『ドリトル先生と春の花達』




           第七幕  和歌会の前に

 先生はこの夜はお家で鴨鍋を食べていました、鴨のお肉とお葱がとても合っています。そのお鍋を食べつつトミーが言いました。
「鴨葱って言葉ありますよね」
「日本にはね」
「その通りですね」
 こう先生に言うのです。
「凄く合ってます」
「鴨はイギリスでも食べるけれどね」
「それでもですね」
「葱と一緒に食べるのは」
 それこそです。
「最高だよ」
「全くですね」
「もっともこの鍋にはお豆腐も糸蒟蒻も白菜も入ってるけれどね」
「茸も入れてますしね」
「最後は雑炊もするけれど」
「鴨とお葱ですね」
 この組み合わせはなのです。
「これがいいですね」
「そうだよね、ただね」
「ただ?」
「一つ思うことは」
 このことはといいますと。
「今日お鍋にしたのは」
「寒いからです」
 トミーは先生にすぐに答えました。
「だからお鍋にしまして」
「お肉屋さんで鴨肉が安くてだね」
「このお鍋にしました」
「そうなんだね」
「はい、しかも美味しいですから」
「だから余計にだね」
「このお鍋にしました」
 鴨鍋にというのです。
「そうしたんです」
「前も食べたけれどね」
「はい、やっぱりですね」
「鴨鍋は確かに美味しいね」
「これも素敵な和食の一つですね」
「全くだよ、そして食べ終わったら」
 その時はというのです。
「雑炊にしようね」
「お肉お野菜からいいダシが出ますね」
「そしていい雑炊が食べられるね」
「そうなりますね、あとです」
「あと?」
「何か寒いせいか」
 トミーはお豆腐を食べながら言うのでした。
「まだ桜は咲いていませんね」
「そうだね、まだね」
「はい、咲いていませんね」
「やっぱり寒いとね」
「桜が咲くのが遅れますね」
「和歌会までに咲けばいいけれどあそこはね」
「咲きますよね」
「あそこはね、ただ何か」
 ここでこうも言った先生でした。
「起こるかもね」
「うん、先生がいる場所には何かある」
「何かが来るんだよね」
「先生の場合はね」
「そうなんだよね」
 動物の皆も言うのでした。
「僕の行くところ、いるところにね」
「何かが来るよね」
「何かしらのことがね」
「いつもすなのよね」
「旅行に行っても大学で何かをしようとしても」
「街に出ても」
「何かが起こるよね」
「そしてその何かを解決するか楽しむ」
 先生はお鍋の中からお箸を奇麗に使ってそのうえで白菜と糸蒟蒻をご自身のお椀に入れつつ動物の皆に応えました。
「そうしてるね」
「じゃあ今回もかな」
「何かが起こる?」
「桜か和歌会絡みで」
「そうなる?」
「そうなるのかもね」
 こう言うのでした、そしてです。
 先生は皆と一緒にお鍋を楽しんで、でした。そのうえで。
 その次の日も学校に行きました、ですがこの日はです。
 雪が降っていました、それで動物の皆も研究室に入ってから言うのでした。
「まだ雪?」
「四月なのに?」
「四月に雪なんて」
「日本で四月に雪は」
「ちょっとないんじゃ」
「うん、ないね」
 実際にというのでした。
「三月でも珍しいよ」
「何ていうかね」
「それだけ寒いってことだよね」 
 オシツオサレツは日本に来てからのことを思い出しつつ言いました。
「今の日本が」
「神戸にしてもね」
「本当にこれだけ寒いとね」
「桜咲くか不安だよね」 
 チープサイドの家族も言います。
「だからね」
「どうなるかしら」
「和歌会の場所は温室も使うからいいにしても」
 トートーは温室なら咲くというのです。
「学園の他の場所の桜は大丈夫?」
「日本の童話には花咲か爺さんがあるから」
 ガブガブは童話をお話に出しました。
「咲くんじゃないの?」
「あれは昔のお話よ」
 ダブダブはすぐにそのガブガブに注意しました。
「だから今は花咲か爺さんはいないわよ」
「桜が咲くのが遅れたら」
 チーチーは腕を組んで言いました。
「日本の人達は残念がるからね」
「そこが問題なのよね」
 ポリネシアも言います。
「日本の人達にとっては」
「桜をいつもの時に観たい」 
