『ドリトル先生の水族館』




                 第七幕  大きな水槽

 先生達は水族館の生きもの達を診察して回り続けていました、そしてその中でとても大きな水槽の前にきました。
 その水槽の前に来てです、動物の皆が先生に言いました。
「この水槽が、だよね」
「この水族館で一番大きな水槽だよね」
「何か凄い大きさだね」
「どれだけのお魚がいるのかな」
「うん、この水槽はね」
 先生も皆にお話します。
「八条水族館の大水槽でね」
「それでなんだね」
「ここに一番沢山のお魚がいるんだね」
「その水族館の中でもね」
「一番沢山のお魚がいるんだよ」
「そうだよ、あえて色々な種類のね」
 それでというのです。
「だからこのコーナーはまた特別なんだ」
「ううん、特にね」
 ガブガブはその中で特に大きなお魚を見て言いました。
「あの平たくてとても大きなお魚」
「ジンベイザメだね」
「あのお魚が一番凄いよ」
「というかあれも鮫なんだ」
 トートーもその丸い目をさらに丸くさせています。
「鮫っていっても本当に色々なんだね」
「というかね」
 チーチーが言うことはといいますと。
「あんな大きな鮫を他のお魚と一緒に入れていいの?」
「あの鮫はプランクトンを食べるからね」
 だからと答えた先生でした。
「別にね」
「プランクトンを食べるの」
「あの鮫はね」
 ジンベエザメはというのです。
「だからいいんだ」
「そうなんだ」
「ただ、あの鮫は飼育の仕方が難しいからね」
 先生は皆にそのジンベエザメのことをさらにお話しました。
「だから何かと大変なんだよ」
「飼育係の人は」
「そうだよ、僕もね」
 先生は老馬にも応えました。
「あの鮫の飼育を頼まれたらね」
「無理?」
「難しいね」
 実際にというのです。
「あの鮫についてはね」
「先生でもなんだ」
「僕は確かに色々な生きもののことを知っているけれど」
 それでもというのです。
「その命を預かるからにはね」
「僕達がそうだとしても」
 ここで言ったのはジップでした。
「それは僕達それぞれのことをよく知っているから出来るんだよね」
「そうだよ」
「ジンベエザメさんはそうはいかないんだね」
「知ってはいても頭だけのことだよ」
「実際に動くとなるとだよね」
「そう、頭に入れているだけでは駄目だからね」
 それでというのです。
「だから僕にはジンベエザメ君達の世話は出来ないよ」
「先生はその辺り慎重よね」
 ダブダブはそのことを言いました。
「確実に一緒にいられないとね」
「うん、命を預かるからにはね」
「軽率では駄目ってことね」
「そうだよ」
 ダブダブにもこう答えます。
「普通のお魚じゃないからね」
「ジンベエザメさんは」
「だから無理なんだ」
「ジンベエザメさんってそんなに飼育が難しいのね」 
 ポリネシアもです、その大きなお姿を見ています。水槽の中でとても穏やかに泳いでいる姿はのどかそのものです。
「大きいだけじゃなくて」
「そうだよ、いつも泳いでいないといけないし」
「ああ、鮫だからね」
「そうだよね」
 オシツオサレツも言います。
「いつも泳いでいないとね」
「駄目なのよね」
「さもないと死ぬのよね、鮫さんだから」
「そうした種類の鮫さんだから」
「そう、そのこともあってね」 
 それでとです、先生はオシツオサレツに答えました。
「ジンベエザメ君達を水族館で育てることは相当に難しいんだ」
「じゃあこの水族館でも」
「皆苦労してるのね」
 チープサイドの家族もここで家族でお話します。
「大きいだけじゃないから」
「それでなのね」
「ここにいてもらうだけでも」
「大変に苦労してるの」
「そうなんだ、本当にね」
 それこそとも言う先生でした。
「大阪の海遊館でもそうだけれどね」
「この八条水族館でも」
「そうしてるの」
「水族館員の人達も大変で」
「死なせない様にしてるんだ」
「そう、いつも注意してね」
 そうしてというのです、まさに。
「ここで育てているんだよ」
「僕達みたいにはいかないんだね」
