『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




LXXXU・比叡山陥落

「な、何なんだ! 何故、こんな……」
 間を置かずに続く爆発を自室の中に倒れながら感じて、カイゼルはヒステリック気味に誰に怒鳴る訳でもなく叫んだ。しかしすでに隠し通路は爆発の火災によって塞がれ、先ほど部下から伝えられた最後の通信では、大きな組織だった何者かが巧妙に世間の目から逃れてきたアジトに侵入したと言う。時折遠くから聞える怒号は通常通路は使えないと判断して間違いないだろう。
 火が回り始めた自室でプライベート用の家財道具が燃え始めているのを目の端に見ながら、強く噛み締めて破れた唇から激しく流れ出した血で胸元を赤く染め上げて軽い火傷をするくらいに熱を持った壁に手を当てて立ち上がった。
「ア、 アルフレッドは何をしているんだ! 私に刃向ってまでここに残ったのに体たらくは……! そ、そうだ! アイツ等は何をしている! こ、こういう時のための独立部隊の筈だ!」
 最初アルフレッドの巨大な身体を思い出して文句を言い出したカイゼルだったが、すぐさま思考は別の人物達に移行していた。誰も居る筈のない室内を正常な理性を失った視線を走らせて……。
 その時!
「うわぁぁぁぁぁ!」
 突如、大きな音を立てて西側の壁が崩れた。度重なる爆発で脆くなった壁はカイゼルのキンキンとした叫びに限界を感じたのか、大きな破片が足元に転がってくるのをぼんやりと見詰めた後で、ぽっかりと口を開けた壁面を凝視した。
 と、隣には確かクリスの研究室があった。ああ! アイツの自室には私のところとは違う抜け穴がある! これで助かる! クゥハハハハハハハハハハ! やっぱり何があっても私が正しいんだ! ざまぁみろ! 何が起きようとも私は生き延びる! そして復讐ができるんだ!
 部屋の半ばまで火が回った室内で、声にならない高笑いを大きく胸を反らして、よろめく足を前に動かした時、ふと、口を開けた壁の向こう側に二人の人間の影が浮かんだのに気付いた。思わずギクリと身を硬直させたが、すぐさま見覚えがある二人に喜びと怒りを混同させた感情を浮かばせた。
「き、貴様等! 一体何をしていた! こ、こんなになるまで賊を放り出して……」
 コメカミ付近に青筋を文字通り浮かび上がらせて、近付いていく間に二人の妙な雰囲気に言葉尻が下がり勢いを殺がれた。引いていく血の気を感じながら視線を交互に走らせた。
 普通ならば自分と同じく慌てていて当然である筈なのに、二人は余裕を持ち、それでいて悠然と構えている。あまつさえ一人は生まれつきの笑い顔なのだが、もう一人は明らかに笑っているのだ。
「な、何が可笑しい! アジトがこんなに……」
「ふふ。カイゼルさん。ここまでなってもまだわかんないんですか? それはちょっと鈍いんじゃないかな〜?」
「瀬田……」
「雅孝。そんな遠回りにいじってるんじゃねぇ。これでも一応俺達のボスだぜ?」
「あ、そうでしたね。すいません。つい今までの経過を考えるとつい……」
 テヘヘ。と男なのに妙に少女のように見える笑顔を浮かべて、自分で軽く握り締めた拳でこつんと頭を叩いた。その隣でもう一人の着崩した着物で身を包んだポニーテールのように髷を結った男に謝罪した。
「な、何でだ! お前達を世話してきたのは私だ! こんな恩知らずな!」
「恩知らず?」
 勢いで口を突いた言葉に、着物の男は独特の地獄の縁まで覗いて来たような暗い深淵を含んだ眼で、呆けてしまったカイゼルを射抜いた。
「俺は誰も現世に戻せなんて頼んじゃいない。もう少しで閻魔相手の国取りが成功しようとしていたのに邪魔された恨みはあるがな。方治も由美も碓氷も待ってるだろうからな。さっさと終らせようかとも思ったが、想像以上にこっちも面白くなったんで、また昔の野望が浮かんできただけだ」
「昔の野望だと?」
