『ドリトル先生と伊予のカワウソ』




                 第六幕  温泉でのお話

 先生達は道後温泉に来ました、するとです。
 来たところで、です。もう長老さんが待っていました。お昼にお会いした時の着物姿で飄々として立っています。
 その長老さんがです、先生達に言ってきました。
「それではのう」
「はい、今からですね」
「温泉に入ってな」
 そしてその中でだというのです。
「話をしようか」
「それでは」
「皆集めたぞ」
 長老さんはにこにことして先生にこのこともお話しました。
「愛媛の化けられる狸はな」
「全員ですか」
「うむ、わしの下におる者達をな」
 全て呼んだというのです。
「もうその湯のところに来ておる」
「早いですね、それはまた」
「ほっほっほ、妖力があるからのう」
 だからだと答える長老さんでした。
「呼べばな」
「あっという間にですか」
「皆来られるのじゃ」
「確かその妖力は」  
 どういったものか、先生はこのことも勉強して知っています。
「縮地法ですね」
「流石先生じゃ、ご存知か」
「言うならばテレポーテーションですね」
「瞬間移動とも言うのう」
「今風に言えばですね」
「うむ、それを使ってな」
 それでというのです。
「ここまで来られたのじゃ」
「そうでしたね」
「とにかくじゃ」
 長老さんはその飄々としたお顔で先生にお話するのでした。
「これからな」
「はい、お風呂に入ってですね」
「そこで話をしようぞ」
「わかりました」
 こうお話してでした、先生達は長老さんに案内されてそのお風呂場に入りました。するとです。
 そこにかなりの数の狸達がもうお風呂場の中にいました、皆二本足で立っています。
 その狸達を見てです、加藤さんが言いました。
「成程、この狸さん達が」
「うむ、愛媛の化けられる狸達じゃ」
「皆さんがですね」
「わしは松山におるがな」
 それでもというのでした。
「皆愛媛のあちこちにおるのじゃ」
「ううむ、そうですか」
「皆少なくとも五十年は生きておる」
「五十年生きて、ですね」
「そうして妖力が備わるのじゃ」
「そこは猫又と一緒ですね」
 尻尾が二本ある妖怪です、猫が五十年生きるとそれで妖力が備わるのです。そうしてそれと共に尻尾が二本になるのです。
「五十年生きると妖力が備わるのは」
「左様じゃ、このことはな」
「狸さん達以外にもですか」
「狐さん達も犬さん達もじゃ」
 彼等もだというのです。
「後どうやらこの方々もおられなくなったが」
「その種族は」
「狼さん達もな」
 ニホンオオカミです、この動物も絶滅したと言われています。
「そうじゃった」
「五十年ですか」
「人間の五十年とはまた違う」
 動物達の五十年はというのです。
「それだけ生きるとなるとな」
「それで妖力が備わって」
「そこから生きれば生きる程な」
「妖力が強くなっていくのですね」
「千年生きるとじゃ」
 そうなると、というのです。
「相当に強い妖力を備える様になる」
「九尾の狐ですか」
「都で暴れたあの狐は悪い奴じゃったが大抵の九尾さん達は違うぞ」
 そうしたお話をしながらです、先生達は長老さん達に案内されてまずは身体や髪を洗います。そうしながらお話をするのでした。
「京都の九尾さんも神戸の九尾さんもな」
「あっ、お会いしました」
 ここでこう言ったのは先生でした。
「京都に行った時に」
「あちらの九尾さんとか」
「京都の狐さん達の長老さんですよね」
「そうじゃ、あの人ともお会いしたか」
「はい」
 その通りだと答えた先生でした。
「お付き合いが出来ました」
「ううむ、先生は何かと出会いの多い方じゃな」
「そうかも知れませんね」
「それではそのうち神戸の九尾さんとお会いするじゃろう」
「そうですか」
「関西は九尾の狐も多いのじゃ」
 その千年生きた狐さん達がというのです。
「京都に神戸、つまり兵庫にな」
「他の地域にもおられますか」
「奈良に大阪、彦根に和歌山に伊勢にな」
「近畿の府県全部におられますか」
「もっと言えば名古屋にもな」
 そちらにもというのです。
「おるぞ」
「九尾の狐は一人だけではないですか」