 ホワイティもしみじみとして述べます。
「簡単には」
「いやいや、君達についてもね」
「簡単じゃないんだ」
「そうだよ、それぞれの生きものがね」 
 ジンベエザメさん達に限らずというのです。
「それぞれ難しいんだ、程度の問題はあるけれど」
「簡単じゃないんだよ」
「生きものと一緒にいることはね」
 どんな生きものでもだというのです。
「気を抜いてはいけないことなんだ」
「僕達でもだね」
「そのことは」
「先生私達のことよく知ってくれてるけれど」
「それでもなのね」
「うん、だから君達と一緒にいるけれど」
 それでもというのです。
「家族として接していてね」
「いつも見ている」
「そういうことなんだ」
「そのつもりだよ、注意しているよ」
「だからジンベエザメさんは」
「先生でも」
「難しいんだね」 
 皆もここまで聞いて納得しました、そして。
 その話の後で、でした。先生はその水槽の中のお魚さん達を皆じっと見回してです。そのうえでなのでした。
 水槽のガラス越しにです、お魚さん達にその言葉で尋ねました。
「どうかな、調子は」
「うん、別にね」
「悪いところはないよ」
「僕達皆元気だよ」
「問題はないから」
「それは何よりだね。ただ」
 ここで、です。先生はジンベエザメさん達にも尋ねました。見ればジンベエザメさんは一匹ではなくつがいでいます。
「君達はどうかな」
「うん、僕達もね」
「大丈夫よ」
「ここで気持ちよく暮らしてるよ」
「ここは広くて食べるものも沢山あるから」
「気楽にやってるよ」
「いつも泳いでるわ」
 こう先生に答えるのでした。
「ここの皆もね」
「ストレスは感じていないわよ」
「僕達大きいけれどね」
「この水槽は私達でも充分な広さだから」
「そう、ストレスがね」 
 そのことがと言う先生でした。
「一番問題なんだよね」
「心のことが?」
「そうなの」
「そうなんだ、水族館でも動物園でもね」
 どちらもというのです。
「狭い場所にずっといて外に出られないからね」
「それがなんだ」
「私達にも問題なの」
「縄張り位の広さがあればいいんだ」
 それぞれの生きものの、です。
「それならいいけれど」
「ううん、狭いところにずっといたら」
「それだけでよくないのね」
「そうだよ、どんな生きものもね」
 ジンベエザメさん達に限らずというのです。
「狭い場所にずっといてあまり運動出来ないとよくないよ」
「だからこの水槽もなんだ」
「凄く広いのね」
「僕達に他の皆がいても充分過ぎる位に」
「そこまで広いの」
「そうだよ、この学園の水族館と動物園は考えて建てられていて」
 どう考えられているかといいますと。
「皆がストレスを感じないようになっているんだ」
「広くなってて快適に運動も出来て」
「そうした風になってるのね」
「だから皆病気になっていないんだよ」 
 ストレスを感じていないからです。
「もっとも何処か悪い子もいたけれど」
「そうした子はどうなったの?」
「大丈夫だったの?」
「うん、皆重い病でなかったから」
 だからだというのです。
「寿命までは安心していいよ」
「じゃあ僕達もだね」
「ここに長くいられるのね」
「そうだよ、快適にね」
 ストレスを感じることなく、というのです。
「そうしていけるよ」
「それは何よりだよ」
「今も健康でこれからもならね」
「僕達にとってもね」
「悪いことじゃないわ」
「うん、だからね」
 それでとです、また言った先生でした。
「君達も悪い病気はないし」
「安心していいんだね」
「そうなのね」
「うん、身体の外に寄生虫もいないし」
 その心配もないというのです。
「君達も大丈夫だよ」
「それは何よりだよ」
「本当にね」
 ジンベエザメさん達も先生とお話をして笑顔になりました、こうしてガラス越しの診察も無事に終わりました。
 そしてその後で、でした。先生は皆を連れて次に行く場所に向かいながらです。その皆にこうしたことを言いました。
「八条学園は皆にストレスをかけないことと」
「その他にもなんだ」
「考えてあるのね」
