『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




LXXX[・転入生と新任教師と……どちら様?

 美緒が樹とファーストキスをしてしまい大騒ぎになっていた頃、ようやく再開された風芽丘学園では、久しぶりに全員無事に集まる事ができたクラスメイト達の歓喜に混じって、剣心と夕凪が疲れきった表情で机に突っ伏していた。
「……そっちも大変だったんだなぁ……」
「緋村こそ……」
 互いに家主や住人に起きた出来事にここ数日まともに寝られなかった二人は、朝の七時に校門で合流し、目の下に大きな隈を作ったまま教室に入り、ようやく数分前に海鳴テロの時にそれぞれに起きた事件を話終えたところであった。
事件の傷は夕凪の目の前にも存在していた。
剣心の左頬に刻まれてしまった傷。刃衛と最後の衝突を終えた後、気付いた時には頬を項にかけて横真一文字に刻まれた刀傷。
一向に治癒できない傷は、一種の呪とも言うものだと、神咲薫が判断を下した。そうなれば何時治るのか? 等はわかるはずもない。
 そしてそれぞれが家族と呼んでもおかしくない位置にいる人が怪我をして塞ぎこんだり未だに泣き続けているのは、周囲にいる人々も疲弊させていく。
 特に剣心は何故かぎこちなくなった二人が更に問題を抱える結果になったのだ。彼だけではなく栄治も数キロ体重をすり減らしてしまった。
「でも一番心配なのは小鳥さんかな……」
「あ、それは俺も思った。相川さんはまだ意識不明だしさ」
「それを言ったら真雪さんもだよ」
 同時に深深と溜息をつき、一瞬だけ起きていた顔を再び机にふせる。
「あ、そう言えば、さざなみ寮に居候しているっていう相楽の幼馴染はどうした? 帰ったの?」
 話の中に何度か出てきた夕凪曰く台風と地震と氷河期が一片に襲ってきたようだと形容される美姫を思い出して、剣心は気だるそうに三度顔を上げた。
「美姫さん? まだあたしの部屋に居候してるんだけど、なんか今日は朝からそわそわして出かけてった」
「ふ〜ん」
「そっちより鷹城先生でしょ? 幼馴染二人あの状態で、しかもお母さんまで」
 夕凪の言葉に剣心は唸りつつも窓の外に視線を送った。
 確かに今回の海鳴テロで、身近な人々の中で一番の痛手を受けたのは二人の担任である鷹城唯子であろう。
 幼馴染の様子がおかしくなって、力になれないかと思案していたところ、今度はたった一人の身内である母親が死亡したのだ。多量な失血は運動中枢に僅かに後遺症を残し、現在も車椅子で生活を余儀なくされている。今日も学校が再開されると言う事で一人体だけは無事であった小鳥が様子を見に行ったが、登校しないらしい。
 夏休みまでまだ一ヶ月は有にある六月半ば。
 怪我の度合いを見ても一学期中に彼女の笑顔を見るのは無理である。
「はぁ。こうも周辺だけだと妙な作為を感じるな」
「本当にね〜」
 何処か気の抜けた返事を発する夕凪に、剣心も無言で同意した。
 その時、黒板上に設置された校内放送用のスピーカーからHRを告げるチャイムが響いた。
「……そういや誰がくるんだろ?」
「副担の吾妻じゃないの?」
 少し登頂部が薄くなった髪を気にするひょろりと背の高い中年の数学教師を思い浮かべ、唯子の代わりで、折角の再開初日がそういう顔で始まる現実に、剣心はまたもや深い溜息をついた。
 それまで雑談を交えていた他のクラスメイト達も、各々が自席に着席してく。そして合わせるように廊下と教室の間にある壁一面のすりガラス越しに、一人の人物が通っていく。。
 一番最初に気付いたのは、やはり窓際に座っている男子だった。
 彼もまた唯子が登校しないのであれば、副担任である吾妻が来ると思っていたのだが、横を通りすぎた人影はどうみても男の影ではない。いや胸部に見える唯子と見比べても遜色ない胸元に、スタイルの良い腰周りは間違えるだけ失礼である。しかも極めつけは頭部に確認できる髪であろう。間違いなく吾妻ではないのだ。
 そのざわめきはすぐにクラス中に広がり、疲れから倒れていた二人も顔を上げる羽目になった。と、同時に教室の引き戸が元気良く開かれ、そこに見えた顔を見て――。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
 元気の欠片も身に潜めていなかった夕凪が、大声を上げながら椅子を倒して立ち上がった。
「は〜い。みんな席ついてる?」
 項が見える程度の長さの髪を結い上げ、昔から整った顔立ちに薄らとされた化粧がマッチして色気と可愛らしさを同時に兼ね備え、しかもスリムジーンズに薄いライトグリーンのジャケット姿がワンポイントとして全身をコーディネートしている。
 そんな魅力ある、見覚えのない若い女教師を指差して驚いている夕凪に全員が目を丸くして注目した。
「な、な、何でここにいるの!」
「ん? あら? 夕凪のクラスだったんだ? ヤッホ〜」
「ヤッホ〜じゃなくて! どう言う事か説明してよ!」
「そんな怒鳴らなくても説明するわよ。ただ学校じゃちゃんと紅先生って呼ぶのよ」
