『ドリトル先生の水族館』




                 第十一幕  ダイオウグソクムシ

 遂にです、この日が来てでした。研究室に遊びに来ていた王子はトミーと一緒にこれから動物の皆と一緒に診察に向かう先生に尋ねました。
「先生、緊張してる?」
「少しね」
 今日はお抹茶を飲みながらです、先生は王子に答えました。
「やっぱりね」
「少しなんだ」
「実は緊張よりもね」
 この感情以上にというのです。
「楽しみなんだ」
「これからの診察が」
「謎に触れられるからね」 
 だからだというのです。
「凄く楽しみにしてるんだよ」
「どうして何年も食べなくて平気なのか」
「そのことを知ることが出来るかも知れないからね」
「成程ね、だから緊張していても」
「楽しみなんだ」
 この感情の方が大きいというのです。
「それもかなりね」
「そういえば先生のお顔は」
 トミーは先生にお菓子を出しました、今日のお菓子は和風の三段セットです。上には和風の桃色のマシュマロ、真ん中には和風の中に枇杷が入っている透明のゼリー、下には褐色のお饅頭といったものです。
「とてもにこにことしてますよ」
「あっ、そうなんだ」
「本当に楽しみなんですね」
「実際にね」
 その通りと答えた先生でした。
「今か今かって気持ちだよ」
「じゃあ飛んでいきたいですか」
「グソクムシ君のところにね」
 是非にというのです。
「行きたいよ」
「そうなんですね」
「けれど焦っては駄目だから」
 決して焦らない、先生の信条の一つです。
「だからね」
「ここは、ですね」
「うん、まずはお茶を飲んでね」
「このティーセットを食べてですね」
「行くよ」
 これが先生の今のお考えでした。
「落ち着いて食べてね」
「いつも通りですね」
「何があってもティータイムは忘れない」
 今日は日本のものですがお茶であることは同じです。
「その余裕があってこそだよ」
「物事は上手くいきますね」
「僕はそうl思ってるからね」
 だからこそというのです。
「まずはね」
「はい、お抹茶を楽しんで下さい」
「そうさせてもらうよ」
「それにしてもね」
 王子もお抹茶を飲んでいます、勿論トミーもです。王子はその奇麗な緑色のお茶を飲みながらこう言ったのです。
「このお茶最初飲んだ時はね」
「苦くてだね」
「びっくりしたよ、何だって思ったよ」
「お抹茶の苦さは独特だからね」
「紅茶なんかと比べものにならない位にね」
 イギリスで飲まれているそれよりもです。
「だからびっくりしたよ、けれどね」
「今はどうかな」
「こうして普通に飲んでるよ」
 それが今の王子でした。
「こうしてね」
「そういうことだね」
「うん、慣れるとね」
 その苦い筈のお抹茶がというのです。
「美味しいよね」
「これがお抹茶なんだね」
「日本のお茶だね」
「日本にはかなりの種類のお茶があるけれど」
 それでもともお話した先生でした。
「茶道で使うお茶はこれだよ」
「このお抹茶だね」
「千利休さんも飲んでたね」
「それだね、じゃあ利休さんもだね」
「うん、このお茶をね」
 まさにというのです。
「煎れて飲んでいたんだよ」
「そうなんだね」
「日本では大体利休さんの頃からお茶が普及しだしたんだ」
「それまではお水ばかりだったんだね」
「そうだよ、けれどその頃から皆お茶の葉を植えだしてね」
 そうしてというのです。
「飲む様になったんだ」
「それまでは凄く高かったんだよね」
「それで飲める人も限られていたんだ」
「けれどそれがなんだ」
「そう、利休さんの頃からね」
 時代で言うと戦国時代の終わりか安土桃山時代、その頃です。
「皆飲める様になったんだ」
「じゃあ日本でもお茶が飲める様になったのは比較的新しい時代ですね」
 トミーは先生のお話を聞いてこう言いました。
「イギリスよりも古いですけれど」
「そうだよ、中国では五代にお茶が大好きな王様が出てその人から流行りだして」
 そしてというのです。
「少し時間をかけて皆が飲む様になったんだ」
