何もかも失ってから気付く。大切な物を失って初めて気付く。

幸せだった事、楽しかった事、当たり前で何処にでもある、目の前にあるモノを失って初めて気付く。

かけがいのないモノなのに、大切なモノなのに、失って初めて気付く。

 

その時まで確かに在ったのに、何一つ過不足なく周りに在ったというのに、ふとした切欠で失ってしまう。

些細なことで、何でもないことで、どうしようもないことで、理不尽なことで……

とても簡単に失ってしまう。思いの他、単純に失ってしまう。

 

それが少年達の一族にとって当たり前だという事を少年は実感していたはずなのに、

その瞬間がどれ程満ち足りているか。その瞬間がどれ程愛おしいモノか。その瞬間がどれ程尊いモノか。

 言葉で言い尽くせないほどに大切なモノだという事を実感していたのに、

それがどれほど脆いモノか。それがどれ程壊れやすいモノか。それがどれ程儚いモノか。

 泡沫の夢のように消えてしまうモノだという事を実感していたのに、

 

少年は忘れていた。

 そんな事を忘れてしまいたくなるぐらいに今が満ち足りていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『流せぬ涙』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 終わりは唐突だった。

 

 平和な日。何でもない日。ごくごくありふれた一日だった。

 

「お父さん、何時になったら帰ってくるの? お兄ちゃん」

「ふむ、父さんがイギリスに行ってから随分たっているからな。もう少しじゃないか?」

「早く帰ってきて欲しいな。お父さんが帰ってきたらみかみ流を教えてもらうんだ!」

「あぁ、お前なら立派な剣士になれるぞ、美由希」

 

 高町士郎がアルバート・クリステラの護衛にイギリスに渡っている事以外は何一つ変わらない一日。

 

 美由希は士郎が帰ってくるのを楽しみにしている。

 今まで見ているだけだった兄がいる場所に少しでも近づける。兄と一緒にいられる時間が増える。

 それだけの事を純粋に嬉しがっていた。

 

 一本の電話が入るまでは。

 

 

「はいはい〜、今出ますよ」

 

 お腹の中に居る赤子を気遣いながらも桃子が電話口に出る。

 

 それが今まであった日常の終わりを告げる音だった。

 

「えっ? 士郎さんが――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初は信じられなかった。

 士郎がアルバートとフィアッセを護って死んでしまったなどと。

 あの強い、誰よりも逞しかった背中がもはやこの世界の何処にも無い事など信じられなかった。

 

 それは誰もが同じだった。恭也だけではない、美由希も桃子ももちろん、信じられなかった。

 

 あまりにも唐突過ぎて、あまりにも早すぎて、あまりにも突然すぎて。

 

 

 唯、恭也が最も自覚できたその時は、士郎が骨壷となって戻ってきたときと同じくして戻ってきた八景を握ってからだった。

 

 手にかかる殆んど握った事のない柄の重み。

 士郎にせがみ、握ったときには士郎の温もりがあった。

 そこにはまだ士郎がいるという証が残っていた。

 

 だが、今その掌の中にある小太刀の柄には何もない。温もりは何処にもない。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、お兄ちゃん。お父さん、帰ってきたんだよね?」

 

 無邪気な問い……ではなかった。

 美由希の顔はとても悲壮に溢れていて。

 何が起こっているのか理解しているのに認めたくないという気持ちが見て取れる。

 

「あぁ、帰ってきた」

「こんどはみかみ流を教えてもらえるんだよね?」

「もう、無理だ。父さんは死んだ」

「……うそだもん」

 

 本当は恭也に否定して欲しかった。

 嘘でも良かった。嘘の方が良かった。

 恭也も同じように士郎が生きている事を信じていると思っていた。

 

 だけど恭也は逃げない。

 

「父さんは死んだ。もう何処にも居ない」

「うそだもん! だってお父さん、約束したもん! 美由希に帰ってきたらみかみ流を教えてくれるって約束したもん!」

「もう、父さんじゃ叶えられない」

「どうして! どうして!?」

「もう父さんが居ないからだ」

 