「そうじゃ、しかし先生今一人と言ったが」
「はい」
「それもよいな、人間とはな」
「人の心があるならですね」
「それで人間となるからのう」
 長老さんは他の狸さん達と違い人間の姿をしています、尻尾も生えていません。そのお姿で身体を洗いながらお話をするのでした。
「わし等もな」
「九尾の狐さんもですね」
「人間になりますね」
「その通りじゃ」
「そうですね、逆に人間の身体でも人の心がないと」
「人間ではなくなる」
 そうなるというのです。
「そこが難しいのう」
「確かに。人間ではない人もいますね」
「人間の身体でもな」
「しかしあちらの狐さん達は」
「人間じゃったな」
「僕はそう思います」 
 先生はお風呂場の席に座ってシャンプーで髪の毛を洗いながら長老さんに答えました。
「あの方々は人間です」
「その通りじゃな」
「はい、しかし四国では狐さん達は」
「実はおらんのじゃ」
「おられないのですか」
「妖力を持つ狐さん達はな」
 いないというのです。
「四国は狸の国なのじゃ」
「そうなのですか」
「そうじゃ、だから四国は狸の国とも言われておる」
「左様でしたか」
「その化けられる狸の数はな」
 その数はといいますと。
「八百八じゃ」
「そうそう、それだけの数ですよね」
 加藤さんもお身体を洗っています、動物達はもう身体を綺麗にし終えていて狸さん達と楽しくお風呂に入ってお話をしています。
 その彼等を後ろにしてです、先生達は身体を洗いながらお話をするのでした。
「四国の化けられる狸さん達は」
「左様、昔からな」
「四国にはですね」
「それだけの化けられる狸がおる」
「そしてその国それぞれにですね」
「わしもそうじゃがな」
 総大将がいるというのです。
「そのまとめ役が団三郎さんじゃ」
「その人ですね」
「しかし愛媛が一番狸の数が多いかのう」
 化けられる狸達はというのです。
「二百八おる」
「それだけおられますかね」
 先生は後ろを振り向いて湯舟の中にいたり岩場とかで楽しく動物達とお話をしたりお酒を飲んでいる狸さん達を見つつお話しました。
「ここには」
「うむ、後の三県はな」
「はい、二百人ずつですか」
「おおむねそれだけおる」
「そうなのですね」
「そうじゃ、高知にも香川にも高松にもな」
 その四国それぞれにそれだけの狸達がいるというのです。
「おるのじゃ」
「愛媛に一番多い理由は」
「簡単じゃ、松山が四国で一番人口が多いからのう」
 だからだというのです。
「それで我等もじゃ」
「愛媛に一番多いのですね」
「とはいっても八匹程度じゃ」
 二百にそれだけ加わった位だというのです。
「それ位じゃ」
「では人口的には」
「然程変わらん」
 そうだというのです。
「人間の人口程違いはない」
「そうですか」
「うむ、そうなっておる」
「そのことも勉強になりました」
「それなら何よりじゃ、さて」
 ここで、でした。先生達は身体を洗い終えました。そうしてでした。
 三人も湯舟に入りました、そこでお酒が出てきました。周りの狸さんが気を利かせて出してくれたものです。
「さあさあ、飲んで下さい」
「先生日本酒飲めますよね」
「はい、好きですよ」
 先生は彼等からお酒を受け取りつつ笑顔で答えました。
「こちらのお酒も」
「それは何よりです」
「では楽しまれて下さい」
「肴もありますから」
「召し上がられて下さいね」
「温泉に酒は最高の馳走じゃ」
 長老さんもお酒を受け取っています、そのうえで先生に言うのでした。
「では馳走を楽しみなgら」
「はい、それでは」
「話をしようぞ」
「頂きます」
 こうしてでした、先生は日本酒を飲みながらです。長老さんとお話をするのでした、勿論そこには加藤さんも一緒です。
 肴も楽しみつつです、長老さんは先生にあらためて言いました。
「それではな」
「はい、カワウソさん達のことですね」
「どうしたものか」
 長老さんがこう言うとです、他の狸さん達もそれぞれ言ってきました。
「あの人達怖くないかな」
「何もしてこないよね」
「日本のカワウソさん達は大人しいけれど」
「僕達と変わらなかったよね」
「そうそう、剽軽で悪戯好きでね」