「中国がお茶のはじまりの気がしますけれど」
「あの国でもなんだ」
「皆が飲む様になったのは新しいんですね」
「比較的ね」
「昔から皆が飲んでいるものじゃなかったんですね」
「栽培されていなかったからね」 
 広くです。
「だからそれは仕方ないよ」
「そういうことですね」
「そうだよ、けれど僕もね」
「先生もですね」
「お茶がないと駄目だよ」
 笑って言う先生でした。
「毎日何時でも飲めないとね」
「駄目ですよね
「コーヒーはあまりで」
「飲むのならですね」
「お茶だよ」
 やっぱりこれが第一だというのです。
「何といってもね」
「お抹茶にしてもですね」
「そうだよ、お茶じゃないとね」
 先生は、なのです。
「駄目なんだよね」
「毎日いつも飲まないと」
「元気が出ないよね」
「だからね」
 それで、と言う先生でした。
「今も飲むよ」
「お茶を飲んでからだね」
「診察に行くよ」
 こう言うのでした。
「ダイオウグソクムシ君へのね」
「お茶を飲んでリラックスして」
「そうしてね、やっぱりお茶を飲む余裕がないと」 
「ことは上手いかないものだね」
「そうだよ、余裕なくしても」
「気持ちのうえでもね」
「勿論時間的にも物質的にもね」
 お金の場合もというのは言うまでもありません。
「余裕がないとね」
「そうだよね、特に気持ち的にね」
「いつもお茶を楽しめるだけの余裕が欲しいね」
「先生としては」
「うん、だからね」
「今もだね」
「こうしてお茶を飲んで」
 お抹茶をにこにことしながら飲んでいます、とても美味しいそれを。
「それからだよ」
「診察だね」
「急患の人にはすぐに向かうけれど」
「そうでないとね」
「こうして飲んでからでいいと思うよ」
「先生はイギリスにおられる時からですよね」
 トミーも先生に言います。
「ティータイムは欠かさないですね」
「それがないとどうしてもね」
「力が出ないですよね」
「調子もね」
「ですから」
「こうして飲むんだ、ただ昔は紅茶だけだったよ」
 ティータイムの時に飲むものはというのです、
「イギリスにいる間はね」
「日本に来られてから変わりましたね」
「こうしてお抹茶を飲んだりね」
「そう、それにね」
 しかもというのです。
「烏龍茶やレモンティーもね」
「ティータイムに飲まれる様になりましたね」
「セットもだよ」
 お茶に欠かせないそちらもなのです。
「和風やアメリカ風にね」
「中華風もですね」
「楽しむ様になったよ、他にはね」 
 さらになのです。
「ロシア風もいいね」
「ロシアンティーとロシアのお菓子でのティーセットですね」
「あれもいいね」
 先生は日本に来てからこちらも楽しむ様になったのです。イギリスのティーセットだけを楽しむ様にはなっていなくなっているのです。
「とてもね」
「ジャムを舐めながら飲むあれだね」
 王子はロシアンティーと聞いてこう言いました。
「ジャムを紅茶の中に入れるんじゃなくて」
「そう、飲みながらね」
「舐めるんだね、そこが違うね」
「また違うよ、そこはね」
 こう言うのでした。
「日本では勘違いされてたけれどね」
「ロシアンティーはジャムを入れて飲む」
「そう思われていたんだ」
「そうした誤解って結構あるよね」
「どの国でもね」
「実は違うってことが」
 ロシアンティーにしてもというのです。
「あるね」
「まあその飲み方でも美味しいけれどね」
 紅茶の中にジャムを入れて飲む日本人が勘違いしていたロシアンティーの飲み方もまた、というのです。
「あちらも」
「うん、実はあれもね」
「美味しいことは美味しいよね」
「日本人の勘違いだけれど」
 それでもというのです。
「それでも美味しいものは美味しいね」
「そうなんだよね」 
 こうしたこともお話してでした、先生はお抹茶と和菓子達を楽しんでです。そうしてから動物の皆と一緒に水族館に向かいました。
 行き先はもう決まっています、それで。
 ジップは水族館の中を意気軒昂に進む先生のお顔を見てです、こう言いました。