 落ちついた品のある普段と同様のピンクのリップクリームを塗った唇をたおやかに微笑ませ、女性は教壇に立つと一度ぐるりと愛嬌のある瞳で全員の顔を見まわしてから、黒板に自分の名前を書いた。
 最初、周りと同じようにぽかんとしていた剣心だったが、教壇の女性が名前を書くに連れて顔が硬直し、油の切れた人形のように後ろの席である夕凪に降りかえった。
「あの……?」
「……言わないで。お願いだから」
 どうやら正解らしい。
 つい十数分前に名前を聞いたばかりの女性に、再び視線を向けた。
「はい! じゃ、自己紹介からします。私は紅美姫。年齢は十八。十五の時に通信教育でマサチューセッツ工科大学を主席卒業したので教育免許は持ってます。訳あってしばらく海鳴にいるで仕事を探していたところ、昔の知り合いの紹介で、担任の先生が病気から回復するまでの間、このクラスの臨時教員になりましたのでよろしくお願いします」
「……なぁ、相楽の幼馴染って……?」
「ああいう人なのよ」
 あまりの学歴に全員が餌を強請る鯉状態になった自己紹介を、質問タイムなしで終わらせると、美姫は教壇前に移動すると改めて生徒の顔を見渡した。
「で、色々と聞きたい事はあるだろうけど、実はこの間の事件でバタバタしちゃって延期になってたんだけど、今日は転入生がいます」
「……自己中?」
「見た通り」
 すでに質問に答えるのすら面倒になっている夕凪を余所に、唖然としているクラスメイトをそのままに、何時の間にかドアの向こうに立っている人物を手招きした。
 転入生は、合図を見ると小さく頷きゆっくりとした穏やかな足取りで教室内に歩を進めた。
 ドアと柱の影から現れた転入生が全身を教室中にさらした途端、男子全員からは小さな感嘆が漏れ、女子からは溜息が生まれた。
 それも仕方ないだろう。
 入ってきた人物は腰まである長い髪を項付近で珍しい和紙のリボンで纏め、横に流した髪は自然なシャギーが入っている。肌はまるで雪のように白く一点の曇りもない。元々大きめに作られている風芽丘の制服の上からでもはっきりとわかるスタイルの良さは、美姫のように豊満なものではないにしてもすらりとした綺麗なものだ。スカートから伸びる足の細さからもそれは伺える。
 顔も端麗で切れ長の瞳やそれを彩る睫毛、小さく適度に引き結ばれた唇など、まるでミロのビーナスを連想させる。
いや現実感が希薄というのだろうか?
 転入生は学校指定の鞄を両手でしっかりと体の前で持ったまま美姫の隣まで来ると、九十度回転して正面を見た。
「さ、自己紹介お願い」
「はい」
 美姫の促しに小さく頷くと、転入生はこれまた控えめに深く空気を吸い込むと張りのある野桜のような唇を開いた。
「初めまして。私は雪代巴と言います。京都から父親の都合で転校してきました。みなさん、宜しくお願い致します」
 外見の儚げさに負けない小さな挨拶に、全員が食い入るように聞き入り、終わった瞬間に大きな拍手が巻き起こった。
「ねぇ、何処から来たの〜?」
「彼氏いるの? そんなに綺麗だからいるよね? ね?」
「スリーサイズは幾つ〜?」
「はいはい。今質問した奴等は後で職員室ね。じゃ、席は……ま、転入生は窓際後ろがお約束だし、夕凪の後ろにしようかな。えっと、夕凪の前の小さいの」
「なぁ、怒っていいのか?」
「あたし、今まで喧嘩して勝てた覚えない」
「……止めとく。何スか?」
「用務員室前に新しい机あるから、持ってきてくれない?」
「了解っす」
 諦め混じりの溜息をつきながら教室を出ていく剣心を見送って、夕凪は心の中で小さく合掌した。
 そしてもう一人、巴もまた綺麗な面のような顔を動かし、剣心の背中を見送った。
 剣心が戻ってきた頃、すでに美姫の姿はなく、転入生の運命というか案の上巴はクラスメイトによる質問攻めに合っていた。
 座る席のない彼女は、未だに黒板の前に立って黒い人垣に囲まれている。
 その様子を横目に納めながら、剣心は机を窓際の一番後ろに丁度良い幅を持って設置した。
「お疲れ様。災難だったわね」
 机を置くと苦笑を浮かべた夕凪が、すぐに労いの言葉をかけてきた。
「本当だよ。寝不足の上に肉体労働なんてかったるい事この上ない」
「ま、今日はこの後全校朝礼で終わりだし、さっさと帰って寝よう」
「賛成」
「あの……」
「ん?」
 肩を叩きつつ夕凪の提案を一もニもなく同意した剣心に、か細い言葉がかけられ話をしていた二人は同時に首を九十度曲げた。するとそこにはどうやって人垣を超えてきたのか巴が表情を変えずにりんとして立っていた。
「机を運んで頂き、ありがとうございます」
 しずしずと頭を垂れ、戻しながら漆黒の黒曜石のような瞳に剣心の顔を映す。
「いや、あのままだと俺がどうなってたかわかんないし、誰かが取りに行かなくちゃいけなかったろ?」
「それでも……かなりお疲れではなかったのですか?」
「まぁ、そうだけど、気にする事じゃないさ。えっと雪代だったっけ?」
「はい。貴方は?」
「俺は緋村剣心。こっちのデカイのが相楽夕凪」
「コラ。デカイは余計だ」
 それでなくても気にしてるのに。と、ぶつぶつ言い始める彼女に生返事で謝って、剣心は巴に苦笑を浮かべた。
(え?)
 