 ホワイティもこのことはよくわかっています。
「ありきたりだけれど切実な願いだよね」
「うん、日本の人達にとってはね」 
 ジップはホワイティに応えました。
「春には欠かせない願いだね」
「さもないと春じゃないってね」 
 最後に老馬が言いました。
「そこまでのものだね」
「そうなんだよね、ここまで寒いと」
 先生はお茶を飲みながら窓の外の雪を見て思うのでした。
「本当にね」
「桜が心配だよね」
「お鍋が美味しいにしても」
「まだ冬の感じでね」
「どうにも」
「うん、ただ春雪は」
 この言葉はといいますと。
「奇麗な言葉だよね」
「うん、そうだよね」
「その言葉自体はいい言葉だよね」
「奇麗でね」
「かなりいい言葉だね」
「そうだね、確かに春の雪は困るけれど」
 それでもというのです。
「奇麗な言葉だね」
「日本語独特のね」
「奇麗な響きの言葉だね」
「結構以上にいいよね」
「流石日本語っていうか」
「見事だね」
「日本語の奇麗さ、美しさはね」
 まさにというのです。
「漢字と平仮名が合わさっていてそれ自体がね」
「それ自体?」
「それ自体っていうと?」
「どうだっていうの?」
「詩、和歌だね」
 これになるというのです。
「そうだと思ったよ」
「ああ、和歌だね」
「日本語のそうした言葉自体がなんだね」
「和歌になっている」
「そうなんだね」
「あの美しさは日本語自体にあるんだね」 
 和歌のそれはというのです。
「ただ和歌にだけあるんじゃないんだよ」
「そうなんだね、春雪ね」
「確かに奇麗な言葉だね」
「春の雪って困るけれど」
「言葉としては奇麗だね」
「いい言葉だね」
「英語や他の言葉とはまた違った」
 先生は言いました。
「独特の雅というかね」
「そうした奇麗さがね」
「あるっていうんだね」
「日本語そのものに」
「先生はそう言うんだね」
「うん、聞いていたら」
 日本語はというのです。
「そう思ったし感じたよ」
「この雪を見ていたら」
「四月なのに降ってるけれど」
「それでもだね」
「奇麗だっていうんだね」
「そうなんだね」
「うん、この春の雪を見て」
 先生は今も見ています、そのうえでのお言葉です。
「さらっと和歌が出来たら」
「それはだね」
「もう歌人だね」
「そうなるんだね」
「残念だけれどここでさらりとはね」
 先生は少し苦笑いにもなりました。
「出ないね、僕は」
「ううん、それでもだね」
「日本の歌人になるとだね」
「その和歌がさらっと出る」
「この春の雪を見ていて」
「そうだろうね、特にね」
 先生は皆にさらに言いました。
「ここから凄いのはね」
「凄い?」
「凄いっていうと?」
「恋を詠うんだよね」 
 この春の雪を見てというのです。
「儚さや悲しさを込めて」
「あっ、そうだよね」
「日本の和歌ってそうだよね」
「さらっと入れるよね」
「季節の中に恋もね」
「それで感慨を深めるんだよね」
「それがまた凄いんだよ、源氏物語や伊勢物語だけでなく」
 そうした物語に止まらずというのです。
「五七五七七のその短い中にね」
「季節に恋も入れて」
「そして一つの世界にする」
「それがまた凄いんだね」
「日本の和歌にあるものは」
「そうだっていうんだ」
「うん、僕に出来るかな」
 不安にも思うのでした。
「和歌の中に恋まで入れれるかな」
「難しいっていうんだ」
「先生にとっては」
「どうにも」
「うん、どうだろうね」
 先生は降り続ける雪を観つつ思うのでした、そしてお昼御飯の時にお外に出てみるとでした。
 梅や桃の下が雪で真っ白になっていてです、花々にも雪がかかっています。その花と雪の景色を見てです。
 先生はまたこの奇麗さに思うのでした、ですがその先生にふと通り掛かった学生さん達がお声をかけました。
「先生どうされたんですか?」
「何かありましたか?」
「梅や桃に何か」
「雪にでしょうか」
「奇麗だって思ってね」
 それでとです、先生は学生さん達に答えました。
「見ていたんだ」
「ああ、だからですか」
「じっと見ておられたんですか」
「そうなんですね」