「そう、どの場所も清潔にしていて」
 生きものが暮らしているそこをです。
「そして虫にも気をつけてるね」
「ああ、寄生虫だね」
「身体の外や中にいる」
「ああした虫達にも」
「そう、食べものにも気をつけて」
 寄生虫のいない餌を出しているというのです。
「身体の外もね」
「しっかりと見てなんだ」
「寄生虫を取っているんだ」
「そうしたことも気をつけて」
「寄生虫の心配も取り除いてるのね」
「あれで結構怖いからね」
 寄生虫はというのです。
「栄養を吸い取っていくから」
「そういえば結構」
 最初に気付いたのはジップでした。
「水槽の中に小さなお魚が多いね」
「それで大きな身体の生きもののあちこちをついばんでたね」
「あれがそうなんだよ」
「寄生虫を食べてたんだね」
「ホンソメワケベラとかね」
 先生はこのお魚の名前を出しました。
「そうしたお魚を使ってるんだ」
「寄生虫を食べるお魚を入れてるんだね」
 ホワイティも気付きました。
「つまりは」
「そして寄生虫をいなくしているんだ」
「身体をチェックして」
「そしてそうしたお魚や生きものの力も借りてね」
「寄生虫も退治しているんだね」
「中には小さな虫もいるからね」
 寄生虫の中にはというのです。
「だからなんだ」
「ああしたことをしてるんだ」
「そうなんだよ」
 先生はホワイティにも穏やかにかつわかりやすくお話しました。
「動物園とはそこがまた違うね」
「動物園だとね」 
 ダブダブが言うには。
「身体を洗えばいいけれど」
「つまりお風呂だね」
「私達も入ってるけれどね」
「お風呂も凄くいいんだよ」
「清潔になるから」
「そう、垢や汚れを落とすだけでなく」
 お風呂で身体を洗って、です。
「寄生虫も落としてまた寄せ付けない様にしてくれるからね」
「お風呂もいいのね」
「そうだよ」
「だから僕達には蚤とか虱がいないんだね」 
 チーチーは自分達のことからお話しました、皆で水族館の中を歩いてそうしてその途中のお魚達も見ながら。
「よくお風呂に入ってるから」
「その通りだよ」
「先生もいつもお風呂に入ってるしね」
「うん、お風呂大好きだよ」
「そうだよね」
「むしろ」
 ポリネシアが言うには。
「先生は日本に来てからさらにね」
「お風呂が好きになったっていうんだね」
「だってイギリスだと毎日お風呂に入っていたけれど」
 それでもというのです。
「シャワーだったじゃない」
「湯舟には浸かっていなかったね」
「身体洗って終わりだったわね」
「うん、泡をタオルで拭いてね」 
 タオルをシャワーで洗い落とさずにです。
「それで終わりだったね」
「そうだったわね」
「イギリスのお水は硬水だからね」
 ここでもイギリスのお水のことを皆にお話します。
「あまり浴びているとね」
「お肌にもよくない」
「そういうことね」
 チープサイドの家族も言います。
「それでイギリスでは皆シャワーで」
「泡もタオルで拭くだけ」
「そうなってたんだね」
「先生もそうしてて」
「そうだよ、それにイギリスのお風呂はトイレと同じお部屋にあってね」
 所謂ユニットバスです、欧州では日本の様にお風呂場とおトイレが別々になっていたりはしないのです。
「あまりくつろげないしね」
「ところが日本だとね」
「違うのよね」
「うん、お水は軟水で質がよくて」
 先生は日本のお水のお話もしました。
「しかも豊富にあってお風呂場とおトイレは別々だから」
「くつろげるし」
「お湯に浸かれる」
「だから余計になんだね」
「先生お風呂が好きになったのね」
「毎日一回、お家に帰ったら」
 それならとも言う先生でした。
「やっぱりお風呂だよ」
「そのお風呂で身体をじっくりと奇麗にするんだね」
 トートーも言います。
「だから先生も清潔なんだね」
「そうだよ、もっとも僕はお風呂を楽しんでるけれどね」
「日本に来て」
「清潔にすることもいいことだけれど」
「それだけじゃなくなったね」
「楽しむことも覚えたんだ」
 お風呂それ自体をというのです。
「お風呂自体もね」
「それでお風呂に入ることもなんだね」