 カイゼルも彼の昔の事は詳しくは知らない。ただ明治十年頃に当時の明治政府にクーデターを起こし、その過程で死亡したとだけは知っている。彼は自分だけの手駒欲しさに彼が死亡した比叡山へと赴き、刃が鋸のようにギザギザになっている刀の柄から採取した損傷の激しい皮膚片から兆冶の錬金術の再生技術を利用して作り上げただけだ。
「だ、だが! おまえには私に刃向わないように遺伝子に細工を……」
「カイゼルさん、そんなものはとっくのとうに兆冶さんが解除しちゃいましたよ〜」
「なぁ?」
「ま、そう言う訳だ。折角復活させてもらったからには存分に活用させてもらうさ。ただし……」
 驚きを通り越して魂が抜けきった状態へとなったカイゼルに、着物の男が不釣合いの真っ白な歯を見せた。
「能無しは排除して、俺がこれからの龍の頭だ」
「きさっ!」
 彼の最後の一言がカイゼルの導火線に火をつけた。
充血した眼で着物の男に掴みかかろうとした。
「ダメですよ。貴方はここで死ぬんですから」
 何が起きたのか。
 第一歩を踏み出した瞬間、数メートルは離れていた雅孝が突き出した手の下に入り込んでいた。吸う瞬の時間を置いてカイゼルの視線が落ちる。そしてそこにあるどんな場面でも感情の動き一つ見せない笑顔の傍らで、人工的な金属の光が煌いた。
 よく飛び降り自殺を敢行した場合、意識が急激に遅くなり落ちていく間のビルやマンションの一つ一つの室内がはっきりと認識できると言う。まさしく今のカイゼルの精神状態は同じ状態であった。何処からともなく取り出した雅孝の刀が引き抜かれていく中で、カイゼルの眼球が遠くに居る着物の男へと再度戻る。男は知ってか知らずか、人差し指で技とらしく自分の喉をとんとんとノックさせた。
「し、志々雄真実ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
 白刃が右脇腹から斜めに心臓を斬り、左肩へと滑らかに通り過ぎて行く。だが痛みは不思議と感じはしなかった。ただあるのは自分が作り上げ、確実にこれまでの十七年間を文字通り死線を潜り抜けて来た手足だった男の名を叫びながら、斬られたカイゼルの上半身は、燃え広がってきた火の中に落ちていった。
 血糊を払い、完全に蛋白質になった元自分達のトップをこれまた笑顔で見下ろして雅孝は志々雄に振り返った。
「さ、志々雄さん。これで終りましたよ。後は夏織さんと咲那さんを回収して終りです」
 何時の頃からか。
 志々雄はカイゼルに煩わしさを感じ始めていた。最初は甦らせた人物なのでそこそこ言う事を聞いていたのだが、二人が夏織を助けた時期からあの幕末を思い出させる感情を心に燃やし始めた。それからは速かった。元々志々雄に心酔していた兆冶は、あっさりとカイゼルを裏切り、口からでまかせを立て並べて自分の手下となる組織を別に作り出した。だが計画を実行に移すまで数年を要し、しかもカイゼルの手駒となる五色不動よりも実力が下であると思い込ませ、ようやく自由となる第一段階を完了したのだ。表情には出さなかったが、志々雄は小さく心の中でほくそえんだ。
と、その時。
「いや……」
「え?」
 勝利の余韻に浸るのを一寸で止め、不思議げに首を傾げる雅孝に背後にある大きな扉を顎で差した。そんな志々雄の行動に首を捻りながら雅孝が扉へと首を向けた瞬間、唐突にしっかりと口を閉ざしていた扉の中心部分に小さな皹が走った。何事かと雅孝だけが眉を跳ね上げた時、合金製の扉は大きな破壊音と共に砕け散り、奥から刀を平刺突に突き出したオールバックの鋭い印象を与える男が半分以上炎に包まれた室内に飛びこんできた。
男は勢いを打ち消すために火の回っていない床に片手を付くと、その場でくるりと身体を回転させて計ったように二人の前に着地した。
「ふわぁ。すごいなぁ! 僕にはあんな芸当できないや」
「何言ってやがる。あれ以上の事をやれる奴が言う台詞じゃねぇ」
「いやだなぁ。僕のは大した事じゃありませんよ〜。大体一度も倒せないじゃないですか」
「俺のは経験だ」
 そんな軽い口調の二人の話を聞きながら、男はふと炎の中で脂を燃やしている元人間の塊に気が付いた。
「おい」
「はい?」