 過剰なまでに現実を突きつけていく。

 それは恭也が必死になって堪えているから。

 美由希をなるべく支えてやりたい。だが、それでもまだ心の中で整理が付いていない。

 

 本当は美由希と同じように士郎が生きていると信じたい。

 士郎が本当は生きていて、びっくりさせる為に世界レベルで嘘をついていると思いたい。

 

 だけど、その掌の中にある八景が伝えてくれる。

 その掌の中にある八景がもう父がいないと教えてくれる、だから誤魔化せない。

 覚悟を決めていたから。何時か、父がこうなると知っていたから誤魔化せない。

 何よりも師匠である父が死を受け入れらない己を望んでいるとは欠片とて思えなかったから。

 

「どうして……お父さんが帰ってこないの! うっ、うあぁあああああ――――!!」

 

 突きつけられた優しくない現実。

 本当はまだ士郎が生きていると信じていたいのに、それでもそれが認められなくて、

 だから美由希は泣いた。

 失った悲しみを、ありのままに、心のままに、

 

「すまん」

 

 恭也は唯、謝る事しか出来なかった。

 心が未熟な為に美由希に配慮が出来ない事を、残酷な現実しか突きつけられない事を、

 生きていればきっとこういったであろう父に代わって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 美由希も泣きつかれて眠った頃、士郎の部屋から人の気配を感じた。

 美由希ではないし、己はここに居る。なら後一人しかそこには居ない。

 

 なるべく気付かれないようにその部屋に向かった。

 もしかしたら泣いているかもしれない――――などとは思わない。

 

 桃子はきっと泣いている。

 それは恭也にも確信できた。

 

「ひっく、うぅ。〜〜〜〜〜っ!」

 

 嗚咽と呼ぶに相応しい声。

 昼間泣けなかった分を取り戻すかのように桃子は泣いていた。

 

「かーさん」

「っ!? きょっ恭也?」

 

 驚きに嗚咽が一度止まる。

 だが、恭也はその座り込んだ母の頭を抱え込む。

 

「泣いていい。父さんもかーさんに泣いてもらえなかったらきっと悲しむ」

「えぐっ、桃子さんは泣いてなんかいないわよ?」

 

 必死の強がり。

 子供の前では泣けない。そうすれば、子供は母親の悲しみに引きづられてないてしまう。

 それは普通の親としては当然の行為かもしれない。

 

 だけど、恭也はそうしてくれない事を望んだ。

 

「かーさん、頼む。泣けない俺の変わりに泣いてくれ。

 俺は、父さんが死んだと分かっているのに泣けないんだ。

 俺はずっと覚悟してたから、父さんが死んでも泣けない。

 だから、頼む。かーさん。俺の代わりに泣いてくれ。

 俺の代わりに父さんの死を悲しんでくれ」

 

 精一杯の言葉だった。でもそれは本心だった。

 だけど、全てが本心という訳でもなかった。

 

 涙を流す事で悲しみを死者に伝えられるのなら代わりに伝えて欲しかった。

 決して悲しくなんてない。決して涙がこぼれないわけではない。

 

 だけど、士郎はきっと泣いていない己を望むから、だから泣かない。悲しみを表に出さない。

 

 でも伝わって欲しいから。息子として、弟子として、そんな父を尊敬していた一人の人間が悲しんでいる事が伝わって欲しいから。

 

 だから、桃子に頼む。

 泣かないと決めた己の代わりに、誰よりも悲しんでいる母に、涙を流してもらう事を頼む。

 

「恭也の馬鹿っ! 士郎さんの馬鹿――――――――――――――――――――っ!!」

 

 抱えた胸の中が涙で濡れていった。

 だけど見ることはしない。きっとそれは桃子が望まないから。

 それ以上に下を向けなかったら。

 

 桃子の悲しみが伝播して、こみ上げてくるモノを必死になって堪える為に上を向くしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜半過ぎ。