 ガブガブも言います。
「寄生虫をいなくなくするんだね」
「そうだよ」
 その通りというのです、先生はガブガブにもお話します。
「だから動物園ではね」
「皆よくお風呂に入ってるんだね」
「寄生虫はいていいことはないよ」
「僕達にとってね」
「サナダムシや回虫もそうだけれど」
 そうした身体の中にいる虫達も問題ですが。
「蚤や虱もだからね」
「蚤や虱がいたら」
 それこそとです、老馬が言います。
「もう痒くて仕方ないよ」
「それでストレスも感じるね」
「とてもね」
「それでなんだよ、動物園でも気をつけてるんだ」
 寄生虫のことにはというのです。
「水族館でもそうだけれどね」
「そのことも気をつけてるから」
「この水族館や動物園だと」
「皆ストレスを感じていないんだね」
「快適なんだね」
「そう、そうしたことまで気をつけているからだよ」
 まさにとです、先生はオシツオサレツにもお話しました。
「皆ストレスを感じていないんだ」
「広い場所でそこを清潔にして」
「食べるものも気をつけて」
「そして身体も奇麗にする」
「そこまでしてなんだね」
「人間だってそうだね」
 他ならぬ先生もというのです。
「広い場所で適度な運動をしてしっかりしたものを食べて」
「お風呂にも入って」
「そうしていないとストレスが溜まるのね」
「そう、人間もそれはよくないから」 
 そのストレスがというのです。
「人間のことを当てはめて皆のことを考えていかないとね」
「皆がストレスを感じる」
「そうなるんだね」
「だからしっかりとだね」
「気をつけて考えているんだ」
「そういうことだよ、生きものはただそこに置いておくだけじゃ駄目なんだ」
 そうしたことだけでは、というのです。
「ちゃんと気を配って労わらないと駄目なんだ」
「ものとして扱ってはいけない」
「絶対に」
「それが大事で」
「この水族館や動物園の人達もわかってるんだね」
 動物の皆も言うのでした、先生のお話を聞いて。
「だから結果的に皆の病気も少ない」
「ストレスを感じていないから」
「それでなんだね」
「まずはストレスがないことが大事なんだね」
「本当にストレスは大敵だよ」
 人間以外の生きものにとってもと言う先生でした。
「本当にそうしたことがよく出来ているのがね」
「この水族館、動物園なんだ」
「とてもよく」
「それでなのね」
「病気も少なくて」
「活き活きとしているんだ」
「そうだよ、ただ」
 ここでこうも言った先生でした、微妙なお顔になって。
「食べることもって言ったね、僕は」
「ああ、あのグソクムシさん」
「ダイオウグソクムシさんだね」
「相変わらず食べていないっていうし」
「何年も」
「そのことはわからないんだ」
 流石の先生でもというのです。
「そんな生きもの僕も信じられないよ」
「いや、それはね」
「何ていうかね」
「僕達毎日食べないと生きていられないよ」
「やっぱり食べないと」
「そうしていかないと」
 とても、というのです。
「それを何年もなんて」
「一週間でも難しいのに」
「それで何年も生きてるとか」
「どうなってるのかな」
「本当に」
「それがわからないんだよね」  
 先生は歩きつつです、腕を組んで言いました・
「僕も」
「普通生きものってね」
「食べないといけないから」
「仙人さんならともかく」
「どうして栄養を摂ってのかな」
「それがどうもね」
「不思議だよね」
 皆も考えるお顔で言うのでした。
「一体どうなってるの?」
「鳥羽水族館のグソクムシさんも不思議だけれど」
「こっちの水族館のグソクムシさんもね」
「不思議だよ」
「どんな身体の構造なのか」
「そうだね」
 また言った先生でした。
「彼のところにも行くけれど」
「やっぱり食べないのかな」
「相変わらず」
「ずっと食べていないままで」
「先生が行った時もかな」
「相変わらずなのかな」
「うん、それとね」
 さらにお話した先生でした。
「彼の言葉もどうなのかな」
「深海生物の言葉」
「それなんだね」
「一体どんな言葉か」