「明るくて」
 それが日本のカワウソさん達でした。
 しかしです、イギリスから来たカワウソさん達はといいますと。
「あの人達はどうかな」
「ヤクザ屋さんだったら嫌だよね」
「人間のヤクザ屋さんも怖いからね」
「ああした人達だとね」
「困るよね」
「怖いの嫌いだよ」
「全くだよ」
 こうお話するのでした。
「いい人ならいいけれど」
「怖いならね」
「付き合えないよ」
「松山にもいて欲しくないよ」
「愛媛にもね」
「そういうことじゃ」
 長老さんは狸さん達のお話を聞きながら先生に言いました。
「わし等は不安なのじゃ」
「カワウソさん達が怖い人達かどうか、ですか」
「日本にも、勿論松山にも昔からおるが」
 ここで長老さんがお話に出す人達はといいますと。
「さっき言った者がおったが」
「ヤクザ屋さんですね」
「あの人達は苦手じゃ」
「長老さん達もですか」
「妖力を使えば退けられるがじゃ」
 それでもだというのです。
「何かと悪さをして碌なことにはならぬ」
「そうした人は何処にもいますね」
「そうじゃ、何処にもじゃ」
「つまりイギリスにも」
「イギリスにもそうした人はおるな」
「残念ですがいない国は存在しませんね」
 それこそ世界のどの国にもいるとです、先生は長老さんに答えました。勿論イギリスにもそうした人はいます。
「不良という人達も」
「おるな」
「そうしたカワウソさん達はですか」
「困るのじゃ」
「松山に入られても」
「その通りじゃ」
 まさにというのです。
「だからどうしたものかと思っておるのじゃ」
「左様ですか」
「そうじゃ、わしも変な揉めごとは御免じゃ」
「ましてや外国からの方ですしね」
 加藤さんも言ってきました。飲みながら。
「そこは」
「異文化というものじゃな」
「そうなりますね」
「そうじゃ、松山には外国からの観光客も多いが」
「色々な国から来ていますね」
「そうじゃ、しかしな」
 それでもだとです、長老さんは加藤さんにもお話しました。
「マナーが悪い観光客ならともかく」
「マフィアですね」
「あの連中はイタリアじゃったな」
「はい、イタリアのシチリアがルーツです」
「時折来るがのう」
 観光客も色々な人がいます、中にはそうした立場の人もいたりするのです。
「厄介じゃ」
「カワウソさん達もそうした人なのか」
「気になるのじゃ」
 どうしてもというのです。
「これがな」
「そうですか、大体ですが」
 ここまで聞いてでした、先生は言いました。
「狸さん達のお考えはわかりました」
「そうか」
「はい、若しヤクザ屋さんでしたら」
「厄介じゃからな」
「お互いに妖力がありますから」
「そのこともあるからな」
 それ故にとです、長老さんは先生の今の言葉にも答えました。
「揉めたくはない」
「平和にですね」
「わしはそうありたい」
「僕達もだよ」
「やっぱりね」
 ここで他の狸さん達も言うのでした。
「怖い相手は嫌だよ」
「ヤクザ屋さんは人間だけで充分だよ」
「人間のヤクザ屋さんだって嫌なのに」
「まして外国のマフィア?」
「あの人達なんてね」
 この人達はどうかといいますと。
「日本のヤクザ屋さんよりもね」
「そうそう、怖いよね」
「日本の人達なんかまだ甘いよ」
「何か決定的にやばいものがあるね」
「イタリアとかアメリカから来た相手は」
「中国からのマフィアもね」
「そうなんですよね」 
 狸さん達のお話を聞いてまた言う先生でした。
「どうも日本のヤクザ屋さんはまだ大人しいですね」
「ならず者達の中ではじゃな」
「はい、他の国のマフィアは」
「日本のものよりも遥かにじゃな」
「やることが酷いですね」
「日本のならず者はまだまだ大人しいのじゃな」
「文化的な違いでしょうか」
 ならず者と呼ばれている人達の大人しさも、というのです。
「そうしたことも」
「そうなるか」
「はい、イタリアのマフィアは元々山賊か自警団とか密輸組織がなったと言われています」
「テキ屋や賭場からではないのじゃな」
 長老さんは日本のヤクザ屋さんのはじまりから言いました、日本ではヤクザ屋さんはそうした人達からはじまっているのです。
「人足集めでも」