「いよいよだね」
「うん、今からね」
「ダイオウグソクムシさんの診察だね」
「その時が来たよ」 
 先生自身もこう言います。
「本当にね」
「そうだね、待ちに待ったね」
「これからその時なんだ」
「じゃあ先生」
 次に先生に言ったのはチーチーでした。
「グソクムシさんと何かとお話するんだね」
「そのつもりだよ」
「それで特に」
「何といってもね」
「食べなくて大丈夫なのか」
「このことは本当にね」
 先生としてもというのです。
「聞かずにはいられないよ」
「一食抜くだけでも目が回って動けなくなるのに」
 ホワイティは小さいですが彼なりにお腹一杯食べないと駄目なのでこう言うのです、
「何年もだからね」
「それが気になるからね」
「だから先生もだよね」
「最近毎日彼のお話をしてるけれど」
 そのダイオウグソクムシさんのです。
「不思議で仕方ないからね」
「それがどうしてかわかるといいわね」
 ポリネシアも先生に言ってきました。
「今日の診察で」
「そうだね、それがどうしてか」
「実際にお話してわかればいいわね」
「うん、ただね」
「グソクムシさんは無口っていうから」
「お話してくれるかな」
 トートーもこのことが気になっています。
「果たして」
「流石に診察だからね」
「お話はしてくれるかな」
「さもないとどうしようもないからね」 
 だからというのです、先生は。
「きっと何か話してくれると思うよ」
「全然喋らないと困るのよね」
 ダブダブはそうした生きもの、人もこの場合はあてはまります。その人達についても先生にお話したのでした。
「そうした場合が」
「うん、話し掛けても無反応な人も生きものもいるね」
「面白くなさそうな顔で」
「そうだったらわからないかもね」
 相手が何もお話しないからです。
「苦しいよ」
「僕みたいにお喋りの方がいいよね」
 ガブガブは今もいつもの調子です。
「いつもぶすっとしてるより」
「僕もそう思うよ」
「そうそう、こうして何でも明るく言わないとね」
「そういえば深海生物って」
「あまり、ね」
 チープサイドの夫婦はあることに気付きました。これまでの診察から。
「お話しない?」
「私達に比べて」
「アンコウさんやツノモチダコさんは結構お喋りしてたけれど」
「全体的にね」
「やっぱり深い場所にいるからかな」
 先生はその理由をこのことからお話しました。
「深くて暗い場所だからね」
「深海って言う位だから」
「そうなるかな」
 オシツオサレツも前後の二つの頭から言うのでした。
「深くて暗い場所にずっといるから」
「お話とかしなくなるのかな」
「一匹でいることも多いし」
「深海生物って集まって行動しないしね」
「うん、群れる種類は殆どいないね」
 実際にと言った先生でした。
「食べるものが少ないせいで」
「だからなんだね」
 最後に言ったのは老馬でした。
「口数も少なくなるんだね」
「一匹でいることが多いからね」
「そうした状況にいつもいるから」
「深海は本当に独特の世界だよ」
 またこうしたことを言った先生でした。
「群れを為す生きものも殆どいないんだ」
「暗くて重くて」
「そして変わった形の生きものが多い」
「神秘っていうのかな」
「そうした世界なんだね」
「不気味という人もいるよ」
 その深海は、というのです。
「生きものの形も他の世界と違うからね」
「だからなんだ」
「不気味って言う人もいるんだ」
「不思議じゃなくて」
「不気味だって」
「そうした人もいるよ」
 実際にとです、先生は皆にお話します。
「深海はそうした世界だってね」
「言われてみればね」
「そうかも知れないわね」
「実際に光は差し込まないし」
「生きものの種類も数もどうしても少なくて」
「その生きものの形も独特で」
「行き来も難しいから」
 皆も先生のお話を聞いて言うのでした。
「不気味って言う人がいても」
「それでもね」
「当然って言えば当然かしら」
「人の感じ方はそれぞれだしね」