「そのことも問題なんだね」
「確かに僕は色々な生きものの言葉を知っているよ」
 それで今も皆と普通にお話しているのです、ポリネシアに教えてもらったあらゆる生きものの言葉をマスターしたので。
 ですがそれでもです、その先生でもなのです。
「けれどね」
「深海生物の言葉は」
「その先生でもだよね」
「あまり知らないんだね」
「どうにも」
「そうなんだ、彼とどうしてお話をするか」
 そのことについて考えているのです、それも深く。
「問題だね」
「深海生物でもお話できる相手いるよね」
「その中でも」
「そうだよね」
「うん、流石にリュウグウノツカイは無理だけれど」
 剥製がこの水族館でも飾られているお魚です。
「それでもね」
「他の深海生物はだよね」
「先生ともお話出来る生きものいるよね」
「ちゃんと」
「アンコウ君位ならね」
 このお魚ならというのです。
「話せるよ」
「ああ、アンコウさんね」
「あのお魚も深海魚だしね」
「アンコウさんとならなんだ」
「先生もお話出来るんだ」
「そうだよ、アンコウ君達は確かに深海魚だけれど」
 それでもというのです。
「比較的浅い場所に来ることもあるしね」
「だから日本じゃ食べているんだね」
「お鍋とかにして」
「結構冬食べてるけれど」
「よく漁れるからなんだ」
「そう、しかも美味しいしね」
 先生はアンコウさん達のこのこともお話しました。
「外見は怖いけれど」
「そうそう、 美味しいんだよね」
「食べやすい味でね」
「もうそれこそお鍋にしたら」
「河豚鍋とどちらが上か」
 そこまで美味しいとです、皆も言います。
「日本人は色々なお魚食べるけれど」
「アンコウさん達も食べてね」
「肝も食べて」
「それで楽しんでるよね」
「そのアンコウ君達とならね」
 先生もというのです。
「お話出来るから」
「そこからなんだ」
「お話をしていって」
「グソクムシさんとも」
「お話出来るかどうか」
「やってみようか」
 これが先生の今の考えでした。
「徐々にでもね」
「そうするんだね」
「どうにも遠回りだけれど」
「深海生物にもそれぞれの言葉があるから」
「それを調べて」
「話していくんだね」
「そうしようか。けれど深海のことは」
 っこでしみじみとして思った先生でした。
「本当によくわかっていないね」
「その言葉も生態も」
「そしてどんな生きものがいるのかも」
「まだまだなんだね」
「わかっていないんだね」
「うん、まだまだ謎の世界だよ」
 その深海の世界はというのです。
「人間の知識は相変わらず僅かなままだよ」
「そのこともわかるね」
「深海のことを考えたら」
「皆この地球のことをまだまだ知らない」
「知らないことが一杯あるね」
「人間はどうしてもね」
 先生は哲学的思考もしていました、先生は哲学者でもありますがこうした思考は誰でも出来るものというのが先生の持論です。
「ほんの少ししか知ることが出来ないんだ」
「神様じゃないから」
「だからだよね」
「人間の力は小さくて」
「知ることが出来るものも僅か」
「そうなんだね」
「うん、それで自分の力だけを頼むとかはね」
 神様の存在を信じなくてです。
「思い上がった考えかも知れないね」
「そうしたことを言う人程だしね」
「おかしなこと言ったりするよね」
「先生が大分前に会った学校の先生とかね」
「あの先生は本当におかしな人だってね」
 先生が来日してから会った人です、その学校の先生は。
「何で日本の皇室は駄目で北朝鮮の世襲はいいのか」
「それおかしいよね」
「あっちは一応共和国?」
「共産主義だった?」
「世襲ないんだよね」
「王様じゃないから」
「それでも世襲なんだけれど」
 それでもというのです。
「あっちの国の人が支持してるからいいとか」
「いや、あそこそういうのないよね」
「私達でもそれはわかるわよ」
「あんな自由のない国ないから」
「それで支持してるとか有り得ないし」
「それでもあの先生はそう言ってたね」
 北朝鮮の世襲はいい、とです。
「日本の皇室やイギリスの王室は駄目で」
