『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




C]Y そして休暇は明けていく。

 九月一日。
 普通であれば気だるい空気が流れる筈の風ヶ丘学園一年のとあるクラスには、けだるい空気の他に間違いなく重力を感じさせる重苦しいものが停滞している。
 発生源は剣心と夕凪である。
 夕凪は夏休み中に大きな怪我を負ったものの、打撲中心のため見た目が痛々しい。
 対して剣心は頭の上にもう雨雲が漂っているのがひしひしと肌に感じる重さだ。
 案の定夏休みの思い出話に花を咲かせている他のクラスメイトも視界に入れつつも、あえて触れようとしない。触れて薮蛇になりたくないという当たり前の心情か。
 兎にも角にも、席が前後の二人は互いに机に突っ伏しており、ゴールデンウィークの時と同様の暗さを撒き散らしていた。
「なぁ」
「なに?」
「俺達、長期休暇のたびに怪我してないか?」
「……言わないで……」
「はぁ〜い! みんな席について〜。つかなかったら蹴り倒すよ〜」
 そんな物騒な事を言って満面笑顔で教室に飛び込んできたのは始業ベルより五分も早くフライングをかました紅美姫臨時教諭である。
 全身血まみれのはずだったのに、何であんなに元気なんだろう? やっぱり化け物だわ……。
 と、絶対に口にできない感想を心の中で呟きながら、夕凪は出席簿に丸印を入れるために返事をした。

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 事件の事後処理は大幅に遅れていた。
 ただのトリックを用いた非現実的な強盗事件かと思われたが恭也や橘修吾、そして千堂瞳と雪代巴の負傷により、裏に新生龍が動いている事が表面化したためだ。
 これにより強盗事件は大規模テロ事件の一端になるのでは? と警視庁が動き出したためだ。
 もちろん当事者であるリスティや大学生である恭也や美由希も付き合い、細かな事情聴取や春先にあった比叡山での出来事も含めてどうやら世界規模の事件と発展しそうな勢いである。
 学生または戦闘者は海鳴に帰しているので、残っているのは三人で、質問が集中するのも三人となっていて、九月を向かえた頃にはぐったりと滞在先として提供を受けていた神谷道場に四肢を投げ出して倒れこんでいた。
 なので帰宅早々俎板の上の鯉となっている三人を居間で発見して、途中で一緒になった一志とほのかはびくりと動きを止めた。
 あの冷静な恭也でさえ疲れた表情を見せている。
「だ、大丈夫ッスか?」
 つい反射的に口をついた言葉に、美由希がテーブルに突っ伏していた顔を半回転させた。
 思わずそこに浮かんでいた濃紺な疲労の色に再び一歩引いてしまった。
「う〜……高尾山と新国立劇場の話から……もう色々と……。私と恭ちゃん、テロ対策チームに入れられそうだし……」
「それはまた……」
 何ともいえない表情と、これまた何とでも取れてしまう微妙な返答をしつつ、二人はどうしたものかと顔を見合わせた。
 そこへ軽い足音が聞こえてきた。
「あら、ちょうど良かった。二人にお話があったの」
 挨拶もせず姿を見せたのは、雫だった。普段は礼儀に厳しい彼女がすぐに本題に入ろうとするなど滅多にない。
 再び二人は顔を見合わせ、頭の上に疑問符を思い浮かべた。

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 橘修吾は面会者と言われて、首を傾げた。
 高尾山で自分自身の疑惑は晴れたが、逃亡時に行った公務執行妨害。そして瞳誘拐の罪は免れず、通常よりも格段に短い期間ではあるが刑に服する事になった。だがすでに天蓋孤独の身である彼にとって、面会人など想像もできないのだ。
 所員に付き添われやってきた面会室で待っていた人物は、修吾を見るや否やにこりと笑みを浮かべた。
 その笑みを視界に納めた瞬間、修吾は思わずげっと口にしてしまった。
「……何よ? そのげって?」
「いや、何でもない。それよりも何故ここにいる?」
「何故と言われても困るんだけれど、強いて言うなら会いたかったから。かな?」
 そう言って再び微笑んだ千堂瞳に、修吾は嘆息した。