「はい、そうした人達とはです」
「マフィアは違うのじゃな」
「山賊を警察にしたこともはじまりと言われています」
「何じゃ、ならず者を警察にしたのか」
「はい、シチリアでは」
「それはまずいじゃろう」
 長老さんはそのことを聞いて顔を顰めさせました。
「山賊なりそんな連中はな」
「はい、警官にしてはですね」
「絶対にならん」
 こう言うのでした。
「よくそんなことをしたものじゃ」
「毒をもってということでしょう」
「岡っ引きだの目あかしだのもそうじゃったが」
 結構こうした人達もならず者だったのです。
「しかしそれはならん」
「日本はそこはしっかりしていますね」
「遥かによいな」
「はい、とにかくです」
「そうした連中が向こうのヤクザ屋さんのはじまりか」
「そうなのです」
「そんな連中とはな」 
 絶対にと言う長老さんでした。
「道理でまずい筈じゃ」
「それがマフィアです」
「山賊なり密売組織なりか」
「それがはじまりですか」
「日本より悪質じゃな」
「テキ屋さんや賭場の人達とはまた違います」
 そうだというのです、先生も。
「日本とは」
「ではあのカワウソさん達も」
「いえいえ、まずはです」
「あの人達からもか」
「お話を聞こうと」
 そう考えているというのです。
「お昼にお話した通り」
「お互いの話を聞いてな」
「先生が自分で言っておるままじゃな」
「はい、そうです」
 だからだというのでした。
「ですから」
「わかった、ではそこはな」
「僕に任せてくれますか」
「うむ、わしは言った通りにする」
 長老さんは先生に確かな声で答えました。
「それではここはな」
「僕にですね」
「お任せしよう」
「有り難うございます、それでは」
「うむ、ではな」
 長老さんは先生に笑顔で答えました。
「お願いする」
「それでは」
「うむ、しかしな」
「しかしとは」
「先生は動じないのう」
 今度はこんなことをお話する先生でした。
「わし等にもな」
「変化にもですか」
「わし等は人を殺めたり傷つけたりはせぬ」
 このことは絶対にというのです。
「そんなことはな」
「そうしたことはですね」
「うむ、せぬ」
 間違っても、というのです。
「そうしたことはな。しかしじゃ」
「化かすことは大好きだよ」
「そうしたことはね」
 他の狸達も先生に言ってきます。
「昔からね」
「僕達の楽しむだよ」
「それも最高のね」
「左様、化かすことはわし等の生きがいじゃ」
 長老さんもまさにそうだと言います。
「じゃからわし等を警戒する人間も多いが」
「先生は違うね」
「物凄く気さくだよ」
「普通に接してくれてるね」
「化かされるんじゃないかって気を張っていなくて」
「落ち着いてるね」
「そこが違うのう」
 長老さんは先生のそうしたところに感嘆さえ感じていました、そのことを言葉にも出してそうしてお話するのでした。
「わし等に警戒はせぬのか」
「いや、化かすのなら」
「そのことはか」
「イギリスの妖精も同じですから」
 先生はご自身のお国のことから長老さんに答えました。
「ですから」
「お国のか」
「はい、ですから」
 それでだというのです。
「日本の狸さんや狐さんも同じだと思いまして」
「それでなのじゃな」
「はい、それにです」
「それに?」
「長老さん達は僕達を化かすつもりはありませんよね」
 穏やかな笑顔で、です。先生は長老さんにこう言いました。
「そうですよね」
「うむ、ない」
 その通りだとです、長老さんも答えます。
「先生達はな」
「そのことが何となくですが感じられたので」
「だからか」
「はい、僕も普通にです」
 接しているというのです、警戒せずに。
「そうさせてもらっています」
「成程のう、実はな」
「実は?」
「わし等は化かす相手は選ぶ」
 例え化かすにしても、というのです。
「悪人は化かす」
「悪い人はですか」
「懲らしめる為にもな」
「そうそう、悪い奴にはね」
「そうしないとね」
 駄目だとです、狸さん達も言います。
「つけあがるだけだから」
「ちょっと化かして懲らしめないとね」
「だから悪い奴には沼にお風呂だって言って入れたりね」