『何時か……何処かで見た笑顔。
 頬に残るは十字傷。
 京都に血の雨を降らせた悲しき剣士は、心に冷たい雨を降らせていた。
 一番最初は、恨みから。
 二番目は戸惑い。
 そして三番目には――』

 一瞬、頭に浮かんだ映像。
 今目の前にいる剣心と同じようで何処か違うのに、それでいて同じ笑顔。腰に差した刀と着物、刀はなく学校の制服という違いはあれど、紛れもなく同一の存在――。
「雪代さん?」
「え? あ……」
 気付いた時、巴は剣心の腕の中に居た。
 しばし何故腕の中にいるのかわかりかねてしまったが、すぐに夕凪が納得の行く説明をしてくれた。
「大丈夫? 何か突然倒れちゃったんだけど……保健室行こうか?」
「い、いえ大丈夫です」
 眉一つ動かさずに、巴は感情の感じられない声で断ると、すぐに自分の足で立ち上がった。
 その様子にただの眩暈だろうと考え、夕凪も剣心もそれ以上何も言わなかった。机を並べて縦横をしっかりと前席である夕凪の机に揃えると、別に付かれた訳ではないのに気だるそうに肩を回した。
「んじゃ、朝礼にいきますか」
「そうね。雪代さんも行こう」
「はい」
 見るとすでに時刻は九時五分前に差しかかろうとしていた。
 他のクラスメイトも巴への質問攻勢を一旦終了し、教室を出ていく。剣心達三人もそれに習って続いていった。
 廊下にはすでに近隣の教室から出てきた生徒達でごった返しており、牛歩で朝礼会場となるグラウンドに行く事を余儀なくされる状態だった。
「あらら。これはしばらく動けないわ」
「そうだなぁ。ま、退屈な朝礼だし、サボっても……」
「サボるのは……いけません」
 ここ数日を考えると自分もかなり辛かったため、普段は止める立場の夕凪も同意しかけた時、意外な方向から諌める言葉が投げかけられた。
 夕凪の隣に立っていた巴が、ぽつりと消え入りそうな大きさの声で否定したのだ。
 見た目はどちらかと言えば黙ってついてくるタイプに感じたので、剣心と夕凪は目を丸くして顔を見合わせた。
「……ダメだって」
「……仕方ない。朝礼で寝るか」
 そんな二人が気付かないくらい小さく、巴は口元を緩めたのだった。

