『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚 79』




LXX\・海鳴市攻防〜痛みを知る者と知らぬ者

「神咲薫だと?」
 夷腕坊の中から上半身を出していたクリスは、思わず唸った。
 手足となる雑魚共の報告だと、神咲家の当代三人はそれぞれに神咲真鳴流当代の神咲葉弓は夜の一族の綺堂さくらと行動を共にして海外に出ているし、神咲楓月流当代の神咲楓はまだ北海道で、先週起きた兆冶達の事件調査を行っている。そして今目の前に立つ神咲一灯流の神咲薫は、リスティ=槙原と一緒に愛知で鵜堂刃衛が起こした通り魔事件の調査をしていた筈だ。
 それが何故ここに?
 予想外の人物の登場に、一瞬驚きを隠せずにいたクリスであったが、すぐに先程の冷静さを取り戻した。
 別に問題ないではないか。あのザカラを倒したと言う神咲ではないが、代わりに来たのは最強の呼び声高い最年少の神咲一灯流当代。夷腕坊の対霊力戦のいい実験材料じゃ。
 不適に口元を歪めた少年に、薫は油断なく刀の名を口にした。
「十六夜」
 すると間を置かずに、日本刀の中から薫と似た服装をした金髪をポニーテールに纏めた妙齢の女性が実態を現す。
「十六夜、みんなの――いや真雪さんと美緒の様子は?」
 本当ならば四人とも怪我を癒す事が出来る十六夜に見せたいのだが、例え長いブランクがあれど剣の達人である真雪を倒し、美緒の腕までも切断し、更に腕の程まではわからないが夕凪とあの耕介までも膝をつかせている。油断を見せてしまえばやられるのは自分であるのを認識して、最低限重体である二人に絞った。
 十六夜はふわりと風に浮かぶ雲の如く軽やかさで二人の元に移動すると、ニ、三度怪我の箇所に触れて状態を簡単に確かめると、黄金色の霊気を少しだけ当てた。
「応急手当は今済ませましたが……このままでは……」
「わかった。耕介さん、相楽さん。二人で真雪さん達をさざなみ寮に運んでください」
「え? でも、薫……」
「楓から事情は聞いています。まだ霊力の回復していない耕介さんでは、足手纏いの他になりません」
 体は治った。だが身体的な回復と霊的な速度が違う。どれだけ時間がかかるのか全く予測が立たないのだ。楓からの話では封神・楓華疾光断と同クラスの神咲無尽流奥義を使ったという。ならば一週間程度では自己治癒能力すら回復できていないだろう。
 その点を突かれ、耕介はぐっと息を飲むように押し黙った。
「どちらにしても、今は治療しなければ間に合うものも間に合いません」
 更に背中を押すように耕介と夕凪を見た薫に、二人は同時に頷くとすぐに気を失っている二人を移動し始めた。
 頭部損傷している真雪を、御架月を添え木にして首が動かないように固定して耕介が抱かかえ、美緒は比較的無事なため夕凪が胴体をもって足を引きずるように寮へと向かう。
 その間も薫は夷腕坊の中に身を潜めたクリスを射抜くように瞳を引き締めた薫は、戻ってきた十六夜を刀に戻し、霊波同調のために輝きを取り戻した。
「……ウチの隙をついて耕介さん達に攻撃する事もできただろうに、何故しなかった?」
 薫もまた戦場に生きる剣士である。常に動きの邪魔にならない無行の位に刀を構え、一歩夷腕坊に近付いた。
「ほっほっほ。何、ただ単純に夷腕坊の性能テストをしたいだけよ。日本最強との呼び声もある神咲一灯流の当代相手にな」
 夷腕坊も身を低くして戦闘態勢をとる。
「そんな痛みを感じられん玩具に隠れていても、ウチには勝てん」
「玩具かどうか、己の体で確認すればええ」
 金色の剣士と巨躯の人形は、双眸を数瞬交じ合わせると、同時にアスファルトを蹴った。互いに重心を高く置くのは危険であると言う全ての格闘技に共通する事項を守り、初撃は薫の十六夜だった。地面を擦るのではないかと思える程に脱力した十六夜を左足の踏みこみとともに切り上げた。本来であれば剣閃が一筋の煌きとなって瞳に映るのだが、しかし霊気を纏った十六夜は、金色の残像を残したまま夷腕坊の体を支えるために一本だけ前に出した彼女の胴体近くの太さを持つ右足に向けて大気を斬り裂いていく。だが夷腕坊はその折り畳んだバネを開放した。刃が命中する直前に薫の頭上を超えて森の手前に着地すると、そのまま両手の手首関節をついて球体関節を回転させた。本来は人型で尤も弱い部分である関節をダイヤモンドを超える強度を持つ球体関節した事で衝撃を大きく分散させる事に成功していた。簡易キャタピラと化した関節は急激に後進をかけて、夷腕坊の巨体をで後ろにいる薫をプレスしにかかる。それを横に受身を取りながら僅か数ミリの単位で避けると、髪の毛を数本巻き込んで通り過ぎた夷腕坊に霊気の切れた一撃を加えて、真雪のように弾かれた。
「ぐぅ!」
 しかし真雪と違って横に薙いだ反動により、薫の華奢な体まで引きずられて地面を滑った。剥き出しの二の腕に数々の擦り傷がつく。だが薫の思考はそれよりも一つの疑問に注がれていた。
 なんで今度は弾かれた?