 桃子も美由希も悲しみにくれて布団の中で眠っている中。

 恭也は一人、何時ものように剣を振るう為に家を出た。

 

 森の中、形見となってしまった八景を振るう。

 今まで使っていた小太刀と重さも長さも重心のある場所も全てが違う。

 

 今まで習ってきた全てを示そうともそれは思い通りにはいかない。

 剣閃が過ぎ去った後の風の声は鈍く、思っている以上に冴えない。

 

 だが、それでも掌の中にある新しい剣を振るう。

 

 頭の中で仮想の敵を作り出す。

 

 無論、それは士郎。

 その人以外に戦う人はいない。それ以外の人に鍛錬の相手をしてもらう気はなかった。

 

 そして、それ以上に怒りをぶつけるべき相手は居なかった。

 

 

 

 振るう。振るう。振るう。

 まだ手に馴染んでいない形見を振るって、今までの技全てを駆使して父にぶつける為に動く。

 だが、想像の中であっても父は容易にその攻撃を紙一重で避けていく。

 振るう剣閃が一つとしてあたりはしない。

 

 どんなに振るっても、どんなに戦術を組み立てても、当たりはしない。

 

 焦りが生まれる。怒りが生まれる。憤りが生まれる。

 

 感情を押さえ込もうとして振るった剣は溜め込んでいく事しかできなくて。

 

 想像の中でさえ、こんなにも強いのに。こんなにも強い事を覚えているのに、御神の中でも強いと謳われていたのに。

 それでもあっけなく死んでしまった事が悔しくて、悲しくて。

 

 

「まだ、早いだろ!」

 

 幻影の士郎に向かって吼える。

 心の底から思っている事を吐き出す。

 

「帰ったら美由希に御神の剣を教えるんじゃなかったのか!

 帰ってきたら美由希を俺の弟弟子にして、一緒に鍛えていくんじゃなかったのか!」

 

 『徹』を当てるもそんなものはお見通しだといわんばかりに幻影は同じように『徹』を込めた一撃を出してくる。

 当たらない。

 

「まだ、生まれてくる子供の名前さえ決めていない。あんたが決めるんじゃなかったのか!?

 生まれてくる子供に顔も覚えてもらわずに、温もりさえ残さないっていうのか!?

 生まれてくる子供が父親がいないと知って悲しむだろうが! 父親がいない事で寂しい思いをするだろうが!」

 

 隙間を通すように『貫』を込めた一撃を出す。

 だが、それさえも分かっているといわんばかりに幻影は避ける。

 

「かーさんとこれから幸せになるんじゃなかったのか! 

毎日美味くなっていくシュークリームを飽きるほどに食べるんじゃなかったのか!?

かーさんを悲しませてどうするんだ! かーさんを一人にしてどうするつもりだ!?

まだ、かーさんはあんなにも若いのに! かーさんはあんなにも弱いのに!」

 

 鞘に収めた八景を鞘走りを使って抜刀する。

 初めて教えてもらった抜刀術。初めて教えてもらった御神の奥義、『虎切』

 だけど、必死になって磨いた奥義も幻影の父には届かない。

 

「俺を強くする約束はどうするんだ! 俺を強くしてくれるんだろ!?

 俺を誰よりも強くしてくれるんだろ! 俺を父さんに追いつけるぐらいに強くしてくれるんだろ!」

 

 抜刀をして、回転力をいかして四条の閃光を生み出す。

 始めてみたときから目に焼きついていた、他のどんな奥義よりも憧れていた『薙旋』。

 だけどそれさえも当たらない。

 

 だって、幻影はその技を誰よりも得意としていたから。

 その人が得意としていた技だから憧れたその技は届かない。

 

「何故だ! 何故だ!! 何故だ!!!

 早すぎるだろ! 唯一つも叶えちゃいない! 唯一つも約束を果しちゃいない!

 美由希はどうする!? アンタに御神の剣を教えてもらうことを楽しみにしていたのに!!

 生まれてくる子供はどうする!? アンタに付けてもらった名で生まれてくるはずだったのに!