「僕にとっては不思議で神秘的な世界だけれどね」 
 先生は深海にそうしたものを感じています、そしてそれはお顔にも出ています。
「違う人もいるよ」
「どうしても」
「そうなんだね」
「感じ方は人それぞれ」
「そういうことだね」
「そういうことだね、じゃあ行こう」
 先生はその穏やかな目を今はきらきらとさせて言いました。
「その深海の中でも一番不思議で神秘的な彼のところに」
「ダイオウグソクムシさんんのところに」
「今から」
 皆も応えてでした、そのうえで。 
 皆は先生と一緒にダイオウグソクムシさんのところに来ました、グソクムシさんは自分のコーナーのところにいますが。
 動かないです、皆は白くてダンゴムシを大きくした様なその姿のままじっとしています。そのグソクムシさんを見てです。
 動物の皆は一様にです、グソクムシさんを見つつ先生に尋ねました。
「これがあの」
「ダイオウグソクムシさんだね」
「何年も食べないっていう」
「それでこの水族館でも何年も食べていない」
「今日も何も食べていない」
「彼がだね」
「そうだよ」
 その通りとです、先生は皆に答えました。
「彼がね」
「ダイオウグソクムシさんだね」
「そうだよ、じゃあ今から彼の診察をはじめるよ」 
 皆にこうも言ってでした、そうして。
 先生はです、グソクムシさんに尋ねました。
「いいかな」
「ドリトル先生か」
 グソクムシさんは低く落ち着いた渋い声で先生に応えました。
「そうだな」
「うん、そうだよ」
「診察で来たか」
「そうなんだ、診ていいかな」
「好きにしろ」
 これがグソクムシさんの返事でした。
「先生のな」
「それじゃあね」
「しかしだ」
「しかし?」
「何故俺の言葉を知っている」 
 グソクムシさんは先生に尋ねました、自分から。
「誰に聞いた」
「アンコウさんのご主人からだよ」
「それでか」
「言葉を知っていたら駄目だったかな」
「いい」
 別に、と答えたグソクムシさんでした。
「別にな」
「そうなんだ」
「話が出来るならそれに越したことはないしな」
「そう思って教えてもらったんだ」
「そういうことだな、ではだ」
「診察をはじめるよ」
 こうしてでした、先生はグソクムシさんの診察をはじめました。その目でじっくりと診てお身体の調子も聞きました。
 そのうえで、です。こうグソクムシさんに答えました。
「何処も悪くないよ」
「俺は健康か」
「健康そのものだよ」 
 まさにというのです。
「安心していいよ」
「ならこのままでいられるな」
「うん、ただね」 
 ここで、でした。先生はグソクムシさんに尋ねました。
「君のことで聞きたいことがあるけれど」
「食わないことか」
「わかっているんだね、自分で」
「周りが言うからな」 
 何かと、というのです。
「水槽の外からの声はいつも聞いている」
「それで君も知っているんだね」
「俺のついての話はな」
 その何年も食べていないことが話題になっていることをというのです。
「知っている」
「そうなんだね、君も」
「何かとな」
「それじゃあそのことも聞いていいかな」
 あらためて尋ねた先生でした。
「君はどうして何年も食べないのかな」
「食いたくないからだ」
 これがグソクムシさんの返答でした。
「だからだ」
「食欲がないんだ」
「そうだ」
 こう先生に答えるのでした。
「それでだ」
「食べないんだね」
「食わなくても大丈夫だ」
「何年も?」
「俺は餓える体質じゃない」
「それで何年も食べなくても」
「俺は平気だ」
 本当に餓えることはないというのです。
「腹は空いていないし体力もある」
「何年も食べなくても」
「全く以てな」
「そうなんだね、君はそうなんだ」
「これでわかったか」
「君の言葉はね。ただね」
 先生はグソクムシさんにです、今度はこう言いました。
「君の身体の構造はね」
「何故何年も食わないでも大丈夫がか」
「わからないんだ」
「診てもか」
「普通の生きものは何年も食べないと死ぬかっらね」
「そうらしいな」