 数メートル飛んだところで十六夜を地面に突き刺して強引に立ち上がった。
「そんな一撃で夷腕坊の反転繊維は破れない!」
 クリスの見下す声に呼応するように、夷腕坊のキャタピラが手首関節から膝関節に切り替わる。人間では絶対に有り得ない力のベクトル変換を行って夷腕坊の豪腕が唐突に三百六十度回転しながら、ようやく思考を中断した薫に森の木々を抉りながら打ちこんだ。
「穿腕撃!」
 一切緩める事無く速度を上げ続けた回転した直径七十センチの弾丸に、頼りない細さの十六夜にありったけの霊気を集中させて硬度を上昇させて、僅か数十センチまで迫っていた拳のと顔の前に強引に潜り込ませる。
 直後、激しい衝撃と手首に激痛が走った。直撃を受けた刀身部分は軋みと言う悲鳴を上げ、それを持つ手首は少しでも気を抜くと肉や骨ごと持っていかれそうになる。歯を食いしばり必死に堪えようと瞼を細めて力を篭めるが、そんな薫の努力など無駄なものと嘲る勢いだ。いや彼女はよく持ち応えていると言うべきであろう。何せよく映画やドラマで使われている弾丸は約五ミリから九ミリ。それでも鉄板を何枚も貫通する威力を持っている。その七十倍の弾となれば、どちらが敬意に値するのかすぐにわかるだろう。だが指一本で常に回転を維持し続けるクリスに疲れというものは存在しない。いつまでも回転を続けさせる事が可能だ。夷腕坊の牙の合間から大きな団栗眼を弓なりに歪め、楽しげに純粋な悪の微笑を浮かべた。
 と、その時、薫の足がふわりと浮いた。途端、穿腕撃を受けていた十六夜と一緒に薫は吹き飛んだ。まるで突風に飛ぶ木葉のように軽々と宙を舞った彼女はくるりと空中で回転すると何事もなかったかのようにさざなみ寮にほど近い道路に着地した。
「自分から後ろに飛んで衝撃を吸収したか。中々器用な事をする」
 夷腕坊の球体関節を利用して回転で破壊力を上げる穿腕撃を看破されたというのに、どこかクリスは嬉しそうだった。もちろんショックがない訳ではない。しかし、やはり神咲薫との闘いは夷腕坊の状態を確認するための実験であり、今後に生かすデータが取れていれば問題ないのだ。
(ふむ。打撃力三百八十か。多少男の神咲や眼鏡をかけた女に比べれば質が落ちる。しかし、代わりに敏捷性五百六十九というのは、猫又に並ぶものだ。まだ霊力を含んだ攻撃は遠距離だけだが、この調子だと兆冶の反転宝珠を破ったという小娘の打撃力七百十一に並ぶ事もあるまいて)
 夷腕坊の表面に設置された薄さ一ミクロンのセンサーから送られてくるデータ数値を観察して、満足のいく結果が得られそうだと満面の笑みを浮かべた。
「薫、大丈夫ですか?」
 クリスがそんな予測をたてている頃、薫の手元から心配そうな十六夜の声が聞こえてきた。
「少し……手が痺れてるけど……なんでんなか。それより……」
「ええ。予想ですが、まだあの人形は完全ではないのでしょう」
「十六夜もそう思うか?」
「はい。おそらくは物理攻撃のみに反応できるのだと思います」
「……前に山口で相手をした道一坊の円邪の鏡と同一か」
 山口で住処を失って暴走していた天狗の持つ鏡を思い出し、小さく舌打した。彼の天狗は全ての物理攻撃以外の特殊なものを全て反射させる西洋の伝説にあるアイギスの鏡に似た盾を持っていて、薫は苦戦の末何とか説得に成功した。その時の苦労を思い出し、少し気落ちが萎えてしまうが、すぐに気持ちを切り換えた。
「でもあの時とは逆と言う事は、手立てはある」
「はい。一気に押し切りましょう」
 二人の麗人は、互いの尻尾を上下に動かすと、十六夜は刀へと戻り薫は霧散していた霊気をまた刀へと集中させ始める。最初は十六夜を包むだけだった金色の光が、次第に薫の全身をも包み込んでいく。
「いくぞ!」
 そして薫の瞳の色までも金色に変化した時、今度は彼女が動いた。元々坂道に上にいた薫はぐんぐん加速して夷腕坊に接近する。
「今度は屠ってやるわ!」
 クリスも得られる最高のデータを求めて夷腕坊を動かした。足のバネを使いまたもや一気に薫の頭上を飛び越える。
「何度も同じ事を!」
「ほっほっほ! だから愚かなのだ!」