 あれから警察病院に収容された二人は怪我のある程度の回復を待って事情聴取を受ける羽目になった。隣の部屋では恭也達も受けていたが、捜査妨害に当たる行動をとった二人は、どちらかと言うと説教が主だった。
 何とか回復するも全ての裁判を断り、自ら刑務所へと入所した彼を見送って一週間。
 色々と思い悩む部分はあれど、結局は直感的な部分が大きく左右し、結果、修吾にもう一度会う事を決めたのだ。
 そして今目の前に修吾を向かえ、気持ちの整理がいとも簡単に出来た自分に驚く。
「それで何のようだ?」
 当然の疑問だった。
 誘拐犯に面会に来て笑顔を振りまく人間などいない。
 尤も修吾が信じられる人物あるのは一緒にいた短い時間でよく理解している。
 だから瞳は所員がいるにも関わらず、こう告げた。
「うん。告白しにきたの」
「よくわからんが、何か後遺症でもあったか?」
 何のてらいもなくそう尋ねてくる生真面目さに思わず笑いが零れた。
「何だ?」
「いえ、貴女が勘違いしているなっておかしくなっちゃったの」
「勘違い?」
「ええ。いい? 私は『告白しに』きたのよ?」
「だからなんのこくは……は?」
 其処にいたって、ようやく修吾も理解したらしい。口を半開きにしてぽかんと瞳を見ている表情が、逃走時の真剣さなど微塵も感じさせないのが更に面白い。
 パクパクと金魚のように口を動かして声にならない言葉を呟いている。しばらくそうしていたが、大きな溜息をつくと普段の真剣な彼に戻っていた。
「何を勘違いしているんだ?」
「勘違いって?」
「危険な条件下にいると恐怖の動悸と恋愛の動悸を一緒くたにしてしまう事があるだろう。お前が感じたのはそれだぞ」
 言いたい事は理解できるが、瞳は大きく首を振った。
「私だってそこまで子供じゃないわ。これでももう三十路近いんですもの。もちろん、最初は怒りしかなかったわ。でも自分の無実を晴らすために真剣な人柄を短い期間ながら触れて……そしてこの一週間勘違いかもと思いながらすごしたわ」
 そこで言葉を切ると、瞳は視線を一旦伏せた。そして顔を上げた時、修吾も胸を高鳴らせるくらい綺麗な女性の顔があった。
「今日、会いに来てわかったの。私、貴方が好き。だからちゃんと待ってるわ」
「……俺は返事をしていないんだが?」
「それでも、待つのは勝手でしょ?」
 今は逃走中の出来事は語る時間はない。
 だがたった数日間の逃走で、二人の間に芽生えた感情は真実なのだろうから、今は何も語るまい。

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「あ、夏織さん」
 新生龍のアジトの廊下で彼女を待っていた雅孝は小さく手を振った。
 その仕草にどことなく違和感を感じつつ、夏織は雅孝を一瞥した。
 そんな様子に気を悪くした様子もなく、彼は通り過ぎていく彼女の後に続いた。
「何のようだ?」
 それから数分はそうしていただろう。
 別に沈黙に耐えられなくなった訳ではないが、夏織からそう切り出した。
「ええ。実は許可を頂きたくて」
「許可?」
 まるで心当たりなどない。
 疑問に思い視線を送ると、相変わらずの笑顔しかない。
 いや……。
 と、夏織は何処か普段と違う雰囲気を感じて心の中で小首を傾げた。
 そんな様子に気づいた風でもなく、雅孝は話を進めていく。
「そのですね。恭也君を殺す許可を頂きたいんです」
「……どういう事だ?」
 これまで二人は志々雄の腹心として様々な事に手を染めてきた。相手が誰であろうと、どんな指令であろうと。志々雄の楽しみを奪うまいと彼に許可を求める事があっても、互いの興味を優先するなど一度もなかったのだ。
 だが雅孝はそんな許可を求めている。
 眉根を潜めるには十分な理由であった。
 もちろん、そのような反応は予測済みだったのだろう。大してうろたえるでもなく笑顔で続けた。
「おそらく、志々雄さんが六魔陣を起動した時、緋村さんを含めて最大の障壁になると思います。志々雄さんのお気に入りでもありますしね。ですが、僕はそんな過去の人斬りもどきではなく、今の剣士の方が脅威に思っています」
「それが恭也だと?」
 質問にええ。と頷いた。
「おそらく彼はまだ未完です。その状態で僕の刀を使い物にならなくしました。このまま成長したら、最大の障害になりかねません」
 言いたい事は理解できる。
 守りたいものがある時の御神の剣士の強さは彼女が一番理解してた。
 だから、
「好きにしろ。私に許可を出す権限などない」
 こう答えて足早に立ち去った夏織には、その場に残った雅孝の変化に気づかなかった。
「人殺しの癖に、あっちにいるなんておかしいんだ。それで未完なんてあってはいけない。いけないんだ……」
 その感情が何であるのか。理解するにはまだしばしの時間が必要だった。