「本当におかしなこと言ってた人よね」
「神様はいないとか言って」
「頼るのは自分の力だけとか言って」
「あれで生徒さんに何教えてるのか」
「凄く不安になるわよ」
「うん、ああした人が多いんだよ」
 先生は困ったお顔にもなりました。
「神様を信じない人は」
「不思議とね」
「そうした人が多くて」
「訳のわからないこと言うのよね」
「そうした人に限って」
「そうなんだよね、もっとも神様を信じる人でもそうした人はいるけれど」
 例えそうした人でもです、おかしな人はいます。ですが神様を信じる人以上にです、神様を信じない人はというのです。
「何かね」
「そうした人は、だよね」
「どうにもね」
「おかしな人が多いよね」
「民主主義とか平和とか言っても」
「全然民主的で平和でないし」
 その言っていることもやっていることもです。
「おかしな人ばかりで」
「何でだろうね」
「神様を信じてない人にそうした人が多いのは」
「不思議って言えば不思議だね」
「イスラムではこう言われてるよ」 
 先生がここでお話に出したのはこの宗教です。
「信仰がない人が一番怖いってね」
「神様を信じない人がだね」
「一番怖い」
「あっちじゃそう言うんだ」
「うん、何故ならどういった宗教でも神様を信じていると」
 つまり信仰があればというのです。
「そこにしっかりとしたものがあるからね」
「信じる正しいこととか」
「そうしたことがなんだね」
「神様から教えてもらったものがある」
「だからいいんだ」
「そう、けれど神様を信じない人はね」
 イスラム教の人達にはどう思われるかといいますと。
「神様から教えてもらっていない、そして信じる正しいことがない」
「そう思われるからだね」
「イスラム教の人達には怖いと思われる」
「そういうことなんだ」
「そうなんだ、もっとも無神論も思想だけれど」
 先生はこれ自体は認めていました。
「日本のそうした人は特におかしいね」
「あんな世襲の共産主義はいいって言って」
「自分の国の皇室は駄目って」
「完全に正反対のことをなんだ」
「言ってるんだね」
「そうした人達もいるんだね」
「これはおかしいと思うよ」
 皇室は駄目でl北朝鮮の世襲はいいと言うことはというのです。
「何しろ北朝鮮は世襲がない筈だからね」
「それで世襲があるってね」
「確かにおかしいね」
「それをそう言うのはね」
「おかしいよね」
「それは」
「うん、僕もそう思うから」
 だからだというのです。
「お話をしていてこの人大丈夫かなとも思ったよ」
「日本のおかしなところかな」
「そうした人もいることは」
「イギリスでもおかしな人がいるけれど」
「日本もだね」
「うん、日本もね」 
 本当に、と言う先生でした。
「そうした人がいてその数とおかしさが違うよ」
「イギリス以上にだよね」
「そうした人が多くておかしさが酷い」
「そういうことだね」
「そのこともわかったよ」
 日本に来て、というのです。先生は今は少し残念そうに言いました。
「日本にも困ったことはあってね」
「そうした人達がいることが」
「そのことがなんだ」
「しかも学校の先生や弁護士さんや労働組合の人に多いんだ」
 そうしたおかしな人はというのです。
「マスコミにもね」
「何かいる場所が決まってるんだ」
「日本だとそうした人達は」
「労働組合とかにいて」
「そうしたことを言ってるんだ」
「そうなんだ、だから僕も注意しているよ」
 そうした場所にいる人達にはというのです。
「特に学校の先生にはね」
「先生の同僚の人達かな」
「今はそうなるかしら」
「先生も大学教授でね」
「学校の先生になるし」
「そうだね、大学の先生にもそうした人がいて」
 先生はさらに言いました。
「小学校や中学校、高校の先生はもっと酷いね」
「そんな人が多いんだね」
「あんな国がいいって言う人が」
「いるんだね」
「僕が北朝鮮の世襲はいいって聞いたのは中学校の先生からだったよ」
 そのお仕事の人からだったというのです。
「公立のね」
「ふうん、公立にはなんだ」
「確か先生が務めている学校は私立?」