「うん、花と雪のこの組み合わせはね」 
 本当にというのです。
「和歌だね」
「あっ、今度和歌会しますけれど」
「先生もですね」
「参加されるんですね」
「そうですね」
「そのつもりだけれど」
 先生は学生さん達に笑顔で言いました。
「この景色を歌に再現出来るかな」
「そう思うとですか」
「景色に見惚れるにしても」
「歌を作られるか」
「そう思ってですか」
「不安になるね」
 どうしてもというのです。
「この景色を果たして和歌に出来るか」
「ううん、もうそれはですね」
「やってみるしかないんじゃ」
「和歌、まあ詩ってそうですよね」
「作ってみる」
「それしかないですからね」
「出来不出来は気にしないで」
 学生さん達は先生にこうも言いました。
「まずやってみる」
「作ってみることでえすよ」
「あれこれ不安に思っていても」
「そうするしかないですよ」
「結局はそうなんだね、和歌もかなり読んできたけれど」
 先生も皆に応えて言います。
「読むと詠むは違うからね」
「そこでちゃんと日本語が出る位ならです」
「充分ですよ」
「先生日本語の読みも見事ですから」
「ですから」
 それでというのです。
「安心していいですよ」
「もう五七五七七に入れることですから」
「季語は絶対で」
「そして自分の気持ちを詠う」
「それが和歌ですからね」
「あっ、恋を詠わなくてもね」
 先生は学生さん達の言葉であらためて気付きました。
「別にいいんだ」
「そうでもない歌もありますよ」
「和歌て幅広いですから」
「確かに恋を詠ったもの多いですけれど」
「想いを詠うもので」
「恋じゃなくてもいいです」
「今上陛下もです」
 この方のお名前のことにも言及されました。
「平和へのお気持ちを詠われますけれど」
「恋を詠ったものとばかりではないですよ」
「皇室の方々は和歌も詠われますけれど」
「そればかりではないです」
「そうだったね、いや勘違いしていたよ」
 先生もこう言うのでした。
「君達に言われてね」
「そうですか、ではですね」
「今の僕達の言葉で、ですか」
「先生もですね」
「思い込んでいたね」
 こう言うのでした。
「思い込みはよくないし」
「はい、そうしたものは駄目ですよね」
「偏見とかも」
「そうしたことは極力ない様にして」
「それで学問を進めていくべきですね」
「うん、思い込んだらね」
 先生がいつも自戒していることでもあります、思い込みや偏見は学問を曇らせてしまうということをわかっているからです。
「駄目だね、恋愛でなくてもいいんだね」
「和歌で詠うのは」
「辞世の句も和歌ですしね」
「日本じゃよくありますし」
「戦の前にも詠っていましたね」
「そう、戦国時代でもね」
 先生は学生さん達に応えて言いました。
「戦の前に連歌会をしたりしたね」
「はい、そうです」
「そうすると勝つって言われていました」
「勝ち栗、打ち鮑、昆布とかを食べてです」
「そういうこともして戦っていました」
「雅だね」
 先生は日本のそうしたならわしについても思うのでした。
「戦も観戦出来たね」
「はい、関ヶ原とかですね」
「それが出来ましたね」
「日本じゃ戦は見られました」
「民百姓も離れた場所からです」
「戦を見物出来て」
「兵達に襲われたりしませんでした」
 学生さん達もそのことをお話しました。
「戦を見物していましても」
「それでもでした」
「欧州や中国、アメリカとかだとね」 
 こうした国々の戦争はといいますと。
「もう本当に物騒でね」
「見物なんてとてもですよね」
「何時襲われるかわからなくて」
「逃げるだけでしたね」
「そうでしたね」
「もう軍が来ただけでね」
 それこそというのです。
「逃げないと大変だったよ」
「そうですね」
「そこは全く違いますね」
「戦争をするにしても」
「それでも」
「戦の前に和歌を吟ずるとかね」
 それこそです。
「なかったからね」
「だから日本は戦もですか」
「雅なものがあるんですね」
「そう言われるんですね」
「民衆の人達にあまり被害がないしね」 
 とかくこのことが素晴らしいというのです。