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 時を同じくして朔耶は己の左腕を見つめていた。
 そこには凍傷による爛れた皮膚が広がっている。美姫と闘った傷跡だ。ここまで開放しなければならない相手だったのに、美姫は一つも門を開放しなかった。
 末恐ろしく感じる。
 次に見えるのは……。
「おそらく六魔陣」
 闘う相手は、
「紅美姫」
 そして結果は、
「私の死」
 まず間違いないだろう。
 このままではそれは現実になる。
 だから彼女は決死を腹に溜め込む事にした。
 紅美姫を確実に屠るための最大の技を。
 そして――。
「同じ死ぬなら連れて行くさ」
 冷たい決意は誰にも気づかれなかった

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 新生龍のアジト内の道場で、汗が思い切り飛び散っていた。
 想像する敵は一人の少女である。
 彼女に目的は二つあり、そのうちの一つはずっと前に見つけていたのだが、この間のクリステラ襲撃の時、ようやく残りの一つを発見した。
 まだ未熟で二重の極みしか使えない少女だったが、一撃は完全に彼女の目的を破壊した。
 無理をすれば使えただろう。
 だが目的を持つ身は、その一線を越えさせなかった。
 絶対完全勝利。
 それが彼女が求めるものであり、決して無理を通すことが正しいなどと熱血漢で勢いのまま走る人物ではないのだ。
 見た目と普段の態度から、猪突猛進と思われているのは知っていた。しかし本当の彼女は優しく思慮に溢れているのだ。
 そんな彼女が手にしたのは無敵流という名の格闘技であり、それを習得した時、二重の極みとの決着を義務付けられた。
 元々格闘技は好きだったため、そんな強者との戦いはうれしい限りで、嬉々として探したが明治時代に使い手は大陸に渡った事を知り落胆したものだった。
 だがその後起きた出来事を思い出すたびに、もう一つの義務を思い出さずにいられない。
 地獄の釜をひっくり返したようなマグマが気泡を大気に撒き散らし、冷静な彼女の精神を焼き尽くしていく。それは意識がどこか逝ってしまいそうな苦痛だった。
 それでも彼女はオアシスのように見つけたのだ。
 二重の極みを。
 真っ直ぐに友人のために自分を見据えてきた少女。かつての己のように――。
 正拳突が道場に新しい汗を飛び散らせた。
「相楽夕凪、次が楽しみだよ……」
 天美志野はそう呟くと再び想像相手と組み手に没頭し始めた。

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 暗闇の中、志々雄はただ闇を見つめていた。
 だが瞳には一人の青年が映っている。
 赤毛で短身痩躯。左頬に横に短い刀傷を持った逆刃刀の青年だ。
 あれで羽織袴を履けば、二百年前の再来だった。
 右手を握る。
 そうする事で合わさった刀の重みを思い返す事ができる。
 その威力は昔と遜色ない。
 彼が比叡山でその身に受けたものと同等だった。
 ただ平和な世界が心をまだまだ戦闘域に高めていないだけなのだ。
 自然と笑みがこぼれる。
 再会は果たした。
 次は決着をつけるのみ。
 志々雄はその時を想像しながら、瞼を閉じた。

 これが事件に関わった剣心達のその後である。
 基本的に世界は大して変わらず、それでも変化を受けながら各々の世界に戻っていっている。
だが彼らは再び思うだろう。
 世界は何と皮肉しか存在していないのかと。
 そして悲劇とともに訪れる結末を知るものは誰もいないのだ……。





とりあえず、事件の後って所かな。
美姫 「まだ脅威は去っていないけれど、それぞれの世界へと一旦は戻っていく者たち」
これからどんな出来事が待っているのか。
美姫 「まったくもって、非常に続きが気になるわね」
うんうん。次回を楽しみに待つとしますか。
美姫 「そうね。次回も待ってますね〜」
ではでは。



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