 かーさんをどうする!? あんなにも弱い女性なのに! あんなにアンタと幸せそうにしていたのに!

 全て、全てアンタが背負ってたモノだろうが! 全てアンタが大切にしてたモノだろうが!

 なのに、全て置いていってしまうのか! 全て放り投げてしまうのか!

 俺さえも置いていくのか!? 貴方の背中に憧れた俺をこんな所で置いていくのか!」

 

 がむしゃらに振るう小太刀は悲しい旋律しか奏でない。

 がむしゃらにしか振るえない小太刀は風を無様にしか斬れない。

 

「逝くんだったらっ! 俺たちを置いていくのなら、全て果してからにしろよ!

 全て果して、もうする事がなくなったんなら、こんなに悔しくなかったのに! こんなに喪失感がないのに!

 何故だ! 何故だ! 早すぎるだろ! まだ何一つ約束を果していないのに!」

 

 

 声が溢れていた。

 だが、涙だけは流さなかった。

 

 そんな弟子を士郎が望むとは欠片とて思えなかったから。

 そんな息子を士郎が望むとは欠片とて思えなかったから。

 

 

 激情を、悔しさを、悲しみを混ぜて振るっても、

 こんなにも剣閃が乱れていても、こんなにも風切音が無様であっても幻影から声はかからない。

 拳骨はとんでこない。痛みがない。

 

 

 もう士郎はいないから、もう士郎がいないから。何も叶わない。

 

 

父さんの大馬鹿野郎ーーーーーーーーーーー!!!!!

 

 

 

 

 その夜、風切音にさえ成っていない音が、泣き声になっていない哭き声が止む事はなかった。

 

 

 

 


後書き

 

 お久しぶりです。

 今回は「悲しくも気高き守護者」での士郎の死亡直後。

 

 原作と違うのが、美由希と桃子が恭也の前で泣いている事ですね。

 本来、美由希は一人隠れて泣いていて、桃子は恭也の前では決して泣きませんでした。

 けど、「悲しくも気高き守護者」では恭也以外が年相応である事を願って書いています。

 ですので、彼女達には普通の女性のように泣いて欲しかった。

 その分、恭也に全てを背負わせる事になってしまっていますが。

 

 この物語は残酷です。全てを恭也に背負わせているのですから。

 

 

 

 

ざから「久方じゃな」

 あぁ、随分と。

ざから「さっさと書かんか! 他のやつも書こうと思って手を止まっているのがあるだろうが!」

 あぁ〜、悪い。うん、悪い。

ざから「まったく。はぁ、しかし、今回も恭也は強いな」

 強すぎたが故の悲劇だろうな。原作よりもほんの少し心が強すぎた為に、桃子達がほんの少し弱かった為に、

ざから「恭也の心が強いのはほんの少しか?」

 うん、ほんの少しだ。元々恭也は強すぎるぐらいの心の持ち主だから、これはほんのちょっと強くなったに過ぎない。

ざから「ほんの些細な違いか。恭也が弱ければ苦しまずに済んだろうに」

 だろうな。だがその分、桃子が背負うだろう。結局、この時期の高町家は誰かが背負わなければならない。

ざから「士郎殿も厄介な時期に逝ってしまって」

 それはそう思うな。まぁ、言ってせん無き事だが。

ざから「覆水盆に帰らず……か」

 まぁな。

ざから「悲しいな。あんな音しか出せないのでは特に」

 澄み渡っていない小太刀の音は本当に心を晴らせないからな。

ざから「故にこそ、あの小太刀で澄み渡る音を出そうと懸命に振り続けるか。

 それでも尚、風斬音は無様なままだが。

ざから「努力しようとも、それは士郎殿がいないことを告げるだけか」

 そうだな。





士郎が亡くなってすぐのお話みたい。
美姫 「泣かない、泣けない恭也に胸が」
かなりしんみり。
美姫 「ある意味、ここが始まりでもあるのね」
今よりももっと強くならないといけない恭也。
本当に良いお話です。
美姫 「それでは、今回はこの辺で」
ではでは。



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