「いいと思うよ」
「そうですか」
「そうしたことも先生は素晴らしいと思われてますか」
「戦う前にも歌がある」
「このことが」
「イスラムや古代ギリシアにも通ずるかな」 
 先生は幻想的なものも脳裏に浮かべました、アラビアンナイトやギリシア神話で詠われている世界です。
「そうした殺伐な中にもね」
「雅がある、ですね」
「それがいいんですね」
「日本もまた」
「そうですか」
「うん、今日は有り難う」
 先生は学生さん達ににこりと笑って言いました。
「皆に大事なことを教えてもらったよ」
「いやいや、教えてもらったとかです」
「大層ですよ」
「ただお話しただけです」
「むしろ僕達の方が先生に教えてもらってます」
「それも何かと」
 医学に止まらないのが先生なので、です。医学部の学生さん達以外も教えてもらっているのです。
 だからです、学生さん達も言うのです。
「そんなこと言われると恐縮です」
「ですからそうしたことはちょっと」
「言われると困ります」
「僕達にしましても」
「そうなんだ、けれど本当に僕もわかったよ」
 和歌のそうしたこともというのです。
「よくね」
「それじゃあ和歌会もですか」
「今日のことをですね」
「活かされてそして」
「詠われますか」
「そうするよ、そしてね」
 そのうえでというのです。
「楽しませてもらうよ」
「和歌もですか」
「それじゃあですね」
「和歌会の時は満開の桜を前にして」
「それで詠われますか」
「そうさせてもらうよ、まだ寒いけれどね」 
 雪は今は止んでいます、ですが先程まで降っていて積もってもいます。そうした状況だからやっぱり寒いです。
「桜はいつもの頃に咲いて欲しいね」
「遅れるとやっぱり」
「残念ですからね」
「いつも通り咲いて欲しいですね」
「今年も」
「そう思うよ、何か今年は春になっても寒いしね」
 三月も寒いですしこの四月もです。
「だからね」
「もっと暖かくなって欲しいですよね」
「今は本当に寒くて困ります」
「雪まで降って」
「景色はいいですけれど」
「奇麗で和歌にも詠えるだろうけれど」
 それでもとです、また言う先生でした。
「どうもね」
「景色はいいですけれど何とかですね」
「暖かくなって欲しいですね」
「そしてそのうえで、ですね」
「桜もですね」
「咲いて欲しいよ」
 先生は学生さん達にも心から言いました、そのうえでお昼御飯を食べてそうしてなのでした。
 また研究室に戻ってそうして論文を書くのですが。
 その先生にです、動物の皆が声をかけてきました。
「さっきのお話はよかったね」
「僕達も聞いていて勉強になったよ」
「いや、雅だね」
「日本のそうしたことって」
「戦の前にも和歌を詠ったりして」
「そして恋だけでもないんだね」
「和歌は広い世界だね」
 先生はあらためて和歌の在り方を思うのでした。
「そして様々な時に謡われるんだね」
「辞世の句っていうと」
 ポリネシアが先生に言ってきました。
「時代劇でもあるよね」
「忠臣蔵とかね」
 ダブダブはこのお話を思い出しました。
「浅野内匠頭さんが詠ったりして」
「他にも辞世の句を残してる人がいて」
 今度はホワイティが言います。
「それは和歌なんだよね」
「その自省の句も奇麗だね」
「そうよね」
 チープサイドの家族もお話します。
「悲しいけれどそこに想いもあって」
「季節まで詠ったりしてね」
「最期は潔く美しく散る」
 チーチーはまず武士道を思いました。
「だからかな」
「武士道だけじゃないかもね」
「お坊さんやお公家さんも辞世の句は悲しいけれど奇麗だね」
 オシツオサレツは二つの頭で考えて言います。
「日本人が詠う和歌による辞世の句ってね」
「そんなのだよね」
「桜だね」
 トートーはこのお花を思うのでした、これから咲いて欲しいと皆が願うこのお花を。
「悲しいけれど奇麗な最期って」
「あっ、確かにそうだね」
 ガブガブはトートーの言葉に頷きました。
「それって桜だね」
「だから和歌も桜をよく詠うんだね」
 ジップはこう思いました。
「日本人の死への考えが桜みたいだから」