「そうだったかな」
「うん、私立だよ」
 実際にそうだと答えた先生です。
「八条学園はね。それに八条学園は面接でその人をよく見るから」
「そうしたおかしな先生はなんだ」
「いないんだ」
「そうなの?」
「そうだよ、殆どいないよ」
 公立よりもずっと少ないというのです。
「いて問題のある行動を起こしたらすぐに辞めさせられるしね」
「だといいけれどね」
「何か日本も大変だね」
「そうしたおかしな先生が多いって」
「厄介なことだね」
「どんな素晴らしい国でも厄介なことはあるよ」
 それこそ日本でもというのです。
「どの国でもね」
「日本はいい人が多くて景色が奇麗で」
「豊かでね」
「食べものも美味しいけれど」
「街も賑やかで」
「いいことが凄く多いけれど」
「困った部分もあるんだ」
 どんな国でもそうで日本もというのです。
「そうしたものだよ」
「世の中完璧なことはないんだ」
「この世には」
「いいものばかりじゃない」
「そういうことだね」
「完璧なものは神様だけなんだね」
「うん、そうだよ」
 ここでもキリスト教徒としてお話した先生でした。
「神様だけが完璧でね」
「人間は違う」
「人間はどうしても完璧じゃないんだね」
「人が作っている世の中も」
「決して完璧じゃないんだ」
「そう、けれど完璧に近付くことは出来るよ」 
 ここでこうも言った先生でした。
「少しずつだけれどね」
「完璧にだね」
「神様の完璧さに近付けるのね」
「完璧にはなれないけれどね」
 それでもというのです。
「人は少しずつ近付いていけるのよ」
「そうなんだね」
「人は少しずつなのね」
「完璧になれる」
「そうなのね」
「そう、努力していけば近付いていけるよ」
 神様にというのです。
「少しずつでもね」
「成程ね」
「それが少しずつね」
「近付いていく」
「そういうものなんだね」
「そうだよ、人は完全じゃないからいいのかもね」
 かえってというのです。
「困ったことがあるからそれをなおしていこうと思ってね」
「実際になおしていく」
「そうして努力するからなんだ」
「人は成長していく」
「そういうものなのね」
「そうかもね。だから僕もね」
 先生もというのです。
「努力しないとね、ただスポーツとか家事は」
「うん、先生はね」
「ちょっとでもするとね」
「何かね」
「大失敗ばかりで」
「全然出来ないのよね」
「そうしたことは」
「努力するべきかな」
 スポーツや家事もとです、先生は自分でお話したことからあらためて思いました。
「そうしたことも」
「いや、先生がスポーツ出来るとかね」
「家事万能とか」
「もう先生じゃない?」
「スポーツをしてスマートになった先生とか」
「エプロン着てお料理を上手に作る先生とかね」
 それこそというのです。
「先生じゃないよ」
「もう先生じゃない」
「そうした感じがするわ」
「どうしてもね」
「そうなると僕じゃないんだ」
「そうだよ、ちょっとね」
「そうなるとね」
 スポーツが出来てです、家事も出来る先生ならというのです。
「違和感あるっていうか」
「先生に思えないわ」
「やっぱり先生はね」
「そうしたところも先生だから」
「スポーツや家事が駄目なところも」
 そうしたところも含めてというのです。
「先生だからね」
「先生はそうしたところは僕に任せて」
「そしてね」
「学問に励んで」
「そうしたところにね」
「完璧に近付けても完璧にはなれない」
 先生はこうも言いました。
「そして完璧な人はいなくて誰でも得手不得手がある」
「人間ならね」
「というかどんな生きものでもだよね」
「努力は必要だけれど」
「どうしても苦手なことってあるよね」
「万能の生きものなんていないわよね」
「そうだね、それじゃあね」
 ここでまた言った先生でした。
「僕はそうしたことは皆に任せるべきかな」
「うん、そうしてね」
「誰でも一人、一匹、一羽じゃ生きられないから」
「家族じゃない、僕達」
「それならね」
「皆で助け合って生きていこう」
「僕は皆に助けられてばかりだけれどね」