「プランクトンも食べていないね」
 先生はグソクムシさんにこのことも尋ねました。
「そうだよね」
「俺はそうしたものはな」
「そうだよね」
「それでもだ」
「ううん、じっとしてるからかな」
 見ればグソクムシさんは動きません、本当に。
「君はエネルギーを使わないし」
「食わないでもな」
「何年も大丈夫なんだね」
「エネルギーは身体の中にある」 
 食べなくても、というのです。
「何年か前に食った分がな」
「そういうことだね」
「そうだ」
「わかったよ、君のことが少しね」
「それで満足しないのならな」 
 それならとも言うグソクムシさんでした。
「俺が死んでから俺の身体を調べればいい」
「解剖していいってことかな」
「その通りだ、死んだら魂が俺の身体から出てだ」
 そして、というのです。
「身体は抜け殻に過ぎなくなるからな」
「それでその身体をだね」
「先生達が調べたいならな」
「調べていいんだね」
「所詮抜け殻だからな」
 死んで魂が抜けたその身体はというのです。
「それならいい」
「君がそう言うのならね」
「そうするか」
「水族館の人達に話しておくよ」
「それで何かわかればいいな」
「君のことがね」
「俺にしてみればな」
 こうしたことも言ったグソクムシさんでした。
「俺のことは不思議ではない」
「別にだね」
「俺は俺だ」
 とても達観している言葉でした。
「不思議に思うことはない」
「そう思っているんだね」
「俺自身はな、しかし周りは違うな」
「どうしてもね」
 不思議に思っているとです、先生はそのグソクムシさんに答えました。「
「思っているよ」
「ならだ」
「君が死んでからだね」
「好きに調べればいい」
 そうしても構わないというのです。
「生きているうちは流石に、だがな」
「それはしないよ」
 先生も約束します。
「君が望まないならね」
「俺の意を汲んでくれるか」
「そうさせてもらうよ」
「有り難い。先生はいい人だな」
「そうだといいけれどね」
「ならそうしてもらいたい」 
 また言ったグソクムシさんでした。
「話せることは何でも話すからな」
「じゃあもっとお話をしていいかな」
「それならな」
 グソクムシさんも応えてでした、そのうえで。
 先生はグソクムシさんと何かとお話をしました、そして。
 グソクムシさんの診察とお話を終えてでした、水族館の食堂でお昼御飯を食べました。食べているのはスパゲティミートソースです、オリーブと大蒜が効いていてとても美味しいです。
 皆もお昼を先生の周りで食べています、その中で。
 皆は先生にです、こう言ってきました。
「何かね」
「あまりわらなかったね」
「グソクムシさんのことはね」
「グソクムシさん自身とお話をしたけれど」
「それでもね」
 こう言うのでした。
「何かね」
「あまりだったわね」
「結構お話してくれたけれど」
「あまり愛想がいい感じじゃなかったけれど」
「それでもね」
「あまりね」
「お話してくれなかったけれど」
 それでもというのです。
「先生としてはどうなの?」
「あれでわかったの?」
「先生としては」
「グソクムシさんのことが」
「いや、わかったよ」
 先生は穏やかな声で皆に答えました。
「僕はね」
「そうなんだ」
「先生はわかったんだ」
「どうして何年も食べないか」
「そのことも」
「わかったよ、けれど全部じゃないよ」
 グソクムシさんの全てをわかったかというとです、違うというのです。
「そのことはね」
「全部じゃないんだね」
「グソクムシさんのことは」
「全部はわかっていない」
「そうなんだ」
「ある程度はわかってもね」
 それでもというのです。
「全てがわかるかというと」
「そうでもない」
「違うんだね」
「そこは」
「そうだよ、誰でもその全てを理解出来ないよ」
 こうも言った先生でした。
「その相手をね」
「ううん、じゃあ」
「グソクムシさんのことをもっとわかるにはどうすればいいの?」
「死んだら解剖してみろとも言ってたけれど」
