
「凄く色々回ってるわ」
「そうだね、北の方だけだけれど」
 奈良県のです。
「そうなってるね」
「南の方には行ってないね、今回は」
「前は和歌山との境まで行ったけれど」
「あの深い森の方に」
「ニホンオオカミさん達がいた」
「奈良県の南は」
 本当にそこはというのです。
「山ばかりでね」
「人も少なくて」
「やっぱり奈良は北に人が集中してて栄えてて」
「観光の場所も多い」
「このことがあらためてわかったわ」
「本当にね」
 実際にとお話する先生でした。
「奈良県は北部なんだよね」
「南は山ばかりでね」
「人も凄く少なくて」
「天理市みたいな場所もない」
「そうなってるわね」
「奈良には昔から人が集まったけれど」
 そうして日本が出来ていったというのです。
「それでもね」
「南の方はね」
「吉野ですら深いしね」
「あそこが南の入り口で」
「そこからが凄く深いからね」
「十津川になるとね」
 もうそこまでいくとです。
「かなりだよね」
「しかもその十津川ですら南じゃまだ先の方で」
「大台ケ原とかね」
「もう無茶苦茶凄いから」
「あそこまでいくと」
 実際にと言う先生でした。
「ニホンオオカミ君がいたのもね」
「わかるわね」
「人も滅多に入らなくて」
「自然のままの場所だから」
「今もね」
「同じ奈良県でもね」
 それでもと言う先生でした。
「本当に全く違うね」
「盆地と山地ね」
「その違いだね」
「しかもその山地がイギリスの山地よりもずっと険しいし」
「スコットランドの方よりもね」
 そこにハイランダーという人達がいたのです、今も子孫の人達がいて戦いでも本当に強い人達でした。
「まだ険しいよね」
「木も多くて」
「山が何処までも続いてて」
「びっくりする位よ」
「というか日本って山多いよね」
「そう、日本は山と海の国だよ」
 先生は皆が山が多いと言ってすぐにこう返しました。
「四方は海に囲まれていてね」
「そして山が凄く多い」
「そうした国なのね」
「神戸だってすぐ後ろは山だし」
「何処に行っても山があるしね」
「関東とかは比較的平野のところが多いけれど」
「そこ以外は」
 それこそとです、皆日本の地形について思うのでした。
「大阪だってね」
「やっぱり少し行くと山だしね」
「とにかく山が多くて」
「山を見ない場所って凄く少ないわ」
「しかも山には絶対に緑がある」
「そうした場所よね」
「そう、僅かな平野のところにね」
 そうした場所にというのです。
「人が住んで村や町を築いていったんだ」
「それで平野に人が集中して住んでいるのね」
「山には殆どいなくて」
「田んぼとかもあって」
「そうなってるのね」
「山の方に住んでいる人達は」
 そうした人達も日本に確かにいます。
「平家の落人や最初から住んでいた人達に。それに」
「それに?」
「それにっていうと」
「山の民っていうね」
 ここで先生は皆がかつて先生が調べている人達のことをお話しました。
「そうした人達もいたんだ」
「その人達のこともお話したね」
「そうだったね」
「日本にはそうした人達もいてね」
「今もいるって」
「うん、まだいることは間違いないよ」
 その山の民と呼ばれる人達がです。
「ただ、何処に住んでいるかは」
「そのことはなのね」
「わかっていない」
「そうなの」
「わかっていても言ったら駄目ってことになっているんだ」
 このことは禁じられているというのです。
「残念だけれどね、けれどね」
「そうした人達が山にいて」
「今もいる」
「そのことは事実なのね」
「山にも人が住んでいるのね」
「そうだよ、古事記や日本書紀にもね」
 こちらにもというのです。
「そうした人達がいたことを伺わせる記述がかなりあるしね」
「あれっ、そうなの」
「古事記や日本書紀にもなの」
「山の人達が出て来るの」
「そうだったの」
「そうなんだ、後で鬼とか土蜘蛛とか呼ばれる」
 どちらも妖怪の名前です。
「朝廷と戦った所謂まつろわぬ人達がね」
「そうだったの」
「山にいた人達だったの」
「そう言われているんだ、日本はかつてはね」
 昔の日本はというのです。
「平野と山に分かれていたんだ、海の民と呼ばれる人達っもいたし」
「その人達はあれよね」