「お饅頭だと言って馬のうんこを食べさせたりとか」
「そうしたことは悪い奴相手にだよ」
「そうしてきているよ」
「左様、軽い悪戯で化かすことは確かにあるが」
 それでもだとです、長老さんはまた言いました。
「本気で化かす相手はな」
「悪人ですか」
「そうじゃ、そうした相手だけじゃ」
「何となくそれがわかりましたので」
「わし等には警戒しておらぬか
「目、ですね」
 先生は長老さんのそこも見ていました。
「目を見ればです」
「相手がわかるか」
「昔からそう言いますよね」
「悪人の目は濁っておる」
 長老さんはこのことを指摘しました。
「どうにもならぬ位にな」
「ヤクザ屋さんとかね」
「そのマフィアとかね」
「もう悪いことする奴の目って違うよね」
「凄く濁ってたり嫌な光出してたりしてね」
「そこがもう違うんだよね」
「目がね」
 狸さん達も嫌そうに次々と言います。
「善人と悪人だとね」
「違うんだよね」
「目には生き方が出るものじゃ」
「はい、ですから」
 それでだとです、先生も言うのでした。
「長老さん達が悪人ではないとわかりました」
「目は本当に大事じゃ」
 長老さんのお言葉はしみじみとしたものになっていました。
「とはいっても見えぬ者が悪いとはならぬがな」
「盲目の人は、ですね」
「目に光がなくともじゃ」
「それが悪とはなりませんね」
「身体に傷があっても悪いことではない」
 このことは決して、というのです。
「それで人もわし等も決まらぬ」
「確かに」
「目は大事なものじゃがな」
「それで全てが決まるものでもありませんね」
「決してな」
「僕もそう思います」
「全くじゃな、では真面目な話は止めてじゃ」
 丁度頃合と見てのお言葉です。
「今からはな」
「本格的に飲もう」
「そして楽しもう、先生も」
「加藤さんも皆もね」
 動物達もというのです。
「飲んで食べてお風呂に入って」
「そうしてね」
「遠慮はいらんぞ」
 長老さんは加藤さんに一杯勧めながら言いました。
「加藤さんもどんどんやって下され」
「あっ、すいません」
「どんどん飲んでな」
「そして温泉もですね」
「楽しんで下され」
 是非にという口調でのお言葉でした。
「折角の温泉じゃからな」
「有り難うございます」
「ここはな」
 長老さんも飲みながらです、しみじみとして述べたのでした。今お話することはどういったことかといいますと。
「金之助さんとも入ったわ」
「夏目漱石さんですね」
「わしにとっては金之助さんなのじゃ」
 漱石ではなく、というのです。
「あの人とも結構遊んだぞ」
「長老さんとあの人はお友達だったんですか」
「そうじゃ、よく高尚な印象があるが」 
「違ったみたいですね」
「結構あれで癇癪持ちでおっちょこちょいじゃった」
 それが夏目漱石だったというのです。
「中々大変なところもあった」
「そうした人だったのですね」
「案外気が弱くてなあ」
 長老さんは漱石さんのそうしたところもお話しました。
「胃もな」
「そうそう、胃潰瘍でしたね」
 加藤さんは長老さんにそのことを言いました。
「あの人は」
「それでお亡くなりになられてるな」
「結果として」
「そうじゃったな、あと咳もしておられた」
「結核ですね」
「そうした気もあったわ」
 夏目漱石も苦しんでいたのです、お身体のことで。
「だからわしも金之助さんに温泉を勧めたのじゃ」
「そうだったのですか」
「温泉はよいものじゃ」
 この道後温泉にしても、というのです。
「入っておると身体も癒してくれる」
「心を癒すだけでなく」
「そうじゃ、じゃからな」
 それでだと言う長老さんでした。
「金之助さんにもかなり勧めたし」
「今もですね」
「うむ、先生にもな」
 今度は先生を見てのお言葉でした。
「ここでお話しようと思ってな」
「リラックスしてお話が出来るからこそ」
「そうじゃ、それ故にじゃ」
 まさにそうだというのです。
「ここにしたのじゃよ」
「成程」
「それに加藤さんはどうやら」
 その加藤さんにくすりと笑って応えてのお言葉でした。
「近頃腰が悪くないかのう」
「はい、実は」
「疲れが溜まっておるな」
 腰に、というのです。