「その時はそうなるのかな」
「多分ね。彼がいいって言ってるしね」
 それでと答えた先生でした。
「その時はね。けれど」
「けれど?」
「けれどっていうと」
「本は一回読んだだけではわからないことも多いよ」 
 ここでこうも言った先生でした。
「物事だって一度見ただけではね」
「わからない」
「そうしたことも多いんだ」
「二度三度と読んで見てね」
 そうしてというのです。
「わかってくるね」
「あっ、そういえば先生も」
「診察をまたしたいって日笠さんにね」
「昨日お願いしてたわね」
「そのこともあってなの」
「そう、皆をまた診察したいんだ」
 一度診察してからというのです。
「是非ね」
「もう一度観て」
「そのうえでなんだね」
「皆の健康を確かめる」
「そうしたいんだね」
「そうなんだ」
「うん、そう考えているよ」
 こう皆にも言います。
「是非ね」
「じゃあまずはね」
「グソクムシさんへの診察が終わったけれど」
「このことについてだけれど」
「どうするの?」
「まず診断結果から言うとね」
 それはといいますと。
「至って良好、何年も食べない理由はね」
「そうそう、そのこと」
「そのことはどうするの?」
「グソクムシさん自身から食べない理由を聞いたけれど」
「聞いたことを書くの?」
「聞いたことを書くけれど」
 それでもと言う先生でした。
「問題があるよ」
「問題?」
「問題っていうと」
「グソクムシ君自身から聞いたことは論文に書くとなると」
 その場合は、というのです。
「その聞いたことは論文に書けないね」
「あれっ、そうなんだ」
「それはなんだ」
「そう、聞いたことは聞いたけれど」
 それでもとです、先生は皆にお話しました。
「僕がそこから調べたことじゃないからね」
「それじゃあなんだ」
「実際に先生自身が調べないと駄目なんだね」
「グソクムシさんがどうして何年も食べなくて平気なのか」
「その理由を」
「だからまた行くよ」
 グソクムシさんのところにというのです。
「御飯を食べたらね」
「そのスパゲティを食べたら」
「そうしたらなのね」
「またグソクムシさんのところに行って」
「それで調べるのね」
「そうするよ、午後のお茶の時間も挟んで」
 三時のそれもというのです。
「閉館の時間まで調べたいね」
「じっくりとね」
「そうしてだね」
「グソクムシさんが食べないで平気な理由」
「それを論文に書くんだね」
「そうするよ、グソクムシ君をじっくりと観て」
 そしてというのです。
「飼育日記なんかもね」
「それもなんだ」
「観て、なんだ」
「そしてそのうえで」
「調べるんだ」
「そうするよ」
 こう言うのでした。
「係の人が毎日つけてくれている飼育日記もね」
「そうしたものも調べて」
「そしてだね」
「全部確かめてから」
「そのうえで」
「僕は動物の言葉についても調べて書いているけれど」
 それでもというのです。
「グソクムシ君の言葉についても書くつもりだけれど」
「それでも直接聞いたことは」
「自分自身で言っていることだから」
「そのまま書けない」
「鵜呑みには出来ないんだね」
「証言は重要だよ、けれどね」
 それでもというのです。
「それだけを鵜呑みにせずに実際かどうか検証する」
「それが、なのね」
「重要なんだね」
「事実を確認するには」
「それが学者さんのお仕事だね」
「そう、若し当人の証言だけで論文、マスコミだと記事だね」
 先生はマスコミのこともお話しました。
「そこに事実じゃないことも入るかも知れないんだ」
「つまり論文や記事に嘘を書いちゃうんだ」
「そうしたことになってしまうんだ」
「それは学者としてもマスコミ関係者としてもあってはならないことだからね」 
 そのことは絶対だというのです、先生はスパゲティを丁寧に左手に持っているスプーンに上に右手に持っているフォークに巻きつけたパスタを置いてから奇麗に食べています。
「だからね」
「そのことはだね」
「気をつけて」
「そして書かないといけないんだね」