 危うくそのまま志々雄との漫才に発展しそうだったところに男のドスの利いた言葉が乱入し、内心で感謝しながら雅孝は男を見た。
「今日の俺の目的はカイゼルというゲスだったんだが、ここで燃えてるのがカイゼルか?」
「あ、はい。そうですよ。今まで僕達はカイゼルさんの下にいたんですけど、さすがにこれ以上は付き合いきれないな〜って思いまして、今日、タイミングよく決起したんですよ〜」
「タイミングよく? ふん。どうやら俺や御神美沙斗のところに届いた宛名無しの手紙の差出人はお前達か」
「あれ? いやだなぁ。タイミングよくって言ったじゃないですか〜」
「もういい、雅孝。アイツは全部悟ってる。今更隠しても無駄だ」
 炎に包まれ、たった今人を一人殺したにも関らず、満面の笑みを絶やさずに男の言葉に受け答えしていた雅孝を制して、志々雄が一歩前に出た。
「確かに手紙を出すように指示したのは俺だ。雅孝が言ったように、これ以上は屑の命令を聞いているには耐えなかったんでな」
「ほう……。それで俺達をダシに使った訳か」
「そう言うな。使えるものを何でも使って目的を遂行するのが俺やアンタの常套手段だろ? 新撰組三番隊組長斎藤一」
 名乗りもしていないのに名前を言い当てられ、斎藤は小さく眉を跳ね上げつつも視線を志々雄から離さずに胸ポケットから煙草を一本取り出して咥えた。
「……なるほど。こちらの情報は調査済みか」
「アレだけのメンバー揃えちゃったら、何もしてなくても情報から飛びこんできますからね〜」
「違いない。今度からはもっと徹底した情報管理を行う事にする」
「アララ。その都度手加減してもらえると嬉しいなぁ〜……何て無理ですよね」
「手強い方が面白いからな。願ったり適ったりだ」
「ちょ! そんな事いっちゃいますと、斎藤さんは本当に手を抜かないですよ〜」
「安心しろ。元から抜くつもりなどない」
「うわ! 即答だ!」
 一人がくりと肩を落とした雅孝を余所に、志々雄と斎藤の互いに視線のみで人を殺してしまいそうな鋭い眼光がぶつかりあう。
 そこへ、新たに誰も居ない筈の廊下を走ってくる足音が二つ部屋に響いた。残してきた二人かと一瞬思い、簡単に気配を探りかけた時、反射的に左手が持った刀を頭上に平行に突き出した。間を置かずに二つの斬撃が走る。
 あの二人じゃない――?
 身に覚えのない衝撃にようやく追い付いて来た五感が斎藤を踏み台にして一気に志々雄の隣まで飛んだ二人の人物を捕えた。
 一人は先ほど美沙斗に任せた夏織で、もう一人は見た事のないボーイッシュショートの眼差しの冷たい女性だった。と、それに合わせて刀に微妙な変化があるのに斎藤は気付いた。新しく現れた女性二人の立ち位置から切っ先側は夏織の斬撃なのだろう。しかしもう一人の女性が打ちこんだと思われる鍔付近は妙な冷たさを含み、柄を握っている斎藤の左手が軽い凍傷のような感覚を帯びているのだ。
「志々雄様。大丈夫ですか?」
 夏織が軽く頭を下げて志々雄の身を思んじる。
「別に斬り合ってた訳じゃない。話をしていただけなんだが、そろそろ時間か?」
「すでに二分二十四秒遅れている」
 と、そっけなく呟いたのはもう一人の女性だ。彼女の言葉に軽く頷くと心底残念そうに大きく息をついた。
「そうか。これ以上は兆冶も持たないか。……と、言う訳だ、先輩。膿を出し終わった俺が今度は龍だ。次から心してきてくれ」
 これから起こる事が本当に楽しみなのか、口元にこれまで以上の微笑を浮かべ志々雄の邪悪でぎらぎらとした眼差しは、自然体に煙草を口にしている斎藤から終止離れる事はなかった。
 斎藤と志々雄達の合間にあった炎の壁が一際大きくたけ狂い、それが納まった時、そこに志々雄達の姿はなかった。



真の黒幕登場。
美姫 「とりあえず、今回は引き下がったけれど、果たしてこの先どうなるのかしら」
いや〜、非常に楽しみ。
美姫 「そうよね。早く次回を読まないとね」
だな。それじゃあ、次回で。



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