「そのままだとよくない」
「だからですか」
「温泉で癒すのじゃ」
「こうして入ってですね」
「後は肩もじゃな」
「実は肩こりも酷くて」
「忙しいから疲れが溜まっておるのじゃ」
 腰にも肩にもというのです。
「だからな」
「ここはですね」
「今日だけでなく時々こうしてな」
「この温泉に入って」
「うむ、癒すべきじゃ」
 是非にという感じでのお言葉でした。
「酷くなってからでは駄目じゃ」
「そうですね、それでは」
「忙しくとも温泉に入る時間はあろう」
「それ位は」
「それならじゃ」
 温泉に入るべきだというのです。
「そうされよ」
「それでは」
「折角松山に生まれ育っておるのじゃ」
 道後温泉のあるこの街にです、それならばというのが長老さんの加藤さんに対するお言葉です。
「それならな」
「道後温泉に入り」
「そして疲れを癒されよ」
「温泉は観光客だけのものではないですね」
「皆のものじゃよ、実際にわし等もな」
 狸さん達もというのです。
「こうして入っておるしのう」
「だからですね」
「加藤さんもじゃ」
「ここにこうして入って」
「疲れを癒すことじゃ。わしも数百年この温泉に入っておるが」
 どうかといいますと。
「腰も肩もな」
「どちらもですね」
「膝とかもな」 
 そうした場所もというのです。
「痛くもないし疲れも取れておる」
「まさに道後温泉のお陰ですね」
「温泉はよいものじゃ」
 実に、というのです。
「これからもずっと入っていたいものじゃ」
「私も、それでは」
「折角松山におるのならな」
「時間があればですね」
「入って楽しみながらな」
「癒すべきですね」
「無駄に腰や肩を疲れさせたままでもいいことはない」
 実際に加藤さんは今ご自身の腰と肩が癒されてきているのを感じています、長老さんはその加藤さんにお話すのです。
「何もな」
「全く、ですね」
「そうじゃ、ただ先生はな」
「イギリスでは、ですね」
 先生は穏やかな笑顔で長老さんに応えました。
「温泉というものは」
「お風呂自体がのう」
「あまり、ですね」
「そうじゃったな」
「シャワーで済ませる人が殆どです」
「わしはどうもな」
 ここで難しいお顔になってお話した長老さんでした。
「イギリス、欧州の風呂場は便所と一緒になっておるな」
「はい、シャワールームとトイレが」
「あれがな、どうもな」
「駄目ですか」
「何で風呂場と便所が一緒なのじゃ」
 理解出来ないというお顔です。
「わからぬ」
「シャワーだけですから」
「それでか」
「はい、別に一緒でも」
「欧州では構わぬのか」
「特にです」
「文化の違いかのう」
 そうしたことについても、というのです。
「それもまた」
「そうなりますね」
「どうしてもな」
 長老さんは今も理解出来ないといった感じです、そのことを隠していません。
「あれは駄目じゃ」
「長老さんの言う通りだよ」
「何で一緒にあるのかな」
「お風呂とおトイレは別々じゃないとね」
「何か嫌な感じがするっていうか?」
「汚い?」
「そう思うよね」
 他の狸さん達もこう言うのでした、そのことについて。
「今ここにある温泉の中に便所があるって思ったら」
「物凄く嫌だよね」
「気持ち悪いよね」
「うんうん、汲み取りとかね」
「そんな感じがするから」
「何でも昔欧州はあれだったそうじゃな」
 長老さんはまた先生にお話しました。
「穴だけで二階から街の端に落ちるだけの便所だったそうじゃな」
「はい、それで道の端はです」
「相当汚かったのじゃな」
「ゴミや汚物で一杯でした」
 欧州の街の道路の端々はというのです。
「あまりにも不潔だったのでペストと流行りました」
「日本にはない病気じゃな」
「一度も流行していませんね」
「天然痘や赤痢はあったがな」
 ペスト、黒死病はというのです。
「そんなものはない」
「それはいいことだね」
 ここでこう言ったのはホワイティでした。
「僕はいつも綺麗にしてるけれどね」
「ペストは鼠から流行したのじゃったな」
「そうだよ、僕達につくダニからね」
 ペスト菌を持っている鼠についているダニが人間を噛むとです、その人がペストになってしまったのです。