「だからにっぴん人は桜が散ると悲しく思う」 
 最後に老馬が言いました。
「そういうことなんだね」
「そうだね、皆が言うことも正しいね」
 先生は皆に応えて言いました。
「とはいっても何が間違いとかじゃないけれどね」
「正しいことのうちの一つだね」
「和歌についての」
「そういうことね」
「そうだよ、正しいことは一つか」
 それはといいますと。
「そうとは限らない場合も多いんだ」
「和歌もだね」
「そういうことなんだね」
「何か正解はいつも一つだって言う人もいるけれど」
「そうとは限らない」
「そういうものなのね」
「学問によっては違うよ、同じ和歌を詠んでも人によって受け取り方も違うしね」
 そうしたこともあるというのです。
「だからね」
「僕達が言ったことも間違いじゃない」
「正しいことのうちの一つ」
「そういうことね」
「そうだよ、正解は一つの場合も複数の場合もある」 
 先生はまた言いました。
「皆もこのことはわかっておいてね」
「うん、わかったよ」
「時と場合によって正解は幾つもだったりする」
「そのことを覚えるのも大事」
「いや、哲学だね」
「うん、哲学になるね」
 この正しいことが幾つもある場合もあることはというのです。
「確かにね」
「先生哲学も詳しいし」
「哲学の博士号も持ってるしね」
「この前も論文書いていたし」
「キルケゴールとかいう人についての論文だったかしら」
「そうだよ、デンマークの哲学者で」
 そのキルケゴールという人はです。
「凄く悩んで苦しんでね」
「そして哲学を進めていった」
「そうした人だったんだ」
「そしてその人についての論文を書いたんだ」
「そうだったの」
「キルケゴールの本は読んできたよ」
 先生もです、見れば書斎にあれかこれかという本がありますが日本語で書かれているものです。
「英語でもね」
「ああ、英語だね」
「デンマークの人だったけれど」
「英語の本を読んだの」
「デンマークの原語のも読んだよ」
 先生はデンマーク語も読み書きが出来るからです。
「そちらもね」
「それで論文も書いたの」
「先生いつも何かしらの論文書いてるけれどね」
「今回も書いて」
「それで発表したのね」
「うん、キルケゴールについて書けたことはね」
 先生はにこりとして言いました。
「僕も嬉しかったよ、実は僕は哲学もまた神と共にあると思っているんだ」
「あれっ、神は死んだんじゃないの?」
「哲学においては」
「そう言ってるんじゃ」
「違うの?それは」
「そうしたことを言う哲学者もいるけれどね」
 それでもというのです。
「僕はそう考えているんだ、何しろね」
「何しろっていうと」
「どうなの?」
「神は死んだっていう人がいても」
「先生は哲学もまた神と共にあるって考えてるのは」
「それはどうしなのかしら」
「何故なら哲学もまた神学、日本でも仏教の考えから派生しているからね」
 神仏についての学問からだというのです。
「そこから考えてそしてね」
「生まれた学問だからなんだ」
「じゃあ神様が人を哲学を生み出す様に導いたんだね」
「神学から」
「そうなんだね」
「うん、中国の思想もね」
 そちらの哲学もというのです。
「道教の神や祖先の霊も考えているしね」
「老荘思想だよね」
「儒学は修身だしね」
「老荘思想は道教だよね」
「そちらだよね」
「道教は老荘思想が源流の一つでね」
 先生は皆に中国の思想のお話もします。
「その中には中国の昔の神々のことが結構書かれているんだ」
「確か老子や荘子だよね」
「他にも本があったけれど」
「そうした本にもなんだ」
「しっかりと書かれてるんだ」
「そうなのね」
「そうだよ、神が人に人生や思想、世界について考える楽しみに導いてくれたのがね」
 まさにそれがというのです。
「哲学なんだよ」
「じゃあ神は死んだっていうけれど」
「あの考えは?」
「あれはキリスト教の否定であってね」 
 そちらの神様だというのです。
「北欧の神様へ戻ろうという一面があったとも言われているね」
「そう言った人はなんだ」