「嘘を書いたら学者じゃないよ」
 先生は断言しました。
「絶対にね」
「そして新聞記者でもない」
「そうなんだね」
「どうも日本では違うみたいだけれどね」
「学者さんや新聞記者がなんだ」
「嘘書くんだ」
「特に新聞記者、テレビの報道番組を作っている人達はそうだね」
 こうした人達はとりわけというのです。
「証言を検証せずに報道したり時には証言の内容を変えていたりするね」
「それ変えたら駄目じゃない」
「もうわざと嘘吐いてるじゃない」
「嘘を世間に流してるの!?」
「日本じゃそんなことが許されてるの!?」
「インターネットが普及するまでマスコミはそうしたことを思うがままに出来たんだ」
 そうした嘘を報道することがというのです。
「皆新聞やテレビは嘘を言わないって思ってたしね」
「それをチェックすることもなんだ」
「難しかったんだね」
「チェックしてそれを調べた人が言ってもね」 
 そうしてもというのです。
「声が小さくて。そして嘘を言う人の声は大きくてね」
「声が小さいと聞こえないからね」
「けれど大きな声は聞こえるんだよね」
「例え嘘でもね」
「そして嘘は言い続けていると人を信じさせてしまうんだ」
 嘘のその恐ろしさにも言及した先生でした。
「特に嘘を言わないと思われている人達が言うとね」
「だからなんだ」
「日本ではずっと学者さんやマスコミの人達が嘘を言えたんだ」
「先生みたいなことをしないで」
「それでやっていけたんだね」
「そうだよ、けれど嘘は何時か絶対にばれて」
 先生は世の中の摂理も皆に言いました。
「そしてばれた時にね」
「うん、絶対にね」
「報いを受けるよね」
「その時はね」
「そうなるんだよ、実際インターネットが出来てからね」
 そしてというのです。
「その嘘が検証されてばれてね」
「そうした学者さんやマスコミの人達はなんだね」
「嘘の報いを受けている」
「そうなっているんだね」
「責任を追及されているよ」
 そうなっているというのです。
「そして沢山の人が新聞やテレビを信じなくなっているよ」
「何かね」 
 トートーがここで先生に言いました。
「日本も困ったところがあるんだね」
「どの国にもそうしたところがあるけれどね」
「日本でもそうで」
「日本は特にマスコミが問題なんだ」
 そちらが、というのです。
「そして学者の人達もね」
「ううん、嘘を言ってその責任を問われないと」
 ガブガブも今は考える顔で言います。
「それこそだよ」
「おかしくなるね」
「とてもね」 
 ガブガブも言います。
 チーチーもです、どうかといったお顔で言いました。
「そんなことが日本ではずっと続いていたんだね」
「インターネットがで出て来るまでね」
「ずっとだったんだね」
「そうだよ、今でも嘘をよく言ってるよ」
「ばれる様になっていても」
「そんな状況だとおかしくなる一方だね」
 それこそとです、ホワイティも言います。
「嘘をついても沢山の人が信じてその嘘がばれないなら」
「そうだよ、だからとんでもない人達が沢山いるんだ」
「日本の学者さんやマスコミの人達は」
「間違いなくイギリスよりも遥かに酷いよ」
 先生は断言しました。
「しかも嘘を検証されてもね」
「まだ行いをあらためないのね」
 ダブダブはそれが信じられないと言いました。
「どんでもない状況ね」
「そうなんだよ」
「嘘吐きばかりいる世界は終わるわ」
「そう、誰も信じなくなってね」
 ポリネシアは嘘を言う人は信用されない、このことから言いました。
「人も寄らなくなるから」
「だから日本でも沢山の人が信じなくなっているんだ」
「それで行いもあらためないから」
「近いうちに完全にどうしようもなくなるよ」
 それこそ、というのです。
「日本の学者さんやマスコミの世界はね」
「先生は嘘は言わないから」
 老馬はあ先生ご自身のことを言いました。
「皆から信用されてるのね」
「信用されているかどうかはともかく僕は嘘は嫌いだよ」
「そうだよね」