「流行していたんだ」
「御前さん達自体が綺麗ならな」
「問題はないんだけれどね」
「そうじゃな」
「そうそう、とにかく昔の欧州はね」
 どうだったかとです、ホワイティもお話します。
「街は凄く不潔だったんだよ」
「ロンドンもペストが流行しました」
 先生はこのことはとても残念そうにです、長老さん達にお話しました。
「多くの人が亡くなりました」
「何でも相当悲惨な死に方するんだって?ペストって」
「身体が真っ黒になって」
「咳をして身体のあちこちが痛くなって」
「苦しんで死ぬんだよね」
「そうです、本当に恐ろしい病気です」
 まさにというのです。
「欧州の衛生事情の悪さ故です」
「便所は大事じゃな」
「排泄物の処理もですね」
「日本では肥料にしておった」
 出したものをです、日本ではかつてそうしていました。
「今では殆どなくなったがな」
「しかし欧州では捨てるだけでした」
「勿体ないと言えば勿体ない」
「しかもそれが疫病の元になりますので」
「余計にな」
「はい、そうしたことの処理についても勉強したことがありまして」
 先生はそうしたことも真剣に勉強したことがあります、先生の学問はそうした分野にも及んでいるのです。
「日本はそこも考えていたのですね」
「普通だと思っておったが」
「いや、それがです」
「違ったのじゃな」
「非常に合理的だと思います」
 出したものを肥料にすることはというのです。
「そして衛生的です」
「肥溜めもか」
「はい、しかしそうしたおトイレならです」
「風呂と一緒にはのう」
「なりませんね」
「うむ、絶対にな」
 それはないとです、長老さんは先生にはっきりと答えました。
「欧州の風呂にはそうした事情も関係しておるか」
「そうでしょうね」
「そうじゃな、しかし」
「それでもですか」
「本当にどうしてもな」
「欧州のバスルームについてはですね」
「わしは抵抗がある」
 お風呂とおトイレが一緒のお部屋にあることについてはというのです。
「あれが平気なのが理解できん」
「僕の今のお家は日本のお家でして」
「別々になっておるな」
「はい」
 先生が今住んでいる八条町のそのお家のことは見事なまでの和風のお家です、ですから当然お風呂とおトイレは別々になっています。
「それもおトイレは和式です」
「おお、それはよいのう」
「長老さんもおトイレは」
「うむ、和式派じゃ」
 まさにそれこそ、というお顔での返答でした。
「あれが一番慣れておる」
「だからですね」
「数百年親しんできたのじゃ」
 それだけに、というのです。
「あれが一番じゃ」
「和式ですか、僕としましては」
「先生はやはりじゃな」
「はい、洋式の方がいいですね」
 おトイレは、というのです。
「そちらの方が」
「そこはやはりな」
「文化の違いですね」
「そうじゃな」
 長老さんもそうだと言います。
「まさにのう」
「その通りですね」
「ふむ、日本とイギリスではそこが違うのう」
「お風呂事情やおトイレの事情も」
「国が変わればじゃな」
 そうなることをお互いに確認しました、しかし今の先生はといいますと。
「じゃが今の先生はな」
「僕はですか」
「日本人に見える」
「最近よくそう言われます」
「雰囲気や物腰もな」
 そうしたところもというのです。
「日本人の感じじゃな」
「そうなってきていますか」
「かなり馴染んでおられるな」
「本当に日本が僕に合っているみたいですね」
「嬉しいことじゃ」
「そのことがですか」
「うむ、わしも日本の狸じゃ」
 日本で生まれ育ってきています、それならというのです。
「それに親しんでくれているのならな」
「喜ばしいことなのですね」
「そうじゃ、ではこれからもどんどんな」
「日本に親しんで、ですね」
「そうして暮らしてくれれば何よりじゃ」
 長老さんはお風呂とお酒ですっかり赤くなっているお顔で自分と同じく赤くなっている先生にこう言うのでした。
「松山もよいところじゃが他の場所にも行かれるとよい」
「日本は素晴らしい場所が多くありますね」
「広島に行けばカープじゃな」
「あっ、長老さんも」
「うむ、広島ファンじゃが」