「神様の存在自体を否定していなかったんだ」
「神は死んだと言っても」
「キリスト教の神様だね」
「うん、ニーチェという人が言ったけれどね」
 この神は死んだという言葉をです。
「それを無神論と言うのはちょっと違うかもね」
「神様をキリスト教の神様と考えると」
「そこで勘違いする言葉なのね」
「いや、そうしたものなんだ」
「成程」
「僕はこう考えているんだ、哲学もね」
 先生はさらにお話しました。
「解釈次第だからね」
「それで大きく変わるんだね」
「本当に何かと」
「これこそ正解は一つじゃない」
「そうした学問なんだね
「そう、ただ数学とかはね」 
 こうした学問はといいますと。
「正解は一つだよ、その一つの正解を目指して楽しむんだ」
「哲学も楽しくて数学も楽しい」
「文系も理系もだね」
「どっちも楽しい学問なんだね」
「そうなのね」
「うん、何か日本の作家さんでやけに理系が嫌いな人がいるけれど」
 この作家さんはといいますと。
「どうかと思うよ」
「文系も理系も必要だよね」
「どちらも欠かせなくて」
「それで楽しむもの」
「先生はそう考えてるんだね」
「うん、何かその作家さんはおかしいね」 
 その理系を異様に嫌う作家さんはです。
「もっと普通にね」
「理系の学問もだね」
「ちゃんと認めたらいいんだね」
「そんな妙に嫌わなくても」
「そうなんだね」
「うん、何かと日本も嫌いみたいだし」
 日本に生まれて住んでいる人なのにというのです。
「おかしな人だよ」
「その人日本にいるのよね」
「それで日本が嫌いなのね」
「作品でも色々書いて」
「日本の悪口も書いているんだ」
「どうもこうした人が稀にいるんだ」
 日本に生まれ住んでいるのに日本の悪口ばかり言って書いている人がです。
「その作家さんに国際的ジャーナリストっていう人も」
「じゃあ日本から出ればいいのに」
「そんなに日本が嫌いなら」
「どうしてそうしないの?」
「日本にいて日本の悪口ばかり言うってね」
「それはおかしいわ」
「どうにもね」
 動物の皆も言います、そして論文を凄い速さで書いている先生に対してこうしたことを言ったのでした。
「先生は日本にいてもイギリスの悪口言わないのに」
「イギリスにいた時からね」
「紅茶や食べものは日本の方が美味しいっていうけれど」
「それ以外はね」
「残念だけれど我が国は食べものだけはね」
 先生も苦笑いで言うしかありません。
「駄目だからね」
「美味しくないってね」
「世界的に有名だから」
「とにかく評判悪いし」
「紅茶まで日本の方が美味しいってね」
「ちょっとないから」
「お水が違うから」
 先生は日本の紅茶の美味しさをそこに見ています。
「まずね」
「そうそう、お水ね」
「日本のお水って世界的に見てもいいし」
「イギリスはそもそもお水が悪いから」
「だからね」
「お茶の味はね」
「しかも日本人の凝り性が出てね」 
 ただお水がいいだけでなく、です。
「葉もいいからね」
「そうよね、そのこともあるのよね」
「日本人って凄い凝り性」
「凝り性過ぎてね」
「葉までいい」
「煎れ方も凝るしね」
「だから紅茶も美味しいんだ」
 日本ではです。
「イギリス料理にしてもね」
「日本で作って食べた方が美味しいんだよね」
「僕達から見てもそうだし」
「実際に食べてみてわかったよ」
「日本で食べるイギリス料理は美味しい」
「それもかなり」
「食材もいいんだね、というか我がイギリスの食への造詣のなさはね」
 苦笑いで項垂れるしかありません、先生も。
「残念なことだよ」
「世界に誇れるものが数えきれないだけあるのに」
「食べものだけはそうじゃないからね」
「このことからも哲学になるかも」
「ひょっとしたら」
「悪い奥さんを持つと哲学者になるというね」
 先生はこうしたお話もしました。
「ソクラテスという人が言っていたよ」
「ああ、ギリシアの」
「古代ギリシアの哲学者ね」
「その人の言葉よね」
「そうだよ、この人の奥さんはとかくガミガミした人で」
 そうした意味での悪妻で、です。
「ソクラテスはそうした奥さんを持ったからね」