「――で、何で俺まで?」
「それを言うならあたしだって」
「グダグダ言わない。そして黙って鷹城って人の家を案内する」
 ようやく学校を終え、疲れを癒すために早々に帰宅を試みた剣心は、すでに捕まっていた夕凪と(しかも少しゲンナリしていたため、何かあったと思われる)、これまた捕まったのだろう能面のような無表情の巴(こちらはどうしてかわからない)を引き連れた紅美姫教諭が校門で待ち構えていた。
 用件を言う前に背後に回った夕凪に羽交い締めにあい、体格差に物言わせて引きづられるままに、付き合う羽目になってしまった。
 もちろん、何度も脱走を試みたが、その都度夕凪が恐れる美姫の野生本能が発揮され、恐ろしい笑顔で連れ戻される。
 合流五分後には、学校に居る時よりも疲労度が数十%アップした青い顔色で美姫を唯子の家まで案内していた。
「でも何で鷹城先生のところに?」
「簡単よ。急遽決まった人事に、巴ちゃんの転入だから引継ぎや報告をしておかないといけないの」
 細かい部分は省いたが、美姫の説明によると出席や成績に関する資料を自宅に持って帰って仕事していたらしく、基準となる書類が学校に残されていなかったという。
「後は一度会ってみたいだけ」
「……こっちが本音でしょ?」
「もちろん」
 大きく胸を反らせる彼女に、大きく溜息をついて教え子二人は深深と互いの気苦労を労う溜息をついた。
 唯子の家は住宅街の真中にある。
 風芽丘学園の裏口から出ると途中までは幼馴染の登校路は一緒で、途中で三方向に分かれる感じだ。
 駅側に向かう真一郎に真っ直ぐ向かう小鳥に、そして国守山方面へ向かう唯子となる。前に一度だけ小鳥のお使いで訪れた剣心は古くなった記憶を必死に手繰り寄せて、見覚えのある景色が広がった事に安堵して、肩から力を抜いた。
「それで雪代は?」
「私も……挨拶です」
 無感情な一言で終了した会話。
 所在無さげになった剣心は後頭部を掻きながら、唯子の家に向かう最後の曲がり角を指差した。
「あ、そこ曲がったらすぐです」
 少し大きめの外見が煉瓦風の家の角を指差し、前を歩く美姫と夕凪に教えた瞬間、突然角から人影が飛び出し、丁度一番前を歩いていた美姫に正面衝突した。
 さすがにあまりに唐突だったため、夕凪もフォローできず、剣心も唖然と大口を開いてスローモーションになり、折り重なって倒れていく二人を見下ろしてしまった。
 プロポーションのいい美姫のお尻が弾んでアスファルトに着地する。
「先生、大丈夫ですか?」
「イタタタタタタ……。ちょっと危ないじゃない!」
「テテテテテ……。ああ、すいませ……」
 美姫にぶつかったのは、一人の男だった。
 天然パーマなのか全体的にウェーブがかった髪の下に小さい丸眼鏡をかけ、ひょろりとした長身の体系に合わない少々子供っぽい顔つきをしている。青のジーンズをはいて上にはメジャーリーグのチームロゴのアップリケのされたTシャツというラフな格好の彼は謝りながら視線を見下ろしている剣心に向けた途端、全身を硬直させた。
「知り合いですか?」
 剣心と同時に青年の変化に気付いた巴が、小首を傾げつつ視線を振る。
「いや、見覚えが……ん?」
 ない。と、言いかけて、ふと自分を見上げている視線に記憶が引っかかった。
 そんなに遠い訳ではない。限りなく近い過去で見たような……。そう。あの時は見上げていたんじゃなくて見下ろされて……。
 青年の顔に一つの仮面がだぶる――。
「ああああああああああああああああ!」
 そして気付いた。
「な、何よ! 急に大声出して」
「緋村さん?」
「こ、こいつ、う、鵜堂刃衛だ!」
 震える指先付きつけられて冷や汗が流している青年は、小さく人良さそうな八の字に曲げた眉を戻さずに、首だけの礼をした。
「ど、ドモ……」




刃衛と衝突した美姫。
美姫 「きゃぁ〜、助けて〜。か弱き乙女のピンチ」
剣心は、どうする!?
しかも、何やら、別人のような様子なのも気になる。
美姫 「……」
果たして、次回はどんな事になるんだ!?
次回も、乞うご期待! って感じです!
それでは……(ガシッ)
美姫 「ひ〜ろ〜」
あ、あははは、な、なんでしょうか……。
美姫 「私を無視するとは、いい度胸ね。たっぷりと教えてあげるわ」
な、何をでしょうか……。
美姫 「後悔という言葉の意味よ」
……う、うぅぅぅ。た、助け……。
美姫 「それでは、また次回で♪」
ングング。(い、息が……。く、口と鼻が塞がってるって!)



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