 先生はこのことは少し苦笑いになって言いました。何しろ先生は家事のことにはとても疎い人だからです。
「それでもいいかな」
「いいのいいの」
「先生にはこれでも色々と助けてもらってるから」
「だからね」
「それでいいんだよ」
「ならいいけれどね、じゃあ今日の診察を終えたらね」
 先生は皆の暖かい言葉も受けてからまた言いました。
「お家に帰ってね」
「そうしてね」
「また美味しいもの食べましょう」
「皆でね」
「そうしよう、皆でね」
 実際にと言ってです、そして。
 先生はさらに診察を続けました。そこで。
 ヌートリアさんの診察をしてです、そのヌートリアさんに言われました。
「いや、とにかく食べるものが美味しくて」
「それでだね」
「太らないか心配なんだ、僕」
 笑って先生に言うのでした。
「ダイエットにも気を使ってるよ」
「よく動いて泳いでだね」
「そうなんだ」
 見ればヌートリアさんのコーナーはペンギンさん達のところみたいにプールがあります、他のヌートリアさん達がそこで泳いでいます。
「毎日そうしてるよ」
「それはいいことだね」
 先生もヌートリアさんの言葉に笑顔で応えます。
「よく食べてよく運動する」
「そのことがだね」
「健康の秘訣だよ」
「いや、太るとね」
「健康によくないね」
「いや、それ以上にね」
「それ以上にって?」
「女の子にもてないからね」
 太っていると、というのです。
「だから僕は気をつけてるんだ」
「それでなんだ」
「そうだよ、スマートでこそね」
 それでこそというのです。
「女の子にもてるんだよ」
「それはその通りだね。けれどダイエットはいいけれど」
「それでもだね」
「痩せ過ぎるのはよくないよ」
 それはというのです。
「それはかえってね」
「身体によくないね」
「そして聞いたところによると」
 この辺りは先生は実体験では知りません、それで聞いたところによるととなるのです。
「痩せ過ぎてもてないらしいよ」
「そうそう、ここの女の子達も言ってるよ」
 ヌートリアさんはプールの中で泳いでいる他のヌートリアさん達を見てから言いました。そこに雌のヌートリアさん達もいるからです。
「痩せ過ぎてもスタイル悪いって」
「ガリガリだとね」
「何か弱い感じがするってね」
「そうだね、だからね」
「適度にだね」
「体格が整っているのがいいんだよ」
「だからよく食べてよく動くべきなんだね」
 自分で言ったヌートリアさんでした。
「それがいいんだね」
「そしてよく寝ることもね」
「睡眠もだね」
「うん、いいんだよ」
「僕寝ることが大好きだよ」
 それこそというのです。
「だから僕もよく寝ているよ」
「それもいいことだね」
「よく寝ることも必要だね」
「そういうことだよ、君は正しいよ」
 よく食べてよく運動してよく寝て、というのです。
「健康的なら女の子にももてるよ」
「じゃあこのままいくね」
「うん、それでいていいよ」
「僕も女の子にもてて」
 ここで、でした。ヌートリアさんは先生にこんなことを言いました。
「先生もね」
「僕は太ってるからね」
「確かに太ってるけれど先生は嫌われないよ」
「そうかな」
「だってとてもいい人だjから」 
 そのお人柄を見ての言葉でした。
「先生は女の人にも嫌われないよ」
「これまでもてたことは一度もないよ」
「そうかな、そうじゃないと思うけれど」
「ははは、僕は女性には縁がないよ」
「そうは思えないけれどね」
 そこは疑問に思うヌートリアさんでした、そうしたお話をしてです。先生はヌートリアさんの診察もしました。そしてこの日もお家に帰ってくつろぎました。



今回はジンベイザメだったな。
美姫 「こちらも特に問題はなかったようね」
だな。今回は問題もなく、順調に診察が出来ているな。
美姫 「良い事だわ」
まあな。次はどんな生物が出てくるんだろうか。
美姫 「次回も待っていますね」
待っています。



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