「騙される気持ちは最悪だからね」
「けれど嘘吐きっているのよね」
「世の中にはね」
 チープサイドの家族もここで先生に言います。
「どうしてもね」
「それで悪いことをしてね」
「嘘吐きは泥棒のはじまりって言うけれど」
「そこからどんどん悪いこともしていくから」
「そういえば日本って」
「学者さんとかマスコミの人の犯罪多いね」
 オシツオサレツはこのことに気付きました。
「何かと」
「学校の先生とかね」
「所謂知識人って言われる人の犯罪がね」
「多いよね」
「そうなんだ、僕もそう思っているんだ」
 先生はオシツオサレツのお話に応えて言いました。
「日本では知識人の暴力行為や痴漢みたいな犯罪が多いんだ」
「本来はそうしたことを戒める人達が」
「そうしたことをしているんだね」
「日本ではそうした人が多い」
「そうなのね」
「そうなんだよ」
 実際にというのです。
「だから問題なんだ」
「日本の問題だね」
「知識人の人達が嘘吐きで」
「しかも悪いことをする人が多い」
「そのことが」
「世界で一番酷いかもね」
 日本の知識人の人達の質はというのです。
「僕もあんまりなんで驚いているから」
「先生は日本大好きだけれど」
「知識人についてはなんだ」
「あんまりにも酷いって」
「そう言うんだね」
「そうなんだ」 
 また皆に言った先生でした。
「本当にそのことが残念だよ」
「どんな国でもいいところばかりじゃない」
「悪いところもある」
「どうしてもそうなんだね」
「日本にしてもで」
「そういうことだよ、けれどそうしたことも踏まえて」
 悪い部分も含めてというのです。
「僕は日本が大好きだよ」
「日本の全てが」
「それが」
「そうだよ、この学園の皆もね」 
 八条学園の、というのです。
「学生の皆も職員の人達も生きものの皆も」
「あらゆるものが好きなんだね」
「この学園の」
「そうなんだね」
「妖怪や幽霊も好きだよ」
 八条学園にはそうしたお話も多いですがそうしたものもというのです。
「何もかもがね」
「じゃあ日笠さんも」
「先生日笠さんも好きね」
「あの人も」
「そうだね」
「いい人だね」
 先生は皆がここぞとばかりに出した日笠さんについてです、こう答えました。
「あの人とお友達になれてよかったよ」
「お友達?」
「それだけ?」
「お友達だけ?」
「もう一歩踏み込まない?」
「もう一歩って?」
 そう言われてです、いぶかしんで返した先生でした。
「っていうと」
「いや、だからね」
「もっとね」
「日笠さんとね」
「お友達から」
「そう思わない?」
「言っている意味がわからないけれど」
 首を傾げさせてです、先生は皆に尋ねました。
「それは」
「いや、だから」
「そこはね」
「先生もね」
「こうしたところがね」
「よくわからないけれどね」
 よく、どころか全くわかっていない先生です、しかもわかっていないということにさえ気付いていないのです。
「とにかく日笠さんとはね」
「これからもだね」
「お友達としてなんだね」
「お付き合いしていく」
「そうするのね」
「そのつもりだけれどね」
「だからね」
「それがね」
「先生は」
「困るんだけれど」
「困るのかな」
 先生は全くわかっていないままです、ですが。
 スパゲティを食べてでした、またグソクムシさん達のところに向かうのでした。やれやれと思う皆と一緒に。



ようやくダイオウグソクムシとの会話が。
美姫 「でも、結局は詳細は分からなかったわね」
まあ、仕方ないか。
美姫 「そうよね。自分の事だからって全て理解しているものじゃないしね」
だな。まあ、それでも先生は話せて嬉しそうだし。
美姫 「良かったわね。まあ、もう一方の方は」
これまたいつも通りかな。
美姫 「こちらに関しては進展しないわね」
いつになるのやら。
美姫 「それじゃあ、次回も待っていますね」
待っています。



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