 しかし目標を捕える為に足を止めた薫の丁度真上で、夷腕坊は突如停止した。そのまま重力に引かれて落ちてくるのを見て、さすがの薫も慌てて回避する。激しい地鳴りを起こして着地した夷腕坊に、霊気が満ちた一撃が打ち込まれた。
「ふん。その程度、多少表面が……」
「神咲一灯流・尖陣刃!」
 気合一閃。
 簡易版月光・弧月剣武断と言うべき十六夜の刃は、いとも容易く夷腕坊の左腕を輪切りにしていた。
「な、何だと!」
 これまで薫を圧倒していた夷腕坊の巨体があっさりと切断された事に驚愕し、すぐに内部設置されたデータモニターに視線を向け、今度は唾液が垂れるのも気にせず、脂汗を噴出させた。
「だ、打撃力……一千九百四だと……? あ、有り得ない……そんな……」
「さっき、楓陣刃が当たった時、霊気を含まない打撃は弾いたのに、楓陣刃は焦げ痕をつけた。それは霊気を反射できないのを示している。ならば、霊気と打撃を組み合わせた技ならば確実に通用する」
 これは十年前に御架月がまだ神咲を憎む妖剣であった頃、御架月を手にしてしまった耕介の闘い方を見て最初に気付いた。次に試しに御架月を使ってみて核心を得た。神咲一灯流は遠距離技を主体とし、神咲無尽流は近距離技を基本としている事を。遠距離型の利点は使用者に危害が及ぶ事が少なく、安全なのが一番であるが、逆に威力をどれだけ高めても僅かに霧散してしまう。だが無尽流は接近戦を得意とするため、一灯流に比べて手首の返しが速いのだ。そこに目をつけた薫が一灯流に少ない直接打撃技を鍛え始めたのだ。
「まさかここで尖陣刃の威力を試せるとは思えなかった。感謝する」
「くそ……わしの夷腕坊は最強だ……。これさえあれば近代兵器すら凌駕できる……」
 焦りを感情がなくともわかるくらいに夷腕坊に浮かび上がらせ、クリスは残された右手のリングを全ていっぺんに引いた。それに呼応するように夷腕坊の腕が回転を始める。だが今度は腕だけではなかった。指関節の一つ一つが交互に逆回転を開始し、凶悪なドリルとなって薫を襲った。
「穿指穿腕撃!」
「薫!」
 腕の回転だけでもあの威力で、刀の中で支えていた十六夜も死を覚悟したのに、今度は太い指までが回転している。威力は想像を超えているだろう。悲鳴じみた声を張り上げた。しかし薫は冷静だった。
「もう……そんなもんは通用せんよ」
 周囲の空気を巻き込みながら接近する穿指穿腕撃を前に、薫は一度十六夜を納刀した。
「……神咲一灯流・旋陣刃」
 抜刀と同時に金色の光が弧を描いて穿指穿腕撃に接近した。しかし、剣閃は衝突する直前、体ごと地面をなめるように軌道を低くした。いくら人間の機能に極限まで迫っているとはいえやはり人形。大振りの攻撃である穿指穿腕撃は薫のリボンを巻きこんでいく。だが耕介から貰った大切なリボンでも、今技を止める訳にはいかなかった。金色の剣は夷腕坊の太股に食い込み、薫は体を回転させてそのまま坂道を登る如く夷腕坊の胴体部を斬り裂く。それはまるで天に登る龍のような神々しさを持ちながら、頭部まで一気に駆け抜けた。
くるくると回転するしつつも飛んだ薫の背後で、人形としての繊維を失った夷腕坊の巨体が、重苦しい音をたてて倒れた。
「ば、バカナ! 夷腕坊が……夷腕坊がぁ!」
「痛みを知る者は生の崇高さを身を持って覚える。しかし、今の世の中の痛みを知らない者は、指一つで何千何万と殺戮のできる兵器を作る。痛みがあるからこそ、人はここまで進化できたと言うのに、な」
完全にガラクタと化した夷腕坊を前に、十六夜を鞘に収めた薫は重苦しい人形の下から這い出ようとしているクリスを見下ろしながら、ただ悲しげに言をただ風に泳がせた。



薫の勝利〜。
美姫 「ほっと一息」
海鳴テロも、何とか治まりつつあるな。
美姫 「このまま何とか終らせる事が出来るのか」
未だに緊迫した状況が続く中、とりあえず一息。
美姫 「次は一体、誰が出てくるのか」
その点も非常に気になりつつ、大人しく次回を待ちましょう。
美姫 「そうしましょう」
それでは、夜上さん、次回も楽しみにしております。
美姫 「ではでは、アデュー」



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