「漁師さん達ね」
「そちらの人達だよね」
「うん、日本は基本的に農業社会だね」
 先生はこのこともお話しました。
「そうだね」
「うん、お米があってね」
「まずはそこからっていう国よね」
「御飯っていうとお米のだし」
「主食はお米ね」
「何でもお米からっていう国ね」
「これはね」
 まさにというのです。
「農業が軸であることに他ならなくて」
「山の人達や海の人達は違っていて」
「山の幸や海の幸で暮らしていた」
「そうだったのね」
「海の人達は比較的同化していったけれどね」
 農業社会の中にです。
「どうもあの人達も平野に住んでいたし」
「海岸ね」
「そこにいてね」
「農業の社会と一緒になっていったのね」
「うん、けれど山の人達は」
 こちらの人達はといいますと。
「交流はあってもね」
「独自の生活をしていた」
「そうだったんだ」
「この日本では」
「そうした人達もいたんだね」
「そうだったんだ、奈良にもいたから」
 そうだったというのです。
「だから鬼とか土蜘蛛の話があるんだ」
「どっちも妖怪って思ってたら」
「実はそうだったのね」
「まつろわぬ民と言われる人達で」
「その人達が山の民っていう人達だったのね」
「うん、まあ全ての山の民が朝廷に従わなかった訳でもないからね」
 このこともお話した先生でした。
「この辺りはそれぞれだったんだ」
「そうだったの」
「全部の山の人達が朝廷に対していた訳じゃない」
「そうでもあったのね」
「そこは違うのね」
「そうだよ、それぞれでね」
 その山の人達の、です。
「実際に帰服している鬼とかの話もあるね」
「あっ、そういえば」
「童話でもあるね」
「日本の童話でも」
「桃太郎や一寸法師に退治されたりして」
「そのうえで」
「そう、そうなっていたからね」
 だからだというのです。
「鬼といっても色々で山の民だったとも限らなかったし」
「話が大きくなってきたね」
「鬼のお話も」
「どうにも」
 動物の皆は先生のお話はわかりやすいですがお話が実際に大きくなってきたと思ってそれで言うのでした。
「鬼って山の民じゃなかった」
「他にもそう言われる人がいた」
「そうだったの」
「そうだよ、朝廷に従わない豪族や盗賊もだったからね」
「ああ、盗賊もだったんだ」
「あの人達も鬼にされてたの」
「そうだったんだね」
「そう、酒呑童子もね」
 大江山にいたというあまりにも有名な鬼です。
「盗賊だったね」
「そうそう、山にいてね」
「都を荒らし回っていて」
「どう見ても盗賊ね」
「あの鬼は」
「盗賊も鬼とされたり東北にいた蝦夷もだろ」
 そう呼ばれた人達もです。
「蝦夷はアイヌの人達だったけれどアイヌの人達は大柄で毛深くて髪の毛も縮れている人も日本人に比べて多かったから」
「あっ、鬼じゃない」
「その外見って鬼だよ」
「じゃあ蝦夷の人達も鬼?」
「そうだったの」
「そうだよ、こうした話もあったから」
 鬼についてはというのです。
「中々面白いね」
「うん、確かにね」
「鬼の話って面白いね」
「色々なルーツの鬼がいたんだ」
「山の民っていう人達以外にも」
「そして山の民って人達のこともわかってきたし」
「あの人達についても調べていくよ」
 先生は山の人達のお話もまたしました。
「あの人達についての研究もしているしね」
「そうしていくんだ」
「先生は山の人達の研究も続ける」
「そうするのね」
「これからもね」
 先生は皆に笑顔でお話しました、そしてです。
 そのお話をしてです、先生は皆にあらためて言いました。
「じゃあ天理に行こうね」
「これからね」
「そうしましょう」
 皆も笑顔で応えます、そうして天理市に向かうのでした。先生の学問はそちらにも向かうのでした。



先生はやっぱり古墳説でいくみたいだな。
美姫 「人工的な物を感じたようね」
流石にすぐに証明まではできないけれどな。
美姫 「でも、これはこれで面白そうね」
だな。次はどんな話になるのか。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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