「哲学者になったんだ」
「ご本人が言うには」
「そうだったんだ」
「そう言っていたね、そしてソクラテスはこうも言っていたよ」
 その言葉はといいますと。
「いい奥さんを持ったら幸せになれるってね」
「あっ、じゃあ先生はね」
「幸せになれるね」
「先生が気付いたらそれでね」
「もっと幸せになれるね」
「その幸せになれるっていうのがね」
 先生としてはです。
「よくわかないよ、皆いつも言うけれど」
「そう、それが先生だから」
「僕達も困ってるんだよね」
「幸せはすぐ傍にある」
「しかも幸せに最高はない」
 今度は皆が哲学者になりました。
「人はいいけれど鈍感な先生を持つと哲学者になるのかも」
「それが私達ね」
「全く、先生は鈍感なんだから」
「物凄くいい人なのに」
「ここはどうしたものかしら」
「本当に困るわ」
「どうにも」
 皆で言いますがそれでも気付かないのが先生です、それで皆はやれやれといったお顔で先生に言うのでした。
「まあ何時かはね」
「先生が気付いたらね」
「頑張ってね」
「その時はもう一気だから」
「幸せになれるから」
「そうなってね」
「うん、僕にしても」
 そうしてというのです。
「もっと幸せになれるならなりたいね」
「うん、その為に気付いてね」
「是非共ね」
「僕達も応援してるから」
「そうしてるから」
「何とかね」
「自分でも気付いてくれたら」
 本当に有り難いというのです。
「そうしてね」
「というかこういうこと以前にも何度もあったね」
「絶対にね」
「いつも思うけれど」
「先生の人生においてね」
「僕の人生って。まあ色々あるけれど」 
 先生ご自身が言いますに。
「何度もあったこと?ピンチは多いね」
「うん、そういうのはあるよね」
「これまで色々なピンチがあったね」
「赤毛のアンみたいに色々あったわ」
「けれどそれでもね」
「ピンチじゃないから」
「いいことに気付かなかったのよ」
「というと」
 いいことはとはです、先生は皆にさらに尋ねました。
「何なのかな」
「だからそこは考えてね」
「学問は自分で気付くのは一番いいんでしょ」
「そうでしょ」
「それはね」
 その通りだとです、先生も頷きます。
「そうだけれど、何を気付くのかな」
「いや、それはね」
「それが何かに気付くことも大事だよね」
「学問はそうでしょ」
「勘も必要だよね」
「そう、僕は勘は鈍いけれどね」
 才気煥発かというと先生は決してそうではありません、そうしたところは鈍いのが先生です。
「けれどね」
「隅から隅まで読んで観てだよね」
「調べて気付くんだよね」
「それが先生の学問だね」
「それじゃあだよ」
「気付くことなんだね、今回も」 
 先生はどうにもわからないまま応えました。
「そういうことだね」
「そうそう、気付く為の努力もしてね」
「頼むから」
「先生が一番不得意なことにしても」
「そうしたこともね」
 頑張って欲しいというのです、皆はこう言うのですが。
 先生が気付くのは何時になるのか、皆もそれはかなり先のことだろうとわかっていました、それで先生にこうも言いました。
「けれど気長にね」
「気長にいこうね」
「他にもやること多いし」
「何かとね」
「それはわかってるよ、この論文も書いて」
 そしてというのです。
「そして和歌もね」
「そうそう、和歌会もあるし」
「先生のやることは多いよ」
「だからそっちも頑張ってね」
「何でもね」
「そうするよ、ただ和歌をやるのもいいけれど」
 先生は皆にこうも言いました。
「一つ思うことはね」
「一つ?」
「一つっていうと?」
「英語の詩も書いてみようかな」
 こうも言ったのでした、先生はここでお国の言葉もというのでした。



鍋か。
美姫 「良いわね」
寒い日は特にな。
美姫 「締めがまた良いのよね」
だな。もうすぐ和歌会かな。
美姫 「先生はどんな歌を詠むのかしら」
次回も待っています。
美姫 「待っていますね」



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