「それでもですか」
「今度優勝するのは何時じゃ」
 野球のお話にもなるのでした。
「全く、気が遠くなる程優勝しておらぬ」
「二十年以上ですよね」
「これでも創設以来のファンじゃ」
 長老さんはこのことに誇りも見せて語りました。
「まあ創設から二十五年も優勝しておらんかったが」
「そうですよね、昭和五十年の初優勝まで」
 加藤さんもここで言います。
「長かったんですよね」
「そこから黄金時代になったがのう」
「それが終わってから」
「うむ、今に至る」
 そうなったとです、長老さんは無念のお顔でお話しました。
「このままでは初優勝までの二十五年をな」
「超えますよね」
「巨人なんぞ優勝せんでいい」
 長老さんは加藤さんとお話しながら本音を漏らしました。
「カープが優勝すればよい」
「全くですね」
「やれやれじゃ」
 長老さんはこうも言いました。
「全く、あの頃はよかった」
「山本、衣笠がいてくれていて」
「九十一年まではよかった」
「あの頃までは力がありましたね」
「それがどうじゃ、今はな」
「あまり注目もされていませんし」
「影が薄くなったわ」
 広島東洋カープの今を嘆くことしきりの長老さんでした。
「阪神はどれだけ弱くとも人気があるのにのう」
「広島はそうはいきませんね」
「阪神はまた別じゃな」
「華がありますよね」
「わしは巨人は嫌いじゃが阪神は嫌いではない」
「私もです」
「ファンではないがな」
 それでもだというのです。
「四国の狸も二つに分かれておるわ」
「プロ野球のファンは、ですね」
「讃岐や阿波の連中は阪神じゃ」
 昔のお国の名前で言うのでした。
「甲子園に近いだけにな」
「そしてこの愛媛はですね」
「カープじゃ、土佐は半々じゃな」
「そうなのですね」
「まあ巨人でなければよいが」
「それでもですか」
「ここの連中でも最近のう」
 長老さんは他の狸さん達を見回しつつ残念そうに言うのでした。
「阪神ファンが増えておる」
「虎キチがですね」
「おい、聞いておるな」
 長老さんは苦笑いになって狸さん達に言いました。
「実に豊よ」
「はい、聞いてますよ」
「しっかりと」
「他にもおるからのう、大勢」
「何か鯉はここでも劣勢になってきましたね」
 加藤さんも残念そうに言うのでした。
「うちの子供も阪神贔屓で」
「いかんのう、それは」
「カープは弱いですね」
「いかんな、もう一度黄金時代にならねばな」
「はい、栄光を取り戻さないと」
「人気は戻らん」
「まずは強くなってこそですね」
 お二人のお話が真剣味を強くさせていました、そして長老さんは先生にも尋ねるのでした。
「先生はイギリス人じゃから野球は興味がないか」
「いえ、実は最近」
「何と、興味を持たれたのか」
「はい、プレイはしませんが」
 それでもだというのです。
「観戦は好きです」
「では贔屓のプロ野球のチームは何処じゃ」
「神戸に住んでいますし観ていて楽しいので」
 このことは申し訳なさそうにです、先生は長老さんに答えました。
「阪神を」
「そうなるか、仕方ないのう」
「面白いチームですね」
「あのチームは何をしても華があるからのう」
「他のチームと違うと思います」
「まあ巨人でなければよいわ」
 先生にもこう言う長老さんでした。
「そういうことじゃ、ではカワウソ連中のことはな」
「はい、お話してきます」
 このことはしっかりと約束する先生でした、先生の松山での観光は坊ちゃんとは全く違った方向に向かうのでした。



結構な数の狸がいたんだな。
美姫 「みたいね。でも、みんな平和主義みたいで良かったわね」
だな。狸側からの要求というか願いは基本、カワウソが大人しいかどうかみたいだしな。
美姫 「そうね。後は他愛もない話で盛り上がったって感じね」
まあ、特に問題がないのは良い事だけれどな。
美姫 「後はカワウソがどういう者たちかって所ね」
それは次回になるのかな。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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